岸田文雄政権の支持率が急落している。岸田政権の前の菅義偉内閣は1年1か月で崩壊した。岸田政権はまもなく1年を迎える。岸田政権は大丈夫なのだろうか。永田町では「政権の存続の指標」と言われる“青木方程式”で分析した。なお、内閣支持率、政党支持率はすべてNHK世論調査による。
“青木の法則”とも呼ばれる「青木方程式」は、自民党の青木幹雄元参院議員会長が経験に基づき提唱したもので、「内閣支持率と政党支持率の合計が50%を下回ると政権は倒れる」という法則だ。
確かに、近年の政権が倒れた時の状況を見ると、青木方程式が当てはまるケースは多い。(表1)
第1次安倍政権以降、8人の首相が誕生しているが、このうち5人の政権は青木方程式が50%を下回り倒れている点を考えれば、青木方程式はある程度は信頼に値すると考えられる。
ただ、福田康夫政権は青木方程式が50%を下回ってから4か月間生き延びたし、麻生太郎政権は月1度の世論調査で4回も青木方程式が50%を下回り、“最悪の自民党政権”と言われた。
菅直人政権は4か月連続で50%を下回った後で倒れ、野田佳彦政権は1年4か月の政権期間のうち、12か月も50%を下回っていたことから、青木方程式は50%を下回ったからと言って、すぐに政権が倒れるというものではない。
一方で、第1次安倍晋三政権以降で青木方程式が50%を下回らなかったのは、安倍政権(第1次から第4次まで)と菅政権だけだが、それでも政権は倒れる。青木方程式が50%を下回っていないから“安泰”というものでもない。
安倍元首相の長期政権を引き継いだ菅政権は、不十分な新型コロナウイルス対策とワクチン接種対応への遅れに加え、衛星放送関連会社「東北新社」に勤務していた長男と総務省幹部らとの接待会食が明らかになったことが“引き金”となり、支持率の低下を招いた。
菅政権を引き継いだ岸田政権は、新型コロナ対策以外の政策に対して不満や批判が多く、加えて、旧統一教会と自民党議員の関係に対する説明不足や対応不足を指摘する声、安倍元首相の「国葬実施」に対する反対意見が支持率低下の原因となっている。
では、岸田政権の支持率と自民党支持率、青木方程式はどのように推移しているのだろうか。
内閣支持率がもっとも高かったのは、22年5月と6月の59%。自民党支持率がもっとも高かったのは、22年2月の41.5%だった。内閣支持率と政党支持率の合計である青木方程式がもっとも高かったのは、22年6月の99.1%だ。(表2)
ただ、福田康夫政権は青木方程式が50%を下回ってから4か月間生き延びたし、麻生太郎政権は月1度の世論調査で4回も青木方程式が50%を下回り、“最悪の自民党政権”と言われた。
菅直人政権は4か月連続で50%を下回った後で倒れ、野田佳彦政権は1年4か月の政権期間のうち、12か月も50%を下回っていたことから、青木方程式は50%を下回ったからと言って、すぐに政権が倒れるというものではない。
一方で、第1次安倍晋三政権以降で青木方程式が50%を下回らなかったのは、安倍政権(第1次から第4次まで)と菅政権だけだが、それでも政権は倒れる。青木方程式が50%を下回っていないから“安泰”というものでもない。
安倍元首相の長期政権を引き継いだ菅政権は、不十分な新型コロナウイルス対策とワクチン接種対応への遅れに加え、衛星放送関連会社「東北新社」に勤務していた長男と総務省幹部らとの接待会食が明らかになったことが“引き金”となり、支持率の低下を招いた。
菅政権を引き継いだ岸田政権は、新型コロナ対策以外の政策に対して不満や批判が多く、加えて、旧統一教会と自民党議員の関係に対する説明不足や対応不足を指摘する声、安倍元首相の「国葬実施」に対する反対意見が支持率低下の原因となっている。
では、岸田政権の支持率と自民党支持率、青木方程式はどのように推移しているのだろうか。
内閣支持率がもっとも高かったのは、22年5月と6月の59%。自民党支持率がもっとも高かったのは、22年2月の41.5%だった。内閣支持率と政党支持率の合計である青木方程式がもっとも高かったのは、22年6月の99.1%だ。(表2)
青木方程式が急落
安倍元首相が銃撃によってお亡くなりになったのは7月8日。その後、7月16日から18日にかけて行われたNHKの7月世論調査では、内閣支持率は59%、自民党支持率は38.1%、青木方程式は97.4%だった。
調査時点ではすでに、安倍元首相を襲撃した犯人と旧統一教会との関連が報道され、さらに、複数の自民党議員と旧統一教会の関連も報道され始めていたことで、自民党支持率は6月世論調査の40.1%から38.4%へ1.7ポイント低下した。
だが、8月調査では自民党議員と関係が大きく広がり、岸田首相や自民党の対応に対する批判が強まった。加えて、安倍元首相の国葬が決まったことへの批判もあり、内閣支持率は7月の59%から一気に46%へ13ポイントも低下し、自民党支持率も38.4%から36.1%に2.3ポイント低下したことで、青木方程式は97.4%から82.1%へと15.3ポイントと大幅低下した。
青木方程式が1か月で15ポイントを超えて低下することは“非常に稀”で、菅政権では一度もなかった。ただ、麻生政権では31.0ポイント低下したケースがある。
そして、直近の9月世論調査では、内閣支持率は46%から40%に6ポイント低下、自民党支持率は36.1%から36.2%に0.1ポイント上昇し、青木方程式は82.1%から76.2%に5.9ポイント低下した。
麻生・菅政権はどうだったか
安倍元首相襲撃事件が引き金となって、自民党議員と旧統一教会との関係、安倍元首相の国葬が内閣支持率、自民党支持率の低下に結び付いたことは明白だ。
とは言え、岸田政権の9月世論調査での青木方程式は76.2%と危機ラインの50%を上回っている。それでも、政権が “安泰”ではないことは前述した。加えて、筆者には何点か気にかかる点がある。
第1次安倍晋三内閣以降、ほとんどの政権が1年程度、長くても約1年半で政権が崩壊している。福田康夫政権は365日、麻生太郎政権は358日、鳩山由紀夫政権は266日、菅直人政権は452日、野田佳彦政権は482日、菅義偉政権は384日といった具合だ。そして、岸田政権は21年10月4日発足なので、まもなく1年を迎える。
そこで、過去の政権の青木方程式を見ると、青木方程式が当てはまった典型例の麻生政権は、青木方程式がもっとも高かったのが発足時の08年9月の85.3%で、この時の内閣支持率は48%で自民党支持率は37.3%だった。
その後、内閣支持率、自民党支持率とも急激に低下し、政権発足の4か月後の09年1月に青木方程式は危機ラインの50%を割り込み、48.4%に低下した。麻生政権の1年1か月の間に青木方程式の50%割れは6か月もあった。(表3)
一方、青木方程式が50%を割り込むことなく倒れた菅政権の青木方程式は20年9月の発足時の102.8%がもっとも高い。この時、内閣支持率は62%。自民党支持率は40.8%で、共にもっとも高かった。
その後、菅政権は支持率を下げ続け、21年9月には内閣支持率が29%と発足時から33ポイントも低下、自民党支持率も33.4%と発足時から7.4ポイント低下し、青木方程式も62.4%と発足時から40.4ポイント低下して最低となった。(表4)
3つの政権の共通
この麻生、菅、岸田の3つの政権の青木方程式には、何の共通項もないように見える。そこで、3つの政権の発足後の青木方程式の動きを1つのグラフにまとめてみた。(表5)
各内閣の青木方程式の水準は違うものの、1つの共通する動きは政権発足から9か月、10か月で青木方程式の数値が低下し始めることだ。この共通項は安倍政権を除く、多くの政権でも見られている。
そして、麻生、菅の両政権では、内閣支持率が自民党支持率を下回ると、青木方程式が大きく低下を始めている。前述のように、岸田内閣の直近9月の内閣支持率は40%、自民党支持率は36.2%と両者はかなり接近している。
さらに、麻生、菅政権とも、政権期間中に青木方程式が前月よりも“7回低下”した後に倒れている。他の政権でも同様の傾向が見られ、どうやら青木方程式の7回の低下というのは、政権にとっては一つの“鬼門”のようだ。現在、岸田政権の青木方程式は“6回低下”している。
このように、岸田政権は(1)10月に発足1年を迎える、(2)政権発足10か月目から青木方程式が低下している、(3)内閣支持率と自民党支持率が接近している、(4)青木方程式が6回低下している―という状況にある。
従って、10月の世論調査で内閣支持率、自民党支持率、そして青木方程式がどのように変化するのかは、岸田政権の存続を占う上で大きな意味を持ちそうだ。
鷲尾 香一(ジャーナリスト)
【私の論評】危機管理能力が欠如した岸総理に対し、自民党保守派には不満が鬱積しており、これが次の政局への原動力に(゚д゚)!
上の記事、青木率の部分は非常に参考になります。その他の部分では、あまり参考にはならないです。ただ、青木率については詳しく分析し、グラフにしていたため、ブログに掲載することになしました。
まず、麻生政権のときの状況はどうだったかといえば、この頃からすでに日銀は金融引締を継続し、政府は緊縮財政を繰り返し、日本はいわゆる「失われた30年」に突入していました。
日本経済はデフレあったにも関わらず、日銀は金融引き締めを行い、政府は緊縮財政を継続していました。そのため、日本経済は低迷するばかりで、これでは自民党の誰が総理大臣になって新たな政権をつくっても、短期で終わったことでしょう。麻生政権崩壊の原因は、これが第一の原因ですし、他の原因もあるかもしれまんせんが、それは大勢に影響はなかったと思います。
これは、その後民主党政権になっても、日銀の金融政策、政府の財政政策は変わりなく、結局民主党政権も崩壊し、安倍政権に変わりました。民主党政権の崩壊も、失われた30年を終わらせるために、金融政策や財政政策を変更しなかったことが原因でしょう。
このことは、十年くらい前までは、なぜかマクロ経済的な考え方が日本では普及していなかったので、このようなことを語ってもほとんど顧みられなかったのですが、多くの心ある経済学者らが、日本でもマクロ経済的な見方を普及してきたので、最近ようやっと理解されるようになってきました。ただ、いまなお政治家の中には、昭和の頭で、経済対策=公共工事だと思いこんでいる古いタイプの政治家も多いようです。
その後、安倍政権になってから、日銀は、黒田総裁により異次元の包括的金融緩和に取り組みました。政府も、積極財政に転じました。そのため、雇用も改善し、経済も良くなりつつありました。これも、以前には理解されなかったのですが、マクロ経済学上では、当たり前すぎる雇用=日銀の金融政策という考え方も随分普及してきたようです。
ただ、さすがの安倍政権でも三党合意を崩すことはできず、2度の消費税増税を実施することになりました。そのため、デフレから完全脱却するには至りませんでしたが、安倍政権は二度にわたり消費税増税を延期したことと、日銀による金融緩和は継続されたので、雇用は劇的に改善されました。
この雇用の劇的な改善は、安倍長期政権の原動力になったことはいうまでもありません。他にも、安倍政権が長期となった原因もあるでしょうが、もし雇用の劇的な改善がなければ、安倍政権は長期政権にはなり得なかったことでしょう。ただ、この考えは、今でも理解されいないようで、特に民主党の議員らは全くこれに対して理解を示してないようです。
二度の増税によってデフレから完全脱却をしていなかった日本は、その後コロナ禍に襲われました。これに対して安倍・菅政権は、両政権において合計で100兆円の真水の経済対策を実施し、他国にはない日本独自の雇用調整助成金も活用して、大型の経済対策を実施して、他国ではコロナ禍によって、失業率が大幅に上昇したにも関わらず、日本では失業率を現在に至るまで、2%台で推移させるという大偉業を達成しました。
これは、大偉業なのであるにもかかわらず、マクロ経済に疎い、野党やマスコミはほとんど評価しませんが、実際に就職などで、雇用の劇的改善したことを身を以て体感した、若い人たちや、就職に関わった学校の先生や、企業の人事に関わった人たちは、これを高く評価しています。無論、市場関係者もこれを好感し、株価なども上がりました。
評価していないのは、野党とマスコミ関係者、リベラル派、左翼などだけだと思います。
菅政権に関しては、このブログでも指摘した通り、ワクチン接種は公約通りに実現し、日本に巣食う、鉄のトライアングル医療版である、尾身会長ですら抗えない医療村の大抵抗にあったために、病床確保には失敗したものの、医療崩壊も起こすことなく、大勢では大成功したと思います。
それに先程指摘したとおりに、失業率も上昇させることはなく、そのため失業が深刻な社会問題にもなることはありませんでした。実際、皆さん、思い返してください、 2008年あたりから見られた、派遣村のような、コロナ派遣村のようなものが設営されたといことは、聴いたことがないです。
無論、相談の受付とか、食料などの援助というものはありましたが、大規模な年越し村のようなものは設営されませんでした。
菅政権が崩壊した理由など後付でいろいろいう人がいますが、私はこれはほとんどが間違いだと思っています。一番の理由は、自民党内で、菅政権の支持率が下がっているので、菅政権では次の選挙では、戦えないという声が巻き起こり、菅総理はもともと一年の短期政権と決まっていたので、総裁選に出ずに自ら政権を終わらせたというのが主な原因だと考えられます。
そもそも、菅政権を続けようという意思があれば、続けられた余地は十分あったと思います。私としては、続けたほうが、岸田政権になるよりは、はるかにまともだったと思いました。そうして、テレビの印象操作などで漠然と菅総理では駄目だなどと考えていた人たちの多くも、今「どうして菅氏に反対したのか」と問われれば、満足に答えられない人も多いのではないかと思います。実際、少し前から、菅前総理の見直しの動きがあるそうです。何を今更という気がします。
ただ菅氏が政権を自ら終わらせることができた背景としては、安倍元総理という、実績もあり最大派閥のトップという強力な政治家が存在していたということが大きいでしょう。誰が次の総理大臣になっても、派閥の均衡が大きく崩れることはないし、政策の大きな変更もないだろうという安心感からか、結局総裁選で岸田氏が勝ち、総理大臣になりました。
ただ、安倍元総理が暗殺された、後の内閣改造は、酷いものでした。露骨な安倍派の排除でした。この内閣改造は、論評にも値しない酷いものでした。
しかも、内閣改造の前には、「統一教会に関係があった人は閣僚から外す」として、旧統一教会と比較的関係が強いとみられていた、安倍派を外す旨を公表しての人事でした。
安倍派という多数派をないがしろにする岸田総理の人事をみて、他派閥も反発を強めたことでしょう。
しかも、内閣改造で頭がパンパンだったとみられる、岸田首相は、中国にミサイルを発射されても、国家安全保障会議 (NSC)を開催しませんでした。
旧統一教会に関しては、厳密な法律の適用や、新たな法律の検討などを飛び越して、憲法や法律に抵触するおそれさえある統一教会排除を宣言し、それこそ、魔女狩りに等しいような批判をした、野党やマスコミの土俵にみずから乗ってしまうようなことをやらかしてしまいました。
この2つのことによって、岸田総理には「危機管理能力」が欠如していることが明らかになりました。これは、歴代内閣の中でも最悪かもしれまません。
そうして、無派閥の議員や、各派閥にも多く存在する保守派の議員は、財務省に近く、親中派でもある宏池会に対して、安倍元首相が亡くなった現在では、何をやらかすかわからないと疑心暗鬼になり反発していることでしょう。
実際、無派閥で保守派の高市早苗経済安保担当相は「FNNプライムライン」で不満を公表しています。
9/26文化人放送局で高市さんと対談。「同意を求めないで」「あまり言わさない」といわれたが、実は「求めて」「言って」ということだった(笑) https://t.co/R9jTuYYjqS
— 高橋洋一(嘉悦大) (@YoichiTakahashi) September 29, 2022
このようなことを、外部に漏らしてしまうということは、自民党内で相当不満が鬱積していることを示しているものと考えられます。そうでなければ、このような発言はできないと思います。
安倍元総理の「国葬儀」までは、こらえてきたのでしょうが、こらえきれなくなって高市氏は、このような発言をしたのでしょう。そうして、これは無論高市氏一人ということではないでしょう。
自民党の大勢は、統一教会関連のことが今後どのように推移していくのかを見守った上で、自民党を毀損しないようにしたうえで、どのように岸田政権を短期政権にするかという方向で政局が動いていくものと思います。
このような動きを理解したうえで、青木率の推移をみていけば、次の政局の動きがみえてくると思います。
ただ、安倍元総理が亡き現在、安倍元総理の政策を継承できる有力政治家は限られています。高市氏や安倍派の幹部たちも残念ながら、今はまだ非力です。
岸田総理は、「国葬儀」で安倍路線を引き継ぐことを約束しましたが、残念ながら先に述べたように、党内政治においても、党外政治や、外交・安全保証に関しても、危機管理能力が欠如していることがはっきりしました。このような人が、総理大臣を長く続けていれば、日本はいつ、どのような危機に見舞われるかわかったものではありません。
自民党には、危機管理を適切に行い、安倍路線引き継ぎつつ、若手を育ている政治家が必要です。ただ、これは一人の政治家では無理だと思います。複数の政治家が協力して、このようなことを実行していくべきです。改めて、安倍元総理の偉大さが理解できます。
そうして、数の力を知る自民党は、今回は、慎重に自民党を毀損しない形で政局をすすめていくでしょう。そのため、現在は自民党内には目立つた岸田おろしの動きはみえていません。
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