10年に一度の大物大蔵次官といわれた齋藤次郎氏の、最初で最後というインタビュー記事が月刊文藝春秋5月号に掲載された。
『安倍晋三回顧録』(中央公論新社)を読むと、財務省がどれほど日本の政治・経済の足かせとなっているかがよくわかる。私が数えたところ、財務省に言及している部分は、なんと71ヵ所もあった。たとえば安倍さんが消費税の10%への引き上げを延期しようとした際、財務省は「安倍政権批判を展開し、私を引きずり下ろそうと画策した。彼らは省益のためなら政権を倒すことも辞さない」とまで書いている。
斎藤治郎 |
「国の借金が大変だから」ロジックの罠
齋藤氏のインタビュー記事の読みどころは、
「大幅な赤字財政が続いている日本では、財政健全化のために増税は避けられず、そのため財務省はことあるごとに政治に対して増税を求めてきました」
と述べている部分だ。
「国の借金(総債務残高や国債残高)が大変だから増税する」というのは財務省の決まり文句だ。齋藤氏はつづけて、
「それは国家の将来を思えばこその行動です。税収を増やしても、歳出をカットしても、財務省は何一つ得をしない。むしろ増税を強く訴えれば国民に叩かれるわけですから、“省損”になることのほうが多い」
という。
この財務省の「国の借金が大変だから増税する」というロジックだが、筆者は大蔵省入省当時から疑問だった。借金があるのなら、増税ではなく「資産」を売ればいい。このロジックを会社で例えるなら、経営不振に陥り倒産間際の会社が、資産を売らずに営業利益だけで借金を返そうと四苦八苦するようなものだ。
そこで、筆者は、大蔵官僚時代の1990年代前半に政府のBS(バランスシート)を作った。それは政府の金融活動ともいえる財政投融資が危機的状況だったからだ。その際、政府のBSも作った。
政府の財政状況を見るには、BSの借金残高だけでは不十分で、左側の資産も考慮し具体的には資産を控除したネット借金残高で見なければいけない。これはファイナンス論・会計論のイロハである。しかし、当時の大蔵省は資産を対外的に明らかにすることには恐ろしく消去的で、ある幹部から筆者はBSを口外するなと厳命を受けた。それが事実上解けたのは小泉政権になってからだ。
筆者はこの齋藤氏のインタビュー記事を見た瞬間、「『文藝春秋』はまんまと財務省に利用されているな」と思った。財務省は選挙が近づくとメディア工作を行い、世論を「増税」に誘導しようと画策する。
財務省と『文藝春秋』といえば、2021年11月号に当時現役の矢野康治財務次官が寄稿し、自民党総裁選や衆院選をめぐる政策論争を「バラマキ合戦」と批判して話題を呼んだ。今回の齋藤氏のインタビュー記事も、G7広島サミット後の解散を睨んで出されたものだろう。
もっとも、筆者から見れば、齋藤氏ほど財務省の増税指向と天下り指向を体現している人はいない。その意味で、もっともわかりやすい人が出てきた。
天下り官僚に好都合な論理
小泉政権では、筆者は郵政民営化準備室・総務大臣補佐官として郵政民営化法の企画立案に携わった。一方、齋藤氏は、当時民主党の小沢一郎氏と深い関係だったので、民営化阻止・国営化の立場だった。その後、自公政権から民主党政権への政権交代があり、郵政民営化法は改正され、株式を一定程度保有する事実上の国営化になった。そこで、齋藤氏は日本郵政社長に天下った。
これは、財政の見方と大いに関係している。というのは、筆者のようにBSで借金とともに資産を考えると、借金は返済しなければいけないが、その財源として資産売却になる。しかし、齋藤氏のように借金だけに着目すると、増税で借金返済となる。
はっきりいえば、資産の中には天下り先の米櫃である出資金や貸付金が多く含まれているので、増税は資産温存で天下りに支障がないので天下り官僚には好都合だ。逆にいえば、借金は返済せざるを得ないから資産売却となれば、天下りもできなくなる。民営化は資産売却の典型例なので、官僚が民営化を否定するのは天下りを維持したいことがしばしばだ。
斎藤氏は、郵政民営化から事実上の国営化に乗じて政府が株主であることに乗じて天下りをしたわけだ。最近、東京メトロへの国交省からの天下りが問題になったが、それも上場を延期するなど政府が株を手放さないことからおこる。財務省も、JTの大株主であることを利用して天下りをいまだに続けている。
安倍さんが、財務省が「省益」を追及しているというのは、例えば借金返済のために増税を主張するが一方で資産売却を渋り天下りに拘泥することをいっている。
これで、齋藤氏ほど財務省の増税指向と天下り指向を体現している人はいないという意味がわかるだろう。ちなみに、齋藤氏は民主党政権が終わると、自分は退任し次の社長に再び財務省からの天下りをすえようと画策したが、安倍政権に見つかり失敗した。
もちろん、増税すれば財務官僚の差配するカネが増えるのも財務省の「省益」だ。
【私の論評】需要の低迷に対処せず、緊縮に走るのは氷風呂で風邪を直そうとするに等しい。全く馬鹿げている(゚д゚)!
「ああ、日本における"緊縮財政マニア"の典型的なケースだ!風邪を氷風呂で治そうとするようなものだ」と昨年ノーベル経済学賞を受賞した、バーナンキ氏の苦笑が聞こえてきそうです。
バーナンキ氏 |
デフレ等で経済が停滞しているときや需要ギャップが生じているときに、政府支出を削り、消費税を上げるのは、火に油を注ぐようなものです。手足を切って体重を減らすようなものです。確かに体重は減るかもしれないてですが、持続可能で賢明な解決策とは言いがたいです。
バーナンキ氏は、デフレの時や需要ギャップが生じているときには、需要を刺激して経済活動を活性化させるために、政府支出を増やしたり減税したりする拡張的な財政政策を実施すべきだと主張しています。消費税増税のような緊縮財政は、個人消費を減退させ、デフレ圧力を悪化させ、経済をマンネリ化させるだけです。
しかし、財政再建の熱にうなされれば、常識など必要ないのでしょう。これでは、経済的な不調は治らないでしょう。岸田政権は、バーナンキ氏のノーベル賞受賞の経済学上の知恵を借りて、経済政策を軌道に乗せ、日本経済に笑いを取り戻すべきです。
しかし、高橋洋一氏が指摘するように、財務省にはその気は全くないようです。なぜなら、財務省は省益優先であり、その省益とは、財務官僚が天下りをして天下り先で、優雅な生活をしたいからです。
不況や、デフレからの脱却、需要ギャップがあるときには、政府が有効需要を喚起すべきというのは、世界の常識です。日本だけが、これが常識ではありません。
バーナンキ氏によれば、有効需要とは、ハンバーガーにトマトケチャップをかけたい衝動に駆られるようなものだといいます。ハンバーガーにトマトケチャップが欠かせないように、商品とサービスに対する十分な需要がなければ健全な経済は成り立たちません。
これは当たり前のことなのです。不況やデフレというのは、人々が買いたいものと実際に買っているものにギャップがあるということです。ジューシーなハンバーガーが食べたいのに、ケチャップのボトルが空っぽなのと同じで、悲しくて物足りない状況なのです。
財務省は省益のために、曲がったことを言うのでしょうが、政治家やマスコミ、財界などにも、この簡単明瞭な話を理解できない人がいるのは不可解です!トマトケチャップを食べたことのない人に、その概念を説明しようとするようなものです。しかし、政治家や経済学者の中には、いまだに頭を悩ませて、複雑な理論や的外れな政策を考え出し、完全に的外れなことを言う人がいます。
日本では多くの人が、未だ需要の低迷という真の問題に対処する代わりに、支出削減等の締め付けや増税に焦点を当てるかもしれません。これは、ハンバーガーが食べたくなったら、ケチャップを禁止したり、トマトの値段を上げたりするようなもので、まったくもって馬鹿げています!
財務省は省益のために、曲がったことを言うのでしょうが、政治家やマスコミ、財界などにも、この簡単明瞭な話を理解できない人がいるのは不可解です!トマトケチャップを食べたことのない人に、その概念を説明しようとするようなものです。しかし、政治家や経済学者の中には、いまだに頭を悩ませて、複雑な理論や的外れな政策を考え出し、完全に的外れなことを言う人がいます。
日本では多くの人が、未だ需要の低迷という真の問題に対処する代わりに、支出削減等の締め付けや増税に焦点を当てるかもしれません。これは、ハンバーガーが食べたくなったら、ケチャップを禁止したり、トマトの値段を上げたりするようなもので、まったくもって馬鹿げています!
だから、多くの政治家が目を覚まし、不況やデフレから脱却するためには、有効需要を刺激することが重要であることを理解することを期待したいです。ハンバーガーにケチャップが必要なように、経済が発展するためには旺盛な需要が必要なのです。
今こそ、バーナンキ氏のケチャップの例えの知恵を受け入れ、たっぷり投資して有効需要を喚起し、満足のいく、食欲をそそる景気回復を実現する時なのです!
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