インド・アルナチャルプラデシュ州の中国国境付近で巡回するインド軍兵士(2012年) |
現場は標高約5000メートルの高山地域。インド側は、中国人民解放軍の兵士300人超が侵入しようとしていたのを阻止し、小競り合いになったと主張している。この地域では昨年9月下旬ごろにも衝突が起きた。
中印は複数の係争地を抱える。2020年6月に中国チベット自治区とインド北部ラダック地方の係争地で両軍が衝突した際には、約45年ぶりに死者が出た。一部地域では両軍の撤退が実現したが、依然として緊張が続いている。
インド北東部のアルナチャル・プラデシュ州で9日、棍棒やスタンガンで武装した200人以上の中国軍兵士と「それ以上の何か」で武装したインド軍兵士が衝突したと報じられていました。
インドと中国は2020年に国境が未確定のジャンムー・カシミール州ラダック地域で何度も衝突、中印国境紛争(1962年)以来の大規模衝突に発展する可能性を秘めていたものの、両国の粘り強い交渉で緊張緩和に成功(対立の根本的な原因は解消されていない)していましたが、現地メディアは「インド北東部のアルナチャル・プラデシュ州で9日、棍棒やスタンガンで武装した200人以上の中国軍兵士と『それ以上の何か』で武装したインド軍兵士が衝突して双方に負傷者が出た」と報じていました。
因みに両軍の衝突原因についてインド当局は「前線に沿って配置された一部部隊の変更に伴い、中国軍側が自軍の優位性を見せつけようとしたため」と述べていますが、棍棒やスタンガンを「上回る何か」が何なのか気になるところです。
中印両国は昨年2月、ヒマラヤ西部の国境紛争地の一部からの軍の引き揚げで合意しましたが、その後の撤退交渉は停滞し、むしろ軍拡の動きが強まっていました。同年6月28日付ブルームバーグによれば、インドは同年6月までの数カ月間に部隊と戦闘機中隊を中国との国境沿いの3地域に移動させたといいます。
インド側の軍事力増強は中国側の動きに触発された可能性があります。インドによれば、中国人民解放軍は当時、係争地の監視を担当する軍管区にチベットから追加兵力の配備を行うとともに、新滑走路や戦闘機を収容するための防爆バンカーを整備し、長距離砲や戦車、ロケット部隊、戦闘機などを追加投入しているとされていました。
中国はなぜ急速に軍拡を進めたのでしょうか。一昨年の両国の衝突で中国側の犠牲者は、インド軍の20人を上回る45人だったとの情報があります(中国政府の公式発表4人)。一連の戦闘でも軍事力に劣るインド軍が終始優勢だったとの観測もあります。中国側に「捲土重来」を果たさなくてはならない事情があったのかもしれません。
国境に配備された両軍の兵士は昨年時点で約20万人で、一昨年に比べて40%あまり増加したといわれています。このような両軍の軍拡の状況について、インドの軍事専門家は「国境管理の手順が壊れた現在の状態で両国が多くの兵士を配備するのはリスクが大きい。現地での小さな出来事が不測の事態を招く可能性がある」と危惧の念を隠していませんでした。
軍拡の動きはヒマラヤ西部ばかりではありません。チベットに隣接するヒマラヤ東部で中印両国は、軍隊の迅速かつ大量輸送が可能となる鉄道の建設に躍起になっています。中国は昨年7月1日、四川省とラサをつなぐ鉄道(川蔵鉄道)の一部区間を開通させました。これにより軍隊の移動が容易になりますが、この鉄道はインドのアルナチャルプラデシュ州との国境沿いを走っているため、インド側の警戒は尋常ではないといいます。
インドも対抗上、アルナチャルプラデシュ州と西ベンガル地区とを結ぶ鉄道を建設中です。難工事であることから完成時期は何度も延期されていますが、2023年はじめまでになんとしてでも完成したいとしています。緊張の高まりを受けて、インドが主導する形で両国間の外交交渉が始まっていました。
インドのジャイシャンカル外相は昨年7月14日、中国の王毅外相と会談し、「両国が昨年の合意にもかかわらず、ヒマラヤ山脈西部の国境紛争地帯での対立が解決できていないのはどちらにとっても利益にならない」との見解を示しました。インド国防省は7月末に「チベット地域における自国軍と中国軍との間にホットラインを設置した」と発表しました。
しかしインドの専門家は「中国はインドとの軍事衝突を利用して国民の不満をかわす可能性がある。ワンマン支配となった中国との平和的共存はない」と悲観的です。このように中印間でかつてない規模の軍事衝突が起きるリスクが高まっている最中で、今回の両軍が衝突したのです。
地政学車のブラーマ・チェラニー氏は、昨年中印国境から目を離すなと警告していました。
2020年6月15日の両国軍の衝突は、一連の小競り合いの中で最も血なまぐさいものでした。当時、インドは世界で最も厳しい新型コロナウイルス対策の都市封鎖に気をとられていました。中国はそのすきを突くようにインド北部、ラダック地方の国境地域に侵入し、強固な要塞を建設しました。
この予想外の侵入は中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席による巧妙な計画ではなかったようです。中国は楽勝するどころか、中印関係をどん底に突き落としました。国境危機によりインドの大規模な軍備増強を不可避にしました。
20年6月の衝突は残忍さでも際立っていました。96年の2国間協定により両国の兵士が国境地帯で銃を使うことが禁止されたことから、中国人兵士は有刺鉄線を巻いた棒などを使い、インド軍のパトロールに攻撃しました。インド兵の一部は殴り殺され、崖から川に突き落とされた兵士もいました。その後インド側の援軍が到着し、中国部隊と激しい戦いを繰り広げました。
数時間の戦闘の後、インドは死亡した兵士20人を殉職者としてたたえましたが、中国はいまだに死者数を公表していません。米情報機関は35人、ロシアの政府系タス通信は45人と推定しています。
国境危機はインドのイメージ失墜にもつながりました。インドは中国軍に不意を突かれ、一部の中国人兵士が領土の奥深くまで侵入することを許したのに何の調査も行いませんでした。インドの国防支出は米国、中国に次いで世界第3位で、陸軍がかなりの部分を占めています。しかしインド陸軍は長年、中国とパキスタンの国境を越えた行動に何度も不覚をとってきました。
中国軍は、氷が溶けて進入路が再開される直前に危険地帯に侵入しました。ところがインド軍は、中国が国境付近で軍事活動を活発化させている兆候を無視しました。この大失態にもかかわらず、インド軍の司令官は誰ひとり解任されませんでした。さらに悪いことに、モディ首相はここ2年間、軍事危機について沈黙しています。
中国は占領したいくつかの陣地から撤退する一方、他の占領地を恒久的な軍事拠点に変えています。習氏が狙っているのは東シナ海や南シナ海と同様、軍事力で威圧をすることにより、戦わずしてインドに勝利することです。世界最大の民主国家であるインドは、民主主義と専制主義の戦いの最前線にいます。中国がインドを威圧して服従させることができれば、世界最大の専制国家がアジアで覇権を握ることになりかねません。
膠着の陰で事態は進展しています。中国は引き続きヒマラヤ地方の勢力図を塗り替えようと、国境地域に624の村落を建設したのです。南シナ海で要塞のような人工島を造る戦略に似ています。
インドとの国境付近では交戦に備えて、新たなインフラも構築しています。最近では、戦略上の要衝であるパンゴン湖を渡る橋を完成させました。さらにブータン国境の係争地にも道路や警備施設を建設。インド最北東部と内陸部を結ぶ回廊地域を俯瞰する、インドの「チキン・ネック(鶏の首)」と呼ばれる弱点を押さえようという狙いです。
その上で中国は、インドに決断を迫ろうとしています。新しい現実、すなわち中国が一部地域を奪った状態での現状を受け入れるか、それとも中国が有利に展開できる全面戦争に突入するリスクを冒すのかという決断です。
中国は1979年にベトナムを侵略した際の戦略的な過ちから学びました。現在はあからさまな武力紛争に突入することは避け、領土獲得も含めて戦略的な目標の達成を段階的に進めています。
既に中国の習近平国家主席は、こうしたサラミ戦略(小さな行動を積み重ね、いつの間にか相手国が領土を失わざるを得ないような戦略)によって南シナ海の地政学的地図を塗り替えてきました。その手法を陸上でも、すなわちインド、ブータン、ネパールに対しても効果的に展開しています。
インドがロシアのウクライナ侵攻を非難しない理由の一つが中国との国境紛争です。両軍がにらみ合っており、いつ本格的な戦闘が起きてもおかしくないです。そんなときにロシアまで敵に回すわけにはいかないのです。
チェラニー氏は中国が繰り返す領土拡張の試みについて、世界に向けて警鐘を鳴らし続けています。中国の暴挙が国際社会から不当に黙認されているという思いがあるとみられます。
確かに中国は、チベットの併合・弾圧でも、南シナ海の人工島基地建設でも、大した代償を科されていません。これではインド国境でも台湾海峡でも軍事力行使は「やり得」だと中国が考えてしまう恐れがあります。最前線に立つインドからの叫びは、世界が抱える最大の安全保障リスクは中国の野心だと思い出させてくれます。
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