2021年7月20日火曜日

「科学」よりも「感情」が優先の社会 コロナへの恐怖で政権も動揺…ワクチンと時間が解決するか ―【私の論評】コロナ対策は「感染症専門家」ではなく、「リスク管理専門家」に任せるべきだった(゚д゚)!

「科学」よりも「感情」が優先の社会 コロナへの恐怖で政権も動揺…ワクチンと時間が解決するか 

高橋洋一 日本の解き方

ワクチン接種はすすみつつあるが・・・・

 東京都で4回目の緊急事態宣言が発令され、五輪も大半が無観客開催となった。ワクチン接種についても順調な進捗(しんちょく)よりも供給遅ればかりが強調されて報じられている。一方で、酒類を提供する店への締め付けについては国による法的根拠が乏しい要請が問題になった。科学や事実、法律よりも感情優先の決定がなされる背景は何だろうか。

 新型コロナウイルスをめぐる分析は、筆者からみて当初の段階から科学的とはいえなかった。一例として、数理モデルによる推計で「何の対策も講じなければ42万人死亡する」という試算があった。もちろん初期段階ではパラメーターの設定でいろいろな推計ができるが、事後に推計結果が現実と違っていれば、どのパラメーターがどの程度想定と異なっていたかを説明しなければいけない。しかし、そうした科学的検証も行われず、専門家としての権威を大きく失った。それ以降、あおるだけあおって科学的な事後検証のない試算値が各方面から出ており、言いたい放題になった。

 規制の根拠となるエビデンスも可能な限り示さなければいけないが、「Go To トラベル」の中止や飲食業の規制において、それらの根拠が明確に示されたとは言い難い。

 科学的分析の第一歩である国際比較について、日本の現状を各国と客観的に比較することさえ、筆者の「さざ波」発言のように社会的に批判されるという情けない状況だ。

 こうしたことの裏には、一部勢力が声高に東京五輪中止を今でも叫んでいることもある。それが政治的な動きになって、一部野党も後押ししている。

 一方、小池百合子都知事も自らの政治プレゼンスをそれらに乗じて高めようとし、政治的な老獪(ろうかい)さを発揮している。そうした中で、菅義偉政権も浮足立ち、冒頭述べたような基本的な行政判断も間違うようになってしまった。

 さらに、一部のマスコミがコロナをあおる報道を繰り返し、この異常な動きを加速している。筆者は、こうした各方面の動きの相乗作用によって、事実や科学、法律を無視するというあり得ない事態が生じているように思える。

 こうした動きのさらなる背景として、新型コロナへの恐怖が人々の正常な判断を阻害しているように思えてならない。

 人は誰しも弱いものなので、未知のものに対する恐怖心がある。筆者の知人にも少なくないが、新型コロナという目に見えないものを冷静に判断できず、感情で反応するのは分からなくもない。

 100年ほど前のスペイン風邪のときも、根拠のない流言飛語が飛び交い、冷静な判断を妨げたという。今回、感情的な判断ばかりなのも、新型コロナがもたらした心理的な要因が根本にあるのだろう。

 欧米の例をみていても、ワクチン接種が進めば、新型コロナの社会的な影響は徐々になくなっていくのではないだろうか。時間だけが確実な解決策である。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

【私の論評】コロナ対策は「感染症専門家」ではなく、「リスク管理専門家」に任せるべきだった(゚д゚)!

コロナ禍でのマスコミの煽りに関しては、良いことではないですが、マスコミにありがちなことです。昔からいわれているように「犬が人を噛むのはニュースにはならいが、人が犬を噛むのはニュースになる」という具合に、マスコミがある程度煽るのは、致し方ないところもあると思います。

ただ、正直言って「感染症専門家」に関しては、ほんとうにがっかりしたというのが正直な感想です。コロナが心配だから、五輪開催はしないほうが好ましいとか、開催するなら無観客で実施したほうが良いということは、誰にでも理解できることだと思います。これは、小学生でもわかります。

政府や東京都など、責任のある立場の人たちが知りたいのは、コロナ禍にあっても、どのくらいのリスクをとりつつ、それに対処して、五輪を有観客で開催できるかということだったと思います。

緊急事態宣言も同じことです。現在コロナ患者数が増えているから、緊急事態宣言をしたほうが望ましいということくらい、感染症に関するまっさらの素人でもわかります。そうでなくて、どのようなリスクをとりながらも、それに対処しつつ、緊急事態宣言を出すのか、出さないのかを決めるべきなのです。

企業経営に直接かかわる経営者なら、これは理解できると思います。リスクがあるからといって、最初から企業活動を放棄していては、会社が潰れてしまいます。かといって、リスクを無視して企業活動を続ければ、これも危険です。事前にどのようなリスクがあり、そのリスクをできるだけ低減しつつ企業活動をなるべく制限しないで続ける方策を見つけたいと思うでしょう。

ふりかえってみると、東大日本大震災のときの原発事故による放射能に関する問題でも、同じようにいわゆる専門家といわれる人々にも似たような傾向がみられたと思います。

今回のコロナ禍では、いわゆる専門家という人たちは、こうした要請には答えられなかったことが明らかになりました。

しかし、やはりコロナ禍や放射能等の不安に対処するには、特に政府や、自治体が対応するためには、それなりの専門家が必要であると思います。無論、感染症や、放射能医学の専門家も必要ではありますが、私はこれをメインにするのではなく、「危機管理(Crisis Managment )」と「リスク管理(Risk Management)」の専門家をメインにすべきと思います。


「リスク管理」(Risk Management)の基本は、想定されるリスクが“起こらないように”、そのリスクの原因となる事象の防止策を検討し、実行に移すことです。リスク管理では、想定されるあらゆるリスクを徹底的に洗い出し、そのリスクが発生したらどのような影響があるかを分析します。

そして、それぞれのリスクについて発生を抑止するための方策を検討し、影響度の大きさに従ってプライオリティをつけて、リスク防止策を実行します。つまり、究極のリスク管理は、想定されるリスクを予め抑え込んでしまうことと言えます。

一方、「危機管理」(Crisis Management)は、危機が発生した場合に、その負の影響を最小限にするとともに、いち早く危機状態からの脱出・回復を図ることが基本となります。もちろん、防げる危機であればその発生を防ぐことが望ましいのですが、自然災害や外部要因による人的災害や事故などの中には、自助努力で防ぎえないものも多くあります。

危機管理においても、リスク管理と同様に、起こりうる危機やそれに伴うリスクをリストアップすることが必須となります。しかし、危機管理の大きな特徴は、危機が発生したときに何をすればその災害や影響を最小化できるか(減災)、危機からの早期回復のためには何をすればよいかということが、検討の中心になるということです。

つまり、危機は「いつか必ず起きる」という大前提に立って検討を進めることが、危機管理の第一歩なのです。

リスク管理と危機管理、2つの管理活動は内容こそ違うものの、まったく別の管理活動と考えるのではなく、現在では一体型のリスクマネジメントとして取り組むことが重要です。

細かい不確定事象をリスク管理で回避し、大規模な自然災害やサイバーテロを危機管理で乗り切り、といったように単純な線引きはできませんが、国や自治体のリスク管理と危機管理の管理範囲を明確にすることで、双方の管理組織がそれぞれの責任を果たしながら相互に連携することで、より高度なリスクマネジメントを実施できるでしょう。

最近は暑い日が続いています、2m以内に人がいない屋外ではマスクを外すことを専門家もアドバイスしています。これはリスク管理の観点からも正しい判断だと思います

さらに、現代の組織に重要だと考えらえているのが「能動的リスクマネジメント」です。能動的リスクとは「自らが覚悟して取るリスク」のことです。ちなみにその反対となる、「自然と起こったリスク」を受動的リスクと呼びます。能動的リスクと受動的リスク、組織にとって管理しやすいのは間違いなく能動的リスクです。

自らが覚悟してリスクを取るため、そのリスクについて対応策を十分に考えた上で行動できます。事業活動の中には回避できないリスクも存在します。その際に、複数のリスクの中から影響度が少なくかつコントロールの利くリスクを取捨選択することで、重大なリスクを回避しつつ、リスクにより発生する影響を最小限にとどめられます。これを、能動的リスクマネジメントと呼びます。

リスク(Risk)は「絶壁の間を船で行く」を語源としています。要するに、危険を覚悟して突き進むという意味です。昨今ではリスクを単なる不確定事象と考えていますが、「組織が覚悟して冒す危険」と視点を変えてみるだけで、既存のリスク管理とはまったく違った管理活動が実施できるはずです。

この能動的リスクマネジメントこそ、昨今発生し続ける感染症や放射能から戦争などの不測の事態から国民をまもるリスクマネジメントなのです。

能動的リスクマネジメントを実施するにあたり、まず大切なことは「リスクごとに優先度を付ける」ということです。リスクによって発生する確率と、発生した際の影響度は違います。すべてのリスクを管理しようとなると、かなりの工数により膨大な投資と労力が必要です。そこで、効率良く能動的リスクマネジメントを実施するために、リスクごとに優先度をつけるのです。


上表は、リスクの発生確率と影響度から各リスクを評価するための一例です。発生確率と影響度を7段階で表し、2つの掛け合わせた数値からリスクを評価します。リスクは25段階の数値で評価され、数値は1.0に近いほど対応優先度の高いリスクということになります。

こうしたリスクを評価し、優先度をつけると早急に対応すべきリスクが明確になり、リスクマネジメントを効率良く行えます。さらに、リスクが避けられない場合は同種のリスクの中から最も危険性の低いリスクを選択することができ、能動的リスクマネジメントを実現するキーポイントにもなります。

このような能動的リスク管理ができれば、五輪の「有観客」開催もできた可能性があったのではないかと思います。

今後、感染症や放射能、戦争への脅威や、その他の社会に大きな悪影響をあたえる災厄がありそうな場合や、不幸にも起こってしまった場合は、リスク管理、危機感の専門家を中心とした専門家会議を開催するようにし、感染症、放射能のようなその分野の専門家は、その専門会議の中に一部として加わるか、別の専門家会議を開催して、危機管理の専門家会議にアドバイスをするなどのことをすべきと思います。

あまり良いたとえとも思えませんが、たとえば戦争のリスクが発生したときに、軍事専門家や平和研究の専門家をメインとした会議を開催したとしても、うまくいくはずがありません。やはり、リスク管理、危機管理の専門家に議論させ、その議論をたたき台としつつも、最後は政府や自治体が意思決定すべきと思います。

意外と「いじめ」の問題などでも、いわゆる教育専門家などよりもリスク管理・危機管理の観点から考えたほうが、打開策を見いだせるかもしれません。

今後も感染症、放射能、自然災害など未曾有の危機が起こる可能性は十分にあります。社会に甚大な影響を及ぼすリスクに関しては、リスク管理・危機管理の専門家に対応策を検討させる体制を整えるべきです。

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