2017年1月15日日曜日

男性が結婚しない理由? 家庭を持つことができる年収ラインはいくらなのか―【私の論評】リーマン・ショック、リフレ派 という言葉は日本にしか存在しない(゚д゚)!

男性が結婚しない理由? 家庭を持つことができる年収ラインはいくらなのか

総務省が2016年10月発表した平成27年国勢調査確定値で、大正9(1920)年の調査開始以来、初の減少に転じた日本の総人口。厚生労働省がまとめる人口動態統計の年間推計でも2016年に生まれた子どもの数が1899(明治32)年の統計開始以来、初めて100万人を割り、98万1000人にとどまる見通しであることが明らかになりました。こうした少子化の最も大きい要因として挙げられるのが結婚しない男女の増加です。

人口減少時代

 未婚者が結婚しない理由には何が考えられるのでしょうか。平成28年版少子化対策白書(内閣府)から探っていきます。

9割弱が「いずれ結婚するつもり」…でも「結婚資金が足りない」未婚男性の3割

 白書によると、国立社会保障・人口問題研究所が実施した「出生動向基本調査(独身者調査)」では、「いずれ結婚するつもり」と考える未婚者(18~34歳)の割合は、2010年で男性86.3%、女性89.4%でした。1987年時の男性91.8%、女性92.9%よりは下がりましたが、結婚に対する意欲は高い水準にあるといえます。

 また、未婚者(25~34歳)に独身でいる理由を尋ねたところ、「適当な相手にめぐり会わない」の選択肢を選ぶ割合が男性46.2%、女性51.3%と最も多く、次いで「まだ必要性を感じない」男性31.2%、女性30.4%となりました。しかし一方で、男性は「結婚資金が足りない」(30.3%)も大きな理由になっています。(2010年第14回調査結果、回答は選択肢から3つまで選択可)

高年収ほど結婚している割合が多くなる

 では、収入の違いが、結婚に影響しているのでしょうか。25~29歳、30~34歳、35~39歳の各年代で年収別に配偶者がいる男性の割合を比べてみました(グラフ1)。すると、25~29歳の年収100万円未満の男性では、結婚している割合は1割を切りますが、500万円以上の年収がある場合、およそ半数が結婚している結果になっています。


 年収が高いと既婚者が増える傾向はほかの年代も同様で、30~34歳は年収500万円以上でおよそ7割が結婚、有配偶者率の最も多い年収800~899万円は、87.4%になりました。35~39歳の場合は、年収200万円未満の場合、配偶者がいる比率は4割に届きませんが、500万円以上になるとおよそ8割に。結婚している割合が最も多い800~899万円は88.8%にのぼりました(出典:労働政策研究・研修機構「若者の就業状況・キャリア・職業能力開発の現状」(2014年)。

 ちなみに平成27(2015)年国政調査によると、男性の有配偶者率は25~29歳26.3%、30~34歳50.8%、35~39歳は61.7%です。グラフ1を見ると、25~29歳と30~34歳は年収300万円以上、35~39歳は年収400万円以上になると、その割合より多く家庭を持っているとわかります。

若い世代の収入は20年前と比べ、低所得にシフト

 それでは若い世代(20、30代)はどのくらいの所得の人が多いのでしょうか。1997(平成9)、2007(同19)、2012(同24)年の所得分布を見てみます(グラフ2)。すると20代の雇用者では、1997年時は年収300万円台が最も多かったのに対し、2007、2012年になると300万円台の比率が低下、200万円台前半とほぼ同じ割合になっています。


 30代では、1997年には年収500~699万円台が4分の1近く占めていましたが、2007、2012年は300万円台が2割弱で最も多く、500~699万円の収入を持つ割合は15%前後にまで落ち込んでいます。1997年から10年間に20、30代の所得分布は低所得層にシフトし、その状態が続いている、と白書は指摘しています。

 また、正社員の男性は25~29歳31.7%、30~34歳57.8%が結婚していますが、パート・アルバイト雇用の男性は25~29歳7.4%、30~34歳13.6%と有配偶者率が大きく下がり、就労形態によって家庭を持つ割合に大きな違いが生じていることがうかがえます(出典:労働政策研究・研修機構「若者の就業状況・キャリア・職業能力開発の現状」(2014年)。

 国挙げて、働き方改革の取り組みが必要とされていますが、若い世代の雇用のあり方や収入を増やすことができるかが、未婚率に影響しそうです。

【私の論評】リーマン・ショック、リフレ派
という言葉は日本にしか存在しない(゚д゚)!

上の記事を読んでいると、いろいろと分析はしているのですが、肝心要の結論は、結局のところ若者の雇用を増やすことと、収入を増やすことができるかが、未婚率に影響することを言っているのですが、それに対する解決法に関しては何も触れていません。

なぜ、こういうことになるかといえば、この記事を書いている人の頭の中に、金融政策と雇用とは密接に結びついているという事実が全く欠落しているからです。

現在若者の雇用そのものについては、アベノミクスの一環であった金融緩和政策により、かなり改善されて良くなっています。

それについては、何度かこのブログにも掲載しています。その記事の最新のもののリンクを以下に掲載します。
人手不足は金融緩和による雇用改善効果 さらに財政政策と一体発動を―【私の論評】年頭の小さな変化に気づけない大手新聞社は衰退するだけ(゚д゚)!
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に一部を引用します。
 年末年始は人手不足などの事情で宅配便の遅配が生じたという。また、ファミリーレストランでは24時間営業をやめるところも出てきている。 
 筆者は日用品でも宅配便を利用しているが、たしかに筆者のところへの宅配便も遅れた。それほど緊急性のないものだったので別に気にしなかったが、到着予定日より2日ほど遅れたものもあった。 
 百貨店も昔は元日営業が当然だったが、元日は休みで2日から初売りも多くなり、一部では3日から初売りというところも出てきている。さらに三が日は休業し4日からの初売りを検討するところもある。これらの正月休業の動きは従業員に配慮する観点からとされている。 
 いずれも人手不足感が出てきた証拠であり、これまでアベノミクスで金融緩和を続けたことの成果だといえる。
そうして、これを裏付けるような統計資料もあります。そのグラフを以下に掲載します。


このグラフにも示されているように、昨春卒業した大学生の就職率は97・3%で、前年同期から0・6ポイント増え、調査を始めた1997年以来最高となった。高卒の就職率も同じような状況です。

さて、失業率が下がっていることについて、「生産年齢人口の低下によるものだ」と主張する人がいます。しかし、この議論は、「デフレの原因は人口減少だ」というのと同じくらい、間違った考え方です。

それは、生産年齢人口が増えていた以前の方が、失業率が低かったことからもすぐ分かります。こうしたトンデモない議論をする一部の識者や経済評論家は、統計データのリテラシーに欠けていると言わざるを得ません。

失業率と生産年齢人口の推移をみても、最近の失業率の低下は生産年齢人口の低下によるものだとの結論にはなりません。まともに統計分析すれば、生産年齢人口はコンスタントに減少する一方、失業率は景気によって上下するので、傾向を除去して考えれば両者は無関係であることが分かります。

失業率は、労働力人口から就業者数を引いたもの(完全失業者)を労働力人口(就業者数+完全失業者)で除して定義されるものです。労働力人口は15歳以上の人口で、生産年齢人口は15歳以上65歳までの人口であり、両者はパラレル(並列的)な概念です。労働力人口(生産年齢人口)が減少するとき、それを所与として経済状況によって就業者数が決まってきます。なので失業率は分子も分母も労働力人口の動きを見込んだものとなり、景気だけに左右されます。



マクロ経済の基本概念として、総供給と総需要の差である国内総生産(GDP)ギャップがあります。景気の良し悪しは、GDPギャップで計ることもできます。

金融緩和と財政出動はともにGDPギャップを縮めます。短期的な効果は財政出動の方が強いが中長期的には金融緩和も効果が出ます。となると、継続的に実施しやすい金融緩和の方が、失業率低下の累積効果は大きくなります。

財政出動は公的部門の有効需要を直接創出するので分かりやすいです。一方、金融緩和については、実質金利の低下、為替安などによる民間部門の有効需要への効果は、短期的には少ないが、長期的な累積額でみると大きく作用します。民間部門の有効需要創出なので、効果ラグ(時間のずれ)があって民間雇用に効いてきます。

こうしたマクロ経済学の理解があれば、金融緩和が失業を減らすということも分かるはずです。そうして、インフレ目標は緩和しすぎないための歯止めになります。

雇用を守るべき立場のはずの日本の左派系識者や経済評論家にはそうした常識が欠けています。しかし、実は右派にもそのような常識に欠る人が多いです。

金融政策と雇用の関係はマクロ経済学の基本中の基本です。日本では、金融政策を正しく理解している人がその知識に基づいて様々な主張をしているにもかかわらず、そのような主張をする特殊なグループであるかのように「リフレ派」と呼ばれ、特殊扱いされてしまいます。

私は、このブログでマクロ経済学の基本から、全くたり前の主張をしていたにもかかわらず、Twitterで「リフレ派」と呼ばれて批判されてしまい、釈然としなかったことが何度かあります。

そもそも、世の中に「リフレ派」なる派閥が存在し、日々会合を開き、意見を集約させているなどということは聞いたこともありません。

そして、もし、「リフレ派」なる集団が存在するとしても、彼らはただ「デフレ解消のためには大胆な金融緩和が必要である」という考えを共有するだけであり、その他の政策については必ずしも意見の集約はないようです。

デフレ対応をめぐって、いろいろ分析した方のブログ記事から、リフレ派、デフレ派の分類を以下に掲載します。


この分類では、広義リフレ派をいくつかに分類していますが、その共通項は結局、「デフレ解消のためには大胆な金融緩和が必要である」ということです。

そうして、気づいたことが一つあります。それは、「リフレ派」という言葉自体が、日本には存在しますが、日本以外の国には存在しないという事実てす。そうなのでは、「リフレ派」などという言葉は、米国にも英国にも、その他の国々にも存在しません。

リフレ派もそうなのですが、「リーマン・ショック」という言葉も外国には存在しません。これは、純然たる和製英語です。

リーマン・ブラザーズが破綻して、経済に悪影響を与えた直後各国の中央銀行の動きを振り返ってみると、直後に景気が落ち込み、これに対処するために、各国の中央銀行は、大規模な金融緩和に踏み切りました。

緩和の量的規模や、期間はまちまちにしても、ほとんどの国が大規模な金融緩和に踏み切ったのは事実です。しかし、唯一例外がありました。それは、日本です。日銀だけは、大規模な金融緩和に踏み切らなかったため、どうなったかといえば、強烈な円高と、当時日本はデフレだったのですが、さらに強烈なデフレスパイラルに見舞われることになりました。

そのため、震源地であるアメリカや、かなり大きな影響を被った英国など含め金融緩和に踏み切った国々が、いちはやく不況から脱したにもかかわらず、日本はなかなか不況から脱却することができず、世界の中でひとり負けの状態になりました。

しかし、この時いわゆるリフレ派と言われる人々は、無論私も含めて、日銀は大規模な金融緩和に踏み切るべきだと主張しましたが、他の人々はそうではありませんでした。

そのため、リーマン・ブラザーズ破綻の悪影響が、日本にだけ長期間にわたり深刻な事態をもたらしました。その悪影響があまりに大きかったので、日本では「リーマン・ショック」という言葉が生まれたのでしょう。

しかし、現実には、日本はサブプライムローンの悪影響などほとんなかったので、本来はリーマン・ブラザース破綻の悪影響はなかったはずなのですが、日本以外の他国がこぞって大規模な金融緩和に走ったにもかかわらず、日本だけはそうしなったため、あれだけ深刻な状況を招いてしまったのです。

こうして、考えてみると、「リーマン・ショック」の原因は、金融緩和すべきときにしなかったこと、「リフレ派」は「デフレ解消のためには大胆な金融緩和が必要である」と主張する人々のことであり、両方とも金融緩和という共通項があります。

そうして、「リーマン・ショック」「リフレ派」という言葉が、日本には存在するものの、日本以外にはないというこの事実から、はっきりわかることは、やはり日本では「金融政策」の重要性が日本以外の国々のようには理解されていないということです。

そうして、日本でほとんど未だに理解されていないのが、雇用と金融政策の関係です。

さて、ブログ冒頭の記事の、未婚率を減らすために、「若者の雇用を増やすことと、収入を増やす」ことのうち、若者雇用を増やすことはもうすでに実現されていることを述べました。もう一つは、収入を増やすという部分です。

これは、実質賃金などが未だ上昇してないという事実があり、まだ達成されていません。のでは、これを達成するにはどうすべきかということになりますが、それを実現するには、マクロ政策的に観点からは、やはりさらなる量的金融緩和が必要なのです。無論、積極財政もすべきですが、これは比較的短期間で効き目が薄れてきます。

本格的に賃金をあげるためには、やはりさらなる量的金融緩和が必要なのです。その根拠として、このブログでは、過去に完全失業率について掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
日銀の資金供給 8か月連続で過去最高を更新―【私の論評】金融緩和政策は限界でなく、まだまだ不十分なだけ(゚д゚)!
過去の失業率の推移

さて、詳細はこの記事をご覧いただくものとして、このブログでは、上の過去の失業率の推移のグラフから、日本の完全失業率は2.7%程度あろうということを掲載ました。

そうして、現在の日本は、物価目標2%も達成されておらず、さらに完全失業率も3%を切っていない状況なので、追加の量的緩和が必要であることを主張しました。

しかし、このことはいわゆる「リフレ派」以外の人にはなかなか理解不能のようです。しかし、本来的にマクロ経済的な観点からすれば、これはきわめてまともな主張です。

日本では、そもそも「リフレ派」とか、「リーマン・ショック」という和製英語があるように、他国と比較すると、マクロ経済の基本的なことが理解されていないのです。

それにしても、特に若者は、若者の雇用状況が新卒の就職率の良さによって、かなり改善されたことを理解している人もかなり多いことですから、20・30代の所得をあげるには、まずはさらなる量的金融緩和を実施し、2%物価目標を達成するのは、無論のこと完全失業率を2.7%台にもっていくことが、前提条件であるということを理解して頂きたいです。

そうして、理解するだけではなく、そのような主張をするとともに、選挙のときには、まともにマクロ経済を理解している政治家に投票するように行動すべきです。

若者かそのように率先して行動すれば、やがて日本からも「リフレ派」なる言葉は消えて、マクロ経済に関してまともになり、政府がデフレを長期間放置して、若者を苦しめるということはなくなると思います。

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2017年1月14日土曜日

「汚い言葉を使う人ほど正直者」であることが研究で判明―【私の論評】なぜトランプ氏は大統領選で敢えて「汚い言葉」を用いて成功したのか?



悪口やののしりなどの「汚い言葉」を使うのは一般的にタブーとされていますが、「口の悪い人ほど根が正直」であるという研究結果が発表されました。

Frankly, we do give a damn: The relationship between profanity and honesty | Gilad Feldman - Academia.edu

http://www.academia.edu/29725191/Frankly_we_do_give_a_damn_The_relationship_between_profanity_and_honesty



A new study linking profanity to honesty shows people who curse are more authentic — Quartz
https://qz.com/881289/a-new-study-linking-profanity-to-honesty-shows-people-who-curse-are-more-authentic/

一般的に汚い言葉を使う人は社会規範を破りやすい傾向にあり、誰かをののしることは不道徳な行為と考えられています。一方で、無実の罪で逮捕された人は、罪を犯した自覚を持つ人より、取り調べの際に汚い言葉を使う傾向にあることも過去の研究で示されています。そこで、マーストリヒト大学心理学部のジラド・フェルドマン氏率いる国際研究チームは、「汚い言葉」と「率直さ」の関係性を、個人および社会レベルで分析するべく3つの研究を行ないました。


By Neil Girling

1つ目の研究は個人レベルの汚い言葉の分析が目的で、276人の男女に「一般的に人は悪い言葉を使っている」という事実を伝えた上で、「人気の汚い言葉リスト」から、それぞれの汚い言葉から連想する怒り・恥などの感情を答えてもらいました。その後、被験者に1985年に発案された「アイゼンク性格検査(EPQ)」を受けてもらい、汚い言葉に対して話したことの信頼性が調査されました。EPQの結果により、一部の人間がうそをついていることがわかるとのこと。

2つ目の研究は世界中から集めた7万人の被験者を集め、Facebookの更新内容から汚い言葉の使用頻度を割り出し、抽出された内容はオンラインユーザーの正直度を計測する「Linguistic Inquiry and Word Count(LIWC)」という分析にかけられました。この2つの研究はいずれも、「汚い言葉を使う人の方が正直である」という結果を残しており、研究チームは「特にFacebookでは、より多くの汚い言葉を使う人の方が、より正直な人であることを示していました」と話しています。

3つ目の研究では社会レベルの傾向を調べるため、アメリカの48の州で2012年にセンター・フォー・パブリック・インテグリティによって公的に行なわれた「Integrity Analyses(誠実性分析)」のデータが使われました。また、2万9701人のFacebookユーザーを集めて「汚い言葉がよく使われる州」と「汚い言葉をあまり使わない州」が調べられ、2つのデータを比較した結果、汚い言葉をよく使う州ほど、誠実性分析の点数も高いという相関が見られたとのこと。

研究チームは「3つの研究により、個人および社会レベルで汚い言葉の使用頻度に比例して正直度が高くなることがわかりました」と話しています。一方でこの件を取り上げたQuartzは「この研究は倫理的な部分は追求しておらず、口の悪い人が罪を犯さないというわけではない」と警告しています。なお、この研究結果は学術誌・Social Psychological and Personality Scienceで発表される予定です。

【私の論評】なぜトランプ氏は大統領選で敢えて「汚い言葉」を用いて成功したのか?

トランプ氏(左)とオバマ氏(右)
悪口やののしりなどの「汚い言葉」というと、最近では米国新大統領のトランプ氏と、前オバマ大統領を思い浮かべてしまいます。この二人対照的でした。

トランプ氏はいわゆる「汚い言葉」を語るということで、選挙戦当初は泡沫候補とされていましたが、最終的には大統領選挙に勝利しました。

一方オバマ氏はといえば、大統領選中も、大統領になってからも「汚い言葉」はほとんど使いませんでした。オバマ氏の占拠での合言葉は"Yes, we can."でした。

トランプ氏の大統領としての最後の演説の締めくくりは、"Yes We Can. Yes We Did. Yes We Can."でした。最後の演説は自画自賛で終わりました。外交においては、あれほど大失敗を繰り返し、アメリカの世界における存在感を毀損したにもかかわらず、全く反省がありませんでした。

上の心理学の研究の結果からすると、トランプ氏のほうがよりオバマ氏より正直ものであるということがいえそうです。

さて、トランプ氏の「汚い言葉」については、このブログでも以前とりあげたことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
テロリスト扱い?軍人はこんなにヒラリーが嫌い 大詰めの大統領選、軍人票がトランプを押し上げる―【私の論評】トランプの暴言は軍人・保守派に対する強烈なメッセージだった(゚д゚)!
米フロリダ州オーランドで開かれた選挙集会で演説する米大統領選民主党
候補のヒラリー・クリントン前国務長官(2016年9月21日撮影、資料写真)
この記事は、米国大統領選挙前の10月5日のものです。詳細は、この記事をご覧いただくもとして、以下に一部分を引用します。

"
そうして、これがトランプ氏のあの暴言の謎を解く鍵になるかもしれません。アメリカの軍人は日本人の感覚からすると、かなり口が汚いです。特に新兵に対する訓練時の教育での教官は口が汚いです。

アメリカの軍人は口が汚い
たとえば、「フルメタルジャケット」という映画に出てくる、ハートマン先任軍曹の訓練兵に対する口のききかたは、以下のようなものです。

「口でクソたれる前と後に『サー』と言え! 分かったかウジ虫ども!」
Sir,Yes Sir!

「ふざけるな! 大だせ! タマ落としたか!」

Sir,Yes Sir
貴様らは厳しいを嫌う!だが憎めば、それだけ学ぶ!

は厳しいがだ!人種差別許さん黒豚ユダ、イタを、は見下さん!
すべて―
等に―     
―価値がない!
以下にフルメタルジャケットのハートマン先任軍曹の動画を掲載します


この軍曹の口のききかたからすれば、トランプの暴言など霞んでしまうほどです。私は、トランプ氏は、軍人や保守層に訴えるため、あのような暴言をはいたのだと思います。これは、軟なリベラル・左派には出来ない芸当です。あれこそ、軍人に受ける言葉遣いなのです。

トランプ氏は数々のいわゆる暴言で、アメリカの軍人や保守層に以下のようなメッセージを発信したのです。
「てめぇら、アメリカがリベラル・左翼に乗っ取られてもいいのか、俺は厳しいが公平だ!人種差別は許さん!黒豚、ユダ豚、イタ豚を、俺は見下さん!すべて―平等に―リベラル・左派に屈するようでは価値がない!」
無論、周到に計算した上で、場合によっては、ネガティブに受け取られないというリスクをおかしてまで、強力に訴えたのです。そうして、自分はリベラル・左派とは全く異なる保守派であることを強烈にアピールしたのです。
"

ハートマン軍曹は映画に出てくるキャラクターであり、現実のものではないので、本当は違うのではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれません。以下に、アメリカの最近のブート・キャンプの初日の動画を掲載しておきます。


字幕が出ていないので、はっきりとはわかりませんが、これは実際の海兵隊の訓練ですが、当に指導教官の罵声がひっきりなしに飛び交い、ファッキン、ガッデームが頻繁に聞こえ、かなり汚い言葉の連続のようです。確かに、リアル・ハートマン軍曹です。

アメリカでは新兵訓練は叩き上げのベテラン下士官が担当します。たいていは実戦経験豊かな鬼軍曹が担当し、絶対に手を上げないかわりに、これでもかっ、というくらい屈辱的な罵詈雑言で罵倒が行われます。新兵はどんなに罵倒されても絶対服従です。

映画『愛と青春の旅立ち』では新兵がバスで基地に到着すると、L.ゴセットjr演ずる鬼軍曹の、次のようなシーンがありました。

鬼軍曹がある新兵に出身を尋ねた。

鬼軍曹 「貴様の出身はどこだ?」
新兵  「サー、オクラホマであります!」
鬼軍曹 「何、オクラホマだと?いいかよく聞け、オクラホマには牛とホモしかいない、
貴様は角がないからホモだなっwww」
新兵  「いいえ、違います、サッー」
鬼軍曹 「ホモでも牛でもなければ貴様は牛の糞だっ、いや糞以下だ、覚えとけwww」
新兵  「ノー、サー」

このシーンが含まれている動画を以下に掲載します。



実際にアメリカの軍隊の新兵訓練はこのようです。多民族移民国家で個人主義のアメリカの学校教育では、自分の考えを持ち、はっきりと意見を言い、議論することが大切だと教わります。

それにしても、なぜ米軍の新兵訓練でここまで凄まじい罵詈雑言を浴びせかけるかといえば、それはやはり、より緊密なコミュニケーション能力を身につけさせるためであると思われます。ここでいう、コミュニケーションとはいわゆる、どうでもいい「ノミニケーション」や、「ホウレンソウ」の次元のものではなく、真の意味でのコミュニケーションです。

多くの新兵は、頭では軍隊とはどういうものかという解ったつもりでいるのでしょうが、その実解ってはいません。

軍隊において兵士とはまずは、『戦闘マシーン』であり、まずは上位下達の縦社会で、規則と命令のみで動く機械にならなければならないのです。まず必要なことは命令を実行し、任務遂行の為のチームワークです。

兵士の任務はいろいろありますが、戦争は基本的に殺人が前提条件です。これはきれいごとでなく現実です。

兵士は軍隊の規則に従い、敵の殺害も含めてまずは命令されたことを場合によっては、命をかけても忠実に実行する『規格品』でなければならないのです。

このことを頭や理屈ではなく、体で覚えさせるため、このような罵詈雑言を浴びせかける訓練が行われているのです。

経営学の大家であるドラッカー氏は、コミュニケーションについて以下のように語っています。
「上司の言動、些細な言葉じり、癖や習慣までが、計算され意図されたものと受け取られる」(『エッセンシャル・マネジメント』) 
 階層ごとに、ものの見方があって当然である。さもなければ仕事は行なわれない。だが、階層ごとにものの見方があまりに違うため、同じことを話していても気づかないことや、逆に反対のことを話していながら、同じことを話していると錯覚することがあまりに多い。 
 コミュニケーションを成立させるのは受け手である。コミュニケーションの内容を発する者ではない。彼は発するだけである。聞く者がいなければコミュニケーションは成立しない。 
 ドラッカーは「大工と話すときは、大工の言葉を使え」とのソクラテスの言葉を引用する。コミュニケーションは受け手の言葉を使わなければ成立しない。受け手の経験に基づいた言葉を使わなければならない。 
 コミュニケーションを成立させるには受け手が何を見ているかを知らなければならない。その原因を知らなければならない。 
 人の心は期待していないものを知覚することに抵抗し、期待しているものを知覚できないことに抵抗する。 
「受け手が期待しているものを知ることなく、コミュニケーションを行うことはできない。期待を知って初めてその期待を利用できる。あるいはまた、受け手の期待を破壊し、予期せぬことが起こりつつあることを認めさせるためのショックの必要を知る」(『エッセンシャル・マネジメント』)
さて、海兵隊などに入った新兵は、海兵隊という軍隊についても、一般社会常識や、自分たちがそれまで属してきた人種、地域、職場、コミュニティーと同じような価値感や、尺度が通用すると無意識に考えているところがあります。新兵たちは、そうであることをまさに期待しているのです。

しかし、軍隊は場合によっては敵を殺害しなければならないこともあり、一般社会とは全く異なる理念や組織風土があります。新兵はまずは、これを理解しないと、自らも危険ですし、これに関わる人々を危険に陥れかねません。

新兵訓練にあたる教官は、これを新兵に 周知徹底させるために、新兵の期待を破壊し、新兵が予期せぬことが起こりつつあることを認めさせるためのショツクとして、このような罵詈雑言を用いているのです。

多民族国家ではない、単一民族で言葉も日本語だけで十分通じる日本の自衛隊などでは、新人に対してここまで罵詈雑言を浴びせかけなくても、コミュニケーションは成り立つので、十分自衛隊員を養成できるのでしょう。実際、日本の自衛隊は米軍との共同訓練を行っても、米軍が驚嘆するほどかなり良い成績を収めています。ただし、自衛隊でも罵詈雑言は浴びせかけないものの、何か間違ったことをしたり失敗したときには、その場で腕立て伏せをさせるというような罰則はあるようです。

以上のようなことを考えると「汚い言葉」を使う人にも、いろいろいて、本来の意味でのコミュニケーションを深めるために敢えて「汚い言葉」を使う人と、そうではなくてそれが習慣になっている人や病気の人もいるのだと思います。

病気と診断されるものして、汚言症があります。常に汚い言葉を発するのが特徴です。英語では、コプロラリア(Coprolalia)といいます。

社会に受け入れられないわいせつで卑猥な単語を言ってしまう人のことです。YouTube でCoprolaliaと検索すると患者さんの映像が映し出されます。特徴としては、性的なものを単語やフレーズにしてしまう場所や状況などお構いなしにです。

文章のつながりのないところで社会的に許されない場所で大声で言ってしまうため周囲から嫌われます。共通点は止めようと思っても止められない点です。

トゥレット症候群の重篤な多発性チックの症状である汚言症ですが、実際に、汚言症があらわれるのは、3分の1以下です。トゥレット症候群 と診断されたからといって汚言症というわけではありません。

また子どもがふざけて発することばや、わざと言っている場合コプロラリア(汚言症)とは呼びません。
丁寧な言葉では相手に本当の意味が伝わらないときがある
そうして、ブログ冒頭の記事で心理学者が発見した「口の悪い人ほど根が正直」というのは、無論「汚い言葉」を本来の意味でのコミュニケーションを深めるために敢えて意図して意識して使う人なのでしょう。そうして、敢えてこのようなことをしようとする人は、そうでない人と比較して正直者であるであろうことは、容易に納得がいきます。

無論、昨年物議を醸した「日本死ね」などという汚い言葉は、コミュニケーションを深めるためではなく、それこそ政治利用のために用いられたということですから、この言葉を用いた人は正直者ということはあてはまらないでしょう。

もしトランプ氏が、「汚い言葉」を単にリベラル・左派を攻撃するための政治利用のためだけに用いたとしたら今頃大統領にはなっていなかったでしょう。

周りの人とコミュニケーションなど取れなくても良いという人は、うわべではいつも慇懃に丁寧な言葉をつかいますが、その実腹の中では何を考えているのかわからないところがあります。

さて、トランプ氏は、大統領選のとき敢えて「汚い言葉」も有権者とコミュニケーションを深めるために用いたのだとと考えられます。

以前にも掲載したように、米国のマスコミの90%はリベラル・左派で占められていて、本当は米国にも全体の半分くらいは保守層が存在しているはずなのですが、それらの声はかき消され、リベラル・左派の考えが世の中の本筋であるかのように思う人が多いです。それは、今も基本的に変わっていません。

トランプ氏は、大統領選にあたって、まともなことをしていては、自分の味方になってくれる保守派の人々に自分の声や、自分の考えが届かずコミュニケーションを深めることもできないと考え、敢えて「汚い言葉」をつかったり、ポリティカル・コレクトネスなど無視したような話かたをしたのだと思います。

保守派の人々に対して、自分は今までの大統領候補者とは違うということを周知徹底するために、敢えて「汚い言葉」用いて、覚醒のためのショックを与えて、コミュニケーションを深めようとしたのです。

そうして、この試みは、トランプ氏が大統領選挙に勝利したということで、十分に報いられたのです。

もし、トランプ氏がオバマ氏のように"Yes, we can."のような生ぬるいメッセージを発したとしても、大統領選に勝つことはできなかったことでしょう。オバマの場合は、米国リベラル・左派が大挙してオバマを応援して、初の黒人大統領が誕生することを拒むような人は、人種差別主義者であるかのように思われてしまうような状況をつくりだしてしまったため、トランプ氏のようにコミュニケーションを深める必要性もなかったのでしょう。

もしトランプ氏が登場していなかったとしたら、アメリカのメディアは、大挙してクリントンを応援して、初の女性大統領が誕生することを拒むような人は、女性差別主義者であるかのよう思われてしまうかのような状況をつくりだし、クリントンが圧勝したことでしょう。

しかし、有権者とコミュニケーションを深めなくても、当選できたオバマ大統領は、当然のことながら、最初から良い仕事ができるわけもなく、実際オバマは及び腰外交で、在任中に米国の存在感を毀損してしまいました。

そうして、このことは私たちも肝に命じておかなければなりません。パワハラなどになることを恐れて、日々いつも丁寧な言葉を使い続け、本来コミュニケーションを深めなければならない人に対しても、苦言を呈したり、叱ったりするようなことができない人は、人の上に立つことはできません。

そのような人は、いつまでも一番最下位の職位に甘んじるべきです。企業なのどの組織の中で、今よりももっと大きな仕事をしようとか、進歩しようとか、向上しようとすれば、それを自分だけではなく、周りの人にも周知徹底しなければなりません。そんなときに、オバマのような生ぬるい言葉しか発することができなければ、何も成就できません。

組織の中でイノベーションをおこそうとか、周りの大事な人たちに少しでも良くなってもらいたいと思えば、場合によっては「汚い言葉」もつかう勇気も必要なのです。

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2017年1月13日金曜日

【痛快!テキサス親父】韓国はまさに「赤化危機」 完全な日韓合意違反、国際的信用は失墜した―【私の論評】韓国の赤化で、半島全体が支那の傀儡になる?

【痛快!テキサス親父】韓国はまさに「赤化危機」 完全な日韓合意違反、国際的信用は失墜した

釜山の日本総領事館前に設置された慰安婦像。除幕式前から公開された
 日本の安倍晋三政権が、理不尽極まる韓国に見事な対抗措置を取ったようだな。釜山の日本総領事館前に昨年末、慰安婦像が設置された問題について、駐韓日本大使らの一時帰国や、日韓通貨交換(スワップ)協定再開の協議中断などを発表した。当然だ。俺は全面的に支持するぜ。

 日韓両国は一昨年12月、慰安婦問題について「最終的かつ不可逆的解決」する日韓合意を交わした。日本は責任を認め、韓国が設立する元慰安婦の支援財団に10億円を拠出した。米国が仲裁したもので「両国は過去ではなく、未来を見つめよう」というものだ。欧州諸国も支持した。

 ところが、韓国では合意後も続々と慰安婦像が設置されているという。そして、ソウルの日本大使館前に続き、釜山の日本総領事館前にもウィーン条約違反である慰安婦像が設置され、韓国政府はこれを放置した。

 完全な日韓合意違反であり、世界中が「韓国と条約や合意を交わすということは、その程度のことだ」と理解した。韓国で外交交渉すべき相手は、選挙で選ばれた大統領や外交官ではなく、路上の群衆だってことだ。そんな異常な国が他にあるか? 韓国人は民主主義を侮蔑している。

 そもそも、韓国側が主張する「慰安婦=性奴隷」というのは大ウソだ。俺は2013年から慰安婦問題に関わり、第2次世界大戦中の米陸軍の資料などを徹底的に調べて、「架空の事実だ」と分かった。

 米陸軍が1944年、ビルマ(現ミャンマー)で朝鮮人慰安婦20人を尋問した調書がある。当時、日本は米国の敵国だったが、調書には《慰安婦は強制ではなく雇用されていた》《接客を断る権利を認められていた》《女性たちは大金を持って楽しんでいた》《洋服や化粧品など好きな物を買うことができた》《日本兵とスポーツやピクニックをしていた》と記されていたんだ。性奴隷がそんなことできるのか?

【私の論評】韓国の赤化で、半島全体が支那の傀儡になる?

上でテキサス親父が主張しているように、韓国は日韓合意違反をしたために、世界中の国々から軽蔑されることとなり、まさに韓国自らが韓国を貶める結果となりました。

これについては、以前もこのブログに掲載しました。その記事のリンクを以下に掲載します。
【釜山・慰安婦像設置】菅義偉官房長官会見詳報 韓国・釜山の慰安婦像設置に対抗措置 菅氏「日韓関係に好ましくない影響」「国と国として約束、履行してほしい」―【私の論評】先進国になれなかった韓国は、中所得国の罠にはまり発展途上国となる(゚д゚)!

詳細はこの記事をご覧いただくものとして、この記事では1965 年に締結された日韓基本条約と、一昨年の暮れに締結された日韓合意の根本的な違いについて述べました。

以下に、その違いを簡単に掲載しておきます。
日韓基本条約の大きな問題点は、賠償請求権協定が韓国側非公開であったことであり、それを日本側も容認していたことにありました。これは、二国間の条約であり、秘密協定に近いものなので、外交カードとしては、利用しにくかったのです。そもそも、日韓基本条約が韓国で公開されたのは条約締結から40年過ぎ2005年でした。しかし一昨年の日韓合意は国際社会に開かれたカードであり、以前とは 状況が全く違います。
一昨年末の電撃的な日韓慰安婦合意について、日本政府は「最終的かつ不可逆的な解決」と胸を張ったのにはこのような背景があったのです。 
しかもこの日韓合意に関しては、米国のオバマ大統領が深く関与していました。日韓基本条約は韓国にとって都合の良い穴があったわけですが、一昨年の日韓合意ではこの穴は塞がれたのです。

韓国政府は、この違いについて良く理解していると思います。しかし、国民の反発を恐れて、その違いを韓国民には良く説明していないようです。

そのため、韓国民はその違いがわからず、日韓基本合意の時と同じように何度でも蒸し返ししても、国際的に韓国の威信が低下するなどとは思ってもいないのです。しかし、現実には、日韓合意違反より、韓国の国際的信用は完璧に失墜してしまいました。

そうして、韓国の赤化危機が現実のものとなりました。赤化といえば、韓国に親北政権ができるということにとどまらず、韓国の弱体化に乗じて支那の動きが活溌化することでしょう。

金正恩は、支那の意思に逆らい、核・ミサイル開発を進めています。実戦配備されれば、北京や上海はその射程圏内となり、到底、中国として見過ごすわけにはいきません。

金正恩
しかし、中国が本気で制裁を加えれば、追い詰められた金氏が暴発して、南進しかねなくなります。そうなると、たちまち米韓軍に敗北し、朝鮮半島は韓国によって統一されてしまいます。

では、支那はどうするでしょうか。手っ取り早い方法として、北朝鮮のトップを金氏から、兄の金正男(キム・ジョンナム)氏か、中国の息のかかった人物にすげ替えることでしょう。北朝鮮を支那の傀儡にして、核・ミサイルや核施設を破棄させれば、北朝鮮の脅威はなくなるかもしれません。

しかし、支那の本音は、別のところにあります。朝鮮半島全体を赤化して日米への楯にしたいというのが本音です。北朝鮮を傀儡化した中国は、かつて北朝鮮の金日成主席が描いたシナリオ通りに、韓国を吸収させようとするでしょう。

赤化した韓国は、THAADの導入を拒否するか、導入した後に撤去することになるかもしれません。そうして支那は、それを促すため、北朝鮮と韓国に平和条約を結ぶよう勧告するでしょう。そうして、支那は韓国に平和条約を結すべばTHADDの導入は必要ないことを強調することでしょう。

THAAD導入で支那から制裁を受け、経済面に苦しい韓国は、THAADを導入を断念すれば、韓国制裁を解くといわれれば、赤化した韓国は拒否できないことでしょう。軍事境界線に配備した長距離砲の撤去など、非核化した北朝鮮が韓国の要求をのめば、平和条約が締結される可能性はかなり高くなると思います。

平和条約締結後の韓国には、在韓米軍が存在する意義がなくなくなります。韓国は、米軍の撤退を要求するかもしれません。それに呼応して、在韓米軍は大幅に削減され、いずれ撤退することになるかもしれません。


次のステップは「南北連邦国家形成」ということになるでしょう。支那の意を受けた北朝鮮の工作員が「今こそ悲願の統一だ」と民族感情を刺激し、すでに赤化している韓国の人々は「一国・二政府・二体制での統一」という建前に熱狂することでしょう。そうして「南北朝鮮民主連邦」が実現することになります。

そして、最終段階が「北朝鮮体制での完全統一」です。支那傀儡の北朝鮮は「一国二体制は非効率だ。一方の体制に統一しよう」と国民投票を韓国側に呼び掛けることでしょう。人口が2倍いる韓国は「北朝鮮をのみ込める」と踏んで、これに応じることでしょう。

しかし、北朝鮮は約2000万人の有権者全員が北の体制を支持します。一方、韓国側の約4000万人の有権者はそうはいきません。仮に、投票率80%とすると投票者は約3200万人。うち、600万人以上が北の体制を支持すれば、北朝鮮側の勝利となります。


大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の人口の推移

「財閥を潰して社会格差を無くせるなら」「地獄の生活苦から抜け出せるなら」など、韓国には国全体をガラガラポンしたい衝動に駆られる住民が大勢存在します。

国民投票で選ばれるのは、恐らく北朝鮮側の体制でしょう。そうなれば、韓国は北朝鮮にのみ込まれて「支那の属国」と化し、人々からすべての人権が剥奪されることになります。その時韓国は、真実の「HELL(地獄)のKOREA(韓国)」となるのです。

上のシナリオは、悪夢のようですが、オバマ大統領の任期がもう少し長ければ実現したかもしれません。トランプ大統領の登場で上記のようなシナリオは成り立ちにくい状況となるでしょう。

トランプ新大統領は、  韓国がTHAADの導入を断念したり、導入後廃棄などということは絶対にさせないでしょう。そうなれば、支那は対韓国制裁をやめることはないでしょう。

しかし、日韓合意を簡単に翻すことができると思い込む韓国人が多数存在し、政府がそれを制御出来ない現状をみると、韓国に親北政権ができあがり、赤化した場合、似たようなシナリオで、朝鮮半島全体が赤化される可能性を否定することはできません。


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2017年1月12日木曜日

三島由紀夫「平和憲法は偽善。憲法は、日本人に死ねと言っている」 TBSが未公開テープの一部を公開・放送―【私の論評】人は自分のためだけに生きられるほど強くはない(゚д゚)!

三島由紀夫「平和憲法は偽善。憲法は、日本人に死ねと言っている」 TBSが未公開テープの一部を公開・放送

総監室バルコニーで演説する三島由紀夫(1970年11月25日、自衛隊市ヶ谷駐屯地にて)
作家、三島由紀夫(1925~70年)が自決する9カ月前の昭和45年2月に死生観や憲法観などを語った未発表の録音テープの一部内容が12日夕、TBS系報道番組「Nスタ」で放送された。テープは東京・赤坂のTBS社内で見つかり、これまで「放送禁止」の扱いでアーカイブ部門の責任者が歴代、保管してきたという。

TBSによると、テープには、三島が英国の翻訳家、ジョン・ベスター氏と日本語で対談した音声が約1時間20分にわたって録音されていた。三島がテープの中で、遺作となった小説「豊饒の海」の第3部「暁の寺」について「ちょうど今朝、朝の9時に、『暁の寺』というのが完結したんですよ」と語っていることから、45年2月19日に録音されたものとみられる。三島は「豊饒の海」第4部「天人五衰」を書き終えた直後の同年11月25日、東京都新宿区の陸上自衛隊市ケ谷駐屯地で割腹自殺した。

番組で放送された録音テープの内容は次の通り。


■自身の小説について

三島「僕の文学の欠点は、小説の構成が劇的すぎることだと思うんです。ドラマチックでありすぎる。どうしても自分でやむをえない衝動があるんですね。大きな川の流れのような小説は僕には書けない」

■死について

三島「死がね、自分の中に完全にフィックスしたのはね、自分の肉体ができてからだと思うんです。死が肉体の外から中に入ってきた気がするんです」

■自らの行動について

三島「僕の小説よりも僕の行動の方が分かりにくいんだ、という自信がある。僕が死んでね、50年か100年たつとね、『ああわかった』という人がいるかもしれない。それでも構わん。生きているうちは人間はみな何らかの理由でピエロです」

ベスター氏「神様がわれわれに…?」

三島「人形芝居をやらせている。人生でね、ひとつの役割をね、パペット・プレーを強いられているんですね」


また、TBSによると、テープにはこのほか、次のようなコメントが残されていたという。

■自身の作品について

「僕は油絵的に文章をみんな塗っちゃうんです。僕にはそういう欠点があるんですね。日本的な余白がある絵ってあるでしょう。それが僕は嫌いなんです」

■憲法について

「平和憲法は、偽善です。憲法は、日本人に死ねと言っているんですよ」


■美について

「美とは、何か。自分の一回しかない時間を奪い、塗りつぶし陶酔する濃密なかたまり」

■このインタビューについて

「これは、ひとつのコンフェッション(告白)なんです」

■思想の主張について

「僕は今の日本じゃ、言葉を正すこと以外に道はないんだろうなって思い詰めている。文体でしか思想が主張できない」

■子供時代の気持ち

「僕は、ショーウインドーで見た空気銃が欲しいね、欲しいねって友達と話していた。それが何十年かたって、どうしても鉄砲が欲しくなったのと同じでしょうか。あっはははははは。かかかかか」

【私の論評】人は自分のためだけに生きられるほど強くはない(゚д゚)!

三島由紀夫氏というと、私は彼の以下の言葉がかなり強烈に印象に残っています。

「人は自分のためだけに生きられるほど強くない」

これは真実だと思うのですが、私がこの言葉を知ったのは三島由紀夫氏と東大の学生たちが話をしているところを編集して報道したテレビ番組でした。私が、大学生だった頃でした。

これは、後に1969年5月の三島由紀夫と全共闘との東大構内における議論であったことを知りました。これは、三島が自決する前年の映像でした。そして学生と話す三島の言葉の一つ一つに重たい「実体」を感じました。 発する言葉からそのような重い実体と実在を感じさせた作家・思想家を私はは、他に知りません。

その画像の一部が現在YouTubeに掲載されています。その動画を以下に掲載します。



これを聞いた時は自分のもやもやした生きることの悩みが氷解したような気さえしました。これに関しては、このブログにも何度か掲載しています。

おそらく小さい頃から誰しも言われて育ってきたのは「自分のことばかり考えるな」というとだと思います。これはもっともなことだと思います。そうでなければ、家族もコミュニティも国家も世界も成立しません。しかし程度の差はあれ自分も含めて、多くの人は自分のことしか考えていないと思うようなことが嫌というあると思います。

しかしそれはそれで本能なんだろうと納得して、自分のことばかり考えるのも仕方がない面もあると思ってしまいます。そして、自分の行動を正当化してしまいます。しかし、これは、恐ろしい考え方で、この考えが頭にもたげてきて、それが頭の全部を占めてしまうと、家庭さえも崩壊してしまうことがあるのかもしれないのです。

しかし、実は人は自分のためだけに生きるなどいうことは出来ないように出来ているようです。


ふたたび画像の話に戻ります、「人間、何のために生きるのか?」煙草をくわえながら 学生達と、笑いを生みながら、議論している三島氏の姿に驚きました。笑いがある。死を巡って議論をしています。しかも、真摯に「生」を議論しています。

両者ともにアメリカ由来の「自由」と「民主」とい言葉を排除していました。そこだけが対話の連結点でした。貴重な一致でした。左右の思想は異なるのですが、そこは理解できる、という意気込みで三島は全共闘の現場に立ち会っていました。思想が肉体化され、行動となっていました。 

人は何のために生きているのか?人は自分のためにだけ生きることはできません。そんな甘いものではないのです。人間は「自分」なるもの中心に生きていけるほど強くはありません。「大義名分」が必要なのです。つまり、生きている「理由」と「根拠」が分からないと、生きて行けないのです。生きることも、死ぬことも同じであると、三島氏は学生たちに語りかけ問題提起していました。

私は、三島氏のこの言葉に同感します。人は自分のためだけに生きられるほど、強くはないのです。何のために、誰のために、生きるのかその根拠を求めながら生きる意味を探しているのです。その意味がなくなった時、それは当然の結果に行きつくしかないことでしょう。死ぬか、狂うしかなくなります。

私は「自分は一体何のために生きているのだろう?」日々、そんな問いを何度も繰り返しながら、現在を生きています。

そうして、「人は自分のために生きられるほど強くはない」という三島のこの言葉が私の人生観を随分変えたと思います。

以下に三島由紀夫氏の別の動画を掲載します。48秒ぐらいからの話に注目して下さい。


三島由紀夫のこの言葉に出会う前の私は、多くの人には欲望があって、それが満たされるから幸福感を感じるのだという、前提のようなものがあったと思います。そうしてそれで幸福感が得られれば、たまには他の人ことも考えるし、そのときはじめてその余裕が生まれると考えていました。そのため、人は自分や家族のために一生懸命働くし、余裕ができればボランティア、チャリティなどにも興味が出てきます。これが、多くの人の大勢を占める考え方だと思っていました。

しかし、三島はそうではないと言っています。

私としては、三島の言葉を知る前は、人は自分のために生きるのは容易なことであり、誰にでもできることだが、それだけを追い求めては駄目だ、たまには他人のことを考えろ程度に思っていました。しかし、三島が言うのは逆なのです。自分のためだけに生きることは難しいと逆のことを言っています。人はそれで幸せを感じるようには出来ていない。そう生きられるほど人は強くないと。

また「人間は自分のためだけに生きることにはすぐ飽きてしまう」という言葉も印象的でした。

よく考えてみるとその通りだと思いました。人が本当に自分だけのためにだけ生きているとしたら、本当にすぐに行き詰まると思います。

家族のために、長年にわたって努力して何かを成就できたとしたら、自分一人だけではなく家族とともに喜ぶことができるはずで、その喜びは自分一人だけの何倍ものものになることでしょう。

会社のブロジェクト・チームなどで何か新しいことに取り組み、何かを成就できたら、自分一人の努力が報われたよりも、何倍も強くチーム全体で幸福感を感じるはずです。

自分たのためではなく、他の人のために生きて、その人が幸せになれば、自分が幸福になったよりも、さらに大きな幸福に私たちは酔いしれることができます。


昔、これに関連する歴史のエピソードを聞いたことがあります。時代はいつくらいのこととかは詳しくは忘れてしまいましたが、場所はヨーロッパです。時代的にはおそらく中世から近代に移り変わる頃だと思います。いわゆる、この時代の君主の師弟に多くの問題が発生したそうです。

君主の師弟というと、本当に子どものころか恵まれすぎるくらい恵まれているため、何でも自分の自由にできます。そうして、中世なら、いつも紛争や、戦争があったので、それに対して備えてるためいつも気が気ではないという状況なので、特に問題はなかったのでしようが、その後に比較的平和な時代がやってきて、君主の師弟はあまりそういうことを気にかけず、自由きままに過ごすことできるようになると事情が変わってきたのです。

その頃には、君主の師弟で酒・女・博打・喧嘩など酒池肉林の放蕩三昧にふけるものが多く、そうなると、精神的にも肉体的にも健康面に悪影響が出て、若いうちに病気や、狂死するものが大勢でたそうです。

酒池肉林を描いた中国の現代絵画
この状況まさに、自分のためだけに生きるという状態であり、そのような状態におかれれば、誰でもそのようなことになるのかもしれません。考えてみてください、まずは働かなくても死ぬまで困らないことが保障されていて、そうして自分のためだけに生きたとしたら、誰もがはやいうちに健康を損なうか狂死してしまうに違いありません。

そうして、このようなことを防ぐために、君主たちは何をしたかといえば、師弟に学問をさせたそうです。確かに学問の世界は、終わりがないし、さらに君主とはどうすべきかと言う帝王学も学ばせたでしょうし「人は何のために生きるのか」ということも学ばせたことでしょうから、それ以来極端に早死したり、狂死するものが多いという状況はなくなったそうです。それ以来、君主の師弟は学問をするのが習慣になったそうです。

今の日本は、戦後の誤った、そうして行き過ぎた個人主義的教育によって、三島氏の「人は自分のためだけに生きられるほど強くはない」という言葉の意味をかつての私のように取り違える人も多いのではないかと思います。

しかし、言葉の意味を取り違えるだけなら良いのですが、本当の意味で「人は自分のためだけに生きられるほど強くない」ということを全く理解できない人には、悲惨な末路が待っているに違いありません。

私も、実際にそのような人を何人か知っています。そのような人の老後は富に恵まれていても悲惨です。私は、あのようにはなりたくはないと思います。だから、これからも「人は何のために生きるのか」ということを日々考えて生きていきます。

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2017年1月11日水曜日

オバマ大統領が最後の演説、米国の価値の低下防止を訴える―【私の論評】愚かなオバマは、外交の大失敗を全く反省していない(゚д゚)!

オバマ大統領が最後の演説、米国の価値の低下防止を訴える



オバマ米大統領は10日、シカゴで任期最後の演説を行った。2期8年を振り返り、大統領としての役割を担えたことは自身の人生において光栄だったと言明。国民に対し、米国の価値を守り、差別を受け入れないよう訴えた。

トランプ次期大統領の政策については一部を否定する姿勢をうかがわせた。

オバマ大統領は1万8000人の群衆を前に「米市民としてわれわれは引き続き外部からの攻撃に警戒の目を向けなければならない。われわれの価値が低下するのを防がなければならない」と呼びかけた。

オバマ氏は米大統領選で民主党のクリントン候補の応援演説を行った際、イスラム教徒の入国停止やメキシコとの国境に壁を築くといったトランプ氏の政策への反対姿勢を鮮明にしていたが、この日も自身の立場に変わりがないことを示した。

オバマ氏が黒人として初めて米国の大統領に選ばれたことで、米国が抱える人種差別問題の解決への期待が高まったが、これについては実現が困難だったと認めた。

その上で、若い世代に望みを託し、変革をもたらす力を信じるよう、「私たちにはできる(Yes We Can)」と呼びかけた。最後にオバマ大統領は、「私たちはやり遂げた(Yes We Did)」と振り返り、改めて「私たちにはできる」と繰り返して、演説を締めくくった。

【私の論評】愚かなオバマは、外交の大失敗を全く反省していない(゚д゚)!

オバマ大統領は、就任演説で、核軍縮、戦力の削減などの政策を打ち出し、ノーベル平和賞を受賞しました。それから8年後の今日世界情勢はどうなったでしょうか。

軍事力、軍事威圧によらない外交で、うまくいったと思われる例と、そうでない悪い例を以下に列挙します。

【うまくいった例】
・対話によるイランとの対立解消、核兵器開発阻止。
・キューバとの70年ぶりの国交復活
オバマの数少ない外交の成果
【失敗した例】
・ISを始めとするイスラムテロリストの伸長・惨殺・私刑・女性への暴行
・ウクライナ領土であるクリミア半島のロシア軍隊による侵略と領土併合
・エジプト、シリアなどの中東・アフリカ諸国の治安悪化・内戦とそれを避ける大量の難民の発生
・中国の海洋進出・南沙諸島で7か所もの岩礁埋め立てによる軍事基地建設
・中国の尖閣諸島の領海侵犯、東シナ海での海底資源開発・掘削塔の建設
・北朝鮮の軍事的挑発・核弾頭の開発
・タイでのイスラム過激派の爆弾テロによる市民の多数の死傷者
・ISが日本人をも標的にする声明を出した事
ISの台頭をまねいたオバマ
以上、主だったものを掲載しただけですが、まだまだ数えればいくらでもあります。以上のことから、オバマの外交は大失敗だったと結論ずけることができます。

強大な軍事力を背景に、世界の警察と自他ともに認めてきたアメリカの軍事力が、オバマの軍備削減で、ここ数年でかなり弱体下しました。さらに、それに追い打ちをかけるように、オバマの弱腰外交によってアメリカの存在感が低下・弱体化する中、ISが台頭し、支那などの侵略と殺戮の勢力が伸長しました。

ロシア、中国は国連の常任理事国です。大国が覇権主義、領土拡大を軍事力で行うのは戦前の帝国主義的発想にほかならず、許しがたいことです。結局、国連は平和解決になんら機能していません。

特にイスラム過激派は、中東イラク・シリアで多数のテロや領土制圧などで、その領域も拡大し、シリアの内戦も複雑化し、多数の難民がヨーロッパに押し寄せる結果を招いています。

また、北アフリカ諸国の国々でも、同様に過激派勢力によって、難民がボートで地中海を渡り、ドイツをめざしています。その数およそ100万人。とてもドイツ1国だけでは収容しきれず、フランス、イギリスも、最初は難民を受け入れる方向だったのですが、それも最近は変わってきています。

東欧諸国は元々国が豊かではないので、難民を受け入れる余裕もなく、EUの受け入れ政策に最初から抵抗していました。

さまよえるシリア難民
難民の受け入れも大事ですが、そもそもなせ大量の難民を生まれることになったのか、それを改善しないことには、これからもさらに難民が増え続けてしまうことになります。まずは、中東、北アフリカでの内戦、紛争を終了させ、治安を回復し難民にならなくても自国で生活ができるようにしなければなりません。

そのためには、中東にかつてアメリカが関与し、治安を回復させたように、強大なアメリカ軍が空と地上部隊でIS勢力や過激派などの反乱分子を掃討してしまわなければなりません。イギリス軍、フランス軍も参戦して、これらの国々の治安を回復させないといけないのです。

にもかかわらず、オバマは、「話し合おう。平和主義だ」などときれいごとを言って弱腰外交に終始した顛末が、今の世界の状況です。強いアメリカが今も健在だったら、上記の【失敗した例】で記したことは怒らなかったでしょうし、ISも米軍特殊部隊がビンラディンを暗殺したようにISの首謀達を根絶やしにだってできたはずです。しかし、オバマはそれをしませんでした。それゆえ、ISが領土を拡大し、今も中東の治安を悪化させています。

ISテロリストは自分たちで兵器を作れませんから、彼らに武器を供給している国、およびルートがあるはずです。食料も同じです。それらを遮断すれば、武器弾薬もなくなり、ISは干上がるはずです。

ISの首謀の暗殺と同時進行で、こうした「兵糧攻め」を地上部隊で行えば、ISは壊滅できたのです。

それをオバマは「話し合い」とか、「米兵の死傷回避」などという理由で、空爆しかしていません。こんな単発的な攻撃では、ISは壊滅できません。大規模の陸軍で地上部隊を展開する必要があるのです。それをオバマは一向に行おうとしませんでした。それゆえ、兵糧攻めもできず、ISが領域拡大を続けることができたのです。

兵糧攻めなら、ISが直接攻めてこない限り、米軍兵は1人も死にません。糧道、武器弾薬ルートを遮断するだけなら、兵の損失もなく、最大の効果を発揮できたはずです。このようにして、ISを壊滅させれば、ロシアや支那に対しても、ある一定の抑止力になったに違いありません。クリミア半島のロシアへの併合や、南沙諸島での中国の軍事基地建設も防げたかもしれません。

残念ながら、過去の人類の歴史において戦争のない、武器を必要としない世は、ほとんどありませんでした。唯一の例外は、徳川幕府で平和が260年も続きました。幕府は、領国大名の力を削ぎ、幕府の武力の圧倒的優位さを見せつける事で、平和を維持することができました。

幕府は、参勤交代、様々な普請(公共工事)を各大名に命じて、武器、兵力を増強できない経済状態にすることにより、幕府に対して歯向かう力を奪ったのです。

江戸時代の参勤交代

しかし、日本に開国を迫る列強の圧力もあり、そのバランスも崩れ、幕末の動乱となり、各地で戦闘が起き、徳川幕府は倒れました。それは、日本以外の世界でも同じことです。軍事力も含めた国々の力のバランスの上で、世界平和が成り立っているのが現実なのです。このように、過去の歴史においては、ことごとく力のバランスによって平和が保たれてきたてのです。

現状では、アメリカが、弱腰外交を改めて、強いアメリカに戻ることこそが、世界平和に寄与するのです。

平和の為に軍事力を増強する、ということは一見矛盾しているようにもみえますが、相手が強ければ、容易に手出しできませんから、戦争にならないのです。つまり平和になるのです。


今日、オバマの任期はあと、少しです。次の大統領は、強いアメリカを標ぼうするトランプ氏です。トランプ氏が大統領として手腕をふるうことになれば、少なくもと世界の治安も難民問題も、オバマよりは、良くすることができるはずです。

ヒラリーでなくて、本当に良かったです。ヒラリーが大統領になったとしたら、おそらくオバマよりましという程度の外交しかできなかったと思います。そんなことでは、世界の平和がますます崩れることになったでしょう。

オバマは、今回の演説でも、自らの過ちを認めることなく、キレイ事に終始しています。この演説の内容を聴くまでもなく、オバマは最低最悪の大統領でした。今後このような無能な大統領が米国で二度と生まれるようなことがあってはならないと思います。

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2017年1月10日火曜日

人手不足は金融緩和による雇用改善効果 さらに財政政策と一体発動を―【私の論評】年頭の小さな変化に気づけない大手新聞社は衰退するだけ(゚д゚)!

人手不足は金融緩和による雇用改善効果 さらに財政政策と一体発動を

このような表示をする小売業もちらほら出てきている

 年末年始は人手不足などの事情で宅配便の遅配が生じたという。また、ファミリーレストランでは24時間営業をやめるところも出てきている。

 筆者は日用品でも宅配便を利用しているが、たしかに筆者のところへの宅配便も遅れた。それほど緊急性のないものだったので別に気にしなかったが、到着予定日より2日ほど遅れたものもあった。

 百貨店も昔は元日営業が当然だったが、元日は休みで2日から初売りも多くなり、一部では3日から初売りというところも出てきている。さらに三が日は休業し4日からの初売りを検討するところもある。これらの正月休業の動きは従業員に配慮する観点からとされている。

 いずれも人手不足感が出てきた証拠であり、これまでアベノミクスで金融緩和を続けたことの成果だといえる。

 こうした状況は筆者が勤める大学の周りでも確認できる。

 大学の新卒者は既得権を持っていないため、そのときの雇用環境によって大きく就職率は左右される。

 振り返ってみると、民主党政権時代の就職率はひどかった。筆者の所属している大学では、第3次産業への就職が多いが、就職できれば御の字であり、賃金等の労働条件は二の次だった。その当時、雇用市場では買い手の企業が有利であり、ブラック的な企業でも採用が可能だった。

 ところが、安倍政権になってから雇用環境が劇的に改善した。今では雇用市場は売り手の大学側の方が有利になっている。このため、学生たちの間で「あの企業はブラックだからやめよう」という会話が普通に出てくるようになった。民主党政権時代にはありえなかった話だ。

 実際、労働条件の厳しすぎる企業は敬遠される傾向になっている。これは望ましいことだ。多くの左派識者が声を大きくして、労働条件の改善を叫ぶより、金融緩和を行って雇用環境を良くすることの方が、はるかに労働条件を改善できるのだ。左派識者は相も変わらずアベノミクスの金融緩和を否定しようとするが、その知識の軽薄さに笑ってしまうほどだ。

 もっとも、筆者はこれまでの金融緩和を評価するが、さらに一段の金融緩和をしなければいけないと考えている。たしかに、一部業種では人手不足が生じ、労働条件の改善という動きになってきた。ところが、経済全体ではまだ失業率を下げられる。

 具体的には直近の3・1%から2・7%まで下がるはずだ。そうなれば、経済全体で人手不足感が出て、賃金も上昇し始めるだろう。雇用者の可処分所得を高めて消費を刺激することが、景気回復にも必要である。

 ところが、現在の日銀は金利の目標を管理するが、積極的な追加緩和に対しては消極的だ。

 そこで、財政政策(国債発行)の出番だ。財政政策と金融政策が一体的に発動されれば、日本経済にとっても好都合となる。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

【私の論評】年頭の小さな変化に気づけない大手新聞社は衰退するだけ(゚д゚)!

上記の記事をみていて国債発行は、借金をさらに増やすだけなどとする方もいらっしゃると思いますが、その認識は間違いです。もうすでに日本政府の借金はありません。それについては、昨年のこのブログでも掲載しています。その記事のリンクを掲載します。
蓮舫氏が語る経済政策 実行されたなら景気低迷で雇用改善はブチ壊し―【私の論評】財政再建はすでに終わっていることを知らない民進党に先はない(゚д゚)!
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では財政再建はもう終了しかけていることを掲載しました。以下に一部引用します。
まずは、以下は統合政府純債務残高の推移を示したものです。統合政府とは、日銀と政府をあわせたもので、これを企業で言えば、連結決算をするように、統合して決算したものから、統合政府純債務高の推移をグラフ化したものです。
このグラフから日銀の金融緩和政策の国債の買い入れによって、純債務残高が、2014年度でも政府純債務GDP比は35%まで減少していたことがわかります。 
さらに、下のグラフは、統合政府の債務残高の予測まで含めた推移を示したものです。
日銀が国債を買えば買うほど統合政府の政府純債務は減ります。 
日銀の年80兆円の国債買い入れペースだと、2017年度には純債務から、純資産になるため、財政再建は完璧に終了することになります。実質的には、2016年度中に終了するか、2016年半ばを過ぎている現在もうすでに終了したと言っても良いくらいです。
このような状況ですから、現在財政政策として国債発行をしたからといって、さらに借金が増えるなどと心配する必要は全くないわけです。

これに関しては、高橋洋一氏を含めたまともなエコノミストは皆同じようなことを言っています。私自身もこれについては、実際に自分で計算して確かめたことがあります。その計算過程を掲載し記事のリンクを以下に掲載します。
「国の借金」巡るホラー話 財務分析すれば怖くない―【私の論評】鳥越より悪質な都市伝説が現実になる新手の辛坊らの発言には気をつけろ(゚д゚)!
国の借金1000兆円などとは、全く都市伝説のようなものであり、真夏のホラー話と同じようなもの

詳細は、この記事を読んでいただくものとして、この記事では、2014年の政府債務を日銀も加えた連結のBSで計算しました。その結果は、政府純債務GDP比は35%まで減少していたことが示されました。実数としては、160兆円程度です。

国の借金1000兆円などというのは、全くのまやかしであるに過ぎないことがわかります。財政再建が、完璧に終了して、いるであろう2017年の4月には、どうみても消費税増税などする必要性などないわけです。

国借金1000兆円を真に受けて、10%増税など実行してしまえば、日本のGDPの60%を占める個人消費が低迷しせっかくの金融緩和による雇用状況の改善も帳消しにされてしまうだけです。

今年年明けの新聞をみていると、このような見解はもちろん掲載されていませんし、とんでも経済記事が散見されました。

まずは、日経新聞に関しては、正月そうそうから、構造改革を最優先すべき記事が掲載されていたので、正月の初笑ができました。そもそも、構造改革をするななどとはいいませんが、現状のまま、構造改革をしたとしても、金融政策と財政政策の景気循環的対策が十分でないうちに改革したとしても、それで経済が良くなるとはとても思えません。

順番が逆です。景気循環的対策が終わって十分経済が上向いたときに、構造改革を実行すれば良いのです。景気循環的対策なしに、構造改革を断行すれば、とんでもないことになります。

それと、朝日新聞もとんでもない記事を掲載していました。これについては、経済学者の田中秀臣氏が、その内容とそれに対する反論を掲載した記事のリンクを以下に掲載します。
朝日編集委員の「経済成長が例外」という主張こそ、むしろ例外
田中秀臣氏
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事から結論部分のみを以下に掲載します。
 経済危機からの完全雇用の達成には、経済の拡大が必要である。経済が拡大する中で、財政が改善し、それによって社会保障の基盤も充実していく。そればベヴァリッジの基本構想だった。つまり福祉社会は完全雇用をもたらす経済成長とは矛盾しないのである。矛盾しないどころか、完全雇用は福祉社会の重要な核である。

 また原氏は論説でGDP懐疑論や低成長「正常」論を唱えているが、日本ではこの種の議論のときにしばしば援用される、『スモール・イズ・ビューティフル』という本がある。著者はエルンスト・フリードリッヒ・シューマッハー。本の題名からもわかるように、彼は富の追求自体に重きを置く経済成長論に否定的だった。

 だが、ここでもシスモンディやベヴァリッジ同様に忘れてはならないことがある。シューマッハーは、ケインズの経済学に多大な影響をうけた「雇用重視の成長」論者であるのだ。シューマッハーとケインズ、ベヴァリッジはそれぞれ生前に面識があり、社会保障の拡充と完全雇用の達成という現代の福祉社会論の構築に大きく貢献した。ベヴァリッジに雇用の重要性を教えたのは、ケインズの影響をうけたシューマッハーであった。

 ここまでお読みいただくと、原真人氏に代表されるような低成長「正常」化=GDP懐疑論者が、いかに一面的なものかがおわかりいただけるだろう。それに対して、富の追求ではない、人間の価値を追求してきた経済学者たちの多面的で、豊かな経済認識の格闘があったことも。

 アベノミクスを建設的に批判するなら結構である。それはそれで得るものがあるだろう。だが、残念ながら原氏の論説からは、単なるトンデモ経済論の音しか聞こえない。
この朝日新聞の論評に関しては、ジャーナリストの菅野完氏はツイッターで「『経済成長は、弱者救済の最低条件』と言い切れない連中は、目を噛んで死ねばいいと思う」と原氏を痛烈に批判しました。

「朝日の使命というか、社会的に求められる期待というか、役割は、『低成長をみんなで受け入れよう』と呼びかけることではなく、『賃金上げろ!労働環境改善しろ!』と訴えることだろう。そして、賃上げ、労働環境改善、財政出動こそが、成長に繋がるんだ。他の国にできて、日本にできんことないだろう」

そして、朝日新聞の社会的役割を踏まえ、「『朝日が経済成長に懐疑的になる』ことは、社会的な害悪なのよ」と訴えた。また、労働法政策に詳しい濱口桂一郎氏も、原氏の論説を「腹ふくれ満ち足りたブルジョワの息子の手すさびみたいな議論」だと酷評しています。

ちなみに、高橋洋一氏もこの朝日新聞の論評について厳しく批判しています。その記事のリンクを以下に掲載します。

高橋洋一氏 
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事から結論部分のみを以下に掲載します。
昨年に日銀は金利管理に移行した。これは、金融緩和に対し積極的ではなく受け身になったことを意味する。この方式では金融政策が財政依存になる。政府が国債を発行しないと金利が下がる。それを日銀が引き上げると金融引き締めになりかねないが、政府が国債を発行すれば逆に金融緩和になるという具合だ。 
そうした状況では、財政政策の出番(国債発行)であり、そうなれば、財政・金融一体発動になって、日本経済に好都合となる。 
幸いなことに、日本の財政問題も、現時点で考慮しなくてもいいくらいだ。この点は、本コラムで再三指摘してきている。 
さらに、国債を発行して財源調達すべき分野も、法律改正が必要だが、教育など未来への投資と言われる分野で多い。金利環境がいい現在は、未来への投資に事欠かない状況である。 
というわけで、未来への投資として、国債発行による財政出動(自動的にこれは金融緩和にもなる)をすべきというのが、失業を増やさないための筆者の解である。 
朝日新聞の論評が文中で言及しているシェアリングエコノミーは経済成長を促進するものであるため、朝日新聞の主張は支離滅裂になっている。いっそのこと、そういた新しい動きを利用するとともに、政府に国債発行による教育支出増などを提言し、さらに経済成長して、貧困をさらになくせという言うべきなのだ。
朝日新聞の記事は、読みたい方はよまれても良いとは思いますが、これを読むのは時間の無駄です。このようなものを読むくらいなら、田中秀臣氏の記事や高橋氏の記事を読まれたほうが余程有意義だと思います。

朝日新聞などの日本の大手紙がどのようなトンデモ経済論を掲載しようとも、現在の日本雇用は間違いなく改善されて良くなっています。それが、最近の高校や大学新卒の就職率の良さで実証されています。そうして、今年の年始の様々な業界で人手不足によっても実証されています。

今年の年頭の人手不足という一見小さくみえる現象は、将来の大きな変化の前触れだと思います。この変化に気づきそれを利用できる人と、利用できない人との間にはこれから、大きな差異が生まれていくものと思います。

そうして、日経新聞や朝日新聞などは、当然のことながらこのような小さな変化に気づかないことでしょし、それを利用することもできないでしょう。このようなことに気づかない人は、この小さな変化が大きな変化になってはじめて気づきます。しかし、その時は手遅れです。

日本の大手小売業の失敗は、POSなどを導入して顕在顧客のことを熟知したものの、潜在顧客を知ることを疎かにしたことです。

日経新聞や朝日新聞も、購読層が減少し続けています。おそらく、潜在顧客のことなど何も考えていないのでしょう。潜在顧客の情報も集め良く考えれば、おのずと小さな変化にも気づくはずです。しかし、あいかわらず、気づいていないようです。

私たちは、そうはなりたくないものです。

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