取り押さえられてもなおカメラ目線であるのが不思議で不気味な犯人 |
昨年7月の安倍晋三元首相銃撃事件を受け、警察庁は警護要則を全面的に改正。都道府県警が行う全ての警護計画を警察庁が事前審査し、必要があれば計画を修正する仕組みに改められた。
県警によると、威力業務妨害容疑で逮捕された職業不詳、木村隆二容疑者(24)=兵庫県川西市=は調べに対して「弁護士が来てからお話しします」と供述。事件について黙秘しており、県警が動機や経緯を調べている。
事件は15日午前11時25分ごろ発生。岸田首相が雑賀崎漁港でエビなどの地元海産物の試食を終え、聴衆の前に移動して演説を始めようとしたところ、銀色の筒状のものが投げ込まれ、爆発した。
首相にけがはなかったが、現場にいた県警の男性警察官1人が軽傷を負った。木村容疑者はその場で取り押さえられた。首相は演説会場を車で離れ避難し、和歌山市内の県警本部へ移動。同日午後にJR和歌山駅前で街頭演説を再開した。
安倍元総理、暗殺事件では、メディアや活動家がテロリストを擁護し、神格化し、その利益に資する主張を繰り返し、犠牲者をあたかも犯罪者のように罵り、一部野党とメディアが執拗に政府を悪魔化し続けていました。これでは、このようなテロリズムがいつ発生しても不思議ではありませんでした。
今回の事件は、まだ動機などの解明がされていないため、詳細はわかりませんが、模倣犯である可能性はかなり高いです。
名称は1774年にゲーテが著した小説『若きウェルテルの悩み』に由来します。主人公の自殺という結末に誘発された当時の若者が、同様の方法で自殺を試みた例が多発したからでした。
日本での先駆けは1903年(明治36年)のエリート学生、藤村操の華厳滝への投身自殺に伴う自殺の連鎖です。「人生は不可解である」という謎めいた言葉を残した遺書「巌頭之感」などが大々的に報じられました。
藤村操と木に彫られた遺書『巌頭之感』 |
これは「模倣自殺(copycat suicide)」とも言われ、ソーシャルメディアが普及し有名人をより身近な存在として感じる現在では、急速に広範囲に作用することが懸念されています。
2021年12月17日に、大阪市北区の雑居ビルで25人が死亡した放火殺人事件が起きたことは覚えておられる方も多いでしょう。雑居ビルに入っていた心療内科クリニックに60代の男性が放火し、職員や患者らが犠牲になった事件です。大阪府警は、計画的な犯行との見方を強めていました。
恐るべきことにここでもウェルテル効果と似た「模倣」の疑いが影を落としています。36人の犠牲者を出した京都アニメーションの放火殺人事件に関する新聞記事などが男性の住居から見つかったからです。男性の死亡により動機の解明は困難になったものの、新聞記事は単に放火の手段の参考として使われただけではないことも考えられます。
米国頻発している銃乱射事件について、社会科学雑誌「ニュー・アトランティス」の編集者アリ・N・シュルマンは、大量殺人が模倣行為であり、犯人は模倣者であるとの見解がここ数年で確立したと述べました。
「アリゾナ州立大学の数学者シェリー・タワーズ氏の研究によると、銃乱射事件が発生する確率は、直前に別の銃乱射事件が起きた場合に大幅に高まることが判明。発生確率が高まる期間は平均で13日間であることも分かった」という。
また、「特定の銃撃犯がそれ以前の銃撃犯を称賛したり、そこから学習したりした具体的証拠」もあるとしました(銃乱射事件、連鎖のわけ 世間の注目が引き金に/2017年11月24日/WSJ)。要するに強く影響されることは、あり得るのです。
人類学者のエリオット・レイトンは、犯人は大量殺人が世間に大きな衝撃をもたらすことに意識的だと指摘しています。
「凶暴な文化的英雄というアイデンティティの抜け道は、殺人者に称賛や愛情はほとんどもたらさないだろうが、大衆の敬意とマスコミの注目は確実に約束されている。それによって称賛や愛情の欠如は十分に償われるだろう。この特殊な意味において、殺人の価値と行動は、主流文化と完全な調和を保っているのである」(「大量殺人者の誕生」中野真紀子訳、人文書院)。
アリ・N・シュルマンは、2017年、ジャーナリズム研究機関のポインター・インスティテュートが承認した伝播効果を避けることを目的とするベストプラクティス(最良慣行)指針を紹介しています。
「犯人の名前は必要な場合に限って伝える、イメージが美化される可能性を避ける、『史上最悪の』などの最上級表現を控える」といった内容です。
当時のニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相は、銃撃犯の名前を一切口にしないと誓ったのですが、これはレイトンのいう「不滅性」を少しでも骨抜きにしようとする試みの一つといえます。
ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン元首相 |
アーダーン首相は議会で、「男はこのテロ行為を通じて色々なことを手に入れようとした。そのひとつが、悪名だ。だからこそ、私は今後一切、この男の名前を口にしない」「皆さんは、大勢の命を奪った男の名前ではなく、命を失った大勢の人たちの名前を語ってください」と演説しました(ニュージーランド首相、銃撃犯の名前は今後一切口にしないと誓う/2019年3月19日/BBC)。
わたしたちは、メディア通じて多くの悲劇を目の当たりにし、またそこから模倣という恐るべき学びを得る事態もあり得るからです。
しかし、彼らは勘違いしています。結局のところ社会とは概念であり、直接コミュニケーションできる具体的な対象ではないからです。しかし、概念であっても社会は厳然と存在しており、その社会はもともと永遠不滅なものではなく、時を経て変幻自在に姿を変えていきます。小さな社会は、他の社会と統合したり、大きな社会は分裂したりします。
今後メディアは、暗殺や大量殺人があったときには、あるいは著名人の自殺などがあったときには、犠牲者や遺族とともに苦しみ、哀悼の意を表すプロセスの中に、他者との死別や、自身の死について、事件に巻き込まれた人と同じような感覚を呼び起こすような報道をすべきです。
また、人によっては今回のような極端な行為には至らないまでも、自他を傷付ける言動を取っていた可能性を思い返し、その危うい巡り合わせを他人事として片付けられず深く省みさせるような報道、世界の不条理についてどのような姿勢向き合うのか考えざるを得なくするような報道をすべきです。
一億総活躍社会じゃねーのかよ。
昨日見事に保育園落ちたわ。
どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。
子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?何が少子化だよクソ。
この記事と安倍の国会答弁に触発される形で、国会周辺で待機児童問題への抗議運動が行われました。さらに、「保育園落ちた日本死ね」が2016年の新語・流行語大賞のトップテンに入ったのです。
これに対して、左翼リベラル系の人々は称賛する人が多かったです。
一方、タレントで5人の子を持つつるの剛士氏は、「こんな汚い言葉に国会議員が満面の笑みで登壇、授与って。なんだか日本人としても親としても僕はとても悲しい気持ちになりました。きっともっと選ばれるべき言葉や、神ってる流行あったよね。。」などとTwitterに投稿。
この投稿には賛否の声が上がり、その後「『綺麗な言葉を使おうね』なんて一言も言ってないです」、「ただ、死ねが流行語?? と。そんな声に国会議員が満面の笑みで登壇に違和感を覚えたというイチ視聴者の感想ツイートでした。。すいませんでした」などと投稿しました。
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