長谷川綾様の経歴たまたま、北海道新聞の人事関係のサイトに一部公表されていたので、写真とともに掲載させていただきます。1997年8月入社。本社調査部、根室支局を経て2002年9月から本社編集局。ここから先は書かれていないですが、おそらく2002年あたりから更新されていないのだと思います。最近、東京の支局に行かれたのだと思います。
この方昨日も掲載したように、「高級店、庶民感覚と乖離」として麻生首相に噛み付きました。これに対し、首相は「庶民って いう定義を北海道新聞はよく使われるのですか。あなたは今、高級料亭毎晩みたいな話で 作り替えていますけど、それは違うだろう」と激怒。「たくさんの人と会うときに、ホテルの バーっていうのは、安全で安いところだという意識が僕にはある」などと反論しました。
http://www.zakzak.co.jp/top/200810/t2008102228_all.html
このことに関する私の考えは、もうすでに昨日掲載しましたので、私の考えを知りたい方は是非昨日の記事をご覧になってください。私の考えなど、北海道新聞への投書とか、サイトのお問い合わせで北海道新聞に発信すべきかとも思いますが、何でもそういうことをすると他の人々に聞いたところ、わざわざ家まで北海道新聞のどたなかから、お電話がかかってきて、高邁なお説教をしてくださるそうなので、私には、高邁で庶民の立場(庶民で誰ですか?)にたったお説教はいりませんので、自分のブログに掲載するだけにとどめます。
日本の政治家の良さもあげてみて?
かの偉大な、アル・ゴア氏も受賞したノーベル平和賞も狙っているのではないか思われるほど、敏腕な政治記者長谷川様は、日本の政治家の日常生活にご執心なようです。
しかし、かの経営学の大家ドラッカー氏は、「偉大な人物の召使ほどかわいそうなものはない、その人物を偉大たらしめている、属性とは全く関係のない他の属性を毎日みせつけられるのだから」と語っていました。まさしく至言だと思います。
私も、そう思います。そこでいろいろ意見を書いてみたいとは思いますが、長谷川綾さまほど高い見識のない私が書いたとしても説得力に欠けますので、ドラッカー氏の著作「ネクスト・ソサエティー」の中から引用したものを掲載していただき、その後で私の意見も付加させていただきます。
ドラッカー氏は、「ネクストソサエティー」の中で日本の官僚について以下のように述べています。ここでは、官僚と書いてありますが、私は政治家についても十分あてはまると思います。事実他の著書では、散発的にではありますが、日本の政治家や政治について似たようなことを述べています。ここでは、ネクストソサエティーのものが最も充実しているので、そこから引用させていただきます。
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日本の官僚がいかに考え、いかに働き、いかに行動するのかを理解するうえで最も重要なことは、日本にとっての優先順位を知ることである。
アメリカでは、安全保障が脅かされているときを除いて、もっとも重要ものは経済であるされる。しかし、日本にとっては、もっとも重要なものは社会である。しかも、ここで日本が一般的であって、アメリカが例外である。アメリカ以外の先進国では、政治にとって経済は唯一の関心事ではないし、もちろん最大の関心事ではもない。経済は制約条件に過ぎない。社会こそもっとも重要である。
アメリカでさえ、経済が中心的な位置を占めるようになったのは第二次大戦以降のことにすぎない。それまではアメリカも社会を中心に置いていた。大恐慌のさなかにあってさえ、ニューディール政策が目指したのは、景気回復よりも社会改革だった。だから国民も支持した。
社会優先の考え方は、おそらくフランスを除くならば、あらゆる先進国のうち日本がもっとも顕著である。外から見るならば、日本という国は社会的な絆と力強さが際立つ。事実、日本は社会的混乱を避けつつ、他の国が経験したことのない難関を何度か切り抜けてきた。
1860年代には、ペリーの黒船が180度の方向転換を迫った。2世紀にわたっ鎖国してきた世界でもっとも孤立した国が、一夜にして扉を開き、西欧化した。日本は、1954年の敗戦とその後の長い駐留軍支配の後でも、社会的に成功した。
ところが、日本人自身は、自分たちの社会が脆弱であると思い込んでいる。彼らは明治維新や敗戦時に、社会の崩壊と内戦の瀬戸際までいったことを覚えている。社会的絆としての終身雇用性も、ここに由来する。
しかし、日本の社会が強固か脆弱は別の問題である。重要なことは、日本が社会を最重要視することを当然としていることにある。したがって、もしアメリカが、特に苦境にある日本との関係においてこのことを理解するならば、日本の官僚は無用であるとの観念に今日ほど固執する必要もないのではないかと思われる。
もちろん官僚の擁護などは異説である。しかし、異説というものは、通説よりも真実に近いことが少なくないのである。
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この著作が出版されたのが、2002年、ドラッカー氏がなくなったのが2006年でした。官僚に対する批判はずっと昔からありました。ドラッカーしも上の文書だけを見ると、擁護だけてしているように見えますが、同じ著書の中で批判(先送り戦略の成功など=官僚が何もしなかったことによる成功)もしています。日本の官僚の弊害を知り抜いています。また、終身雇用制も現代では成り立たないことも他の著書で述べています。ここでは、日本が社会を最優先したことの事例として、終身雇用制を出したということです。ただし、他に変わるものがないといっているのも事実です。官僚を日本から完全に消し去ったらといってそれで、世の中が薔薇色に変わるなどという単純なことはないと思います。
さらに、政治家、官僚ともに日本の場合社会を最優先課題としてきたことは、それがうまくいったとか、失敗した事とは無関係に間違いのないことだと思います。そうして、それが日本の政治家や、官僚の良さでもありました。吉田茂氏もそのような政治家だったと思います。私が子供の頃を思い出したり、その頃の資料を今読んでみると、確かにそうでした。
しかし、ここ10年アメリカ型の自由主義経済が幅を利かせてきて、アメリカ型金融システムなどがもてはやされたため、経済ばかりに焦点をあてられるようになったのだと思います。私たちが高校・大学のころなど、金融アナリストや経済アナリストなどがテレビにでてその時々の金融経済のことなど解説するなどということはなかったと思います。私自身は、子供頃は株式相場とは賭博師の世界だと思っていました。私の親も、祖父も株式など所有していましたが、それは、滅多に売ったり買ったりをするものではありませんでした。ましてや金儲けの材料でもありませんでした。その当時、株価についても、報道はされていましたが、一般のニュースにまでしょっちゅう顔を出すということはなかったです。
それが、いつのまにか、ここ10年間で株式投資をしたり、FX取引をする人が増えました。まあ、それは、社会が豊になったということの現われでもあるので特に否定はしません。
しかし、政治家・官僚、それに他の経営者や一般の人々の頭の中まで「経済・金融」というキーワードが大きな比重を占めて「社会」というキーワードが希薄になってきたというのが実情ではないでしょうか?
特に金融危機が起こるまえ、日本はいわゆる「実体験のない経済成長」ということがいわれてきました。これは、経済・金融が最優先されて、社会がなおざりにされてきたためだと思います。
今ドラッカー氏が生きていたら、「先進国はとにかくもう一度社会を大事にすべきだ。もうすでに既存の社会とは大きく変わった社会にあわせたインフラ改革や、システム改革を急ぐべきだ、それが実体経済を立ち直らせる最短の道」だと語ったことでしょう。そうして日本に対しては、「もう一度原点に戻るべきだ」と警告を発したことでしょう。
私は、金融危機後の日本では「新たな社会」に対応するインフラ改革、システム革新が最も重要になると思います。日本よりはるかに早く、競争社会、豊かな経済を獲得した西欧諸国では、社会的絆が薄く、社会的弱者に対する救いの手などもなく、悲惨な状況が長く続きしまた。これを放置しておいて、社会的危機が生じて実体経済も駄目になったという経験をしてきました。もそのため、NPO(非営利団体)などが構築され、社会問題に体系的に取り組むインフラ・システムが早くから導入されきました。
現在の日本では、社会的絆と力が弱まりつつあり、このまま放置しておけば、社会不安を増長し、実体経済も回復しないと思います。特に、欧米に見られる大きな社会事業を実践する一大セクターである有力なNPOも存在しない日本では、これからますます社会問題がなおざりにされて社会の弱体化を招いていくと思います。私は、金融危機後には、社会を最優先課題としない政治家や官僚など無用の長物だと思います。ましてや、私服を肥やすことだけに奔走する官僚などいりません。
私は、金融危機後の日本には、もうすでに従来のものとは異なった「社会」に対するインフラ・システムの革新こそ最優先課題だと思います。このことは、麻生総理大臣のサイトで行政に対する意見を徴集していましたので、発信しました。
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私のブログでは、金融危機後「健全な社会」を作り出すことが、健全な実体経済を取り戻す最短の道であることを訴えてきました。しかし、多くの 人の頭の中「経済・金融」というキーワードで埋め尽くされ、「社会」など何も関係のないことと思っているかのようです。そんなことはありません。私のブロ グではドラッカーの「ネクスト・ソサエティー」について取り上げてみました。この中でドラッカー氏は、すでに先進諸国の「社会」はそれまでの社会とは全く 違う「異質な社会」に突入していることを強調しています。一方ではあまり関係ない ように見える、ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン氏のここ数年の辛らつな「ブッシュ批判」は、形こそ違え結局は「健全な社会」を作くるどこ ろか、壊してきたことに対する批判だったと思います。結局は、クルーグマン氏も「健全な社会」を作りだすべきことを主張していたのだと思います。もう「金 融・経済」だけでは、何もかもが八方塞になってしまいます。いまこそ、異質な社会に対応するためのインフラ革新と、システム革新が必要不可欠です。
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