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2020年7月25日土曜日

中国品質の時代が終焉し、日本品質の時代がやってくるシンプルな理由—【私の論評】あらゆる分野で、日本人が「霊を重んじる文化」を見直せば、コロナ以降の世界で日本は黄金期を迎える!(◎_◎;)

中国品質の時代が終焉し、日本品質の時代がやってくるシンプルな理由


パンデミックで価値観の転換


 アフターパンデミックの世界について色々な予測・議論が行われている。  ビジネス面では、7月8日の記事「じつは日本でいま『管理職』の仕事が消え始めている…!  その残酷な現実」、7月4日の記事「『コロナ後』の世界で、じつは『日本の製造業』が大復活しそうなワケ…!」などで述べた変化が起こる可能性がある。 【写真】大人気「ユニクロのマスク」を超える「凄いマスク」があった…! 

 また、精神面では6月26日の記事「コロナで人生の終末を意識するようになった人に贈る『完全燃焼の心得』」、6月10日の記事「コロナ、暴動に満ちた今こそ『苦しいときの神頼み』の効用を見直そう」などの流れが主流になっていくと思われる。

  そして、その2つの「物質(経済・ビジネス)」と「精神」が合体した形として我々の目にはっきり見えるようになると思われるのが、「中国品質から日本品質へ」の大きな流れである。  例えば、Tシャツやデジカメで不良・欠陥があれば腹立たしいことだが、購入した人の命には別条がない。  それに対して、最近話題になった中国製のマスクや人工呼吸器のずさんな品質……このような生命や安全に直結する商品での「中国品質」は致命的だ。いくら安くてもそのような商品は購入できない。相当な値段を払ってでも「日本品質」の商品を求めるであろう。

  もちろん、この流れは日本だけで起こっているのではない。マスクや医療器具が不足して困難な状況に陥った欧米諸国が、それでも「中国品質」のあまりのひどさに、次々と「返品」を行ったことからも明らかだ。

安さよりも安心・安全

 また、自動車などの商品も欠陥が致命的(事故による死亡)になりえる商品である。「安かろう悪かろう」の安売り戦略でいくら中韓を始めとする国々が攻勢をかけても、結局日本製には太刀打ちできす、6月16日の記事「やはり独り勝ち、世界の自動車メーカーはトヨタにひれ伏すのか?」で述べたような状況になるのは、自動車という製品に「日本品質」が強く求められるからである。

  そして、今回のパンデミックは、その他の多くの商品にも「安心・安全」が必要であるということを思い起こさせた。

  また、安心・安全は「製造における日本品質」だけではなく「物流などのサービスにおける日本品質」においても大事だ。トイレットペーパー騒動のように、生産能力がきちんとあるのに、中間流通が滞って手元に届かないこともある。

  さらには、4月17日の「マスク不足の真犯人は誰だ!  中国共産党政権の火事場泥棒を許すな」の記事のように、日本国内での自給自足も「安心・安全」の重要な要素であることを痛感させた。有事になればどの国も自国優先が当たり前で、マスク(医療機器)や食糧などの必需品の調達を自国内でできるようにすることはとても大事だ。

取引相手も「日本品質」へ

 今回のパンデミックにおける中国共産党の「マスク外交」のような「他人の足元を見る卑劣な行為」を見ると、「調子のいい時の友達などあてにできない。自分がどん底に落ちたときに寄り添ってくれる人が真の友人だ。」という言葉を思わず思い起こしてしまう。

  「中国品質」から「日本品質」への流れは、「製品」だけではなく、「取引相手」の選定などあらゆる分野で起こる。

  少し前のことになるが、マスク不足騒動が深刻化した頃、アマゾンのサイトで「お届け日」がかなり先日付の「洗えるマスク」を注文した。手元にまだ在庫はあったが、今後のマスク供給に不安があり、価格も当時としては「まとも」であったからだ。

  ところが、配達予定日になっても品物が届かない。サイトを見ると、「配達日を確認できない状態です」という表示になっている。普通ならここで注文キャンセルだが、当時の状況なので、一応そのままにしておくと、何の前触れもなく商品が届いた。しかも、サイトの表示では「日本企業」だと思っていたのだが、中国大陸からの直送便である。

  思わず荷物を受け取った手をごしごしと石鹸で洗った。そして恐る恐る中身を見ると、マスクが、ビニールで丁寧に個包装されている。しかも、「お客様へ」と描かれたきれいな絵が書かれたカードも同封されている。

  少し安心したのだが、個包装を開けて中身を確認すると、なんと6個のうち3個が穴が空いたりした(ひどいのは1枚のマスクの半分しか入っていなかった……)不良品で使いものにならなかった。欧米で中国の医療製品の返品が相次いだ理由も良くわかる。

  アマゾン経由であったので、「配達が確認されなければ代金が入金されない」仕組みであったであろうから一応商品は届いたが、そうでなければ商品が届いたかどうかさえ疑わしい。

  それに対して日本のドラックストアでは、いくら品不足になっても(一部で抱き合わせ販売があったと報道されたが)、不当な価格で売りつけるなどということは行われなかった。 

 中国大陸の日本風に見せかけた企業は、混乱時に売りつけてがっぽり儲ければ、また同じ相手と商売しようなどとは思わない。しかし、日本のドラッグ・ストアがマスクを高値で売りつけたら、買わされた顧客は、混乱が収まった時に、そのドラッグ・ストアには2度と行かないであろう。

  「中国品質」と「日本品質」の差が生まれるのは、「目先の利益だけに執着」するのか、それとも「長期的信頼関係の中で少しずつ利益を得ていく」のかという違いによるところが大きいと思う。

日本品質」は見てくれよりも中身

 日本人はディベート・プレゼンが下手であるとよく非難されるが、「口がうまくて中身のない人間」と「口下手だが中身の濃い人間」とどちらが有能なのだろうか?

  「欧米品質」は「中国品質」と「日本品質」の間にあることは間違いがないと思うが、どのあたりかは微妙だ。

  新型肺炎の影響で少々状況は変わったが、EUは域内であれば「一見さん」との取引を奨励する考えである。米国は、元々移民の国で、文字通り「どこのだれかわからない一見さん」と取引をするのが当たり前の文化だ。

  だから、「信頼できる特別な相手先との継続的取引」よりも「たくさんの一見さんとの短期的取引」が中心となるのも当然だ。

  そのような社会では、相手(取引先)の本当の中身を時間をかけて知ることは難しいから、「見た目」が重要視されるのも仕方がない。

  特に著しい「一見社会」である米国で、人目を引くディベートやプレゼンの技術が発達し、彼らがそれに長けているのも不思議ではない。

  確かに中身を知ることができなければ、包装紙や箱で判断するしかない。あるいは大きさで推測するしかないだろう。花さか爺さんの話は日本人ならだれでも知っていると思うが、「大きいつづら」を選んだ悪いお爺さんがどうなったかを考えるべきではないだろうか? 

  もちろん、見た目=イメージがビジネスの上で重要なことは否定しない。しかし我々の持つ時間や資源は限られている。「中身を磨く」ことと「見た目を飾ること」のどちらに配分すべきなのか?

 多くの日本人・日本企業は前者を重要視しているから、後者までなかなか手が回らないのは致し方ないと言える。

  「中国品質」では、見た目で他人を引き付けることに重点が置かれるが、「日本品質」は中身を充実させ、長期的な信頼を得ることを大事にする。

  例えば、日本の中古車が海外市場で絶大な人気があるのは、おおよそ10万キロの耐用年数を過ぎても、きちんとメンテナンスすれば30万キロ以上楽勝で走るからである。 

 そのような高品質の自動車を製造しても、自動車メーカーに目先の利益があるわけではない。むしろ故障しないでいつまでも走ったら、買い替え需要がなくなるので不利だ。実際、以前は、日本の家電製品は品質が高すぎてなかなか壊れないので(中国資本が入ってきたりして状況が変わっている様だが……)、わざと壊れるようなプログラムが仕組まれているという都市伝説があったほどだ……  しかし、6月16日公開の「やはり独り勝ち、世界の自動車メーカーはトヨタにひれ伏すのか?」で述べたように、自動車産業でトヨタを始めとする日本勢が圧倒的なのは「日本品質」によって世界中の人々の信頼を勝ち得たからである。

  目先では「中国品質」が有利なように思えても、長期的に見れば「日本品質」のほうが圧倒的に強いのだ。

日本型経営、日本型社会も再び世界中の脚光を浴びる

 「日本品質」と密接につながる「日本型経営」は1400年の歴史がベースだ。  

 一時期日本型経営が世界的ブームになって、米国を始めとする多くの国々が日本に学ぼうとした。しかし、日本のような1400年にわたる歴史の中での「相互の信頼関係」がない国が、表面的なことだけをまねしようとしても機能せず、「うまくいかないから……」ということで、忘れ去られてしまった。 

 それどころか、1990年頃のバブル崩壊の後、日本でも業績が悪いことが「日本型経営」のせいにされてしまい、外来の血も涙もないリストラなどの悪弊がもてはやされるようになってしまった。

  実は、日本の長期にわたる低迷は「日本品質」と密接に結び付いた「日本型経営」をないがしろにした結果なのである。

  残念ながら、バブル後の世知辛い時代を経て、日本人同士の信頼関係が弱まってしまったが、それでも海外の国々に比べれば、1400年の歴史を経たお互いの絆は強い。

  つまり、「日本品質」は日本の伝統と文化に根ざした「日本型経営」によって生み出され、他国には簡単にまねできない武器なのである。

  ビジネスにおいて、得意分野にフォーカスすることの重要性は、ピーター・ドラッカーやウォーレン・バフェットも強調するところである。

大原 浩(国際投資アナリスト)

【私の論評】あらゆる分野で、日本人が「霊を重んじる文化」を見直せば、コロナ以降の世界で日本は黄金期を迎える!(◎_◎;)

私も冒頭の記事を書いた、大原氏と同じような経験をしました。マスク不足、アルコール洗浄液など騒動が深刻化した頃、アマゾンのサイトで「お届け日」がかなり先日付の「アルコール洗浄剤」「洗えるマスク」を注文しました。

その後、届くはずの日になっても届かなかったのですが、そのままにしていました。その後もコロナ禍はどんどん深刻になっていたので、フェイスシールドを購入しようと、これもアマゾンで注文しました。

その「洗えるマスク」と「アルコール洗浄剤」が、ほとんど忘れた頃に届きました。開けてみると、マスクの方はまともそうですが、アルコール洗浄剤に関しては、想像したよりも遥かに安っぽいプラスチック製の小さなボトルに入った物が4本でした。

説明書の文字があまりに小さいのと、英語・中国語・ハングルの表記はあるものの、日本語表記はなかったので、説明書はほとんど読みませんでした。一本一本が異なる香りになっているようでした。

その当時、韓国製のアルコール洗浄剤で、ほとんどアルコールが入っていなくて、ウイルス感染症対策にはならないものも販売されているとの報道がなされていたので、何やら不安感を感じて、結局このアルコール洗浄材は使いませんでした。

マスクの方も、品薄ではあったのですが、何とかして節約して使えば、使えたので、もしも本当に無くなつた時に使おうと思い、未だパッケージの封も切らないでそのままになっています。ただし、パッケージの大部分は、透明なので、外から見た限りでは、まともそうです。

そうして、ある日、これもほとんど忘れた頃に、フェイスシールドが届いたのですが、これは完璧に欠陥品とも呼べるものでした。なんと、シールドの素材が、透明ではなく、曇った素材でできいたのです。曇ったとは言っても、磨りガラスのように完璧に曇って、何も見えないというものではないですが、それにしても結構な曇りでした。

本来は、外出用に購入したのですが、曇りがあれば、危険な目に遭うことも予想さるとともに、このフェースシールドをした場合、曇りにより、パソコンなどに表示される、文字や写真が見辛いこともあり、これも結局使わず、押し入れに入れたままになっています。

以下写真は、このフェイスシールドの写真です。パソコンのディスプレイの前に配置して撮影しました。

クリックすると拡大します
アマゾンの見本の写真では、透明だったので、これは本当に裏切られた思いがしました。ある日、テレビを見ていると、確か釧路だったと思いますが、ある店で魚介類をドライプスルーで販売を始めたという報道の中で、販売員の一人が、私が購入したのと同じと思しきフェイスシールドをしていました。他の人は、マスクだけでした。

おそらく、このファースシールドをした販売員の人は、私と同じく、アマゾンで購入したのでしょう。曇りは気になったでしょうが、店舗から車まで、魚介類を運ぶくらいには、使えるだろうし、それでコロナ感染が防げればと、判断して、仕方なし使っていたのでしょう。

このようなことがあったので、家族からも「何で、中国製なんか買うの。もうやめらた」と言われました。「アマゾンで購入したので、中国製とは知らなかった」など苦しい言い訳をしました。

現在この販売履歴をアマゾンで見ようとすると、「故障中(CS11)」のメッセージが出できます。この販売業者は、既に販売やめているのでしょう。それに、購入者から多くのクレームが入ったのかもしれません。私自身は、返品も面倒そうなので、そのままにしてあります。価格は5個入りで1449円でした。

最近このようなことが続いたので、やはり私自身も中国製品の品質にはかなり疑念を抱くようになりました。安いとは言ってもこれでは、用を為しません。

その後、感染症・花粉予防のメガネ(私は目は悪くないので度は、入っていない)を購入したのですが、その時は、近所のスーパーに入っている、メガネ屋さんで、日本製であることを確認してから購入しました。

以上のような経験をしたので、冒頭の記事で、大原氏が主張していたことは良く理解できます。

その上で、日本の産業は、パンデミックを経て、自らの強みを再確認して、それに集中するのは良いことだと思います。特に、医療や人の命に直接関わるようなものであれば、日本の独壇場になる可能性が大です。

 さらに、大原氏は、”ビジネスにおいて、得意分野にフォーカスすることの重要性は、ピーター・ドラッカーやウォーレン・バフェットも強調するところである”と結論を述べています。これも本当にそうだと思います。

ドラッカー氏
ドラッカーは成長のための戦略について以下のように語っています。
ほとんどの会社が成長を望む。だがそれらの中で、成長のための方策を講じているものはわずかしかない。成長のための戦略をもつものはさらに少ない。(『実践する経営者』)
まず行なうべきは、何を捨てるのか決めることであり、どこで成長したいかを決めることではないというのです。

成長戦略の基本は、機会に備えて資源を自由にしておくことだと、ドラッカーは言います。そのためには、見返りが急速に減少しつつある製品、サービス、市場、技術から、資源を引き揚げなければならないのです。

したがって、2~3年ごとに「この製品を生産していなかったとして、あるいはこのサービスを行なっていなかったとして、今われわれが知っていることを知っているとして、それを始めるか」を問う必要があるとしています。

成長は、機会を利用することからもたらされます。特に貴重な資源である有能な人材が、昨日の仕事の若干の延命、陳腐化したものの防戦、失敗したもののアリバイづくりに投入されていたのでは、機会を利用することは不可能だというのです。

IBM、ゼロックス、GEなど優れた企業の成長戦略は、今日最も成功している製品は明日には最も早く陳腐化する、との前提からスタートしているのです。
成長のための戦略は、機会あるところに的を絞らなければならない。自らの強みが、異常なほどに大きな成果を生む分野に集中しなければならない。(『実践する経営者』)
コロナ後の世界では、まずは人の生命を大事にする製品・商品にこそ大きな機会があることは言うまでもありません。今までもそうではあったのですが、コロナ後の世界では、それがさらに強調されることになるでしょう。

そうして、考えていくと、この世の中全てのもの、何もかもが人の生命に関係しています。食べ物、飲み物も、品質が悪ければ、人の生命にとって危険なものになります。車などの交通手段だって、通信手段も、人の命を左右することもあり得ます。

全ての製造物は、人の生命に無関係ではありません。大原氏は 「日本品質」は中身を充実させ、長期的な信頼を得ることを大事にするとしていますが、その中身には当然のことながら、人の生命を大事にするという観念が含まれています。しかし、コロナ後の世界では、特にそれが、大事にされることになるでしょう。

そうすると、産業の全分野で、「人の生命を大事にする」という重要な部分があります。それに特化して、掘り下げていけば、日本品質は産業の全ての分野で世界中から支持されることになります。

いや、政治の世界でも、学問の世界も、宇宙開発から、海洋開発から、ありとあらゆる、この地球に存在するもの、宇宙に存在するもの全てに関して、「人の生命を大事にする」という観点から見直されることになるでしょう。

そうして日本の伝統と文化には、それが最初から組み込まれています。「人の生命を大事にする」だけではなく、それどころか万物には霊が宿るという考えや、霊を重んじるという、日本独自の「霊性の文化」です。

考えてみると、このような考え方が失われたからこそ、今日人類は、文明が進み、特に先進国では疫病とは無縁にやったように思われていたにも関わらず、コロナウイルスによる惨禍に見舞われたのかもしません。しかも、それがこのような考え方からは、最も程遠い中国共産党の隠蔽により、世界に広まったことは、象徴的です。

他国にも、霊を重んじる文化が、宗教が勃興する以前にはあったのですが、それはほとんど消えてしまいました。日本は、それを近代国家になった以降も維持し、現在見られる日本人の精神構造や生活習慣や文化にまで昇華してしまいました。

多くの日本人は、それがあまりにも当たり前過ぎるので、ほとんど意識しませんが、日本人の精神には、それが世代を超えてかなり深くにまで精神の奥深くまで刻み込まれています。これは、八百万の神とか、お正月の初詣とか、験(げん)かつぎをするなどの様々な形で残っています。

こうしたことより日本人は、自然の力を畏れたり、古の人々の想いや、この世の中には、自分よりはるかに大きなものや、価値や情念などが厳然として存在していることを潜在意識の中に埋め込まれます。

しかし、これに普段は気づかなくても、いざというときには出てきたりします。これを全く意識しない鈍感な人や組織は、どんなに成功しているように見えても、最終的には道を誤ると思います。中共はその典型かもしれません。

毎年80万人以上が初詣に訪れる北海道神宮

産業界に限らず、あらゆる分野で、この精神を見直し、無意識ではなく、意図して意識して生かすことに全日本人が注力すれば、日本は国内だけではなく、世界の中で黄金時代を迎える可能性も大です。

コロナ禍以前では、日本の「霊性の文化」も様々な雑音が入って、他国からは理解しにくいもだったかもしれませんが、コロナ禍後には理解されやすいかもしれません。宗教によって、全く消え去ったと思われる他国の文化や言語にも霊性に関する事柄が残っていたりします。日本でも知られているのは、ハロウィーンです。これは、キリスト教とは全く関係ありません。

私は、「人の命を大事にする」という考え方は、敷衍していけば、「霊性」やそれを重んじるということにつながっていくと思います。

私は、日本を起点として、世界で「霊」を重んじる方向に向かっていけば、人類は疫病などの災厄から救われることになると信じます。

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2019年10月31日木曜日

最悪の場合「東京開催」剥奪も!? 小池都知事、五輪マラソン問題でIOCと徹底抗戦も…識者「都がいつまでも不満述べるなら…」―【私の論評】あるある、オリンピック商業主義が見直されつつあるこれだけのワケ(゚д゚)!

最悪の場合「東京開催」剥奪も!? 小池都知事、五輪マラソン問題でIOCと徹底抗戦も…識者「都がいつまでも不満述べるなら…」

小池知事

2020年東京五輪で酷暑を避けるため、マラソンと競歩を札幌で開催する案が、30日から国際オリンピック委員会(IOC)調整委員会で協議される。札幌移転は「決定済み」とするIOCに対し、小池百合子都知事はあくまでも東京開催を求めて徹底抗戦するとみられるが、専門家は「IOCはマラソンの中止や東京の五輪開催剥奪という最悪の事態もあり得る」と危惧を示す。


 協議は3日間で、31日以降にIOC、大会組織委員会、都、政府で事務レベル協議を行い、その後にトップ級の会合で議論するプランもある。

 小池氏や都が不信感を強めているのは、札幌開催をめぐる議論で「カヤの外」だったことだ。IOCは16日に札幌開催案を発表したが、小池氏が組織委の武藤敏郎事務総長から移転案を伝えられたのは前日の15日。都は組織委に800人以上の人材を投入してきたが、IOCと組織委の事前協議や情報伝達のラインから外されていた。

 準備を急ぐ組織委などは具体的な議論に移りたいとの立場だ。当初、発着点として想定されていた札幌ドームには陸上競技用のトラックがないこともあり、市中心部の大通公園を発着とし、8月に行われる北海道マラソンをベースとする方向で検討を進めている。



【私の論評】あるある、オリンピック商業主義が見直されつつあるこれだけのワケ(゚д゚)!

私はマラソンと競歩を札幌で開催ことに大賛成賛です。その理由は以下の2つです。

一つは、このブログでもすでに述べているように、猛暑対策への賛同です。

夏の札幌も決して涼しいとはいえないですが、東京に比べたら安全性は遥かに高くなります。これを反対する理由はありません。

もう一つは、この決断がIOCのオリンピック商業主義に自らブレーキをかけることに通じる、という期待です。

オリンピック開催期間が7月から8月に限定されたのは、IOCの莫大な収入の約8割を占めるのが『テレビ放映権料』であり、現在はその半分以上が米国NBCとの契約料に依存しているからだといわれています。米国の視聴者がオリンピックに関心を持ってくれるだろう最適な季節がこの時期なのです。

秋になれば、アメリカンフットボールのNFLやバスケットボールのNBAが開幕します。MLBはポストシーズンで熱を帯びる。ヨーロッパはサッカーのシーズンです。

かつてマラソンは冬のスポーツでしたが、オリンピックが暑い季節に行われるようになって、暑さに強いマラソン・ランナーが台頭するようになりました。

その先駆けは1984年のロサンゼルスオリンピックでした。男子はカルロス・ロペス(ポルトガル)、初開催の女子はジョーン・ベノイト(アメリカ)が優勝しましたが、スイスのガブリエラ・アンデルセンがフラフラでゴールするアクシデントもありました。

フラフラでゴールしたガブリエラ・アンデルセン

当時、福岡、東京、ボストンなどのマラソンで5連続優勝を続け日本期待の星だった瀬古利彦は33キロ付近で先頭集団から遅れ、14位に終わりました。暑さが通常の実力と違うダメージを選手にもたらす現実を目の当たりにしました。夏マラソンの歴史はそれほど浅いものなのです。

私がオリンピック商業主義と批判する理由は、オリンピックがまるで世界のスポーツを司る総本山のような権威を持ち、『オリンピック基準』でスポーツのルールや本質を平気で変え続けているからです。IF(International Federationの略。国際競技連盟)と呼ばれる各競技団体もこの流れに追従しています。さらに、テレビ中継の都合で試合時間が決定されるということまで行わています。

ラグビーは15人制でなく7人制が採用されています。バスケットボールも5人制とは別に3人制の3X3が正式採用されました。トライアスロンは草創期、ハワイ・アイアンマンレースに象徴される鉄人レース(ロング・ディスタンス)が人気を集めましたが、やがて『オリンピック・ディスタンス』と呼ばれる計51.5kmの種目が普及していきました。

2時間以内に競技が終わることが「オリンピック採用の基準」になっているからです。野球がオリンピック種目として再び採用されることがあっても、その時は9回でなく7回制になっている可能性が高いです。柔道着は、「テレビで見やすい」という理由で一方が青に変更されました。その決定には、「なぜもともと白なのか」への理解も敬意もありません。


さらに、欧米で人気のスポーツは開催時間も、欧米にあわせるということが平然とまかりとおってきました。平昌五輪ではフィギュアスケートやスピードスケートなど欧米で人気の種目が、昼夜逆転でスケジュールを組まれたため日本勢はスケジュール調整に悩まされました。

スポーツ文化は踏みにじられ、五輪ビジネスだけが優先されてきました。それで失うものの大きさにこれまでIOCも日本オリンピック委員会(JOC)も、日本のメディアもスポーツファンも目を向けずにきました。

ここまで徹底したオリンピック商業主義ですが、それが実際に効果をあげてきたかといえば、甚だ疑問です。実際米国では1990年台をピークに、テレビでオリンピックを観戦する人の数が減っています。

米ギャラップの調査によると2016年のリオデジャネイロオリンピックで初めて、オリンピックのテレビ中継を見る人の割合が過半数を下回る48%となりました。

ピョンチャンオリンピックでは、65歳以上の層で「オリンピックを見る」と答えた割合が、半数以上の54%だったのに対し、18〜29歳の層では31%となっており、若年層の関心が薄れていることが、視聴者数減少の主な原因ではないかと読み取れます。

今回の東京オリンピック、マラソン&競歩の札幌移転は、こうした一方的なオリンピック商業主義に大きな転換期が訪れたこと、それを強行し続ける困難さをIOCのバッハ会長自らが表明したともみえます。だからこそ、「なぜ、今頃になって」と言いたい気持ちもあるでしょうが、ここはオリンピックの歴史的転換を後押しをすべきです。

IODトーマス・バッハ会長
本当なら、放映権に依存するビジネスモデルからの大転換を求め、代案を提示したいところですが、当初はマイナーチェンジでも良いです。

例えば、マラソンや競歩など、本来は低温の気象で行う競技は冬季五輪の時期に、相応しい地域で行うようにすべきです。

また各IFも、オリンピック依存から転換し、ゴルフの全英オープン、テニスのウィンブルドン、サッカーのワールドカップ、そして日本の大相撲のように(いまはその信頼度は怪しいですが)、オリンピック以外に「これぞこのスポーツの最高峰」「スポーツ文化と歴史の体現」と誇れるような大会を構築し主催するのがそれぞれの競技を愛する者たち、スポーツビジネスに携わる人たちの使命だと思います。

オリンピックは大切な『平和の祭典』です。今後も発展と成熟を重ねてほしいです。しかし、巨額ビジネスの威光で世界のスポーツを牛耳るような存在感は、およそ『平和の祭典』には相応しくないです。その見直しがいよいよ始まりつつあると思います。オリンピック商業主義は終焉を迎えつつあるようです。札幌でのマラソン・競歩の開催はまさにその象徴ともいえるのです。

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2018年11月26日月曜日

グローバル企業時代の終焉!? 加速する「自国第一主義」の流れとは? 国際投資アナリスト・大原浩氏が緊急寄稿―【私の論評】今後の世界は、自由で公平な貿易をしつつも、国民国家を主体とした体制に戻る(゚д゚)!


カルロス・ゴーン

カルロス・ゴーン容疑者(64)の逮捕で表面化した日産自動車と仏ルノーの主導権争いは、グローバル企業にも越えられない「国境の壁」が存在することを明らかにした。一方、韓国の自称・元徴用工の異常判決は、国家間の約束も反故にされることを示す。国際投資アナリストの大原浩氏は寄稿で、グローバリズムのひずみが生じているとして、「自国第一主義(国民ファースト)」の流れが強まると指摘する。

 ゴーン容疑者逮捕のニュースは世間を騒がせた。色々な憶測が飛び交うが、ことは個人の脱税問題などにとどまらず、場合によっては日仏の覇権争いにまで及ぶのではないだろうか。ゴーン容疑者がフランス(国民)の利権を擁護し、日本(国民)の国益を害する行動をとったと日本政府が判断したことが、今回の事件の背後に見え隠れする。

 これまで「国境など関係ない」というような顔で、国家(国民)をないがしろにしてきたグローバル企業に対する国家(国民)の反撃が始まったのだ。

 現代の国家のあるべき姿として、「民主主義」を否定するのは極端な偏向思想を持った人物だけだろうが、民主主義の基本概念はジョン・ロックの名著『市民政府論』(1689年発刊)にまでさかのぼる。「政府は国民の委託を受けているからこそ、統治を行う権利がある」ということが最も重要な概念である。

 左派のマスコミなどから「自国第一主義」と呼ばれ、批判的に語られるトランプ米大統領が掲げる自国民を大事にする政策は、正しくは「国民ファースト」政策である。

米国の大統領は、中間選挙も含め膨大な費用と労力をかけた国民の審判によって選ばれるのだから、「国民第一」の政策を行うのが当然だ。オバマ政権のように外国や外国人を優先するかのようなやり方こそ「反民主主義的」な全体主義政策だといえる。

 トランプ大統領が、国境を越えようとする「移民」たちを「侵略者」と呼び、軍隊や「壁」で対抗する施策にも批判は強いが、これこそ「民主主義」を守る闘いだとみることもできる。

 ジャーナリスト、安田純平氏の事件もさまざまな議論を巻き起こしたが、日本政府が多大な費用と労力をかけて彼を救ったのも、彼が「日本国民」だからである。

 「二重国籍」についても、いったいどちらの政府が彼らを守るべきなのかという問題が生じる。外国政府に守ってもらえるのなら、わざわざ日本国民の血税(場合によっては救助担当者の命の危険)を使って二重国籍保有者を守る必要はないという議論が当然起こる。

 これは二重国籍企業、すなわちグローバル企業も構図は同じだ。税金を逃れるためだけに本社を海外に移転することなど許されなくなる。国民が税金として得るはずであった資金を盗む行為だからだ。今後、グローバル企業が最終的にどこの国に帰属するのか、大問題になるだろう。

現在の「自称・徴用工」問題にも同じ構図がある。日本政府は韓国政府に対し、はるか昔に問題解決のため多額の費用を支払った。韓国政府がその事実を国民に知らせなかったのなら、韓国の国民が攻撃すべきは韓国政府であり、ひどい政府だというのなら韓国政府を打ち倒す権利がある。これが前述したロックの「自然権」だ。虚偽の事実をもって日本国民や政府を誹謗(ひぼう)・中傷する権利など、これっぽっちもない。

 日本、そして日本企業は日本人のものであり、国益を害したり不法行為を行ったりする国や企業については拒絶すべきである。

 おおはら・ひろし 人間経済科学研究所執行パートナーで国際投資アナリスト。仏クレディ・リヨネ銀行などで金融の現場に携わる。夕刊フジで「バフェットの次を行く投資術」を連載中。

【私の論評】今後の世界は、自由で公平な貿易をしつつも、国民国家を主体とした体制に戻る(゚д゚)!

世界の新たな枠組みづくりが進んでいます。トランプ米大統領が仕掛けた米中貿易戦争は、そのきっかけであり、グローバルサプライチェーン(世界的供給網)の再構築を招き、グローバリズムの終焉を加速させるものになります。

グローバリズムとは、ヒト・モノ・カネの移動の自由化であり、これは東西冷戦の終結により成立したものです。1980年代後半、資本主義・自由主義陣営の西側と、社会主義・共産主義陣営の東側との価値観の戦いは東側陣営の敗北で終わりました。

東側陣営の象徴であったソビエト連邦は崩壊し、ベルリンの壁は壊れ、中国は改革開放路線に切り替えました。これにより、世界は一つになるかと思われました。

平成元年(1989年) ベルリンの壁崩

そして、冷戦の最大の勝者である米国のルールで世界は動くかに見えました。日本も米国発のグローバルスタンダード(世界標準)の掛け声に踊り、会計基準の変更や金融ビッグバンによる金融市場の開放に動きました。

グローバリズムの最も大切な成立要件は世界が一つのルールで動くことであり、ルール違反を許さないことであります。これは、スポーツに例えれば分かりやすいです。一つの大会で複数のルールの採用は許されていません。中国は改革開放の名の下に、段階的な自由化を行い、最終的には西側陣営のルールに従うとして、自由主義市場への参入を許されました。

しかし、中国はこの約束を守りませんでした。為替一つをとってみても、中国は為替の自由化を約束し、人民元がドル、ユーロ、円、ポンドと並ぶ国際通貨基金(IMF)の特別引き出し権(SDR)構成通貨となりましたが、いまだそれが実現されず、今後も実現する見込みはたっていません。

市場開放も同様であり、中国資本による米国企業の買収や他国市場への投資は行われていますが、中国市場にはいくつもの規制がかかっています。土地売買も同様であり、中国人が日本の土地を買うことはできるのですが、中国人にすら土地の所有を許していないのです。これは著しく不公正であるといえます。

そうして、グローバリズムによる恩恵を受けて発展した中国は、「新時代の中国の特色ある社会主義」をうたい、「中華民族の偉大なる復興」と「中国の夢」の名の下に、中国が支配する新たな秩序を生み出そうとしています。当然、これは米国のみならず、資本主義・自由主義への挑戦であり、今の世界秩序の破壊行為にほかなりません。そして、米国はこれを阻止するために動き出したのです。

中国の夢

繰り返しになりますが、グローバリズムの成立要件は、世界が自由主義に基づく一つのルールで動くことであり、ルールを守れないのであれば退場してもらうしかないのです。これが米中貿易戦争の本質であり、ある意味では価値観の対立であるとも言えます。

昨今、米国は自由貿易ではなく、自由で公平な貿易という言葉を多用していますが、これは単なる貿易赤字等の数字の問題ではなく、ルール違反を許さないという意味が込められているものと考えられます。そして、これはまだ始まりに過ぎないのです。米中貿易戦争、これは単なる貿易摩擦ではなく、大きな価値観の対立の側面が大きいのです。

グローバリズムにともなう人の自由な移動に関しても、国民国家が制限するのは当然のことです。トランプ大統領が掲げる「自国第一主義」に対する非難をよく聞きますが、「自国第一主義」は民主主義の原則に従った行為です。

民主主義の基本は主権者と被支配者(国民)が一致することです。したがって、国民から選ばれた代表が統治するのが民主主義ですが、この国民の中には外国人はもちろんグローバル企業も含まれていません。一部で「外国人参政権」などという奇妙な運動が行われていますが、これはもちろん、反民主主義的行為です。

「国家は国民のものである」という民主主義の大原則に立ち戻っているのがトランプ大統領の「自国第一主義」です。

この流れで言えば、受け入れを拒否しているのに押し寄せる人々を「移民」と呼ぶことはできないです。

例えば、独立後間もない時期の米国や一時期の欧州などのように「どうぞ来てください」と宣言すれば、移民と呼ぶことができますが、国境に壁を作ったり軍隊を配備して流入を阻止しようとする国に不法に侵入する人々が犯罪者であることは言うまでもないです。ましてや、数千人単位でグループを作れば「侵略者」とでも呼ぶしかないことは、トランプ氏の言葉を待つまでもないです。

個人レベルで言えば、パーティーに招待されて家を訪問するのは合法だが、呼ばれてもいないのに、家のドアをこじ開けて入るのは「強盗」であり撃ち殺されても仕方が無いということです。

現在、人手不足だと騒いでいるのに、日本の若者(労働者)の賃金はさほど上がらないです。グローバル化によって広がった市場において、多くの発展途上国(後進国)が「人間の安売り」=低賃金労働力の供給を行っているからです。

この「低コスト」の恩恵を受けているのは、もちろんグローバル企業です。彼らはどこの国に人間であれ、コストが安いほうが都合がよいのです。「高い賃金を払ってみんなで幸せになろうね!」などという古き良き日本(古き良き米国も・・・)の国民国家の哲学は全く通用しません。

安倍政権の「移民政策」が色々議論されていますが、介護、建設、飲食などの人材が不足しているのは給料が安いからです。だから給料をあげれば(例えば倍にするとか極端なことをすれば・・・)、人手不足などすぐに解消します。

実際、米国においては米アマゾン・ドット・コムは10 月2日、米国内の従業員の最低賃金を時給15ドル(約1700円)に引き上げると発表しました。平時から雇用している25万人に加え、年末商戦向けに短期で雇う10万人も対象とします。急成長を続けるアマゾンに対しては、一部で「利益を従業員や社会に還元していない」「倉庫での労働環境が劣悪」などの批判が高まっていました。

実施は11月1日からです。15ドルは連邦政府が定める最低賃金(7.25ドル)の2倍超にあたります。アマゾンは現在の最低賃金を公表していないですが、ネット上では時給10ドル程度の求人も出ています。アマゾンによると、すでに時給15ドルに達している従業員の賃金も上げるといいます。

これによって、アマゾンは今年の人手不足の年末商戦を、乗り切る予定です。



そもそも、外国人が日本人が敬遠する仕事を自ら進んで行うのは、本国の貨幣価値に換算すれば高給であるからに過ぎないです。彼らも、(本国換算で)給料が安ければそのような仕事に見向きもしません。

長期的には、移民(外国人労働者)政策よりも少子化対策に国民の血税を使うべきだし、より短期的には、そのような業種の企業の経営者が業務の生産性をあげる努力をすべきです。

最近、居酒屋などの飲食店でタブレットによる注文が標準となりつつありますが、介護、建設、飲食などの業種ではこのような生産性向上のタネがいくらでもあるはずです。これまでカイゼンされなかったのは、低賃金労働者が十分供給されてきたからです。

したがって、このような業種の経営者は甘えを捨てて、移民(外国人労働者)などをあてにせず、生産性の向上等による従業員給与の引き上げに努力すべきです。

実際、日本の高度成長期には、中学卒業生が「金の卵」と呼ばれるほどの人手不足が生じましたが、当時(基本的に)移民や外国人労働者を受け入れていなかった日本は、「自動化」「機械化」で乗り切りました。逆にそのことが、日本の機械産業やロボット産業を刺激し「高度成長」を牽引したのです。

逆に欧州では安くて豊富な(少なくとも当時はそう見えた)移民(外国人労働者)を潤沢に使えたため、機械産業やロボット産業で日本の後塵を拝し、しかも「移民問題」という、現在の欧州における最大級の問題の原因を作ってしまいました。

日本政府は、このような歴史に学ぶべきです。

グローバリズムは、ルールを守らない拝金主義の中国という怪物を生み出し、人の移動の自由の美名のもとに様々な混乱をもたらしました。

トランプ氏の戦いは、「アメリカファースト」と言いながら、やはり国民国家をもう一度見直すということを提起しているのだと思います。

関税のない「自由貿易」は、グローバリズムという資本主義の発展形に見えました。しかし、現実は、庶民と労働者を貧しくし、代わりに、中国に莫大な貿易黒字を許したのです。

トランプ大統領は、この反省に基づき、反グローバリズムへ、そして、中国の覇権阻止、自由で公平な貿易を尊重しながらも、ナショナリズムの回帰へと、国家戦略を大転換しているのです。これは、トランプ政権が終わった後にも、大部分が継承されるでしょう。

無論完璧なナショナリズムへの回帰という事はあり得ないですし、できないです。ただ、今まで、世界の多くの人々がグローバリズムこそ理想と無邪気に考えてきたことは、間違いであることが認識され、再度世界はナショナリズムに振れることになるということです。

今後の世界は、自由で公平な貿易をしつつも、国民国家を主体とした体制に戻っていくことになります。EUもいずれ崩壊することになります。国民国家の富を簒奪するための装置でもあるタックス・ヘイブンもこの世から消えることになるでしょう。そうして、国民国家の富を簒奪するごうつくばりの中国共産党の幹部や、カルロス・ゴーンのような人物は居場所を失うことになります。

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2018年9月18日火曜日

米、2千億ドル対中制裁を24日発動 中国報復なら「2670億ドル追加」―【私の論評】中国が貿易戦争の終焉を望むなら、知的財産権を尊重し、米軍の北朝鮮武力攻撃を認めるしかない(゚д゚)!


トランプ大統領 写真はブログ管理人挿入 以下同じ

 トランプ米政権は17日、中国による知的財産権侵害を理由に、中国からの2千億ドル(約22兆円)相当の輸入品に追加関税を課す制裁措置の第3弾を24日に発動すると発表した。上乗せする税率は当初10%とし、来年から25%に引き上げる。米国は500億ドル相当の制裁を発動済みだが、制裁の対象規模を5倍に拡大し、中国経済への打撃を狙う。

 トランプ米大統領は声明を発表し、「中国指導部が迅速に不公正な貿易慣行を終わらせるよう求める」と述べた。中国が報復措置を採った場合、ただちに2670億ドル相当の中国製品への新たな制裁を検討するとしている。

 2千億ドル規模の制裁発動で、昨年の中国によるモノの対米輸出額(約5050億ドル)のほぼ半分が追加関税の対象となる。米中の貿易対立は一段と激化し、長期化する公算が高まった。


 米政府は関税の税率を、予定していた25%から当初10%に引き下げる。年末商戦を控えた米景気への影響を和らげることに加え、段階的に来年から25%に引き上げることで、中国に歩み寄りを迫る狙いがあるとみられる。米政権高官は17日、今月下旬に予定する米中協議を念頭に、「大統領が(協議を通じた)解決を望んでいることに変わりはない」と話した。

 一方、7月に公表した約6千品目の関税対象品リストの原案から、約300品目を削除する。腕時計型端末などの消費者向け電機製品や化学材料、ヘルメットなどが外された。原案の公表後、産業界から寄せられた約6千の意見を精査。消費者への影響を考慮し、一部品目を対象から除いた。

 トランプ政権は、米企業に対する技術移転の強要など、中国の不公正な貿易慣行を問題視。米通商法301条に基づき、8月まで2度にわたって計500億ドル相当に25%の関税を上乗せする制裁を発動した。

 発動済みの制裁措置は半導体などのハイテク製品が主な対象だった。今回の2千億ドル相当では、中国の主力輸出品である衣料品や家具などの消費財が多数含まれ、米中双方の経済への影響が懸念されている。

【私の論評】中国が貿易戦争の終焉を望むなら、知的財産権を尊重し、米軍の北朝鮮武力攻撃を認めるしかない(゚д゚)!

トランプ政権はようやく、本格的に習近平中国に鉄槌を下しましたた。中国はこれで、対米輸出の半分、対外貿易黒字全体の約三分の一を失うことになります。中国経済への打撃は甚大であり、中国の今後の政治動向・外交戦略、そして国際情勢に与える影響は計りきれないものになります。今日という日は、後に歴史家が現在史が大きく動いた日として記録に留めることでしょう。

2500億ドル分の中国製品に対する米国の制裁関税が数年間でも続けば、中国経済は、息切れし、国内で不安が拡大し権力闘争の激化することでしょう。そうして、一帯一路は完全終了し、世界の工場の中国から工場が世界の各地に移転しすることになるでしょう。「中国の夢」は破れて世界が変わることでしょう。

米国が日本時間の今朝、2000億ドルの中国製品に対する制裁関税の発動を表明したのに対し、先ほど新華社通信はやっと中国商務省報道官の談話を発表。「深い遺憾」を表明して対抗措置の実行も表明しましたが、措置の中身は言及せずに予定されている米中交渉の中止の発表もありません。完全に腰砕けの印象です。

米中貿易戦争に関して、2つの誤解を払拭しておきます。

まずは、自由貿易を重視する立場から、中国の悪辣なやり方はほとんど指摘せずに、米国が貿易赤字になりがちなことだけ指摘して、トランプは貿易赤字の意味がわかっていないと批判する論者もいます。

これは、中国の回し者か、あるいは無知な人かもしれません。対中貿易赤字大ということは、中国からの対米投資が大きいことを意味します。

対米投資を自由にやりながらアメリカの知的所有権を侵害しているというのがトランプ大統領の論法です。だから貿易赤字は単に話の枕に過ぎず、本質的なことでありません。

本来であれば、米国の貿易赤字の原因を語りつつも、その何倍も中国に悪辣なやり方を批判すべきです。

米国の対中国貿易赤字は年を追うごとに大きくなっている

さらに、貿易戦争で中国の影響は軽微という論者もいますが、現実はどうかといえば、たとえば車の消費は減っています。中国は輸入米車に対して報復関税をかけていますが、これくらいでは大した影響もないとみていたようです。

しかし、そうではなかったことが明らかになりました。9月18日、中国の全国乗用車市場情報連席会が、2018年8月の中国国内乗用車市場統計データを公開しました。

統計データによると、中国2018年8月の乗用車販売台数は、2017年同期と比較して7.4%減少し、173万4188台となりました。

一方2018年1月―8月の乗用車販売台数は、2017年同期比1.3%増の1427万4000台に達しています。

昨年は、米車の中国の売上は絶好調でした。中国が米車に関税を多くかけたくらいでは、中国も自動車を製造していますし、日本やドイツからの輸入もありますが、ほとんど影響がないようにも見えたのですが、現実には車の消費そのものが減少しています。

車でこの状況ですから、他のものでも思ったよりもはるかに大きな影響がでるものもでてくることが懸念されます。

米国の対中貿易戦争は北朝鮮問題ともかなり密接に絡んでいる

さて、話題は変わりますが、米国の対中国貿易戦争は、一見関係ないようにも見える北朝鮮問題ともかなり密接に絡んでいます。中国は北朝鮮問題でアメリカとの協力姿勢を示した一方、トランプ政権が考える北朝鮮への軍事攻撃にはあくまでも大反対です。

北朝鮮が米国の軍事攻撃によって滅ぼされ、そしてそれによって、中国が在韓米軍からの軍事的圧力に直接晒されることは、中国にとっての悪夢だからです。

さて、昨年3月米国のティラーソン国務長官(当時)と中国の王毅が会談しました。このとき中国の王毅外相がティラーソン米国務長官との会談では、「朝鮮半島は危険なレベルに達している」との認識を米国と共有しておきながらも、「平和的解決には外交的手段が必要」と強調して、武力行使にはあくまでも反対する立場を示していました。

しかし中国側のこの姿勢はトランプ政権を苛立たさせました。中国自身が決して、北朝鮮問題の根本的な解決を望んでいないからです。北朝鮮が常に「問題」となっているからこそ、アメリカは問題解決のためにいつも中国に頭を下げてくるのであり、問題が解決されてしまったら、中国のアメリカに対する優位はなくなってしまうからです。

つまり北朝鮮問題の根本的な解決を急ぐトランプ政権に対し、中国はあくまでもそれが「解決されない」方向へと持っていこうとするので、北朝鮮問題をめぐっての米中連携は最初から成り立たなかったのです。

トランプ政権は、とうとう中国を頼りにしての北朝鮮問題の解決は不可能であるどころか、中国こそが北朝鮮問題解決の邪魔であるとわかったようです。だからこそ、トランプ政権は、ティラーソン国防長官を解任して、矛先を北京へと向けているのです。

トランプ大統領が就任直後からしばらくは、公約通りに中国への対抗心を顕にしなかったのは、一重に北朝鮮問題があり、これを解決するには中国が大きな役割を果たしてくれるに違いないと判断していたからです。

中国が、米国の対中国貿易戦争の終焉を望むなら、知的財産権を尊重すだけではなく、米国の北朝鮮武力攻撃を認めるしかないわけです。

知的財産権を尊重するとは、言葉では簡単なことですが、かなり難しいことです。例えば中国がTPPに加入できる程度に、国の制度や慣習などをあらためる必要があり、そうなると、中国は民主化、経済と政治の分離、法治国家化という構造改革を実現しなければなりません。

それは実質的に中国の現体制を崩壊させることを意味します。本当は、そうしたほうが中国人民にとっては良いことなのですが、中共にはできないでしょう。

考えられるのは、小手先の構造改革でごまかすことでしょうが、そのようなことはすぐに露見します。

さらに、米国による北朝鮮の武力攻撃も認めなければなりません。これは、中共には全く無理なことです。

米国の対中国貿易戦争は、経済冷戦にまでエスカレートし、中国が経済的に弱体化し、北朝鮮などの周りの国々に影響力がほとんどなくなるまで継続されることになるでしょう。

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2016年10月17日月曜日

「日系企業が中国大脱出?」過去最大規模の財界訪中団の要望書に中国ネットが大騒ぎ―【私の論評】1m80Kgのレールから見る中国幻想の終焉(゚д゚)!


中国国家発展改革委との会合であいさつする日中経済協会の
宗岡正二団長(左)。右は経団連の榊原定征会長=21日、北京

 9月下旬、日本の主要企業トップが訪中して政府要人と会談した。その際に日本側が中国市場から「撤退」する際の環境整備を求めたことが波紋を呼んだ。中国のネット上では「出たいなら出ていけばいい」といったいつもの強気の反応が盛んで、ネットメディアも「中国市場を失った日本企業が、どうやって欧米企業などと競争できるのか?」などと日本側の「不見識」をとがめるような意見が目立った。その一方で「本当に日本企業が大規模に撤退したら、中国企業は必ず損害を受ける」といった不安な“本音”も見受けられた。

 日中経済協会を中心とした財界人は9月20日から27日に中国を訪れた。宗岡正二会長(新日鉄住金会長)を団長とし、経団連の榊原定征会長、日本商工会議所の三村明夫会頭らが加わった。3団体がそろって中国を訪問するのは昨年に続いて2回目で、過去最大規模となる計230人の参加となった。日本代表する大企業のトップらが参加し、さながら“オール財界”のメンバーが顔をそろえた。

 21日には北京の人民大会堂で中国共産党序列7位の張高麗副首相とも会談。滞在中の22日には、上海市に本社を置く国有鉄鋼大手の宝鋼集団と湖北省の武漢鋼鉄集団が経営統合すると発表する局面にも遭遇することとなった。

中国国家発展改革委の幹部(右)と握手する日中経済協会の宗岡正二団長。右から
2人目は経団連の榊原定征会長、左端は日本商工会議所の三村明夫会頭=21日、北京
 一連の日程で中国側の関心を集めたのが、22日に中国商務省の高燕商務次官と会談した際に提示した投資環境の改善項目をまとめた要望書だ。その中で、中国市場から迅速に撤退できる環境がなくては新たな投資が進まないと強調し、中国側に改善を求めた。
 撤退の環境整備に関する要請について中国の官製メディアでは話題にならなかったが、ネット上ではすぐに騒ぎとなった。ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)では「日本企業が手厚い扱いを受ける時代は終わっている」といった否定的な反応が大勢を占めた。また、この要請について報じた日本人記者の個人名を挙げて「この記者は経済を分かっていない」などとからかうような記述も見られた。

 中国系香港メディア、フェニックステレビのホームページは「日本企業の中国大脱出?」という文章を掲載し、財界訪中団の要請がなされた背景について分析した。

 文中では、近年の日本企業の撤退はそれぞれの企業の「経営上の原因だ」と説明し、統一的な動きではないことを強調した。その上で「もし誰が誰に頼っているか論じる必要があるならば、現在は日本企業が中国市場に頼っている時代だ。その逆ではない」と述べ、中国市場撤退による被害は日本側が受けることを示唆した。また「日本企業は『政冷経冷』という中日関係の被害者だ」との見方も示した。

 一方で、中国市場からの日本企業大量撤退を招くような事態に「不安」を感じる反応も少なくない。

 「ネット上で積極的に転送されたニュースは、やはり人を不安にさせた」

 ある中国の経済系ウェブサイトは、今回の騒動について不安な思いを率直に吐露した。同サイトは、日本側が積極的に進めてきた対中投資について説明し、「日本の中国経済への影響は、その他の国を上回っている」と指摘。日本企業撤退が現実のものとなった際の被害を懸念し、「何が何でも中国の官製メディアはこの事実をできるだけ早く真実のままに報じ、中国側は誠意を持って日本企業の引き留めに当たるべきだ」と訴えた。

 「政冷経冷」の時代に入ったと指摘される日中関係。日本貿易振興機構(ジェトロ)がまとめた平成27年度の進出企業実態調査によると、今後1~2年のうちに中国事業を「縮小」または「移転・撤退」すると答えた企業は全体の10・5%で、前年度調査に比べ3ポイント増えたという。今回の騒動は中国側にも、日中関係がそのような時代に入っていることを深く認識させる一つのきっかけになったかもしれない。

【私の論評】1m80Kgのレールから見る中国幻想の終焉(゚д゚)!

上の記事には、掲載されていませんが、日本側からは、中国の鉄鋼の過剰生産問題に関し早期解消を求める声が相次いでいました。

日中経協の宗岡正二団長(新日鉄住金会長)は冒頭あいさつで中国からの鋼材の安値輸出により「世界の鉄鋼業が深刻な打撃を受けている」との認識を示し「過剰生産などの改革を着実に進めていただきたい」と訴えた。経団連の榊原定征会長も「痛みの伴う改革の着実な実行を期待したい」と構造改革の推進に期待を示しました。

中国側は「供給サイドの改革は進展しつつある。構造的な改革を進め両国関係を強化したい」との考えを示していました。

中国の鉄鋼業界が構造調整をしないため、日本の鉄鋼業界はもとより、世界の鉄鋼業界が依然、その余波を受け続けています。中国国営の鉄鋼大手同士による統合計画が発表され、足元では再び市況が改善し始めたとはいうものの、生産や輸出は高水準のままです。

欧米諸国がその削減を中国政府に強く求めるものの、その歩みは欧米の不満を解消するまでには至らず、日本はその対立の巻き添えになりかねない立場にも置かれているのです。


日本の鉄鋼大手は自動車など製造業向けに中国現地の合弁企業から鋼材を供給。そこに向け、高級鋼に使う熱延コイルや冷延鋼板、線材などの半製品を大量に輸出しています。

こうした中、欧米諸国と中国の対立が激化し、アンチダンピング措置など対抗手段の打ち合いとなれば、日本もそのとばっちりを受けています。実際、米国は6月下旬、中国と日本の冷延鋼板に対するアンチダンピング措置を最終決定。税率は中国製が265・79%と圧倒的に高く、中国をターゲットに据えたのは明らかです。

しかし、日本製も「クロ」と判断され、71・35%と決して低くはないアンチダンピング税が課されることになったのです。

中国政府は今後5年で最大1億5000万トンの能力削減を決めているのですが、6月下旬には国家発展改革委員会が16年の削減量を4500万トンと明示。焦点の雇用問題でも18万人を配置転換させるとしており、同委員会の徐紹史主任は「目標達成を強く確信している」と断言しました。

しかし、同時にネガティブな指標も明らかになりました。まず、6月の1日当たり粗鋼生産量が過去最高を更新。政府支出による大型公共工事の拡大で鋼材需要が膨らんだ上、6月に市況が下げ止まり、「この水準なら、利益が出ると判断した製鉄所が稼働率を高めたのではないか」(中国国内の鉄鋼関係者)と見ています。


鉄鋼というと、中国も相当進んでいるように思われるかたもいらしゃる方々も多いと思います。しかし、そうではありません。中国というか、日本以外の国々は日本に遠く及ばないところがあります。

その実例を以下に掲載します。それは、鉄道のレールをみれば一目瞭然です。ただし、渡したは、常日頃、電車には乗りますが、その電車のレールにはあまり関心がないものです。
しかし、この鉄道レールは昔から日本の独壇場の様相を呈しているのです。その鉄道レールは過去においては、1メートル当たりの重量が60キログラムが主流でした。この頃から、日本のレールは品質が良いということで、人気があったのですが、実はこれからは、80キログラムレールが主流となるというのです。

なぜそのようなことになっているかといえば、より重いレールの方が、より重い列車を走らすことが出来るからです。ところが、この80キログラムレールを製造できるのは世界で日本のメーカーしかないのです。

そのメーカーは、日本国内でも新日鉄住金の君津製鉄所とJEEスチールの東日本製鉄所の2か所しかありません。

新日鉄住金の君津製鉄所
現在たとえば、アメリカは大陸横断鉄道のコンテナ列車の重量が大きくなってきて、レールの強度が問題となっています。現在の60キログラムのレールでは無理が生じてきたのです。これに対応するには80キログラムレールに置き換えるしか方法がありません。

ところが、アメリカでは80キログラムのレールを作る製鉄所はないのです。アメリカでは今、三本の大陸横断鉄道(約3万8000キロ)があるのですが、徐々に、この80キログラムレールに入れ替えています。一昨年オバマ大統領が日本に来た時に、安倍総理に「日本の鉄道技術をお願いしたい」と要請したのですが、中身は80キログラムのレールのことなのです。

この80キログラムになれば、大量の貨物を一気に運ぶことが出来るわけで、アメリカの物流革命の担い手としての期待が大きいのです。

ご存知のように、日本で鉄道の脱線事故が少ないのはこの80キログラムレールが採用されているからなのです。東海道新幹線も80キログラムレールにどんどんと、置き換わっているのです。

函館港から陸揚げされた北海道新幹線のレール
このレールを使用すると、超高速で走る車両の揺れも大幅に減らすうえに、レールの摩耗を防ぐことができます。このレールを製造するには、圧延機の能力が強力で、一本30メートルもありますが、これを均一に800度で加熱します。これには大変な技術と設備が必要なのです。

ご存知のように、鉄道というのは、昔から経済効率が非常に高いのです。しかも公害の発生も低いというメリットもあります。これからの世界は鉄道が建設ブームになりますが、当然これに合わせて、80キログラムレールの需要は世界的に高まります

さらに、鉄道車両の車輪も日本は世界に誇れる技術があります。それは、車輪と車軸は外れると脱線しますが、新日鉄住金は、なんと、車輪と車軸を一体で鍛造することができるのです。そうすれば、車輪と車軸が外れる心配はなくなります。こう言った凄い技術を持っているのは、世界中で、新日鉄住金だけなのです。

さて、話が少し文字通り脱線しましたが、なぜこのようなことを述べたかというと、鉄の製造にも当然のことながら、日本では高度の技術が駆使されていることを示したかったからです。

そうして、先ほどの80キログラムレールなど、日本国内の製造工場で製造されているのです。そうして、中国の鉄鋼メーカーはどうかというと、別に中国でなくても、どの国でもできるような鉄鋼を製造しているに過ぎません。

中国の鉄道だって、こ日本の80kgレールがなければ、成り立たないというわけです。このような圧倒的な技術力の差異は中国としてもいかんともしがたいでしょう。

もう、ブログ冒頭の記事をみてもおわかりでしょう。ここでは、鉄道を例にとって話をしましたが、他のことでも似たようなものです。

そもそも、製造業などかなり自動化されたので、実はかなり前から、製造業に占める賃金の割合は数%に過ぎなくなりました。

今の中国は、従来から比較すると、低賃金ではなくなりました。そうなれば、わざわざ中国で製造する意味もありません。現在では、従来のように、日本銀行が金融引き締めばかりしていて、極端な円高で日本国内で製造するよりも、中国で製造して日本に輸入したほうが、コストが安くなるということもありません。

そうなれば、わざわざ中国に生産拠点など置いておく必要もありません。中国の消費がさらにかなり高まり、現地で製造したほうが、コストがはるかに安くなるということにでもなれば、中国国内で製造する意味もありますが、現在はそのようなことはありません。

それは、日本に限らず、他の国の製造業なども同じです。小売業だってそうです。中国のGDPに占める個人消費の割合は35%程度に過ぎません。最近は、これが少し上がったという話もありまずが、これは全く良いことではなく、他のGDPが下がったので個人消費が上がったように見えるだけです。

そもそも、中国での小売業も最初から大変です、日本のように人口が密集しているわけではなく、広い地域に人口が拡散しています。

それに、最近では経済も落ち込み、余程の大構造改革でも行わない限り、経済が良くなる見込みも全くないです。このままだと、中国は中所得国の罠に嵌り込み、そこから浮上する見込みはありません。

もともと、中国は中所得国あるいはそれ以下の国々の集合体のようなものです。一つ一つの省を一つの国と見たほうが理解しやすいです。

将来の中国は、中所得国の寄り合い所帯のような国になることは必定です。中国の将来は、図体が大きいだけの、アジアの凡庸な独裁国家になりはてるだけです。

やはり、中国に進出している企業の多くは、もう見込みのない中国から撤退したいのです。しかし、それをなかなか自由にさせてこなかったのが中国です。

だからこそ、今回日中経済協会の日本側が中国に対して、日本側が中国市場から「撤退」する際の環境整備を求めたのです。

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2012年7月26日木曜日

Facebookユーザーの満足度が大幅低下...そもそもSNS人気に終焉の兆し?―【私の論評】もうブームなどではなく、社会のインフラとなりつつあるということか?

Facebookユーザーの満足度が大幅低下...そもそもSNS人気に終焉の兆し?:
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一時のハヤリだったのかな?

友だちの友だちへとつながっていくSNS人気とは裏腹に、すでに以前から「ミクシィ疲れ」やら「Facebook疲れ」なる現象が囁かれてはきましたけど、どうやら一部のユーザー層では着実にSNS離れが進行し始めてもいるみたいですよ。やっぱりSNSって、猫も杓子も皆が使い始めるまでの最初期が、もっとも心地よかったりするんでしょうかね~

米国ミシガン大学ビジネススクールの開発指標に基づき、このほど全米の約8万人のユーザーを対象にして47業界の顧客満足度を調査した「ACSI」で、なんとFacebookは昨年より大きくスコアを落とし、あろうことかソーシャルメディア分野で最低の61を記録。TwitterやLinkedInにまで抜き去られちゃってますね。

ちなみに78のハイスコアでソーシャルメディアのトップにGoogle+が入っちゃっているんですけど、この結果には賛否両論あるみたいです。いつの間にかトップSNSだったMySpaceをFacebookが抜き去ったように、本当にGoogle+が次なるナンバーワンSNSとなるのかどうかは大きな疑問ですよね...

そもそも今回のACSIでは、ソーシャルメディアが全体として69の満足度指数に止まっており、検索エンジンやオンラインニュースメディアなどなど、他のネットサービスに大きく差をつけられてしまったことへの衝撃も大きいようです。もしかしてこのところ全体としてSNSの魅力が薄れ気味なんでしょうかねぇ。

ACSI
Mario Aguilar(米版/湯木進悟)

【私の論評】もうブームなどではなく、社会のインフラとなりつつあるということか?

facebookなどをはじめとする、SNSは、すでにブームなどではなく、多くの人にものすごい勢いで、定着したのではないかと思います。スマホやタブレット、PCを開けば、当たり前にそこにある、メールなどと同じようなものになりつつあるのだと思います。特に、最近では、スマホなど、FB のアプリが最初から搭載されていないものなどないと思います。


一昔前のメールと同じようなものではないかと思います。私自身は、最早、個々のハードに割り当てられた既存のメールは、ほとんど使いません。ほとんどが、SNSとウェブメールです。既存のメールを使うのは、相手方が、SNSをやっていないとか、ウエブメールもやっていない場合のみです。メールは、ひところ、中学生など一日数十通もメールを打つなどということが話題になっていました。しかし、このような人まだいるにしても、時代から取り残された旧人類の部類に入るでしょう。今とぎ、メールなど話題にもならないと思います。それは、あるのが当たり前だからです。






これを理解するには、電話など思い浮かべていただければ良いと思います。電話そのものは、すでに随分前から定着しており、今生存しておられる方で、生まれたときに電話なるものが存在していなかったなどという人はいないと思います。老人の方では、一部、小さい時あるいは、若いうちは、自宅に電話線がきていなくて、自宅から電話がかけらけなかったなどという方もいらっしゃるかもしれません。


しかし、ある程度の年齢になってからは、携帯であれ、固定電話であれ、何らかのかたちで電話が利用できるようになっている方がほぼ100%だと思います。そうです。電話は、すでに随分前から完璧に水道や電気のように社会のインフラになっているのです。



水道、電気、電話のように社会のインフラになってしまったものに関しては、好きも、嫌いも、流行り、廃れもないと思います。従来から、ユビキタスといわれていて、まさにそれです。ただ、昨年の原発事故によって、電力供給が少なくなり、計画停電などになったり、なりそうになったときに、不満がでてくるということになります。そうでなけれは、良いも悪いもなく、空気のような存在だということです。

SNSの場合は、こうして、使っている人にとっては、インフラになりつつある面と、まだ歴史が新しいので、使っていない人や、使って間もない人もいるということで、一時的に上のような統計結果になっているのだと思います。

それと、上の記事では、「78のハイスコアでソーシャルメディアのトップにGoogle+が入っている」ことに関して、否定的なようですが、私は、そうとは限らないと思います。


このブログにも従来から掲載していますが、実際にSNSを使い込むようになると、facebookや、Mixiなどでは、使い勝手がかなり悪いことが理解できます。使いはじめてから、間もないときには、そんなことなどほとんど気にならず、ただいろいろな人とネットワーク上で付き合いができることに満足を覚えるのですが、これが当たり前になってくると、いずれ不満がつのってきます。

何かといえば、facebookなどは、もともと、親しい現実世界での友人との付き合いをネット上で再現できるようにつくりこまれていますから、いろいろと都合の悪いこともでてきます。facebook上で、あまり親しくない多くの人と、友達になれば、自分のウオールなどへの書き込みは、どんなものであれ、あまり親しくない人にも見られてしまうことになります。

これは、最初のうちはあまり気にならないかもしれませんが、たとえば、友達に会社の上司とか同僚、学校の先生や友達、あるいは、利害をともにする人、そうではない人などが多数入ってくるようになれば、本当に親しい人たちとのネットワークとはまた異なってきます。ある人には、話たいことでも、多の人には聞かせたくない話もでてきます。

そうなるは、FBはかなり不便です。結局日々、誰にとっても、当り障りのないことを書くことになり、つまらないものになります。「こんな記事があったよ」「どこで、誰と会った」「どこで、何が安く売っていた」「どこで何を食べたら美味しかった」など、本当にどうでも良いようなものばかりになってしまいます。これらのこと、最初のうちは、SNS自体の物珍しさもあって、あまり苦にもならないでしょうが、日々続けていれば、いい加減飽きてきて、SNS疲れという事になるのだと思います。


ここまでになるには、おそらく、普通にFBを使っている人の場合、使いはじめてから、3,4年はかかるものと思います。FBの歴史は、まだまだ、短いですが、それにしても、3,4年継続して使う人が増えてきたため、上のアンケート結果のようになったのだと思います。



このような経験をして初めて、Google+のサークルの持つ意味が認識できるようになります。Google+を使っていない方に、"サークル"などといっても、ピンとこない方もいらっしゃると思いますので、以下にサークルについて解説します。
Google+上での知人とのつながりの起点になるのが「サークル」です。知人を円形のユーザーインタフェースに直感的に配置して管理できるようになっています。 
サークル画面では、Googleアカウントに登録されている連絡先やGoogle+上で知り合った人などを読み込んで知人の候補として表示。知人のアイコンは「友だち」「家族・親戚」「知人」「フォロー中」などのサークルにドラッグ&ドロップで配置することでグループ分けできます。動作はスムーズで、かなり簡単にグループ分けができます。サークルはユーザーによる定義も可能で、たとえば「会社」「学校」「趣味サークル」などを自由に作成できます。
しかし、このようなこと、実際に使ってみないとピンときません。何のためこんなものが必要になるかなど、SNSをあまり使っていない人には理解できないことと思います。しかしながら、fbを長い間使い込めば、理解することができます。だから、こそ、上の記事のようなアンケート結果が出てきているのだと思います。


私は、こういう背景から、以前もこのブログに同じことを掲載しましたが、やはり、社会のインフラとしては、Google+のほうが優れていると思います。それが、認識されつつあるというのが、上のアンケートの結果ではないかと思っています。皆さんは、どう思われますか?






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