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2018年6月7日木曜日

「関与してたら辞める」を歪曲する常軌を逸したマスコミのロジックと財務省の歪んだエリート意識―【私の論評】本当は低学歴で非常識な財務官僚!その弱みにつけ込み真の政治システム改革を(゚д゚)!

「関与してたら辞める」を歪曲する常軌を逸したマスコミのロジックと財務省の歪んだエリート意識

田中秀臣 
財務省

森友学園に関する財務省の文書改ざんについての報告書が、6月4日に明らかになって、またマスコミや野党の政権批判が加速している。

この報告書を読むと、

https://www.mof.go.jp/public_relations/statement/other/20180604chousahoukoku.pdf
1)森友学園問題についての改ざん前文書などを参照にすると安倍首相も首相夫人も一切関係がない、 
2)文書改ざん・交渉記録の廃棄は財務省理財局と近畿財務局を中心に行われた。そして佐川宣寿前国税庁長官が方向性を決定付けた。その動機は、国会での問題の紛糾を回避するためだった、 
3)近畿財務局は本省理財局に抵抗する職員たちもいた

 などが注目ポイントだろう。

 財務省が国民の信頼を喪失させた責任は重大であり、今回の職員20人への処罰だけで終わることなく、同省の体質を含めて監視し、改革を求めていくものだと思う。ところがマスコミや野党は相変わらず政権批判に力を入れているだけだ。

 麻生財務大臣の責任は大きい。麻生大臣の進退については評価が分かれるだろう。私見では、単に文書管理の見直しや綱紀粛正程度では、麻生大臣はなんのために在任するのか皆目わからない。大胆な財務省改革でもしなければいてもいなくても構わない。安倍首相もこの機会に財務省改革と同時に、財務省の生命線ともいえる消費増税路線を終焉させるぐらいの大胆さがほしい。というか、(14年の増税以降)消費が低迷して日本経済を不十分な成長に押さえつけている状況を考えれば、財務省の権力の基盤ともいえる増税路線を廃止することこそ、国民にとって利益になる。財務省への忖度はいいかげんにやめよ。

 他方で、マスコミや野党は、財務省改革などはどうでもいいようだ。麻生大臣の進退も単に安倍政権への痛撃を狙うものにすぎない。野党はまだわかるが、「麻生氏、なぜ辞めぬ」と題した記事を書く毎日新聞などのマスコミはかなり政治的色彩に偏っている。麻生氏の監督責任があるにせよ、さすがに報告書を読めば財務省理財局と近畿財務局がまったく大臣の知らないところで勝手に改ざん・廃棄をすすめている。麻生氏がすべてを監視する目でももっていれば責任は重大だが、これでは予防のしようもない。むしろ監督責任よりも、麻生氏の財務省改革の姿勢のあるなしについて厳しく追求すべきではないか?

 問題は、財務省の役人たちが、まるで国会を仕切るかのように、国会審議でさらなる質問がでないようにすることが文書改ざん・廃棄の目的であったことだ。国会は国会議員が議論リードするべきところであり、財務省の役人が仕切る場ではない。ここに財務省の醜く歪んだエリート根性を見出すのはたやすい。財務省の歪み肥大化したプライドを傷つけることが今の日本には必要だ。その権限を分割・廃止し、さらに他省庁の下部組織にするぐらいの意識を政治家や国民がもつことが必要だ。90年代のような大蔵省改革がいかに無駄だったのかが今回明らかになった。財務省の歪んだプライドと権限の肥大化を正すべきだ。それには繰り返すが、消費増税を核にした「財政再建」を粉砕すべきである。

 いま財務省や国税庁は、小学校などの教育現場で、税や財政についての理解を促す教育プログラムを行っている。厳しい表現を使えば、これは一種の“消費増税のための洗脳教育”の可能性がある。検索すれば、国税庁などのホームページでも事例を確認できる。ただ筆者がみた事例だと、小学生たちは消費税について圧倒的に反対なようで心強い。財務省や国税庁の狙い(?)通りにはいっていないようだ。だが、財務省の増税への執念は“草の根”まで巻き込む悪質さがある。「悪質」と書いたが、それは現状の日本では財政危機の懸念はなく、むしろ上記した増税による経済低迷の方が懸念されるからだ。今の経済を悪くすることは、将来の子供たちの未来を危うくする。それなのに財務省とその周辺の増税政治家、増税マスコミたちの野望は潰えない。文書改ざん問題でも懲りることはないだろう。

 だが、マスコミや野党の多くは、報告書にはまったく書かれていない安倍首相に文書改ざんの責任を結びつけようと必死であるようだ。例の首相と首相夫人が森友学園に関与したら首相の職をやめるとする国会での発言が、文書改ざんの引き金になったというロジックである。

 だが報告書を読めば、そんな経緯はまったく書かれていない。むしろ森友学園に野党議員たちが押し寄せた出来事(テレビ向けのパフォーマンスの類)が大きなきっかけだった。そんな事実はマスコミや野党は無視である。当たり前だ。森友学園問題を無理やり、首相と首相夫人に結びつけようと派手なパフォーマンスをした野党、それを大々的にとりあげたマスコミ自体にいくばくかの批判の目がいくのを避けたいのかもしれない。もちろんそんな見え見えのパフォーマンスや報道姿勢であっても、財務省が文書改ざんや廃棄をした事実を弁護する材料にはひとつもならない。

 ちなみに首相の答弁自体は、森友学園の土地取引や価格交渉に首相と首相夫人が関与していれば辞めるという、当たり前の限定条件がついている。だがマスコミではなんの形であれ関与したらやめるとでもいった形で無限定に報道されている。悪質である。政治を常に距離を置き、その活動を批判的にみるのはジャーナリズムのひとつの在り方だ。だが、今回の麻生大臣の辞任要求とでもいうべき報道姿勢、また安倍首相の「関与」答弁への強引な関連づけなど、マスコミはこの一年以上そうであり続けたように常軌を逸していると思う。

田中秀臣氏

経済評論家 / 上武大学ビジネス情報学部教授

田中秀臣


上武大学ビジネス情報学部教授。早稲田大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。国土交通省社会資本整備審議会委員、内閣府経済社会総合研究所客員研究員など歴任。 著作『日本経済は復活するか』(編著 藤原書店)、『AKB48の経済学』(朝日新聞出版)、『デフレ不況』(朝日新聞出版)など多数。毎週火曜午前6時から文化放送『おはよう寺ちゃん活動中』レギュラーコメンテーターとして出演中。
https://twitter.com/hidetomitanaka

【私の論評】本当は低学歴で非常識な財務官僚!その弱みにつけ込み真の政治システム改革を(゚д゚)!

財務省の官僚は、実は低学歴である。などというと、皆さんは驚かれるかもしれません。しかし、これは世界水準の見方をするとこういう見方もできるのです。

財務省のホームページに公開されている「採用昇任等基本方針に基づく任用の状況(平成24年度)」という資料には、キャリアおよびノンキャリアの官僚の出身大学と学部の情報が掲載されています。この資料をまとめると次のような恐ろしい事実が判明します。

まずはキャリア官僚の出身大学および学部を見てみましょう(図表5)。

 [図表5 財務省キャリア官僚の出身大学ならびに出身学部]
  〈大学・学部〉        〈人数〉
  東京大学法学部         11
  東京大学経済学部         4
  京都大学経済学部         1
  慶応義塾大学経済学部       1
  慶応義塾大学大学院経済学研究科  1
  信州大学経済学部         1
  名古屋大学経済学部        1
  北海道大学経済学部        1
  早稲田大学政治経済学部      1
  東京大学大学院公共政策学教育部  1
  早稲田大学大学院公共経営研究科  1
  早稲田大学商学部         1
  東京大学文学部          1
  同志社大学文学部         1
  京都大学法学部          1
  慶応義塾大学大学院法務研究科   1
  千葉大学法経学部         1
  東京大学大学院法学政治学研究科  1
  一橋大学法学部          1
  北海道大学大学院法学研究科    1
  明治大学法学部          1
  早稲田大学法学部         1
  東京大学大学院工学系研究科    1
  〈合計〉            36

次に、大学の壁を取り払って学部別の人数を集計してみましょう(図表6)。ここにも驚くべき事実あります。

 [図表6 財務省キャリア官僚の出身学部]
  〈学部〉 〈人数〉〈割合〉
  法学部   20   55.6%
  経済学部  11   30.6%
  その他    5   13.9%

圧倒的に法学部が優位です。経済を取り扱う官庁なのに、大学時代に経済学を学んだ人が3割しかいません。ただし、財務省側の立場にたって、この現状を説明すると、定められた財政を実行するためには、法律に基づいて実施しなければならず、そのためには法学が必要とされているようです。

そしてもう一つ注目しなければならないのは、彼らの学歴です。学歴というのは出身大学という意味ではなく、大学卒の学士なのか、大学院卒の修士なのかという点です。

ちなみに、日本は学歴社会ではなく、大学格差社会ともいえるような状況です。欧米というか、世界では、大卒は学歴あるものとはみなされません。たとえ、どのような名門大学を卒業していようと、大卒は大卒という扱いで、大学院を出ていなければ学歴があるものとはみなされません。日本でいえば、高卒のような扱いです。

日本の場合は、学歴などといっていますが、その実どこの大学を出たかということが、重要視されるので、これは学歴社会ではなく、大学格差社会というべきだと思います。

そうして、世界標準という立場から見直してみると、先ほどの表で数えてみると、大学院卒の修士は7名で、全体の2割しかいません。言い方は良くないのですが、意外にも低学歴です。他の先進国であれば、財務省や中央銀行の官僚のトップや幹部はまずは大学院卒です。

では、次に財務官僚のトップである財務事務次官の出身大学と学部について、前職の佐藤慎一氏から20年ぐらい遡って確認してみましょう。
佐藤慎一 東大経済学部卒
福田淳一 東大法学部卒
田中一穂 東京大学法学部卒業
香川俊介 東京大学法学部卒業
木下康司 東京大学法学部卒業
真砂 靖 東京大学法学部卒業
勝栄二郎 早稲田大学法学部卒業、東京大学法学部学士入学卒業
丹呉泰健 東京大学法学部卒業
杉本和行 東京大学法学部卒業
津田廣喜 東京大学法学部卒業
藤井秀人 京都大学法学部卒業
細川興一 東京大学法学部卒業
林 正和 東京大学法学部卒業
武藤敏郎 東京大学法学j部卒業
薄井信明 東京大学経済学部卒業
田波耕治 東京大学法学部卒業
小村 武 東京大学法学部卒業
小川 是 東京大学法学部卒業
篠沢恭助 東京大学法学部卒業
例外は勝氏、藤井氏、薄井氏ですが、勝氏は学士入学で東大法学部に入り直して卒業しています。80%以上の確率で東大法学部の出身者が財務省のトップになるというシステムであることは明らかなようです。

ちなみに、前職の佐藤慎一氏は珍しく東大経済学部出身です。増税推進派だった佐藤氏は信念を曲げて増税延期を進める官邸にお願いしたといいますから、経済学の知識だけでなく腹芸も達者なようです。

さて、経済の司令塔として財政政策を取り仕切る財務官僚ですが、経済のプロフェッショナルに見えるでしょうか。

法学部出身の新卒プロパー職員が、基本的に内部の研修と職務経験だけで昇進し、最後に事務次官にまで上り詰めるのです。これが日本の経済の司令塔となる人を育てるプログラムということになります。こんなことで良いのでしょうか。

財務省の本来の役割とは、政府の財政方針と目標に従い、専門家の立場から、それを実現するための方策を選んで実行することです。専門家的立場から、方法を選ぶということになれば、やはり大学院卒のほうが望ましいのかもしれません。

しかし、ここにも問題があります。財務省の官僚の出身大学のほとんどが東大です。その東大のいわゆる日本の主流の経済学者のほとんどは増税派だからです。

これについては、以前もこのブログに掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
「2%インフレ目標未達」の批判は誤解で的外れ―【私の論評】復興を税で賄おうとか、8%増税の失敗を認めたくない輩の多いこの国で、いつまともな経済論議ができるようになるのか?間違いを認める潔さのない人々のリストはこれだ(゚д゚)!
日銀黒田総裁

この記事は、2015年3月19日のものです。この時期には、2%の物価目標がなかなか達成できないのは、日銀の責任ではなく、8%増税に原因があるとされていた時期です。

このブログには、高橋洋一氏が復興税を支持した、日本の主流派経済学者のリストが掲載されています。これらのリストに掲載されている人々はすべて増税推進派です。

そうして、このリストをみるとやはり東大が多いです。東大の経済学者らは、ほとんどが増税推進派です。

ということは、もし財務省が経済大学院卒を多めに採用するようにしたとしても、増税派の東大大学院の卒業生が多く入ってくることになり、何も変わりないといことになるということです。

結局東大を頂点とする日本の主流の経済学者も財務省の増税キャンペーンに協力しているのです。

これでは、どうにもなりません。しかし、財務官僚は西欧基準では低学歴だということがある意味では突破口になるかもしれません。

財務官僚は省益を優先するため、省益に物事を考えますから、国民のことなどはなおざりで、本当は日本経済そのものや、マクロ経済学には疎いのだと思います。本当は、省益など二の次、三の次にすれば、本当の日本の経済や社会の姿が見えるはずなのです。

それが見えたなら、日本経済のために、日本国民のために何をすればよいのかなどということは高度な経済知識がなくても、常識でわかるはずです。特に現状を見た場合増税などできるはずないと、普通の常識のある人なら理解できるはずです。

政府や政治家は、財務官僚が低学歴であること、それと常識に欠けることを逆手にとり、まずは財政の方針は政府が定めようにもっていくべきです。目標については、最初は実質財務省に定めさせるようにしても良いですが、いずれそれも財務省からとりあげるようにします。

財務官僚が何をいおうと、増税はしない、積極財政に踏み切るなどの方針を定めて、官僚に従わせるのです。もし、従わなければ、財務省の権限を分割・廃止し、さらに他省庁の下部組織にするぐらいの組織変革を行うのです。財務省は、財政の実行部分を担うだけにし、それでも企画と実行部門は別組織にします。

さらに、実行と統治の部分は完璧に分離し、政府が統治の部分を完璧に担うようにするのです。

その後というか、その過程におて、やはり以前このブログにも掲載したように、本格的な政治システム改革が必要になると思います。これについては、以下の記事をご覧になってください。
妄想丸出しで安倍政権の足引っ張るだけの政治家は市民活動家に戻れ ―【私の論評】本当に必要なのは財務省解体からはじまる政治システム改革だ(゚д゚)!


詳細は、この記事をご覧いただものとして、この記事では、財務省を解体した後に、政党の近代化を図るべきことを掲載しました。

この2つは、日本の政治システムの近代化には必要不可欠であると私は思っています。

【関連記事】 


マスコミ洗脳し財政危機煽る…財務省の災いは日本の好機だ 脱緊縮政策が経済に福となる―【私の論評】財務省は、現在の大企業に比較しても格段に遅れた時代遅れの組織(゚д゚)!

2017年11月1日水曜日

小泉進次郎氏「総理養成ギプス」装着され安倍氏も恐れる男に―【私の論評】総理は進次郎ではなくその背後の財務官僚を恐れている(゚д゚)!


小泉進次郎氏
 霞が関の若手官僚たちが1人の若手政治家を“促成栽培”している。総選挙で安倍首相以上の動員力を見せつけ、「自民党の新しい顔」となった小泉進次郎・筆頭副幹事長だ。

 進次郎氏を囲む勉強会ではとくにこの数か月、熱気あふれる議論が交わされてきた。「進次郎内閣」の政権構想をつくるためのブレーンストーミングである。この動きに神経を尖らせて情報収集している内閣官房の官僚が語る。

 「進次郎は1年ほど前から将来の首相の座を意識して官僚を集めた勉強会を立ちあげている。先行しているのは財務省の中堅官僚グループで、超高齢化社会をテーマに進次郎政権の柱となる政策づくりをしてきた。

 それに対抗しているのが経産省の若手女性キャリアを中心とする勉強会。高齢化社会の産業構造や自動運転技術などの無人化社会、移民政策など分野ごとに各省の若手に積極的に声をかけて参加者が増えている。最近では進次郎も同じ年代の官僚が多いこっちの勉強会が気に入って、“経済が停滞する時代にはどんなメッセージが共感を得るのか?”など、質問も多いと聞いている」

 官僚の指導は政治家としての立ち居振る舞いにも及ぶ。その振り付け指導は勉強会が立ち上がった昨年から始まった。

 進次郎氏が地元・横須賀にある防衛大学校の開校記念祭(昨年11月)に当時の稲田朋美・防衛相とともに出席したときのことだ。

 「このとき、ブレーンの官僚たちは進次郎に“稲田と並んで歩くときは半歩でもいいから前を行くこと”を強くアドバイスしていた。メディアは総理のお気に入りだった稲田大臣を中心にカメラを回すから、決して後ろに従う姿を見せずに、前を行く構図で報道されることが総理・総裁候補として有利な位取りにつながるという判断です」(同前)

 驚くのは、安倍首相に対しても、その「位取り」を意識していることだ。応援演説ではアベノミクスの成果といった政策には一切言及せず、「社会保障の負担を次の世代に残すべきではない」と持論を展開。“オレは安倍さんとは政策が違う”とアピールし、

 「安倍総理だっていつまでも総理じゃない」

 と、巧みな弁舌で聴衆を笑わせる。

 かと思うと、街頭演説で枝野幸男・立憲民主党代表とぶつかれば、10分間、沈黙して演説を“拝聴”してみせる。どんな行動をとれば自分の価値を高く見せることができるかをしたたかに計算している。すぐにキレてしまう安倍首相には真似できない芸当だ。

 官僚たちに“総理大臣養成ギプス”をつけられて訓練を受けてきた進次郎氏は、総理・総裁候補としての存在感をどんどん増し、いまや間違いなく「総理が最も恐れる男」となった。

 ※週刊ポスト2017年11月10日号

【私の論評】総理は進次郎ではなくその背後の財務官僚を恐れている(゚д゚)!

安倍総理は、小泉進次郎氏個人を恐れることは全くないでしょう。そうではなくて、その背後にいる官僚、特に財務省主計局の官僚を恐れているのです。

小泉進次郎氏に関しては、以前もこのブログに掲載したことがあります。これをご覧いただければ、なぜ安倍総理が小泉進次郎氏の背後に存在する、財務省官僚をおそれるのか、その理由がおわかりいただけると思います。その記事のリンクを以下に掲載します。
小泉進次郎が「こども保険」にこだわるホントの理由はアレしかない―【私の論評】経済における清貧思想が生み出した緊縮脳こそが社会の害悪(゚д゚)!
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下にこの記事の元記事となった田中秀臣氏の記事をそのまま全部引用します。
 毎年、3月11日になると、2011年3月にどんなことが起きたのか、当時の記録が掲載されている自分のブログを見て思い出すことがある。もちろん東日本大震災の悲惨な被害、そして失われた多くの命、さらには「人間的価値の毀損(きそん)」という事態の前では、いまだ復興への道のりが遠いことに思いを強くしている。だが、今日書きたいのは、当時の「非人道的」ともいえる動きである。
2011年6月、党首討論で発言する自民党の谷垣禎一総裁(左)と、菅直人首相

 それは2011年3月13日、当時の民主党政権の菅直人首相と自民党の谷垣禎一総裁の会談において、復興政策の一番手として増税政策があげられたことだ。その時点では、被害の実態も把握できず、復興自体よりも人命救助に努力を傾注すべきときだった。もちろん福島第二原発の状況は予断を一切許さない緊迫したものであった。 
 さらにこの増税政策は、後に設置された政府の「復興構想会議」などでも最初の具体的提案として、議長や委員から提起されている。実際に復興政策として何を行うかさえもはっきりしない段階において、である。 
 この復興構想会議では、事実上、後に「復興特別税」となる増税構想だけが具体的に決まったといっていい。当時、複数の復興構想会議の委員に会ったが、いまでも印象に残るのは、「僕らは経済のことはわからないから」という発言だった。経済のことを理解していない人たちが、なぜか増税だけを最優先にかつ具体的に決めたというのはどういったことなんだろうか。 
 さらに時間が経過していくにつれてわかったことだが、この復興特別税での当時の与野党の連携は、民主党・自民党・公明党による「社会保障と税の一体改革」、つまりは今日の消費税増税のための「政治的架け橋」になっていたことだ。
 つまりは、大震災で救命対策が必要とされる中、消費増税にむけた動きが震災後わずか2日後には本格化していたことになる。つまりは震災を人質にしたかのような増税シフトである。これが冒頭で書いた「非人道的な動き」の内実である。
  実際、民主党政権はその政治公約(マニフェスト)の中には、消費増税のことは一切書かれていなかった。だが、この震災以降の増税シフトが本格化する中で、当時の野田佳彦首相(民主党、現在の民進党幹事長)は、自民党と公明党とともに消費増税を決定した。日本では社会と経済の低迷と混乱が続いていたにもかかわらず、ともかく消費増税だけは異様ともいえるスピードと与野党の連携で決まったのである。この消費増税は後に法制化され、第2次安倍政権のもと、日本経済を再び引きずり下ろす役割を果たした。その意味でも本当に「非人道的」であった。 






















 さてこの動きと類似した消費増税シフトをいまの政治の世界でも見ることができる。自民党の小泉進次郎議員が主導する「2020年以降の経済財政構想小委員会」が発表した、いわゆる「こども保険」だ。現在の社会保険料に定率の増加分をのせて、それで教育の無償化を狙うスキームである。「こども保険」と呼ばれているが、実体はただの「こども増税」である。以下でも詐称を控えるためにも、「こども保険」ではなく、正しく「こども増税」と表記する。
 小泉議員らの主張によれば、高齢者に偏重する社会保障体系を、若年層向けに正す効果があるという。この一見するとあらがうことが難しいようなスローガンではある。だが、これがくせ者であることは、冒頭のエピソードを読まれた読者はピンとくるはずだ。 
 消費増税シフトは、そもそも震災復興を契機に仕込まれ、そして社会保障の充実という名目で選挙公約を無視してまで導入された。この経緯を踏まえると、小泉議員らの「こども増税」は、消費税増税シフトを狙う政治勢力の思惑ではないか、と推察することは可能だろう。 
 もちろん「こども増税」自体が消費増税ではない。「こども増税」は、消費増税をより実現しやすくするための、政治勢力の結集に使われる可能性があるのだ。小泉議員は国民の人気が高い。いわば「ポスト安倍」候補の一人であろう。
 現在の安倍政権は、首相の決断によって過去2回消費増税が先送りされた。さまざまな情報を総合すると、安倍首相の財務省への懐疑心はいまも根深いとみられる。なぜなら財務省は2013年の消費増税の決定時期において、「消費増税は経済に悪影響はない。むしろ将来不安が解消されて景気は上向く」と説明していたからだ。もちろんそのようなトンデモ経済論は見事に外れた。日本経済がいま一段の安定経路に入れないのは、この消費増税の悪影響である、と首相は固く信じているようだ。そのための二度の消費増税延期である。
 このような首相の決断は、財務省を中心とする消費増税派からすれば脅威に思えるだろう。今後の消費増税は本当に実施されるのか、また10%引き上げ後も財務省が現段階で狙っていると噂される15%以上への引き上げの道筋が早期にめどがつくのかどうか、彼らは不安であろう。 
 ある意味で、ポスト安倍の有力候補としての力の結集、または現段階で安倍首相を与党の中で牽制(けんせい)する「消費増税勢力」が誕生した方が得策である、と消費増税派は踏んでいるのかもしれない。もちろん「こども増税は、消費増税を確実にするための前ふりですよね」と、小泉議員らにいっても即座に否定するだろう。だが、同時に思い出されるのは、数年前に復興構想会議のメンバーに「この増税路線は消費増税路線の一環ではないか」とただしたとき、「そんなことはない」と一笑にふされたことだ。今回はだまされたくはないものである。
これをご覧いただければ、なぜ安倍首相が小泉進次郎氏個人ではなく、その背後に存在する、財務省主計局を恐れるかが良くおわかりになると思います。

まさに安倍総理は、財務省主計局主導による、ポスト安倍の有力候補としての力の結集、または現段階で安倍首相を与党の中で牽制する強力な「消費増税勢力」の構築を恐れていのです。

財務官僚は小泉進次郎氏を将来の増税勢力の要として、小泉進次郎氏を“促成栽培”しているのです。

今回の衆院選で応援演説をする小泉進次郎氏
与野党問わずに、現状の「ポスト安倍」と目される政治家や政治勢力は、財務省の消費増税路線の走狗に過ぎません。消費増税は財政再建のための「手段」でしかないのですが、しばしば「手段が自己目的化」しています。

まさに消費増税ありきの財務省の走狗のような政治家が日本の圧倒的大多数です。むしろ財務省的な経済政策観をもたない政治家を数える方が容易なくらいです。アベノミクス(の金融政策中心)的政策観をもつ国会議員は、その数は二桁にも満たないでしょう。

財務省は、消費増税が自己目的化しているので、それに貢献する政治家たちもすべて消費増税のための道具にしか過ぎません。そもそも、財務省的な経済政策観をもつ政治家は腐るほど存在しているのです。

自民党の中の「ポスト安倍」と目されている人たち―稲田朋美元防衛大臣、小泉進次郎衆議院議員、石破茂衆議院議員らーの過去の発言をみれば、消費増税ありきの財政再建主義か、もしくは金融政策中心のデフレ脱却への懐疑や批判が明瞭です。

稲田大臣は、先の再延期の前には「消費税をまず1%引き上げる」案をだしていましたが、これも「なぜそもそも消費増税を経済が低迷しているときに増税そのものにこだわるのか?」という疑問に一切答えていません。

消費税引き上げが自己目的化したものです。そうして、小泉議員はさらに深刻です。先の再延期のときの報道を読むかぎりでは、消費増税先送りへの懐疑的な態度にくわえて、親譲りなのでしょうか。とにかく経済的な倹約(社会保障の見直し)という視点しかありません。

むしろ消費増税は積極的に先送りすることで、経済成長を安定化させ、そこで財政再建(社会保障制度の積極的な拡充)も実現していくべきなのでしょうが、その手の発想は過去の発言をみるかぎり希薄です。

石破議員は、デフレ脱却を金融政策中心で行うと高いインフレに帰結するなど副作用の可能性を指摘してきました。いずれも財務省の消費増税路線やその背景にある財政再建主義に親和的です。とりあえず代表的な三者をあげましたが、他の政治家もごく少数を抜かして同じ考えです。

財政再建は大事かもしれません。しかし、経済が十分に復活しないときに、増税や財政支出の緊縮を行えば、それは国民の経済生活を困難なものに陥れることになります。財政再建は経済のまともな発展の副産物にすぎないものです。

国民の多く特に市場関係者は、この財務省的な政策観が「狂ったもの」であることにうすうす気づいているのではないでしょうか。

しかしこれは、現状では安倍政権以外に、まともな経済政策観を抱く有力な政治勢力がないことを示しており、そのことが日本の潜在的なリスクといえると思います。

このリスクを避けるためには、やはり政党の近代化は避けて通れません。

政党の近代化については、昨日のこのブログにも掲載したばかりですが、これは聞きなれない言葉だと思います。

毎年のように、年末になると政党助成金を目当てに新党が結成されます。そもそも政党助成金は金権政治の温床となる無理な資金集めを解消するとともに、政党を近代化する条件で導入された制度です。ところが、「政党の近代化」という言葉はとっくに死語になっています。

近代政党には、三つの要素があります。

綱領、組織、議員です。

明確な理念をまとめた綱領がある。綱領に基づいて全国組織が形成される。全国の政党支部が議員を当選させる。その議員たちは政策の内容で競い合い、自由で民主的な議論で党首を決める。選ばれた党首は直属のシンクタンクとスタッフを有し、全国組織に指令を下す。

この条件に当てはめると、自民党(別名・自分党)は近代政党ではありません。議員に個人後援会や圧力団体がくっついて、派閥の談合によって党首を選んでいるだけです。

自民党が有する最大のシンクタンクは官僚機構(つまりは予算を握る財務省主計局)ですが、ヨーロッパの政党は官僚機構に対抗できるシンクタンクを自前で揃えています。

確かに自民党の議員も早朝から「朝食会」などと称し、熱心に勉強しているといわれています。しかし、問題はその中身です。実態は官僚を呼んで情報をもらっているにすぎませんから、そもそも官僚に都合の悪い情報が入ってくる余地がありません。政治家たる者、官僚と会う前に勉強をしておくべきなのに、官僚から勉強を教えてもらっているのです。

小泉進次郎氏も、「朝食会」に出席し、日々官僚から勉強を教えてもらっています。それだけではなく、霞が関の若手官僚たちに“促成栽培"してもらっているわけですから、1〜10まで官僚に都合の良い情報しか頭にはいらないでしょう。これでは、まともな政治家にはなれず、官僚の道具になるだけです。

"反アベノミクスの勉強会"講師は、財務省寄りの大学教授
イギリスなどでは、無論シンクタンクは存在しますが、それ以外にも自前でブレーンを用意して勉強した政治家だけが、党の出世階段を上ります。というより、自前である程度勉強しないと、高度な能力を持つシンクタンクの政策提言も理解できません。

政治の世界において、政党と官僚は化かし合いです。官僚の言うことばかり聴いていては、本来政治家は勤まりません。かといつて、かつての民主党のように「政治主導」などといいながら、その実は表向き官僚に仕事をさせないようするだけでは、政府が機能しなくなります。

かつて民主党の事業仕分けは財務省のシナリオにもとづき行われた
近代政党の政治家は、まずは自分でも勉強し、シンクタンクの力も借りて、官僚を従えて、自分の方針通りに仕事を十分にさせ、その上で失敗すれば自分が責任を取るのです。

日本でも、まともな近代政党をつくらなければ、官僚自己目的的なふるまいは永遠に是正されないでしょう。しかし、いますぐには不可能です。であれば、小泉議員のような議員こそ、自前でブレーンを用意し、勉強する以外にありません。

しかし、ブレーン選択に失敗し、官僚寄りのブレーンを選択してしまえば、やはり官僚のいいなりで、官僚の都合の良い道具にされるだけです。というより、今は安倍首相とその一部の側近等一部を除いたほとんどすべての政治家が財務省の道具です。マスコミもそうです。政党の近代化をないがしろにしてきたつけが、これです。
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財務省の補正予算編成が日本のためにならない理由―【私の論評】日本経済復活を阻むボトルネックに成り果てた財務省はこの世から消せ(゚д゚)!


2016年8月20日土曜日

【お金は知っている】日本人の規律を逆用する財務官僚と"御用メディア"―【私の論評】愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ!我が国の経済史を真摯に学べ(゚д゚)!

【お金は知っている】日本人の規律を逆用する財務官僚と“御用メディア”

山の日の人で賑わう富士山頂上

8月11日の「山の日」に富士登山を敢行した。登山者のラッシュの中、ゴミらしきものはほとんど見当たらず、全員が整然と歩み、休む。10人中3、4人は外国人だ。金剛づえに日の丸をくくり付け、誇らしげに登るのは台湾を含む東南アジア、米欧、中東、中南米の人たちだ。

 国際的にも称揚される日本人の規律。その国民性を逆手にとって自己利益を追求するのは、経済の緊縮を是とする財務官僚とそれに追従する御用メディアだ。

 朝日、毎日、日経新聞はこれでもか、これでもかと緊縮財政を求める。突出しているのは日経で、財務省が10日に「国の借金」が6月末で1053兆4676億円になったと発表するや、国民一人当たりで約830万円の借金を抱えていることになると騒いだ。経済に多少でも精通していれば、すぐわかる詭弁(きべん)である。

 国債の9割以上は金融機関経由で国内の預金者が保有しているのだから、国民一人当たり約800万円の資産なのである。借金の当事者は財務官僚なのだから、それほど問題だと言うなら官僚は給料を返上すべきなのだ。

 日経はこの大本営発表のタイミングに合わせて朝刊1面で「日本国債」と題した記事を5回にわたり連載した。米欧系投資ファンドが投機の口実に使う日本国債の暴落不安要因を並べ立て、消費税増税と緊縮財政強化をせきたてる。最終回は15日の終戦記念日付で、敗戦時には国債が悪性インフレのために紙くずと化したと断じた。このときばかりは国債を「国民の借金」ではなく「資産」とみなすご都合主義だ。

 8日には、天皇陛下が「生前退位」のご意向を示されたお言葉の中で、「健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶ」と懸念されたくだりには、とりわけ胸を打たれた。

 日本経済は元号が改まるたびに、大不況に襲われる。大正天皇崩御の4カ月後、1927年3月の「昭和金融恐慌」、昭和天皇崩御(1989年1月)後の「平成恐慌」である。いずれも政官の指導者による緊縮政策が引き起こしたが、その政策転換までには多くの年月がかかっている。

 昭和恐慌の場合は1932年12月の高橋是清蔵相まで待たなければならなかった。バブル崩壊を伴った平成恐慌は慢性デフレへと停滞局面が続き、2012年12月の第2次安倍晋三政権が打ち出したアベノミクスでようやく政策転換がなされた、と思ったら、財務官僚が敷いた罠(わな)にはまった。14年4月からの消費税増税と財政支出削減であり、浮上しかけた景気はゼロ成長とデフレ局面に陥った。

 安倍首相はようやくこの失策に気付き、消費税率の10%引き上げを2度にわたって延期したうえに、総事業費28兆円超の大型経済対策に踏み切ることにしたが、要は秋だ。安倍政権は執拗(しつよう)きわまる財務官僚や御用メディアによる緊縮包囲網を突破するしかない。 (産経新聞特別記者・田村秀男)

【私の論評】愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ!我が国の経済史を真摯に学べ(゚д゚)!

ブログ冒頭の記事にあるような、"「国の借金」が6月末で1053兆4676億円になったと発表するや、国民一人当たりで約830万円の借金を抱えている"などという見方は、全く一方的なものであり、間違いであることはこのブログでは何度か掲載してきたことです。その典型的なものの、リンクを以下に掲載します。
「国の借金」巡るホラー話 財務分析すれば怖くない―【私の論評】鳥越より悪質な都市伝説が現実になる新手の辛坊らの発言には気をつけろ(゚д゚)!
国の借金1000兆円は、真夏のホラー映画のような作り話にすぎない!
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では、いわゆる国の借金などと言われている、正しくは政府の借金は、結論からいうと、百数十兆円に過ぎないことを、資料のでどころと、計算過程も含めて掲載しました。以下に、一部を引用します。
私の計算では、平成27年3月31日の日銀が含まれていないバランスシートに、平成27年3月31日の日銀の営業毎旬報告から推測したバランスシートを加えた(注:連列したという意味)もので、その結果は173兆円です。

これだと、日本のGDPを500兆円ということで計算すれば、政府の借金はGDP比では34%に過ぎません。これと同じような計算方式では、米国は80%、英国は60%であったと記憶しています。

ブログ冒頭の、高橋洋一氏の計算では、150兆円ということですが、大体似たようなものです。高橋洋一氏は別の方式でもっと正確に計算しているのかもしれません。しかし、考え方としては同じです。

いずれにせよ、政府の借金が1000兆円などということは、全くありえないことです。もしそうなら、国債金利がマイナスということなるはずもありえません。この程度の負債なら、10%増税はおろか、8%増税も全く必要なかったことになります。まさに、"国の借金」巡るホラー話"です。
そうして、ブログ冒頭の記事のように、マスコミが、これでもかと緊縮財政を求めるその理由については、現場主義とのいいながの不勉強であると結論づけました。以下にその部分を引用します。

"
元毎日新聞記者でもある佐々木俊尚氏は25日の以下のようにツイートしています。
このような勉強をしない記者はやがて役所の忠犬「ポチ」になって、結局役所の伝令係として働くようになったのでしょう。鳥越氏をみると、このようなマスコミの体質をよく体現していると思います。

鳥越氏の女子大生への強姦未遂は、なぜか週刊誌では「淫行」としていますが、この未遂事件は、実は東京の私大関係者の中では、都市伝説として伝わっていて、私大関係者なら知らない者はないくらいだったそうです。

このような都市伝説なら楽しいが、鳥越氏や財務省起源の都市伝説は全くいただけない
都市伝説というと、私は「国の借金1000兆円」とするのは、完璧に都市伝説のようなものであると思います。いわゆる識者と目されているような人々でも、この都市伝説なみのホラー話を真に受けている人も大勢いますし、都市伝説と知りながら、財務省のキャンペーンに積極的に強力に後押しをする人間もいます。
"

朝日、毎日、日経新聞などのメディアがこれでもか、これでもかと緊縮財政をすべきと、訴えるのは、結局のところ不勉強のなせる業です。私が、この記事で実際にやってみせたような計算や、同じような計算過程で算出された他国との比較などをすれば、すぐにわかることなのに、これらメディアの記者など、このような簡単な計算をすることもせずに、財務省のいうことをそのまま報道するか、それに輪をかけたような報道をしているだけです。

さて、メディアに関しては、これである程度彼らがなぜ、緊縮財政にこだわるのかある程度理解できます。

しかし、財務省やいわゆる日本の主流の経済学者までなぜ、あのように緊縮財政にこだわり続けるのか、合点がいきません。

しかし、少し参考になるようなことが、日経新聞に掲載されていましたので、その記事を以下に引用します。
かき消される進言 経済学界、安倍政権と溝  増税延期2度のトラウマ

 詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に一部引用します。
 アベノミクスを掲げる安倍晋三内閣と、日本の経済学界との間にすきま風が吹いている。学界の一部には安倍内閣との距離を縮めようとする動きがあるが、溝は埋まりそうもない。

 政府の規制改革会議は7月末で設置期限を迎え、鶴光太郎・慶応大学教授は雇用ワーキング・グループ座長を退任した。政府の成長戦略の本丸ともいえる労働市場改革に積極的に関与しようとしたが、徒労感が漂う。グループ内で議論を重ね、正社員改革の柱として労働時間規制の見直しなどを提案しても安倍官邸には聞き入れられず、「悔しい思いをする場面が何度もあった」。
結局のところ、政府の会に参加するいわゆる日本の主流の経済学者たちは、マクロ経済における景気循環的視点からではなく、ミクロ的な側面からばかり日本経済をみて提言をしているようです。

その背景として、この記事からザクっとまとめると以下のようなことがあります。
  • 現在はミクロ経済学を中心とする理論分析が研究の主流で、米国などの著名な学術雑誌への論文の掲載件数で学界での評価が決まる。 
  • 日本の経済学会は、ミクロ理論が研究の主流であり、経済学者が「エビデンスに基づく政策立案」という場合はマクロよりミクロ実証が念頭のことが多い。
このような視点から、平成14年4月からの8%増税は、日本経済に与える影響は軽微というのが、経済学者の大勢を占めた意見でした。

しかし、実際に14年4月からの消費税増税と財政支出削減をして蓋を開けてみると、浮上しかけた景気はゼロ成長とデフレ局面に陥ったのです。

これでは、安倍総理が、経済学者らの提言に疑念を持つのは当たり前のことです。

マクロ的な経済対策をしないうちに、ミクロ的な経済対策を打ったとしても、ほとんど効果は期待できません。そんなことは、当たり前ですね。金融引き締めと、緊縮財政で経済がヘタっているときに、ミクロ的な経済対策を打ったにしても、ほとんど効果は期待できません。実際、民主党政権のときはそうでした。

現状のデフレ局面に陥った状態をそのままにしておき、労働時間規制の見直しをしたら、長時間労働が常態であるような、ブラック的な企業が跋扈するだけの話しです。このような提言に安倍政権が耳を貸さないのは、当然のことです。

それにしても、どうして、日本の主流の経済学者や、財務省などが、このように緊縮財政にこだわり続けるのか、本当に理解に苦しみます。

これは、なぜなのか、その背景には何があるのか、それを考える上で参考になる記事があります。その記事のリンクを以下に掲載します。
REAL-JAPAN » 亡国経済学の系譜
詳細は、この記事をご覧いただくものとて、以下に一部を抜粋します。

田中秀臣氏
「亡国」とは文字通りでいえば、日本という国が消滅することである。それを目的にした経済学はあるのだろうか? 答えはイエスである。その歴史はかなり古く、ルーツは戦前にまで遡る。また「亡国」の定義を、日本国民の生活水準をあえて意図的に低下させること、という意味に解すれば、その種の亡国経済学の論者は昔もいまも枚挙に暇がないほどだ。 
 亡国経済学の基本的な特徴は、日本が深刻な長期停滞に陥っていて、すでに通常の景気対策などでは根本的に立ち直ることができない、そのため日本の構造的な問題を一挙に解決するしか道はないと唱えるものである。 
日本は公式統計をみても、国内総生産(GDP)の物価であるGDPデフレーターでみると94年からすでに20年近くデフレが継続している。このときのデフレは経済規模の縮小が伴っているので、私たちの生活か苦しくなっていることに等しい。そのような国民を厳しい環境に置く状態がずっと継続している。 
 このような長期のデフレはなぜ起きたのか? その答えはふつうの経済学では明白だ。物価とは、モノと貨幣との相対価値を示すものである。デフレは、モノに対して貨幣の価値が上昇しているからだ。なぜ貨幣の価値が上昇するのか。それは貨幣の希少価値が高いからだ。つまりいまの日本は20年近く貨幣が不足する状態にある。そして日本でお金を供給することができるのは、日本銀行だけである。 
速水優総裁の時期(1998年から2003年)の日本銀行のデフレ政策を、米国の著名経済学者アダム・ポーゼンは、中央銀行の使命である不況時の金融緩和を忘却し、「創造的破壊」にまい進していると批判した。 
 最近の白川方明日本銀行総裁についても同様の指摘がされている。オレゴン大学準教授のテイム・デューイや『フィナンシャルタイムズ』の記者ロビン・ハーディングらは、今年の3月24日に米国で行った白川総裁の講演を「清算主義」だと批判した。  
 白川総裁はその講演で、金融緩和を継続することが、収益性のない投資案件やムダな企業を延命させ、財政危機を継続させていると発言したのである。デューイらは正しくも、そのような清算主義的な発言は、実は日本銀行の政策の失敗から注意をそらすためのカモフラージュである、とも指摘している。 
しかし本当に「政策の失敗」なのだろうか。白川氏の本音が、清算主義的なものにあるのだとすれば、デフレを意図的に継続させて、日本を亡国とすることこそ本旨ではないのか? いまや日本銀行の総裁はじめ幹部たち、そしてその支持者を含めて、改めて彼らが何者であるのかが、問われようとしている。 
(『正論』2012年6月号所収)
投稿者:田中 秀臣
この記事は、2012年のものです。まだ安倍政権が成立することも、予見できず、デフレが深刻化して日本経済はデフレスパイラルの底に沈んでいました。

上記では、白川体制であった、日銀のみを精算主義として批判していますが、それは、財務省も同じことです。財務省も、日銀が、金融引き締めを繰り返していたころ、緊縮財政を繰り返し、日本をデフレスパイラルのどん底に落とし込みました。

現在の日銀は黒田体制になって、2013年4月から異次元の包括的金融緩和を実施し、2014年の3月まで、日本の経済は回復基調にありました。しかし、2014年の4月からの8%増税により、この金融緩和も腰をおられた形となりました。とはいいながら、雇用情勢はその後も改善を続けました。

しかし、最近では、日銀はマッカラムルールなどからみても、明らかに追加金融緩和が必要であるにもかかわらず、実行せず 、株安・円高の状況にとなっています。




財務省や、日銀、日本の主流の経済学者の中には、このような「亡国経済学」あるい清算主義的な考えの人が多いのだと思います。

特に、日本の主流の経済学者の中には、日本の産業は生産性が低いので、これを伸ばさない限り、日本経済は何をやっても良くならないと考えている人が多いです。

確かに、そういう側面もあるかもしれません。しかし、過去20年間の日本は景気循環的な側面を無視して、長期間にわたって金融緩和も、積極財政も実施せず、政治家やマスコミや、経済学者などが、いろいろなことを行ったり、実行したにもかかわらず、景気は全く回復することなく経過していたものが、2013年から金融緩和に踏切ったところ、経済指標がどんどん上向きました。

しかし、2014年4月から、緊縮財政の一環である、8%増税を実行した途端に、経済は落ち込み、雇用は改善を続けるという状態がつづきました。

これは、明らかに景気循環的側面を無視できないことの証左であり、追加金融緩和、積極財政の必要性があることがはっきりしたはずです。

しかし、多くの経済学者は、ミクロ経済政策の提言を行うのみです。これでは、彼らは亡国経済学者の謗りを受けてもいたし方ないと思います。

亡国経済学というと、私は、数十年前に出版された、ある外国の書籍を思い出します。書籍の名前も、著者の名前もすっかり忘れてしまったのですが、あらすじだけは覚えています。著者は確か、外国の人だったと思います。

それは、ある小国が、米国に戦争を仕掛けるというものです。そうして、戦争を仕掛ける理由が、「日本のように戦争に負けてその後に、脅威の経済成長をするため」というものでした。

私は、実は、「亡国」経済学者や、「亡国経済学」を信奉する官僚などには、無意識のこの小説の前提を是認しているのではないかと思います。

そうです。日本は、米国と戦争をして、負けたので不合理な制度やシステムが改善され、さらに米国の援助も受けたから、経済成長したという思い込みです。

しかし、これは本当でしょうか。私は、そうではないと思っています。経営学のドラッカー氏は、第二次世界大戦で疲弊したヨーロツパも、後世の歴史家が統計数値だけをみたとしたら、第二次世界大戦があったことなど認識できないかもしれないと語っています。

確かにヨーロッバは戦災でとんでもないことになりましたが、それでも、国全体としては、国富はかなり大都市などを除いて、地方などにはかなり残っていて、それらが戦争中はもとより、戦後はかなり生産を拡大したので、数字だけみているとまるで大戦などなかったかのように見えるというのです。

そうして、それは日本も例外ではありません。それに関しては、このブログでも掲載したことがあります。

そもそも、「亡国経済学」を信奉する方々は、戦争に負けたことによって、日本の国富はほとんど亡くなったか、あったにしてもせいぜい数十パーセントに過ぎなかったとの思い込みがあるのではないでしょうか。

それは、全く違います。それについては、このブログにも掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
やさしいデータと数字で語る「フクシマ」の虚と実 雇用は激増 離婚は減少 出生率もV字で回復―【私の論評】行動するなら感情ではなく、エビデンス(証拠・根拠、証言、形跡)に基づき行え(゚д゚)!
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に該当部分のみ掲載させていただきます。

"
さらに、日本を例をとり、後世の歴史家が経済指標だけ見ていたら、大東亜戦争があったことなど気づかないかもしれないことを実証してみせようと思います。

以下は、最近読んだ古谷経衡氏の『戦後イデオロギーは日本人を幸せにしたか』という書籍に掲載されていた、統計資料です。

クリックすると拡大します
この統計資料に関して、古谷氏は、以下のような説明をしています。
 これを見ると、日本は先の大戦で、すべての国富のうち、その4分の1を失ったことになるが、逆説的に言えば、4分の3は残存していると見なすことができ、その水準はおおむね1935年のそれであった。

簡単に言えば、日本は1935年から1944年までの拡大分が戦争最後の1年、つまり戦争末期の大空襲であらかた吹き飛び、日本の敗戦時の国富は終戦時点の10年前である1935年の水準に逆戻りしたと考えればわかりやすい。 
 よって、「日本は敗戦でゼロからのスタート」を余儀なくされたのではなく、「敗戦により、おおむね1935年の国富水準からスタート」と言い換えることができるのだ。
1935年のレベルといえば、言うまでもなくアジアの中ではトップクラスです。戦後の日本の復興は、「ゼロからのスタート」とするのは程遠い実態です。

終戦直後にこの状況であり、温存された国富の源となった、爆撃されなかった町や村などは生産活動を継続し、さらに戦争遂行のための様々な経済活動なども加えれば、日本も経済指標だけみていれば、戦争のあったことなど後世の歴史家は気づかないかもしれません。
"

確かに、大東亜戦争で負けたことは、日本に深刻なダメージをもたらしました。しかし、そうは言っても、明らかに日本は全くのゼロから戦後をスタートしたのではなく、戦前7割からスタートしたのです。そうして、これは当時アジアではトッフクラスでした。

仮に、日本がうまく戦争を回避していたとしたら、少なくとも戦前の最盛期の時期から経済成長することになります。

これだと、さらにはやく、高度成長を迎えたかもしれません。そんなことをいうと、日本は軍部が腐敗した上に専横していたので、戦前から不合理な構造をしていたので、やはり戦争に負けてゼロにならないと、戦後の急速な経済成長はありえなかったと主張するかもしれません。

しかし、これは甚だ疑わしいです。戦後と、戦前で大きく異るのは、いわゆる軍が消滅したことです。軍が消滅したので、軍の不合理は消えたといえるでしょうか。現在の日本の状況、時折腐敗が表に出てきて、それと昔の腐敗を比較すると本当に良く似た構造であることがわかります。

こんなことからも、ある程度は改善はされたものの日本は腐敗などの不合理な構造残したままで、高度成長時代を迎えたのです。

軍の専横で、戦前、戦中の日本は民主主義から程遠い、暗黒社会だったと主張する人もいるかもしれません。しかし、戦前に東条英機が、軍に予算をつけてもらうために、しょっちゅう大蔵官僚を揉み手で接待していたという話が残っています。

東條内閣の閣僚(1941年10月)
軍が専横していたとしたら、東条英機がこのようなことをする必要など全くなかったはずです。

また、ブログ冒頭の記事では、"昭和恐慌の場合は1932年12月の高橋是清蔵相まで待たなければならなかった"とありますが、昭和恐慌とは世界恐慌の日本における名称であり、その原因は1990年代の研究で「デフレ」であったことがわかっています。

高橋是清は、今でいう「リフレ政策」すなわち、金融緩和と積極財政で、昭和恐慌から日本をいち早く脱出させました。世界恐慌から抜け出たのは、当時日本がもつとも早かったのです。アメリカが、本格的に世界恐慌から立ち直ったのは、第二次世界大戦の半ば頃です。

高橋是清
このようなことから、日本はたとえ、戦争に負けなかったとしても、いわゆる戦後と同時期か、それより早く高度成長を迎えていた可能性が高いです。

元々日本は、高度成長をする可能性があり、国富7割からスタートできたので、他のどの国も及ばない、高度成長ができたのだと思います。そうして、日本は高度成長により、いわゆる発展途上国から先進国に仲間入りしました。

これとは対照的に中国は、このブログでも、取り上げたように中進国(中所得国)の罠にはまっているので、先進国の仲間入りをすることもなく、中進国のままで終わることでしょう。

やはり、日本は戦争に負けようが、負けまいが、戦前から発展する可能性があったということです。

以上のように、いわゆる「亡国経済」には全く根拠がありません。これを信奉する官僚や、経済学者らには、経済史的な見方ができないのか、あるいはそもそも経済史、それも特に我が国の経済史など眼中にないのかもしれません。自らの、経験にのみ頼っているのではないでしょうか。

昔から、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」といいます。マスコミは先にあげたように、単なる勉強不足なのでしょうが、官僚や日本の主流の経済学者たちは、経験にばかり学び、しかもマクロ経済は無視して、ミクロ経済にばかり執着するので、愚かな提言しかできないのだと思います。

彼らにも、ぜひとも過去の歴史を真摯に学んで欲しいです。しかし、当面そのようなことは考えられないので、ブログ冒頭の記事の結論にあるように、「安倍政権は執拗(しつよう)きわまる財務官僚や御用メディアによる緊縮包囲網を突破するしかない」のだと思います。

しかし、国民の大多数がこれを理解すれば、安倍政権は、緊縮包囲網を突破しやすくなるものと、思います。

多くの国民が、日本の経済の歴史を学び、安倍政権を後押ししていただきたいものです。歴史を学ぶとは言っても、そんなに大層なことではないと思います。経済も歴史も専門ではない、私が上で掲載したことなど知っていれば十分だと思います。ただし、単に受け売りではなく、自分で納得しした上で知ることが肝要だと思います。

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2016年4月4日月曜日

米有力紙誌が中国に“死刑”宣告 1~3年以内の債務危機確率1位 韓国も… ―【私の論評】日本政府の債務はGDP比で40%程度、嘘吐き財務官僚らの"うつけ者"どもに騙されるな(゚д゚)!


オバマ米大統領(左端)と会談に臨む中国の習近平国家主席(右端)。
安全保障と並び経済も深刻な懸念を抱える=3月31日、米ワシントン
タイムリミットはあと1年-。米経済誌フォーブス(電子版)で、「今後1~3年以内に債務危機に陥る確率が高い7カ国」が報じられ、1位が中国、4位に香港となり、5位には韓国が入った。米紙ウォールストリート・ジャーナルでは「資本流出にあと1年は耐えられない」と中国の通貨危機に言及するなど、欧米のメディアや研究者が中韓の連鎖危機に強い警戒心を抱いていることがうかがえる。

 「債務危機に最も脆弱(ぜいじゃく)な7カ国」と題した記事をフォーブスに寄稿したのは、オーストラリア出身で英キングストン大教授のスティーブ・キーン氏。

 国際決済銀行(BIS)のデータなどを用いて各国の債務状況などを分析したところ、1~3年以内に債務危機に陥る可能性が高い順に中国、オーストラリア、スウェーデン、香港、韓国、カナダ、ノルウェーを挙げた。

 過去150年間の国家の債務危機に関する研究によると、民間債務が対国内総生産(GDP)比で150%を突破し、さらに過去5年で20%増加した場合、危機が頻繁に発生するとした。

 前出の7カ国・地域の民間債務の対GDP比は、いずれも175%を超え、前年の民間債務の増加額がGDPの10%を上回っているという。

 BISの統計をみると、2015年9月末時点で中国の民間債務の対GDP比は205%と、GDPの2倍を突破。1990年代の日本のバブル崩壊後の水準に近づいた。

 オーストラリアも206%、スウェーデンが236%、香港が285%と高く、韓国が193%に達している。

 ちなみに政府債務は多い日本だが、民間債務の対GDP比率は167%で、記事では全く言及されていない。

 キーン氏は、こうした国々が債務危機に陥る正確なタイミングについては、「民間部門が銀行から金を借りようとする意欲や、銀行部門の貸出意欲がいつ止まるか、さらには国の政策によって変わるため、正確に計ることはできない」とする。

 しかし、危機突入のサインは、貸出資金などの伸び率が低下に転じることだと説明、「中国のような景気刺激策で危機を永遠に回避することはできず、傷ついた経済のリストに名を連ねることになるだろう」と見通しを示している。

 一方、ウォールストリート・ジャーナルは「中国に迫り来る通貨危機」と題する寄稿を掲載した。中国の金融調査会社創業者と英資産運用会社最高投資責任者の2人が執筆したもので、「昨年の中国の資本流出額は約1兆ドル(約112兆円)で、うち外貨準備の取り崩し分は5126億6000万ドル(約57兆4000億円)。このペースの資本流出に1年は耐えられないだろう」と分析した。

 「中国には、資本不足時の経済運営について知識が乏しく、手立てもほとんどない。不動産価格は50%下落し、人々は職を失うことになるだろう」と警告。人民元の下落は避けられず、「中国の物語が幕を閉じるのは目前に迫っている」としている。

 中国などの債務危機と通貨危機を危惧する論考が相次いだが、2つの危機は連鎖していると解説するのは、週刊東洋経済元編集長の勝又壽良氏だ。

 「中国の債務は雪だるま式に増え続けているが、ここにきて上海など一部の都市で住宅バブルを再燃させるなど、新たな債務を増やそうとしている。こうした状況を警戒して資本流出が加速すると、通貨危機を招き、自国通貨建ての債務がさらに拡大する事態を招く。中国政府は介入で人民元相場を維持してきたが、もはや持ちこたえられない。債務危機と通貨危機は中国経済にとって死刑宣告のようなものだ」

【私の論評】日本政府の債務はGDP比で40%程度、嘘吐き財務官僚らの"うつけ者"どもに騙されるな(゚д゚)!

世界には、ブロク冒頭の記事のように、中国をはじめとして債務危機に陥りそうな国々がありますが、日本はそうではありません。それに関しては以下で解説します。

さて、上の各国の借金グロスでみたものなのか、ネットでみたものなか、きちんと表示されていません。

上の記事では、「ちなみに政府債務は多い日本だが、民間債務の対GDP比率は167%で、記事では全く言及されていない」とあります。

日本政府の債務は、グロス(債務だけみて債務残高とする方式)では、確かにGDP比率で167%あり、これは中国ほどでないにしても、とんでもない比率です。しかし、米フォーブスの記事ではこれは、何も述べられていないということですから、おそらく米フォーブスの見方は、債務をグロスで見ているわけではないのだと思います。

私自身は、米フォーブスの元記事を見ていないので、何ともいえないところがあるのですが、しかし、おそらく政府債務をネット(正味で見る方式、金融債務から金融資産を引き算した値)で見ているのではないかと思います。

借金をみるときには、このような見方が正しいです。あるサラリーマンが1000万円借金しているとして、一方で、資産を500万円持っているとすれば、このサラリーマンの借金は1000万(グロス)とみるのではなく、500万円(ネット)と見るのが妥当でしょう。このような見方をしなければ、このサラリーマンの負債状況など正しく見ることはできません。
個人の借金も国の借金もグロスで見ていては、真実を見失う、ネットで見なければならない
日本の現状をいえば、グロスの債務残高は1100兆円程度ですが、ネットでみれば500兆円で、GDP比で100%程度です。

さらに、日銀も含めた連結ベース(経済学でいえば統合政府ベース)の債務は200兆円、GDP比では40%程度である。この程度であれば、先進各国と比較しても、それほど悪い数字ではありません。というより、他国と比較すれば、良いくらいです。

統合政府は、政府+中央銀行+政府による事業主体 図では便宜上政府と、中央銀行だけにしている

これも当然の見方です。ある世帯において、お父さんが1000万円借金をしているものの、この家には、お父さん以外にお母さんや、子どもたちがいて、この一家は、一つの会社を運営していて、お母さんも子供たちもその企業の役員であるとします。そうして、お母さんは400万円の資産を持ち、子どもたちは200万円の資産をもっていたとしたら、この世帯の借金は、お父さんの借金1000万円がこの会社の借金とするのはおかしいです。

当然のことながら、1000万円からお母さんの400万円、子どもたちの200万円を引いた、400万円がこの会社の借金であるとみるべきです。この会社にお金を貸す銀行は、そのように見ることでしょう。

 ちなみに米国ではネットでみてGDP比80%程度、統合政府ベースでみれば65%程度。英国ではネットで見てGDP比80%程度、統合政府ベースで見て60%程度である。

 こうした基礎データが頭に入っていないとしたら、高度な議論をしているようにみえても上滑りになってしまいます。上の米フォーブスの記事では、少なくともネットで見ているのは間違いないようです。ひよつとしたら、連結ベースでも見ているのかもしれません。

だからこそ、日本政府の借金など、さほどの問題ではなく、中国、オーストラリア、スウェーデン、香港、韓国、カナダ、ノルウェーなどを問題があるとして、挙げつつ日本についての言及はないのだと思います。

テレ朝「ワイドスクランブル」(2015/7/17)でのトンデモ報道
そうでなければ、上の謎は解けません。

米国の経済誌フォーブスが、そのような見方をして、日本政府の借金は問題にしていないにもかかわらず、日本では、政府の借金をグロスだけでみて、1100兆円もあって、大変だ、大変だと大騒ぎしている愚か者たちが大勢存在します。


それは、誰かって、そうです、まずは財務省です。そうして、多くの経済アナリストや識者たちです。

これらのうつけ者どもは、このグロスの借金で大騒ぎして、国民一人あたり、赤ん坊も含めて、一人あたり、1000万円も借金があると嘘八百を言いふらし、あろうことか、「税と社会保障の一体改革」などという虚構をつくりあげ、増税しないととんでもないことになるとの虚妄を流布しました。

ここには、さらに大嘘があります。彼らは、国民1人あたり1000万円もの借金があるというのも、全くの大嘘のデタラメです。日本政府借金のかなりの部分は、国債で賄わています。この国債のほんどは、日本の銀行などの金融機関の機関投資家が購入しています。

銀行などは、国民から預かったお金で、国債を購入します。これって、いってみれば、大部分は間接的ではありますが、政府は国民から借金をしているということです。途中に金融機関などが絡んでいますから、多くの国民は、政府に金を貸し付けているという感覚はないでしょうが、それにしても、国民の定期預金などからこの資金が賄われているのは事実です。

2013年の日テレのニュース そもそも国の借金という表現も間違いだ

となると、国民1人あたり1000万円もの借金があるというのは、真っ赤な嘘であり、日本では赤ん坊も含めて、国民一人あたり1000万を政府に貸しているということです。

借金とは、金融負債のことです。貸した金は、債権といいます。日本国民は赤ん坊も含めて、一人あたり政府に1000万円もの債権があるということです。

こんな国が、借金まみれであるはずもなく、だかこそ、米フォーブスも、米紙ウォールストリート・ジャーナルも、日本政府の借金など全く問題にしていないのです。

さらにこれらうつけ者どもは、8%増税のときには、増税しても日本経済に与える影響は軽微としていました。ところが、実際蓋を開け見れば、かなりの悪影響があったことは、周知の事実です。

うつけ者どもや、うつけ者どもの言説を利用する野党など、これをもって、アベノミクスはおしまいのようなことをしたり顔で語っています。しかし、これも完璧な間違いです。本来のアベノミクスは、金融緩和と、積極財政をと、成長戦略を実行するはずでした。

金融緩和については、予定どおり実行されましたが、積極財政に関しては実行されないどころか、8%増税の実施により、緊縮財政が実施されてしまいました。これでは、アベノミクスの本来の力が発揮できるはずもありません。

8%増税の影響は軽微とした、うつけ者熊谷
安倍総理としては、本来実施されるはずだった、積極財政をなるべくはやい時期に実行すべきです。そうして、積極財政というと、なにやらすぐに経済対策ということで、大量の資金を投入することばかりが論議されているようですが、一番簡単なのは、減税です。

もう、10%増税などすべきでないということは、明々白々です。うつけ者どもがいくら騒ごうと、奇妙奇天烈、摩訶不思議な経済理論を弄り回そうと、増税はしないのは当然で、次の政治課題は、減税です。

増税で、失敗したものは、減税で取り返すということで、これこそ、最もシンプルでわかりやすいやり方だと思います。皆さんは、どう思われますか?

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2015年2月3日火曜日

【日本の解き方】地域の景気回復「ふるさと納税」拡充が効果的 再配分を官から民の手に―【私の論評】「ふるさと納税」は実は画期的であり、財務官僚による『似非財政民主主義』に風穴を開けたという点でも評価すべきと心得よ(゚д゚)!


西伊豆町の例ですですが、無論他の自治体でも同じ流れです

内閣府が毎年公表している白書類の一つにあまり目立たないが、「地域の経済」というものがある。1月27日に発表された「地域の経済2014」は、安倍晋三政権が力を入れている地方創生の背景ともいえる。

「地域の経済2014」では、雇用は全地域で着実に改善し所得改善は地方へと波及している-としている一方、資産効果が大都市圏中心ということもあり、消費の回復は大都市圏で先行していると分析している。

景気循環の過程では、経済が回復するときにも、逆に停滞するときにも、都市部の方が先行して起こるのが普通だ。

ただし、長らく不況にあえぎ、待ちに待った景気回復であるので、地方でもできる限り早くその恩恵にあずかりたいという気持ちは理解できる。

そのための制度として、地方交付税交付金があるが、この制度は官僚の裁量性が多い割に、制度の自由度がない。

この制度改革はよほど腰を据えて長期間にわたって行わなければならず、今のところ、地方の景気回復のカンフル剤としては使いにくい。国の税収が増えれば、一定割合は地方交付税交付金として地方に配分されるのだが、それだけでは不十分である。

美しい西伊豆町の夕日 写真はブログ管理人挿入 以下同じ

そこで、ふるさと納税の活用がある。この制度は、菅義偉官房長官が総務相を務めた時に導入したもので、実質的な都市部から地方への税移転である。2015年度から、寄付の上限が2倍になるが、それをさらに拡充してもいい。

この拡充策には、ふるさと納税の争奪競争のために、各自治体が商品競争をして、税のムダ遣いだという批判も出ている。ふるさと納税の本来の趣旨からずれているという人もいる。

しかし、そうした意見には、「官僚による再配分が望ましい」「そもそも都市部の税金を地方に配分することが好ましくない」「都市部の税収が失われるのが好ましくない」などといった前提があったりするから要注意だ。

ふるさと納税の本来の趣旨は、税配分について、官僚ではなく、納税者が行うところにある。この意味で、各自治体が獲得競争するために、地元産業を振興して商品を提供し、納税者が自分の納税額の一部を都市部から地方の自治体に移転することは、本来の趣旨だともいえる。なにより官僚による不透明な税の再配分よりいいではないか。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

【私の論評】「ふるさと納税」は実は画期的! 財務官僚による『似非財政民主主義』に風穴を開けたという点でも評価すべきと心得よ(゚д゚)!

西伊豆町の海岸

上の記事でも、高橋洋一氏は、地方交付税制度に関して、「官僚の裁量性が多い割に、制度の自由度がない。この制度改革はよほど腰を据えて長期間にわたって行わなければならず、今のところ、地方の景気回復のカンフル剤としては使いにくい。国の税収が増えれば、一定割合は地方交付税交付金として地方に配分されるのだが、それだけでは不十分である」としています。

そうして、結論では、ふるさと納税の本来の趣旨は、税配分について、官僚ではなく、納税者が行うところにある。この意味で、各自治体が獲得競争するために、地元産業を振興して商品を提供し、納税者が自分の納税額の一部を都市部から地方の自治体に移転することは、本来の趣旨だともいえる。なにより官僚による不透明な税の再配分よりいいではないか。 

では、なぜ官僚による不透明な税の再配分がおこってしまうかというところに、焦点をあてていきたいと思います。

それは、財政民視主義による壁といっても良いようなものが日本には存在するということです。

財政民主主義について、以下に簡単に説明します。
国家が運営されていくには、天文学的な資金が必要であることは言うまでもありません、その膨大な資金を、どのように集め、どのように管理し、どのように使っていくのか、そのへんの国の運営資金の規定が、日本国憲法の第7章の「財政」、83条から91条までに定められています。 
ここの財政の章で規定されていることでまず抑えておかなければならないのは、財政民主主義(83条)という概念です。 
これが日本の国家財政を語る上での大原則になってきます。 
そして、この財政民主主義の考え方を、 
歳入面では租税法律主義(84条)、歳出面では国費支出議決主義(85条)と定めています。

日本国憲法は、国家財政において、この3つを基本原則として規定しています。 
財政民主主義(83条) 
「財政」とは、国家が使う費用について、その資金を徴収し予算を組んで配分し、実際に支出するまでの一連の流れのことをいいます。 
これらの資金は、国民から徴収し、直接的にも間接的にも国家国民のために支出するわけです。国民からしたら、どのように徴収され、どのように予算として組まれ、ちゃんと支出されたのかは重要な関心事となるわけです。 
そこで憲法は、この財政に関して、国民の民主的コントロールが直接及ぶ議会にて決めさせる規定を置きました。 
実際に予算を執行していくのは行政(内閣)ですが、国家機関のうち、民主主義機関といえる国会に財政を委ねるというのは、国民主権における民主主義の観点からも当然の帰結といえるでしょう。


これを「財政民主主義(83条)」といいます。 
83条
国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。 
租税法律主義(84条)、国費支出議決主義(85条)
財政民主主義に関する憲法の規定は、上記のごとくです。しかしながら、国会議員などは選挙活動などかなり忙しく、財政の細かなことまで認識していません。

その結果どういうことになるかといえば、高橋洋一氏が述べているように、地方交付税に限らず、かなりの部分が官僚により不透明な再配分がなされてしまいます。特に、特別予算という予算は、かなり複雑で一般の政治家には理解も及ばないというのが現実です。

これにみならず、財務官僚によって、日本の税収の再配分政策のかなりの部分が、左右されてしまうというのが実情です。

再配分どころか、徴税の部分まで、財務官僚がくちばしをはさみ、大きく左右しているというのが健在の日本の実情です。これに関しては、このブログの読者の方々なら十分おわかりになると思います。

明らかに大失敗に終わった、8%増税、日本経済を破滅させることになった10%増税に関しては、財務省主導により、政治家、マスコミを巻き込んた大キャンペーンとなり、8%増税は導入され、10%増税に関して、昨年末の安倍総理による解散総選挙により、かろうじて阻止されました。

日本の財政民主主義は、結局財務省にかなり恣意的に左右されるという意味では、似非財政民視主義と呼んで良いものと思います。

日本には、他にも似非財政民主主義による、落とし穴があります。それは、主にNPOなどの活動資金のための寄付金制度にみられます。

これについては、随分前にこのブログにも掲載したことがあります。そこから、抜粋します。
財務官僚が提唱する他国では今となっては、どこも主張していない、いかなる思想的ルーツもない根無し草理論である「似非財政民主主義」という概念です。もし、財務官僚が、財政に限って共産主義を標榜しているといえば、わかり易いのですが、そうではありません。無論、財政民主主義の本来の意味での考え方ではありません。 
日本ではNPOに寄付をしたらその分税金の控除が受けられるなど、寄付を盛んにしようという政策がとられていません。 
海外との比較をしてみると、2006年度において、国民一人当たりの寄付金額が、日本 2,034円、米国 84,825円、 英国 33,597円という大きな開きがあります。だから私は、もっと寄付文化が盛んになるように税制を変えてNPOを活性化していくべきとこのブログでも何回も主張してきました。 
しかし、そこでネックになるのが財務省の財務官僚が提唱する今となっては、おかしげな、「似非財政民主主義」という概念です。財務省は、個人の意向でNPOに寄付をしそのお金で公的な業務をNPOが進めることは、「財政民主主義」に反するという主張をしているそうです。 
この似非財政民主主義に関しては、その背景を簡単に説明します。 
日本ではNPOに寄付をしたらその分税金の控除が受けられるなど、寄付を盛んにしようという政策がとられていません。 
海外との比較をしてみると、2006年度において、国民一人当たりの寄付金額が、日本 2,034円、米国 84,825円、 英国 33,597円という大きな開きがあります。だから私は、もっと寄付文化が盛んになるように税制を変えてNPOを活性化していくべきとこのブログでも何回も主張してきました。 
しかし、そこでネックになるのが財務省の財務官僚が提唱する今となっては、おかしげな、「似非財政民主主義」という概念です。財務省は、個人の意向でNPOに寄付をしそのお金で公的な業務をNPOが進めることは、「財政民主主義」に反するという主張をしているそうです。 
他の先進国では、当たり前になっている、NPOに寄付をしたらその分税金の控除が受けられるなど、寄付を盛んにしようという政策が日本ではとられていません。 
ちなみに海外と寄付金額の比較をしてみると、2006年度において、国民一人当たりの寄付金額が、日本 2,034円、米国 84,825円、 英国 33,597円という大きな開きがあります。だから私は、もっと寄付文化が盛んになるように税制を変えてNPOを活性化していくべきとこのブログでも何回も主張してきました。 
さて、元の記事にはいろいろと書いてありますが、ここで転載をやめます。このブログを書いていた当事は、あまり経済の勉強もしていなかっので、金融政策などについても述べていません。今考えると、金融政策の重要性を訴えるべきであったと考えます。

そのため、当事の記事を自分で読むと、気恥ずかしい部分もありますが、自分の成長過程を知るためにも、削除せずにそのままにしてあります。

さて、この記事を書いた当事においては、日本では財政民主主義は、憲法上では定められていても、現実にはそうはならず、いわゆる似非財政民視主義状態になっていることを批判しました。そうして、私はそうすれば、経済も少しはまともになると考えていました。

しかし、当事は似非財政民主主義を正したにしても、日本の経済が良くなることなどあり得なかったと思います。まず、実行すべきは金融緩和であり、その次に積極財政だったと思います。

しかし、昨年の4月に増税をしてしまったとはいえ、追加金融緩和を実施している現在、日本の財政民主主義を正すということも重要なテーマになりつつあると思います。

そもそも、何から何まで、政府が税金として徴収し、それを実質的に財務省が省益にもとづいて恣意的に再配分を行うというのでは、本来の意味での財政民主主義が守られるはずもありません。

ふるさと納税には様々な特典が・・・。

そうして、まさに、高橋洋一氏の語るように、「ふるさと納税は、なにより官僚による不透明な税の再配分より良い」という点において、「ふるさと納税」は、日本の『似非財政民視主義』に風穴を開けたという点でも、評価すべきものと思います。

そうして、次の風穴としては、NPOに対する寄付などの税額控除をもっと拡充すべきと思います。そうして、こういうところから、日本の財政民主主義の真の改革がはじめられると思います。

このようなことが、今では一大政治勢力ともなっている、財務省の省益のみにもとづく、似非財政民視主義の壁を打ち砕くきっかけになると思います。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか(゚д゚)!

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