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2009年8月6日木曜日

女優の大原麗子さん、自宅で死亡…死後2週間経過?―一つの時代の象徴か?次の世代はどうなるのか?

女優の大原麗子さん、自宅で死亡…死後2週間経過?(この内容すでにご存知の方は、この内容は読み飛ばしてください)

大原麗子さん 死去


 警視庁成城署幹部によると、大原さんの弟が、大原さんとしばらく連絡が取れなくなったことから、同署に同日届け出て、署員が駆け付けたところ、寝室のベッドの上で大原さんが死亡しているのが確認された。遺体の状況から、死後2週間以上が経過しているとみられるという。事件に巻き込まれた可能性はないとみられ、同庁で詳しい死因を調べている。

 大原さんは東京都出身。1964年、NHKの新人オーディションに合格。テレビドラマ「幸福試験」でデビューした。65年、東映に入社し、「孤独の賭け」で映画デビュー。「網走番外地」シリーズなど数々の作品に出演、「男はつらいよ」では2度マドンナ役を務めた。

 市川崑監督の「おはん」(84年)、木下恵介監督の「新・喜びも悲しみも幾歳月」(86年)など話題作にも出演。同作では山路ふみ子女優賞を受賞した。

 テレビでは、NHKの大河ドラマ「勝海舟」「獅子の時代」に出演、「春日局」では主役を務めた。このほかTBSの「くれない族の反乱」「浮浪雲」なども話題になった。「すこし愛して、なが~く愛して」のせりふが話題になったサントリーのCMなどにも多数出演。愛らしい表情としっとりとした風情の日本美人として、何度もテレビの好感度タレントのNo.1になった。

'83-90 大原麗子CM集 vol.2

 女優の大原麗子さん(62)が東京都世田谷区の自宅で亡くなっていたことが6日、わかった。


 73年に渡瀬恒彦さんと結婚、78年に離婚。80年に森進一さんと再婚したが84年に離婚した。99年から2000年にかけ、手足の神経がマヒして歩行などが困難になる「ギラン・バレー症候群」の治療のために芸能活動を一時休止した。

 サントリーのCM「すこし愛して なが~く愛して」の名セリフで知られる女優、大原麗子(62)が11日深夜、東京・世田谷区の自宅ガレージで転倒し、右手首骨折と膝を打撲する重傷を負っていたことが14日、分かった。大原は9年前、手足に力が入らなくなるギラン・バレー症候群を患って以来、仕事をセーブしていた。

大原麗子、壮絶闘病生活を告白 していた・・・

最近、テレビや映画でめっきり姿を見せなくなっていた大原。あの甘えた声とキュートな笑顔が懐かしい今日このごろ、昨年の11月中旬に飛び込んできたのは、大けがのニュースだっでした。

物を取りにいったガレージで足もとがふらつき、転倒。右手首の骨を2カ所折り、都内の病院へ救急車で運ばれ、翌日退院したといいます。

転んだのは平らな場所だが、99年に発症した「ギラン・バレー症候群」と闘っていた大原。急速に腕や脚の筋力が低下し歩行障害などを引き起こす病気で、昨年6月には俳優の安岡力也(62)が、同3月には元外相の川口順子氏(67)もかかっている難病でした。

最悪の結果になってしまいしまた。大原麗子さんのご冥福をお祈りいたします。

女優大原麗子さんは「かわいい女」の代名詞だったと思います。しかし、女優としての顔は多彩でした。高倉健さんらと共演した「網走番外地」シリーズの不良少女から、映画「おはん」の魔性の女まで、さまざまな役を演じ分け、独特の存在感を発揮しました。

 一方で、1984年に歌手の森進一さんと離婚した際には「仕事をやめたくなかった」「家庭に男が二人いた」「慰謝料をもらう立場ではない」などと語り、一度決めたら後ろを振り返らない潔さを見せました。

多くの人の記憶に残るのは、和服姿でぷっとほっぺたを膨らませ、かすれた声で甘えるようにささやいたウイスキーのテレビCMでしょう。「すこし愛して、ながーく愛して」。その言葉どおり、多くの人に長く愛されました。 そうして、これからも愛されていくことでしょう。

一つの時代の象徴か?次の世代はどうなるのか?
私は、大原麗子さんは一つの時代の象徴であり、彼女が亡くなったことは非常に残念ですが、まるで一つの時代が終わったことの象徴のように思えてなりません。

まずは、彼女はいわゆる団塊の世代の代表でした。団塊の世代(だんかいのせだい)とは、第二次世界大戦直後の日本において、1947年から1949年までのベビーブームに生まれた世代をいいます。戦後第一次ベビーブーム世代とも呼ばれます。第二次世界大戦後の日本の歩みと人生を共にしており、またその特異な人口構成ゆえに、良くも悪くも日本社会の形成に大きな影響を及ぼしている世代です。
この世代の父が、第二次大戦終結に伴って復員したため、自ずと婚姻と出生人口がこの時期に重なりました。

1948年までは一部の例外を除き一般の避妊・中絶・不妊手術は法律で禁止されていました。1948年に優生保護法によって限定的に容認し、翌年の1949年の改正で「経済的な理由」での中絶も容認する事になったため出生率の増大に歯止めがかかり、1950年度以降は出生率が低下していきました。

このため、日本においては、1947-1949年に生まれた人口が突出する結果となりました。作家の堺屋太一が1976年に発表した小説『団塊の世代』で、「団塊の世代」が日本社会に及ぼす大きな影響が一般社会にも認識されました。

以前このブログにも掲載しましたが、団塊の世代よりも下の世代の橋下知事と、東国原知事との間には、共通点があります。この共通点は、それ以前の団塊の世代とはまた違います。

この二人は、新人類という共通点があります。新人類とは、従来のメインカルチャーに反旗を翻し、新しい感性や価値観を打ち出した、1955年から1969年までに生まれた世代、中でも1960年代前半生まれの人々を指して、マスコミが使用した呼称です。

しらけ世代に当たる1950年代後半生まれを「初期新人類」、狭義の新人類に当たる1960年代前半生まれを「中期新人類」、バブル世代に当たる1960年代後半生まれを「末期新人類」と呼ぶ場合もあります。東国原知事は、新規新人類、橋下知事は末期新人類ということになります。

新人類は、成熟した成人として、社会を構成する一員の自覚と責任を引き受けることを拒否し、社会そのものが一つのフィクション(物語)であるという立場をとるとされまし。音楽でもテクノポップの流行など、社会的にも無機質な変容が感じられた時代に、高尚な哲学や思想を語ることも、一種のファッションとしての地位を得ました。しかし、評論家の竹熊健太郎は、オタクと新人類は同一のものであり、「同じ人格類型のバリエーション」であると唱えています。私も、やはり、表に出る形式が違うだけで、同一であるとの立場です。

さて、団塊の世代である大原麗子さん、若い時代にはいわゆる「六本木野獣会」にも属していて、それまでの日本人とは異なるライフスタイルを確立していました。この世代は、若い頃に「ヤング」と呼ばれた、最初の世代でもあります。この世代は、圧倒的に数が多いため、この世代の考え方が、「世の中」を代表するもの、世の中の中心というように思われていました。それは、団塊の世代の人々が時折口にする「自分達がいつまでも世の中の中心と思っていてはいけない」という言葉に象徴されます。

他の世代では、たとえその世代がいわゆる働き頭の年代にある時期にあったとしても、自分達が世の中の中心とは思っていないし、これからもそうでしょう。この世代が若いときに、学生運動がはなざかなりだったこともそうした考えを象徴しています。この世代は、その父親達の世代が古いタイプの日本人であり、古いタイプの価値観を堅持していたため、その価値観とのぶつかりあいにおいて、新たな価値観を築こうともがいていて、それが、他の世代であれば、あそこまで盛り上がりを見せることもないのに、圧倒的に人数が多いということにより、あのような状況になったのだと思います。これは、世界中で共通しており、ドラッカー氏などは、こうした学生運動の動きなどを「人数か多かっただけ」ということで統括しています。

こうした、新しい側面を持つ団塊の世代ですが、やはり、文化的には古い日本人の側面を残していたと思います。そうして、それを良くも悪くも少なくとも一時は、完全に身につけていたと思います。身につけるように躾けられたと思います。新しい価値を生み出したり、新しい考えを主張するためには、古い考え方・規範・価値観を理解して、その中である期間生きていなければ、できることではありません。そういう意味では、この世代は古日本の価値観を実践しているかどうかは別にして、子どものころ叩き込まれた最後の世代ということができます。

もう一方で、この世代の特徴として、戦後の誤った個人主義、平等主義、自由主義に最も影響を受けた世代でもあるということです。だから、非常に矛盾しているところがあります。大原麗子さんにも、そうしたとてころが見受けられます。和服を着ると素晴らしく似合い、「少し愛して、長~く愛して」などといういわゆる「かわいらしい女」の側面がありながら、結婚してもすぐ離婚して「男が二人一つの家庭にいた」などという名台詞を残しています。これは、大原さんより上の世代の八千草薫さんなどには、見られない特徴だと思います。

結局この世代は、古い価値観と、新たな価値観、さらには、明らかに誤った価値観の中のせめぎあいの中に生きていて残念ながら、あるいは、必然的に、この世代全体を統一するような新たな価値観や、規範などを打ち立てることはできなかったのだと思います。そのため、個人の中でも分裂しているし、個々人の間でも分裂しているだと思います。ただし、こうした分裂こそが、新しい価値観なのかもしれません。もともと、豊かな社会では、大衆などというものは存在せず、経済的にも、規範や価値観などでも、いくつかに分かれるのが当たり前のことです。いままでの日本が特殊だったのだ思います。しかし、それまで集団主義的であった日本人の中に良くも悪くも、個、個人という概念を植えつけることができたという意味で、この世代の働きは大きく、大原麗子さんはまさにその象徴だったと思います。

しかし、これ以前の世代と、この世代との共通点もあます。それは、どんな階層の人でも一時的にしろ、結構長い時期に渡るのかあるいは、程度は別としていわゆる「貧困」を経験しているということです。これは、現在の日本の貧困層などのものとは異なる、自分達の努力や考え方などとは全く別にして、貧困生活を余儀なくされ、その程度もかなりものということで共通点があります。

この世代と話をしていると、個々人によって表現は違うものの、でてくるのは「貧困」の話です。大変だった、苦労したという話が必ずでてきます。苦労話をいろいろ語るという特徴があります。これは、その後の時代の世代と異なります。これは、当たり前のことだと思います。この世代が育った時代には、戦争は別にしても、1930年代のアメリカの世界恐慌が尾を引いた時代ですし、しかも、戦争によって日本が焦土化し、誰もが貧困であった時代を経験しています。貧困でなかった人など例外中の例外で、ほんの一握りの運の良い人だけでした。

それ以降の世代では、無論貧困を経験している人もいるでしょうが、その規模と深刻さは、及ぶべくもないと思います。ほんの一握りの人だけが、貧困ではなく、99%もの人が貧困だったということです。

さて、その後の世代は新人類と呼ばれ、それからときを経て、今や新人類という言葉は死語になっています。つまり、団塊の世代と新人類との間には、大きな違いがあったのですが、いわゆる新人類以降の世代と、新人類世代との間には、目だって大きな違いもなくなってきたので、特に区別する必要もないので、死語になったしまったのだと思います。その共通点は、大きくいえば、本当の意味での自分の意思ではどうにもならない貧困をほとんど経験していないということです。

さて、良くも悪くかも、今までは、団塊の世代の価値観が幅を利かせてきました。しかし、時がたつにつれ、いわゆる新人類と新人類より下の世代が増えてきました。団塊の世代と、団塊の世代以下の世代という対比をすると、今や圧倒的に以下の世代が多いわけです。

しかし、今後は団塊の世代の価値観が幅を訊かすような時代は、終焉します。いや、もうすでに終わっているのかもしれません。だからこそ、今回の大原麗子さんが亡くなったことは一つの時代の終焉を象徴しているような気がします。

われわれは、間違いなく、時代の変化の中にいるのです。おそらく、現在は、金融危機の影響の真っ只中にいてそのことが見えにくくなっているだと思います。団塊の世代で個という概念を植えつけられた日本人はどうなるのか、どんな時代になるかは、まだはっきりしませんが、これからは、行き過ぎた個人主義へのぶり返し、反省がくると思います。

多くの日本人が社会に対して目覚めていくと思います。社会という概念と集団という概念は違います。まともな社会は、まともな個人主義が根付いた社会に立脚するものです。集団主義とは、個人主義とは無縁です。それに伴い戦後の誤った個人主義、平等主義、自由主義が廃されて、新しい時代に相応しいことと、その言葉の持つ本来の意味を体現するような、個人主義、平等主義、自由主義が確立されていくのではないかと思います。それと同時に、いわゆる成熟した社会に入っていくのではないかと思います。しかし、忘れてはならないのは、今日私達が、こうした新しい世界への糸口をつかむことができるのも、団塊の世代の多くの価値観のせめぎあいがあったからだということ、まさに、大原さんは、それを象徴する人であることです。

新しい社会のあり方は、現在は顕在化しているものは少ないですが、徐々に目に見えるようになり、これから5年後には顕著になってくるものと思います。そうしたときには、いろいろな価値観や規範が変わり、私達の生活に様々な影響を及ぼしていくものと思います。そうした中では、ビジネスのやり方も変わっていくでしょう。このへんについては、ここで書いていると長くなってしまうので。いずれまた機会を改めて、掲載します。



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久米宏の「新ニッポン人」現る-世代でひとくくりにする愚かさを象徴する低レベル報道

最後のフロンティアであるホーム市場の機会

単独世帯の増加


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2007年3月23日金曜日

団塊の世代と団塊の世代ジュニア(第2次ベビーブーマー)との違い

前回第一次ベビーブーマーである団塊の世代と、そのジュニア世代とには明確な差異があるということを掲載しました。今回はその内容を詳しく掲載します。

現在60歳くらいの団塊の世代が30歳から40歳の人生で最も消費が旺盛な年代だったころとは、今から30年~20年前ということになります。つまり、1977年~1987年ということになります。


この時代は高度成長の余波が続き、経済が順調に伸びて拡大していった時代にあたります。ここからしばらくすると、不況に見舞われいわゆる失われた10年という時代、さらにデフレの時代が続きます。いずれにせよ、マス・生産、マス経済、マスマーケティングが通用した時代であり、小売業ではダイエーやイトーヨーカドーがどんどん業績を伸ばしていた時代にあたります。


この時代のいわゆる団塊の世代の人々の時代は、マス経済の申し子であり、安くて品質の良いものであれば、誰にでも受け入れられる時代だったといえます。この時代だと、たとえば、チラシに目玉商品を入れて販促をすると必ず売れるとか、菓子類なども宣伝をすると売れる時代でした。
上の写真は、堺屋太一氏の30年前の著書です。団塊の世代とは堺屋氏がこの著書で述べてより、日本でよく使われる言葉になりました。


イトーヨーカドーなどでは、変化への対応も重要ではありましたが、いわゆる基本の徹底を行えば確実にモノが売れた時代でした。いわゆる大衆という人々が存在し、大衆向けの商品は確実に売れる時代でした。


ところが、この人々の子供にあたる、団塊の世代ジュニアの時代には、もはやマスの時代ではなく、モノやサービスが充足され、ただ安くて品質が良いだけでは売れない時代に入っていました。ダイエーやイトーヨーカドーの大型店などにかげりが見えてきて、従来のようなやり方では物が売れない時代に入りました。


もはや大衆は存在しない時代となりました。ただモノが売れないだけではなく、大衆が存在しないことから、大衆に対してモノを売っていたのでは、多くの人にそっぽを向かれなかなか買ってもらえない時代に突入したのです。


団塊の世代が30歳だったころには、日本も格差が少ない社会で、日本の景気がよくなれば、全体がよくなりました。しかし、いまでは、景気が回復したからといってすべての人がうるおう時代ではなくなりました。格差社会といわれてから、久しく、景気がよくなってもすべての人が恩恵にあずかれる時代ではなくなったのです。


そのため、私が提唱する日本最後のフロンティアであるホーム関連市場、たとえば、家庭でシステムキッチンであるとか、これに含まれるオーブンレンジなどを使いこなせるようにする商品・サービス群に関しても一昔前の大衆相手のマスマーケティングはまったく成り立たないことになります。では、日本最後のフロンティア市場に関してどのような視点を持てばよいのでしょうか?それに関しては次回掲載します。



2008年8月12日火曜日

中国新人類「80後(バーリン・ホー)研究会」発足-2億人を一緒に語ることはできない?


写真は、西単にある店の様子。西単(シー・ダン)は、天安門から西へタクシーで5分ほど。地下鉄の駅もあるので便利な場所だ。若者が集まるので、北京の渋谷とも例えられる。

中国新人類「80後(バーリン・ホー)」研究会発足

日本でも、80後は最近脚光を浴びつつあります。『財団法人 日本ファッション協会』では、「80後研究会」を設立しました。その趣意を以下に掲載します。

現在の中国市場を牽引しているのは60年代、70年代生まれの富裕層(29~49歳)ですが、中国では次世代新人類が話題を集めています。次代の中国市場は富裕層だけがリードするのではなく、新たに誕生する中流階層が巨大な市場を形成すると言われています。その主役が「一人っ子政策」と「インターネット」により形成された「80後(バーリン・ホ~)」、80~89年生まれ(19~28歳)の若者です。既に、結婚適齢期を迎え、新人類ファミリーを形成しようとしています。

中国で「80後(バーリン・ホ~)」が注目を集めているのは、彼らがそれ以前の世代と全く異なる価値観、嗜好、行動様式を持っており、マーケティング戦略の大転換を余儀なくされているからです。中国の大企業、有名ブランド企業の中で、「80後(バーリン・ホ~)」対策を考えていないところはないでしょう。「80後(バーリン・ホ~)」の人口は約2億人です。

「中国人は派手好き」「中国人は高額品なら良い商品だと思っている」というのは、あくまで70年代生まれ以前の世代の嗜好です。「80後(バーリン・ホ~)」は、彼らを「ダサイ」と切り捨てます。経済的に恵まれ、高学歴で、インターネットの豊富な情報を得ている「80後(バーリン・ホ~)」は、欧米や日本のテイストを自然に受け入れています。

高級ブランドはヨーロッパ企業の独壇場でしたが、「80後(バーリン・ホ~)」により誕生する巨大な中流市場は日本企業の得意分野でもあります。今年の北京オリッピック、2010年の上海万博を経て、中国は大衆消費時代を迎えることが予想されます。また、日本企業の中国市場進出もその時期に本格化することでしょう。

そこで、一足先に、中国の新人類である「80後(バーリン・ホ~)」を研究し、次代の中国市場戦略を共に考えましょう、というのが本研究会の趣旨です。

本研究会は、アジアファッション連合会が主催する、オープンな研究会として、東レ経営研究所「中国ビジネス研究会」主幹の坂口昌章氏の監修のもと、「80 後(バーリン・ホ~)」の中国人女性グループによって運営されます。単なる座学ではなく、リアルな「80後(バーリン・ホ~)」のライフスタイルをビジュアルにご紹介し、双方向の情報交換をしたいと考えています。

2億人を一緒に語ることはできない?

中国全土には、この「80後世代」が実は、2億人いるといわれています。2億人というと、日本の人口よりも多い人数です。この趣旨にも書いてある通り、確かに現在の80後とは従来の中国人とは違った価値観を持っているようです。

それは、間違いのないことだと思います。しかし、この2億人にものぼる人数の中には、さまざまな人がいると思います。個々に嗜好も違えば、学歴も違うし、言語、生活習慣、ライフスタイルも相当違うと思います。ひとつの産業としては、おおぐくりで消費者を捕らえて、商品開発などに生かすことができれば、いろいろなことが容易にできて一見ようにみえます。

日本でも従来までは、その考えで十分やってこられました。大衆というものを想定して、大衆のライフスタイルや嗜好などをとりえて、商品開発などすれば、ヒット商品が続々生まれる時代が確かにありました。特に、団塊の世代がヤングといわれた時代に関してはそうでした。特に、日本ではのこの世代が若い時代には、確かに世界でも稀にみるほど、経済的に平等な時代でした。

そのため、しいて若者を分類しなくても、若者のとひとくくりにしても、商品開発は十分できました。ヒット商品も数多くつくることができました。今から10数年前などは、小物など女子高生(現在の団塊の世代のジュニアにあたる世代)をターゲットにすると、売れるという時代がありました。でも、今では女子高校生自体が多様化したことと、少子高齢化でそのようなことはありません。

しかし、現在ではそんなことはありません。この団塊の世代ですら、ひとくくりにできたのは、団塊の世代という言葉を堺屋太一氏が最初につくった30年ほどまえから、10年~15年くらいのことだと思います。この時代は確かに、この世代の共通点や共通項が多くありました。しかし、同じ世代が今やどうでしょうか?いまや、てんでんばらばらです。それこそ、この団塊の世代にも大衆などというものは存在しません。収入、ライフスタイル、思考様式、嗜好などそれぞれ違うため、ひとくくりにして商品開発などしても売れません。

現在日本の製造業や、小売業の業績が悪いのは、世の中が変わって、もはや存在しない大衆というものを追いかけ、幻の大衆に向かって商品を販売してきたからに他なりません。いまや、同じ団塊の世代といっても、個々によってさまざまです。一人として同じ人はいません。だから、ワン・ツー・ワン・マーケティングなどともいわれいます。ただし、本当に個々人に対してまともに調査などすれば、労力も膨大になり経費倒れになることは明らかです。

'99年春 発売した、女子高生をターゲットとしたタカラトミーの携帯電話「チュチュ」。発想としては、現在の中国「手写筆携帯」と同じであり、最先端を行っていたと思うのだが、ほとんど売れなかった。

だから、ある程度のまとまりは必要です。だからこそ、マーケティングをきちんとやり、自分たちのできることに関してどの程度の人に売れるのか、あるいは売りたい人をはっきり分類することが重要になってくるのです。

この「80後研究会」日本で30年前くらいに、大当たりした、大衆向け商品の開発をすることを旨とするなら、もうその時点で勝敗は決まっています。おそらく、大失敗することでしょう。そうではなくて、自分たちの売りたい人をキチンと特定するなどのことをするなら成功すると思います。

中国の発展は、いわゆる「飛ばし現象」というものがあり、日本などで思われているより、はるかに急激に変化しています。「飛ばし現象」とは、たとえば、電話です。普通の国だと、固定電話が普及した、次に携帯電話が普及するというのが常識のようですが、中国では違います、固定電話を飛ばして、携帯電話がかなり普及しています。

日本では、終戦後の貧しい時代から、高度成長時代に入り、大量生産、大量消費の時代を経てから、価値観やライフスタイルを重んじる層が増えてきて、だんだんに大衆というものの存在がうすれ、ここ、10年ほど前からは、平均的な大衆などはほとんどいなくなりました。そうして、最近のいわゆる格差社会に突入し、いわゆる大衆は完全に姿を消しました。いまや、大衆を想定して、誰にでも売れる商品を作ると、誰にでも売れない商品になってしまいます。ここから抜け出ることができない、メーカーや、小売業が苦戦しています。

中国の場合、いわゆる日本のいわゆる高度成長時代に突入したのと同じ時期に、すでに、格差社会に突入し、最初から大衆などいないといっても良い状態です。食料品でも、安ければそれでよいという、低所得層から、安全に気を使い日本の高い米、野菜、果物を好む高所得層までさまざまです。そんな中で、若者とひとくくりにすると、失敗すると思います。もし、「80後研究会」が失敗するとしたら、このような背景によるものと思います。

今回は、たまたまファッションのことをあげましたが、中国ビジネスで成功しようと思ったら、どの商売でもこうした背景を踏まえて実施すべきだと思います。

この記事には、「団塊の世代」という言葉でてきたので、過去にこの言葉が一言でもでてきた、記事を検索してみました。その結果は以下の反転文字をクリックしてください。当該記事に飛ぶことができます。意外なものもありました。こちらも、是非ごらんになってください。



以下にこのブログに掲載した中国関連の記事を提示します。反転文字をクリックすれば、当該記事に飛ぶことができます。私の説明不足から、以上の論考、以下の記事を読んでいないと理解できない部分もあるかもしれません。まだ、読んでいない方は是非ご覧になってください。

■Lenovoの4月~6月期は65%増益-華やかな五輪の裏でインドの下請けになる道をひたすら走る中国?

■「IOCは中国のネット・アクセス規制を断じて容認しない」とロゲ会長が断言-北京は欧米の陰謀にはまったか?
■IOC、中国は環境問題の約束を果たせると確信-人民の煮えたぎるマグマはどうするのか?
■北京オリンピック開催に向け警戒感高まる-終了後の方が、テロ、暴動が頻発する?
■中国:五輪の祭典が北京市民の生活を圧迫-オリンピック開催後を予感させる連続爆破事件?

■「ちゃいな.COM」中国総局長 伊藤正 「80後」は中国を変えるかは正しくない-正確には「80後」の一部、それも少数派が中国を変える。(お奨め!!中国の80後世代を三つに分類してあります、是非ごらんになってください!!)

■中国で暴動は日常茶飯事-この事態改善されない限り中国はまともにならない!

■貴州省の暴動に見る壊れた中国の実態

■燃えろアタック-排球女将

■中国海軍の日本に対する傍若無人な態度は何を意味するのか?-中国の軍隊は脆弱?

■<北京五輪>空からのテロに備え、地対空ミサイルを配備か-異常行動の中国?

■厳戒のラサで聖火リレー-チベット暴動から3ヶ月-中国の五重苦をどう解消するつもりなのか?

■「おから工事」批判で国家政権転覆罪-確定した中国分裂の筋書き?
■「80後」は車を買うべきか?-世代をひとくくりにする愚かさ?
■中国核爆発か-高まる情報開示の圧力
■自衛隊機の中国派遣見送り、アジア安全保障会議でも話題に―結果的には日本外交の勝利か?

■自衛隊機派遣を見送り、世論配慮の中国側が受け入れ難色-幻の日本軍支援は歴史上の転換点?
■四川大地震:自衛隊機、中国派遣へ・・・政府要請受け入れ―歴史上の転換点になるか?
■自主的に救援活動をする中国の若者たち-80後世代と一つにくくるのは間違い?!

■不可解な中国の報道二題-やらせ義捐金とノーベル平和賞
■中国携帯電話事情-80後世代分類のツールともなるか?

■中国四川省大地震―核施設、ダムは大丈夫か?
■現代史は語る―大地震から始まった中国崩壊の道筋
■中国「イチゴ族」-中国の未来は彼らのもの
■胡錦濤主席の来日-その真の目的は?
■China Fashion week 開催さる-中国ゼリー層にも押し寄せる情報洪水
■ゼリー世代のミーイズム-体制から身を守る知恵か?
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■チャイナ・アート・バブルにも冷めた見方のできる中国ゼリー世代?
■中国分裂の筋書き-(その10)パクスマリーナが拓く世界の平和と大繁栄
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■中国分裂の筋書き-(その8)迫られる中国の選択
■中国分裂の筋書き-(その7)忘れてはいけない中国の不良債権
■中国分裂の筋書き-(その6)現代中国の混乱ぶりを現す動画の数々
■中国分裂の筋書き-(その5)他の人達はどう思っているのか?
■中国分裂の筋書き-(その4)毛沢東を統合の象徴にすることができない中国中央政府の苦悩
■中国分裂の筋書き-(その3)中国バブルの真実
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■世界一人当たりのGDP(国内総生産)と、一人当たり資産−これでも中国は経済大国か?
■南京虐殺記念館に対する日本政府の申し入れに関して考えた、中国のお家事情

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2007年3月25日日曜日

団塊の世代ジュニア・リッチプア層への期待

先回団塊の世代ジュニアのファミリー層で比較的裕福だが、家や車のローン、養育費がかさむので、これよりも経済的に以下の層と似ている層がひよっとするとこれから日本人の価値観全体を具現するような新たな層に生まれ変わる可能性があることを述べました。
























本題に入る前に、言葉の定義づけを行っておきます。そうでないと話をしても、内容が入り組んで分からなくなってしまいます。従来この層に近い層をリッチプア層と呼んでいたことがあるので、ここしばらくは団塊の世代ジュニア・リッチプア層と呼ぶことにします。この世代に属するが経済的に上流の層は団塊の世代ジュニア・リッチ層と呼ぶことにします。同様にこの世代に属するが経済的に下流の層は団塊の世代ジュニア・プア層と呼ぶことにします。(ただし、1~2人程度の子供のいるファミリーということでは共通とします)。

さて、定義づけはさておいて、本題に戻ります。団塊の世代ジュニア・リッチプア層は裕福ではあるが、子育てを行っている、家族と住むための家を確保しているがゆえの住宅ローンなどがあり経費がかさみプア層に近い消費行動をとります。しかし、これは近いというだけで本質は非常に異なっています。リッチプア層は、本質的には豊なのですから、自分があるいは子供達や家族にとって本当に価値が認められるモノやサービスに関しては多少価格が高くても購入します。

プア層ではあれば、そもそも余裕はないわけですから、何でも安く済ませようとします。自ら価値観を認めたものに対する消費はゼロではないものの、相対的にかなり低くなります。リッチ層であれば、それこそ相当余裕があるため、どのようなものでも多少高いくらいなら価値を認めようが認めまいが購入してしまいます。結婚をしない単独生活者も可処分所得は高くなるため、これに近い行動をするでしょう。このようにして、モノやサービスに関してリッチ・プア層は自分や家族にとっての価値観に関して他の層よりもはるかに感覚が研ぎ澄まされていくこととなります。

だからこそ、これらの層が選んだ商品やサービスはただ安いだけとか、ただのブランド品ということではなく、本質的に価値を認めた者だけが判る良質の商品やサービスということになります。だからこそ、長い期間をかけ(彼らが40歳に到達するまでの10年間)のうちには、日本人全体の価値観を変えるような存在になっている可能性が大です。彼らライフスタイルそのものが、日本人全体の価値観を変えるかもしれません。
日本ではこれらの人々を呼ぶ呼称もはっきりしておらず、あまり表だって報道されることもありません。どちらかというと、目立たない存在でプア層に埋没して一般大衆の一部と思われているようです。おそらく、町の中を歩いていても、レストランなどで食事していても、目立たぬ存在であり、プア層も自分達と同じような存在だと思っていることでしょう。リッチ層にも、自分達以外の層の中の一部と映っているでしょう。企業のマーケティングやマーチャンダイジングを担当している人達も気づいていないかもしれません。しかし、この層こそ現在目立たなくても、将来的に日本人の価値観を代表する価値観を持つ人々になる多いなる可能性を秘めています。

欧米などでは、この層に似たような人々の層の呼称がはっきりつけられてます。全く同じではありませんが、似たような層の人々をヨーロッパやアメリカではBobosと呼んでいます。フランスでは、Bobosが子育てに関して高い価値をみいだしたため、少子高齢化に一定の歯止めがかかったとも言われています。冒頭の絵はBobosの典型的なファッションを示したイラストです。2番目の写真は、Bobosを主題としたデビッド・ブルックスの著書の表紙の写真です。さて、次回はBobosも含めて、これらの層のさらなるポテンシャルをひもといていきます。

2008年6月2日月曜日

久米宏の「新ニッポン人」現る-世代でひとくくりにする愚かさを象徴する低レベル報道

久米宏の“新ニッポン人”現わる
1日放送の「久米宏・経済スペシャル “新ニッポン人”現わる」(テレビ東京系列)を放映していました。
団塊60歳
新人類45歳
団塊ジュニア30歳
新ニッポン人20代
新人類ジュニア15歳


“新ニッポン人”とは、上のように20代の人たちのことを番組が独自に命名した。
特徴としては、
 ・酒を飲まない
 ・海外旅行に行かない
 ・マイカーを必要に思わない
 ・遊ぶより貯蓄する
 ・休日も遠くまで出歩かずに、近場を動き回るだけ

2月にマクロミルがとったアンケートと、それに対するお馬鹿ジャーナリストの意見が元になっている
この内容は、どこかで見たような気がするので、確認してみましたが、やはり、マクロミルというところが、2月に行ったアンケートと同じものでした。
http://www.j-cast.com/2008/03/07017535.html
このアンケート、東京・神奈川・埼玉の20代の男女312人に聞いたものです。これだけで、若者を全部代表しているとは思えません。

私は、このアンケートの結果に関して、あるジャーナリストが語り、「かわいそうな若者世代"20代"、酒のまず、車を買わず、貯蓄はは自己投資しないのと同じ」として意見を述べていて、それが、イタイニュースにも掲載されているのを見て、そのあまりのレベルの低さにあいた口がふさがりませんでした。

レベルが低すぎる番組
この番組も、こうしたアンケートなどをもとにして、作成されたのでしょうが、あまりにレベルが低すぎます。あまり期待しないで見ました。そうして、本当にその通りの番組でした。
久米「あれ、みんなで行って、飲みに行ったときは、とりあえずほとんどの人は生ビール頼むんですよ。みんなビールビール、それじゃあビールがガーっと来るでしょ? パーっといっぺんに来るから全部持って『はい乾杯』って始まるんですよ」

ゲストの小倉優子サンがこれに対して「おじさまがたと行くときはそれでいいんですけど、若い子たちで行くときは自分が飲みたいものを頼むんですよ」とゆー趣旨のことを言うと、久米サンが「なんだこの生き物は?」的な目線で小倉サンを見ていました。

私も小倉サンの感覚のほうが普通だと思います。飲みたくもない酒を飲んだって全然おいしくないと思います。しかも自分でカネ出すんやから、自分が飲みたいモンを頼むんは当然だと思います。無論年長者の人がおごってくれるというなら、話は別だと思います。

「なんでそんなに貯金するのか?」という久米宏サンの問いに対して、新ニッポン人の一人は、『大丈夫なの?』と心配してしまう感じでした。今のような時代背景の世の中では、金を貯めるほうが、自然であり、金を使いまくるのは、浪費だと思います。

何か、無理に現在の40歳台若い頃と無理に比較しているようですが、時代背景が違いすぎるもの同士を比較しても無理があると思います。今の20歳台が、過去にタイムスリップして、40歳台の若い頃の時代に行ったら同じような行動をするかもしれません。世の中が不景気なときには、若者に限らず、ほとんどの人が保守的に見える行動をとるというのはごく普通のことで、どの時代にも見られたことです。この番組、時代背景と世代の特徴とを区別しないということで、最初から企画が間違えています。

世代でひとくくりにする愚かさ
この番組非常に低級だと思います。いまどき、世代で輪切りにして、〇〇世代は、などとするのは全くの時代遅れだと思います。これらがあてはまったのは、第二次世界大戦後の20年間だけだと思います。その頃は、終戦後の焼け野が原から多くの人が出発したため、余程の例外は別として、大衆という人々が存在し、大衆の中の若者として論ずることはある程度可能でした。

団塊の世代に関しても、堺屋太一氏が言い出したときには、一つの世代としてくくることは可能だった思います。しかし、くくれたのは、それから10年以内のことであり、現在では、団塊の世代の共通点は、年齢だけです。それ以外はばらばらで、ひとつにくくるのは不可能です。これを一つにくくって、ものごとを考えるのは混乱と誤謬をもたらすだけです。たとえば、私の会社の会長は団塊の世代ですが、この会長と、そのへんの同じ団塊の世代であっても庶民派のオヤジ達にとを同次元でひとつにくくることは不可能です。ひとつにくくれば、混乱と間違いをもたらすだけだと思います。

現代中国や、日本、台湾でも中国80年代に生まれた若者のことを80後(はちじゅぅご)世代として、ひとくくりにしています。しかし、私はこれは間違いだと思います。韓国で聖火リレーのときに暴れていた留学生、頭の悪い単なる馬鹿です。中国でも、心あるまともな若者からは墳青(フンチン)と呼ばれ、忌み嫌われています。あの行動はそう見られても当然だと思います。こういう連中と、清華大学のエリートなどと同次元で語ること自体が大きな間違いです。清華大学のエリートでかつ、裕福な家庭に育った家庭の師弟もしくはこれと同等レベルの層の人とは、おそらく普通のまともな日本人と唯一まともにコミュニケーションを交わせると思います。他の層では残念ながら無理です。育ってきた背景や、物の考え方のコンテクスト(背景)があまりにも違いすぎるからです。私自身は、中国の若者を三分類してものごとを考えるようにしています。これについて、以下にURLを掲載しますので、是非ご覧になっください。

政治経済システムがかなり遅れた中国でさえも、若者を論ずるときに、少なくとも三つくらいに分類しなければ、相当無理が生じます。これが、政治経済システムがある程度成熟した日本では、若者をひとくくりにするのは最初から土台無理なはなしで、極端なことをいうと一人一人全く違うといっても良いくらいです。しかし、やはり、政治経済の問題を考える場合には、いくつかに分類しないといけないと思います。なかなか難しいです。現代中国の若者の分類の方がはるかに簡単です。

久米宏にしろ、この番組の製作者はもうすでに時代から取り残されています。以前話題になった、アッコにおまかせの初音ミク騒動のとも共通点が見られます。さらに、この番組における久米宏、傲慢でさえあると思います。若者から素直に学ぶという姿勢がかけています。私たちは、どんな人からも学ぶことができます。若者を良く知るためには、若者から謙虚に学ぶという姿勢が必要だと思います。若者とコミュニケーションを交わすという姿勢が必要です。しかし、久米は、私は全部知っているみたいな知ったかぶりをしています。自分の考えや、価値観にあわないものは、外れているという調子です。知ったかぶりは、人間の成長を止める、最大のファクターです。知ったかぶりをするようになった人の成長は止まり老化がはじまります。久米宏老化が始まっているようです。

若者として、画一的にひとつにくくることのできる時代は、随分前にとっくに終わっています。このような見方をすれば、商売上であっても、学問上でも混乱と、間違いをもたらすだけです。声無き人の声もくみとる努力が重要だと思います。久米宏やこの番組制作スタッフには、そのような考えはないのだと思います。もともと、マスコミは視聴率を高めるためだけに動きます。今回、「新ニッポン人」というキーワードで物議をかもし、視聴率稼ぎをしようとしたのでしょうが、それにしても番組そのものが低レベル過ぎました。きちんと、マーケティングなどできる人も加えて作成すべきだったでしょう。久米宏には、マーケティングは全く無理だと思います。

上記のようなマスコミの弊害はいまさらという向きもあるかもしれませんが、私が環境問題に関心を持つきっかけとマスコミの弊害を自覚するようになったきっ かけをつくっていただいた恩師の想い出をこのブログのでも掲載しています。以下の反転文字列をクリックしていただければ、ご覧になることができます。

■マスコミで報じられていることを、鵜呑みすることの弊害を教えていただいた恩師の思い出

上記で、中国のことも引き合いにだしましたが、中国の若者世代に関する記事を掲載させていただきます。是非ご覧になってください。

■自主的に救援活動をする中国の若者たち-80後世代と一つにくくるのは間違い?!

■中国携帯電話事情-80後世代分類のツールともなるか?

■中国「イチゴ族」-中国の未来は彼らのもの

■China Fashion week 開催さる-中国ゼリー層にも押し寄せる情報洪水

■ゼリー世代のミーイズム-体制から身を守る知恵か?

■中国ゼリー層-明日の中国を牽引する原動力となるか?

■チャイナ・アート・バブルにも冷めた見方のできる中国ゼリー世代?

この番組のもとともなった、あるジャーナリストの意見に対する私の反論を掲載しているブログは以下からご覧になれます。
■かわいそうな世代"20代"、 酒飲まず、車を買わず、「貯金は自己投資をしないのと同じ」と日本のジャーナリストが語る?

初音ミク騒動にも言及したので、その関係に関するものも下に掲載します。
■「アッコにおまかせ」の初音ミクの報道をどう見るか?-声なき人の声が大声になりつつある

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2007年3月22日木曜日

最後のフロンティアであるホーム市場の機会

さて前回と前々回は別としてここしばらくは、最後のフロンティアであるホーム市場の脅威を掲載してきしまたが、今回は機会になることがらをあげます。

第2次ベビーブーマーが30歳台に

人口の構成比率が団塊の世代に次いで高い第2次ベビーブーマー(団塊の世代ジュニア)が30歳台に入っています。この年代はライフステージの中で最も消費が旺盛な時期(30歳~40歳)に入っています。第2次ベビーブーマーは人口が7,505千人存在しており、これは全人口の5.9%を占めています。今後10年間はこれらの世代の消費力が経済を力強く牽引していくでしょう。グラフをみると明らかなように、2010年には、これらの世代が35歳のピークを形成しています。その時代にはいわゆる団塊の世代は、60歳程度でピークとなっています。

この世代については、かなり期待が持てるものと考えられます。イトーヨーカドーなどの小売業態の新業態「アリオ」など完全にこれらをターゲットとしていると考えられます。高齢化社会といわれて久しく、福祉などに参入する会社が多かったため、現在高齢者向け福祉の業態などは過当競争気味です。

現状では新たなホーム関連市場を狙うためには、これら第2次ベビーブーマーをターゲットとすることが、最も良いことが理解できると思います。

子供一人当たりの養育費の増大
さらに少子化で子どもの数は減っているが、子ども1人あたりの養育費は増大傾向であり、養育費のうち3割は選択的消費に対するものです。特に年収の高い層程養育費が高くなる傾向があります。(厚生労働省の外郭団体「こども未来財団」調査)。先の第2次ベビーブーマーの数の多さと、子供一人あたりの養育費が高まっていることから、第2次ベビーブーマーのファミリー層は完全に狙い目であることがわかります。2007年からは夫婦と子供からなる今まで通常といわれていた世帯より単独世帯が増えいてきますが、単独世帯や高年齢者の世帯よりは、これらファミリー層がもっと良いターゲットであることは、容易に想定できます。

日本の住宅の構造変化


20年くらい前までの大都市の住宅は狭く、海外から「ウサギ小屋」などと揶揄されたものですが、最近の住宅は従来よりは広くなりアメリカのように10人以上のパーティは無理だが、5~6人程度のパーティは十分可能になりました。またダイニングルームにも変化が見られ、新しい住宅では開放感溢れる明るいオープン・キッチンシステム+ダイニング・ルームが主流となってきています。
しかしながら、こうしたダイニングルームの変化に対応して、新たなライフスタイルを提唱する業態は存在せず。リフォームの業者はリフォームだけ、テーブルの業者はテーブルだけ、食材に至っては食材だけをしかもバラバラに販売しており、新たなライフスタイルを提唱するには至っていません。
こうした現実をみるにつけ、最後のフロンティアであるホーム市場での商品の提供方法やサービスの提供方法がおぼろげながら明確になってきます。

さて、いままで提示した事実から、こうした第2次ベビーブーマーに対しての最後のフロンティアであるホーム市場の機会を訴求することは最も効率の良い事業になりうると判断できます。

ただし、一つ忘れてはいけないことがあります。それは、第一次ベビーブーマーである団塊の世代と、そのジュニア世代とには明確な差異があるということです。
これについては次回以降掲載していきます。

2016年3月4日金曜日

【正論】「欲ない、夢ない、やる気ない」……現代日本の最大の危機はこの「3Y」にある 作家・堺屋太一―【私の論評】団塊の世代以上の世代には想像もつかない現代の若者の窮状(゚д゚)!


堺屋太一氏

《「身近な願い」ばかり》

今年2月、奈良県御所市名柄に世界初の郵便庭園が開かれた。

明治初年から昭和までの時代を象徴する郵便切手を大きく拡大、透明な衝立(ついたて)に並べて野外に展示する。これが設けられる「郵便名柄館」の本体は、100年ほど前に開設された木造洋館の旧郵便局を再生した産業遺産である。

郵便名柄館のテープカットをする関係者ら 右から二人目が堺屋太一氏
昨年8月には、ここをあて名として「はがきの名文コンクール」が行われた。テーマは「ひと言の願い」、地元にある一言主神社にちなんだものだ。

これには全国から3万9500余通、5歳から101歳までの人々が応募してくれた。

ところが、応募された「ひと言の願い」はすべて内向き。最も多かったのは「死んだおじいちゃんおばあちゃんに会いたい」の類、次いで「家族の病気を治してください」や「平和な暮らしが続けられますように」である。

そこには将来展望を語り、明日への希望に夢膨らませる類のものはなかった。

「将来はサッカー選手になりたい」とか「宇宙飛行士志望」という少年も、「会社社長の大富豪」や「日本を導く政治家を目指す」という青年もいなかった。

予備審査員40人が探してようやく3通前向きなものが出てきた。「お寺の住職になりたい」という青年と消防士志望の少年、そして「ケーキ屋で近所を喜ばせたい」という少女である。

「はがきの名文コンクール」だけで世の風潮を断じるわけではないが、ここに示された「欲望の低さ」は、あらゆる場面に見られる。

まずは若者の間に広がる物欲の低下だ。20世紀のうちは家族も独身者も「豊かなモノ」に憧れ、衣料を買い込み電気製品をそろえ自動車を買った。中年世帯は分譲住宅を探して展示場を回った。

だが最近は、あえて高級衣料や電気製品をそろえず、必要に応じてレンタルする人々も多い。自動車にしてからが「要るときにレンタルすればよい」という向きも増えている。

1980年代以降に生まれた「ミレニアム(世紀末)世代」は、モノを持つことにステータスを感じないらしい。

《激減した海外への留学生》

第2に、最近の若者には「未来への夢」が乏しい。90年のバブル景気の頃までは、年々経済は成長し、収入は増加した。誰もが「明日は今日よりも豊かだ」と信じて夢を描くことができた。

だが90年以降の日本は経済も人口も頭打ち、よほどの努力と幸運に恵まれない限り、人生を変えるほどの飛躍はない。むしろ予測されるのは意外な転落である。人はみな臆病な心配性になってしまったらしい。

そのせいか、飛躍を夢見て海外に留学をする青少年もめっきり減った。欧米では今や日本からの留学生は「絶滅危惧種」、中国や韓国人の大集団に圧倒されている。

だが何よりの気懸かりは40歳にして一度も結婚を経験していない男性の急増だ。

75年、私は40歳で結婚未経験の男性だったが、当時それはきわめて珍しかった。高校大学の同級生も役所の同期入省者もみな結婚経験者。多くは子持ちである。それだけに結婚を迫る圧力は四方から感じた。
ところが、2015年には40歳の男性の30%以上が結婚未経験者。生涯未婚で終わる男性は20・1%と予想されている。

なぜこれほど40歳男性の未婚が多いのか。その理由が経済的な問題や住宅問題でないのは明らかだ。日本人ははるかに貧しい時代に若くして結婚し、どんどん子を産んでいた。諸外国でも貧しい人々が早期に結婚、若い年頃で出産している。

それがなぜ、最近の日本人に限り40歳になっても結婚しない者が多いのか。

《「3Yない社会」の危機》

この理由は2つ。1つは結婚を強いる社会の機能がなくなったこと、もう1つは若者自身の結婚生活への想像力と決断力が欠如していることだろう。

実際、現在の日本社会の最大の危機は、社会の循環を促す社会構造と若者層の人生想像力の欠如、つまり「やる気なし」である。「欲ない、夢ない、やる気ない」の「3Yない社会」こそ、現代日本の最大の危機である。

16年に入ると、日本をめぐる状況は急に厳しくなった。中国経済の減速と国際原油価格の下落で、経済は混乱し出した。

過激組織「イスラム国」(IS)や北朝鮮の動きも要警戒だ。国内の政治も一見は安定してみえるが、「次」が見えない不安がある。だが、何よりの重大問題は「3Yない」の社会風潮。世の雰囲気である。

今の日本は世界で最も「安心で安全で清潔で正確な国」だ。だがあまりにも安全清潔に徹する規制と厳格な基準の故に、人々の楽しみを奪い、やる気を失わせているのではないか。官僚、教育などの猛省を促したいところである。(さかいや たいち)

【私の論評】団塊の世代以上には想像もつかない現代の若者の窮状(゚д゚)!

何やらこの記事を読んでいると、怒りのようなものが沸々と湧いてきます。堺屋太一氏自身は、上の記事で、最後に「今の日本は世界で最も「安心で安全で清潔で正確な国」だ。だがあまりにも安全清潔に徹する規制と厳格な基準の故に、人々の楽しみを奪い、やる気を失わせているのではないか。官僚、教育などの猛省を促したいところである」と結んでおり、今の風潮を批判する立場でこの記事を書いています。

堺屋太一氏といえば、『団塊の世代』という近未来小説を今から40年ほど前に書かれています。団塊の世代(だんかいのせだい)とは、日本において、第一次ベビーブームが起きた時期に生まれた世代のことをいいます。第二次世界大戦直後の1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)に生まれて、文化的な面や思想的な面で共通している戦後世代のことです。
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第一次ベビーブーム世代とも呼ばれる彼らは、日本経済においては第二次世界大戦後の高度経済成長、バブル景気と失われた20年開始までの時代を共に経験しています。

堺屋太一氏の『団塊の世代』に関して、年齢のギャップによる軋轢などが掲載されていますが、失われた20年に関しては、予測不能だったのか、掲載されていません。確かに、これほど酷い停滞をすることなど当時は、全く予想できなかったのだと思います。

そうして、私はこの予想つかなかった、経済的な大停滞が、今の若者の「欲ない、夢ない、やる気ない」という3Yを生み出しているのではないかと思います。

堺屋太一氏は、40歳男性の未婚が多いことの理由が経済的な問題や住宅問題でないのは明らかだとしています。そうして、「日本人ははるかに貧しい時代に若くして結婚し、どんどん子を産んでいた。諸外国でも貧しい人々が早期に結婚、若い年頃で出産している」としています。

しかしながら、1970年〜1980年あたりには豊かな国と言われていた日本です、その後に日本に生まれた若者にとっては、この状態が貧乏でもなく、豊かでもなく、それが当たり前です。昔の日本が貧乏だったことや、諸外国にはとてつもなく貧乏な人がいることなど、彼らにとっては、人ごとに過ぎす、自分たちと比較して考えることもすらおぼつかないと思います。

それに、人はたとえ貧乏だったにしても、経済が良くなるとか、いずれ自分の給料が上がるとか思えると、将来に希望が持てますが、その見込みがなければ、ある程度豊かであっても、将来に希望はなかなかもてません。

日本もかつては、アメリカや他の先進国と同様に、会社に入って、同じ地位についていたとしても、緩やかなインフレだったので、1、2年では対して変わらないように見えても、20年もたつと、物価はかなりあがり、給料は倍近くなるというのが当たり前でした。経済が緩やかにでも成長していれば、そうなります。

しかし、デフレでは、そのようなことはありません。ジリジリと物価は下がり続けるのですが、給料も下がっていきます。そんな状況では、人々は将来に希望など持てなくなり、防御一辺倒になり、節約に走るのが当たり前です。

諸外国の貧しい人々が、早期に結婚して、若い年頃で出産するのは、当然といえば当然です。彼らの多くはあまりに貧困で、娯楽というなどというものはほとんどなく、唯一セックスだけが手軽な娯楽であり、その結果として、早く結婚して、早く出産ということになります。

発展途上国の子沢山

これと、先進国の若者を単純に比較するのは間違いです。それに、団塊の世代が若い時代には、すでに日本は豊かな国になっていたことを考え合わせると、団塊の世代と現在の若者が置かれている環境の差異に着目する必要があると思います。

そうして、現状の経済の状況をみてみると、昨年10-12月期のGDPはマイナスで、これは明らかに8%増税の悪影響であることは明らかです。消費税増税の影響は一時的であって、増税から1年以上経っても影響があるとは考えられないと考えるむきもありますが、こういう人は、消費税率8%の負担が永続的にかかり続けるという事実を忘れているのだと思います。加えて、わが国の場合、2017年4月から10%への消費税再増税が予定されている。多少所得が増えたとしても、2017年4月に増税が予定されているのだから、家計の財布の紐が緩まないのは当然とも言えます。

このような環境に置かれている、若者が、「欲ない、夢ない、やる気ない」の3Yになるのは、無理もないことだと思います。

そうして、最近の経済状況は確かに悪いのですが、過去を振り返ると現在の状況は過去よりははるかに良いです。日本は、1997年の消費税増税から、デフレに突入し、古今東西に見たことのないほどデフレが続きました。

最近では、ようやっとデフレから脱却しかかっているのですが、それでもデフレの悪影響は色濃く残っています。

ところで、自殺者数と景気は相関が高いことが知られていますが、この数年間の経済状況の改善と、さらに自殺対策にここ数年経費を増加させていく方針を採用していることもあり最近は自殺者数が減っています。類似の事例はホームレス対策にもいえ、ホームレス数は景気要因に関わらず対策費の増加に合わせて減少しています。

自殺者数の減少については、マクロ(景気)とミクロ(自殺対策関連予算の増加スタンス)の両方が功を奏していると考えられます。

自殺対策関連予算の推移はまとまったデータがないので拾い集めてみると

平成19年 247億円 平成20年 144億円 平成21年 136億 平成22年 140億 平成23年 150億 平成24年 326億 平成25年 340億 平成26年 361億 となってます。

以下に、失業率と自殺者数の推移のグラフを掲載しておきます。


日本がデフレに突入した、97年あたりからそれまで、2万台であった自殺者数が、一挙に3万人台になっています。このグラフをみただけでも、経済政策の失敗は自殺者数を増やすということがいえそうです。

さて、ここで、一冊の書籍を紹介させて頂きたいと思います。

経済政策で人は死ぬか?: 公衆衛生学から見た不況対策


この書籍には、経済政策と死者数と間の相関を調べた内容が記載されています。

さて、日本では、現在アベノミクスの是非が話題になっています。世界中どこでも、不況に陥ると経済政策をどのようにするべきか、議論されます。しかし、結局のところ、どのような政策がいいのでしょう。そして、その決断を、イデオロギーや経済理論だけを頼りに行って、本当に良いのでしょうか。

世界規模の不況に陥ったとき、国ごとに経済政策は異なり、それによって国民の運命も異なる方向に動かされてきました。公衆衛生学者と疫学者である本書の著者は、そのことを利用して政策の優劣を比較しました。つまり、過去の各国の政策選択とその結果のデータを、世界恐慌からソ連崩壊後の不況、アジア通貨危機、そしてサブプライム危機後の大不況まで調査し、比較したのです。

比較の指標は、国民の生死です。政策の違いによって、国の死者数は増えたのか減ったのか、健康状態や平均寿命などがどう変化したかを比較しました。経済政策は、国の借金返済や構造改革、景気刺激など、さまざまな目的で行われますが、そもそも国民に死を強いるようでは元も子もありません。結果はどうだったのでしょうか。

著者らの研究によれば、不況下で危険な「緊縮政策」を選択した影響で増加する死亡数は、まさに驚くべきものです。最も悲惨なのは、ソ連崩壊後のロシアで、1990年代に経済政策の失敗により数百万人の男性が死んだ(主に自殺とアルコール関連の死亡)と考えられるといいます。


アジア通貨危機後にIMFに緊縮財政を強いられたタイでは、感染症対策支出を削らされたせいで、感染症による死亡率が大幅に上昇しました。現在、緊縮財政をとっているギリシャでは、これも対策費の削減によりHIV感染が拡大しているほか、医療費カットで医療制度が崩壊し国民の健康状態はひどく悪化しています。

著者たちは次のように述べています。
民主的な選択は、裏づけのある政策とそうでない政策を見分けることから始まる。特に国民の生死にかかわるようなリスクの高い政策選択においては、判断をイデオロギーや信念に委ねてはいけない。…正しくかつわかりやすいデータや証拠が国民に示されていないなら、予算編成にしても経済政策にしても、国民は政治家に判断を委ねることができない。その意味で、わたしたちはこの本が民主化への第一歩となることを願っている。
私は、本書をきっかけに、政策論争がイデオロギーを離れ、経済理論だけではなく、現実のデータに基づいたものになることを願っています。

この書籍の示すデーターなどからも、日本のデフレ下における増税(緊縮財政)は、やはり自殺者を増やしたものと思います。

そうして、ここにさらにショッキングな若者のデータがあります。


日本の年間自殺者は全体的に減少傾向にあります。’98年以降、14年連続で3万人を超えていたその数は、’12年から3年連続で3万人を割り、警察庁によると’14年は2万5218人でした。その後も2万人台です。

しかし、若年層の自殺は深刻な状況にあると言ってよいです。15~39歳の死亡原因の第1位は自殺でした(男女別では男性15~44歳、女性15~34歳で1位)。

G7で15~34歳の死因の1位が自殺というのは日本だけです(上のグラフ参照)。死亡率はアメリカやフランス、カナダの約2倍、ドイツやイギリスの約3倍、イタリアの約4倍となっています。

私自身は、会社で人事を担当していたこともありますから、その時々の若者と話をする機会も多いです。そうして、ここ数年特に大学生などの若者が置かれている立場が、私達の頃と比較してさえ、ひどい状況にあることが見て取れます。

おそらく、生まれてから一度も景気が良かったことがなく、デフレ・スパイラルの泥沼に沈み込んでいた時代の若者については、団塊の世代以上の人たちには、想像もつかないと思います。まずは、親の収入が従来よりも減っているのは統計上からも明らかですし、まだデフレから脱却していないので、これからあがるということもなかなか期待できないです。

団塊の世代以上の人々の中には、「我々の子ども時代や若い時代は貧乏だった」と語る人もいると思います。しかし、団塊の世代以上の人たちの頃のように、経済が伸びていたり、少なくともデフレでなければ、多くの人々は将来に夢を託すことができます。しかし、デフレであれば、ある程度豊かであったにしても、その豊かさがいつまで続くのか疑心暗鬼になるのか当たり前です。

それが、今の若者を直撃しています。仕送りなども従来から比較すると低くなっていますし、バイトも昔のように恵まれていません。そのせいですか、奨学金という名の実質上の就学ローンがかなりの額になります。大学や、大学院を卒業したとたん数百万の借金という人など珍しくもありません。

そうして、今の若者は、生まれて物心ついてからこのかた、一度もデフレでなかった時代を過ごしたことがありません。こんなことは、おそらく、古今東西はじめてのことではないでしょうか。景気は、循環するのが当たり前なのに、今の若者はもの心ついてから一度も景気の良い時代を経験したことがありません。

「モノを持つことにステータスを感じない」のではなく、そもそも「モノ持つ」余裕がないのです。実際は買えるのかもしれませんが、そうした心の余裕が持てないのです。団塊の世代が若いときや、少なくとも我々が若い時代までの頃には、若者が法外な価格の車を購入するのは珍しいことでもなんでもありませんでした。高い車を購入しても、それを転売して、新しい車に変えたり、そうしていずれ賃金も上がるので、返済することも可能でした。

「未来への夢」が乏しいのではなく、そもそも、「若者を取り囲む社会が未来に乏しくなった」のです。過去の酷いデフレ状況では、日本に10の大きな問題があったとして、何か一つ解決すると、他にしわ寄せが行くだけで、何の解決にもなりませんでした。

もし、デフレから完璧に脱却さえすれば、10の大きな問題のうち6つくらいは自動的に解消されます。そうして、残りの4つも目星はつけられることになります。しかし、過去はデフレだったため、結局八方塞がりでした。こんな社会で若者が「未来への夢」を持てといっても、土台無理です。この理不尽な社会に、防御を固めるだけです。

実際私の知っている、ある若者は、札幌の大学で親から離れて4年間を過ごしたにもかかわらず、一度もすすきの飲みに行ったことがないという、にわかには信じがたいことを語っていました。学生と飲みは、切っても切り離せないものですが、彼は近所の飲み屋に行ったことはあったそうですが、それも稀で、飲むのは、自宅アパートでの家飲みがほとんどだったそうです。

すすきの交差点
そうして、これまた信じられないのですが、車はもちろん持たず、飲みにも行かず、親からはある程度仕送りをしてもらい、学費と生活費はなんとかなっていたのですが、バイトもしていて、なんとそのバイトでの給料を貯金したそうです。そうして、4年間で少なくとも数百万以上の貯蓄をしていたそうです。

彼自身は、比較的裕福な家庭の出身のようですが、まわりの友人などが深刻な状況であれば、自分独りだけ遊んだり、楽しんだりすることもできず、将来には不安もあるということで、こういうことになってしまったのだと思います。

「40歳にして一度も結婚を経験していない男性の急増」これも、なんとなく理解できます。結婚するにしても、ある程度お金がかかります。さらに、最初は共稼ぎできたとしても、子どもができれば、共稼ぎはなかなかできず、男性にある程度稼ぎがないと生活がなりたちません。仮に、成り立つとしても、それがいつまで続くかなど保証の限りではありません。そうなれば、結婚に二の足を踏むのは当然のことです。

それに先ほどの若者のように、車を持たない、飲みにも行かないし、そもそもあまり外出しないということでは、女の子と知り合う機会もないではありませんか。

以上のようなことから、私は堺屋太一氏を含めた、団塊の世代以上の人たちが思っている以上に現在若者がおかれている環境は厳しいものがあると思います。

若者にもっと優しい社会を!

最近このブログては、安倍総理が増税を見送るかもしれないということを掲載しています。8%増税でも酷い結果を招いていまいました、10%増税など予定通りに行われてしまえば、とんでもない結果を招いてしまいます。若者の自殺者がさらに増えてしまうことになるかもしれません。

今一度言います。増税は緊縮財政です。そうして、先ほども述べたように、不況に陥った際に緊縮財政によって死者数が増えていた国々が多数あります。かつての日本もそうでした。

そうして、堺屋太一氏の主張する現代日本の最大の危機はこの若者の「3Y」にあり、これを取り除くためには、緊縮財政ではなく、当面積極財政を行うべきです。

そのためには、10%増税は完全デフレ脱却まで、絶対にしないことと、減税、給付金、公共工事など、積極財政をすべきです。

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2007年9月18日火曜日

今日は何があった日かご存知ですか?














上はカップヌードル販売開始35周年記念のポスター。日清では、販売開始35周年を記念してさまざまなキャンペーンを実施している。

1971年の本日(9月18日)は、日清のカップヌードルが、それまでの試験販売ではなく、本格的に販売開始された日です。新宿伊勢丹を皮切りに、銀座三越、松屋などで本格的に発売開始となり、普及していきました。この商品は大ヒットし、私も1971年の暮れあたりには、初めて食べたことを覚えています。当時は百円で販売されたそうです。確か、このすぐ後に、「カップライス」なる商品も開発され、市場に投入されたのを覚えています。最初は白米だけ、その後には赤飯も販売されたという、記憶があるのですが、これはもう早い時期に姿を消してしまいました。開発の苦労話や、海外展開の話など、カップヌードルの歴史に関しては、http://cupnoodle.jp/をご覧ください。

今考えると、この頃は1960年代で日本の高度経済発展の基礎は築かれ、ほとんどすべての産業が右肩上がりで伸びていくのが当たり前の時代に突入した時期です。現在いわゆる団塊の世代の言われる人たちが、働き盛りの30歳台の時期にあたります。物価、収入、株価すべてが右肩上がりになり、土地神話が生まれた時代の幕開けです。最近ある団塊の世代の方から、「いつまでも自分たちが世の中の中心だと思っていてはいけない」などといわれ「?」と思いました。私は生まれてこの方自分たち(自分の世代という意味で)が、世の中の中心などと思ったことは一度もありません。おそらく、現代の若者たちもそうではないでしょうか?団塊の世代の人達は、人口そのものも最も多く、まさにこのような時期に働き盛りであり、経済の担い手、大量消費の牽引役となったため、自他ともに「世の中の中心の世代」と認められたのだと思います。

そのような時代背景の中にあって、日清のカップヌードルはまさに、象徴的な商品だったと思います。大量生産、大量消費の象徴であり、何でもより手軽に、衛生的に、より簡単に、手早く欲求を満たすことができる商品の興隆の始まりです。いわゆる大衆の文化が興隆した時代です。この頃マクドナルドのハンバーガーも1971年7月20日、1号店である銀座店を銀座三越店内に開店していました。マクドナルドは、アメリカからの輸入でしたが、カップヌードルは、日本人の手により開発されたものであり、日本独自のものであり、まさに日本が大量生産・大量消費の時代に突入したことを象徴する商品でした。さらに、大量生産・消費の権化のような、宅配ピザが日本に上陸したのは、1985年のことです。


あれから、35年時代背景は大きく変わりました。団塊の世代の大量定年退職の時代に突入し。日本では、この間バブルを経験し、空白の10年といわれる、1990年代を経て、さらにはデフレも経験し、もう経済成熟化し土地神話も崩れ、ほとんどすべての産業が右肩上がりですべてがあがり続ける時代は終焉しました。いわゆる大衆という捕らえ方はできなくなりました。大量生産・大量消費の経済から、持続可能な経済ということが、強調される時代へと突入しまた。

左は香里奈によるエコ・カップヌードルのコマーシャルの写真。オリジナルカップと詰め替え用麺がセットになった「カップヌードルリフィル スターターパック」と詰め替え用の麺「カップヌードル リフィル」、「カップヌードルシーフードヌードル リフィル」が3月26日(月)から販売された。残念ながら、まだ全国販売にはなっていないが、サイトでは注文できる。

このような時代背景のもと、日清では今年の3月から再利用が可能なカップと、従来のカップヌードルの中身の麺の詰め替え品(リフィルと称している)の販売を開始した。数年前なら考えられないことです。(左は香里奈による、エコ・カップヌードルのコマーシャルの写真)

今振り返ってみると、日清のカップヌードルは、もうすでに方向性が定まっていた、大量生産・大量消費の消費者レベルでの幕開けの象徴でした。この新製品、もうすでに方向性が定まりつつある「持続可能な経済」への消費者レベルでの幕開けの象徴となるのでしょうか?前にもお伝えしたように、ピザ宅配業界では、ピザテンフォーのみが、紙のピザボックスをなくす活動を行っています。ピザ宅配(現在一般に普及している宅配という意味で)は、先ほども述べたように、大量生産・大量消費の行き着く先に生まれた、権化のようなサービスです。ピザテンフォーの新たな宅配方式は、日清のカップヌードルと同等か、それ以上に「持続可能な経済」への魁か象徴になるかもしれません。

いずれにせよ、日清のエコ・カップヌードル、ピザテンフォーの新たな宅配方式、今後の経済の行方を見定める上で、今後注意深く見守っていく必要があります。

2013年2月27日水曜日

中国、60歳以上が2億人突破へ 総人口の14・8%:―【私の論評】社会の変革を後回しにしたつけが効いてきた中国、習近平はラストエンペラーになる!!【2】

中国、60歳以上が2億人突破へ 総人口の14・8%:

北京日報号外

27日付の中国紙、北京日報によると、政府系シンクタンクの中国社会科学院は、中国の60歳以上の高齢者人口が今年中に2億200万人に達し、総人口に占める割合は14・8%になるとの予測を発表した。今年版の「中国老齢事業発展報告」で明らかにした。

・・・・・・・・・・・・・・<中略>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

報告によると、中国の2012年の高齢者人口は1億9400万人で、総人口に占める割合は14・3%。80歳以上は毎年約100万人増加しており、今年中に2200万人に。生活習慣病を患う高齢者は今年1億人を突破するとの見通しを示した。また、子どもがいない高齢者の家庭は昨年で少なくとも100万世帯に上った。

【私の論評】社会の変革を後回しにしたつけが効いてきた中国、習近平はラストエンペラーになる!!<2>

中国の人口は60歳以上が、2億人を突破することが確実になってきました。中国の老齢化に関しては、このブログにも過去に何回か掲載してきました。日本の場合は、社会がある程度高度化してから、老齢化したので、老齢化は確かに大変なのですが、さらならる生産性の向上などにより何とか出来る見込みはあります。それに、随分前に調べたのですが、65歳の高齢者のうち、介護が必要な人は5%ということで、これは思いのほか少ないです。

それに、中国の60歳台と、日本など先進国の60歳台とには根本的な違いがあります。日本の60歳台で現在最も人口が多いのは、いわゆる団塊の世代と呼ばれる人たちです。

団塊の世代とは、日本において、第一次ベビーブームが起きた時期に生まれた世代、または第二次世界大戦直後に生まれた文化的思想的に共通している世代のことです。第一次ベビーブーム世代とも呼ばれます。第二次世界大戦後の日本の歩み特に経済成長を共にしており、またその突出した人口構成ゆえに良くも悪くも日本社会のありように多大な影響を及ぼしている世代です。

人口論による厳密な定義としては、第一次ベビーブーム時代の1947年から1949年までの3年間に出生した世代を指します。この世代の年間出生数は250万人を超え、3年間の合計は約806万人にのぼります(厚生労働省の統計)。人口面からの分類法であり、堺屋太一によるノジュールの訳語による語源の由来と密接に関係しています。

この層の人たちは、それ以前の人々から比較すると、ライフスタイルもものの考え方も現代人にかなり近く、若いころに、はじめてヤングと呼ばれた世代でもあります。高度経済成長とともに歩み、それまでの日本人から比較すれば、かなり豊かになった時代に育っています。現役時代には、パソコンなども使う時代にあたっており、その意味でも現代の若い世代ともライフ・スタイルも考え方にもあまり違いはなく、相互理解もしやすいです。

iPadを使う日本の高齢者

しかし、中国の60歳台の場合は、日本の団塊の世代とはかなり異なります。若い頃は、日本の団塊の世代などとは異なり、大部分の人が、食事にも窮したような、貧乏な時代を過ごしています。経済的にある程度良くなったのは、中年を過ぎてからなので、考え方、ライフスタイルも今の若い世代とは相当異なります。また、パソコンなども特殊な人を除きつかつたことのない人が大多数です。

このようなことから、日本の60歳台は、知識労働にも馴染んだ人が多いですが、中国ではそうではありません。ほとんどの人が、肉体労働で収入を得た人たちが多く、知識労働などに従事できる人はほんの一握りです。

それに、中国が高齢化で不安なのは、日本のように社会保障がほとんどないことです。生活に窮したとしても、生活保護などあるわけでもなく、医療費も高額ですし、日本人と比較すると、かなり利己的な社会となっていますから、かなり深刻です。日本も決して良い環境とはいえませんが、中国に比較すれば、老人にとっては、別天地です。

にもかかわらず、中国では経済発展のみを優先して、こうした高齢化への対策を怠ってきました。これから、高齢化が進展するにつれて、日本では考えられないほどの社会不安がおこるのは必定です。

そうして、中国では、このような問題に対して対処する気は毛頭ないようです。このような問題を放置しておけば、経済もうまくはいかなくなります。とにかく、貧富の差が大きすぎることを放置しておいて、官僚と一部の企業家だけが、私服を肥やしますます社会不安をつのらせる一方です。

中国は最早若者の国ではない。急速に高齢化が進んでいる。

こうした、高齢化にともない中国では中国独自の特殊事情で最近さらに深刻な問題がおこっています。

中国では、大事に育てた一人っ子に先立たれた家庭(中国語で「失独家庭」)が増え続けており、近い将来に1000万世帯を超える見通しだというのです。夫婦のほとんどは50歳を超えており、失意の中で過ごすという精神面の問題だけでなく、これらの老齢家族の面倒を今後、誰が見るかという新たな問題が浮上しています。これらの人々が、さらに高齢化すれば、中国の高齢化問題はよりいっそう深刻なものになります。

中国が一人っ子政策に踏み切ったのは1979年でした。前年末に天津のある女性労働者(女児1人を持つ)が「もう男の子は欲しがりません」と宣言。これをきっかけに一人っ子政策が国策となり、1980年には「晩婚」「晩生」などを盛り込んだ婚姻法も成立しました。

中国の老夫婦

それから30年余り、多少の緩和策は取られたものの、都市部ではいまだに厳しい一人っ子政策が継続されています。総人口を抑制するにはやむを得ない政策ではあったことも事実ですが、半面でいくつかの重要な問題も引き起こしてきました。

最大の問題は中絶の増加などにより、男女比が極端にアンバランスになってしまったことです。そのほか、戸籍のない子供が多く生まれたり、一人っ子を甘やかした結果、社会常識の欠落した協調性のない人間が増えたりするなどの問題点も指摘されています。

そこに新たに一人っ子に先立たれた家庭の問題が登場してきたわけです。当局によると、こうした家庭は毎年7万6000世帯ずつ増え続けており、近い将来には1000万を超えるといいます。夫婦ともに健在ならば、一人っ子に先立たれた人は2000万人以上になるのです。

高齢化や、人口構成の歪さ、それに経済でバブルが弾けた中国、当面経済発展だけで、なんとか社会を維持させるということにも限界があります。

ラスト・エンペラー習近平

さて、このままでは、中国はまったなしです。このまま社会を放置しておけば、いずれ内乱が起こり、中国共産党中央政府の明日はないでしょう。社会変革をすれば、中国共産党中央政府が、そのまま存続することはなく、まったく別物になるしかありません。そうして、習近平は、時間稼ぎのために、これからも、人民の目をそらすため、反日政策を更に強化せざるをえません。日本側がどうしようにも、中国のこの体制が変わらない限り、日中間系は悪化する一方です。いずれにせよ、10年以内に結論を出さざるをえない状況に中国共産党中央政府が追い込まれていることは間違いありません。そう思うのは、私だけでしょうか? 皆さんは、どう思われますか?

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2007年4月3日火曜日

POBOBO-ポボボって何?!











上の写真2枚は、フランスの典型的なボボズのお嬢さんです。なんとなく、最近の日本の若者ファッションと似ていますね。日本がフランスの影響を受けているのか、フランスが日本の影響を受けているのか、その両方かもしれません。2枚目はブラウズはボヘミアの民族衣装風です。やはりボヘミアンの影響は大きいようです。
さて、いままで、BOBOsとか、団塊の世代ジュニアなど掲載してきました。団塊の世代ジュニア・リッチプア層は欧米でBOBOsといわれている人々と同様、日本の消費や、文化、その他トレンドに大きな影響を与えると思います。もはや単なる若者や、女子高生などは日本の消費や文化などを検討するには無価値です。団塊の世代ジュニア・リッチプア層こそ、次世代の旗手であり、新たな文化や価値観の創造主だと考えています。 またそうでなければならないと思っています。
私はこの層が日本これから先10年間のマーケティングや、社会、文化に大きな影響を与えることだろうし、事業や商売を実践していく上で最も重要なセグメントであると考えます。 この層は、比較的裕福であるにもかかわらず、家や車のローンや養育費が膨大であるため、一見プア層と変わりのない、消費行動をしていますが、事実は違う。彼らは、自ら価値観を求めたものやサービスに対しては出費は惜しまないが、層でないものに対して極力出費を抑える。この層に対する、商品やサービスは意外と、目立たない。というよりも、意図して意識して提供する努力がなされていない。目立たぬがゆえに、プア層と同じ感覚でマーケティングをするという誤った認識でモノやサービスが提供されている。だからこそすべての産業で変革が必要だ。

ここでこの長ったらしい「団塊の世代ジュニア・リッチプア層」に大して命名をしたいと思います。
それは、
   POBOBO(ポボボ)です。

  POOR(プア):貧乏な
  BOURGEOISIE:ブルジョアジー
  BOHEMIAN:ボヘミアン

以上の三つの単語かの頭から二文字をとった造語です。さて言葉の定義は終了しました。この次からは、皆さんをPOBOBOを知るための旅にいざないます。
この言葉は私が考えた全くのオリジナルです。インターネットでも調べてみましだか、私の定義でこのPOBOBO使っている例は全世界でどこにもありませんでした。もしあったら、教えてください。


2008年4月29日火曜日

中国ゼリー層-明日の中国を牽引する原動力となるか?

中国文壇のゼリー世代
中国文学の世界では、80後(はちじゅうご)は、中国の1980年代生まれの作家たちをさします。改革・開放時代に生まれ「1人っ子政策」で育った彼らは、同世代以下の若者たちから圧倒的な支持を得ています。80後世代は、日本から輸入された、ゼリーを食べて育った世代ということで「ゼリー世代」とも呼ばれています。

24歳の郭敬明は女子中高生たちのカリスマ的存在で、青春期の友情や愛、痛み、鬱積、憤怒をテーマにしながらも「1人っ子世代」特有の孤独感がにじむ作品が人気。新作を出すたびにベストセラーとなり、各地で開かれるサイン会は数千人の熱狂的なファンをいつも集めているといます。

郭敬明

北京在住の25歳の女流作家・張悦然は、「自分の生活に密着した好きなものを気の向くままに書き、それが同世代の共感をよぶことでこの上ない充実感を得ているのであって、社会を変えたり、他人の人生に影響を与えようといった大それた目的などもっていない」と述べています。

張悦然

中国共産党の指導下にある中国作家協会も「80後」の実力を無視することができず、他の代表的「80後」作家ら8人の加入を認めた。同協会の主席・鉄凝も彼らの市場シェアは10%あり、我々は絶えず新陳代謝が必要だと述べ、市場への影響力をもつ若手作家を「体制内」に取り込もうとしています。しかし、80後世代は、それ以前の文壇とは全く価値観が異なるので、体制内に本格的に取り込まれることはないでしょう。

張悦然の明かす「同世代の共感をよぶことでこの上ない充実感を得ているのであって、社会を変えたり、他人の人生に影響を与えようといった大それた目的などもっていない」という言葉の中には、体制派に組み込まれることはなく、中国固有の政治のための文学などもうとう興味がないという意思の表明だと思います。これらの作家達の作品は、たとえ日本語訳したとしても日本人にはほとんど受けないと思います。韓流の域にも達していないと思います。まだまだ、はっきりいって低水準です。しかし、その潜在的可能性は大きいです。

さて、私が以前このブログの中の「中国分裂の筋書」の中で述べたように、2018年に中国が分裂し、新生民主中国(現代中国の指導者およびその流れを汲む指導者が失脚し、民主化、法治国家化、政経分離化が達成され、チベットなどの周辺諸国が分離独立した中国)が出来上がったときに、新たな思想やライフスタイルを提唱するのがこの人たちだと思います。そのときにこれらの世代の真の力量が発揮されるのだと思います。それ以前の人たちには、到底無理でしょう。

後80世代を特徴付けるキーワード
さて、80後に対する中国の国内での評価はどのようなものなのか?以下にその調査結果があります。

【調査概要】
1.調査企画:サーチナ、藤時龍太
2.調査方法:上海サーチナ「新秦調査」上のインターネット・アンケート画面での回答
3.調査対象:上海、北京、広州。各都市20代、30代、40代、男女で均等割付け
4.調査期間:2008年3月10日から2008年3月15日
5.回答者数:300人

中国で80年代以降の世代をさす「80後」というキーワードがあるが、彼らはどのような層なのだろうか? 彼らを形容するのに最もふさわしい言葉を聴いてみたが、最も多かったのは、「ネット世代」で、3割強。広州にいたっては、約50%である。

ただし、月収を使いきってしまうという意味の「月光族」や「わがまま」、「困難にくじけやすい」なども高く、多少の地域差もあるものの、総じてこれらキーワードはどれも「80後」を指すのにふさわしい、ということだろう。

ゼリー層
さて、この80後世代、日本でもマーケティング関連の人々が新たに中国国内の消費を牽引する世代であるとしていますが、私は必ずしもそうではないと思っています。現在中国国内には2億人という数の80後世代がいるとされてますが、これらをひとくくりにすることは、不可能だと思います。なぜなら、日本国内で考えるほど中国の社会は均一ではなく、日本の格差社会どころではない、想像を絶する貧富の差があるからです。私は、現在中国政府の発表するGDPに関しては、ほとんど信頼していません。しかし、鵜呑みにしたとしても、中国の一人あたりのGDPは世界の中では、100位前後です。このような国では、貧富の差がありすぎて、ある世代をひとくくりにすることは不可能です。もともと、一つの世代を団塊の世代などとひとくくりにできたのは、世界の中でも日本だけ、それも戦後の高度成長時代の比較的短い間だけです。

この80後世代のほとんどが、中国人から見るので、思考形態や行動様式が変わって見えるだけであって、日本人などが見れば、大部分がそれ以前の中国人とたいした変わりはしないと思います。従来の思考様式、行動様式の延長戦上から一歩も逸脱せず、ただしインターネットなどで情報収集量が増えただけだと思います。このそれ以前とたいした変わらない若い連中が、その他大勢としてオリンピック聖火リレーなどで、政府に簡単に扇動されて騒いだり、過去には日本大使館に投石したりしているのだと思います。

2億人中の経済的に比較的恵まれた約1/10の2,000万人くらいが、ゼリー世代の中でも日本人からみても、明らかにそれ以前の中国人と思考様式や行動様式が変わっている層か、あるいはその様式にかなり親近感を持つ層と認識できるものと思います。これらの層を私はゼリー層と呼びたいと思います。これ以外のゼリー世代は、日本からは想像もできないほどの貧困にあえいでおり、日々生き抜いていくことで精一杯で、新たな思考や、行動様式などとは無関係だと思います。

ただし、民主中国になってからは、これらの人々は自分で考えたり、新しい創造はできないものの、いろいろな新しい政策や思考や文化などの最初の受け皿になる人々です。こうした、受け皿がなければ、新たな考え方や文化などは普及しないので、そういった意味では重要になってくる人々です。20年後あたりに、この層の中年が「長野の聖火リレーで大暴れしてきた。あのころは若かったら、今ではとってもできませんね」などと述懐しているかもしれません。

これら、2000万人の中さらに1/10程度の200万人の、非常に能力があり、経済的にも恵まれている連中が、将来の新生民主中国の指導層になると思います。これらの、層はあらゆる面で活躍しますが、特に新たな思考様式、行動様式の規範となり、新たな国を築いてくことでしょう。これらが、イギリスでいうところの、ジェントルマンのように数は少ないが、イギリスの大儀、理念などに大きな影響力を持つような層となることでしょう。私たちはこの層に今から、着目していく必要があります。オリンピックの聖火リレーで騒ぐ人たちや、旧態依然とした現代の中国官僚には未来を切り拓いていく力はありません。

以下にこのブログに掲載した中国関連の記事を提示します。反転文字をクリックすれば、当該記事に飛ぶことができます。

■China Fashion Week 開催さる-中国ゼリー層にも押し寄せる情報洪水

■チャイナ・アート・バブルにも冷めた見方のできる中国ゼリー世代?

■中国分裂の筋書き−(その10)パクスマリーナが拓く世界の平和と大繁栄

■中国分裂の筋書き−(その9)日本の対応は?

■中国分裂の筋書き−(その8)迫られる中国の選択

■中国分裂の筋書き−(その7)忘れてはいけない中国の不良債権

■中国分裂の筋書き−(その6)現代中国の混乱ぶりを現す動画の数々

■中国分裂の筋書き−(その5)他の人達はどう思っているのか?

■中国分裂の筋書き−(その4)毛沢東を統合の象徴にすることができない中国中央政府の苦悩

■中国分裂の筋書き−(その3)中国バブルの真実

■中国分裂の筋書−(その2)革命でもなければ現代中国は変わらない

■中国分裂の筋書−(その1)繰り返される歴史

■中国"義歯"から鉛「安全に問題」

■中国産原料を使ったヘパリン製剤で自主回収へ・・・・米国では死者21名

■世界一人当たりのGDP(国内総生産)と、一人当たり資産−これでも中国は経済大国か?

■南京虐殺記念館に対する日本政府の申し入れに関して考えた、中国のお家事情

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特報 米国司法省 IR疑惑で500ドットコムと前CEOを起訴 どうなる岩屋外務大臣―【私の論評】岩屋外務大臣の賄賂疑惑が日本に与える影響と重要性が増した企業の自立したリスク管理

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