2025年11月19日水曜日

中国の恫喝に屈するな――高市政権は“内政干渉”を跳ね返せ


まとめ
  • 我が国政府が在中国邦人に「広場・人混みを避けよ」と警告したのは、中国国内の政治的緊張と反日感情の高まりを現実的な危険として捉えた結果である。
  • 高市首相の台湾有事に関する国会答弁は、我が国の安全保障の常識に沿ったものであり、中国がこれを撤回させようとするのは明白な内政干渉である。
  • 中国の反日デモは過去たびたび発生し、その一部は反政府運動へ転化し、当局の統制さえ危うくした事例があるため、邦人が巻き込まれる危険性は無視できない。
  • 国際環境も台湾海峡をめぐり緊張を高めており、米国務省や米議会は中国の現状変更を強く非難し、日本との連携を明示している。
  • 国内の一部メディアや識者は、事態の本質を見ず「挑発だ」「日本が自制すべきだ」といった浅い反応に終始し、危機の構造を理解しようとしない姿勢がむしろ問題を深刻化させている。

1️⃣我が国政府の警告は“静かな危機”の始まりである


11月中旬、我が国政府は在中国邦人に向けて「大人数の広場や人混みを避けよ」と注意喚起を出した。表向きは安全情報に見えるが、その文言には通常の旅行注意を超えた緊張感が漂う。広場、群衆、不審な集団――いずれも政治的騒乱を暗示する言葉だ。我が国は、中国国内で反日感情が溜まりつつある危険を見逃さず、それが邦人リスクに転化する可能性を現実に読み取っている。

背景には、高市早苗首相が国会で台湾海峡の危機に言及したことがある。中国はこれに反発し、日本政府に“発言撤回”を迫った。外交の場で他国の首相答弁に口出しする行為は、主権国家への明白な干渉である。それにもかかわらず、国内の一部メディアと“識者”は、高市首相に対して「挑発的だ」「余計な発言だ」と責める調子ばかりで、中国側の不当性を指摘する声は驚くほど少なかった。

11月18日の中日外務高官協議では、中国外務省の毛寧報道官が高市首相の答弁に抗議し、撤回を要求したと明らかにした(出典:ロイター China urges Japan PM to retract 'egregious' remarks on Taiwan, 2025年11月13日)。
これは、まぎれもなく我が国への干渉であり、看過すれば今後も際限なく踏み込まれる。高市首相が退く理由はまったくない。

さらに、国会でもこの問題は核心に触れた。11月7日の衆院予算委員会で、立憲民主党の岡田克也氏が「台湾とフィリピンの間の海峡が封鎖された場合、存立危機事態に当たるのか」と問い、高市首相は「武力を伴うものなら該当し得る」と答えた。
国家安全保障の責任者として当然の答弁であり、これを中国が“撤回せよ”と迫る構造自体が危険なのだ。

2️⃣中国が最も恐れるのは“反日”の暴走ではなく“反政府”への転化である

中国は長年、反日ナショナリズムを国内統治の道具として利用してきた。経済不満や政治不満を外に向け、国民の視線をそらす典型的な手法である。しかし、この方法には重大な欠点がある。火が大きくなりすぎると、矛先が“反政府”へ向かう危険を常に伴う。まさに諸刃の剣なのだ。

実際、過去には反日デモが反政府へ“転化”した事例がある。2005年の反日デモでは日本企業の店舗破壊が起きたが、一部では汚職批判のスローガンが混ざった。2012年の尖閣をめぐるデモでも、地方政府の腐敗や不満が叫ばれた場面が確認されている。

自由を求めた中国のゼロコロナ抗議デモ

中国当局はこの転化を恐れている。
なぜなら、反日デモは「政府が許した範囲」でしか燃やせない炎だからだ。しかし、中国人民の中には、政府に対する憤怒のマグマがいつ爆破してもおかしくないほど鬱積している。火力が上がり過ぎれば、中国共産党の統治正当性そのものに跳ね返り、制御不能になる。

しかし現状の中国は、経済政策の失敗などから、この危険を冒してまでも、自らが国民の憤怒のマグマを直接浴びることを避けるため反日を煽らなければならない状況にある。しかしながら、反日を煽り続ければ、今度は自分たちが危なくなるため、一定の限度がある。

その一定の限度を乗り越えず統治の正当性を維持するには、台湾統一をすぐにも実現すべきだが、これもこのブログで過去に述べてきたように、すぐにはできそうにもない。こういう窮地に立った時に、中国は他国への恫喝を強めるのは常道と言っても良い。中国は今危険な綱渡りをしているのだ。

したがって、我が国政府の警告は、当然のことである。中国国内の反日感情が高まる時期は、中国当局が神経質になる時期でもあり、これがさらにエスカレートしさらに反政府運動にまで拡大すれば、多数の邦人が巻き込まれる可能性は一気に高まる。広場を避けよという警告は、混乱の“暴発”とその限界を我が国が冷静に見通した結果である。

3️⃣国際環境の現実と、情けない国内“専門家”たち

国際社会も台湾海峡の危機を本気で見ている。7月、米国務省は「台湾海峡の現状変更に強く反対する」と公的に表明し、日本を含む同盟国と連携する姿勢を明確にした。さらに米議会では、台湾侵攻に備えた中国制裁法案が超党派で進み、米軍制服組も議会で「台湾有事の危険は過去より切迫している」と証言した。
(出典:米国務省・台湾に関するプレスリリース / 米議会公聴会記録)

こうした状況下で、高市首相が台湾海峡の安全保障を語るのは国際常識に沿っている。むしろ、語らないほうが不自然だ。台湾海峡は我が国の生命線であり、その危機は我が国の危機だ。首相が国会で現実を述べたからといって、それを中国が撤回させようとするのは、主権を踏みにじる行為にほかならない。


ところが、国内の一部メディアと“識者”は、まるで中国の広報官のような反応を示した。「挑発的だ」「不用意だ」「中国を刺激するな」――そうした言葉ばかりが紙面に躍り、高市首相を批判する声はあっても、中国の不当性を指摘する声はほとんど聞こえなかった。
中国が日本の首相に“発言撤回”を求める異常事態であるにもかかわらず、その重要性に触れようともしない。

目の前で起きているのは「台湾有事の現実化」と「中国による日本政治への介入」であり、いずれも国家の根幹にかかわる問題である。これを矮小化する報道は国益を損なう。

結論:高市首相は一歩たりとも退いてはならない

中国による“発言撤回要求”は、我が国の主権と議会制民主主義への挑戦である。もしこの要求を受け入れれば、我が国は今後あらゆる外交・安全保障上の議論で中国の顔色を窺う国になるだろう。それは国家としての自殺行為だ。

台湾海峡の危機が迫る中、我が国は同盟国と歩調を合わせ、毅然とした姿勢を貫くべきだ。高市首相の答弁はその第一歩であり、撤回する理由はどこにもない。

我が国は、主権国家として当たり前のことを当たり前に言う国でなければならない。
それこそが国民を守る確かな道である。

【関連記事】

中国の威嚇は脅威の裏返し――地政学の大家フリードマンが指摘した『日本こそ中国の恐れる存在』  2025年11月16日
高市首相の「台湾有事=日本の存立危機」発言に、中国が暴言・威嚇・渡航自粛で過剰反応した背景を、フリードマン地政学から読み解く記事だ。日本列島が中国の外洋進出を塞ぐ“壁”であることを踏まえ、中国の恫喝がむしろ「日本への恐怖と焦り」の裏返しである構図を描き出している。

沈黙はもう終わりだ──中国外交官の“汚い首を斬る”発言に、日本が示すべき“国家の矜持”  2025年11月11日
大阪の中国総領事が高市首相に対して「汚い首を斬ってやる」と発言した前代未聞の暴言を取り上げ、日本がどのような抗議と対抗措置を取るべきかを論じたエントリーである。外交とは礼と覚悟の勝負であり、中国の恫喝に沈黙してきた日本の姿勢を改めるべきだと強く訴えている。

「台湾有事」への覚悟──高市首相が示した“国家防衛のリアリズム” 2025年11月9日
高市首相が国会で「台湾の安定は日本の安全保障に直結する」と明言した意味を、南西シフトやハイブリッド戦のリアリズムから掘り下げた記事だ。台湾有事は日本有事であり、防衛力整備は“戦争準備”ではなく戦争を避けるための抑止であるという視点を提示している。

高市総理誕生──日本を蝕んだ“中国利権”を断て  2025年10月21日
高市総理誕生を、日本政治に巣食ってきた「中国利権ネットワーク」を断ち切る転換点として描いた論考である。IR汚職や海外の事例を引きつつ、中国マネーが政財官界や大学・地方自治体にまで浸透してきた実態を示し、高市政権に求められる利権構造の一掃を提起している。

日本の沈黙が終わる――高市政権が斬る“中国の見えない支配”  2025年10月19日
高市政権の成立を「情報主権国家」への出発点と位置づけ、中国の情報操作・統一戦線工作にようやくメスが入る過程を描いた記事だ。スパイ取締法構想や“空白証拠”の分析を通じて、メディアと政治の親中構造が生んだ沈黙を断ち切る必要性を訴えている。

2025年11月18日火曜日

COP30が暴いた環境正義の虚像──SDGsの欺瞞と日本が取り戻すべき“MOTTAINAI”


まとめ
  • COP30は“科学の会議”ではなく政治装置であり、先住民運動や抗議行動は欧米型アイデンティティ政治と結びついた演出として利用されている。
  • 気候変動問題は純粋な科学ではなく政治的思惑に支配され、異論は封殺され、IPCC要約も政治によって方向性が決められている。
  • SDGsは利権構造を生み出す仕組みとなり、SDGウォッシングや評価産業が肥大化している一方、アメリカではバッジが“馬鹿の印”と揶揄され、金融界でも距離を置かれ始めている。
  • 日本の霊性の文化は自然との調和を重んじる独自の価値体系であり、欧米の環境思想とは異なる文明的強みを持つ。
  • “MOTTAINAI”は利権にならないため国際社会から押しやられたが、本来は世界が学ぶべき文明の叡智であり、日本はこれを再び掲げ「本当の持続可能性」を世界に示すべきである。
1️⃣気候正義の裏に潜む政治装置──科学の皮を被った気候物語と欧米型アイデンティティ政治

COP30では、会場の外で「気候正義」を掲げる大規模デモが行われた

ブラジル・ベレンで開かれているCOP30では、会場の外で「気候正義」を掲げる大規模デモが連日行われている。数万人規模の「市民行進」には先住民や環境団体が参加し、化石燃料の「葬式」パフォーマンスまで繰り広げられた。(ガーディアン)
別の日には、先住民らが会場の主要入口を数時間ふさぎ、ライオットポリスや軍の車両が並ぶ物々しい光景も報じられている。(ガーディアン)

表向きは「科学に基づく地球規模の議論」だが、その中身はかなり政治的だ。
温暖化は人類の罪、化石燃料は絶対悪、炭素削減は道徳的義務――こうした前提が最初から固定され、そこに疑問を挟む余地はほとんどない。

CO₂と気温上昇の関係は、未解明の部分が残っている。それでも、懐疑的な研究者は主流から外され、慎重な姿勢を見せる政治家は「地球の敵」のように叩かれる。IPCC報告書の要約版は各国政府の交渉で書き換えられ、その「政治的要約」が世界の政策の根拠として独り歩きする。もはや純粋な科学ではない。気候変動は、科学の衣をまとった政治の道具になっている。

この気候物語を“道徳的に補強”しているのが、欧米発のアイデンティティ政治だ。社会を「被害者」と「加害者」に分け、被害者とされた側に絶対的な正義を与えるやり方である。COP30でも、先住民はその象徴として前面に立たされている。彼らの怒りは、本来なら是々非々で議論されるべき開発・インフラ政策を、「植民地主義の再来」と断罪するための強力なカードとして使われる。

もちろん、先住民側に切実な問題があることは事実だ。しかし、抗議行動の背後には、欧米の環境NGOや国際基金からの資金、組織的な支援があるケースも多い。誰がスピーカーを選び、誰がマイクを渡しているのか。その力学を見ないまま「環境正義」というきれいな言葉だけを信じれば、欧米の政治ゲームに巻き込まれるだけである。
 
2️⃣環境ファシズムとSDGs──“きれいごと”が巨大利権に変わる

今やSDGsバッジは馬鹿の目印・・・・・・?

気候物語とアイデンティティ政治が結び付くと、環境ファシズムと呼ぶべきものが顔を出す。環境の名さえ掲げれば、企業活動の停止要求も、道路封鎖も、生活への重大な制約も、「地球のため」として正当化される。

同じ構図は、ここ数年のアメリカ金融界でも姿を変えて表れている。ESG投資への反発が急速に強まり、20以上の州で「反ESG」法や規制が次々に導入された。ESGを看板にした投信への資金流入も伸び悩み、全体残高が頭打ちになったとの分析も出ている。(Oxford Law Blogs)

そんな中で象徴的なのがSDGsだ。
17の目標、169のターゲット、カラフルなアイコン――見た目は立派だが、世界中で「SDGウォッシング」という言葉が飛び交うようになっている。企業や自治体がSDGsのロゴだけを並べ、中身の伴わない取り組みを“善行”として宣伝する現象だ。学術論文でも「SDGsの報告は象徴的にすぎず、実態を伴わない“SDGウォッシング”の危険がある」との指摘が相次いでいる。(Emerald Publishing)

SDGsそのものの設計についても、目標が多すぎる、指標があいまい、互いに矛盾する、結局は現状維持の道具になっている――といった批判が研究者から出ている。(ウィキペディア)

日本でも、いわゆる「SDGsバッジ」が一時期は流行した。だが空気は変わりつつある。
経済評論家の渡邉哲也氏は、片山さつき氏との対談や自身のX(旧Twitter)で、アメリカではSDGsバッジは「バカの印」とまで揶揄されており、そんなものを付けていれば銀行や投資家の信用を失う、と語っている。(note(ノート))
これは、実務の世界では「きれいごとの飾り」を嫌い、数字と実績を重んじる風潮が強まっていることの反映だろう。

SDGsは、本来なら人類の未来のための旗印であるはずだった。ところが現実には、国際機関、金融機関、格付け会社、コンサル企業、広告代理店――こうしたプレーヤーが参入しやすい「利権の器」になってしまった。評価指標を作る側が主導権を握り、企業や自治体はそれに合わせて高価なレポートや認証を買う。きれいな言葉とは裏腹に、「点数を売る産業」だけが太っていく構図ができ上がっているのである。(ウィキペディア)
 
3️⃣日本が取り戻すべき霊性の文化──“MOTTAINAI”こそ世界が学ぶべき文明の叡智

しかし、我が国には欧米が持たない文明的な武器がある。
森羅万象に命が宿ると考え、自然と人間を対立させず、畏れと感謝の心で向き合う「霊性の文化」である。自然を征服する対象とも、神棚に飾る偶像ともせず、「共にある存在」として扱ってきた。この感覚は、環境問題が思想闘争と利権の道具にされている現代において、非常に大きな意味を持つ。

この精神文化を最もよく表す言葉が、「MOTTAINAI(もったいない)」だ。
“勿体無い”は、本来あるべき姿や価値を無駄にしてしまうことを惜しむ感情であり、「ものにも命が宿る」という感覚が裏にある。まだ使える物を捨てるのはもったいない。料理を残すのはもったいない。使い捨てはもったいない。ここにあるのは、難しい理論ではなく、生活に根付いた自然な徳目である。

この言葉に世界が注目したきっかけは、2005年のワンガリ・マータイ氏の来日だ。ケニア出身で、環境保護の功績によりノーベル平和賞を受賞したマータイ氏は、日本で「もったいない」という言葉に出会い、その深い意味に衝撃を受けた。彼女は、この一語に「減らす・繰り返し使う・再生する・敬意」の四つの思いが込められているとして、国連などの場で“MOTTAINAI”を世界に紹介した。(外務省)

これを受けて毎日新聞社などが「MOTTAINAIキャンペーン」を展開し、循環型社会づくりの合言葉として広めようとした。(政府オンライン)
本来であれば、日本発の“MOTTAINAI”が、世界の環境運動の中心に座っていてもおかしくなかった。


ところが現実には、その後、国際社会で主役になったのは“MOTTAINAI”ではなくSDGsだった。なぜか。
理由は単純である。

MOTTAINAIは「無駄を減らせ」「余計なものを作るな」「静かにやるべきことをやれ」という思想だ。これでは利権にならない。派手なシンポジウムも、巨大なコンサルビジネスも、複雑な認証ビジネスも生まれない。誰かが儲かる仕組みにはなりにくい。

一方、SDGsはどうか。
目標は多く、指標は細かい。だからこそ、「指標づくり」「評価」「認証」「コンサル」「広報」といった分野に、いくらでも仕事を生み出せる。国際会議も増える。報告書も山のように作れる。つまり、利権を量産するにはもってこいの仕組みだ。世界は「利権になるSDGs」を選び、「利権にならないMOTTAINAI」を隅に追いやったのである。

しかし、日本が従うべきはどちらか。
答えは明らかだ。

我が国は、欧米発のスローガンをありがたがる必要はない。
むしろ、自らの霊性の文化と“MOTTAINAI”の精神を今こそ掘り起こし、現代的な言葉で語り直し、世界に示すべきだ。

自然を畏れ、同時に共に生きる。
物を大切にし、無駄を恥じる。
誰かに見せるためではなく、自分たちの暮らしと心をまっすぐに保つために、環境を守る。

この静かで強い価値観こそ、気候変動詐欺、アイデンティティ政治、環境ファシズム、SDGs利権の欺瞞に振り回されないための“心の防波堤”である。

日本は、ただ外圧をはねつける国であってはならない。
我が国こそ、「本当の持続可能性とは何か」を世界に示す役割を担うべきだ。
その土台になるのが、霊性の文化と“MOTTAINAI”なのである。

【関連記事】

脱炭素の幻想をぶち壊せ! 北海道の再エネ反対と日本のエネルギードミナンス戦略 2025年5月31日
北海道で進む再エネ偏重政策の歪みを俯瞰し、日本は「脱炭素」ではなくエネルギードミナンスで国家戦略を構築すべきだと論じた記事。COP30の環境正義批判と極めて整合する。

きょうは「みどりの日」 「MOTTAINAI」普及 循環型社会、目指し―エコエゴにならないように!! 2010年5月4日
「MOTTAINAI」の本来の意味を仏教・神道由来の霊性の文化として掘り下げ、二酸化炭素神話やエコグッズ商法と切り離して論じた。COP30批判やSDGs利権批判と組み合わせることで、「日本発の環境観」を打ち出す土台として使いやすい内容。

【主張】温室ガス中期目標 実現可能な数値にしたい―地球温暖化二酸化炭素説がいつまでも主要な学説であり続けることはあり得ない!! 2009年5月8日
京都議定書や温室ガス削減目標をめぐる国際政治の偽善性を指摘し、「地球温暖化二酸化炭素説」は虚偽であり省エネと混同すべきでないと論じた。COP30の「環境正義」レトリックを批判する際の理論的バックボーンとして位置づけられる。

日本の森林問題の特殊性-環境問題は教条主義的には対処できない 2008年5月21日
日本は「伐らないと森が死ぬ」森林大国であり、欧米型の教条的グリーン思想ではかえって環境を壊すという逆説を具体的に示した記事。

私が環境問題に興味を持ったきっかけ-マスコミの危険性を教えていただいた恩師の想い出 2007年9月10日
「前脚のない猿」報道をめぐる誤報・扇動の実例から、環境報道とマスコミの危険性を告発した原点回帰の記事である。COP30報道、SDGs礼賛、ESGバブルなどに踊らされる世論を批判し、「自分で裏を取る読者になるべき」と主張。

2025年11月17日月曜日

中国依存が剥がれ落ちる時代──訪日観光と留学生の激減は、我が国にとって福音



まとめ

  • 中国人観光客への過度な依存がオーバーツーリズムや奈良の鹿への乱暴などを招き、今回の縮小は観光の質と日本文化を守る好機である。
  • 観光消費の6割以上は日本人によるものであり、「中国人が来なければ観光経済が崩れる」という言説は事実に反している。
  • 中国の国家情報法により中国籍者は国外でも情報活動への協力義務を負うため、日本の大学・研究機関での受け入れは構造的な情報流出リスクを抱えている。
  • 北海道の水源地や自衛隊周辺の土地買収、経済報復、SNSを使った世論操作、行政システムへの中国企業の入り込みなど、日本ではあまり報じられない形で中国の浸透が進んでいる。
  • 米国のPew Research Centerの調査で世界の過半数が中国を否定的に見ており、日本でも好意的評価は1割強にとどまることから、中国依存から距離を置くことは我が国の生存戦略そのものである。

1️⃣観光と教育の“ゆがみ”が正される絶好のチャンスだ


中国政府が自国民に「日本への渡航・留学を控えよ」と警告を出した。日本のテレビや新聞は、「観光産業への打撃」「大学経営への影響」といった話ばかりだ。しかし、実態を見れば、これは我が国にとってむしろ好機である。長年続いた中国依存のゆがみを、ようやく是正できる入り口だからだ。

まず観光である。爆買いツアーに象徴されるように、中国人観光客への過度な依存は、日本の街の景色を大きく変えてきた。京都や浅草の商店街は中国語の看板であふれ、深夜まで騒がしく、文化財の扱いは荒くなった。日本文化を味わう場だったはずの観光地が、「安さ」と「買い物」だけを求める団体旅行の舞台に変わってしまったのである。

その結果がオーバーツーリズムだ。京都では地元住民が市バスに乗れず、鎌倉では通勤者が駅前を抜けられない。浅草や富良野でも生活道路が観光バスと観光客で埋まり、住民の生活は押しのけられてきた。観光が地域を潤すどころか、地元の人から日常を奪う存在になりつつあった。

奈良公園の鹿への乱暴狼藉は、その象徴である。鹿を蹴る、追い回す、角をつかむ、食べ物を投げつけて動画を撮る──。奈良の鹿は千年以上、神域とともに生きてきた神鹿であり、我が国の文化そのものだ。それを“見世物”のように扱う行為は、日本文化への侮辱である。こうした迷惑行為の多くが特定の国の観光客によるものであることは、もはや誰の目にも明らかだ。

それでも日本のメディアは、「中国人が来なくなったら日本の観光は成り立たない」といった調子で不安を煽る。しかし数字を見れば実態は逆である。政府資料によれば、2023年の観光消費総額28.1兆円のうち、日本人による国内観光消費は21.9兆円であり、全体の6割以上を占める。(国土交通省) 外国人訪日客の消費は5.3兆円にとどまる。(ジェトロ) つまり、観光産業の屋台骨を支えているのは我が国民自身であり、中国人観光客ではない。

しかも、中国人観光客の購買力はすでに落ちている。日本政府観光局などの統計を整理した報道によれば、2025年4〜6月期の中国人訪日客の一人当たり買い物代は、前年比29%減まで落ち込んだ。(China Travel News) その一方で、日本国内の中国系店舗や中国系ツアーだけを回り、経済圏を中国語コミュニティの中で完結させる動きも強まっている。表向きの人数が増えても、日本経済に落ちるお金は細っているのが現実だ。

教育分野のリスクは、さらに深刻である。中国人留学生は、単なる「外国からの優秀な学生」では済まない。2017年に施行された中国の国家情報法は、第7条で「すべての組織と公民は、法律に従って国家情報活動を支持し、援助し、協力しなければならない」と定めている。(chinalawtranslate.com) 第10条も、情報機関が必要な協力を求められる権限を明確にしている。(chinalawtranslate.com) つまり中国籍の者は、国外にいても国家が命じれば情報収集への協力が“義務”になるということだ。

この前提に立てば、日本の大学や研究機関に大量の中国人留学生・研究者を受け入れてきた構図が、いかに危ういものであったかが見えてくる。先端材料、AI、量子技術など、軍事転用の余地がある分野ほど中国側が強い関心を持っているのは各国共通の認識である。それでも日本では、「国際化」「大学経営」などの言葉の陰で、安全保障の視点がほとんど語られてこなかった。

さらに、日本のメディアがまず取り上げないのが「医療」と「教育資金」の問題だ。中国系ブローカーが短期滞在の観光客を高額医療へ誘導し、未払いのまま帰国して病院が泣き寝入りする例が現場で問題になっていることは、医療関係者の間では知られた話である。また、一部の大学が中国系ファンドからの寄付や共同研究資金を受け取り、その見返りに研究テーマや成果の扱いに目をつぶってしまう構図も懸念されている。これらは派手なニュースにはならないが、静かに国の基盤を侵食するリスクである。

今回の「渡航・留学は控えよ」という中国政府の動きは、こうしたゆがんだ構造を見直す絶好のきっかけだ。観光も教育も、日本側の主導で再設計し直すチャンスである。
 
2️⃣土地買収・経済報復・情報戦──静かに進んできた中国の浸透

中国リスクは、観光と留学にとどまらない。もっと根の深い部分で、静かに、しかし確実に進行してきたのが土地の買収である。北海道の水源地、山林、海岸線、離島、自衛隊施設の周辺──本来なら国家が神経を尖らせるべき地域で、中国資本による買収が相次いできた。政府資料や有識者の調査でも、こうした重要地点に中国資本が入り込んでいる実態が報告されている。(China Travel News)

さらに厄介なのは、土地の所有者がペーパーカンパニー同然の中国企業で、実際の支配者が誰なのか分からないケースが少なくないことだ。連絡先も曖昧で、日本側が実態を把握できないまま所有権だけが海外へ流れていく。これは「国際化」などという言葉でごまかせる問題ではなく、紛れもない主権の侵食である。

中国のやり方は経済面でも同じだ。外交で気に入らない動きを見せた国には、観光客の送客制限や輸入禁止といった“経済制裁”を平然と行う。韓国、オーストラリア、ノルウェーなどが実際にその標的になってきた。日本が中国への依存度を高めれば高めるほど、日本の外交・安全保障政策が中国の機嫌に縛られる危険が増す。

重要物資の支配も見逃せない。レアアースや太陽光パネル、医薬品原料、ドローン関連部品など、世界の供給を中国が大きく握っている分野は多い。いったん供給を絞られれば、日本の産業は簡単に混乱に陥る。経済安全保障という言葉が政府の基本方針にまで書き込まれるようになった背景には、こうした現実がある。

経済安全保障法制準備室の看板掛け(2021年11月)

情報空間への浸透も急速に進んでいる。中国政府寄りのアカウントやボットが、日本語のSNS空間に入り込み、台湾有事、日米同盟、自衛隊の役割などをめぐって世論誘導を図っている。だが、より問題なのは、中国系の動画アプリやフリマアプリなどを通じて、日本人の顔写真や位置情報、購買履歴が大量に中国側へ吸い上げられている疑いである。データは一度流出すれば戻らない。AIによる監視や軍事技術の訓練データとして利用される可能性も否定できない。

地方自治体も決して安全地帯ではない。財政難に悩む自治体ほど、安価な海外製クラウドサービスやシステム導入に飛びつきやすい。中には、中国企業が絡む事業を「コスト削減」だけで選んでしまうケースもある。だが、行政データは住民の生活そのものであり、そこに海外企業が深く入り込むことは、国家全体のリスクに直結する。

企業買収による技術流出も続いている。日本の中小企業は、世界に誇る精密加工技術や素材技術を持つ一方で、資本力では中国勢にかなわない。買収が成立すると、中国系の技術者が一気に流れ込み、数年後には技術と人材の中身が入れ替わってしまう。技術は中国側に吸い上げられ、日本側には空洞だけが残る。これは単なる企業買収ではなく、産業基盤の切り崩しと言ってよい。

軍事面での脅威は、もはや説明するまでもない。尖閣諸島周辺では中国公船の侵入が日常化し、台湾への軍事的圧力は年々強まっている。台湾有事は日本有事であり、中国のミサイルは日本列島の主要都市を射程に収める。最近では、中国の海洋調査船が太平洋側で海底ケーブル網を“測量”していると指摘されており、日本の通信インフラそのものが標的になりつつある。

文化面でも、日本は傷つけられている。神社仏閣での乱暴な振る舞いや落書き、中国で大量に作られる「なんちゃって日本文化」商品、歴史問題を使った対日プロパガンダなど、日本文化そのものが攻撃の対象になっている。奈良の鹿への暴挙は、その一端が表に出たに過ぎない。
 
3️⃣世界も中国を警戒している──中国依存から離れることこそ我が国の生存戦略である

こうした中国リスクは、日本だけが感じているものではない。米ピュー・リサーチ・センターが2025年7月に発表した調査では、25か国の中央値で、中国を好意的に見る人は36%、否定的に見る人は54%だった。(Pew Research Center) 日本では、中国を好意的に見る人はわずか13%にとどまっている。(Pew Research Center) 中国への警戒と不信は、世界的な潮流になりつつある。

観光地の混雑とマナー違反、奈良の鹿への乱暴狼藉、研究流出、土地買収、企業買収、医療制度の悪用、経済報復、行政への浸透、情報戦、文化破壊──これらはバラバラの現象ではない。すべてが一本の線でつながった「中国依存」の結果である。

大阪市の特区民泊』44.7%が中国人や中国系企業

だからこそ、中国から距離を取ることは、我が国の安全保障だけでなく、文化と経済と技術、そして子や孫の世代の自由を守るための最低条件なのだ。今回の中国側による渡航・留学抑制は、短期的には騒がしく見えるかもしれないが、長期的には我が国が自らの足で立ち、依存から抜け出すための絶好の機会である。

中国依存が剥がれ落ちることを、過度に恐れる必要はない。むしろ歓迎すべきだ。日本人が自ら旅をし、自らの国でお金を使い、自らの文化と土地を守る。海外からの観光客や留学生も、日本の文化とルールを尊重する人々を選び取っていく。その流れこそが、我が国が健全なかたちで世界と向き合う道である。

中国依存が剥がれ落ちる。それは、我が国が本来の姿を取り戻す第一歩である。

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高市総理誕生──日本を蝕んだ“中国利権”を断て 2025年10月21日
中国マネーが政財官・大学・地方自治体に張り巡らせてきた「見えない支配」を、高市政権がどう断ち切ろうとしているのかを描いた論考。FARAやFITS法など海外の対中規制も踏まえ、日本の経済・安全保障政策の針路を問う。

羊蹄山の危機:倶知安町違法開発が暴く環境破壊と行政の怠慢 2025年6月17日
ニセコ・倶知安での違法開発を入り口に、中国系資本による土地投機と水源地破壊のリスクを告発。北海道が「中国の省」になる危険性や、行政の監視不全がもたらす長期的な安全保障・観光への打撃を論じている。

大阪の中国人移民が急増している理由—【私の論評】大阪を揺らす中国人移民急増の危機:民泊、不法滞在、中国の動員法がもたらす社会崩壊の予兆 2025年5月9日
大阪・西成区を中心に、中国人移民と特区民泊が急増する実態をレポート。国防動員法・国家情報法など中国の法律が、有事には在日中国人を「民兵・スパイ」に変えかねないという安全保障リスクも掘り下げている。

なぜ「日本語が話せない」在日中国人が急増しているのか…国内にじわじわ広がる「巨大中国経済圏」の実態―【私の論評】在日中国人の急増と社会・経済圏形成:日本がとるべき対策 2024年9月17日
在日中国人が日本語抜きで完結する「中国式エコシステム」を築き、教育・不動産・観光を巻き込む巨大経済圏を形成している実態を分析。高度人材ビザや経営・管理ビザの運用見直しなど、日本がとるべき対策を提示する。

手術ができない…抗菌薬の原料・原薬100%中国依存の恐怖 製薬各社が国産急ぐ深刻理由―【私の論評】日本が直面する戦争の危機と医療供給のリスク - 抗菌薬不足が示す現実 2024年9月11日
抗菌薬の原料・原薬をほぼ中国に依存してきた日本の医療供給体制の脆弱さを告発。戦時・有事の際に中国が供給を絞れば、日本の医療と国民の命が直撃されるという「静かな安全保障リスク」と国産化の必要性を論じている。

2025年11月16日日曜日

中国の威嚇は脅威の裏返し――地政学の大家フリードマンが指摘した『日本こそ中国の恐れる存在』


 まとめ

  • 高市首相の「台湾有事=日本の存立危機」発言に対し、中国が外交暴言・威嚇・渡航自粛など異常な反応を示し、日本を戦略的脅威と見なしていることが浮き彫りになった。
  • 中国は地政学の大家フリードマンの見解を研究しており、日本列島が中国の外洋進出を封じる“地政学的な壁”であるという現実を深刻に捉えているため、対日威嚇が強まっている。
  • 中国軍の強硬行動は一見攻勢に見えるが、その根底には日本が主体的に安全保障を語り始めたことへの焦りがあり、日本の変化に神経質になっている。
  • フリードマンの分析では、日本は第一列島線の核心を占め、技術力と地理的位置によって中国の軍事拡張に最も大きな制約を与える国とされ、中国側の研究者もこれを認識している。
  • 日本が取るべき道は、海洋国家としての防衛強化、主体性ある日米同盟の活用、そして技術・経済力を戦略資産として最大限に生かすことであり、中国が日本を恐れるのは日本にはそれを実現できる力があるからである。
今月、我が国の安全保障をめぐって大きな転機があった。高市早苗首相が国会で「中国が台湾へ軍事侵攻すれば、我が国の存立危機事態に当たり得る」とはっきり述べたのである。台湾有事は日本の有事──当たり前の話だが、ここまで明確に口にした戦後首相はほとんどいない。(FNNプライムオンライン)

この一言に、最も過敏に反応したのが中国だった。大阪の中国総領事・薛剣はXに「勝手に突っ込んできたその汚い首は斬ってやるしかない」と投稿し、我が国政府はただちに抗議した。外交官が一国の首相に向けて「首を斬る」と公言するなど、常識では考えられない暴言である。(毎日新聞)

さらに、中国外務省報道官は記者会見で「日本が台湾海峡情勢に武力介入すれば侵略行為となる」「台湾問題で火遊びをするな」と強い言葉で牽制した。(FNNプライムオンライン)

追い打ちをかけるように、中国政府は自国民に対し「当面、日本への渡航を控えるように」とする旅行警告を出し、中国の航空会社は日本行き航空券の払い戻し・変更に応じ始めた。日本政府は直ちに抗議し、「適切な対応を取るよう求めた」と発表している。(Reuters)

外交上の暴言、火に油を注ぐような会見、そして渡航自粛の呼びかけ──ここまで重ねてくるということは、中国が日本を「ただの隣国」ではなく、はっきりとした戦略上の脅威として見ている証拠である。

しかも重要なのは、中国がこうした反応を、その場の感情だけでやっているわけではない、という点だ。中国の戦略・外交の研究者たちは、アメリカの地政学者ジョージ・フリードマンの議論を長年検討してきた。フリードマンは『The Coming War With Japan(日本との次なる戦争)』などで、「日本列島は中国にとって海への出口を塞ぐ“壁”になる」と繰り返し書いてきた人物である。(gongfa.com)

中国側の論文の中には、フリードマンの著作を参考文献として挙げ、日本列島・第一列島線・日米同盟の意味を分析しているものもある。つまり中国の戦略エリートは、「フリードマンが描いた最悪のシナリオ」が現実になりかねないと分かっている。その不安が、いま日本への威嚇として噴き出しているのである。
 
1️⃣中国の威嚇が物語る「焦り」と「変わりゆく日本」


一見すると、中国は強気一辺倒に見える。南西諸島周辺や台湾近海で軍事演習を繰り返し、海と空でプレッシャーをかけ続けている。しかし、その振る舞いの底にある感情は、むしろ焦りに近い。

かつての日本は、台湾や安全保障の問題になると口をつぐみ、「あいまいな同盟国」として扱われてきた。ところが今、高市首相は国会という公の場で、「台湾有事=日本の存立危機」と明言した。これで日本は、台湾問題を「他人事」ではなく「自分に直接かかわる問題」として位置づけ直したことになる。

中国にとって、これは面倒どころではない。台湾の背後に「本気の日本」が立つ構図が浮かび上がるからだ。だからこそ、総領事の暴言や外務省の「火遊び」発言といった、品位を欠いた言葉が次々と飛び出したのである。言い換えれば、日本が黙っていた時代の方が、中国にとっては都合が良かったのだ。

そこへ、渡航自粛という形の“世論戦”も重ねてきた。日本を「危ない国」と印象づけ、中国国内で反日感情を煽れば、日本側の発言力を削ぐことができると踏んでいるのだろう。だが、この種の宣伝は、裏を返せば「日本の言葉が効いている」「日本の動きが怖い」と白状しているようなものでもある。

中国は今、日本が“沈黙するアジアの大国”から、“主張する海洋国家”へ変わりつつあることを肌で感じている。その変化が、中国をいら立たせているのである。
 
2️⃣フリードマン地政学から見た「日本という壁」

ジョージ・フリードマン

ジョージ・フリードマンの地政学は、難しい理論ではない。要はこういうことだ。
  • 中国は大陸国家であり、四方を山と砂漠とジャングルに囲まれた「半ば閉じた大国」である。
  • 外へ出ようとすれば、東の海に頼るしかない。
  • しかし、その東側の出口を日本列島と第一列島線がふさいでいる。
この地理条件のせいで、中国海軍が外洋へ出ようとするときには、必ず日本列島や台湾の周辺を通らなければならない。第一列島線上には、米軍基地と同盟国が並んでいる。ここを突破できなければ、中国はいつまでたっても「近海の大国」にとどまり、「外洋の覇権国」にはなれない。(プレジデント)

フリードマンは、この構造をはっきりと言葉にした。「日本は海から中国を封じ込めることのできる位置にある」「日本列島は米国の海洋覇権を支える支点だ」と。中国側の研究者たちがこの本を読み、引用しているのは当然だろう。彼らにとって、これは悪夢の設計図そのものだからだ。(gongfa.com)

軍事面でも事情は似ている。中国は量では圧倒的だが、対潜戦や機雷戦、島嶼防衛など、日本と米国が得意とする分野では、優位とは言えない。日本が本気で海と空の防衛力を高めれば、中国は簡単には手出しできない。

さらに、中国が恐れているのは日本の技術力だ。半導体、精密機械、素材、造船、海洋技術──日本が持つこうした力は、そのまま中国の軍事的野心に対する「見えない鎖」になる。日本が供給を絞り、欧米と歩調を合わせれば、中国の軍事近代化の足はたちまち重くなる。

だからこそ、中国の威嚇は止まらない。劣勢を自覚する国ほど、大声で相手を脅す。フリードマンが描いたこのパターンどおりに、いまの中国は動いているのである。

3️⃣日本が取るべき道――「海洋国家としての覚悟」を固める

赤線で囲われた部分が日本の排他的経済水域
 
ここまで見てくると、日本が進むべき道ははっきりしてくる。

第一に、日本は海洋国家としての本分を思い出すべきだ。海上自衛隊と航空自衛隊を中心に、島嶼防衛とシーレーン防衛を徹底的に強化する。長射程のスタンド・オフミサイル、潜水艦、対潜哨戒機、衛星・無人機など、海空の「目」と「牙」を磨き上げることが抑止力そのものである。

第二に、日米同盟を軸にしつつも、日本自身の判断軸をしっかり持つことだ。アメリカに全面的におんぶされるのでもなく、反米に走るのでもなく、「我が国の利益は何か」をはっきりさせたうえで同盟を使いこなす。この姿勢が、中国にとって最も厄介であり、同時に日本にとって最も安全な道である。(Nippon)

第三に、日本の技術と経済を「安全保障の柱」として扱うことである。サプライチェーンの多角化、重要技術の管理、インフラ投資──これらは単なる経済政策ではない。中国が最も恐れているのは、日本が本気で「技術と経済で中国を締める」局面である。ならば、そこをこそ強めればよい。

中国の日本に対する威嚇は、日本の弱さの証明ではない。むしろ、日本が目を覚ましつつあることへの悲鳴だと言ってよい。無論、だからと言って、何を言っても良いなどのことはあり得ず、今回の中国側の威嚇は異様である。国際社会から受け入れられるものではない。また、中国はその異形ぶりを日本国民や国際社会に暴露したと言える。とは言いながら、フリードマン地政学が教えるのは、「日本こそが中国の前に立ちはだかる海の壁であり、東アジアの均衡を決める鍵だ」という冷厳な事実である。

我が国はその現実から逃げるべきではない。むしろ、その役割を自覚し、海洋国家としての覚悟を固める時だ。中国が日本を恐れているのは、日本にはそれを実現できる力があるからだ。

ならば、その力をさらに鍛え上げればよいのである。

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中国の大学「海底ケーブル切断装置」を特許出願 台湾周辺で何が起きているのか
2025年2月21日

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2025年11月15日土曜日

三井物産×米国LNGの20年契約──日本のエネルギー戦略を変える“静かな大転換”


まとめ
  • 三井物産と米Venture Globalの20年・年100万トンLNG契約は、日本の将来を左右する国家戦略級の案件である。
  • 米国との長期契約によって供給源が多角化し、我が国のエネルギー安全保障は大幅に強化される。
  • 日本は世界最大のLNG輸入国としてアジア需給を調整する実力を持ち、行き先自由化契約で市場安定にも寄与している。
  • 日本の安定供給力は、高市政権のASEAN外交と連動し、アジア全体の秩序維持にもつながっている。
  • 契約は民間同士だが、背後には日米両政府が整えた“政策レール”が存在し、実質的な戦略エネルギー案件となっている。
1️⃣日本の国力を左右する“静かな大契約”

現在の三井物産の主なLNG持分権益、これにさらに米国分が加わることに

三井物産が米国のLNG輸出企業 Venture Global LNG と、20年間にわたり毎年100万トンを供給する契約を結んだ。発表は2025年11月11日、供給開始は2029年からである。国内報道は驚くほど少ない。しかし、この契約は我が国の将来を左右する。単なる商社取引ではなく、日本の国家戦略そのものを支える“静かな大転換”である。

この契約が持つ意味は、まず供給源が米国である点にある。我が国は長く中東、東南アジア、オーストラリアに依存してきた。米国との20年契約は、危うい地政学リスクから距離を置き、エネルギーの柱を太くする。しかも100万トンは、800万世帯をまかなう規模であり、大型火力発電所を丸ごと動かす量だ。それが20年間続く。国家基盤の“根太”を打ち直すようなものだ。

世界は今、エネルギー争奪戦の真っただ中にある。ウクライナ戦争を機に欧州がLNGを買い集め、価格は乱高下し、市場は慢性的に逼迫したままだ。中東の緊張、ロシアの供給減少、アジア諸国の需要増が重なれば、LNGは「取れた者勝ち」の戦略物資になる。こうした中、三井物産は冷静に先を読み、「動くなら今しかない」と判断したのである。

にもかかわらず、国内メディアはこの契約を大きく扱わない。理由は単純だ。日本のメディアは“脱炭素”の言葉に酔いしれ、現実のエネルギー安全保障から目を背けている。再生可能エネルギーだけで国の電力を賄える時代はまだ来ていない。欧米ですら火力と原子力を使い続けている。それが世界の現実である。
 
2️⃣日本は“ガス帝国”──アジア需給を動かす見えざる力


エネルギーは国家の血流だ。それが滞れば、産業も生活も防衛力も崩れる。我が国に資源はない。だからこそ、先に長期供給を押さえることこそ、生存戦略である。今回の契約は、電力不足のリスクを下げ、価格の乱高下を抑え、中国と中東への過度な依存を避ける。そして、同盟国アメリカとの戦略協力を一段と強める。見栄えこそ地味だが、国家の骨格を支える重大な手である。

日本が“ガス帝国”と呼ばれる理由は、産出国ではないのにアジアの需給を左右してきたからだ。日本は世界最大のLNG輸入国であり、年間7,000万トン規模を商社・電力・ガス会社が安定的に扱う。全国に広がる受入基地と再ガス化設備はアジア最大規模であり、アジアの緊急時には“最後の調整弁”として機能してきた。

さらに日本企業は、長年の交渉で「行き先指定のない長期契約」を勝ち取ってきた。これにより、余ったLNGをインド、韓国、台湾、シンガポールなどに融通できる。市場が熱狂や恐慌のように揺れるとき、日本のこうした柔軟な運用がアジアの需給を救ってきたのは事実である。これは単なる商取引ではない。アジアを支える“見えない外交力”である。
 
3️⃣日米が敷いた“政策レール”の上で進むエネルギー同盟


この点は、高市首相のASEAN外交ともつながっている。東南アジアの安定と繁栄には電力が欠かせない。高市政権が示した「連結性」「海洋秩序」「インフラ協力」は、すべてエネルギー供給と表裏一体だ。日本が米国との長期契約でエネルギーを安定させれば、その余力はASEANの安定にも直結する。これは安倍外交が築いた“アジアの秩序”を、高市政権がエネルギー面から受け継ぐものでもある。

そして今回の契約には、表からは見えない日米政府の“政策レール”が確かに存在する。契約書には政府名は出てこない。だが日本政府は長期LNG確保を政策として掲げ、米国政府はLNG輸出拡大を通商・地政学の柱に据えてきた。民間の判断に見えても、その背後には両国政府が長年整えてきた環境がある。企業が走るべき線路は、すでに敷かれていたのである。

つまり今回の契約は、表向きは民間の取引でありながら、実態は日米両国の戦略が交錯する“見えない国家戦略”だ。我が国のエネルギーを安定させ、アジアの秩序を守る。その二つを同時に実現する静かな一手である。国内でほとんど報じられない今だからこそ、この重要性を正しく理解しておくべきだ。日本の未来を支える柱は、派手なところには立っていない。静かに、しかし確実に国力を押し上げる柱が、今まさに打ち込まれたのである。

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ASEAN分断を立て直す──高市予防外交が挑む「安定の戦略」 2025年11月5日
高市首相のASEAN外交を通じて、日本がエネルギー連携と安全保障で地域秩序を立て直す姿を描いた記事。今回のLNG契約を「インド太平洋戦略の延長線」として理解しやすくする。

参院過半数割れ・前倒し総裁選のいま――エネルギーを制する者が政局を制す:保守再結集の設計図 2025年8月24日
エネルギー政策が政局の核心にあると論じた記事で、日本が主導権を握るべき「LNG・原発・SMR」体制の重要性を示している。三井物産の契約を保守政権の要と位置づける補強線になる。

脱炭素の幻想をぶち壊せ! 北海道の再エネ反対と日本のエネルギードミナンス戦略 2025年5月31日
再エネ偏重の危うさを指摘し、日本がLNGインフラでアジアの安定を支えてきた現実を示す。今回の契約を「エネルギードミナンス戦略の一環」として捉えやすくなる。

世界に君臨する「ガス帝国」日本、エネルギーシフトの現実路線に軸足 2024年8月30日
日本のLNG戦略を体系的に整理した重要な論考。三井物産の契約を“ガス帝国”としての実力の延長として読み解くための理論的土台になる。

エネルギー武器化の脅威:ドイツのノルドストリーム問題と中国のフィリピン電力網支配 2024年3月30日
エネルギーが安全保障上の武器になる現実を描いた記事。今回の契約を「日本が武器化リスクから自立するための戦略的措置」として補強する文脈が示されている。

2025年11月14日金曜日

中国の我が国威嚇は脅威の裏返し—台湾をめぐる現実と我が国の覚悟


まとめ

  • 中国の威嚇は、日本が「沈黙する国」から「自立した主権国家」へ戻り始めたことへの恐怖の表れである。
  • 日本の“和の精神”は服従ではなく境界を守る静かな強さであり、第一列島線を守る姿勢は我が国の霊性文化に沿う行動である。
  • 日本はASWとAWACSで海と空の情報優位を握り、中国の軍事行動に大きな制約を与えられる。
  • 中国の唯一の海戦上の優位は核だが、核を使えば目的は永遠に達成できず、中国自身が破滅に向かうため現実的には使えない。
  • 「中国を刺激するな論」は完全に破綻しており、日本が国家の矜持と主体性を示して初めて抑止が成立する。

1️⃣中国の威嚇が示す「日本の変化」とその背景


今月上旬、高市早苗首相は国会で「中国が台湾へ軍事侵攻すれば、我が国の存立危機事態に当たり得る」と明言した。台湾有事は日本の有事である──この当たり前の現実を、ここまで明確に語った首相は戦後ほとんど例がない。

その発言に、最も過敏に反応したのが中国だった。大阪の中国総領事・薛剣はXに「勝手に突っ込んできたその汚い首は斬ってやるしかない」と書き込み、日本政府はただちに抗議した。外交官が一国の首相に向けて「首を斬る」などという暴言を吐いた例は近年ほとんどない。

さらに中国外務省の報道官は「台湾問題で火遊びをするな。火遊びをする者は必ず火傷する」と述べ、日本を名指しせずとも明確に威嚇した。それは単なる強がりではない。中国は、日本が“沈黙する国”から“自立した主権国家”へ戻っていくことを最も恐れている。だからこそ、言葉で日本を抑え込もうとしているのである。

米国防総省は日本の防衛力強化を「第一列島線の戦略構造における最大級の変化」と評価し、米シンクタンクも「台湾防衛は日本の協力なしには成立しない」と分析している。中国自身が公式声明で、日本を「核心利益に挑戦し得る主要国」と位置付けた。日本が挑発したからではない。日本が眠りから覚め始めたからだ。

そして、これを“和を乱す”と受け取る向きもある。しかし、日本文化における「和を以て貴しとなす」は、外圧に沈黙して従うことを意味しない。和とは、秩序を守り、境界を乱させないための知恵である。鎮護国家の祈り、武家社会の自立、共同体を守る覚悟──そのどれもが“守るための静かな強さ”だ。

第一列島線を守り、日本自身の存立を守ることは、我が国の霊性の文化に反するどころか、その核心に沿う行動である。外からの暴力に沈黙することは“和”ではない。守るべきものを守ることで初めて、和は成り立つのである。
 
2️⃣海と空で日本が握る優位──ASW・AWACS、そして中国唯一の強み“核”の現実

Boeing E-767 AWACS

中国海軍の艦艇数が増えたことで「海では日本がもう勝てない」という声がある。しかし、海戦は数では決まらない。勝敗を分けるのは質、地理、そして情報優位である。ここで日本は、中国にとって最も厄介な強みを持っている。

まずASW(対潜戦)だ。
日本の対潜能力は世界でもトップクラスであり、P-1哨戒機、P-3Cの多数運用、「そうりゅう型」「たいげい型」の静粛性、そして何より日本近海で蓄積してきた膨大な音響データが中国潜水艦の動きを縛っている。中国原潜が太平洋に出るには限られた海峡を通るしかなく、その出口には日本の監視網が張り付いている。

次にAWACS(早期警戒管制機)である。
日本のAWACSはE-767とE-2Dを運用し、空中だけでなく巡航ミサイルなど低空飛翔体も捉える。機数は多くないが、日本周辺に集中運用されており、この地域に限れば世界最高密度の監視網を形成している。中国軍機や艦隊がどこで動こうとしても、その多くは“日本側が先に気付く”構造が定着している。

ここまでが日本の優位だ。だが公平に言えば、中国に唯一、日本より海戦上の明確な優位がある。それは核兵器を保有していることだ。

しかし、この“唯一の強み”は、実のところ中国自身を最も縛っている。

海戦に核を使えば、中国は戦術的には勝利できるかもしれない。だが、そこで終わりだ。核を使った瞬間、中国は国際社会の正統性を完全に失う。
〇 台湾統一という「目的」は永久に達成不能
〇 中国は全方位から経済制裁と封鎖を受ける
〇 インド・米国・欧州・ASEANが完全に対中包囲へ転じる
〇 自国経済が崩壊し、共産党の統治そのものが揺らぐ
つまり、核を使えば“勝てる”が、“目的達成は絶対にできないという矛盾が生まれる。

そして、この“核の不合理”を理解する上で、今まさに世界が目撃している事例がある。

それがロシアである。

ロシアは戦術核を大量に保有している。追い詰められた場面も多かった。それでも、ウクライナに核を使っていない。なぜか。
理由は明白だ。
核を使えば“勝利”はできるかもしれないが、
その瞬間、ロシアは国際社会の敵として完全に孤立し、国家としての目的を果たせなくなるからだ。

中国も同じである。
核は強いように見えて、実は“最後まで使えない兵器”なのだ。
その核を過大評価する必要はないし、過小評価する必要もない。
ただ冷静に、ロシアの現実を見ればよい。

中国が本当に恐れるのは、核が使えない状況で、日本がASWとAWACSで海と空の主導権を握り、第一列島線を固めてしまう未来である。

そして、その未来に最も近づきつつあるのが、まさに今の日本だ。
 
3️⃣「刺激するな論」の破綻と、国家の矜持を取り戻すとき

伊勢神宮の日の出

それでも日本国内には、「中国を刺激するな」「台湾に関わるな」と繰り返す勢力がいる。石破政権でもこの姿勢が堂々と語られた。しかし、この論法は現実に耐えない。

中国は、日本が沈黙しようが反論しようが、自らの利益のために圧力を強める国家である。尖閣で日本が弱腰を見せても、中国公船の進入は減らなかった。台湾が融和を示しても、中国の軍事圧力はむしろ強まった。香港では抵抗が弱まった瞬間、一気に国家安全維持法が適用された。

譲歩して得をした例は、ほとんど存在しない。

だからこそ、高市首相の台湾発言に中国が過剰反応したこと自体が、日本の方向が正しい証左でもある。日本が安全保障の現実に向き合い始めたことが、中国には最大の脅威だからだ。

台湾が崩れれば、次は南西諸島であり、その先には本土がある。我が国は台湾と地政学的に運命共同体であり、この事実から逃れることはできない。

いま問われているのは、外交の巧拙ではない。
我が国が「国家の矜持」を取り戻せるかどうかだ。

中国の暴言に沈黙し、波風を立てない道を選ぶのか。
それとも、霊性の文化にもとづき、守るべきものを守るという当たり前の覚悟を示すのか。

第一列島線を日本が主体的に守るとき、中国は初めて日本を恐れる。
そのとき初めて、真の抑止が成立する。

歴史はいま、日本に覚悟を問うている。
未来を守るために、退く理由はどこにもない。

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高市首相への暴言事件を起点に、中国の戦狼外交の本質と日本外交のあるべき姿を論じる。脅しに屈しない国家の姿勢、霊性文化の観点からの“秩序を守る覚悟”を解説。

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日本が原潜保有に踏み込む可能性を背景に、潜水艦戦略の変化と中国海軍の動向を分析。静粛性に優れた日本潜水艦の強みと、広域防衛に必要な能力を提示。

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中台対立の“見えにくい戦場”であるサイバー攻撃・情報戦の実態を紹介。台湾有事はサイバー圧力から始まる可能性が高いことを示す。

対中国ASWの核心──P-1哨戒機訓練が示す日本の対潜戦能力 2023年1月18日
P-1哨戒機の訓練を通じて、日本のASW(対潜戦)能力の高さを具体的に解説した記事。第一列島線防衛の要としての役割をわかりやすく提示。

2025年11月13日木曜日

女性首相と土俵──伝統か、常若か。我々は何を守り、何を変えるのか


まとめ

  • 女性首相の土俵入り問題は、「伝統をどう扱うか」を国民全体に問いかける場であり、単なるジェンダー論争ではなく日本文化の核心に触れる問題である。
  • 相撲は神事を起源とし、土俵は長い歴史の中で神聖な場として守られてきた。伝統を軽んじれば、文化そのものが空洞化し、社会の精神的土台が揺らぐ。
  • 英国の世襲貴族制度改革は、伝統の“核”を守りつつ、時代にそぐわない特権だけを見直すという保守的判断であり、日本が伝統を扱う際の参考になる。
  • 日本文化の「常若」の精神は、本質を守りながら必要な部分のみを更新する思想であり、土俵の伝統を考える際も“変えるための理由”は極めて慎重でなければならない。
  • マスコミ・野党がどの判断にも浅薄な批判を向ける中で、重要なのは声の大きさではなく、伝統の本質を守り、日本社会の健全さを保つ冷静な判断である。


1️⃣女性首相と土俵をめぐる「試される場」


大相撲九州場所の千秋楽を前に、高市早苗首相が内閣総理大臣杯を土俵上で授与するのかどうかが、国内外の強い関心を呼んでいる。政府は「最終決定には至っていない」と説明し、判断を保留したままだ。初の女性首相と、長く女人禁制の慣習を抱えた相撲界──この二つが正面からぶつかる状況が生まれている。

英紙ガーディアンは「日本初の女性首相が相撲の伝統と向き合うジレンマ」と題し、大きく報じた。土俵が古来「神聖な場」とされてきた背景、女性が“穢れ”とされてきた宗教的起源(これについては異論を後述する)を紹介しつつ、高市首相の判断は日本文化と現代の価値観が交差する象徴的場面だとしている。
外国メディアが着目しているのは、「女性リーダーが古い慣習とどう向き合うか」であり、単なる儀式以上の意味がそこにある。

相撲は神事を起源に持つ。我が国で千年以上続いた文化である以上、土俵上の儀礼は単なるイベントではない。女性知事や女性要職者が土俵上で表彰しようとした際、相撲協会が慣習を理由に断った例もある。高市首相が土俵に上がるかどうかは、我が国が自らの伝統文化をどう扱うのかを世界に示す判断となる。

政治的にも重い。首相が儀式に加われば伝統尊重の姿勢を示す反面、女性首相の土俵入りという未踏の事態は、相撲界に新たな解釈を迫る。政府が慎重なのは当然である。

千秋楽当日の判断次第で、世界が日本文化をどう見るかが変わる。土俵に上がれば“歴史的瞬間”と報じられるだろうし、上がらなければ「伝統重視」と受け取られる。どちらにせよ、日本は今、文化と価値観の分岐点に立っている。
 
2️⃣英国の世襲貴族改革が示す「伝統」との距離感

英国貴族院

伝統と改革の関係を考えるうえで、イギリスで進む議会上院改革は重要な参考になる。
2024年に提出された法案は、世襲貴族が自動的に上院議席を得る仕組みを廃止する内容で、2025年時点でも議会で審議が続いている。制度そのものが「今年完全に廃止された」わけではない。だが、英国は確実に、伝統という名の特権を時代に合わせて見直そうとしている。

この改革は、「親が政治家だから政治家になれない」という話ではない。あくまで「爵位を持っているだけで議席が自動的に転がり込む」という特権を終わらせる取り組みだ。伝統を重んじる英国が、あえて古い制度へ手を入れるのは、時代にそぐわなくなれば伝統そのものの信頼を傷つけるからである。

日本の霊性文化も、これと深い共通点を持つ。我が国の伝統は「形を絶対視する文化」ではない。形式を更新しながら本質を守るという「常若(とこわか)」の精神で支えられてきた。伊勢神宮の式年遷宮がその象徴だ。新しい社殿を建て替えることで、かえって古い魂をつなぐのである。

相撲もまた、神事を根に持つ文化だ。形式を守るだけでは本質は保てない。“何を伝えるのか”が問われている。今回の議論は、その核心に触れている。

ただ、ここで強調しておきたいことがある。
欧米メディアや国連などがしばしば「宗教的起源」と説明する女人禁制の背景は、日本文化に照らすと大きな誤解を含んでいる。神道は、欧米における“組織・制度宗教”とはまったく異なる。教祖も教典も教義もなく、組織化された信仰体系でもない。むしろ、自然と共同体の暮らしに深く結びついた儀礼文化である。
土俵が神聖視されてきたのも、特定の教義が女人禁制を定めたからではない。長い歴史の中で培われた共同体儀礼と、清らかさを重んじる日本独自の清浄観が生んだ文化的慣習にすぎない。
ここを誤ると、日本の伝統を“宗教対差別”という欧米の図式に押し込めることになり、本質を見失う。我が国の伝統は、教義で縛るためのものではなく、共同体の秩序と祈りの場を保つために、ゆるやかに受け継がれてきたものである。

3️⃣「改革する保守」と常若、そして浅薄な批判に惑わされるな

伊勢神宮の鳥居

ここで「改革の原理としての保守主義」を重ねて考えてみたい。
保守とは「変わらないこと」ではない。守るべきものを守るために、時代にそぐわない制度には手を入れる。その覚悟を持つ思想だ。英国の世襲改革が典型である。伝統が時代から取り残され、社会の健全性を損ないかねないと判断したからこそ、手を付けたのである。

この原理を相撲に当てはめれば、女性首相の土俵入りも整理できる。
私の考えはこうだ。
● 女性首相が土俵に入らないことで、社会が傷つくことがないのなら、伝統を守るべきである。
● 反対に、首相が土俵に入るという決断をするなら、それは常若の精神にかなう、筋の通った理由が必要である。
ただのジェンダー論争ではない。
これは伝統を未来へつなぐかどうかの問題だ。

常若とは、古きを敬いながら、形をあえて更新し続けることで本質を生かす日本固有の精神である。伊勢神宮が何度も建て替えられてきたのはその象徴だ。
この精神と「改革の原理としての保守主義」は深いところでつながっている。どちらも「本質を守るために変える」ことを肯定する。

だが、ここで注意すべき点がある。
マスコミと野党は、おそらく高市首相が土俵に入ろうと入るまいと、どちらの判断でも批判を強めるだろう。「入らなければ伝統への屈服」と言い、入れば「伝統破壊」と騒ぎ立てる。最初から結論ありきで、文化への敬意も霊性への理解もない。私は、これこそがマスコミや一部野党の堕落の要因だと考えている。

だが、我々はその浅薄な言説に振り回されてはならない。
問われているのは「マスコミが何と言うか」ではない。
その判断が、日本文化の本質を守り、日本社会の健全さを保つかどうか──それである。

高市首相の決断がどうあれ、我が国が自らの伝統と向き合い、未来へどう橋を架けるか。
問われているのは、その一点だ。

【関連記事】

高市政権82%、自民党24%――国民が問う“浄化の政治”とは何か 2025年11月4日
女性首相・高市政権への圧倒的支持と、自民党そのものへの不信というギャップを分析し、「浄化」と「整備」の時間が不可欠だと論じた記事。礼節ある外交と霊性の文化、「改革の原理としての保守主義」を結びつけ、高市政治の本質を掘り下げている。(yutakarlson.blogspot.com)

雑音を捨て、成果で測れ――高市総裁の現実的保守主義 2025年10月9日
「ワーク・ライフ・バランス」発言や「奈良の鹿」発言をめぐる報道の切り取りを検証し、高市総裁の姿勢をドラッカーの「改革の原理としての保守主義」と日本の霊性文化から読み解いた論考。感情論ではなく成果と国益を基準に政治を測る視点を提示している。(yutakarlson.blogspot.com)

高市早苗の登場は国民覚醒の第一歩──常若(とこわか)の国・日本を守る改革が始まった 2025年10月6日
物価高や治安悪化、グローバリズムの行き過ぎへの危機感の中で、高市総裁誕生を「守るために変える」保守改革の出発点として位置づけた記事。常若の精神と霊性の文化を軸に、「国民覚醒の環」というキーワードで新しい保守運動の方向性を示している。(yutakarlson.blogspot.com)

総裁選の政治的混乱も株価の乱高下も超えて──霊性の文化こそ我が国の国柄2025年10月4日
総裁選や市場の動揺に振り回される日々の政治ニュースを越えて、日本の国柄を支える「霊性の文化」と伊勢神宮の式年遷宮に象徴される常若の精神を掘り下げた一篇。デジタル神社やメタバース参拝など、新しい形で受け継がれる祈りの姿も紹介している。(yutakarlson.blogspot.com)

世界が霊性を取り戻し始めた──日本こそ千年の祈りを継ぐ国だ 2025年9月30日
欧米で広がる「Spiritual But Not Religious(SBNR)」現象を紹介しつつ、日本では八百万の神や祖霊祭祀が現代のライフスタイルに姿を変えて生き続けていることを解説。天皇の祈りや式年遷宮を通じて、日本が霊性回復時代の中核となりうることを論じている。(yutakarlson.blogspot.com)

2025年11月12日水曜日

財務省の呪縛を断て──“世界標準”は成長を先に、物価安定はその結果である



まとめ
  • ロイター報道の政府経済対策素案は成長投資を含む内容だったが、「成長と物価安定の両立」という言葉が官僚によって金融引き締めや緊縮政策の口実に使われる危険がある。現状のインフレはコストプッシュ型であり、引き締め策は逆効果となる。
  • 高市早苗首相の経済政策の核心は、一時的ではなく恒久的な食料品の消費税ゼロである。生活必需品への課税を除き、可処分所得を増やすことで需要を喚起し、リフレ派経済学を実践している。
  • 食料品価格上昇率約8%、CPI比重20%から算出すると、恒久減税でCPIを約1.6ポイント引き下げる効果がある。現在の2.9%から1.3%に下がり、低所得層の負担を軽減しつつ物価を安定させる現実的処方箋となる。
  • 高市政権は消費減税で家計を守りながら、AI、半導体、防衛、農業、原子力など17の重点分野への投資を進めている。これはばらまきではなく、成長と安全保障を両立する国家戦略投資である。
  • 財務省が30年間守ってきた「財政規律」偏重の緊縮政策を打破し、政治主導のマクロ経済運営へ転換を図る。高市首相は、成長を恐れる財務官僚こそ真の異端であり、減税こそ国家再生の第一歩であると明確に打ち出した。
1️⃣成長を抑え込む「両立」論の罠


2025年11月10日、ロイターが報じた政府の経済対策素案(Reuters記事はこちら)は、エネルギー高騰と生活防衛を目的に、時限的な支援と成長投資を柱とするものだった。しかし「成長と物価安定の両立」という耳障りの良い言葉が独り歩きし、官僚たちがそれを金融引き締めや緊縮財政の口実に使う危険がある。現状の物価上昇は需要過熱ではなく、エネルギーや食料といった輸入コストの上昇が要因のコストプッシュ型インフレだ。金利を引き上げても効果はなく、むしろ景気を冷やして賃上げの流れを止めてしまう。

いま必要なのは、家計を支え、供給力を高める政策である。世界の常識は「成長が先で、安定はその結果」であり、リフレ派は決して異端ではない。異端は、国民経済の血流を止めてまで「財政規律」を優先しようとする財務省のほうだ。我が国が30年にわたって停滞してきたのは、まさにこの“緊縮教”が経済の生命力を奪ってきたからである。
 
2️⃣高市政権の核心──恒久的な食料品消費税ゼロ

高市早苗首相が最も重視しているのは、恒久的な食料品の消費税ゼロである。これは一時的な減税ではなく、永続的な仕組みとして国民生活を支える政策だ。生活必需品への課税を撤廃し、可処分所得を直接増やす。それは単なる福祉ではなく、需要を創出し、デフレ脱却を確実にするリフレ政策の核心である。

リフレ派の識者――高橋洋一、田中秀臣、片岡剛士ら――は、口を揃えてこう述べている。「デフレ脱却の最後の一押しは恒久減税しかない」と。消費税減税は、国民が即座に実感できる景気刺激策であり、経済の心理を一変させる力を持つ。高市政権の政策はまさにそれを実行しようとしている。

片岡剛士氏は、「リフレ派というのは派閥ではなく、むしろマクロ経済政策としての方法論であり、デフレ・停滞のリスクを回避するために中央銀行の緩和役割が大きい」と指摘している。 (ウィキペディア+2東洋経済オンライン+2)。金子洋一氏は、「景気回復前に増税をすれば日本経済を破滅に導く。デフレ脱却を経ずして財政健全化はあり得ない」と明言している(ファクタ+1)。

さらに、報道によれば、リフレ派の有識者の起用が増えており、政府内部にもこの哲学が浸透してきている( Reuters+1)。

数字もこの政策の正当性を裏付けている。総務省の統計によれば、食料品価格の前年比上昇率は約8%に達し、CPI(消費者物価指数)に占める食料の比重はおよそ20%。単純計算すれば、食料品価格の上昇がCPI全体を約1.6ポイント押し上げていることになる。つまり、食料品を恒久的に消費税ゼロにすれば、理論上CPIを1.6ポイント引き下げる効果がある。

2025年9月の総合CPIが前年比2.9%であるため、2.9から1.6を引けば1.3%。食料品の恒久減税によって、物価上昇率は1%台前半に収まる計算になる。実際、同月の統計でも、食料とエネルギーの寄与度が1.6%と確認されており、この推計は現実的だ。食品価格が下がれば、消費者は他の品目に支出を回す。代替効果が働くことで全体の需給バランスが整い、低所得層に偏っていた負担が軽減される。今のように食費だけが異常に高く、他の出費を圧迫している状況が是正されれば、家計の息はつく。痛みは小さく、購買意欲は戻る。

誰にでも理解できる単純な算式が、それを裏付けている。−8% × 20%(CPIウエイト)= −1.6%。2.9 − 1.6 = 1.3。政府が恒久減税に踏み切れば、物価上昇率は1%台で安定し、生活は確実に楽になる。これほど即効性と公平性を兼ね備えた政策は他にない。


こうした方向性は、高市総理自身の言葉にも表れている。公明党の岡本三成議員が国会で、「政府系ファンドが実現できたとして、毎年5兆円の恒久財源があったら何をしたいか」と質問した際、高市総理はこう即答した。「まず、国民の生活を安定させる。食料品の恒久的な消費税ゼロを実現し、残りを将来への投資に回す」。この一言に、彼女の政治哲学が凝縮されている。生活の底を守り、上を伸ばす。それこそが成長国家の基本姿勢であり、リフレ派が訴えてきた“成長のための再分配”の実践にほかならない。
 
3️⃣成長を恐れぬ国家へ──減税と投資の両輪で立て直す

高市政権の経済戦略は、減税と投資の両輪で成り立っている。消費減税によって家計の基盤を支え、その上で国家の未来に大胆に投資する。AI、量子、半導体、防衛、農業、原子力など17の重点分野を掲げ、税制優遇と政府系ファンドを通じて民間投資を誘導する。

これは、官僚が好む「ばらまき」とは違う。成長と安全保障を両立させる国家戦略投資であり、政府がリスクを取ることで民間が安心して挑戦できる環境を整える。これを恒久的に動かす仕組みこそ、未来志向の財政運営である。

財務官僚が恐れているのは、国民がこの構造に気づくことだ。彼らが守ってきた「安定」という言葉の下には、国民の疲弊と停滞がある。財政規律という名の鎖で日本経済の心臓を締め上げてきたのは彼らだ。高市首相は、その呪縛を断ち切ろうとしている。経済を“管理”ではなく“動かす”。国民の生活を温め、未来への投資を促す。官僚主導の緊縮から脱却し、政治が主導するマクロ経済運営へと転換する覚悟を持っている。

消費税の恒久減税は、単なる経済政策ではない。国家の姿勢そのものの転換だ。国民を信じ、経済の力を解き放つ政治への挑戦である。高市政権の本音は明白だ。まず生活を守り、次に成長を起こす。この順序を誤れば、再び停滞の沼に沈む。いま求められているのは勇気ある決断である。減税を恐れる政治は国を衰えさせ、成長を恐れる財務省こそが真の異端なのだ。

経済とは血液である。流れを止めれば体は腐り、成長を止めれば国は衰える。物価安定は、健全な成長の結果としてのみ訪れる。高市政権が挑むのは、この当たり前の理を取り戻す戦いである。いまこそ、成長を恐れぬ政治へ舵を切るときだ。

高市早苗首相の経済政策の核心は、恒久的な食料品消費税ゼロと戦略的成長投資である。この二本柱は、リフレ派が長年主張してきた“成長を起点とする再分配”を政治が初めて実現しようとする試みだ。食料品の消費税をなくせば、理論上CPIは2.9%から1.3%へ安定し、低所得層の生活は大きく改善する。異端はリフレ派ではない。真の異端は、成長を恐れ、国民の未来を縛りつける財務省である。

【関連記事】

来るべき高市政権が直視する『現実』──“インフレで景気好調”という幻想を砕く、円安と物価の真実 2025年10月15日
現在の物価上昇は需要過熱ではなくコストプッシュ要因が中心で、利上げは逆効果になりうるとデータで検証。食料・外食・サービスが押し上げの核であり、供給力強化こそ筋という立場を示す。

財務省支配の終焉へ――高市早苗が挑む“自民税調改革” 2025年10月13日
税調・財務省主導の緊縮構造を歴史的経緯から解体し、成長重視の減税・投資へ転換する必要性を論じる。統計に現れにくい物価圧力や実質賃金の減少にも触れ、官僚政治からの脱却を訴える。

世界標準で挑む円安と物価の舵取り――高市×本田が選ぶ現実的な道 2025年10月10日
本田悦朗氏の見解を軸に、コストプッシュ局面では追加利上げより成長の芽を守る協調運営が妥当と解説。円安のメリットを活かしつつ物価を制御する「高圧経済」的アプローチを提案する。

日本経済を救う鍵は消費税減税! 石破首相の給付金政策を徹底検証 2025年6月19日
給付金より恒久的な消費税減税の乗数効果と持続性を評価。低所得層の実需刺激や格差是正、GDP押し上げ効果を具体数値で示し、減税優先の政策順序を提示する。

与党が物価高対策で消費減税検討 首相、近く補正予算編成を指示へ 2025年4月12日
政治サイドの減税検討と「反財務省」系論者の主張を整理。物価高下での家計防衛と内需下支えを両立させる現実的オプションとして、消費減税の意義を位置づける。

2025年11月11日火曜日

沈黙はもう終わりだ──中国外交官の“汚い首を斬る”発言に、日本が示すべき“国家の矜持”

 まとめ

  • 高市早苗首相は国会で「中国が台湾を武力封鎖すれば、日本の存立危機事態に当たり得る」と明言し、戦後日本の安全保障政策を一歩前進させた。
  • 中国大阪総領事の「汚い首を斬る」発言は、個人の暴走ではなく、中国共産党が黙認する体制的な“戦狼外交”の一環である。
  • 中国の外交官は実質的な裁量を持たず、儀礼や窓口業務が中心であり、昇進のために過激発言で党の注目を集める構造が存在し、それが戦狼外交の温床ともなっている。
  • 英国やカナダなど諸外国では、類似事例に対して外交官を「ペルソナ・ノン・グラータ(望ましからざる人物)」として国外追放しており、日本も同様の措置を検討すべき段階にある。
  • 我が国は「沈黙の平和」から「覚悟の平和」へと転換し、礼と理性をもって毅然と立ち向かうことこそが「国家の矜持」と「霊性の文化」の実践である。
高市早苗首相が、台湾有事に関する国会答弁で「存立危機事態」に踏み込んだ発言を行った直後、中国大阪総領事館の薛艦(シュエ・ジエン)総領事がSNS上でこう書き込んだ。

「その汚い首を斬る。覚悟はあるか?」

この一文が世界を震撼させた。暴言というより、もはや恫喝である。民主主義国家では、外交官の発言は国家の立場を反映するが、中国では事情がまったく異なる。

1️⃣台湾有事と「存立危機事態」──高市発言の衝撃

11月7日、衆議院予算委員会。立憲民主党の大串博志議員が問うた。「中国が台湾を海上封鎖した場合、それは日本の『存立危機事態』に該当するのか」。

高市首相は静かに、しかし明確に答えた。

「戦艦を用い、武力の行使を伴うような事態であれば、我が国の存立危機事態に当たり得ると考える」

この発言は、戦後日本の安全保障政策を根底から動かすものだった。従来、政府は「我が国が直接攻撃を受けない限り、集団的自衛権の行使は慎重に」としてきた。しかし高市首相は、台湾有事が我が国の安全保障に直結するという現実を、初めて公の場で明言したのである。

首相は「特定国を念頭に置いたものではない」としながらも、「発言を撤回するつもりはない」と断言した。この毅然とした姿勢こそ、まさに日本の覚悟を示すものであった。

2️⃣暴言と沈黙──党が演出する“戦狼外交”


問題の投稿は翌日、SNSで世界に拡散した。「汚い首を斬る」――その言葉は、外交官としての一線を完全に踏み越えていた。日本政府は即座に外務省を通じて中国政府に正式抗議を行い、当該外交官の処分と説明を求めた。

だが、中国外交部は謝罪どころか、こう言い放った。
「日本側が台湾問題で誤った発言を繰り返し、中国の核心的利益を挑発している」

まるで加害者が被害者を責めるような態度である。この開き直りは、中国共産党体制の本質を端的に示している。

中国の外交官は、我が国や欧米の外交官とは根本的に立場が異なる。民主主義国家の外交官が「国家の代表」として一定の裁量と責任のもとに発言するのに対し、中国の外交官は共産党体制の命令下で行動する“執行装置”にすぎない。彼らに実質的な政策決定権はなく、主な任務は窓口業務や儀礼行事、親善活動など、党の方針を外部に伝達する限定的なものにとどまっている。

問題は、そのような環境で「どうすれば出世できるのか」という点にある。研究によれば、中国外務省の昇進構造はきわめて閉鎖的で、海外赴任が長くても昇進率は上がらない。むしろ北京本部に残り、党幹部の信頼を得た者が昇進する傾向がある。そのため海外に出された外交官は、本国の注目を集めるために、過激な発言や強硬な態度を取ることで忠誠心を示そうとする。この構造的歪みこそが、いわゆる「戦狼外交(ウォルフ・ウォリアー・ディプロマシー)」の温床となっている。

したがって、薛艦総領事の暴言は個人の暴走ではなく、党の意向を映す鏡そのものである。もし本国が問題視していれば、発言は削除されるだけでなく、直ちに懲戒処分が下されていたはずだ。しかし沈黙をもって放置されたという事実が、体制の容認を意味している。つまり、これは「党が演出した外交劇」である。

3️⃣諸外国ならどう動く──「覚悟ある外交」の試金石


もし同様のことが他国で起きれば、対応は明快である。国際法――ウィーン外交関係条約第9条――は、受入国に対し、理由を示すことなく外交官を“persona non grata(望ましからざる人物)”として宣言し、国外退去を命じる権利を認めている。

英国は2018年、スクリパル毒殺未遂事件の後、ロシア外交官23名を追放した。カナダも2023年、中国外交官の脅迫行為を理由に国外追放を断行した。リトアニアは中国による政治的干渉を理由に大使館員の受け入れを拒否した。いずれも、国家の尊厳を守るための当然の措置である。

我が国も、謝罪も処分もないまま放置されるなら、ペルソナ・ノン・グラータの宣言をためらうべきではない。それは挑発ではなく、国家を侮辱させないための最低限の自衛である。

ただし、外交とは断絶のためにあるのではなく、秩序を保つためにある。怒りに任せて関係を破壊すれば、経済や人的交流にも悪影響が及ぶ。だからこそ、日本は冷静に、しかし揺るぎなく立ち向かわなければならない。その態度こそ、我が国が千年の歴史の中で培ってきた「礼の外交」、すなわち「霊性の文化」の体現である。

我々はいま、沈黙をもって平和を保つ時代を終え、覚悟をもって平和を守る時代に踏み出した。中国が言葉を武器に威圧するなら、日本は理性と品格でそれを跳ね返す。それこそが「国家の矜持」であり、日本が誇る真の外交の姿である。

【参考情報】

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「台湾有事」への覚悟──高市首相が示した“国家防衛のリアリズム” 2025年11月9日
高市首相の「存立危機事態」発言を軸に、平和を守るための抑止と意思を明確化。戦後的な“沈黙の外交”からの転換を論じる短評。 

ASEAN分断を立て直す──高市予防外交が挑む「安定の戦略」 2025年11月5日
GPI低下や米中対立で揺れるASEANに対し、日本が制度設計とシーレーン防衛で秩序回復を主導する構想を提示。高市外交の実践編。 

高市外交の成功が示した“国家の矜持”──安倍の遺志を継ぐ覚悟が日本を再び動かす 2025年11月2日
就任直後からの日米・印・ASEAN再結束を総括し、「礼の外交×抑止」で日本が主導権を取り戻す道筋を描く。 

東南アジアを再び一つに──高市首相がASEANで示した『安倍の地政学』の復活 2025年10月28日
分断が進む東南アジアに対し、FOIPの再起動で日本が“結節点”となる必要性を説く。外交デビューの戦略的意義を検証。 

高市早苗の登場は国民覚醒の第一歩──常若の国・日本を守る改革が始まった 2025年10月6日
対中配慮で失われた主体性を批判し、「改革としての保守」と国家の矜持回復を掲げる思想的土台を示す。 

2025年11月10日月曜日

政府、経済対策に「お米券」導入──悪しきグローバリズムを超え、日本の魂を取り戻せ

 

まとめ
  • お米券導入は物価高騰下の“痛み止め策”として一定の意義はあるが、恒久化すれば構造改革を遅らせる危険がある。目的はあくまで農政の立て直しにある。
  • 戦後の農政は減反政策により供給力を自ら削ぎながら、「国際競争力がない」と農民に責任を押しつけてきた。国際競争力の強化は政策失敗を隠す免罪符となっている。
  • 米は単なる商品ではなく、“文化的価格”をもつ国の象徴である。田は祈りの場であり、米づくりは国家の命を守る防衛行為でもある。
  • 農業再生には霊性と合理性の融合が必要であり、機械化やスマート農業はその基盤を支える。「魂ある合理性」を掲げ、地域が一体となる“篤農(とくのう)村”を築くべきである。
  • 「常若(とこわか)」の精神に基づき、伝統を保ちながら制度と技術を更新することが日本再興の道である。米づくりは我が国の魂であり、国の矜持である。

政府は、物価高騰と生活支援の両立を掲げ、「米券(コメバウチャー)」の導入を決定した。低所得層への支援と国産米の消費拡大を狙う政策である。だが、この方針をめぐっては賛否が分かれている。支持者は「即効性」を評価し、批判者は「人気取りに過ぎない」と斬る。問題は、これが一時しのぎの施策に終わるか、それとも構造改革への橋渡しとなるかである。

1️⃣支援か改革か──応急策と構造の狭間で

本田悦朗氏

本田悦朗氏(元内閣官房参与、アベノミクスの立役者)は「減反を続け、供給を絞ったまま『おこめ券』で補うのは本末転倒だ」と警鐘を鳴らしている。物価上昇の根源は供給不足であり、まず増産に取り組むべきという主張だ。構造を直さず分配ばかり行えば、基礎のない建物と同じで、やがて崩れる。

ただし現実は単純ではない。米は多くの地域で年一作である。増産体制を整えても、成果が出るのは翌年以降だ。農業は季節と自然を相手にする営みであり、号令で翌日には実らない。

それでも国民の生活が苦しむ中、何もしないわけにはいかない。鈴木憲和農林水産大臣は「本来これだけ買いたいのに諦める方々がいる。そうした皆さんの負担を和らげるには、おこめ券や食品バウチャーのような支援が今は必要だ」と語った(出典:テレビ朝日「グッド!モーニング」2025年10月28日)。また、米価高を踏まえた需給調整重視の姿勢も示している(同出典)。当面のバウチャーは“痛み止め”としてやむを得ない面がある。しかしこれを恒久策にしてしまえば改革は止まる。目的は構造の立て直しにこそある。

2️⃣戦後農政の歪み──「国際競争力信仰」という罠

政治家も官僚も、「国際競争力の強化」を当然のこととしてきた。経済でも教育でも農業でも、この言葉は正義に聞こえた。しかし、それこそが戦後日本を静かに蝕んできた“悪しきグローバリズムの宿痾(しゅくあ)”である。

戦後農政は、米を「生きる糧」ではなく「過剰生産物」と見なし、やがて減反政策に舵を切った。豊作を喜ぶべき農民に「作るな」と命じたのである。この矛盾が、供給力を自ら削ぎ落とす出発点となった。


生産を抑えて価格を高どまりさせる仕組みは、一見、農家の生活を守るように見える。だがその裏で、集約と効率化が遅れ、「競争力がない」という自己否定の口実を生んだ。政策が非効率を生み出し、その責任を農民に押しつける倒錯である。「国際競争力」は、いつしか政策失敗を覆い隠す免罪符となった。価格の高さだけを問題にし、何を守るための価格かを問わない議論が横行した。

とはいえ、日本の米価が高いのは単なる経済指標ではない。風土・技術・労苦・作法が織り込まれた“文化的価格”である。米は単なる商品ではない。土地と人、自然と神を結ぶ営みだ。田は本来、祈りの場である。田に入る前に手を合わせ、豊穣を祈り、自然に感謝する。数字だけが田を支配したとき、文化は痩せる。伊勢の神宮で今も続く新嘗祭は、稲作がこの国の神話と結びついた証である。金銭で測れぬ価値こそ、国の根である。

さらに、米は文化であると同時に戦略物資でもある。輸入が滞っても、米があれば人は生きられる。農家は銃を持たぬ兵士であり、田を耕すことは防衛そのものだ。「余れば輸出すればいい」という軽口ほど浅いものはない。米は“余る”ものではない。それは国の命を蓄える備えだ。輸出とは、食の主権を外貨と引き換えに差し出す行為にほかならない。我が国の米は、為替や市場のためにあるのではない。未来の命を守るためにある。

3️⃣常若の精神──霊性と合理性の融合による再生

スマート農業のデモ

改革の狙いは、効率を高めることではない。文化としての農と、経済としての農を一致させることだ。農業が持続できなければ、祈りも文化も絶える。だからこそ、機械化やスマート農業、地域連携は霊性を壊すものではない。むしろそれを支える土台である。霊性と合理性――この二つは敵ではない。「魂ある合理性」こそ、これからの日本の道だ。

さらに、旧来の「篤農家」モデルには限界がある。機械・流通・情報・資金を地域で共有し、地域全体が“篤農村”となる仕組みを築くべきだ。ここにこそ、日本の伝統である「常若(とこわか)」の精神が活きる。伊勢神宮が二十年ごとに社殿を建て替えても魂を守り続けるように、形式を変えても本質を守り抜く。これこそ真の保守であり、真の改革である。地産地消を進めることは単なる効率化ではない。それは、生産者と消費者の心を再び結ぶ“再霊化”の営みである。ここにこそ、「内需」の本来の意味がある。

結語 米づくりは我が国の矜持である

グローバリズムは時に、神をも市場に売り渡す思想となる。だが、日本にはまだ霊性の文化が生きている。水を尊び、土に感謝し、稲を神と仰ぐ限り、この国は倒れない。「国際競争力」という呪文がこの国を支配する限り、魂は痩せる。私たちが取り戻すべきは、霊性と合理性、伝統と革新が調和した“常若の秩序”だ。米づくりはその最前線である。四季が巡り、水が流れ、祈りが続く限り、この国は立ち上がる。日本の田に芽吹くのは、ただの稲ではない。我が国の魂そのものである。

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秋田から三菱撤退──再エネ幻想崩壊に見る反グローバリズムの最前線 2025年09月28日
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札幌デモが示した世界的潮流──鈴木知事批判は反グローバリズムの最前線 2025年09月23日
北海道のデモを通じ、土地・資源・移民をめぐる不安と「反グローバリズム」の国内外潮流を整理。地方発の抵抗が国政課題と連動する構図を描く。

高橋洋一の霞ヶ関ウォッチ まだまだ下がらぬコメの値段、カギはJA抜きの「備蓄米直接販売」だ—【私の論評】 2025年05月19日
コメ高騰の要因を需給面から分析。備蓄米の規模的放出と政府の“直販”導入でJAの買い手独占を是正し価格を安定させる処方箋を提示。

商品価格、26年にコロナ禍前水準に下落 経済成長鈍化で=世銀—【私の論評】 2025年04月30日
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政府の備蓄米21万トン放出 江藤農水相が正式発表—【私の論評】 2025年02月14日
米価高騰への短期対応として備蓄米を段階放出。買い戻し条件や市場の不安定要因も指摘し、透明性ある運用と長期の食料安保戦略を促す。

2025年11月9日日曜日

「台湾有事」への覚悟──高市首相が示した“国家防衛のリアリズム”


まとめ

  • 高市首相は台湾有事を「日本有事」と位置づけ、平和を守るには抑止力を備える覚悟が必要と明言した。戦を避けるための防衛強化こそ現実的な平和政策であると示した。
  • 中国の台湾周辺での艦艇・航空機展開は古典的侵略ではなく、心理戦による圧力であり、戦わずして優位を得ようとする戦略である。
  • 台湾で大ヒットしたが日本ではヒットしなかったテレビドラマ『ゼロ日攻撃』が示す現代戦のリアリズムは、サイバー攻撃や情報攪乱による“静かな侵略”であり、限定的な軍事行使を伴うハイブリッド戦の実像を描いている。
  • 日本のマスコミは古典的戦争像に囚われ、高市政権の現実主義を「好戦的」と誤解している。政治が現実を直視する一方で、報道は幻想を信じ続けるという齟齬が生じている。
  • 「戦争できる国」とは「戦争する国」ではなく、攻められた時に守れる国のことだ。高市首相は防衛費の議論を超えて“国家を守る意思”の再生を訴えており、真の平和はその覚悟に宿る。

1️⃣「平和を守る覚悟」──高市首相が突きつけた現実主義


「平和を守るためには、覚悟がいる」。高市早苗首相の一言が、永田町を震わせた。台湾海峡は緊張を増し、首相は2025年11月7日の衆院予算委員会で「台湾の安定は我が国の安全保障に直結する。万一の際に備えることこそ、平和を守る最も現実的な道である」と述べた。これは戦を望む言葉ではない。戦を避けるための抑止の論理である。

自衛隊は南西シフトを進めている。与那国・宮古・石垣の体制強化、電子戦・無人機の拠点整備、海空の警戒と長射程スタンドオフの配備。これらは「台湾防衛」ではなく「日本防衛」そのものだ。台湾海峡で事が起きれば、最初に影響を受けるのは沖縄・与那国・宮古である可能性が高い。備えの欠如こそ最大のリスクだ。

「台湾有事は日本有事」。安倍晋三元首相の遺言とも言うべきこの言葉を、高市首相は政策の言葉に引き戻した。中国はこの数カ月、台湾周辺で過去最多規模の艦艇・航空機を展開している。だが、これは古典的侵略の前触れではない。台湾と周辺国に「包囲されている」という圧迫感を与える心理戦の一環である。中国はまず“見せる力”で相手の心を折りにくる。

日本の世論はまだ鈍い。平和を願うことは尊いが、願いだけでは平和は守れない。現実から逃げる政治こそ危険だ。抑止は言葉ではなく、力と意思の裏付けで成り立つ。中国もロシアも北朝鮮も、残念ながら「力による平和」しか信じていない。
 
2️⃣台湾のリアリズムとテレビドラマ『ゼロ日攻撃』の示唆

人気俳優、高橋一生も出演した台湾大ヒットドラマ「零日攻撃 ZERO DAY」は日本でヒットしなかったが・・・


数十年前、北朝鮮も中国も軍事的には取るに足らぬ存在だった。いまや様相は一変した。中国は経済と軍事を融合させた全体主義国家へと変貌し、北朝鮮は核・ミサイルで恫喝する。イランは西側から離反し、ロシアと結び秩序を掻き回す。変わった現実を、我が国だけが直視しきれていない。

この遅れを照らすのが、台湾ドラマ『ゼロ日攻撃』である。派手な爆撃も大規模上陸もない。描かれるのはサイバー、情報攪乱、電力遮断――“静かな侵略”だ。台湾は、中国が損害を最小化しつつ社会機能を内部から崩す現実的手段を選ぶと見ている。

そもそも台湾は古典的上陸侵攻に向かない。台湾海峡は浅く、天候と潮流の制約が大きい。西岸は干潟(ひがた)と軟弱地盤が多く大規模上陸に不利、東岸は断崖が連なり兵站が続かない。東シナ海からバシー海峡に至る日米の哨戒網も補給線に圧力をかける。ゆえに“一気呵成の占領”は地理的にほぼ不可能だ。台湾が見据える戦争は、銃弾の応酬ではなく、電波・情報・社会機能を奪う現代型の戦争である。

ただし、現代戦は非軍事だけではない。戦略・戦術上、有効な局面では軍事力が使われる。離島制圧、指揮通信網の破壊、示威のための限定攻撃――そうした局面で中国は躊躇しないだろう。つまり本質は、軍事と非軍事が一体のハイブリッド戦である。

高市首相の「現実を見よ」という呼びかけは、このリアリズムと通底する。台湾が見ているのは「弾が飛び交う映画」ではなく「社会が内部から制圧される現実」だ。首相はその現実を日本に突きつけた。さらに首相は軍事だけでなく、情報・経済・サイバー・外交を束ねる総合的抑止を志向している。戦う前に勝つ。戦争を起こさせないための現実的戦略である。

これに対し、マスコミは今なお古典的侵略の像に囚われる。日本が台湾有事への対抗策を講じるたび、「日本が古典的総力戦を始めるのではないか」といった懸念を並べる。現実を直視する政治と、物語にすがる報道の齟齬は深い。

『ゼロ日攻撃』は、その齟齬を映す鏡でもあった。日本では“ヒット”しなかった。期待されたのは派手な戦争ドラマ、示されたのは無音の侵略。台湾は危機を現実として理解し、日本メディアはまだ“物語としての危機”に酔っている。この落差こそ、アジア防衛の盲点である。
 
3️⃣変わるアメリカ、停滞する日本──報道が国を誤らせる

アメリカではテレビ局・配信の再編が進む。私はこれを衰退とは見ない。旧来の媒体が自らを解体し、時代に適応し直す自然な進化である。朽ちるより変われ。成熟社会の当たり前だ。

一方、日本のオールドメディアは「自分たちが世論を導く」と信じ込み、時代遅れの“正義”に拘泥する。国家観を欠いた情緒的平和主義を振りかざし、現実を見ない。それどころか、自分たちこそ、国民の代表であり、よって道徳規範の制定者であるかのような誤った認識を持っているようだ。記者の中には、首相会見前に「支持率を落とす映像だけ流してやる」といった不見識な発言まであった。ここで報道は真実の伝達ではなく、“望ましい物語”の創作へと堕していることが明らかになった。


日本のメディアは報道機関ではなく「言論業界」になった。自らの思想を国民に押しつけ、現実を歪める。だが世界は変わった。国際秩序は再編され、情報戦が最前線に立つ。それでもなお「反権力こそ正義」という時代遅れの旗を振り続けるのか。

高市首相の言葉は国家の矜持を取り戻す行為である。対して、旧メディアの頑迷はその矜持を腐らせる宿痾(しゅくあ)だ。守るべきものを語らず、時代遅れの“正義”を繰り返す者に未来はない。日本が生き延びるには、政治だけでなく報道も覚醒しなければならない。

戦後八十年、我が国は「戦争をしない国」を誇ってきた。いま問われるのは「戦争できる国」かどうかだ。誤解してはならない。「戦争できる国」は「戦争する国」ではない。仕掛けられた戦いに応じ得る力を持つ国だ。これが“守れる国”の本質である。いかなる国も、軍事的側面を欠いて独立は維持できない。平和を守るには、戦う力と意志が要る。

高市首相が訴えるのは、防衛費の数字や条文の改廃だけではない。現代戦から「国家を守る意思」を取り戻せ、である。平和は努力の果実だ。備えなき平和は幻だ。戦を煽るのではない。戦を防ぐ覚悟の宣言である。再び我々が、戦うことを恐れず、平和を守るために立つ。軍事国家への回帰ではない。国家としての責任への回帰である。

平和を語る者こそ現実的であれ。防衛を語る者こそ冷静であれ。国家を守る者こそ強くあれ。台湾海峡の波が高まるいま、我が国が取るべきは「見て見ぬふり」ではなく「覚悟」である。抑止は力だけでなく、意志の問題だ。守る覚悟のない国に、平和は訪れない。高市政権の真価は、そこにこそある。

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2025年11月8日土曜日

午前三時に官邸に入った総理、深夜の天皇陛下のご公務──求められているのは“働き方改革”ではない“国会改革”である 



まとめ

  • 質問通告の遅延は国会の制度疲労を象徴する問題であり、官僚や総理だけでなく天皇陛下のご公務にまで影響している。民主党政権期には上皇陛下が深夜に決裁書類をご覧になる事態もあり、国政の乱れが象徴天皇の制度運用を揺るがしていた。
  • 国会は「慣行」に甘え、質問通告の遅れを放置してきた結果、官僚の徹夜作業と総理の早朝出勤が常態化した。責任の所在が曖昧なまま、政治全体の規律が緩み、怠慢が制度化している。
  • 民間企業では当然のガバナンスである「事前通知」「期日遵守」「違反時の制裁」が、国会には存在しない。会社法では通知を怠れば決議が無効になるが、国会では罰則もなく、混乱が繰り返されている。
  • 2021年の中央省庁職員アンケートでは、立憲民主党と共産党に質問通告の遅れが目立つとの結果が報じられた。通告の差し替えや深夜提出が常態化し、制度疲労が政党文化にまで染みついている。
  • 英国、米国、ドイツ、フランスなど世界の主要議会では、質問通告の遅れは即座に無効とされる。日本だけが「慣行」で済ませ、無秩序を自由と取り違えている。高市総理の午前三時出勤は勤勉の象徴ではなく、政治の常識が崩壊した警鐘である。
1️⃣深夜の質問通告がもたらす「制度疲労」と陛下への影響


高市早苗総理が午前三時に官邸へ入った――その報道は勤勉な首相の象徴として受け取られた。
だが、実態は違う。あれは日本の国会運営の「病巣」を浮かび上がらせた出来事だった。

野党からの質問通告が届いたのは、前夜の深夜。ときに午前一時を過ぎることもある。官僚はその瞬間から徹夜体制に入り、答弁書を一から作り直す。総理もまた、夜明け前に出勤して準備に追われる。
この異常な光景が、長年「慣例」という名の下で放置されてきた。

問題は単なる労務負担にとどまらない。国会開会式のような国家儀式にまで影響が及んでいる。天皇陛下がご臨席されるその場で、政府演説や代表質問の準備が夜を徹して行われるのだ。質問通告が遅れれば、進行が押し、陛下の登壇時刻すら確定できない事態も起きる。

そして、もっと深刻なのは、陛下ご自身のご負担である。上皇陛下(当時の天皇陛下)の御代では、民主党政権下において質問通告の遅延が常態化していた。その影響で政府答弁の作成が夜中に及び、上奏文書の提出も深夜へずれ込んだ。結果、陛下が午後九時を過ぎても書類に目を通されていたという証言が複数残っている。このようなことが報道されたのは、稀なことである。宮内庁の公表日程には夜間のご執務は記されてない。

那須や葉山での静養中にも、深夜まで決裁書類をご覧になられた――そうした報道もあった。これは一時的な話ではない。国会のだらしなさが、天皇陛下のご公務にまで影響を及ぼしていたのだ。

現天皇陛下におかれても、宮内庁の公表日程には夜間のご執務は記されていない。だが、政治側の事務遅延が続く限り、ご決裁やご報告が夜にずれ込む可能性は否定できない。
つまり、あの「深夜通告の連鎖」は、今も構造として残っているのである。
 
2️⃣「ガバナンスなき国会」――企業なら無効になる慣行

衆院予算委で質問する自民党の斎藤健氏=7日午前

この異常な運営に、斎藤健元経産相は「上手にさぼりながらやってください」と苦言を呈した。
皮肉な言葉だが、そこには真実がある。総理が倒れるほど働かねばならないのは、野党の怠慢のせいだ。官僚も官邸も、そして陛下までもが犠牲になっている。

だが、解決は難しくない。質問通告に締切を設け、遅れた場合には明確な罰則を科すだけでいい。
一度目は叱責、二度目は質問時間の削減、三度目は質問権の停止――これで混乱は止まる。

民間企業では、とうに当たり前の仕組みだ。上場企業の取締役会では、会議通知は一週間前が常識であり、資料は同時に全員へ配布される。これを怠れば、決議そのものが無効になる。
会社法第370条から第372条までが、その法的根拠だ。正規の通知を怠れば「決議取消の訴え」が可能になる。

国会を企業にたとえれば、こうだ。
取締役が前夜に議題を出し、他の役員が徹夜で資料を作り、翌朝の会議で「準備不足だ」と責め立てる。
こんな組織が健全な判断を下せるはずがない。

それでも国会は“慣行”にすがりつき、誰も責任を取らない。その結果、政治全体が緩んでいった。

加えて、質問通告の遅延には明確な傾向がある。2021年春、中央省庁職員を対象にしたアンケート(ITmediaビジネスPRESIDENT Online報道)では、立憲民主党と日本共産党が特に通告の遅い政党として挙げられている。
通告の差し替え、前日深夜、休日提出――現場官僚の間では「立憲・共産の遅延は常態化している」との認識が広く共有されている。

これは偶然ではない。制度疲労が政党文化にまで染みついた結果である。
 
3️⃣世界の常識から見た日本の異常

諸外国では、質問通告の遅れは「マナー」ではなく「違反」である。

英国議会

英国議会では、質問は開会日の3日前の正午までに提出しなければならず、それを過ぎれば即時却下だ。議長が例外を認めることもない。官僚が夜中に答弁を練るなど、構造的に起こり得ない。

米国議会では、日本のような質問通告制度は存在しないが、委員会質疑では48時間前までに質問要旨を提出する決まりがある。違反すれば質問の順番を失うか、発言できない。議事妨害と見なされれば即座に発言停止である。

ドイツでは、政府への「小質問」は48時間以内に文書回答されるが、提出期限を過ぎた質問は受理されない。フランスでも質問締切は毎週火曜正午で、遅れれば翌週回しとなる。
いずれの国でも、ルールを破れば質問権そのものを失う。

これに比べ、日本はあまりに甘い。提出期限は「慣例」であり、議長は裁量で遅延を容認。差し替えも追加も自由、深夜の通告も黙認される。世界の議会運営の中で、ここまで無秩序な国は珍しい。

この堕落を正当化するかのように、2021年、立憲民主党の安住淳氏はNHK「日曜討論」でこう語った。
「官僚の過重労働は質問通告が遅いからというのは陳腐な話だ。官僚を美化してはいけない」。
この発言に対し、日本維新の会の音喜多駿議員や藤田文武議員は「深夜通告を当然視する姿勢こそ問題だ」と即座に反論した。

だが、問題は発言そのものよりも、その無神経さが「国会の空気」として定着していることだ。野次、論点逸脱、与党への罵倒――それらはすべて、無秩序を“自由な議論”と錯覚した結果である。

高市総理の午前三時出勤は、勤勉の象徴ではない。
それは、日本の政治が秩序を失い、常識を手放したことへの警鐘である。

民主主義を支えるのは「自由」ではなく「責任」だ。
秩序なき自由は、制度を腐らせ、国家を壊す。

今こそ国会は、責任ある議論を制度として取り戻さねばならない。
求められているのは“働き方改革”ではない――“国会改革”である。

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