2012年7月29日日曜日

ラーメンに支払える限界金額は!?−【私の論評】ラーメン屋さんは、実はイノベーションの優等生!

ラーメンに支払える限界金額は!?



http://journal.mycom.co.jp/c_career/level1/yoko/2012/07/post_2048.html


【私の論評】ラーメン屋さんは、実はイノベーションの優等生!

詳細は、上の記事をご覧いただくものとして、アンケートの集計結果だけ、下にコピペさせていただきます。



500円まで 7.6%

600円まで 3.8%

700円まで 8.6%

800円まで 21.1%

900円まで 14.5%

1,000円まで 32.8%

1,100円まで 2.1%

1,200円まで 4.6%

1,500円まで 3.6%

2,000円まで 0.3%

上限なし 1.0%

この結果をみて、皆さんは、どう思われますか?私は、妥当だと思います。比較的パーセンテージの高い800円というと、街のごく一般的なラーメン屋さんの上限なのだと思います。そうして、最もパーセンテージの高い1000円というのは、先の街の一般的なラーメン屋さんの価格上限を参照して、1000円くらいなら払っても良いだろうという、アンケートに応えた人の一般的な感覚なのだと思います。まあ、当たり前といえば、当たり前の結果です。そのほか、いろいろわれているのは、個々人で所得が違うとか、ラーメンという食べ物に対する個々人の思いいれなどによるものだと思います。

さて、以上は、現在の話です。では、過去はどうだったのかと思い、いろいろと調べてみたら、まずは、した他のようなものを見つけました。


季刊「麺の世界」というブロクで、以下のような、図表が掲載されていました。
ラーメン価格の推移
年次ラーメン価格主な出来事はやった言葉
1930(昭和 5)
40(昭和15)
41(昭和16)
----------
45(昭和20)
46(昭和21)
47(昭和22)
48(昭和23)
49(昭和24)
50(昭和25)
51(昭和26)
52(昭和27)
53(昭和28)
54(昭和29)
55(昭和30)
56(昭和31)
57(昭和32)
58(昭和33)
59(昭和34)
60(昭和35)
61(昭和36)
62(昭和37)
63(昭和38)
64(昭和39)
65(昭和40)
66(昭和41)
67(昭和42)
68(昭和43)
69(昭和44)
70(昭和45)
71(昭和46)
72(昭和47)
73(昭和48)
74(昭和49)
75(昭和50)
76(昭和51)
77(昭和52)
78(昭和53)
79(昭和54)
80(昭和55)
81(昭和56)
82(昭和57)
83(昭和58)
84(昭和59)
85(昭和60)
86(昭和61)
87(昭和62)
88(昭和63)
89(平成 1)
90(平成 2)
91(平成 3)
92(平成 4)
93(平成 5)
94(平成 6)
95(平成 7)
96(平成 8)
97(平成 9)
98(平成10)
99(平成11)
2000(平成12)
1(平成13)
2(平成14)
3(平成15)
10銭
16

-----------
(5円)

(7)
15
15
15

17
20
25~30
25~30
25~30
30~35
30~35
35
35
40
40
40
50
50
50
60
70
80
100
100
120
150
170~200
170~200
230
230
250
260
280
280
300
310
320
330
340
350
354
378
384
413
430
439
443
443
493
515
515
517
543
549
555
561
金輪出解禁 世界大恐慌日本に波及
米穀配給統制規則 大政翼賛会創立
国民学校令公布 太平洋戦争開戦
----------
食糧配給減 終戦 各地にヤミ市
物価統制令 食糧メーデー 新憲法成立
6・3制教育実施 主食遅配
帝銀事件 美空ひばりデビュー
ドッジ・ライン 1ドル=360円に
千円札発行 朝鮮戦争勃発 特需景気
民放放送開始 パチンコ流行し始める
平和条約発効 東京に初のボウリング場
テレビ放送開始 北部九州・熊本大水害
力道山活躍 第五福竜丸ビキニで被爆
第1回国際見本市 日本住宅公団設立
『週刊新潮』発売 国連加盟
5千円札発行 ソ連初の人工衛星
1万円札発行 インスタント・ラーメン発売
メートル法施行 皇太子結婚式
安保改定反対スト 電気冷蔵庫普及
柏鵬時代開幕 アンネナプキン発売
中性洗剤問題化 東京のスモッグ問題化
新産業都市など指定 観光基本法
東海道新幹線開通 東京オリンピック
日韓基本条約調印 初の赤字国債発行
人口1億人突破 建国記念日など制定
人材銀行開設 公害対策基本法施行
霞が関ビル完成 各地で大学紛争
東名高速道路開通 人類初の月面到着
大阪万博 「歩行者天国」実施
ニクソン・ショック(1ドル=308円)
浅間山荘事件 田中首相「列島改造論」
金大中事件 第1次石油ショック
狂乱物価 関東地方で酸性雨観測
山陽新幹線全線開通 沖縄海洋博
ロッキード事件発覚 資本自由化完了
「君が代」国歌に 王選手本塁打世界記録
成田空港開港 日中平和友好条約調印
ダグラス・グラマン事件 東京サミット
平均寿命世界一 粗鋼生産世界一
神戸ポートピア 不快用語整理法施行
日航機羽田で墜落 東北新幹線一部開通
TDL開園 日本海中部地震
太平洋側異常寒波 グリコ事件
つくば科学万博 プラザ合意
前川レポート 三原山大噴火
ルーブル合意 国鉄分割民営発足
青函トンネル・瀬戸大橋完成
ふるさと創生基金支給 消費税実施
地価騰貴 合計特殊出生率1.57に
湾岸戦争 雲仙・普賢岳火砕流
地価下落 GNPマイナスに
非自民党・細川内閣成立 倒産多し
地ビール解禁 失業者200万人台に
阪神大震災 円一時79円75銭
若田さん宇宙へ シルクロード鉄道開通
香港中国に返還 山一証券破綻
明石海峡大橋開通 百才以上1万人突破
バイアグラ承認 世界人口60億突破
私立大学の3割・短大の6割定員割れに
米で同時多発テロ USJオープン
サッカーW杯日韓共催 新幹線盛岡まで
米英イラク攻撃 六本木ヒルズオープン
オーケー/ルンペン
ぜいたくは敵だ
月月火水木金金 
----------
一億総懺悔/タケノコ生活
あっそう/愛される共産党
栄養失調/アプレゲール
冷たい戦争/アルバイト
ギョッ!/駅弁大学
特需/貧乏人は麦を食え
社用族/日本人は12才
火炎ビン/エッチ/復古調
コネ/八頭身/三種の神器
ロマンスグレー/死の灰
ノイローゼ/神武景気
一億総白痴化/太陽族
グラマー/団地/よろめき
神様・仏様・稲尾様
岩戸景気/消費は美徳
インスタント/所得倍増
レジャー/高度成長
無責任時代/流通革命
バカンス/三ちゃん農業
根性/マンション
マイホーム/公害
黒い霧/ミニスカート
核家族/ヒッピー/未来学
大きいことはいいことだ
エコノミックアニマル
ウーマンリブ/シラケ
脱○○/ゴミ戦争
恍愡の人/ポルノ
日本沈没/狂乱物価
節約は美徳/暴走族
複合汚染/落ちこぼれ
偏差値/ニューファミリー
円高/カラオケ/ルーツ
家庭内暴力/地方の時代
ダサイ/ギャル/激○
それなりに/買春
ぶりっ子/粗大ごみ
ルンルン/ねくら/森林浴
軽薄短小/義理チョコ
イッキ、イッキ/財テク
新人類/マニュアル人間
エスニック/地上げ
朝シャン/円高
DINKS/オバタリアン
セクハラ/おたく/めちゃ
イタめし/ミツグ君
若貴/地球にやさしい
バツイチ/もつ鍋
規制緩和/ヘアヌード
価格破壊/お受験
ライフライン/アムラー
援助交際/インターネット
失楽園/たまごっち
キレる/環境ホルモン
着メロ/地産地消
IT革命/パラサイトシングル
できちゃった婚/抵抗勢力
内部告発/イケメン
スローライフ/おれおれ詐欺
私の叔父は、今東京ですが、何かの話のはずみで、ラーメン一杯の価格の価格になり、叔父が学生の頃は数十円だったと語っているのを覚えていますが、確かに上でみてみると、叔父が学生時代だったころは、ラーメン一杯の値段が数十円であった時代にあたっています。その話を聞いた頃には、すでに、ラーメン一杯が数百円の時代だったので、昔は随分安かったのだと、感じたものでした。


そうして、その当時は、デフレではなく、緩やかなインフレが続いていたので、昔からインフレが続いていたのだと、思いました。確かに、今から、20年前くらいまでは、インフレがが当たり前でした。たとえば、アパートなどの家賃だって、毎年あるいは、数年に一回あがるのは当たり前でした。それが、ここ10年は、多くのアパートが横ばいか、古くなったところは、下がるくらいです。本当にデフレを実感します。

上の表では、平成15年までしかでていませんが、それにしても、平成10年から 日本は、完璧にデフレに入り、現在の至っています。しかし、上の表をみると、平成10年以降も、ラーメンの価格は徐々にあがっています。




この事実には、少し興味をそそられたので、いろいろ調べていたら今度は「お水をどうぞ」というブログに以下のような資料を発見しました。


詳細は、この方のブログをご覧いただくものとして、グラフとその説明を簡単に掲載させていだきます。

データは2003年までしか載っていないの2011年現在のラーメン一杯の価格はグラフから目分量で推測するしかないが昨今の材料費の高騰を加味するにだいたい650~700円あたりではないだろうか? 
上のデータは「その当時のラーメン一杯の値段」なので1930年ごろの値段が一杯0.1円という現在の物価とは全く比較できないものになっている 。物価指数を頼りに2011年現在の物価に換算できないものか考えてみた。 
物価指数には企業物価指数と消費者物価指数の2種類があるそうでどっちを採用するかで結果がかなり違ってきて難しいのだが、企業物価指数については、かなり昔からのデータが日本銀行のサイトに掲載されていたのでそれを使うことにした。 
次のグラフは2003年を1とした企業物価指数だが戦後の右肩上がりの経済成長や異常だったバブル時代をよく反映しているように見える。
この企業物価指数を基にしてラーメン一杯の値段を2003年の物価を基準に換算すると次のようなグラフになった。


第二次大戦直後の混乱期は、ラーメンは、庶民の食べ物どころではなかったことがわかります。しかし、そこから先は、意外と単調に推移しているように見えます。日本が、デフレに入ったのは、平成10年(2002年)からですが、それで価格が下がっている様子はありません。物価指数や経済は右肩下がりなのにラーメンの値段は順調に上がり続けています、昔から物価変動の少ない卵や牛乳はよく「物価の優等生」と言われています。



このブログを書いた人たは、そうするとラーメンは物価の不良?なんでしょうか?と掲載しています。しかし、この見方、正しくはないと思いました。

ラーメン屋さん、昔からみると、格段に美味しくなったと思います。見た目も、味的にもそうです。具にも、かなり工夫しています。そうして、昔は種類が少なかったのに、最近では、ありとあらゆるバリエーションがあるようになりました。そんななかに、あって、古いタイプでも美味しいところは残っていますが、美味しくないところは消えていきます。あまり、美味しくないところは、価格で勝負していますが、それにも限度があるようです。



うちの近所でも、3件ラーメン屋がありましたが、一件は廃業、もう一件は、同じようなところにラーメン屋はあるのですが、立地が良いためでしょうか、今でもラーメン屋なのですが、何回も経営者が変わっています。今が何代目なのか、変わりすぎてわからないくらいです。もう一軒は、一応ラーメンはおいてありますが、蕎麦屋であり、蕎麦・ラーメンのほかにご飯ものもおいてあります。そうして、価格帯は、低めです。函館名物の塩ラーメンは、500円数十円です。蕎麦やラーメンだけではなく、価格も低いということで生き残ってきたのだと思います。

近くには、今風のラーメン屋さんはありませんが、市内でもあちことそのようなところ、あります。おそらく、過当競争により、少しでも美味しいとか、珍しいとかをラーメン屋さんが追求してきて、価格があがったとしても、顧客が離れなかったのだと思います。当たり前のラーメンに何らかの付加価値をつけてきたからこそ、値下げなどしないで、値上げができたのだと思います。


そういうことからすれば、この業界は、努力して、デフレにもかかわず、値段を維持するどころか、少しづつでもあげることに成功してきたのだと思います。だから、ラーメン屋さんは、デフレの優等生と名付けても良いのではないかと思います。

そういわれでみれば、私も、都市部は無論のこと、地方に行ってラーメンを食べることもしばしばありますが、最近では、昔のようないわゆる全くの外れという店は、ほとんどなくなりました。それだけ努力しているのだと思います。それに、昔と比較すると、テレビなどでも美味しいラーメン屋さんが数多く出るようになり、ラーメン屋さんのステータスもあがったように思います。昔なら、ラーメン屋のおやじという感じでしたか、今だと、よくラーメン店のご主人が、それも比較的若い世代の方が、腕組みをした写真で紹介されるようになり、一昔前の、イメージとは異なるようになっています。


それから、浅草にある昔からやっている、一見何の変哲もないラーメン屋さんがあります。そこは、美味しいと思って、昔よく食べていたところです。現在でも、600円くらいでやっていますが、そこに20年ぶりくらいで行って、ラーメンを食べて、やはり、同じく美味しかったので、店があまり忙しくない時間帯に行ったこともあり、店のご主人とお話をすることができました。

それでわかったことなのですが、実はこのご主人によれば、20年前に変わらず美味しいと思ったラーメンなのですが、実は20年前からすると味を随分変えているとのことでした。毎年世の中の移り変わりりをみて、数年に一度は少しずつ味を変えているそうです。だからこそ、20年前に食べたお客様も美味しいといってくださるのであって、20年前と全く同じ味であれば、不味いといわれてしまうと考えておられるようです。変わらず美味しいといわれるために、少しずつ味を時代にあわせて変えているとおっしゃっていました。やはりこのように、お客様に対応しているから老舗も長持ちするのだと思います。


現在は、いろいろなラーメンFCチェーンがでてきていますが、素人のフランチャイザーがFCの指導に従わず、勝手に味を変えると失敗するそうです。しかし、いわゆる、本部であるフランチャイジーが固くなに昔の味を守ることばかりに固執してるチェーンも長持ちしないようです。

ラーメン業界は、過当競争が激しく、新たな味で、新規出店する人がいる一方で、老舗もこのように対応しているということなのです。


それにしても、日本は、今年でデフレに突入して14年にもなります。こうした、ラーメン業界の過当競争の背後には、あまり表にはでませんが、新規出店しても、すぐに挫折した人、長年真面目にやってきたのに廃業せざる負えなかった人も数多く存在すると思います。こうしたラーメン店の厳しい過当競争、この14年間もの間放置してきた、日銀、財務省の官僚、政治家など、どう思っているのでしょうか?このままデフレが続けば、このようなラーメン業界にも限界がくるものと思います。

デフレは、貨幣流通量が減少するという純貨幣的な現象です。ラーメン屋さんはもとより、日本経済デフレの中で頑張って商売をしている人にはどうにもできません。しかし、政治家なら、本来、財政出動、金融緩和などすれば、すぐにも克服できる性格のものです。なのにいまの政治家、デフレ下で増税するなどという馬鹿なことを言っています。


ラーメン業界のように、過当競争の中で、努力して、価格を維持するどころか、あげているような業界もあります。そんな、真面目に働き、さらに付加価値を高め、値上げすらしているというのに、日銀は、何かといえば、増刷拒否の姿勢を崩さず、何かといえば、こうした人達を苦しめています。

日銀は、以前このブログに書いたように、インフレ目処1%も実行しようとしません。何かといえば、追加金融間措置を打ち切り、デフレに固執しています。こういう馬鹿な白川を筆頭とする役人どもは、ラーメン屋でも経営させて、デフレ下で価格を維持するどころか、徐々に価格をあげていくということは、どういうことなのか、経験させるべきです。きっと、ことごとく失敗することでしょう。そうして、ラーメン屋を潰してしまうことでしょう。これは、増税を主導する財務省の役人どもも同じことです。


あまつさえ、日銀総裁白川は、4月21日、米ワシントンで講演し、「中央銀行の膨大な通貨供給の帰結は、歴史の教えにしたがえば制御不能なインフレになる」と述べています。日銀の役割は物価の安定であり、自分はインフレを制御できないと認めた白川氏には、日銀総裁の資質に欠くのは明らかです。これはジェット機の操縦ができない人にジェット機の機長をやらせるようなもので、危険極まりないです。そうして、本来日銀は弟分であるはずの、兄貴分の財務省が、そんな白川に好き放題させていることも、多くの人にとって、理解不能の珍事だと思います。


とにかくデフレを終焉させることが、財務省や日銀が真っ先にやるべきことなのに、それをやろうとしません。できないというのなら、ラーメン経営すらできない頭で、日本国の財政や、金融政策を実施しているということになります。ラーメン屋さんはじめ、真面目にコツコツ働いて努力している人々は、もっと、これらのことに怒っても良いと思います。ラーメン屋も経営できないというのなら、財務省討伐、日銀討伐をして、今の財務省も日銀も粉々に粉砕して、新たな組織をつくるべきだと思うのは、私だけでしょうか?




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2012年7月28日土曜日

「幼児期の体罰が社会的協調性を発達させ得る」と脳科学者―【私の論評】現代の教育は、知らず知らずのうちに子供達から機会を奪っているどころか、弱体化している!!


吉田松陰像(自賛)[吉田家本]
幕末の志士たちに大きな影響を与えた吉田松陰。10才で兵学書『武教全書』を藩主の前で講義するなど、知能指数(IQ)が高かったといわれている。そんな吉田松陰について、『ホンマでっか!?TV』でお馴染みの脳科学者・澤口俊之氏が、脳科学的観点から分析する。

脳科学者・澤口俊之氏
* * *
松陰は、長州藩士・杉百合之助の次男として誕生し、6才のとき、叔父で兵学師範である吉田大助の養子となりました。その後、養父が他界したため、同じく叔父の玉木文之進が創立した松下村塾で教育を受けました。そこで受けた教育は、彼の実母が「いっそ死んでしまったほうがこの子は幸せ」と嘆くほど厳しく、し烈を極めたといいます。体罰の嵐ともいえる幼児教育だったそうですが、この逸話がいまでも語り継がれているのは、その「し烈な幼児教育」が特筆すべきことであり、当時でも珍しかったことを示唆しています。

虐待に近い過酷な教育を受けたのに脳の発達に悪影響がなかった松陰は、体罰を伴った厳しい幼児教育に耐えられる性質を遺伝的(MAOA遺伝子型という)に持っていた可能性があります。それでし烈な幼児教育に耐えられたうえ、痛み神経回路が発達したのではないでしょうか。

かくして吉田松陰の社会的協調性が発達し、「特殊脳」ではないのに、歴史に残る人物としていまに語り継がれる存在になったのだと思います。

※女性セブン2012年8月9日号

この記事の詳細はこちらから!!

【私の論評】現代の教育は、知らず知らずのうちに子供達から機会を奪っているどころか、弱体化している!!

吉田 松陰(よしだ しょういん)は、日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者、兵学者、地域研究家です。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者として知られます。このブログでも、吉田松陰のことはいく度が掲載していますが、吉田松陰のすごさは、松下村塾で、明治維新の立役者を数多く輩出したことです。あれだけ多くの人にあれだけ多くの影響を与えた人は稀有な存在です。そうして、おどろくことに享年29歳という若さでなくなっているということです。人の影響力とは、決して時間で測れるものではないという格好の事例だと思います。

吉田松陰が受けた教育、それに吉田松陰が若者たちに授けた教育、現代のものとは随分違います。その大きな違いの一つとして、幼少期からの厳しい詰め込み教育です。上の記事では、虐待に近いなどとしていますが、決して虐待ではなかったと思います。虐待は、相手に対する憎しみや、からかいなどがあるだけですが、し列を極めた厳しい教育には、その根底には愛があったと思います。それも、母性による愛ではなく、父性による愛があったと思います。そうして、ここでいう愛とは、相手を思いやる心という意味です。


「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり」松陰直筆の書。
(写真)高杉晋作、吉田松陰、久坂玄瑞の像(萩往還公園)
教育を施す側には、子どもをまともにするという、責任感があったと思います。特に幼少期は、個性などということは、微塵も考えずに徹底的に武士の鋳型にはめ込む教育をしました。現代の教育は、それこそ、養老孟司氏が指摘しているように、個性を伸ばすなどという全く愚かな陥穽におちいっています。

生まれたばかりの子どもは、すべからく、個性的です。しかし、個性のまま、自由にしておくのは、個性を伸ばすことにはなりません。それどころか、人間とはなりません。人間として、一人前になるためには、まずは、社会性という鋳型にはめ込まなければ、その子どもは、まともな大人には育ちません。私も、子どもころ、箸の持ち方から、食事の仕方から、勉強の時の姿勢、本を読む時の姿勢はもとより、書籍から目までの距離にいたるまで、細かく躾けられました。そんな厳しい躾のせいでしょうか、今にいたるまで、目は悪くありません。この躾は、相当厳しく母は、昔和裁に良く用いられていた鯨尺という、いまでいうところの、竹製の定規で、私が粗相をするごとに、手などを叩かれました。

映画「武士の家計簿」より、元服の日のシーン
また、父に殴られたのも、一度や二度ではありません。無論、手加減して殴っているのでしょから、怪我をするほどではありませんが、痛いし、怖いし、恐ろしかったものです。

学校でも先生に叩かれたり、廊下に立たされたりすることもありました。中学、高校では、課外活動などしていれば、監督などに小突かれることもままありました。でも、親や教師などを恨んだことは一度もありません。会社に入ってからも厳しく叱責されたことは何度もあります。しかしそれは、すべて自分がその時々でいたらなかったからであり、仕方のないことであり、それを咎めた人たちを恨んだことは一度もありません。そうして、こうした人たちがいなければ、今の私は、存在していなかったと思い感謝の気持ちで一杯です。


幼少期の教育といえば、今では、家庭によるものと、幼稚園、保育園によるものになると思いますが、今では、松蔭の頃のような教育をするところは皆無でしよう。それどころか、最近では、親に一度も殴られたことがないなどという親とまるで友達関係であるかのような若者も珍しくはありません。

松蔭の頃は、幼少の教育に続いて、今でいえば大学に入る前の年頃に、徹底的な詰め込み教育が行われました。その中には、実利的なもののほか、無論のこと道徳とか、物の考え方を含んだものがかなりありました。とにかく、こうした道徳や、物の考え方を徹底的に叩きこみました。その伝統は残念ながら、昔はある程度は残っていましたが、大東亜戦争後は、日本からほとんど消えてしまいました。


今の教育ではこういうことはほとんど教えません。それこそ、算数・数学、理科、国語など実利的な教育が中心です。それどころか、最近では、個性の尊重とか、誤った個人主義とか、もっと酷くなると、自己主張のための人権擁護教育などがほどこされます。これでは、弱い人間、バックボーンがはっきりしない人間をつくるだけです。


本来、若い時期の教育は、物の考え方、価値観、道徳など今でいうところの大学に入る前の時期に徹底的に叩きこみ鋳型に押し込めてしまうことが重要です。多くの愚かな人々は、そんなことをすれば、子供の自主性が失われるとか、独創性が失われるとか、自由に反するなどと批判します。それは、全く逆です。

鋳型などというと、最近の親や先生は、どの鋳型にはまるかは、子供の自主性によるなどと馬鹿なことをいいますが、鋳型は、反社会的でない限りどのようなものでも構わないのです。ただし、歴史の波に洗われて残った、多少古いくらいのものほうが、新しくて、その真価がまだ十分に明らかになっていないものより、良いのです。だから、武士道であってもかまいません、商人道でも良いのです。とにかく、はっきり理屈の通る、誰もが人の道として正しいことと考えられていること、道理、物の考え方の道筋を教えこむのだけでなく、そのとおりの考え方ができるまで、徹底して鋳型にはめ込むことが重要なのです。だらか、厳しくしなければならないのです。厳しくしなければ、人はもともと、鋳型にはまるのを嫌うため、徹底できないのです。

鋳型
とにかく人として、徹底的に人の原点になるべきことを叩きこむべきなのです。そうして、それが十分に出来上がった段階になってから、今度は大学に入て、はじめて専門分野を学んだって、職場に入って、さらに実利的なことを学んでも遅くはないのです。こういう原型ができあがっていない人は、残念ながら、原型がないため、何が正しくと、何が間違いか、何が新しくて、何が古いのかもわからなくなってしまい、創造性は育まれないのです。おそらく、何か学問をしても、上っ面をなぞるだけば、その本当の根本的なことを学び取ることはできないでしょう。

楽器でいえば、12音階がはっきり最初決まっているピアノなどを習った人が後で、トランペットなどを学ぶと、自分の音が外れているとか、合っているとか、あるいは、新しい音であるとか、新しい音楽であるとか、単なる変形であるとかが良く理解できるというのと同じ理屈です。このようなことをぜすに、最初から現代音楽をやってしまったとしたら、そのような人は永遠に音楽そのものを理解できないでしょう。


松蔭が、後に創造的な仕事や、多くの人にかなりの影響を与えるようになったのは、この原型がかなりはっきりしていたからです。原型がはっきりしているからこそ、そこを座標軸の原点として、自分で学びさらに、自分が見聞きしたことを、正しい、間違い、新しい、古い、何が時流で、何が時流でないかを正しくしかも自信を持って判断できたのです。

松下村塾
吉田松蔭の例でいえば、松蔭は、天保5年(1834年)6歳の時に叔父で山鹿流兵学師範である吉田大助の養子となるが、天保6年(1835年)に大助が死去したため、同じく叔父の玉木文之進が開いた松下村塾で指導を受けました。


しかし松蔭はアヘン戦争で清が西洋列強に大敗したことを知って山鹿流兵学が時代遅れになったことを痛感すると、西洋兵学を学ぶために嘉永3年(1850年)に九州に遊学しました。ついで、江戸に出て佐久間象山に師事しました。

佐久間象山
もし、松蔭が、山鹿流兵学をきちんと学んで、その本質を学んでいなければ、山鹿流が時代遅れであることにも気付かなかったかもしれません。あるいは、そこまでいかなくとも、西洋兵学を学ぼうとまでは思わなかったかもしれません。そうして、その後西洋兵学を学ぶにしても、兵法に関する原型や、座標軸を持っていなければ、十分学ぶ事ができなかったかもしれません。山鹿流という考え方が根底にあったからこそ、西欧兵学との違い、利点、その他を素早く学ぶことができたのです。

山鹿流兵法の開祖山鹿素行
明治維新の立役者となった人たちは、こうしたものの考え方の道筋の基本、道理を子供の頃から徹底的に叩きこまれたからこそ、あの偉大な革命をなし得たのです。


これに比較すると、現在の教育は、人が人たる所以、日本人が日本人たる所以などには触れず、誤った個人主義、自己主張、あとは、実利的な教育、酷い場合には、いわゆる受験教育だけや、ゆとり教育などで歪められ、バックボーンのない弱い人間を再生するだけになっているのです。このような教育は根本的に改めていく必要があると思うのはわたしだけでしょうか?松蔭自身は、実学を重んじることを説いていましたが、それにしても、こうした背景があることを前提としてそのようなことを語っていたと思います。まずは、人が人たる所以、日本人が日本人たる所以を知らない人、よって、物事を判断する道筋がわからない人、世の中の判断する上での座標軸、原型を知らない人が実学を即学んでも、上っ面しか捉えられず、学問の本質など会得できません。数ある、松蔭の残されている言葉から、それを見て取ることができます。

以下に吉田松陰の言葉ランキングを掲載します。

1位

身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ぬとも 留置まし 大和魂
遺書「留魂録」より、冒頭にある辞世の句。)

2位

かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂
泉岳寺にて、赤穂浪士仇討ちと自分の下田踏海の心境を重ねた歌。)

3位

世の人は 良し悪し事も 言はば言へ 賤(しず)が誠は 神ぞ知るらん
(中公クラシックス「講孟余話ほか」所収「回顧録」より)

4位

至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり。
(「孟子」の一節。誠とは、「已むことを得ざる、これを誠といふ」(山鹿素行「聖教要録」)つまり、本心であり、どうしてもこうせねばならぬということ。)

5位

親思う 心にまさる 親心 けふのおとずれ 何ときくらん
(確か「留魂録」ではない、家族宛の遺書にある辞世の一つ。)

6位

凡そ生れて人たらば、宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし。蓋し人には五倫あり、而して君臣父子を最も大なりと為す。故に人の人たる所以は忠孝を本と為す。
(「士規七則」より)

7位

士の道は義より大なるはなし。義は勇に因りて行はれ、勇は義に因りて長ず。
(「士規七則」より)

8位

死は好むものではなく、また憎むべきでもない。世の中には生きながらえながら心の死んでいる者がいるかと思えば、その身は滅んでも魂の存する者もいる。死して不朽の見込みあらば、いつ死んでもよいし、生きて大業をなしとげる見込みあらば、いつまでも生きたらよいのである。つまり私の見るところでは、人間というものは、生死を度外視して、要するになすべきことをなす心構えこそが大切なのだ。
遺書「留魂録」の一節で、古川薫による現代語訳。)

9位

死而後已(死して後已む)の四字は言簡にして義広し。堅忍果決、確乎として抜くべからざるものは、是れを舎(お)きて術なきなり。
(「士規七則」より)

10位

身、皇国に生れて、皇国の皇国たる所以を知らず、何を以て天地に立たむ。
平泉澄「物語日本史」下巻より。水戸遊学時の言葉。)


そうして、一番最後は、上のランキングには含まれていませんが、以前にもこのブログに掲載した、私が大好きな吉田松蔭の言葉で、皆さんにも知っておいていただきたい言葉を掲載して締めくくります。

夢なき者に理想なし、 
理想なき者に計画なし、 
計画なき者に実行なし、 
実行なき者に成功なし。 
故に、夢なき者に成功なし。



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旧ソ連と同じ罠にはまった中国、米国の仕掛けた軍拡競争で体力消耗―露メディア―【私の論評】ロシアの弱体化を吐露する記事、中国を封じ込めることと引き換えにロシアとの領土交渉を!!

旧ソ連と同じ罠にはまった中国、米国の仕掛けた軍拡競争で体力消耗―露メディア


2012年7月22日、ロシア・テレビ局「ロシア・トゥデイ」は記事「米国のミサイル防衛システムが中国という経済の虎を封じ込める」を掲載した。

今年3月、米国防総省はアジア及び中東におけるミサイル防衛システムの構成について公開した。中国を包囲するミサイル防衛システムに対抗するため、中国は自らの核兵器システムの近代化を迫られている。中国の軍事関係者も「近代化しなければ、核の抑止力を保つことができない」と認めている。

旧ソ連はその末期に米国に対抗するため多額の予算を軍事費に注ぎ込んだ。今の中国も同様の状況にある。中国経済は今、繁栄しているかに見えるが、しかし格差は広がり、いまだ2億5000万人が貧困層として残っている。こうした問題を解決できないまま、中国政府は巨額の資金を軍事費に注ぎ込むことを余儀なくされている。

冷戦を想起させる展開となっているが、中国は果たして政治と社会の安定を損なうことなく、軍事力を強化できるのか。その将来に注目が集まっている。(翻訳・編集/KT)

【私の論評】ロシアの弱体化を吐露する記事、中国を封じ込めることと引き換えにロシアとの領土交渉を!!

さて、上の記事、どう読み解くべきでしょうか?世界では、日本のマスコミを除きほとんどの国が、国益のために記事を経済します。反日的な日本のマスコミとは、そこが根本的に異なります。それは、ロシアも例外ではありませんし、特にプーチンが大統領になってからは、その傾向が強いです。上の記事も例外ではありません。


このブログには、以前ロシアの声というサイトについて掲載したことがあります。そのときにも、掲載しましたが、ロシア人口は、日本の1億二千万と比較して、わずか、二千万ほど多い、1億4千万ほどにすぎません。さらに、その中の支配階層である、ロシア人といえば、さらに少なく、。それに、陸地の面積は広大です。

そうして、無論のことは中国とは陸続きです。ロシアは、中国に対しては、昔から、何か領土問題や、利益が衝突するがあったときには、強大軍事力を駆使して、中国をやり込め、譲歩することはほとんどありませんでした。そうして、中国もロシアの強大な軍事力の背景があるため、一方的に押されてきたといのが、今日までの姿です。


さて、上の記事では、米国のアジア及び中東におけるミサイル防衛システムの構成について公開したとありますが、アメリカは、冒頭の図のように、7重にも及ぶ多層的なミサイル防衛網を構築しています。米国ミサイル防衛システムそのものの詳細については、こちらを参照してください。

これを公表するということは、中国のミサイル封じ込めに、成功したか、成功しつつあるということであり、中国にとっては、かなりの脅威となるものと思われます。


これに関して、なぜロシアが上記のような報道をするかといえば、やはり、ロシア自体が、かなり中国の最近の軍拡に脅威を感じているということにほかなりません。

陸続きで、ロシア全土をあわせてですら、10倍以上の人口を持つ仮想敵国が陸地を接して存在しているということですから、いつも潜在的に脅威にさらされているわけです。


であれば、このようなニュースは、ロシアにとっても好都合であり、利用できるものはなんでも利用して、中国の脅威を削ごうとの意図があるものと見えます。

しかし、アジアや中東に配置した、ミサイル防衛システムは、あくまでも、アメリカ本土防衛のためのものであり、まかりまちがって、中国のミサイルがロシアを目指しても、それを打落す仕組みにはなっていません。


であれば、ロシアにとては、相変わらず、何も変わらないわけで、ロシアも独自でミサイル防衛網をきずかなければならないということです。しかし、それは、なかなか難しいのかもしれません。だから、上記で軍拡競争という言葉がでてくるのだと思います。現ロシアは、軍拡競争には巻き込まれていないということを誇示したいのだと思います。

でも、これは、本当の誇示になるのでしょうか、もともと自国の原潜の処理も自国で行えないロシアは、国家として無責任な国です。



それもそのはずです。実は一作昨年、ロシアのGDPは、とうとうブラジルとインドに抜かれてしまい、世界10以内から滑り落ちてしまいました。

現在、ロシアのGDPは日本の3分の1以下なのです。日露戦争の頃は、ロシアのGDPは日本の8倍でした。100年間(正確には80年間)で日露の国力は大逆転したのです。



 2010年各国のGDP
1、アメリカ
2、中国
3.日本   5兆4500億ドル
4、ドイツ
5、フランス
6、イギリス
7、ブラジル
8、イタリア
9、カナダ
10、インド

・ ロシア  1兆4650億ドル
こんな国が、アメリカなみの、ミサイル防衛網など、構築できるわけがありません。それから、中国が世界第二位の経済大国になったのは、日本のおかげでもあります。それは、このブログに、何回か掲載してきたことですが、日銀が、いつまでも、執拗に増刷拒否など金融引締めをするものですから、固定相場制の中国は、自国の元を好きなだけ、擦りまししても、日本の円が担保となり、インフレを免れてきたということです。しかし、それも、最近では、効き目がなくなりつつあります。日本銀行がまともになったら、中国は、あっという間に、経済大国の座からすべり落ちることでしょう。

ロシアの弱体化は明らかです。現状の小国ロシアに、領土問題などで譲歩する必要など全くありません。日本は、日本銀行に金融引締めをやめさせ、円高誘導をやめさせ、また、世界第二位の経済大国に返り咲くべきです。それに、いますぐするしないは、別にして、核武装の論議をはじめるべきです。それだけで、ロシア、中国、北朝鮮はかなり脅威に感じることでしょう。

こうしたことを背景にして、日本は、弱体化が明らかになった、ロシアと領土交渉を有利にすすめるべきです。そうして、これは、他国ならどこの国でもやっていることです。日本だけができないとか、やってはいけないなどということはないはずです。そのためにも、一日でもはやく、新たな憲法を制定すべぎではありますが、今の日本国憲法の範囲でもできることは、すぐにも実行すべきと思うのは、私だけでしょうか?


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2012年7月26日木曜日

Facebookユーザーの満足度が大幅低下...そもそもSNS人気に終焉の兆し?―【私の論評】もうブームなどではなく、社会のインフラとなりつつあるということか?

Facebookユーザーの満足度が大幅低下...そもそもSNS人気に終焉の兆し?:
120725chartsns.jpg
一時のハヤリだったのかな?

友だちの友だちへとつながっていくSNS人気とは裏腹に、すでに以前から「ミクシィ疲れ」やら「Facebook疲れ」なる現象が囁かれてはきましたけど、どうやら一部のユーザー層では着実にSNS離れが進行し始めてもいるみたいですよ。やっぱりSNSって、猫も杓子も皆が使い始めるまでの最初期が、もっとも心地よかったりするんでしょうかね~

米国ミシガン大学ビジネススクールの開発指標に基づき、このほど全米の約8万人のユーザーを対象にして47業界の顧客満足度を調査した「ACSI」で、なんとFacebookは昨年より大きくスコアを落とし、あろうことかソーシャルメディア分野で最低の61を記録。TwitterやLinkedInにまで抜き去られちゃってますね。

ちなみに78のハイスコアでソーシャルメディアのトップにGoogle+が入っちゃっているんですけど、この結果には賛否両論あるみたいです。いつの間にかトップSNSだったMySpaceをFacebookが抜き去ったように、本当にGoogle+が次なるナンバーワンSNSとなるのかどうかは大きな疑問ですよね...

そもそも今回のACSIでは、ソーシャルメディアが全体として69の満足度指数に止まっており、検索エンジンやオンラインニュースメディアなどなど、他のネットサービスに大きく差をつけられてしまったことへの衝撃も大きいようです。もしかしてこのところ全体としてSNSの魅力が薄れ気味なんでしょうかねぇ。

ACSI
Mario Aguilar(米版/湯木進悟)

【私の論評】もうブームなどではなく、社会のインフラとなりつつあるということか?

facebookなどをはじめとする、SNSは、すでにブームなどではなく、多くの人にものすごい勢いで、定着したのではないかと思います。スマホやタブレット、PCを開けば、当たり前にそこにある、メールなどと同じようなものになりつつあるのだと思います。特に、最近では、スマホなど、FB のアプリが最初から搭載されていないものなどないと思います。


一昔前のメールと同じようなものではないかと思います。私自身は、最早、個々のハードに割り当てられた既存のメールは、ほとんど使いません。ほとんどが、SNSとウェブメールです。既存のメールを使うのは、相手方が、SNSをやっていないとか、ウエブメールもやっていない場合のみです。メールは、ひところ、中学生など一日数十通もメールを打つなどということが話題になっていました。しかし、このような人まだいるにしても、時代から取り残された旧人類の部類に入るでしょう。今とぎ、メールなど話題にもならないと思います。それは、あるのが当たり前だからです。






これを理解するには、電話など思い浮かべていただければ良いと思います。電話そのものは、すでに随分前から定着しており、今生存しておられる方で、生まれたときに電話なるものが存在していなかったなどという人はいないと思います。老人の方では、一部、小さい時あるいは、若いうちは、自宅に電話線がきていなくて、自宅から電話がかけらけなかったなどという方もいらっしゃるかもしれません。


しかし、ある程度の年齢になってからは、携帯であれ、固定電話であれ、何らかのかたちで電話が利用できるようになっている方がほぼ100%だと思います。そうです。電話は、すでに随分前から完璧に水道や電気のように社会のインフラになっているのです。



水道、電気、電話のように社会のインフラになってしまったものに関しては、好きも、嫌いも、流行り、廃れもないと思います。従来から、ユビキタスといわれていて、まさにそれです。ただ、昨年の原発事故によって、電力供給が少なくなり、計画停電などになったり、なりそうになったときに、不満がでてくるということになります。そうでなけれは、良いも悪いもなく、空気のような存在だということです。

SNSの場合は、こうして、使っている人にとっては、インフラになりつつある面と、まだ歴史が新しいので、使っていない人や、使って間もない人もいるということで、一時的に上のような統計結果になっているのだと思います。

それと、上の記事では、「78のハイスコアでソーシャルメディアのトップにGoogle+が入っている」ことに関して、否定的なようですが、私は、そうとは限らないと思います。


このブログにも従来から掲載していますが、実際にSNSを使い込むようになると、facebookや、Mixiなどでは、使い勝手がかなり悪いことが理解できます。使いはじめてから、間もないときには、そんなことなどほとんど気にならず、ただいろいろな人とネットワーク上で付き合いができることに満足を覚えるのですが、これが当たり前になってくると、いずれ不満がつのってきます。

何かといえば、facebookなどは、もともと、親しい現実世界での友人との付き合いをネット上で再現できるようにつくりこまれていますから、いろいろと都合の悪いこともでてきます。facebook上で、あまり親しくない多くの人と、友達になれば、自分のウオールなどへの書き込みは、どんなものであれ、あまり親しくない人にも見られてしまうことになります。

これは、最初のうちはあまり気にならないかもしれませんが、たとえば、友達に会社の上司とか同僚、学校の先生や友達、あるいは、利害をともにする人、そうではない人などが多数入ってくるようになれば、本当に親しい人たちとのネットワークとはまた異なってきます。ある人には、話たいことでも、多の人には聞かせたくない話もでてきます。

そうなるは、FBはかなり不便です。結局日々、誰にとっても、当り障りのないことを書くことになり、つまらないものになります。「こんな記事があったよ」「どこで、誰と会った」「どこで、何が安く売っていた」「どこで何を食べたら美味しかった」など、本当にどうでも良いようなものばかりになってしまいます。これらのこと、最初のうちは、SNS自体の物珍しさもあって、あまり苦にもならないでしょうが、日々続けていれば、いい加減飽きてきて、SNS疲れという事になるのだと思います。


ここまでになるには、おそらく、普通にFBを使っている人の場合、使いはじめてから、3,4年はかかるものと思います。FBの歴史は、まだまだ、短いですが、それにしても、3,4年継続して使う人が増えてきたため、上のアンケート結果のようになったのだと思います。



このような経験をして初めて、Google+のサークルの持つ意味が認識できるようになります。Google+を使っていない方に、"サークル"などといっても、ピンとこない方もいらっしゃると思いますので、以下にサークルについて解説します。
Google+上での知人とのつながりの起点になるのが「サークル」です。知人を円形のユーザーインタフェースに直感的に配置して管理できるようになっています。 
サークル画面では、Googleアカウントに登録されている連絡先やGoogle+上で知り合った人などを読み込んで知人の候補として表示。知人のアイコンは「友だち」「家族・親戚」「知人」「フォロー中」などのサークルにドラッグ&ドロップで配置することでグループ分けできます。動作はスムーズで、かなり簡単にグループ分けができます。サークルはユーザーによる定義も可能で、たとえば「会社」「学校」「趣味サークル」などを自由に作成できます。
しかし、このようなこと、実際に使ってみないとピンときません。何のためこんなものが必要になるかなど、SNSをあまり使っていない人には理解できないことと思います。しかしながら、fbを長い間使い込めば、理解することができます。だから、こそ、上の記事のようなアンケート結果が出てきているのだと思います。


私は、こういう背景から、以前もこのブログに同じことを掲載しましたが、やはり、社会のインフラとしては、Google+のほうが優れていると思います。それが、認識されつつあるというのが、上のアンケートの結果ではないかと思っています。皆さんは、どう思われますか?






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2012年7月25日水曜日

クリエイティブな良い仕事をするには、無意識に任せてなるべく放置すべし?―【私の論評】確かにそうだが、それには条件がある!!

クリエイティブな良い仕事をするには、無意識に任せてなるべく放置すべし?:


誰しも「先延ばしにする」ことを否定的にとらえがちですが、特にクリエイティブな仕事や課題の場合は、生産的に取り組めるようになるまで「待っている」というのもままあります。果たしてそれは良いことなのでしょうか? モンティ・パイソンのメンバーとして有名なイギリスの喜劇俳優であり、素晴らしい脚本家でもあるジョン・クリーズ(John Cleese)さんが、その問いに答えるようなクリエイティブに関するアイデアを教えてくれました。 ブログ「Co.Create」に、カンヌ国際映画祭で開かれた、クリエイティビティに関するクリーズさんのレッスンレポートがありました。そのうちのひとつは、サセックス大学の心理学教授Brian Bates氏の、クリエイティブでない建築家とクリエイティブな建築家を見分ける研究についてのものでした。 Photo by Rennett Stowe

ジョン・クリーズ氏

この記事の詳細はこちらから!!

【私の論評】確かにそうだが、それには条件がある!!

このブログでは、クリエーティビテイ(創造性)に関しては時々掲載しています。それは、自分のためでもあり、購読者の皆様のためです。最近では、ますます、知識労働が増える傾向にあります。知識労働には、創造性はかかせません。

結論からいうと、上の記事の「クリエイティブな良い仕事をするには、無意識に任せてなるべく放置」は、私も正しいと思います。しかし、これには二つ条件があると思います。

独創的な建築物
その条件とは、たとえば、建築家なら、まず、それこそ数十年建築家の仕事を続けてきて、建築に関するありとあらゆる知識が、特に今からつめ込まなくても、頭の中に一杯詰まっていて、たいていのことは、調べなくても既にほとんどを知っているという条件です。もう一つが、放置する期間は、なるべくリラックスして、睡眠時間を十分とるということです。



これなら、先の仮定は、ものの見事にあてはまると思います。しかし、そうではない人は、そもそも、これは、無理です。建築の仕事をはじめたばかりの人で、建築に関する情報や、知識が入っていない人、特に実務経験がほとんどない人が、「無意識にまかせてなるべく放置する」ようなことをしても、ほとんど閃きなど浮かんでこず、全く仕事にならないことでしょう。


しかし、このような人でも、この条件を満たせば、アイディアが沸々と湧いてくることがあります。それは、どういうことかといえば、上の経験豊富な建築家のような状況を人為的につくってしまうのです。どういうことかといえば、経験のない人が、建築の仕事、それも相当クリエーティブイブな仕事を要するタスクをするにおいては、まずは、徹底的に関連の建築に関する事柄について、徹底的に、人の話しを聴いたり、似たような建築物を実際に訪れたり、あるいは、インターネットや書籍などの情報を徹底的に頭にこれでもか、これでもかと詰め込むのです。


そうして、その後すぐに、建築の企画にとりかからず、上のように、しばらく放置しておくのです。それが、一晩なのか、一日なのか、あるいはもっと長いのかは、別にして、とにかく、一定以上の期間を必ずおくということが重要です。そうして、おいている間は、なるべく意識的にそのことを考えないようにます。これは、企画をする人たちの間では良くいわれている「考えを寝かせる」ということにあたります。


許されるなら、頭に関連事項の詰め込みが終わった直後には、すぐに寝て、何日になるかは、企画の内容にもよりますが、大きな企画の場合であれば、数日間は寝かせるのです。できれば、何もしないで自分の好きに遊んでいるのが一番良いでしょう。そうして、この間は、意図的に十分睡眠をとるようにします。このようなことが許されない人の場合は、その間、雑用など、企画にほとんど関係ないことを意図して意識して行うようにして、「考えを寝かせる」のです。この場合でも、無論、雑用がすんだらすぐ帰るようにして、家などでリラックスして、早めに寝て睡眠時間を十分とるようにします。


そうして、一定期間がたってから、おもむろに、また企画にとりかかるのです。そうなると、まだ情報で足りない部分をさらに補強したり、新たなアイディアが浮かんで、思ってもみなかったことを思いついたりします。この「寝かす」ということをしないで、情報集めなどから、すぐに企画づくりにはしると、ほとんど陳腐なものしか生まれません。



それは、脳科学的にも証明されているものと思います。

脳科学者茂木健一郎氏が脳科学にもとづいて自身の仕事術を紹介した日経新聞のコラムがあります。その中で、<午前中が創造的な仕事をするゴールデンタイム>と語る氏によれば、<寝ている間に脳が無意識のうちに記憶を整理してくれ、体験の意味がより明確になり熟成してくる>からだといいます。

茂木健一郎氏
睡眠中における脳の無意識下の働きについては、養老孟子氏も述べています。その記事、探してみたのですが、すでに消去されていたので、私が覚えている範囲内で、以下に要約を掲載します。
「人間の脳は、意識するとせざるに関わらず、昼間目にしたものや聞いたものを記憶し、溜め込んでいる。また、思考し何らかの考えも蓄積する。そうして、脳内のエントロピーが増大した状態で夜を迎え、眠る。眠りながら脳が働き整理する」ということです。


養老孟子氏
私が上記リンクの養老氏のコラムを読んだのは5、6年前の10月だと記憶していますが、それ以来、目覚めた時が一番脳が整理された状態であることが分かったので、茂木氏のように仕事を朝型に切り替えました。実に効率がいいです。ただし、上にも述べたように、睡眠時間は十分にとることが前提です。また、茂木氏があるテレビで、複数のそれぞれの世界でトップクラスの人たちが、意図的に、企画のときに眠ることの重要性を示唆したテレビ番組もあり、脳科学的に茂木さんが、ますます、確信を深めました。


もう一つ実践していることは、無意識下の脳に意識的に働かせることです。
「無意識で意識的?」と完全に論理は破綻していますが、不思議とそれができるのできるのです。

眠りに入る直前、意識が少し遠のく瞬間に一つの命題を脳に与えておきます。例えば企画書で書きたいと思うようなテーマの断片をいくつか思い浮かべるのです。すると、眠りに落ちる瞬間までそのことを少し考えます。眠ったあとは無意識の脳に任せます。茂木氏や養老氏の言うような情報整理のプロセスを脳が行っているうちに、その命題と脳内の情報や記憶の断片が結びつきます。うまくいけば、目が覚めると何んらかの考えが浮かんでいます。ベッドサイドに茂木さんのようにパソコンはないですが、できるだけ早くパソコンに向かうか、必死にメモをとります。最近では、iPhoneでフリック入力で素早くメモをとるようにします。毎回うまくいくわけではありませんが、なれてくると結構、勝率が良くなります。


こんな話をすると、「眠っている間までそんなことをしていたら、気が休まらないでしょ?」と人に言われることがあります。しかし、養老氏は「この脳の働きを裏付けている最大の証拠は、寝ていても起きていても、脳が使っているエネルギー量は変わらないということだ」 と語っています。誰しも眠っている間も脳を動かしているのです。どうせなら、それを効率的に使った方がいいでしょう。これは一つのライフハックと言えると思います。騙されたと思って、今夜にでもお試しあれ。


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