中央規律検査委員会で演説する習近平氏=13日、北京 |
13日付の人民日報が興味深いコラムを掲載した。それは習近平指導部が推進する腐敗摘発運動に対し、「やり過ぎ論」「泥塗り論」「無意味論」の「3つの誤った議論」が広がっていることを取り上げて批判したものである。
「やり過ぎ論」は文字通り「今の腐敗摘発はやりすぎである」との意見で、「泥塗り論」は要するに、共産党大幹部たちの驚くべき腐敗の実態を暴露した摘発運動が「逆に政権の顔に泥を塗るのではないか」との議論だ。そして「無意味論」は、政権内で腐敗は既に広く浸透しているから、いくら摘発してもそれを撲滅することはできない。だから「やっても無意味だ」という議論である。
このうち、3番目の「無意味論」は明らかに、共産党の腐敗摘発運動を外から冷ややかな目で眺める民間の議論であろう。「やり過ぎ論」と「泥塗り論」はやはり、「政権を守る」という立場からの内部批判と思われる。
つまり、共産党中央委員会機関紙の人民日報は、党指導部の腐敗摘発運動に対し、党内からも反発や批判の声が上がっていることを公的に認めたわけだ。それは、運動開始以来初めての由々しき事態である。
このような状況で、今の習主席には「選ぶべき2つの道」がある。
1つは、「良いところ」で腐敗摘発の手を緩めて党内の融和と安定を図る道だが、それをやってしまうと、「裏切られた」と感じる民衆の不満は高まり、習主席の信用は失墜することとなろう。
逆に、民衆の高まる期待に応えて今後も引き続き摘発に血道を上げていくと、党内からの反発はますます強まって習主席自身の権力基盤を揺るがすこととなる。
また、党内の別の派閥が幹部集団の反対を吸収して反習主席の権力闘争を引き起こす可能性もあるから、今の習主席はまさに、「進むも地獄、退くも地獄」の大変な立場にいるわけだ。
本紙でも報じているように、13日、中央規律検査委員会の全体会議で「反腐敗闘争は持久戦だ」と演説した習主席は、今年も反腐敗運動を継続させていく方針を明確に打ち出した。彼はどうやら不退転の決意をもって「突き進む」道を選んだようである。
そうなると、この1年、習主席の「反腐敗」と幹部集団の「反・反腐敗」との戦いは、権力闘争の様相を呈し、いっそう激しく展開することとなろう。
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【プロフィル】石平
せき・へい 1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得
【私の論評】腐敗の蔓延は、社会をなおざりにしてきた結果。かつて日本が社会変革に取り組んだように、中国も本気で取り組まなければ中国共産党の崩壊がはじまる(゚д゚)!
それにしても、こうした改革、遅きに失したのではないかと思います。本来ならば、10年前、いや20年前に実施しておくべきだったと思います。
改革開放路線を指導した鄧小平 |
鄧小平による「富める者から富め」という改革路線は、そもそも間違いでした。やはり、中国は日本の池田内閣のときのような所得倍増計画のような政策を実行して、中間層を拡大すべきでした。
鄧小平の改革開放政策は、成功したかにもみえましたが、現状の中国の様子を見ていると、失敗したといわざるをえません。
少なくとも、10年ほど前に社会改革をしておけば、今日のこのような事態は回避できかもしれません。しかし、中国は経済発展を再優先して、社会のありかたをなおざりにしてきました。
鄧小平は、日本を訪問して、日本の素晴らしさに心打たれて、中国で改革・開放路線を主導しましたが、鄧小平は、当時の日本の経済力にばかり、目を奪われて、その根底にはどのような考えがあったのか理解していませんでした。
所得倍増計画を成功させた池田勇人氏 |
その根底には、池田の戦後政治家の中で唯一、日本をどのような国家にするかという意味での国家観がありました。そうして、池田は、病気で退陣するまでほとんどすべてに成功していました。
最も成功した池田の理念は、「日本は特別な金持ちなど居なくても良い。皆が真面目に働けば、皆が豊かになれる社会を実現するのだ」でした。
これは一時期「総中流意識」などと揶揄されたましが、「ごく一部だけが特権階級、ほとんどすべてが下る流」などという今と比べていかがでしょうか。もはやなつかしいを通り越して夢物語のようにも見えます。しかし確かに存在したのです。
これは一時期「総中流意識」などと揶揄されたましが、「ごく一部だけが特権階級、ほとんどすべてが下る流」などという今と比べていかがでしょうか。もはやなつかしいを通り越して夢物語のようにも見えます。しかし確かに存在したのです。
とはいいながら、池田の前任首相の鳩山一郎や岸信介は既に高度経済成長路線を走っていましたし、そもそも下村治のようなブレーンの発案がなければ出てこない発想ですが、それでも高度経済成長により、極端な金持ちは居ない代わりに極端な貧乏人は出さないという社会を築いた功績は、誰よりも池田勇人に帰すべきす。
池田の理念は、経済第一主義ではなく、「皆が真面目に働けば、皆が豊かになれる社会」であり、あくまで社会を優先したものです。まともな社会が構築されなければ、いくら経済が成長しても、人々は幸福にはなれません。
所得格差が広がる中国 |
それは、現在の中国をみれば、良く理解できます。国全体で、経済が発展しても、貧富の差が激しければ、とんでもないことになります。今の中国は、結局強欲が支配しているだけで、とてもまともな社会であるとはいえません。それは、食料品の安全性がないがしろにされていたり、最近ではいくぶん緩和されてきてはいるようではありますが、あのPM2.5による酷い大気汚染をみてもわかります。
こんなことをいうと、似非識者どもが、日本でも大気汚染や、食品の安全性の問題があったではないかといいますが、これらの問題が深刻化したのは、池田の後の時代です。池田の理念が引き継がれていれば、このような事態は未然に防げたかもしれません。
しかし、環境問題が深刻化した直後から、日本は政府は無論のこと、産業界もこれに真剣に取り組み、現在日本は環境問題の優等生といわれるまでになっています。やはり、国民の中にはまだまだ、社会を優先すべきという気風があるのだと思います。
日本の新幹線に乗り歓談する鄧小平 1978年10月26日 |
池田成功の本質は、結局彼の「日本は特別な金持ちなど居なくても良い。皆が真面目に働けば、皆が豊かになれる社会を実現するの」という理念にありました。
日本も、この路線が外れて、経済ばかり優先するようになった頃から、おかしくなってきました。そうして、さらにその経済運営すらおかしくなり、日銀は金融引締めばかり行い、政府は緊縮財政ばかり実施するようになり、酷いデフレが15年以上続き衰退してしまいした。今の自民党は池田の遺産を食いつぶして現在に至っていると断言できます。
まともな社会を構築するという観点があれば、このような失敗などしなかったと思います。まともな社会を構築するためには、デフレなど何がなんでも回避すべき筋合いのものであり、これを放置してきたというのは、無能な政治家・官僚の罪です。彼らには、社会を良くするなどという考えは微塵もなかったに相違ありません。
しかし、今のままでは、中国の衰退は日本よりさらに深刻になると思います。今の中国は、社会など完璧になおざりにされて、経済一辺倒だからです。
習近平指導部が推進する腐敗摘発運動なるものは、長年社会をなおざりにし経済を優先してきた結果はびこるようになった腐敗を摘発するものであり、根本を変えるものではありません。結局のところ、権力闘争の一環にすぎないものであり、権力闘争の決着がつけば、腐敗摘発運動はとりやめになるでことでしょう。
習近平指導部が、社会を良くするという観点にたち、社会改革に邁進して、その結果腐敗を撲滅するというのなら、話がわかりますが、社会をなおざりにしたまま、撲滅運動をするというだけなら、結局何も変わりません。
おそらく、大失敗することになるでしょう。そうなると、宮崎正弘氏が主張している、中国共産党は3年以内に崩壊するという主張は正しいかもしれません。
中国通の宮崎氏は、2014年に中国経済が崩壊しはじめ、2015年に共産党による秩序が瓦解し、2016年に中国全体は昏睡状態に陥ると主張しています。
確かに、2014年には、中国経済が崩壊しはじめています。これは、このブログでも保八を維持できなくなった中国という内容で掲載しました。この記事では、まだまだ発展途上にある中国においては、経済成長率が8%以上でなければ、十分雇用を吸収できないにもかかわらず、最近の中国ではこの空い水準を維持できなくなったことを解説しました。
「進むも地獄、退くも地獄」の状況にある習近平、今後社会変革にも手をつけていけば良いのですが、これも難しいです。
少なくとも、保八が確保できている時代に、社会変革に手をつければ、なんとかなったかもしれませんが、現状では相当困難です。
となると、宮崎氏の主張はますます、あてはまることになり、現中国は瓦解の方向に向かうしかないと思います。そうして、今の日本も社会を優先するという池田の理念に立ち返らなければ、経済が良くなっても、まともな社会の構築はできず、足踏みをすることになると思います。
私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?
【私の論評】
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