2022年5月2日月曜日

「戦争反対」しか言えない連中は卑しい 「生きるべきか、死ぬべきか…」多くの日本人が知らない『ハムレット』の続き―【私の論評】ねじ曲がった憲法解釈から生まれた「すべての戦争に反対」という考えは根底から間違えている(゚д゚)!

ウクライナの教訓


自衛官は、日本と国民を守るために日々任務と訓練を続ける

 ロシアによるウクライナ侵攻の教訓として、多くの論者が「自分の国は自分で守る」重要性を語る。しかし、不安が募る。この国は大丈夫なのかと。

 NHKはじめ地上波には、ウクライナの応戦を批判する大学教授や弁護士コメンテーターが連日出演する。BS放送も例外でない。

 東大先端科学技術研究センター専任講師の小泉悠氏が、男性司会者に次のように問うた。「自国が侵略されたときに、国民が抵抗するのが、そんなに不思議ですか」(3月16日放送)。後は推して知るべし。

 問題はメディアだけではない。当初、在日ウクライナ大使館がツイッター上で、「自衛隊など専門的な訓練の経験を持つ人」を対象に「義勇兵」を募ったが、日本政府は「ウクライナ全土に退避勧告を発しており、目的のいかんを問わず渡航を止めていただきたい」と冷や水を浴びせた。

 ならば、現地で取材を続ける日本人特派員らはどうなのか。なぜ、NHKにも「渡航を止めていただきたい」と言わないのか。

 あるいは、ウクライナが組織した「ITアーミー」への〝リモート義勇兵〟なら許されるのか。それとも、日本政府はサイバー空間での〝参戦〟すら止めるのか。あるいは平和憲法がそれを許さないのか。

 日本には、米電気自動車大手テスラのイーロン・マスク最高経営責任者(CEO)らと交渉した、ウクライナのミハイロ・フェドロフ副首相(兼デジタル担当)のような政治家もいない。それどころか、パソコンも使えない高齢者が平然とIT担当相に就く。

 最大の問題は、命と平和の大切さだけが語られる日本の現状だ。

 例えば、「人間は避けることのできない死を避けようとして、避けることのできる罪を犯す」(アウグスティヌス)とは、決して考えない。

 ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は英議会での演説で『ハムレット』を引き、「生きるべきか、死ぬべきか」と問うた。だが、後に続く以下のセリフを、多くの日本人は知らない。

 「どちらが男らしい生きかたか、じっと身を伏せ、不法な運命の矢弾を耐え忍ぶのと、それとも剣をとって、押しよせる苦難に立ち向い、とどめを刺すまであとには引かぬのと、一体どちらが」(シェークスピア『ハムレット』新潮文庫)

―いまは「男らしい」ではなく、「高貴な」と訳した方がよいかもしれない。

 いずれにせよ、英国エリザベス朝時代を代表する作家と、(国際法上許された自衛権行使すら批判する)令和日本の学者やコメンテーターとの乖離(かいり)は本質的である。

 「戦争反対」しか言えない連中は男らしくない。いや、高貴でない。つまり卑しい。

 「自分は守るが他人は助けない」。命が助かれば、それでよし…。何とも卑しい。少なくとも私は剣を取り、後には引かぬ。 =おわり


■潮匡人(うしお・まさと) 評論家・軍事ジャーナリスト。1960年、青森県生まれ。早大法学部卒業後、航空自衛隊に入隊。第304飛行隊、航空総隊司令部、長官官房勤務などを経て3等空佐で退官。拓殖大学客員教授など歴任し、国家基本問題研究所客員研究員。著書・共著に『安全保障は感情で動く』(文春新書)、『誰も知らない憲法9条』(新潮新書)、『尖閣諸島が本当に危ない!』(宝島社)など。

【私の論評】ねじ曲がった憲法解釈から生まれた「すべての戦争に反対」という考えは根底から間違えている(゚д゚)!

日本でのウクライナ戦争への反応で目立つのは「戦争反対」の声です。村上春樹氏のような著名な作家までもが「ウクライナでの戦争に反対!」と主張する活動を展開しています。

日本での「戦争反対」の源流をたどれば、日本国憲法の異様な解釈にぶつかるでしょう。憲法9条は日本に対して戦争を禁じ、交戦権を否定し、戦力の保持をも禁止していると思い込む人が多いからです。

しかし、この考えは、昨日も指摘したように、根本的に間違いです。

国連憲章にも明示され、パリ不戦条約にまで遡る「国際紛争を解決する手段としての戦争の放棄」を憲法典に盛り込んでいる国は、日本以外にも多数あり、それらの国々は軍隊を持ち、無論自衛権を放棄していません。日本だけが特異なねじ曲がった憲法解釈をしているだけです。これはもうやめるべきです。

なぜそのこのようなことがほとんど気づかれないで、日本は自衛権を放棄しているとか、自衛隊は違憲であるなどという間違った憲法会社が日本には横行しているのでしょうか。

それは、無論昨日も掲載したように、日本の根性がひねまがり、頭がいかれた憲法学者らの責任も大きいことでしよう。

しかし、それだけではないです。日本の主流といわれる憲法学者らの、憲法解釈が、異常であることなど、少し他国の憲法をみてみたり、国連憲章やパリ不戦条約をしらべてみれば、誰もが容易に理解できることです。

しかし、多くの人、特に上の記事にもある、「戦争反対」しか言えない卑しい連中は、憲法学者のねじ曲った憲法解釈を鵜呑みにして、何ひとつ疑うこともなく「国民として、とにかく戦うことは一切、禁止というのが日本国憲法の真髄である」と思い込み、「戦争反対」と叫ぶための根拠としているのです。


この「戦争反対」の概念には「平和」という言葉が一体となって、からんでいるようです。平和のために戦争を止める、その平和こそ人類、あるいは人間にとって最高至上のあり方なのだ、というわけです。現在の日本で作家の村上春樹氏のような人たちはそのような日本の基準をウクライナにも当てはめ、「戦争反対」を叫んでいるのでしょう。

しかし、ウクライナに対して、「戦争反対」、つまり戦うことを止めろと、号令をかければ、自国の防衛に命を賭けるウクライナの国民、あるいは軍人に対して、ロシアへの抵抗をもう止めろ、と命じることに等しいです。

現在多くの国々の人々が、ウクライナ情勢に関して反対しているのは戦争自体に反対ではなく、ロシアの侵略です。ロシアによるウクライナへの侵攻です。侵攻とは、挑発もされないのに、先制武力攻撃を行うことです。プーチンは色々と言い訳をして「ウクライナが先に挑発してきた」と言っているが、国際社会の圧倒的多数は「それは挑発と認められない」と評価しています。まず起こるべき声は「侵攻」のはずです。

この侵攻に対して、日本流に「戦争はよくないから」と非戦を実行すれば、戦争をためらわないロシアの意図どおりになってしまうだけです。

ウクライナが戦いを止めれば、ウクライナという国家が失わてしまいます。国民の自由や独立、自主性、主体性、そして国家としての主権もなくしてしまうのです。戦争さえなければ、それでもよいのでしょうか。無抵抗、そして全面降伏となる戦いの停止を求めることは、当事者からすればあまりに無責任です。

ウクライナの国家も国民もロシアの侵略に直面して、戦ってその侵略を防ぐという道を選んだことは明白です。にもかかわらず、遠い日本にいて、戦いを止めろ、と声をかけるのは、あまりに無責任な言動だといえます。浴びせるべきはロシアであり、プーチンであり、それも「戦争反対」ではなく「侵攻反対」であるべきです。

ウクライナ軍 女性兵士

日本は、戦後の「戦争反対論」や「平和主義」を再考し、「戦争反対」などの言動は破棄すべきです。なぜなら日本の「戦争反対」や「平和を」という主張はすべての戦いを否定するという立場に立脚しているからです。

しかし国家であろうとも、人間の集団や個人にしても、生存していくうえで、その生存自体への危機や脅威とも戦ってはいけないとなれば、それは命を脅かすものに対して格好の理屈、理由を与えるるだけ、あとは死を待つのみです。

人間が自分を守るために戦う。これは国ならば個別の自衛権の発動です。人間が愛する他者を守るために戦う。これは国ならば集団的自衛権の発動となります。人間はさらに正義を守るためにも戦う。これが同盟の考え方であり、国連の平和維持活動の実践でしょう。

しかし日本の憲法9条は、ねじり曲がった憲法学者の解釈により、上記のいずれの戦いも禁じているように解釈しています。これは無理もないかもしれません。日本国憲法の異常な解釈は、その目的のために作られたからです。そうして、米国はそのことを知りながらも、日本を弱体化するという立場から、それを許容し放置してきたのだと思います。

しかし、このような認識は空想に過ぎず、世界の現実には戦って守るしかないという状況がいくらでもあることは、あまりに明白です。

しかし、いまやウクライナに「戦わなければ滅亡する」という現実の状況が出現し、日本はそれでもなお「戦うな」と叫ぶべきなのでしょうか。そんな馬鹿な話があるはずはありません。それを認めれば、中国やロシア、北朝鮮も大喜びでしょう。

憲法解釈を変更すれば、そもそもこのような要件など必要ない

特に、今の日本では左翼だけではなく、いわゆる保守層の中にも日本国憲法は「すべての戦争」を禁じていると解釈しているのか、解釈しているようにみせている人たちも大勢います。

そのように解釈している人たちは、結局こと戦争においては、左翼の人とあまり変わりないと思います。

そのように解釈しているようにみせかけている人たちは、何らかの意図があるのでしょう。それは、おそらく実質的米国が作成した「日本国憲法」が気に入らないのでしょう。その気持は良くわかります。そうして「日本国憲法」が自衛まで禁じているということにして、憲法を根本的につくり変えたいのでしょう。

もし憲法改正ではなく、憲法解釈の変更によって自衛権の正当化、自衛隊の合憲化が実現してしまえば、日本国憲法改正の論議が止まってしまい、日本人の手による「日本国憲法」が成立する可能性がなくなってしまうと危惧しているのかもしれません。

ただ、それは心配しすぎかもしれません。現行の日本国憲法は、実質的に米国によって作成されたこと、憲法9条は、日本独自のものではなく、これは国連憲章にも明示され、パリ不戦条約にまで遡る「国際紛争を解決する手段としての戦争の放棄」を憲法典に盛り込んでいるだけであり、これは他の国でも憲法典に盛り込んでいることを訴えれば、多くの人の思い込み、思い違いを是正でき、意外とそのほうが憲法改正の早道になるかもしれません。

それよりも何よりも、憲法解釈を国際法を根拠とした、国連憲章にそったものにしなければ、日本国憲法は「すべての戦争に反対」しているという思い込みは、これからもはびこり、日本国の存立自体を危うくし、憲法論議どころではなくなるかもしれません。

それに新憲法に、まかり間違えて「すべての戦争に反対」的なものが明確に盛り込まれてしまえば、日本は確実に滅びます。



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