習近平 |
中国経済は行き詰まりつつある。その根拠は1人当たり国内総生産(GDP)が1万ドルを超えないという「中所得国の罠」だ。この壁を越えるためには、一部の産油国などを例外とすれば、一定の民主主義が必要だ。英エコノミスト誌の公表している民主主義指数でいえば、少なくとも香港と同程度の「6」以上を要するが、しかし、中国の民主主義指数は「2・3」程度しかない。
中国が、非民主的な専制国家でありながら、1人当たりGDPが1万ドルを長期にわたって突破するのは、これまでの社会科学の理論からみると難しい。そこで、短期的には台湾侵攻など政治的な不満のはけ口を求める懸念もある。
一方、産油国が中所得国の罠の例外になっているのは国内に莫大(ばくだい)な石油資源があるからだ。これと似たような環境としては、海外に中国依存の経済圏を作ることが考えられる。軍事的な侵攻ではなく、経済的に領土を拡大し、その富を中国に吸い上げるというものだ。もちろん中国が軍事的に優位な地域が条件となる。
筆者は中国の一帯一路は、こうした戦略に基づいていると考えている。その結果、中国は世界の覇権を狙っているともいえる。
しかし、一帯一路は、同様に中所得国の罠に陥ったアジアや中東、アフリカの途上国を相手にせざるを得ないが、それらの国を借金漬けにしたあげく、闇金まがいの取り立ても辞さない。こうした形で覇権をうかがう中国に対抗するため、バイデン米政権はジョンソン英首相との会談で経済圏構想を提案した。
中国は、以前からアジアや中東、アフリカの途上国に経済支援を行い、2014年に習氏が一帯一路構想を提唱する前から影響力を強めてきた。15年にはアジアインフラ投資銀行(AIIB)を設立し、金融面で一帯一路構想を後押しした。
しかし、AIIBは、日米の参加が得られず、まだ十分に機能していない。19年末の融資残高は、約23億ドルしかなく、日米主導のアジア開発銀行(ADB)の約1100億ドルに見劣りしている。
アジアや中東、アフリカの途上国では、インフラ整備が不十分なのは事実だ。日米は国内でのインフラ整備を進めるとともに、その力を海外にも活用すべきだ。日米で国内と世界のインフラ整備を提唱していくのがよく、そのための枠組み作りが必要だろう。
中国が中所得国の罠に陥りながら、民主化せずに同じ環境の国を利用してそれを脱しようとすることがそもそも間違いだ。それでは、他の国にも希望はない。長期的な経済発展のためには民主化が必要なので、まずは中国自らが民主化してこの「罠」から脱すべきだ。(内閣官房参与・嘉悦大教授、高橋洋一)
初期コストや投資金を無事に回収し、安定的に利益が出せるかどうかの保証などもありません。植民地ビジネスはリスクが大きく、割に合わないのです。「植民地=収奪」という根拠のない「つくられたイメージ」を一度、捨てるべきです。
教科書や概説書では、植民地経営の成功例ばかりが書かれています。例えば、オランダはインドネシアを支配し、藍やコーヒー、サトウキビなどの商品作物を現地のジャワの住民に作らせ(強制栽培制度)、大きな利益を上げていたというようなことです。
オランダ東インド株式会社に所属していたアムステルダム号 |
では、なぜ、欧米は大きなリスクをとりながらも、植民地化に取り組んだのでしょうか。それは経済的な動機というよりも、思想的な動機が強くあったからでした。
近代ヨーロッパでは、啓蒙思想が普及しました。啓蒙とは「蒙を啓く」つまり無知蒙昧な野蛮状態から救い出す、という意味です。啓蒙は英語でEnlightenment、光を照らす、野蛮の闇に光を照らす、という訳になります。啓蒙思想に基づき、西洋文明を未開の野蛮な地域に導入し、文明化することこそ、ヨーロッパ人の使命とする考えがあったのです。
イギリスのセシル・ローズ(Cecil John Rhodes、1853年~1902年、は南アフリカのケープ植民地首相)などはこうした考え方を持っていた典型的な人物でした。
セシル・ローズ |
ローズは、アングロ・サクソン民族こそが最も優れた人種であり、アングロ・サクソンによって、世界が支配されることが人類の幸福に繋がると考えていました。この独善的考えが、植民地の人々に嫌われたという面は否めないです。
開明化された地域が資本主義市場の一部に組み込まれれば、利益をもたらすという狙いも最終的にはあったかもしれないですが、「文明化への使命」という考え方が割に合わない植民地経営のリスク負担を補っていたのです。
当時のヨーロッパ人は、今日の我々が考える以上に非合理的であり、昔ながらの精神主義に拘泥していたと言ってよいです。
実は、日本の植民地政策にも、このような啓蒙思想を背景とする思想的動機が強くありました。韓国や台湾を植民地化しても、当時の日本に利益など全くありませんでした。元々、極貧状態であった現地に、日本は道路・鉄道・学校・病院・下水道などを建設し、支出が超過するばかりでした。それでも、日本はインフラを整備し、現地を近代化させることを使命と感じていました。
特に、プサンやソウルでは、衛生状態が劣悪で、様々な感染症が蔓延していたため、日本の統治行政は病院の建設など、医療体制の整備に最も力を入れたのです。
李王朝末期頃の韓国 |
日本人はヨーロッパ流の啓蒙思想をいち早く取り入れ、近代化に成功し、今から考えると、何の儲けにもならないことのために、植民地の近代化を前提として、植民地政策を展開しました。
「植民地=収奪」というのはつくられたイメージと言わざるを得ないです。植民地支配によって、我が国は「多大の損害と苦痛」を「与えた」のではなく、「被った」のです。特に経済的にはそうでした。日本の植民は期間も短く、儲けにまでいたったものはありません。