2022年4月8日金曜日

ウクライナ危機はやはり自由主義を守る戦争―【私の論評】日本人にとっても、自由民主主義は守り抜く価値がある(゚д゚)!

ウクライナ危機はやはり自由主義を守る戦争

岡崎研究所

 著書『歴史の終わり』で有名な米国の政治学者フランシス・フクヤマが、フィナンシャル・タイムズ紙に3月4日付で‘Putin’s war on the liberal order’と題する論説を寄稿し、民主的価値はプーチンのウクライナ侵略の前から脅威に晒されていた、しかし今や1989年の精神を呼び覚ますべきだ、と述べている。



 フクヤマの主張は、
①自由主義の秩序は、プーチンの前からポピュリズムや独裁者など社会の左右から攻撃を受けてきた。
②ウクライナの危機は自由な世界秩序を当然視できないことを明確にした、闘わねば消滅する。
③プーチンが負けても自由主義の「仕事」は終わらない、その後に中国やイラン、ベネズエラ、キューバ等が控えている。
④自由主義の精神はウクライナで生きている、その他の国の我々も徐々に覚醒している。
ということで。フクヤマの自由主義への強い信念と中国など反自由主義国に対する強い危機感が印象的だ。

 ウクライナ戦争につき「これはロシアの戦争ではない。プーチンの戦争だ」という見方がる。確かにその側面は強いが、ロシアのシステム、社会の問題も大きい。ロシアが民主主義であったならば、今回の侵略のようなことは起こらなかっただろう。

 ロシア国内の民主化の動きが注目される。3月14日夜には、国営テレビの放送中に同テレビ局関係者が「戦争反対」の看板を掲げてニュース・キャスターの後ろに立った。冷戦終了後の民主化、自由主義の芽は、いくらプーチンが摘もうとしても確実に育っているのだろう。

 世界から真実を伝えていくことが重要だ。元加州知事のアーノルド・シュワルツェネッガーが3月17日付アトランティック誌サイトに、「ロシアの友人へのメッセージ」と題し、ウクライナ戦争の真実を発信している。音声メッセージも付いたパワフルな発信だ。

やはり、「歴史は終わらない」

 フクヤマは、近々新著「自由主義とその不満者達(Liberalism and Its Discontents)」を出版する。フクヤマは1989年にナショナル・インタレスト誌に論文「歴史の終わり」を発表、世界に大きなインパクトを与えた。しかし、世界ではその後もウクライナを含め武力紛争が絶えない。フクヤマは、今回の記事で、間接的ではあるが、ウクライナ侵略を多くの人が「歴史の終わり」の終わりを画するものだと見ていると述べる。

 なお、フクヤマの後93年にはサミュエル・ハンティントンが、論文「文明の衝突か?」等を出し、歴史は終焉しないと主張した。当時日本を含め多くの学者達がハンティントンの議論について学問的でない等と辛辣な批判をした。こうした批判は不合理だったように思われる。「冷戦後の世界の紛争は文明間の紛争になるのではないか?」とのハンティントンの問いかけは重要だったと言ってよいだろう。

 残念ながら国際社会から紛争は無くならない。その意味で「歴史は終わらない」のである。しかし、ベターなイデオロギーがない以上、長期的に自由主義は勝利するだろう、そうであっても、自由主義を守る闘いを続けていくことが必要だ、とのフクヤマの主張に異論はない。とりわけ、権威主義的な大国である中国による脅威の増大を抱え、自由主義秩序の維持は死活的に重要な問題である。

【私の論評】日本人にとっても、自由民主主義は守り抜く価値がある(゚д゚)!

フクヤマの『歴史の終わり』を、単に冷戦中に考えられたアメリカの一方的な政治観だと切り捨ててしまうのは間違いです。

フクヤマの議論は、自由民主主義に対抗できるイデオロギーが現代でも出てきていないことを考えると、いまだに説得力がある議論だからです。

また、『歴史の終わり』はその後の国際政治学に大きな議論を巻き起こしており、国際政治を学ぶ上では必ず知っておくべき思想です。


フクヤマの議論の要点は、
  • 自由民主主義は最良…自由民主主義に対抗できるイデオロギーは存在しない
  • 自由民主主義は普遍的…あらゆる歴史、文化、文明を持った国家に適合する
  • 自由民主主義は永遠…今後は自由民主主義が最高のイデオロギーとして一貫し、滅びることはない
ということです。

自由民主主義という単一のイデオロギーをここまで支持するのは、もちろん理由があります。

ハンチントンによると、自由民主主義が優れている理由の一つは、国内で大きな政治問題があった場合に最も柔軟に対応できるのが、自由民主主義国家だからということです。

なぜなら、自由民主主義国家は、普通選挙によって問題のある政党を政権交代させることができるため、国家全体が破滅することがないからです。

しかし、「それでも、共産主義に代わる別のイデオロギーが登場する可能性があるのでは?」と思われるかもしれませんが、これもフクヤマはないと考えました。

なぜなら、イデオロギーは歴史上、その他のイデオロギーと対抗し、互いに吸収・止揚してきて、その最後のイデオロギー闘争だったのが「共産主義VS自由民主主義」だったからです。

対立するイデオロギーの止揚を繰り返した結果、最後に残ったのが自由民主主義なのだから、今後対抗する概念が登場することはないのだ、とフクヤマは主張しました。

さらに、自由民主主義は他のイデオロギーに比べて経済発展に貢献すると考えました。

フクヤマは、シーモア・M・リプセット(Seymour Martin Lipset)の説に同意し、安定した民主主義と経済発展には強い相関関係があると考えました。

しかし、高度な経済発展は自由民主主義だけでなく、開発主義的な権威主義国家(国家が強く経済を統制し経済成長させる中国などアジアに多く見られる体制)にも行き着く可能性があります。

これに対し、フクヤマは確かに短期的には開発主義国家が発展するが、長期的には結局自由民主主義国家の方が発展するのだと考えました。

なぜなら、権威主義的国家は利益団体が政治と癒着し、国家が非効率な産業を保護することにより、経済発展が遅れるようになるからです。

そのため、結局は自由な経済活動が認められ、国家が経済に介入しない、自由主義的な民主主義国家が優れている、というのがフクヤマの主張です。

フクヤマは、ヘーゲルの「最初の人間(他人に認められるために、命を脅かすような行動すら行う)」に対して、「最後の人間(何かを犠牲にする覚悟はないが、承認を求めて衝動的に行動する)」という人間観を主張しました。

ヘーゲルが唱えた「最初の人間」は、名誉のために生存本能に反した闘争を行い、その勝敗が階級社会を生んだ(それが「歴史の始まり」だった)という議論です。

これに対して、フクヤマの「最後の人間」は、ニーチェ哲学の概念で、
最初の人間のような名誉を求めて闘争するような勇気は持たないし、命を懸けて行動するような覚悟もない。しかし、承認を求めて衝動的に行動してしまうのだ
と考えました。

例えば、現代においても天安門事件やタハリール広場、またテロ活動のように、命を投げ出して行動する人々がいます。これを認知を求める闘争と言います。

自由民主主義が優れているのは、この「認知を求める闘争」に寛容だからです。

共産主義は、この個人への認知を与えず、人々を画一的に扱います。そのため、共産主義は政治を動かすエネルギーを失い、崩壊してしまったのだ、とフクヤマは主張します。

フクヤマは、このような人間観に基づいて、歴史を、
  • 人間の「認知を求める闘争」であり、イデオロギー闘争である
  • 多様なイデオロギーが自由民主主義に向かって弁証法的に発展していったものである
と考えました。

よく考えてみてください。

なぜ戦争は、何百万人も殺戮し国土を灰にしてしまうほど苛烈になってしまうのでしょうか?また、冷戦期のように地球を何度も滅ぼせるような兵器を作ってしまうのはなぜでしょうか?それほどのエネルギーがあるのであれば、産業の発展に投資して経済成長させた方が良いとは思いませんか?

しかし、このように合理的に行動できないのが人間の本性なのだ、とフクヤマは考えました。

フクヤマは、それが人間の本性である「認知を求める闘争」だと考えます。人間は、「自分のことを知って欲しい!」という「認知」をモチベーションにして行動し、その結果として歴史が発展するということです。

この人間本性があるからこそ、人間は時に非合理的な行動をとりそれが歴史を動かしていくのです。

つまり、合理的選択ではなく、精神的なもの(=イデオロギー)が歴史を発展させ政治を動かすということです。

このように、フクヤマは歴史をイデオロギーの闘争としてとらえたのですが、さらに歴史を「自由民主主義に向かって弁証法的に発展する」ものだとも考えました。

このように言うと、

「ヘーゲルやマルクスが行った古い議論では?」

「アメリカの価値観を最高のものと考える自民族中心主義では?」

と思われるかもしれません。

しかし、フクヤマの考えはそうではありません。

上で解説したような理由から、自由民主主義は他のイデオロギーに対して客観的に優れたものだと考えられるし、事実、自由民主主義体制の国家は増えています。アメリカが太平洋戦争における日本や、冷戦におけるソ連に勝利できたのは、自由民主主義という普遍的なイデオロギーを持っていて、国民の支持を得ることができたからだ、とフクヤマは考えました。

そのため、イデオロギー闘争は自由民主主義の勝利によって終結し、イデオロギー闘争という歴史は終わったのだ、と主張したのです。

しかし、フクヤマは自由民主主義の勝利によって生まれる問題点も指摘しました。

それが以下のものです。
  • 歴史が終わることで人々は闘争する理由を失い、歴史を発展させるエネルギーを失ってしまう
  • 自由民主主義の浸透によって共同体的な価値観が崩れ、「人間の尊厳は何によって構成されているのか?」ということについて合意できなくなる
こうした『歴史の終わり』において行われたフクヤマの議論は、その後批判されるようになりました。

冷戦終結によって、確かに自由民主主義がイデオロギーとして勝利しましたが、その後大きく経済発展したのは、中国をはじめとする開発主義的・権威主義的体制のアジアの国家だったからです。

アメリカより統制的な経済体制であったり、そもそも民主主義でもない国家が大きく成長したのです。

また、『歴史の終わり』的に自由民主主義が唯一のイデオロギーだと考える思想は、アメリカの価値観を普遍的なものと考え、それを国際政治に介入する理由にするネオコン的な思想にも繋がります。

こうした理由から『歴史の終わり』は厳しく批判されたのです。

とはいえ、フクヤマの議論後には「イデオロギー闘争の終焉」に関する議論が行われ、特にフクヤマの師匠であるハンチントン『文明の衝突』は有名です。

それに、体制としては開発主義的国家が成長しましたが、それらの国家が普遍的なイデオロギーを生んでいるとはいえず、依然として自由民主主義が世界で普遍的で理想的なイデオロギーと考えられています。

この点で、フクヤマの議論はすべてが間違っていたとは言えませんし、その後の議論を生んだ点意義があるものだったのです。

ソ連崩壊後も、世界には戦争が絶えませんでした。そうして、現在はロシアがウクライナに侵攻しています。

フランシス・フクヤマ氏は、ロシアのウクライナ攻撃が始まった直後の2月26日、台湾の大学が開催したオンライン講演で力を込めて語りました。 

フランシス・フクヤマ氏

「ロシアのウクライナ侵略はリベラルな国際秩序に対する外部からの脅威であり、全世界の民主政治体制は一致団結して対抗しないとならない。なぜならこれは(民主体制)全体に対する攻撃だからだ」 

『歴史の終わり』の趣旨からすれば、今回のウクライナ出兵は予想外のものであり、民主主義の拡張と経済相互依存が世界を支配するという未来への想像を打ち砕くものでした。 

ただ、フクヤマは2015年ごろから主張を修正し、中国による科学技術を駆使した高いレベルの権威主義体制には成功のチャンスがあり、「自由主義世界にとって真の脅威になる」とも述べていました。 

フクヤマは今回の講演のなかで、台湾に対する中国の武力行使は、近年の国際環境の変化とウクライナ情勢によって「想像できない事態から想像しえる事態になった」とし、ウクライナと比べると台湾は自ら戦う決意が弱いように見えており、「もしも自らのために戦わなければ、台湾は米国が救いにくると期待することはできない」と述べました。これは台湾への叱咤激励であり、警告でもありました。 

台湾の世論調査では、6割以上の人は台湾が侵略を受けた場合は武器を取って戦うと答えています。一方、台湾社会は、世界が心配するほどには、中国の武力行使を不安視しない傾向がありました。

ウクライナ戦争で新たに焦点となった問題で、中国が攻撃した場合に米軍が台湾を支援するかどうかという長年の議論があります。これについて米国は「戦略的あいまいさ」で明確な回答を示していないです。

与党民進党で国防・外交委員会の委員を務める羅致政議員は、米政権が先週、ロシアのウクライナ侵攻直後に元政府高官のチームを台湾に派遣したことについて、米国は当てにならないという考えを払拭する狙いがあったと主張しました。

「海峡の向こう側と台湾の人々に、米国は信頼できるというメッセージを送った」と、党のポットキャストで8日に述べました。

半導体の主要生産国である台湾は、その地理的、サプライチェーンの重要性から、ウクライナとは異なることを望んでいます。

しかし、バイデン政権は繰り返しウクライナへの派兵を否定しており、台湾の一部では不安も広がっています。

かつて大陸委員会副主任を務めた台湾・中国文化大学の趙建民氏は、「台湾の人々は本当に欧米諸国が助けに来てくれると思っているのだろうか」と疑問を呈しました。

フランシス・フクヤマ氏の主張するような、「歴史の終わり」はいつか来るのかもしれません。ただ、現状はまだ歴史は終わっておらず、少なくともここ数十年くらいは来そうにもありません。

であれば、我が国日本も、それを前提として行動しなければなりません。産経新聞の記者の阿比留瑠比氏が、興味深いツイートをしていました。

これが多くの高校生の典型的な反応だとは思いたくありませんが、日本では自由主義が隅々まで行き届き、フランシス・フクヤマ氏がいう「最初の人間(他人に認められるために、命を脅かすような行動すら行う)」はいなくなり、「最後の人間(何かを犠牲にする覚悟はないが、承認を求めて衝動的に行動する)」ばかりになっているとしたら、恐ろしいことです。

彼らには、逃げた先に何が待っているのか、そうして逃げた後の自分たちの町や、学校がどうなるのか、想像もつかないのかもしれません。

ロシアがウクライナに侵攻した今日、中国、ロシア、北朝鮮などの全体主義国家に囲まれている日本は、いつ戦争に巻き込まれるかなどわかったものではありません。

ウクライナで苦戦しているロシアをみた中国は、最初に軍隊を海上輸送して、それで制圧して占領するなどという行動をとらないかもしれません。

極端なことをいうと、最初に、自分たちの役に立つと思われる、工場や、研究開発施設などは外して、そのほかの人口密集地や米軍の基地や、自衛隊の基地等に戦術核を打ち込み、さらにサリン等を撒いて、大量に人々を殺傷して、その後に軍隊を送り込むなどということをするかもしれません。

これに対して米国は反撃するでしょうか。あるいは、自らの危険を顧みずに、日本のために、中国に対して核攻撃をするでしょうか。それは、確かであると誰も確信を持っていうことはできないと思います。

そうなった場合、どこに逃げて、どこで生活の糧を得て、どこでどのような生活するというのでしょうか。どこに逃げようと、現在普通に思われているような生活が、まったく崩壊してしまうだけではなく、命の危機さえあるのです。

ドラマ『日本沈没 希望のひと』より関東沈没のシーン

昨年「日本沈没 希望の人」というテレビドラマが放映されていました。私は、Tverで見ましたが、日本の沈没することが明らかになった後に、日本政府は世界中に日本人の町をつくることを世界中の国々にお願いしていました。そうして、その中には中国もありました。

そうして、いずれの国に行くかは、自ら選べず政府の抽選になるというストーリーでした。自分が、その場にいたらどうするだろうかと考えました。そうして出した結論は、中国に行くことが決まったら、自分はそれを拒否して、日本に残るだろうとと思いました。

中国などに行けば、ウイグル人やチベット人などのジェノサイドが行われていますし、ゼロコロナ政策などで、漢族ですらもかなり迫害されているのですから、日本人である自分が行けばどうなるかなど、容易に想像がつくからです。

そのような悲惨な目にあうくらいであれば、自分はそのまま日本に残るだろうと思いました。

 そうして、このドラマは意外な方向に展開しました。日本は予想どおりに沈没したのですが、何と九州と北海道は残ったのです。

これは、ドラマの話なのですが、それにしても、自分がこのドラマと同じ状況におかれていたとしたら、私が現在住んでいるのは札幌ですから、これは大正解だったことになると、思いました。

まさに、「希望の人」になることができるのです。中国に行ってでも、当座の命を守りたいのか、日本に残って、たとえ生命を失ったとしても日本と運命をともにするかは、個々人の価値観によるでしょうが、それにしても中国に行けば何の希望も持てないでしょうし、命の危険にもさらされることになるでしょう。

しかし、日本の残ったこと、それも運良く北海道に残れば、次の希望が持てるということです。このようなことは現実の世界でもあり得ると思います。人は貧乏であれ、たとえ危険であったにしても、先に希望が持てれば、苦難や自らの死の危険をも乗り越えていくこともできますが、希望を失えばすぐに活力を失います。

日本人は自由民主主義を守るために、「最後の人間」ではなく「最初の人間」になることを選ばざるをえない局面もあるということを認識すべきと思います。そうして、現在の自由主義体制が他国によって奪われたら、どのような運命が待っているのか、想像力を養う教育も欠かせないと思います。

日本人にとっても、自由民主主義は守り抜く価値があるのです。それには、上で述べたようなことを知らなくても、想像力を働かせれば、誰にでも理解できるはずです。

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