2011年12月30日金曜日

仕事場探訪:キャンピングトレーラーでノマドする~職場そのものが移動するという働き方―【私の論評】来年は、ノマドの可能性が無限に広がっていく?!

仕事場探訪:キャンピングトレーラーでノマドする~職場そのものが移動するという働き方:



仕事をする場所をオフィスビルや家の中などに限らずにどんな場所でも自分の仕事場としてしまうノマド(遊牧民)的ワークスタイルが、最近改めて見直されているように思います。

仕事のできる環境を整えてしまえば、「屋外すべてが仕事場だ」と言っても過言ではありません。

【私の論評】来年は、ノマドの可能性が無限に広がっていく?!

皆さんは、ノマドワークをしたことがありますか。私自身は、ブログなどはいまは、カフェであろうが、電車の中であろうが、どこでも書くときは、書くのですが、残念ながらノマドワークそのものは、あまりしたことがありません。ただし、一部はやったことがあります。といのも、現在の会社では、いわゆるノマドをかなり自由にできるのは、出張の多い人たちがほとんどだからです。この人たちは、各々モバイルパソコンと通信手段も持っているので、いつでもどこでも、ノマドワークができます。

私は、残念ながら、今は、出張は多くのはないので、会社のパソコンはありますが、デスクトップ型なので、ノマドはできません。ただし、レポートなど書いているときに、会社で終わらなかったばあいなど、メールで、文書や資料を送り、自宅で作成し、それをまた送り返すなどのことで、ノマドに近いことはやったこともあります。

しかし、本当は、ノマドを本格的にやりたいです。会社の仕事で、店などに行くことも多いですが、そのときには、その場で報告書を書いてしまいたいです。それにしても、上の記事のように、キャンピングトレーラーでノマドができるようになっていれば、本当にすばらしいです。いつどこでも、自分のワーキングスペースが確保できます。


渋谷のジェリージェリーカフェ

ノマドといえば、上記のコワーキングスペースやカフェでやることを思い浮かべるのが普通だと思います。しかし、モバイルデバイスと、通信手段さえあれば、どこででもできてしまうので、思いついたときに、下のようなところで、やってしまうなどということも十分考えられます。下の写真は、おそらく、駐車場の片隅でしょうか? こんなところでも十分にできてしまいますね。



上は、カフェのカウンター席だと思いますが、こんなところでも、やる気になれば、即席の仕事場になってしまいます。今では、カフェで仕事をする人珍しくなくなりましたね。気の利いたところでは、コンセントや、無線ランを提供しているとこもあります。最近いった、ラーメン屋さんでは、コンセントとFONも使うことができました。この風潮は、カフェだけではなく、いろいろなところに広がっているようです。


上は、今回の地震による被災地で、ボランティアが専門家の意見をオンラインで、聴きながら、対応策を考えているところです。今回の震災では、震災直後は電波が寸断されたとか、電気がないなどで、すぐに活躍の機会がありませんでしたが、数ヶ月しておちついたころから、ノマドが大活躍しました。皆さんも、ボランティアの人たちが、震災地とどちらかを結んで、打ち合わせをしている光景を御覧になった方も多いのではないかと思います。

私自身も、Google+のハングアウトで、このような打ち合わせに参加したことがあります。これは、本当にすばらしいものだと思います。とにかく、電気と電波さえ復活すれば、瓦礫の山のすぐ横の掘っ立て小屋のような建物でも、ノマドはできます。それも、震災地と国内と、海外にまでつないで、互いに相手の複数の顔を見ながら、できてしまいます。今後、こういう面でも、ノマドは大活躍すると思います。


上は、ノマドの概念を示すためのサイトに掲載されていた画像です。まあ、ほとんどありえない光景だと思います。

下の画像2枚は、ありえる画像だと思います。これ自体は、中国の女の子が、ネトゲをしている光景で、今年の秋ごろですか、ネットで公開されて話題になったものです。




これは、ネトゲですが、おそらく、この女の子たち、暑くてたまらなくて、こんな姿でネトゲをしたのだと思います。今年の夏は日本でも、非常に暑かったのと、節電ということで、私も、このような格好で、休みの日にブログを書いていたのを思いだします。中国も今年の夏は、電力不足ということもあり、このような姿でネトゲをしたのだと思います。

これは、厳密な意味では、ノマドではないですが、節電の方法として、できる従業員には、自宅で、ノマドで仕事をしてもらうというのも良い節約方法かもしれません。ネトゲは、複数の人間で、チャットしながら、ゲームを遂行していくものですが、これは、ノマドの将来像を表しているようにも思います。これは、複数の人間で、一つのプロジェクトを遂行していいく未来の姿を暗示しています。

それにしても、ノマドであれば、自宅でも、ホテルでもどこでも仕事ができるわけですから、以下のような姿で仕事をするという場面もありですね。リラックスして仕事ができそうです。でも、セクシーすぎて、仕事にならないかもしれません・・・・・・・。特に、ビデオチャットでこのような人たちと、チャットしたら、とても仕事にはならないかもしれません。








それにしても、ノマドは多くの人にとっても良い効果をもたらすと思います。以前、このブログでも、クオリティーの高い仕事をしたいのなら、休憩をとるべしという内容の記事を掲載したことがありますが、クリエーティブな仕事をするには、90分くらい集中して仕事をして5分くらい休憩を取るような仕事の仕方が良いというようなことが言われていました。

こんな場合、ノマドは本当に良いと思います。たとえば、オフィスのようなところで、仕事をしたら、次は、以下のような庭で、休憩をとり、その後そのまま、庭で仕事を続ける。また、集中して、仕事をしたら、今度は、近くのカフェで、コーヒーを飲んでくつろぎ、また、そこで、仕事をするとか・・・・・・。そうして、最後の仕上げは、オフィスに戻って、本格的に集中して仕上げるとか・・・・・。


それに、wifiルーターがあるとか、ノートパソコンにwifiやインナーカメラがつくのが当たり前になった現在、ノマドは、だれにでもできるようになっています。さらに、Googl+のように、気軽に誰もが、ビデオチャットができる時代になっています。いやそれどころか、同一のドキュメント(文書、画像、動画、音声)をみながら、複数の人間でリアルタイムで意見を交換できます。今まで、やったことのない人にもノマドは広まっていくことでしょう。

たとえば、管理職の人が、人事に関係する仕事をするときは、人事部の人とビデオチャットしながら、仕事をするとか、経理の人もチャットにまぜるとか、あるいは、現場でさまざまな人と意見をかわしながら複数の本部スタッフとビデオチャットをしながら仕事をするとか、今後ノマドの可能性は無限に広がっていくと思います。一つの場所に集まって会議などのことをすることは、今後も必要ですが、複数の場所を結んだ、ビデオチャットによる会議など、これから全く新しい新境地を開く可能性もあります。来年は、こうしたノマドの動きも目が離せないと思います。また、新しい動きがあれば、掲載します。

本年も、残すところあとわずかとなりました。本年は、皆様に大変お世話になりました。良いお年をお迎えください。

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2011年12月29日木曜日

民主党離党の内山議員ら新党立ち上げへ―【私の論評】ここ20年間実施してこなかったリフレ政策を一度実施すべきである!!


内山晃衆院議員 

民主党の内山晃衆院議員ら9名は2011年12月28日午前、樽床伸二幹事長代行に離党届を提出した。内山議員らは午後に記者会見を開き、「来年のしかるべき時期までに新党を作る」と語った。内山議員らの新党は、政党助成金の要件を満たすため、来年早々にも立ち上げられる見込みで、野党として与党・民主党と「是々非々で対応していく」という。


会見で内山議員は、「我々2009年当選組はマニフ... 続きを読む

■著者データ

ニコニコニュース

ウェブサイト: http://news.nicovideo.jp/

【私の論評】ここ20年間実施してこなかったリフレ政策を一度実施すべきである!!


私は、上のような動きに期待しています。今のまま民主党政権が続けば、何が何でも、増税まっしぐらです。私自身は、政局には全く興味がないですが、上記のような、民主党を弱める、あるいは、民主党執行部の増税まっしぐらの姿勢に反対するような勢力が多数出来上がることに期待しています。そういう意味では、小沢氏にも頑張っていただきたいです。とにかく、政局がらみでも、政局がらみでなくても、民主党執行部の増税まっしぐに対する反対勢力が多数できあがることには大賛成です。

私は、経済に関しては完璧なリフレ派です。リフレ政策とは、リフレーション政策の略称です。リフレ政策の目的は、長期間に渡り日本を苦しめ続けているデフレ不況を終わらせるため、デフレからマイルドなインフレへ移行させること(=リフレーション)です。リフレ政策を実現する方法はいくつか提案されていますが、最も有力な手法はインフレ管理目標策と呼ばれるものです。

これは、日本銀行が目標とするインフレ率を(守れなければ責任を取るなど)実効性ある形でコミットし、それに基づき金融政策を行いインフレ期待を制御することでインフレ率を適正な水準に保つという政策です。

インフレという言葉そのものが嫌悪されていることもあり当初は様々な批判もありましたが、この10年の間に理論の精緻化や実証研究・歴史研究が進んだ結果、多くの賛同者を得られる状況となっています。また、非不胎化介入により引き起こされた2003年の景気回復はリフレ的な政策が有効である査証と言えるでしょう。

原油高により一時は消費者物価指数はプラスに転じましたが、インフレ率を正しく測定するには価格変動の激しいエネルギー・食料品を除いたコアコアCPI、速報性は劣りますがより正確なGDPデフレータなどを使う必要があります。日本は、これらの指標に従えば過去20年間ずっとデフレが続いている状態でした。そして今また、消費者物価指数ベースでもマイナスに逆戻りしてしまいました。



しかしながら、日本銀行は行動に制限を受け結果責任を問われるインフレ管理目標を採用することに慎重な姿勢をとり続けているだけでなく、再度の景気悪化が鮮明になりつつあるにも関わらず金融緩和には消極的な姿勢を貫いています。

リフレ政策に関しては、上記のような内容で一般に理解されているようですが、私は、政府の積極財政も必要不可分であると思っています。いくら、日銀が金融緩和をしたとしても、それだけでは景気は浮揚しないし、デフレからの脱却もありえないと思います。銀行がいくら、緩和したとしても、仕事もない、消費も不活発という状況では、銀行にお金がだぶつくだけだからです。要するに、借り手がつかないということです。

過去20年間デフレであったにもかかわらず、日本では、一度も政府の財政出動と日銀の金融緩和を同時に実施したことはありません。ですから、増税する前に1度は大規模に実施してみるべきです。一度も実施したことがないのに、ハイパーインフレになるとか、政府と日銀双方による量的緩和をしてもインフレなどにはならないなどとまっこうから否定する経済学者などもいますが、私は、過去20年にもわたって、一度もやったこともないことに対して、頭の中だけで考えて、判断する人たちの了見が全くわかりません。

それに、先日も述べたように、82年前の昭和恐慌のときには、高橋是清がデフレの時代にリフレ政策を実施し、見事に短期間で、昭和恐慌から抜け出したではありませんか。中国や、アメリカでは、不況になるたびに大きな政府と中央銀行による大規模な量的緩和を行い、成功してきたではありませんか!!それも、過去20年間において、1度、2度ではなく、何回も実施してきました。



私は、今の日本一度も本格的な量的緩和を行わずに、消費税増税などをして、このまま、デフレ状況を続けていくことには絶対反対です。

そうして、最後に付け加えたいのですが、リフレ政策に反対であろうが、賛成であろうが、経済に関して誰もが認めなければならない真実があると思います。それは、経済とは変動するものであって、いつまでも不況が続くことや、逆にいつまでも景気が良い状況は続かず経済は変動するという事実です。これだけは、どの派に属する人でも否定はできないし、否定する人は、経済の本質を理解していないということになると思います。これは、経済の復元力ということで、経済に関して古今東西誰もが認める真実だと思ます。この復元力という考え方からいえば、アメリカや中国は、しばらく経済が停滞すると思います。しかし、日本は違います。

日本の場合、20年もの間デフレ状況です。20年といえば、生まれたばかりの赤ん坊が成人するまでの間に匹敵する長い時間です。年配の人にとっては、20年前のこともつい昨日のことのように思われ、たいした年月ではないのかもしれません。しかし、これは、かなり長いです。だとすれば、もう、日本も復元力によって、経済が上向く可能性も高いと思います。そんなときには、増税などして水を差すようなことをせずに、黙って様子見をするか、リフレ政策をとってみるべき時だと思います。少なくとも、3年くらいは、これを実施すべきと思います。皆さんは、どう思われますか?

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『増税』というキーワードを含むこのブログの過去の記事は、こちらから!!


2011年12月28日水曜日

Q:Google+って実際どうなのよ? A:担当責任者のわたしがお答えしましょう from 『WIRED』VOL.2―【私の論評】ハングアウトに新しいテレビの姿を見た!!

Q:Google+って実際どうなのよ? A:担当責任者のわたしがお答えしましょう from 『WIRED』VOL.2:



Googleは「SNS音痴」の汚名を晴らすことができるのか? 製品担当副社長のブラッドリー・ホロヴィッツに、スティーヴン・レヴィが迫る。

【私の論評】ハングアウトに新しいテレビの姿を見た!!

今後のGoogle+の可能性など、詳細は、上記の記事をみていただくものとして、私としては、Google+の大きな可能性は、SNSがどうのこうのというより、新たなテレビの可能性であり、もうすでに、Google+のハングアウトで、その姿が見えてきたように思います。

ハングアウトに関しては、あまり説明しなくても、皆さんご存知でしょう。わたしは、AKB48がGoogle+を使い始めたという発表の日にたまたま、休みで、YouTubeを観ていて、ハングアウトのお知らせがあったので、たまたま、偶然にハングアウトすることができました。このときは、無我夢中だったので、特に詳しいレポートとなどできる状態ではなかったので、以下にガジェット通信による先日ハングアウトも使用して実況された、『AKB48紅白対抗歌合戦ライブレポートをまとめて掲載します。

http://getnews.jp/archives/158856

『AKB48紅白対抗歌合戦』がTOKYO DOME CITY HALLにて、12/20(火)18:00に行われた。会場での様子は全国100ヶ所以上、海外4ヶ所の映画館で生中継され、Google+(グーグルプラス)を介してYouTubeでもライブストリーミングが行われた。 
今回、この『AKB48紅白対抗歌合戦』(以下AKB紅白)はGoogle+という非常に強い後ろ盾を得て、YouTubeでの生放送を可能とした。 
『AKB紅白』においてはLIVEの放送のみならず、Google+の機能を用いた次のような“ネット参加”の提案もなされた。 
『+1』ボタンで紅組・白組への投票に参加
ハッシュタグで、メンバーへの応援メッセージを送信
『ハングアウト』機能でライブ鑑賞しながら、ビデオチャットが可能
また、Google+でのオリジナル映像として(YouTubeでは)、ステージ正面の“引き”カメラ、ステージ後方の上手(かみて)と下手(しもて)から撮影される映像も鑑賞可能となった。 
加えて、イベント終了後には『AKB紅白』のチームキャプテンによる、『ハングアウト』でのやり取りも特典として公開されることになった。 
ハングアウト機能を使うことで、コンテンツに対してボイスチャットをしながらの共有が可能となる。平たく言えば、今回のライブイベントを、気心の知れた仲間とネット上で観ながらおしゃべりができるのだ。
ボイスチャットをしながらのストリーミング鑑賞は今までも不可能ではなかった。重要なのは、Google+というネットワークを基軸に繋がれる、ということだろう。 
投稿内容について、これまでのようにテキストでコメントし合ったりするのと同じ感覚で、同じ時間に同じライブを見ることが出来てしまう。そして、その仲間はサークル、という単位で管理することが可能だ。 
実際にハングアウトを用いて映像を見てみると、想像していたよりもずっと気軽だった。 
ハングアウトの場合、『ニコニコ動画』のように、テキストで“場”の空気を共有するのに対し、直接ボイスチャットで映像も共有できるというのは極めて直観的だと感じた。テキストでのメリットはここでは割愛するが、話しながら、見る、という行為はやはり自然だ。
今回は実際に東京と新潟で試してみたが、ハングアウトを用いることで、遠方の友人でもまるで同じ部屋で同じテレビ映像を見ているかのように映像を楽しめる。 

大げさではあるが、これは、今まで私たちが思い描いていた未来のソリューションそのものだ。絵空事だった未来が、ようやく手元のPCに降りてきたのだなあ、という実感があった。

次は、今回のネット生中継を視聴するにあたり、まず行ったことを、ライブレポートを交えつつおさらいしてみようと思う。 
まず最初に行ったのは、Google+でAKBの公式・特設ページを探すことからだった。これはGoogle+にて検索をかけることで、簡単に見つけることができた。 
AKB48 Now on Google+
http://www.google.com/+/project48( http://j.mp/rtZF40 ) 
この中から、「AKB48」や知っているメンバーを「サークル」に追加すると、今回のライブのURLを知ることができるのだ。ちなみに「サークル」は自分の「家族」、「友人」などのグループと同様に「AKBメンバー」というようなグループに分類できてしまう。いささか不思議な感覚だ。
なお、他のメンバーをサークルに追加しておけば、そのメンバーに関する特典映像などの情報も得られるらしい。 
ためしに、大島優子さんをサークルに追加したら、まるで一般人のようなフランクな写真が出てきてびっくりした。芸能人のページであれば、いわゆる「宣材」(宣伝材料)のバッチリとキマった写真が出てくるかと思っていたが、そうではない。これは大島さんのみならず、ほかのメンバーもそうであった。実に、親しげな印象である。
「会いに行けるアイドル」がSNSと融合した結果がこれなのだな、と腹に落ちる感じがした。 
サークル追加した公式のページには、今回のイベントのURLが公開されていたのでイベントの開始時間(18:00)を待つことにする。この時点で、記者はAKB48に対し、テレビで見るよりもずっと身近に感じていた。 
ライブ開始直後には、回線映像が若干重くなったものの、リロードすることで無事にライブ会場と接続することが出来た。 
総合司会には堺正章さん、元フジアナウンサーの千野志麻さん。審査員には三田佳子さん、神田うのさん、森永卓郎さん、叶恭子さん、叶美香さん、野村克也さんという面子である。 
そして、紅・白それぞれのチームキャプテンは高橋みなみさんと大島優子さんが担当。今回は139人のメンバーが紅白に分かれて、歌唱曲を披露し優劣を競うという規模感のライブだ。 
審査は審査員投票だけでなく、前述の『+1』ボタンを用いた投票、映画館やライブ会場での審査が採用される。さて、この時点でイベントの面子やスケールが、テレビの“特番級”であるということがご理解いただけると思う。しかし、今回、いずれの地上波でも衛星放送でも、この中継はされていない。
前述の映画館、そしてGoogle+だけである。ネットの生放送が1配信ソースとして確立されたという事がうかがい知れた。もはやテレビの添え物ではないのだ。放送の内容も“特別感”が強かった。
このイベントだけに用意されたメンバー編成の歌唱曲やバージョン違いが公開され、SKE48(名古屋)、NMB48(大阪)、HKT48(福岡)の他、JKT48というジャカルタ拠点のメンバーが国内初登場。
また紅・白の応援にはあやまんジャパンやダチョウ倶楽部が登場し、会場を沸かせていた。「AKB48の今年最後のイベント」「忘年会気分で、お祭り気分で」との言葉通り、イベントとしては盛り上がり通しで、3時間余があっという間であった。
大トリは白組・大島優子さんと紅組・前田敦子さん、“エース”による直接対決。非常に見ごたえ、聴きごたえのある『紅白』を歌い切っていた。
最終審査の結果は次の通り。
映画館集計:白組
Google+集計:白組
会場:759票対1119票で白組
審査員集計:3票対3票でドロー
チームキャプテン:白・紅1票ずつ
合計、紅:白=4:7で白組の勝利となった。
イベント終了後、「公開反省会」として両チームキャプテン・高橋さんと大島さんによるライブチャットの様子『Google+ハングアウト生中継』として行われた。

「こうしてると二人だけで話しているみたいだけど、何万人の人に見られてるんだよね」という導入から、本日ライブの裏話などを中心に、新作ソングに関する内容などがライブチャットで行われた。ライブアレンジに関するやり取りといった、通常はメールでやりとりされるような秋元康氏との会話内容がgoogle+上で行われていたという秘話(?)も披露。

他にも緊張するメンバーの素顔やリハーサルの様子などの会話を聞くにつけ、これはまるで二人のプライベートなやり取りを覗き見しているような、不思議な気持ちになる放送だった。ファンにとっては堪らない内容だったのではないだろうか。
「ブログだと続かないんだけども、Google+、めずらしく続いている」という発言にもあるように、多くのメンバーによる投稿が現在も続いている。アイドルとSNSの新しい関係は始まったばかりだが、これが次の時代のスタンダードになっていくのかもしれない。
さて上では、静止画による説明ばかりなので、実際にハングアウトをしたかたでないと、なかなかその感じがつかめないと思いますので、下に動画を掲載しておきます。


私は、Google+の魅力は、ハングアウトに尽きると思います。今のところ、テレビではできないし、iPadでも、iPhoneでもできませんが、これらでできるようになれば、爆発的に、普及するのではないかと思います。

そうなったあかつきには、これらを最初から考慮した、コンテンツが作成され、テレビからはなれていた若者も、テレビを見るようになるかもしれません。しかしそれは、旧来のテレビとは、全く異なるものになることは言うまでもありません。既存のテレビは、今でいうと、ラジオのようなメディアになると思います。

上の記事でも、“大げさではあるが、これは、今まで私たちが思い描いていた未来のソリューションそのものだ。絵空事だった未来が、ようやく手元のPCに降りてきたのだ”という表現がありましたが、これは、少しも大げさではありません。これがGoogle+による最大の革新です。これが、私たちのコミュニケーションを本質的に変えてしまう可能性があります。

これは、ひょっとしたら、ラジオや、電話のない時代に、それらが発明されたよりももっとインパクトがある出来事かもしれません。私は、特に最近、被災地と、東京を結んだ専門的な知識をもつボランティアの人たちのハングアウトに参加してみて、そう感じました。

もう私達は、インターネットがつながる環境にありさえすれば、たとえ遠く離れても、同じドキュメント(文書、画像、動画)をリアルタイムで見ながら、じっくりと話ができます。従来もできましたが、これほど統合されたシステムは、ありませんでした。それと、現在wifiの環境があれば、後はノートパソコンとGoogleのアカウントがありさえすれば、いつでも誰でも簡単にできます。

いずれこのようなことは、実現したと思いますか、まさにgoogleがこれに先鞭をつけたと言うことです。このことの革新性は、まだ多くの人が認識していないようですが、いずれ多くの人がその重要性を認識するようになると思います。

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2011年12月27日火曜日

引田天功さんが訪朝取りやめ―【私の論評】北朝鮮は、一触即発の状態!!正しい判断か?

引田天功さんが訪朝取りやめ:

引田天巧さん

北朝鮮の金正日総書記の国葬に招かれていた、マジシャンの引田天功さんが27日、参列を取りやめると発表した。

【私の論評】北朝鮮は、一触即発の状態!!正しい判断か?


引田さんは、従来から北朝鮮での活動で有名な方です。従来から北朝鮮で公演活動を実施してきた、彼女がなぜ今回は、参列を取りやめたのか気になるところです。やはり、公演活動と、葬儀参列とは全く意味合いが異なるということもあるでしょう。しかし、一番は、北朝鮮の状況にあると思います。以下の状況を知れば、たとえば、高級官僚や、政治家などは例外として、一般人が今のタイミングで訪朝して、何かの事変に巻きこれた場合、無事に日本に帰ってこれるような保障はないでしょう。

以下に、いくつかの筋からの北朝鮮に関する現在の情報をまとめて掲載しておきます。本日は、話が硬く重苦しいので、朝鮮女性の写真と共に掲載させていただきます。


北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記(享年69歳)が死去してから1週間、いまだ世界中がこの国の動向に高い関心を寄せています。

一部韓国メディアからは、視察先に向かう列車内で心筋梗塞を起こしたという公式発表に対し、「死亡日時ごまかし」疑惑の声まで上がっている。だが、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の関係者は「事前に死を匂わせるサインは一切なかった」と、次のように否定しています。

「朝鮮中央テレビが19日正午に重大な発表をすると聞かされたのは当日の午前10時頃ですが、そのときも核問題についてなんらかの発表があるのかなと考えていたくらい。まさか総書記の死去を知らせるニュースだったとは。まさに青天の霹靂です」



“金王朝”という、世界でも数少ない特殊国家である北朝鮮。その最高指導者の突然死は、我々の想像を超える一大事のように思えますが、今のところ国内がパニック状態になっているとの情報はありません。これは、北朝鮮が金正日死去を報じた直後、間髪入れずに葬儀委員会の名簿を発表した段取りのよさにも表れています。

「在日コリアンを含め本国の人々の間では、金正日総書記の死はそう遠くない時期にやってくるとの覚悟はありました。そのことを一番わかっていたのは、ほかならぬ金正日総書記自身だったのでしょう。だからこそ、建国63年を記念する今年9月9日の軍事パレードで息子を党序列3位に大抜擢し、海外メディアの前で後継者としてお披露目した。金正日の病死による金正恩への権力継承のシナリオは朝鮮労働党内ではとっくに織り込み済みなんです」(前出の朝鮮総連関係者)



心の準備があったとはいえ、今後の北朝鮮には厳しいシナリオが待っていると、北朝鮮事情に詳しいジャーナリストの石丸次郎氏は予測しています。

「金正日急死後の素早い報道ぶりや葬儀委員会名簿のスムーズな公表を見るかぎり、確かに政治的混乱は起きないかもしれないです。でも、金正恩(キム・ジョンウン)への権力継承は始まったばかり。準備期間があまりにも足りない。最高指導者の死去で、重要な政治判断も保留されることになる。それだけに、一時的に混乱は回避できても、経済、社会的な混乱は必至でしょう。特に今年は飢餓が例年よりも深刻で、大量の餓死者が出かねない。そうなれば、金正恩体制に向けて国民の不満が噴出するはず。ロイヤルファミリーによる権力世襲を強行するかぎり、北朝鮮の崩壊は避けられない」



北朝鮮は、やっぱり恐ろしい国です。金正日が死んだ北朝鮮で、早くも“粛清の嵐”が吹き荒れていることが分かりました。国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルは、以下のような談話を発表しています。

後継者となった三男・正恩(28)とその支持勢力が体制の足場固めのため、粛清を強化しているといいます。粛清された政府当局者はすでに数百人。処刑されたり、政治犯収容所に送り込まれているというからすさまじいです。

1994年に金日成が死んで金正日が跡を継いだときも、数万人が収容所に送られた揚げ句、秘密裏に消されたといわれました。この先、北朝鮮で血の雨が降るのは確実だが、とりわけ「殺されるんじゃないか」と注目されているのが、跡目争いに敗れた長男の正男(40)と二男の正哲(30)です。

「とくに正男は、正恩とは腹違いの兄弟でそれほど親しくもない。海外のメディアに『世襲批判』をブチまけた過去もあり、一時は暗殺者が送り込まれた、なんて説も流れた。正恩の側近が“災いの種”を消す可能性は高い。正男は命の危険を感じているのか、正恩が後継指名されて以来、北朝鮮には帰っていません」(北朝鮮ウオッチャー)


それだけに、28日の金正日の国葬に正男が現れるのか、世界中が関心を寄せているのです。

コリアレポート編集長の辺真一氏がこう言います。

「正男は帰国したら最後、二度と出国できなくなる可能性が高いと思います。命までは取られなくても、事実上の軟禁生活を強いられるでしょう。母親が同じ正哲と正恩は仲は悪くないが、これからどうなるかは不明です。気になるのは、世界中に流された金正日の弔問映像。正恩の妹・ヨジョン(24)らしき若い女性は映っていたのに、兄の正哲の姿がなかった。何かあったのかもしれない。

いずれにしても、今後1~2年で権力闘争は激しさを増し、正恩に盾突く人間は次々と粛清されるでしょう。難民も続出し、今年3000人いた脱北者は、少なくとも倍以上になるのではないか。権力闘争で失脚した党や軍の幹部が亡命することも十分に考えられます」



米韓共同の軍事作戦が水面下であわただしく動き始めました。作戦名「5029」。

「北朝鮮崩壊後を想定したものです。韓国が最も恐れているのは、北朝鮮の金王朝が崩壊し、内乱状態になって大量の難民がなだれ込むことです。これを食い止めるため北朝鮮に食料や医薬品などの物資を送り込む方法を検討しています。半島の国境封鎖は現実的に不可能だからです。つまり米韓は金体制の崩壊は時間の問題とみているのです」(軍事評論家)

米国防総省は、「三男の正恩・党中央軍事委員会副委員長(28)への権力移譲は平和的に進んでいる」と評価しました。しかし、これは表向きのこと。裏で崩壊を想定した「5029」作戦を着々と進めているということです。

これは極めて現実的な想定です。新将軍になる金正恩は弱冠28歳。100万単位の餓死者がいる国を治められるわけがありません。

「金正恩の後ろ盾は金正日の息子だということだけです。しかし、金日成国家主席が絶大な尊敬を集めていたのに対し、金正日は軍部の力で不満を抑えつけてきた独裁者だった。驚いたのは、死んだ金正日が解剖されたことです。神格化されている将軍サマを解剖するなんて信じられない。おそらく、正恩の指令でしょうが、だとすると暗殺を疑ったことになる。それほど、金正日体制は揺らいでいたのです」(事情通)


軍事ジャーナリストの深川孝行氏はこう言います。

「金正日総書記は軍部を力の源泉にした。今はその軍部が内部崩壊する可能性が極めて高い。軍隊には派閥が付きものですが、権力構造がハッキリするまで派閥抗争が必ず起こるからです。拉致があったのは、金正日体制が固まるまでの間でした。金正恩体制がスンナリ、スタートするとは思えません」

今は服喪期間ですから表立っては、何も起きていないませんが、年明け以降は、クーデターを含め何が起こるか分からりません。そう見る専門家が大勢います。

「1月8日は正恩の誕生日で、2月16日は金正日の生誕70年、4月15日は金日成の生誕100年と重要イベントが続きます。これまでの金体制は節目を利用し、求心力を高めてきました。正恩にそれができるかどうか。できなければ一気に崩壊に突き進みます」(前出の事情通)

食料危機に直面する国民が不満を爆発させる可能性もあります。北朝鮮ニュース専門サイト「デイリーNK」日本支局長の高英起氏は言います。

「現在、国民の命に直結する市場が閉鎖されています。このままでは相当数の餓死者が出ます。寒い時季はジッと耐えるしかないが、暖かくなってきたら分かりません」


まさにアラブの春の北朝鮮版です。民衆の不満を抑え込むには、正恩が軍部を完全支配していなければならないのですが、「軍部が民衆につくこともあり得る」のです。米国は北の内部崩壊を見越し、核を管理するために特殊部隊を送り込むことを検討しています。その時、朝鮮半島は火の海になり、日本も核の脅威にさらされることになるかもしれません。

難民の急増を警戒し、中国や韓国は国境の軍隊を増強しています。場合によっては、日本に大量の難民が押し寄せる可能性もあります。カオス状態の北朝鮮では、何が起こっても不思議ではありません。

あくまで「今のところは」平静に見える北朝鮮。しかし、この冬の食糧難をきっかけに、長らく続いた“金王朝”の崩壊が始まるかもしれません。

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2011年12月26日月曜日

もしドラ著者が「本は購入者の所有物ではない」と発言 / マジかよ!? 出版社と大手書店に聞いてみた―【私の論評】本は、購入した人の所有物でもあるし、所有物でもない?



もしドラ著者が「本は購入者の所有物ではない」と発言 / マジかよ!? 出版社と大手書店に聞いてみた:

人気書籍『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーのマネジメントを読んだら』(以下:もしドラ)などで知られる人気作家・岩崎夏海先生が、自身のブログで次のように発言し話題となっている。
岩崎夏海氏
「本は購入した人の所有物ではありません」。これは漫画家・佐藤秀峰先生の自炊(書籍や雑誌を裁断・スキャンしてデジタルデータに変換する行為)に対する考え方を批判する内容として、岩崎先生が発言したもの。

『ブラックジャックによろしく』全巻無料公開したことで知られる佐藤秀峰氏
えっ!? 著作権が著者や出版社にあるのは理解できるが、本そのものの所有権は購入者にあるんじゃないの? 私たちの常識から考えるとそうなるのだが、もし本当に「本は購入した人の所有物ではありません」というのであれば、買ってもそれは自分の本じゃないということになるが……。

記者は『もしドラ』が大好きで、いろんな書店で4冊ほど買って人にプレゼントしたほどである。このことについて気になったので、個人的に大手書店に問い合わせて聞いてみた。

■岩崎夏海氏「本は購入者の所有物ではない」について大手書店のコメント

大手書店A社 「そういうこと(購入者の所有物じゃないということ)はないと思います」

大手書店B社 「購入いただいたお客さまのものと理解しています。『もしドラ』をお買い上げいただいたお客さまの所有物です」

大手書店C社 「お買い上げいただいた『もしドラ』は、もちろん購入していただいた方のものです(苦笑)」

書店としては「本は買った人のもの」という認識らしく、ちょっと一安心した。でもまだ不安だったので、個人的にダイヤモンド社に問い合わせてみたのだが、折り返し編集担当者が電話をしてくださるとのことだったが、結局、約束の時間になっても電話はこず、回答は得られなかった(年末で忙しいと思うので仕方がない)。

とにかく、今の段階で書店は「本は買った人のもの」という認識らしいので、『もしドラ』を買った人は「これって私のものじゃないの!?」と不安に思わなくていいかもしれない!? あなたは岩崎先生の「本は購入した人の所有物ではありません」という発言について、どのようにお考えになっただろうか。そして、漫画家・佐藤先生の意見も大変気になるところである。

参照元: 佐藤秀峰さんの本やマンガへの考え方について

【私の論評】本は、購入した人の所有物でもあるし、所有物でもない?

これは、結局いわゆる書籍の自炊を意識した発言だと思います。これは、無論電子書籍に関する、自炊です。これに関しては、wikipediaでは、以下のように掲載されています。
電子書籍に関する自炊(じすい)とは、書籍や雑誌を裁断機で切断しイメージスキャナ使ってデジタルデータに変換する行為を指す言葉。 また、自分では器材を揃えず書籍電子化を他人である業者に依頼することを「自炊代行」、「スキャン代行」と呼ぶ。
もともとはP2Pソフトウェアで不特定多数に配布(当然著作権侵害となる)目的で書籍を自身でスキャニングするというネットスラングだった。
日本では、電子書籍がまだまだ、販売されておらず、私など、日本の電子書籍サイトなどみても、読みたいと思うような本がないので、ほとんど購入したことがありません。ところが、アメリカのアマゾンドットコムでは、無論今のところ、英語の書籍しかないのですが、これは、結構購入しています。

私は、基本的に、電子書籍のまともな配信が日本でなされ、しかも、電子書籍の価格が、文庫本より少し高い程度であれば、この問題はほとんどなくなると思います。

せっかく、パソコンや、スマホ、iPadを含むタブレット端末や、電子書籍リーダーがあるにもかからず、それに対応する電子書籍がないこと、あったにしても、内容があまりにお粗末であることが根本的な原因だと思います。

普通に売られるようになれば、この問題はいずれ、姿を消すことになると思います。今、日本国内は過渡期にあるのだと思います。

誰もが、電子書籍の便利さを味わってしまえば、普通の書籍に戻るのは難しいかもしれません。なにせ、いずれのデバイスにせよ、電子書籍は本当に持ち運びが楽です。何回も読んだからといって、痛むことはありません。それに、従来の書籍のように場所をとらないというのが、最大のメリットだと思います。


岩崎さんは、書籍は、個人の所有物ではないとしてますが、私は、この見解には反対です。きちんと、対価を払って、書籍を購入しているなら、従来の書籍であろうと、電子書籍であろうと、それは、個人の所有物であることには、変わりないと思います。だから、基本的には、個人の裁量で、捨てても、焼いても、人に貸しても何も問題はないと思います。

このことと、著作権は全く別の事だと思います。個人の所有物であるとしても、それを勝手にコピーして、自分で読んだり、人に貸す以外に、配布することなどは、やってはいけないことだと思います。これは、中国などでは、当たり前のように行われていて、本当に唖然とすることがあります。

ただし、日本では、かなり前から、コピー機など、だれでも、どこでも簡単に使えるので、こうしたコピー防ぐことはできませんでした。だから、コピー機をレンタルなどすると、コピーをすると、何枚コピーしたかなど、カウントされ、その枚数に応じて、一定割合で、レンタル料などに含めて徴収する仕組みができています。


無論、それらは、著作権協会に入ることになっています。そうして、細かな仕組みは知りませんが、そこから、書籍の作家などにも、著作権料が入る仕組みになっていたと思います。

ただし、電子書籍や、自炊に関しては、そのような仕組みはなかったはずです。電子書籍については、コピーできない仕組みを作ればよいですし、実際そうなっていると思います。しかし、自炊には、そういう仕組みがないのでそれが問題となっているということです。

アメリカの電子書籍がペーパーの5~7割の安値(無料も多い)で販売されています。そのためでしょうか、自炊は、ほとんど行われていないようです。これは、過去の苦い経験もあったので、最初からこのようにしているのだと思います。

その苦い経験とは、たとえば、音楽・映画など、従来結構CDやDVDなどのメディアの価格が高かったものを、ある時期からかなり安くしました。そうすることによって、違法コピーを根絶したのです。ユーザーからすれば、確かに、違法コピーなどすれば、安くはすむのですが、違法コピーは常にリスクが伴うものであり、多少高くても、正規で購入したほうが、そのようなリスクがないということで、今では、従来のように違法リスクが横行することはほとんどなくりました。

これは、日本でも似たようなことがありました。20年ほど前までは、、パソコン用のソフトは目の玉が飛び出るほど高い時期がありました。私も、記憶があるのですが、私が、はじめて、表計算ソフト(Lotus 1-2-3)を購入したときの価格は、数万で、確か、5万円前後だったと思います。そうして、これに対するちょっとしたアドオンソフトを購入するのにも、数千円しました。だから、いつも、ソフトを購入ということになれば、そのたびに清水の舞台から飛び降りるような心持がしたものです。

企業ユースの場合も、個人ユースよりは、安かったものの、今の感覚からすれば、かなり高く、会社全体でまともに入れると、かなりの価格なりました。そのためでしょうか、企業ユースでも、半分違法コピーで使うが当たり前のようになっていた時期がありました。


しかし、これにも変化がありました。たとえば、私の記憶しているものでは、大学教授がアップルのスライド作成用のソフトを違法コピーして、それでスライドを作成し学会で発表するのにつかっていたところ、それが、アップル側に摘発され、多大な損害賠償を支払わせられたなどという事件が発生しました。その頃から、特に大企業に対する摘発が激しくなったと思います。とは、いいながら、世の中には、中小企業など星の数ほどありましたから、根絶することは不可能でした。

しかし、ある時期から、ソフトの価格が劇的に安くなりました。これは、意図的にそうしたのだと思います。それ以来、従来のような違法コピーは影をひそめたと思います。それに、現在では、Googleなどで、さまざまな機能を無料で配信するようになってので、今では、馬鹿高いソフトを販売しても誰も買わないでしょう。この状況は、無論アメリカでは、日本より一歩先んじて実現されていました。

最近では、iPhoneやiPad用のアプリなら、昔なら、数万もしたと思われるようなものが、数百円、数千円もしたと思われるようなものが、数十円で販売されていたりします。この状況では、最早、知恵を絞って違法コピーしようとする人はほとんどいないと思います。

私は、電子書籍もこのように、比較的安い価格設定をし、内容も、幅広く、奥行きも深く品揃えすれば、自炊など誰もしなくなると思います。そうして、アメリカで実際に、自炊もほとんどされていない事実から、日本もできないはずはないと思います。自炊に関しては、自分の書籍を自分でコピーして使うというのなら、業者もありで良いと思います。ただし、不特定多数に配布するというのなら、新たに取り締まる法律を策定し、取り締まれば良いと思います。

ただし、コピー機を取り締まったように、スキャナーでスキャンしたものに対して著作物使用料を徴収する仕組みまでは導入しなくても良いと思います。日本は、電子書籍に移行する過渡期にあることから、いずれ、自炊は黙っていても、ビジネスとしては成り立たなくなり、消滅し、ユーザーが個人的に個人目的に実施するだけの存在になると思います。

最近は自炊機器のレンタルスペースまであるようになった
今のような状況で、電子書籍を高い価格設定にすれば、過去のパソコン用ソフトのような状況になり、出版業界にとっても、ユーザーにとっても良いことはないと思います。現在では、自炊のための機器(スキャナー、裁断機など)を設置してあるスペースをレンタルできるようになり、誰もが簡単にできるようになっています。このままだと、いつまでも、自炊、それも明らかに違法な自炊がはびこるようになると思います。

そうして、最終結論として、書籍は購入した書籍をユーザーが自分のために使うという範囲でなら、それは、ユーザーの所有物です。しかし、購入した書籍をユーザーが自分のためだけではなく、何らかの手段でコピーして、不特定多数の人に配布することまで、所有権の中に含めるなら、それは、違うと思います。この定義は書籍でなくても、音楽でも、動画でも、ソフトでも、何でも、ファッションでも、有料で販売されるもので著作権があるものにはすべて当てはまると思います。

皆さんは、どう思われますか?

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2011年12月25日日曜日

完全復活!小沢勉強会に136人集結―【私の論評】平成の高橋是清は一体誰になるのか!!とにかく、無意味な増税だけはやめてほしい!!



完全復活!小沢勉強会に136人集結

<野田首相は「増税」できるのか>



「136」――。この数字は、野田首相にとって大きなプレッシャーだろう。21日、民主党の小沢一郎元代表が会長を務める「新しい政策研究会」が発足した。略称は「新政研」。西松事件で問題になった政治団体(新政治問題研究会)と同じ略称なのはご愛嬌だが、設立総会には衆参合わせて106人の国会議員が出席し大盛況だった。欠席者も含めれば、賛同者は136人に上る。党所属議員の3分の1以上が集結したのだ。

もともとは、「一新会」「北辰会」「参議院」と3つに分かれていた小沢グループを統合する目的で設立した勉強会だが、鳩山グループや樽床グループからも参加者が出た。

賛同者には、野田政権が推し進める消費税増税に反対する議員が多いのが特徴だ。

政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏が言う。

「この勉強会は、イザという時に結束して動くためのもの。ついに小沢氏が、今の民主党ではダメだと見切りをつけた。党内では日増しに“反増税”の声が大きくなっているのに、このままでは財務省言いなりの野田首相が増税を強行しかねない。いずれ行動する日が来ると考え、会を立ち上げたのでしょう」

小沢氏
そこに小沢グループ以外からも賛同者が集まったことの意味は大きい。この勉強会が今後ますます膨張していく可能性があるからだ。

「民主党内には、裁判を抱えた小沢氏の復権は難しいだろうと様子見だった議員もいますが、ここへきて強制起訴の根拠になった捜査報告書が“捏造”されていたことが発覚し、小沢氏に厳しかったマスコミの論調も徐々に変化しています。無罪の可能性が高まり、小沢氏が求心力を回復している。その結果、130人超という数が集まった。今後さらに人数が増え、200人近くになっても不思議はありませんよ。政局のキーマンに再び小沢氏が浮上した格好です」(政治評論家・小林吉弥氏)

小沢グループが中心となって集めている増税反対の署名には、中間派の議員も名を連ね始めた。「勉強会には参加していないが、増税反対の理由に共感した」と、署名した中堅議員がこう話す。

「年末年始に地元に帰った議員は、『自分たちの身も削らずに増税とは何事か』と一様に突き上げを食らうでしょう。選挙が近いかもしれないし、年明けからは反増税路線を鮮明にする議員が急増すると思う」

野田が消費税増税を強行しようとすればするほど、小沢勉強会への賛同者が増えていく。これまで「小沢派なんて実態は数十人」とタカをくくっていた党内の反小沢派も、設立総会に136人という現実を見せつけられ、マッ青になってるんじゃないか。

(日刊ゲンダイ2011年12月22日掲載)

【私の論評】平成の高橋是清は一体誰になるのか!!とにかく、無意味な増税だけはやめてほしい!!

世界各国が経済危機の波及に戦々恐々としていますが、日本は的確な政策をとれば、危機を回避し、景気を上向かせて、世界経済を牽引することができます。このことは、このブログでも再三にわたって掲載してきました。しかしながら、今の民主党の閣僚は、とにかく増税論議ばかりで、全くお話にも何にもなりません。彼らは、歴史の教訓に学ぶという謙虚な姿勢すらありません。本当に困ったものです。

歴史の教訓に学び、日本が取るべき政策の指針となるのが、世界恐慌の際に、時の高橋是清・蔵相が行なって世界的に高い評価を得ている経済政策です。

1929年の世界恐慌は日本では「昭和恐慌」と呼ばれました。当時の浜口雄幸内閣の井上準之助・蔵相は徹底した緊縮財政というデフレ政策を取り、金融政策でも、ウォール街の株価大暴落の2か月後に「金解禁」に踏み切ると、正貨(金)が海外に流出し、その結果金融引き締と同様な効果を生み出すこととなったために、株・商品市場が大暴落しましたた。街には失業者と欠食児童、農村では娘の身売りが相次いぎました。また、雇用も悪化し、大学を卒業しても職がないという、少し前までの就職氷河期などより、はるかに厳しい状況でした。

昭和恐慌時代を背景とした映画のビデオの説明書き


それは明らかな政策の誤りでしたた。日本に限らず、当時は、GDP統計などがないから、各国がどんな政策が有効なのかの判断基準が難しかったということもありました。また、金本位制で金融政策の自由度が小さかったため、多くの国が金融引き締めやデフレ政策で失敗していました。今の日本はまさしく、過去20年間、歴代の政府が緊縮財政を行い、日銀は、金融引き締め政策を行い、当時の状況と同じデフレ状況にあります。

そこに登場したのが犬養毅内閣の高橋是清蔵相でした。高橋是清は、本日も放映される、テレビドラマ『坂の上の雲』の主人公である秋山真之が、東京帝国大学予備門時代の英語教師でもありました。

高橋是清

彼は真っ先に金の輸出を再禁止すると、国債を増発して財政拡大路線に転換し、同時に、国債を日銀に引き受けさせて大胆な金融緩和を実行しました。デフレ政策から、ゆるやかなインフレをめざすリフレ政策をとったのです。この時、お札の印刷が間に合わずに裏面が真っ白な通称“是清札”まで印刷され、市中にはお金が溢れました。これによって日本は世界の中でもかなり早い段階で恐慌を脱出することができました。

しかも、是清はいったん国債を日銀に引き受けさせた後、そのうち9割くらいは市中に売却させることでハイパーインフレも防いでいます。見事な手腕としか言いようがありません。

今増税しようとしている政治家は、高橋是清の次の言葉を読んで欲しいです。

『緊縮という問題を論ずるに当たっては、先づ国の経済と個人経済との区別を明らかにせねばならぬ。
例えばここに一年五万円の生活をする余力のある人が、
倹約して三万円を以て生活し、あと二万円はこれを貯蓄する事とすれば、
その人の個人経済は、毎年それだけ蓄財が増えて行って誠に結構な事であるが、
これを国の経済の上から見る時は、その倹約に依って、
これまでその人が消費しておった二万円だけは、どこかに物資の需要が減る訳であって、
国家の生産力はそれだけ低下する事となる。
ゆえに国の経済より見れば、五万円の生活をする余裕のある人には、それだけの生活をして貰った方がよいのである。』

上記の通り、国民経済と個人経済を混同して、「緊縮!」「緊縮!」と叫ぶ人たちを批判し、デフレ下で「国債発行」「財政出動」「日銀の国債買取」という正しいデフレ対策を実施し、日本の国民経済を救った偉大な政治家こそが、高橋是清なのです。

デフレのときに、個人は、緊縮して、お金をためるのは当たり前のことですが、政府や日銀がそうであってはいけないのです。むしろ、個人とは逆に、財政出動、金融緩和を実施し、国民経済を牽引して、デフレを是正しなければならないのです。

日本に限らず、世界中で、デフレ時の緊縮、金融引き締めというのは、経済が悪くなったときの常套手段であり、ローマ帝国でも、日本の江戸時代でも何回となくこの愚策は繰り返し行われ、82年前の日本でも、そうして、ここ20年間の現代の日本でも、あいかわらず繰り返されているのです。

これは、自民党時代も同じことで、小渕、麻生内閣を除いて全部緊縮財政を実施しました。日銀も、この20年間ほぼ金融引き締め策を実施してきました。デフレであろうが、最近では、震災で円の需要が高まり、円高になるのがわかりきっているような状況にあっても、増刷拒否の姿勢は崩しません。それに、過去20年間、政府の積極財政ならびに、日銀の大幅な金融緩和を同時行ったことは一度もありません。

このブログでも、再三にわたって嫌になるほど掲載してきましたが、デフレのときには、結局はどうにかして、デフレ傾向が収まるまで、GDPを増やすしかありません。増税したとしても、税金の原資は、GDP以外にないわけですから、そこから税金でお金をひっぱってきて、たとえば福祉にお金を費やせば、雇用が駄目になります。雇用が駄目なったからといって、さらに増税して、雇用にお金をつぎ込めば、今度は、福祉が駄目になります。だからといって、また増税して、福祉に予算をつぎこんだとしてしても、今度は、何かが犠牲になり、結局、雇用も、福祉も、他のことも駄目になってしまうという悪循環から抜け出すことができなくなり、さらに、デフレが進むだけです。そうして、確実に、震災地の復旧にも悪影響を及ぼします。

多くの政治家は、過去20年間デフレであったため、ゆで蛙状況になっており、デフレの本当の怖さを知りません。このまま、デフレが進行していくどころか、増税につぐ増税でそれを加速し続けることにでもなれば、それこそ、82年前とは、全く異なる、豊な日本で、資産を持つ人が多くいながら、 82年前と同じように、街には失業者と欠食児童が溢れ、貧困層では実質上の娘の身売りが相次ぎ、医療水準は、82年前の水準に逆戻りということにもなりかねません。

この、悪循環を断ち切るには、見かけは多少異なるかもしれませんが、根本的には、82年前に行った高橋是清のような政策をとる以外にはありません。さて、平成の高橋是清は、一体誰がなるのでしょうか?

ただし、私は、小沢氏待望論を信奉しているわけでは、ありません。くだらない政局論争など、真っ平御免です。とにかく、上記の小沢氏のような動きが、活発になり、他にも似たような勢力が多数できあがり、増税だけは、阻止してもらいたいと願うの私だけでしょうか?

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2011年12月24日土曜日

クリスマスは誰の陰謀なのか調べてみた―【私の論評】クリスマスが普通の日曜日になった日本は、世界のトップランナーとなるか?





クリスマスは誰の陰謀なのか調べてみた:


街はイルミネーションが輝き、なんだか世の中浮き足立っているこのクリスマス直前。

「クリスマスは彼氏 / 彼女と過ごしたい!」などと言いつつも、女性でも約60パーセント、男性にいたっては70パーセント以上が一人で過ごすらしい。そんな若者のために「ひとりで楽しむクリスマス」なんて特集も組まれているが、クリスマスが「恋人たちの日」なんて誰が一体決めたのだろうか。そもそも何故クリスマスを過ごさねばならないのか。誰かの陰謀に違いない! 早速調べてみた。 

クリスマスとはご存知の通り、イエス・キリストの誕生を祝うキリスト教の行事である。本来は「恋人たちの日」などという意味は1ミリもない。

記録によると最初にクリスマスが祝われたのは戦国時代。ザビエルがキリスト教を伝えた3年後、1552年に山口県で行われたクリスマス礼拝らしい。当時はキリスト教の隣人愛の精神にのっとって、クリスマスには貧しい農民への寄付や救済も行われていたそうだ。断じて「恋人たちの日」など余裕をかましたイベントではない。


フランシスコ・ザビエル
だが、1612年に出された禁教令を皮切りに日本は鎖国。長崎など一部の外国人居留地をのぞいて日本でのクリスマスも一旦お休みとなる。再び日本でクリスマスが見られるは鎖国が解かれた明治時代だ。

1873年にキリスト教が解放、最初は国内在住の外国人がパーティをする程度のイベントだった。だが、翌年1874年には日本にサンタクロース登場、その後デパートにクリスマスツリーが飾られ(1904年)、クリスマス用のデコレーションケーキの発売(1910年)などが登場。1930年代にはデパートで本格的なクリスマス商戦が始まった。

このあたりで現在のクリスマスの原形がほぼ完成したのだが、ここでさらにクリスマスに変化を与えたのは1980年代のバブルだ。この前後から、若者向けの雑誌にクリスマス特集が増え、「クリスマス=ロマン」のイメージが形成されたそうだ。



さらにバブルの好景気の影響を受け、恋人たちの日という定着してしまった。そんなロマンへの憧れが強迫観念めいたものになったと考えられる。その社会に根付いた強迫観念から今でもクリスマスは恋人と過ごさなければならないような焦りを感じているのではないだろうか。諸悪の根源はここにあったのだ! 

もう一度胸に手をあてて問い直してみてほしい。もしかしたら12月25日は、ただの2011年最後の日曜日なのかもしれない。それならそれで普段どおりに過ごせば良いではないか。

ちなみに今年の12月25日は六曜では「赤口(しゃっこう)」。仏滅よりましだが、正午以外は大凶の日である。

photo:rocketnews24

参考元: 日本クリスマス博物館

【私の論評】クリスマスが普通の日曜日になった日本は、世界のトップランナーとなるか?

上の商業主義に煽られた、クリスマスに関しての日本人の勘違いは、昔からあったと思います。そもそも、ほとんどの日本人には、クリスマスは関係ありません。こちちらは、函館ですが、全国的にも有名な教会があり、確かに、信者の方々もいらっしゃいますが、それは、一部に過ぎません。これは、日本いずこも大体似たりよっただと思います。

ちなみに、以下は全国的な有名な元町近辺ではない、函館市内のキリスト教会を示したものです。

大きな地図で見る

しかしながら、キリスト教徒の方々は、クリスマスには家族で教会に行ったり、そのほかは家族で過ごすなどして、特に恋人同士がどうのこうのということとは、全く関係ないことは言うまでもありません。

ただし、今年は、テレビでも報道されていましたが、さすがにバブルの頃と比較すれば、クリスマスをロマンの日と捉えるむきは、かなり少なくなっていようです。まずは、確かに、恋人同士で過ごすなんていうのも、少ないようですし、仮にそうであったとしても、昔のように、高級フレンチやイタリアン、高額プレゼントでなんていう人も減っています。

最近テレビで秋葉で若者を取材している風景を見かけましたが、あるオタクっぽい男子への「クリスマスは恋人と何かを食べに行くのですか」と聴かれて、「普通のところ」と答えていました。「フレンチとか、イタリアンには行かないのですか?」と突っ込まれて、「いや、自分には合わないから行きません、普通のところに行きます」と答えていました。これが、普通の感覚になっているのかもしれません。

カフェトリノのリストランテ
昔、私のアメリカ人の友人が、「クリスマス恋人同士の日」のような日本の状況をみて、「気持ち悪い。クリスマスとは家族で過ごすのが普通であって、恋人どうしの日ではない!!」と言っていたのを思い出します。

しかし、今は、そんな風潮はかなり薄れてきたと思います。それは、私は、喜ばしいことだと思います。これは、景気が悪いとかデフレとかは関係なく、日本人が成熟化したということだと思います。そうして、成熟化した背景には、あの震災も多少は、関係しているかもしれません。しかし、今後、日本の景気がかなり回復したとしても、商業主義に踊らされて、無邪気にクリスマスを恋人たちの日と思い込む人の人数は従来のようには大きくならないと思います。

お隣韓国では、ウォン安で、景気もどん底だというのに、いまだに、クリスマスは派手ですし、それに恋人同士ということになると、日本では考えられないほど、年間の記念日なるものがあります。その都度何らかプレゼントがあるそうです。

それに、結婚式では、友人のふりをして参加するサクラのバイトがあるほどです。特に、記念撮影などのときに、新郎新婦でバランスが崩れた場合、サクラをつかうそうで。サクラの最大の役割は、この記念撮影だというから驚きです。披露宴に数百人出るのは当たり前のようです。それも自由参加型といことで、全く関係ない人が、ご馳走を食べているなどという信じられないようなこともあります。そのため、結婚式に数百万はおろか、1000万円以上出費するのも当たり前のようです。韓国は、以前のブログにも書いたこともあるように、70年代からようやっと経済的北朝鮮に追いついた国です。おそらく、70年から80年代にかけて、特に都市部で、このような商業主義に煽られた、恋人同士の記念日や、結婚披露宴などができあがったものと思います。

韓国の結婚披露宴での記念撮影
日本では、特に都市部では、数十人規模が当たり前です。無論、田舎や、北海道などは、今でも、数百人レベルの結婚式も多いです。特に、北海道は別天地のようで、ほんどとの結婚式が、会員制で、特に田舎は数百人規模が多いです。結婚式に、新郎側も、新婦側も良く知らないという人まで顔を出しています。

北海道には、特殊な事情があって終戦後、貧乏な世帯が多く、招待制の結婚式などできない世帯が多く、このままでは、若者が結婚できなくなるという危機感から道庁などの生活改善運動の一環からこのような風習が生まれ、それが今にいたるまで継承されているというのが、実態のようなです。ついでにいうと、あの北海道発のバーベキューである、ジンギスカンも、その当時の栄養不足を補うため、同調による生活改善運動が端緒となっています。

メジャーになった北海道発祥のジンギスカン

ただし、北海道でも、じょじょに数十人規模の結婚式が普通になりつつあるようです。経済、社会成熟していない国や地域などは、結婚式や葬式の規模が大きく、クリスマスなども商業主義に煽られて華美になる傾向があるようです。

今年のクリスマスは、普通の日と同じように過ごす人も多いようです。これが、本当の姿なのではないかと思います。これが、日本が成熟化して、商業主義に煽られることのない、大人の国になるというのなら、それは、それで喜ばしいことだと思います。そうして、たとえ景気がよくなっても、商業主義に踊らされず、お金を節約するときは、節約し、ブランド物などに価値をみいだすのでなく、自分の価値観に本当に合致するものには、お金をかけるという具合になれば、本物になっていくと思います。

そうして、日本は着実にそのような道を歩んでいるものと思います。少し前までは、景気の良かったアメリカも、EUも、中国ですらも、今は景気にかげりが出ています。というより、今までが、異常だったのかもしれません。韓国などは、異常なウォン安と、歪な経済構造で、破綻間近とも言われています。いずれ、これらの国々も、かつての日本と同じような道をたどることでしょう。そのときになれば、日本は、従来のような経済発展は無理ですが、現状維持もしくは、それより若干回復した状況になっていると思います。そのとき、日本は世界のトップランナーもしくは、手本となっているかもしれません。

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2011年12月23日金曜日

【きょうの名言】日本電産などとっくに潰されていたはず―【私の論評】意識の高さとは、一体何を意味するのか?



【きょうの名言】日本電産などとっくに潰されていたはず(富裕層向けのサイトの記事より)


日本電産本社
能力と意識の差を以前にも当欄で、日本電産の創業者・永守重信氏の言葉として紹介したが、これを採用の基準にも導入したことが、現在にもつながっているという。

  @nagamori_botさんのツイート。永守氏の名言集を集めたものだ。 

  「少々能力がなくても、意識の高い人間を採ったほうがいいと思っている。世の中の人は、成績のいい人を採れば、さぞや立派な製品やいい客を開発するだろうと考える。もしそうなら、日本電産などとっくに大企業につぶされていたはず」

日本電産の創業者・永守重信氏
  能力差5倍、意識差100倍というのが永守氏の持論。意識の差が何年も続いてしまうと、能力差は5倍どころではないのではないか。ビジネスマンで言えば、横一線で入社しても、将来は社長になる人もいれば、ヒラの人も出てくる。

  学校の成績や学歴が、仕事のパフォーマンスに結びつかない理由の一つでもある。人材育成では定評のある日本電産らしい。

【私の論評】意識の高さとは、一体何を意味するのか?
上記は、YUCASEE Mediaという、いわゆる富裕層向けのサイトの記事です。このサイトでは、上記のように今日の名言というコラムがあり、その内容が面白いので、このブログでも時折取り上げています。

それにしても、上記の「意識の高い人」のほうが、能力の高い人よりも、重視すべきことが説かれています。私も、そうは思います。ただし、「意識の高い」というところが、はっきりしないと思います。

本日は、これが何を意味するのかはっきりさせたいと思います。意識が高いとは一体どういう人をいうのでしょうか。まずは、「意識」という言葉の意味をはっきりさせたいと思います。

以下に、辞書から引っ張った「意識」の意味をそのままコピペします。
(1) (ア)物事に気づくこと。また、その心。感知。知覚。
「―を集中する」「人の目を―する」
(イ)(混濁・無意識などに対して)はっきりした自律的な心の働きがあること。自覚。覚醒。見当識。
「―を失う」「―が残っている」 
(2)状況・問題のありようなどを自らはっきり知っていること。
「―が高い」「罪の―」 
(3)〔哲・心〕〔(ドイツ) Bewußtsein; 英 consciousness〕(ア)思考・感覚・感情・意志などを含む広く精神的・心的なものの総体。特に対象を認識する心の働き。主観。物質・存在・世界・自然など、客観的なものに対する。現象学では世界を構成する超越論的自我の働き、また唯物論では存在に拘束される観念一般を意識と呼ぶ。
(イ)単なる直接的な情意作用や知覚ではなく、自他の在り方自身を察知する明瞭で反省的な心の状態。また、その作用・内容など。自己自身を対象化する対自的・反省的働き、人格あるいは自我による統一・自律、一定水準の明晰(めいせき)さなどによって規定される。自己意識。 
(4)〔仏〕〔梵 mano-vijñāna〕六識の一。感覚器官による眼・耳・鼻・舌・身の五識に対し、心の働き、精神の働きのこと。第六識。
ここでいう意識は、やはり、「意識が高い」という用例が掲載されている、(2)の定義でしょうか。とすれば、意識の定義は、「状況・問題のありようなどを自らはっきり知っていること」という意味になるのでしょうか?

東京の女性は他の東アジアの主要都市の女性より、より多くのエネルギーと
お金を
ファッション、メイク、美容に費やしていることが明らかとなった。
しかし、これでも、なにやらボンヤリしていますね。女性でいえば、ファッション、メイク、美容に関心を持つ人のほうが、そうでない人よりも、意識が高いのでしょうか?状況・問題のありようなどを自らはっきり知っていることということであれば、能力の高い人だって、このような状況にあると思います。そうでない人より、能力の高い人のほうがこういうことに気付きやすいかもしれません。

そもそも、能力の高いというのもおかしな表現です。能力といっても、能力には、頭の能力もあれば、身体能力もあります。さらには、頭の能力にも、身体能力にもさまざまなものがあります。こうして、つきつめて、考えていくと、「意識の高い」「能力の高い」と考えること自体が無意味のようにも思えてきます。

そこで、いろいろ考えてみたのですが、結局「意識の高い人」とは、ドラッカー氏が語っている「自分が何に貢献できるかを考える人」を意味するのではないかと思いいたりました。無論、以上はいずれにせよ、企業という組織の話です。企業では、成果をあげなければなりません。個人でも、成果をあげられなければ、いくら能力が有り余り、意識が高かろうと、何の意味ももちません。



では、成果をあげるには、どうしなければならないのでしょうか? これに関して、ドラッカーは、「貢献」という言葉を遣って、以下のように語っています。
 「成果をあげるには、自らの果たすべき貢献を考えなければならない。手元の仕事から顔を上げ目標に目を向ける。組織の成果に影響を与える貢献は何かを問う。そして責任を中心に据える」(ドラッカー名著集『経営者の条件』)  
自らの果たすべき貢献を考える者は、部下が果たすべき貢献についても考える。あなたに期待できることは何かと聞く。こうして本当のコミュニケーションが行なわれるようになる。 
しかも、貢献に焦点を合わせることによって、横へのコミュニケーション、すなわちチームワークが可能になる。 
加えて、最も重要な貢献は何かを自問することは、いかなる自己啓発が必要か、いかなる能力が必要かを考えることにつながる。 
そして、貢献に焦点を合わせるならば、部下、同僚、上司を問わず、人の自己啓発を触発することになる。仕事のニーズに根ざした基準を設定することになる。すなわち卓越性を要求するようになる。 
こうしてドラッカーは、貢献に焦点を合わせることによって、コミュニケーション、チームワーク、自己啓発、人材育成という、成果を上げるうえで必要な四つの基本条件を満たすことができるという。 
われわれは、人についても組織についても多くを知らない。しかし、人にせよ組織にせよ、果たすべき貢献を考えることによって成長することは知っている。 
 「自らに少ししか求めなければ成長しない。多くを求めるならば何も達成しない者と同じ努力で巨人に成長する」(『経営者の条件』)
私は、「意識の高さ」という表現を使っているはいるのですが、日本電産の創業者・永守重信氏は、「自らの果たすべき貢献を考える」ことを言っているのではないかと思います。そうして、日本電産では、この創業者のいうところの「意識の高さ」というものが、はっきりした形で醸成され、社内に息づいているのだと思います。

これで、すっきりすると思います。いくら能力が有り余っている人でも、意識が高くても自らの果たすべき貢献を考えない人は、成果はあげられません。結局、能力や意識をひけらかすことだけに終始するということになると思います。貢献の中でも、最上のものは、「自ら貢献できる事柄で、他の人にはできず、自らが実施すれば、かなりの成果を期待できるもの」ということになると思います。

「意識の高さ」という言葉の中に、こうした意味での「貢献」を含んでいるあるいは、「意識の高さ」=「貢献」というのが、日本電産の企業文化というものではないかと思います。 もし、貢献ではなく、能力や意識を優先していたとすれば、それこそ、日本電産などとっくに潰されていたはずだと思います。皆さんは、どう思いますか?

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2011年12月22日木曜日

中国が北朝鮮を「我が国の省」として扱う可能性を示唆―米紙―【私の論評】そう簡単に事は済むのか?!



中国が北朝鮮を「我が国の省」として扱う可能性を示唆―米紙


金正日逝去から2日後の19日、北朝鮮当局が対外的に公式発表すると、すぐに中国共産党、中国全国人民代表大会常務委員会、中国国務院、中共中央解放軍委員会は合同で北朝鮮の朝鮮労働党と人民軍に対して弔電を打った。「金正日同志はご逝去されたが、彼は永遠に朝鮮人民の胸中に生き続ける。朝鮮人民は金正日同志の遺志を継承し、朝鮮労働党を囲んでしっかりと団結し、金正恩同志の指導の下、悲しみを力に代え、社会主義強国の建設のため、朝鮮半島の恒久平和を推進し続けていくことを望む」との文言がつづられていたという。


この一連の動きに対し、米メディアは「中国が北朝鮮を中国の一部、新たな省として扱おうとしているのではないか」という疑いを持っている。米紙ニューヨーク・タイムズは19日、金総書記の逝去について「最悪のタイミング。北朝鮮は現在、経済も人心も荒廃しており、政治的には孤立している。後継の金正恩氏は兵役に就いた経験がなく、軍の掌握も難しいことから、政権の交代は混乱が予想される」と報道。さらに、米国の北朝鮮政権に対する影響力はやはり中国ほど深くないと指摘し、「米国は中国の出方を見るべきである」と論じた。中国政府は朝鮮半島の分裂状態を維持し、北朝鮮の権力が平和裏に委譲されることを望んでいる。だが、中国政府内でも北朝鮮への関与については意見が分かれていることから、状況はまだ不透明だ。

中国紙・環球時報は、「若年で経験不足の金正恩氏にとって一国の安定は重荷であり、中国の後ろ盾は不可欠だ」と指摘。中国にとって、来年は習近平(シー・ジンピン)副主席が政権を握る大きな節目の年となる。そして外交政策では、北朝鮮を1つの省のように扱うようになるとみられている。そうなれば、中国はおそらく北朝鮮に対し、条件付の経済改革を迫るだろう。中国が支持を表明し、北朝鮮をバックアップすることで、朝鮮半島情勢のリスクが軽減されるのは間違いないが、韓国・中国・米国、この3国の対話の行方に注目が集まっている。

【私の論評】そう簡単に事は済むのか?!

上記の記事では、中国の一省という扱いのことが掲載されていますが、実際にそんなに簡単にいくのでしょうか。北朝鮮内にも、中国に飲み込まれるくらいなら、韓国と統一したほうが良いという派閥もあるでしょうし、それに北朝鮮はロシアに国境を接していることを忘れてはならないと思います。北朝鮮内部にも親ロ派がいることを忘れてはなりません。それに無論のこと、韓国や、米国のことを忘れるわけにはいきません。

以下に世界が見ている北朝鮮の今後の内容を掲載しておきます。
(1)集団指導体制=最も可能性が大きいシナリオ
米ブルッキングス研究所北東アジア政策センターのブッシュ所長は、「金正日の健康が好転し金正恩後継作業のスピードを遅らせたのが北朝鮮としては問題。『白頭(ペクトゥ)血統』である金正恩を前面に出し党と軍部、内閣が後見する集団指導体制で定着する可能性が大きい」との見方を示した。  
張成沢(チャン・ソンテク)
 後見核心勢力は金正恩の叔母の夫の張成沢(チャン・ソンテク)国防委員会副委員長が挙げられる。外交安保研究院のユン・ドクミン教授は、「北朝鮮社会の特性上、金正恩1人体制に進む可能性はあるが、米国などが金正恩体制の安着を誘導している雰囲気を考慮すれば張成沢中心の集団指導体制も可能だろう。段階的な北朝鮮開放の可能性も慎重に期待できる」と話した。それとともに、「金日成-金正日-金正恩とつながる『遺訓統治』を通じて内部安定化と対外政策を維持していくようだ」と付け加えた。しかし今後権力の離合集散過程で新しい権力と既得権勢力が衝突し内部不安定を引き起こす可能性もある。 
(2)金正恩1人体制=安着しやすいだけではない場合 
世襲によって権力掌握はしたが安定性は金正恩の能力にかかっているということだ。統一研究院のチョン・ヒョンジュン専任研究委員は、「金正日時代のパワーエリートが当分金正恩体制の安着に努力するだろう。しかし経済問題と米朝関係、南北関係などをどのように解決していくかがエリートらの忠誠度を維持するカギだ」と話した。 
金正恩と金正日に対する北朝鮮住民らの尊敬心の違いも核心だ。市場と携帯電話を通じて開放の味を味わった住民たちの大規模離脱の可能性も排除することはできない。ロシア国際経済・国際関係研究所(IMEMO)アジア太平洋研究室のペドロフスキー所長は、「スターリン死亡後に形式上の指導者としてマレンコフが指名されたが、実際の権力者はフルシチョフだった」とした。  
(3)開放派と強硬派の葛藤=最も暗いシナリオ 
軍部の強硬派が金正恩を牽制し新しい権力を創り出そうとする場合だ。開放派に分類される張成沢勢力と金永春(キム・ヨンチュン)人民武力部長ら強硬派の衝突があり得る。マカオに滞在中の金正恩の異母兄の金正男(キム・ジョンナム)を擁立する人たちが「兄弟の乱」をそそのかす可能性も想定できる。こうした内部の不安定さが対南軍事挑発と住民の大量脱北事態に広がるならば、韓半島は手のつけられない混乱に陥ることになる。 
金永春(キム・ヨンチュン)
最悪の場合、米国と中国など国際社会が介入する状況が訪れることもあるという分析だ。米外交協会(CFR)のスナイダー研究員は、「最悪の状況は権力掌握のための派閥間闘争や無政府状態がもたらされるだろう。だが、北朝鮮の核心指導層は分裂して体制が崩れた場合には生存代案がないという点をよくわかっているというのが金正恩には幸運だ」と話した。
朝鮮民主主義共和国人民解放軍
わたしは、しばらく実質集団指導体制が続き、その後本格的な権力抗争が発生すると思います。おそらく、今から5年後くらいから、権力抗争が激しくなると思います。なぜ、そんなことがいえるかといえば、今のところ、どれも傑出した存在がないからです。いずれにせよ、東欧では終わった冷戦構造が、アジアではそのまま継続しています。なぜ、残ったかといえば、当事者であるはずの日本が、これに対して何もしてこなかったことにも要因があったと思います。

もうそろそろ、日本も、こうした世界の流れに翻弄されだけではなく、自ら進むべき道を選べるようにすべき時期に来ているのではないでしょうか?そうでなけば、拉致問題はいつまでたっても解消できないでしょうし、これからも、世界の流れに翻弄されるだけの存在となることでしよう。

世界特にアジアの国々は、過去のこの地域における日本の貢献を忘れてはならないと思います。日本が日露戦争に勝利したからこそ、朝鮮半島はロシアの傘下に収まることもありませんでした。その後も日本が中国にとどまったことにより、ロシアの浸食はありませんでした。

もし、日本が、極東の一小国であり続けていたなら、朝鮮半島ならび、中国の満州いや、もっと広い中国の版図の一部もロシア領になっていた可能性があります。

いやそれどころか、今頃日本などは存在せず、当時のソ連の傘下に収まっており、私たちは、公用語としてロシア語を日々語っていたかもしれません。いや、最悪は、関東以北がロシア領、以南が日本というように、今の朝鮮半島のように二分されていたかもしれません。そんなことになっていれば、今頃、このような、冷戦構造がなかったか、あるいはもっと酷い状況になっていたかもしれません。


それから、多くの人々が知らない歴史の事実があります。それは、現在北朝鮮は、疲弊していますが、第二次世界大戦直後には、北は工業国であり、南は農業国でした。なぜかといえば、日本が、北朝鮮に、東洋一のダムを築いたり、工場を築いたため、それを引き継いだ北朝鮮のほうが、豊だったのです。この状況は、1970年代まで続いてました。

さすがに、1970年代からは、韓国のほうが経済発展し、今にいたっています。今では、こんな歴史もほんどとの人が覚えていません。ひよっとしたら、今でも、北朝鮮という国があり続けるため、あるいは、朝鮮半島南北統一のためには、本当は日本という国の力が必要なのかも知れません。そのことをこれらの国の人々も、日本人も忘れてしまったのかもしれません。

とはいいながら、私は、民主党と北朝鮮との怪しげな関係を認めるわけではありません。民主党と北朝鮮の関係は、国民国家とは全く関係なく、個々の政治家の利権の問題です。これは、国民の利益と合致するわけではありません。私は、日本国とアジアの関係を語っているのです。大東亜の理想のため、払った多くの国民の多大の犠牲の上に、今の国際秩序があるということを言いたいのです。そうして、その国際秩序に今後日本が関与しなければ、東アジアの安定した新秩序は生まれないであろうことを言いたいのです。

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2011年12月21日水曜日

クオリティーの高い仕事をしたいなら、ズバリ「休憩」をとるべし!−【私の論評】他の見方からいえばどういうことが言えるだろう?

燃え尽き防止や眼精疲労の軽減、モチベーション維持の観点から、定期的な休憩は必要といわれます。しかし、より短い時間でクオリティの高い仕事をする上でも、休憩が有効のようです。

Photo by Blend Images.

【私の論評】他の見方からいえばどういうことが言えるだろう?

上の記事は、ライフハッカーのものです。ライフハッカーでは、心理学の研究の最新の、成果に、もとずく内容のものが掲載されることが多いです。上記の内容もその例外ではありません。詳細は、上の記事をご覧いただくものとして、ここでは、この事実を他の側面から見てみることにします。

これには、色々な見方ができると思いますが、ここでは、マネジメントの側面からみてみます。

マネジメントの側面から、すれば、クオリティーの高い仕事とは、一体何を意味するのでしょうか?ここでは、金が儲かる仕事などと卑近なことをいうつもりは、ありません。こういう見方は、かえって真実を見えにくくしてしまいます。

私は、成果のあがる仕事が、マネジメント上では、クオリティーの高い仕事と言えると思います。マネジメン上で、成果と対比される言葉として、効率と言う言葉かあります。

経営学の大家ドラッカー氏は、これらについて以下のように語っています。

「効率とは仕事の仕方であり、成果とは仕事の適切さである。」
マネジメント上P52

あるミッションがあったとして、それに対して、適切な仕事をするためには、一体何をしなければならないのかを十分に考えなくては、なりません。その結果、既存の知識だけですむものに関しては、段取りを考えれば良いわけです。

既存の知識だけで済まないようなものに関しては、新たな、枠組みや、新たな段取り方法を考える必要があります。こんな時に、効率のあがる方法を適用しても無駄です。


まずは、頭の中で、シミレーションや、思考実験をして、大まかな、方向性を決める必要があります。この過程がクリアされずに、なし崩し的に、本格的に、仕事に入ってしまえば、成果のあがる仕事はできなくなってしまいます。

この過程では、かなり頭を使うのだと思います。まさにこの時に、頭が疲れていればまともな思考ができず、安直な方法か、頭を使わないですむ、過去の延長線上の、仕組みや段取りで済ましてしまおうとし、その枠組みの中で効率をあげようとするのだと思います。だから、成果のあがる、クオリティーの高い仕事ができなくなるのだと思います。

だから、こそ休憩をとる必要があるのだと思います。

業務を効率化するツールは山ほどあり日々進化しています。ところが成果を出すということは、人間的な要因であるために画期的なツールがあるわけではありません。

もちろんITは日進月歩で進化していますが、成果をあげるツールでは
ありません。

ドラッカー氏は、以下のようにも語っています。

「今日のところ、ITは、トップ経営陣に対し、情報ではなくデータを供給するにすぎない。新しい問題意識や新しい経営戦略を与えるにはいたっていない。」
明日を支配するものP112

ということは、成果とは、ツールで劇的に改善するものではないだけに、多くの人は、比較的簡単に効果が出る効率化を考える方に流されやすいということになります。

その結果はドラッカーも語っているように、
「無駄な仕事を見事に設計するという結果になりかねない。」(マネジメント上
P255)ということになります。

しかも、効率とは仕事の仕方であるということは、仕事の仕方を担当する
のはスタッフ部門ということになります。

トップマネジメントが必要以上に効率化に没頭するとマネジメントの地位にある者がスタッフの仕事をしていることになります。つまりマネジメントの不在ということになってしまいます。

そうなってしまうと最悪の結果になってしまいます。ドラッカー氏も以下のようにかたっています。

「新たに設立される企業一〇〇社のうちほぼ七五社が、マネジメントの失敗を主たる原因として五年以内に倒産している。」

創造する経営者P155

考えてみれば、効率化の失敗で倒産したという話は聞いたことがありません。企業は、効率化の失敗ではなく成果をあげるべきマネジメントが、成果をあげられないで倒産するということです。

さて、あなたが取り組んでいる経営課題は、成果をあげるものになっているでしょうか?それとも、業務の効率化だけですか?


成果を上げるためには、上記のように、休憩が必要ということです。日本の会社では、残業が当たり前のようになっている会社がまだたくさんあります。私自身は、先のように、考え方が決まってしまえば、一気呵成に、やってしまいたいたちなので、残業の全てを否定するつもりは、ありません。

しかし、クオリティーの高い仕事を妨げる事があってはならないと思います。

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