インド、中国、ブータンの国境付近のドクラム地区 |
インド、中国、ブータンの国境付近のドクラム地区で中印両軍の対峙(たいじ)が続いた問題をめぐり、中国側が最近、「ドクラム地区は固有の領土」と改めて発言し、軍隊駐留を示唆したことが波紋を広げている。中国軍が付近でトンネル建設に着手したとの報道もあり、インド側は神経をとがらせる。双方「要員の迅速離脱」で合意したはずの対峙だが、対立の火種はくすぶり続けている。
中国国防省の呉謙報道官は11月30日の記者会見で、ドクラム地区をめぐり、「冬には撤退するのが慣例だが、なぜ(部隊が)依然、駐留しているのか」と質問され、「中国の領土であり、われわれはこの原則に従って部隊の展開を決定する」と応じた。
中国国防省の呉謙報道官 |
ドクラム地区はヒマラヤ山脈の一角に位置し、冬は積雪のため部隊配備が困難となる。中国側は現在も軍隊が駐留していることを否定せず、配置を継続させることを示唆した格好だ。
発言にインドメディアは反応し、PTI通信は「中国が軍隊を維持することを示唆」と呉氏の発言を報じた。中国側の動きに敏感になっていることがうかがえる。
ドクラム地区では、中国軍が道路建設に着手したことを契機に6月下旬から中印両軍のにらみ合いが発生。8月28日に「対峙地点での国境要員の迅速な離脱が合意された」と宣言され、事態は収束したかのように見えた。
ドクラム地区に展開する中国人民解放軍 |
ただ、中国側は「パトロールは続ける」(華春瑩・外務省報道官)との意向を示しており、10月に入っても「中国軍はまだ駐在する」とインド紙が報道。インド民放は11月、ドクラム地区付近で中国軍が「6カ所でトンネル工事をしており、兵舎も建設中だ」と報じた。
今夏のにらみ合いは1962年の国境紛争以来、「軍事衝突の恐れが最も高まった」とされたが、いまだ緊張関係が継続している格好だ。印政治評論家のラメシュ・チョプラ氏は「各地で覇権主義を強める中国側が、簡単に引き下がると思えない」と指摘している。
【私の論評】この動きは人民解放軍による尖閣奪取と無関係ではない(゚д゚)!
1962年の中印国境紛争は、高慢なインドが中国の要求をのまなかった代償であるというのが、中国指導部の見方です。しかし、インドにしてみれば、これは半世紀以上にわたって国を苦しめてきた屈辱にほかならないものです。
国際関係において「屈辱」とは、他国の名誉を傷つけ、地位を得ようとする試みを否定することであり、明白なヒエラルキーの構築を意味します。戦争は、相手に屈辱を与える格好のチャンスです。
屈辱が持つ、こうしたインパクトを理解している国があるとすれば、それは他ならぬ中国です。中国国防省がインドに警告を発していた頃、習近平国家主席は香港返還20周年を祝う式典で、こう語りました。英国が1842年に香港を収奪したことによって中国が受けた「屈辱と哀しみ」は、香港が中国に返還されたことで終わったのだ、と。
ナショナリズムをあおるために「屈辱の世紀」という言葉を広く利用してきたのが中国です。1949年の中華人民共和国樹立により、「屈辱の世紀」は終わったことにはなっているのですが、東アジアの大国としての中国の自己イメージはその後、何度も打ち砕かれてきました。とりわけ、戦後日本の高度成長によって受けたショックは大きいものでした。
しかし、中国は自らに対する屈辱は敏感に感じ取るくせに、いかに自らの行いが他国に同様の感情を引き起こしてきたかについては全く鈍感です。1962年の国境紛争で敗北させたことで、旧植民地国のリーダーたらんとしていたインドの野心を徹底的に踏みにじったのです。
中国に辱められた国はインドにとどまらないです。ベトナムには、中国の「屈辱の100年」に相当する「中国支配の1000年」という言葉があります。
一方で自ら屈辱を受けながら、他国にも屈辱を加えた国は中国だけではありません。インドは1962年に中国から辱めを受けましたが、9年後の第3次印パ戦争によって隣国パキスタンに同様の感情を植え付けました。
1947年の独立以降、パキスタンは南アジアでインドと覇権争いを繰り広げており、米国や中国にすり寄ることで存在感を高めようとしていました。同国の野望は、1971年の第3次印パ戦争に敗北して崩れ、これが東パキスタン(現バングラデシュ)の独立につながりました。
これまで述べてきた屈辱の事例に共通するのは、遠くの超大国ではなく、アジアの隣国によって与えられたという点です。これが痛みをとりわけ大きくしています。
アジア全域でナショナリズムが台頭する今、各国指導者が欲しくてたまらないもの、それは自らの政治目標を達成するのに都合のいい歴史解釈です。この技を極めた達人は中国ですが、同様のテクニックはインドも含め各国で見られます。
国際関係において「屈辱」とは、他国の名誉を傷つけ、地位を得ようとする試みを否定することであり、明白なヒエラルキーの構築を意味します。戦争は、相手に屈辱を与える格好のチャンスです。
屈辱が持つ、こうしたインパクトを理解している国があるとすれば、それは他ならぬ中国です。中国国防省がインドに警告を発していた頃、習近平国家主席は香港返還20周年を祝う式典で、こう語りました。英国が1842年に香港を収奪したことによって中国が受けた「屈辱と哀しみ」は、香港が中国に返還されたことで終わったのだ、と。
ナショナリズムをあおるために「屈辱の世紀」という言葉を広く利用してきたのが中国です。1949年の中華人民共和国樹立により、「屈辱の世紀」は終わったことにはなっているのですが、東アジアの大国としての中国の自己イメージはその後、何度も打ち砕かれてきました。とりわけ、戦後日本の高度成長によって受けたショックは大きいものでした。
しかし、中国は自らに対する屈辱は敏感に感じ取るくせに、いかに自らの行いが他国に同様の感情を引き起こしてきたかについては全く鈍感です。1962年の国境紛争で敗北させたことで、旧植民地国のリーダーたらんとしていたインドの野心を徹底的に踏みにじったのです。
中国に辱められた国はインドにとどまらないです。ベトナムには、中国の「屈辱の100年」に相当する「中国支配の1000年」という言葉があります。
一方で自ら屈辱を受けながら、他国にも屈辱を加えた国は中国だけではありません。インドは1962年に中国から辱めを受けましたが、9年後の第3次印パ戦争によって隣国パキスタンに同様の感情を植え付けました。
1947年の独立以降、パキスタンは南アジアでインドと覇権争いを繰り広げており、米国や中国にすり寄ることで存在感を高めようとしていました。同国の野望は、1971年の第3次印パ戦争に敗北して崩れ、これが東パキスタン(現バングラデシュ)の独立につながりました。
これまで述べてきた屈辱の事例に共通するのは、遠くの超大国ではなく、アジアの隣国によって与えられたという点です。これが痛みをとりわけ大きくしています。
アジア全域でナショナリズムが台頭する今、各国指導者が欲しくてたまらないもの、それは自らの政治目標を達成するのに都合のいい歴史解釈です。この技を極めた達人は中国ですが、同様のテクニックはインドも含め各国で見られます。
そうして、この屈辱は、日本も例外ではありません。自らの政治目標を達成するために都合の良い尖閣諸島は中国の固有領土であるという歴史解釈を中国は打ち出しています。そうして、この歴史解釈を習近平も受け継いでいます。
習近平 |
習近平国家主席が軍幹部の非公開会議で沖縄県・尖閣諸島について「(中国の)権益を守る軍事行動」の推進を重視する発言をしていたことが2日、中国軍の内部文献で分かっています。日本の実効支配を打破する狙いのようです。直接的な衝突は慎重に回避する構えのようですが、現在は海警局の巡視船が中心の尖閣周辺海域のパトロールに加え、海軍艦船や空軍機が接近してくる可能性もああります。
文献によると、2月20日に開催された軍の最高指導機関、中央軍事委員会の拡大会議で、同委トップを兼務する習氏は「わが軍は、東シナ海と釣魚島(尖閣諸島の中国名)の権益を守る軍事行動を深く推進した」と述べたとされています。
この発言は、尖閣諸島を自らの固有の領土という都合の良い歴解釈により、国内では日本に与えられた屈辱感を煽り、尖閣諸島付近で示威行動をすることにより、その屈辱感を晴らす行動に出て、中国人民の中国共産党中央政府に対する憤怒のマグマを日本に向けるという習近平の政治目標を露わにしたものです。
しかし、ドクラム高地の対立を見ればわかるように、この戦略は極めてリスキーです。第1次世界大戦が終結した後、欧州は屈辱の遺産を処理するのに失敗し、第2次世界大戦の惨禍を招きました。特に当時のドイツ国民の屈辱感は凄まじいもので、ヒトラーはこれを利用しました。一方で第2次大戦後の欧州は、未曾有のレベルで域内協力を行う枠組みを整え、問題に立ち向かいました。
歴史的屈辱をめぐって煮えたぎる怒りに手がつけられなくなる前に、アジアでも同様の試みがなされるのを願うばかりです。
歴史的屈辱をめぐって煮えたぎる怒りに手がつけられなくなる前に、アジアでも同様の試みがなされるのを願うばかりです。
習近平は、現在人民解放軍を掌握すべく、様々な画策をしていることをこのブログでも掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
【石平のChina Watch】「習近平の兵隊」と化する解放軍…最高指導者の決断一つで戦争に突入できる危険な国になりつつある―【私の論評】国防軍のない中国はアジア最大の不安定要素であり続ける(゚д゚)!
北京で行われた中国共産党大会の開幕式に向かう中国人民解放軍の代表ら=10月 |
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に一部を引用します。
中国の政治・経済・外交の全般を統括する多忙な身でありながら、習氏がわずか10日間で4回にもわたって軍関係活動に参加するのは異様な風景であるが、同5日、中央軍事委員会が全軍に対して通達したという「軍事委員会の主席負責制を全面貫徹させるための意見書」に、習氏の軍に対する特別な思い入れの理由を解くカギがあった。
中国語のニュアンスにおいて、「軍事委員会の主席負責制」とは要するに、「軍事委員会の業務は全責任を持つ主席の専権的決裁下で行われること」の意味合いである。もちろん「主席」は、習氏であるから、この「意見書」は明らかに、中央軍事委員会における習氏一人の独占的決裁権・命令権の制度的確立を狙っているのだ。
「意見書」はその締めくくりの部分で習主席の名前を出して、「われわれは断固として習主席の指揮に服従し、習主席に対して責任を負い、習主席を安心させなければならない」と全軍に呼びかけたが、それはあたかも、解放軍組織を「習主席の軍」だ、と見なしているかのような表現であろう。
中国共産党は今まで、党に対する軍の絶対的服従を強調してきているが、少なくとも鄧小平時代以来、軍事委員会主席本人に対する軍の服従を強調したことはない。しかし今、習主席個人に対する軍の服従は、まさに「主席負責制」として制度化されようとしているのである。このままでは、中国人民解放軍は単なる共産党の「私兵部隊」にとどまらずにして、習主席自身の「私兵部隊」と化していく様子である。
しかし、「軍事委員会の主席負責制を全面貫徹させるための意見書」を全軍に通達したからといって、すぐに習近平が人民解放軍全軍を掌握できるとは限りません。
そうなると、習近平は、軍部を腐敗撲滅で追い詰めるでけではなく、軍部の歓心を買うために、軍部が強力に推進している作戦などをさらに強く進めることを許可するかもしれまんせん。
そうなると、ドクラム地区、南シナ海、尖閣諸島での軍の作戦を強力に推進するかもしれません。先日も、このブログでも述べたように、人民解放軍は他国の国防軍とは違い、現状では、共産党の私兵であり、独自で様々な事業を推進する商社の存在であるということを考えれば、習近平は尖閣諸島の奪取も黙認するかもしれません。
なぜなら、尖閣諸島を奪取すれば、ここは豊富な水産資源があるとともに、それにつらなる東シナ海は石油などの豊富な地下資源が眠っているところだからです。
人民解放軍としては、尖閣を奪取することにより、この利権を入手することも可能です。そうして、習近平がこの利権を人民解放軍が入手することも黙認すれば、習近平に従うようになり、習近平が軍を掌握することができるようになるかもしれません。
一方ドクラム地区は、習近平が推進する広域経済圏構想「一帯一路」の要衝でもあります。習近平としては、この地区での中国の覇権を手中に収めることも重要な政治目標でもあります。尖閣諸諸島とそれに続く東シナ海の覇権を認めることで軍を懐柔して、ドクラム地区および「一対一路」のために必要になる軍事的な存在感を周辺の国々に訴求できるように軍部に働きかけるということも考えられます。
日本の“海軍力”はアジア最強 海外メディアが評価する海自の実力とは―【私の論評】日本は独力で尖閣の中国を撃退できる(゚д゚)!
日本としては、尖閣諸島が日本固有の領土であることを国際社会にこれからも強く訴えるとともに、尖閣諸島はどんなことがあっても守ることを中国に対して強く示していくべきでしょう。曖昧な態度を取り続ければ、南シナ海の環礁を中国が実行支配することになってしまったように、尖閣諸島および東シナ海、あるいは沖縄まで中国に実行支配されることになるかもしれません。
曖昧な態度は良くありません。中国の誤解を招くだけです。寸土の領土も中国には絶対に譲らないという意思を具体的な行動を持って示すべきです。そうして、まかり間違って人民解放軍が尖閣を奪取にきたら、実際に武力で排除すべきです。
それととも、長期的には、第2次大戦後の欧州のように、未曾有のレベルで域内協力を行う枠組みを整え、「屈辱」にかわる新たなアジアの秩序を樹立するために努力すべきです。これは、自国中心にしか物事を考えられない中国には絶対にできないことです。この問題にASEAN諸国、インド、その他のアジアの国々とともに具体的に取り組みリーダー的役割を果たせる国はアジアの中でも日本をおいて他にできる国はありません。
【関連記事】
↑この記事では、世界屈指の戦略家ルトワック氏の日本の尖閣列島への具体的対処法の提言を掲載してあります。