2022年12月24日土曜日

今こそ民主主義の「強さ」について語ろう―【私の論評】全体主義国家が、政府の一声で何でも短期間に成し遂げられると思い込むのは幻想に過ぎない(゚д゚)!

今こそ民主主義の「強さ」について語ろう

岡崎研究所


 12月1日付のワシントン・ポスト紙に、同紙コラムニストのファリード・ザカリアが、「民主主義の弱さについては、もう十分だ。その強さについて語ろう」と題する論説を書いている。

 過去2~3 カ月、我々は民主主義の脆さを心配してきた。米国、ブラジルからスウェーデン、イタリアまで、民主主義は挑戦に直面していると思えた。しかし事実はこれらのすべての事例で、選挙は最も非リベラルな勢力の多くをおとなしくさせる効果を持ち、少なくとも今は中道が勢力を維持した。一方、我々は、その間、世界最強の独裁国で、深い構造的弱さの証を見ている。

 最も衝撃的な例は中国である。抗議の異常な波が権力に対決している。問題の中心にはコロナ政策を変えようとしない中央政府がある。これは政策決定が閉鎖的で上意下達で説明責任がない独裁制に固有の問題である。

 ロシアでは、同じように閉鎖的で無反応な政策決定がどう破局につながるかを見た。プーチンの戦争の結果、ロシアは孤立し、貧乏になっている。プーチンは最近、予備役30万人を召集した。数十万のロシア人は祖国を離れた。目標もなくコストの高い戦争なので、常に反対がある。

 イランでは、国をイデオロギーで支配する神権専制政治が見られる。イランの統治エリートは、イスラムの原理的信条は執行されなければならないと信じている。    

 対称的に、自由民主主義は国民にイデオロギーを押し付けない。人間は自分自身の幸福のあり方を選択する自由を持ち、他の人もそうであるとの深い信条がある。

 米国は、個人の権利を保護し、指導部の定期的変更を可能にし、宗教的ヘゲモニー(覇権)を防止し、大きな変化に適応できるために十分に柔軟な構造を作り上げた。

 民主主義はそれなりに壊れやすいが、今はその強さを考えるいい時である。第二次世界大戦時の英国の首相チャーチルは、民主主義は最悪の政府の形態である、ただし他のすべての形態を除外すればとの信条を持っていたが、彼の正しさは証明済みである。

*   *   *

 このザカリアの論説は時宜を得た良い論説である。

 最近、論説が指摘するように独裁制(専制政治)と民主主義のどちらがより良いのかとの問題が論じられている。しかし、ザカリアは明確に民主主義の優れた点を指摘している。彼の論に賛成である。

 プラトンは哲人政治を理想とする考え方を打ち出したが、独裁者が哲人であれば、独裁もその効率性などを考えればメリットがある。が、独裁者が哲人や賢人である可能性は大きくはない。また、権力は腐敗するのも事実である。

 プーチンは、ウクライナへの侵略で誤算につぐ誤算を重ね、ロシアをダメな国にしているが、選挙を通じて彼を退陣させることは、操作可能なインターネット投票の活用などで選挙結果を歪めて平気なので、不可能であろう。プーチンは哲人や賢人からはほど遠い。

「中国式民主主義」は民主主義ではない

 習近平は今の中国には中国式の民主主義があると米中首脳会談で言ったようであるが、共産党支配の堅持が彼の政策の中で核心中の核心である。共産党員数は中国の人口の 1 割にも満たない。こういう支配を民主主義とは言わない。習近平は宣伝で自分への個人崇拝を進めているが、同時に中国にも民主主義があるなど、よくわからない言説である。米ソ冷戦の時代に、ソ連は共産党支配の国であったが、新民主主義、参加型民主主義を唱えていた。それを思い出す。

 イランについては、ヒジャブをかぶらずに韓国でのボルダリング競技に参加した女子選手の家を破壊するなど、そのやり方は常軌を逸している。

 プーチンや習近平やハメネイの独裁制が、米国によって作り出された人権を尊重し、平和的政権交代を組み込んだ民主主義よりも体制として劣ることに疑問の余地はない。この民主主義を時代の進展に合わせて、さらに改善することが重要であると思われる。

【私の論評】全体主義国家が、政府の一声で何でも短期間に成し遂げられると思い込むのは幻想に過ぎない(゚д゚)!

民主主義が全体主義より優れていることは、このブログでも何度か主張してきました。特に、高橋洋一氏の経済発展の度合いと民主主義の度合いとの間には、高い相関関係があることは、何度かこのブログで掲載してきました。

その記事の典型的なものの、リンクを以下に掲載します。
米中「新冷戦」が始まった…孤立した中国が「やがて没落する」と言える理由―【私の論評】中国政府の発表する昨年のGDP2.3%成長はファンタジー、絶対に信じてはならない(゚д゚)!
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に一部を引用します。
開発経済学では「中所得国の罠」というのがしばしば話題になる。一種の経験則であるが、発展途上国が一定の中所得までは経済発展するが、その後は成長が鈍化し、なかなか高所得になれないのだ。ここで、中所得の国とは、一人あたりGDPが3000~10000ドルあたりの国をいうことが多い。

要するに、発展途上国が経済発展を目指し、政府主導て産業の近代化等をすすめると、確かに経済発展をするのですが、一人当たりのGDPが10000ドル前後に達するとそこから先はなかなか伸びないというのが「中所得国の罠」という経験則です。

例外はあります。たとえば、日本です。日本は、発展途上国から先進国に仲間入りしました。無論、随分前に一人あたりのGDPは10000ドルを超えています。

もう一つの例外はアルゼンチンです。アルゼンチンはかつて、先進国でした。「母を訪ねて3000里」という物語は、ご存知と思いますが、これはその当時先進国だったアルゼンチンに、イタリアの少年マルコが母を訪ねに行く物語です。


「母をたずねて三千里」は時代が1882年(明治15年)という設定です。 1882年、つまり19世紀後半のアルゼンチンがどんな様子だったかというと、スペインから独立を果たし、農業と畜産業で大いに栄え、ラテンアメリカ地域で最も繁栄した国になっていました。

当時のアルゼンチンは、一人あたりのGDPは現在価値に直せば10000ドルを超えており、先進国でした。

19世紀の欧州各国は、産業革命による工業化が進み急速に経済成長を遂げました。ところが、欧州においても経済成長の恩恵が行きわたらない地域が少なくなく、貧しさを克服できない人たちにとって産業革命は、新天地を求める動きをつくり出す「移民の時代」でもあったのです。

人口密度が高いヨーロッパで賃金があまり上昇しなかったのに対し、人口密度が低い新大陸では賃金が上昇しやすい傾向がありました。

マルコの父親は診療所を経営していたのですが、貧しい人を無料で診るなどしていたため借金がかさみました。そこで母親が高賃金を求めてアルゼンチンに渡ったというわけです。

産業革命そのものも「移民の時代」を後押ししました。航海の手段が、それまでの帆船から蒸気船にとって代わったからです。当時まだすべての面で蒸気船が帆船より優れていたわけはないですが、航行の確実性が間違いなく増し、人々の移動も貨物の運搬も飛躍的に進歩することになったのです。

ただ、このアルゼンチンは様々な不運が重なり、後に先進国から発展途上国になってしまいました。

そうして、発展途上国から先進国になったのは、世界で日本だけです。先進国から、発展途上国になった国はアルゼンチンだけです。

先進国になるのはそれだけ難しいことなのです。世界から先進国として認められるには、経済がある程度の規模がなければなりませんが、もう一つの条件は、民主化です。

さて、先の記事からまた引用します。
以上のG20の状況をまとめると、高所得国はもともとG7諸国とオーストラリアであった。それに1万ドルの壁を破った韓国、サウジ。残りは中所得国で、1万ドルの壁に跳ね返されたアルゼンチン、ブラジル、メキシコ、ロシア、南アフリカ、トルコの6ヶ国、まだそれに至らないインドとインドネシア。それに1万ドルになったと思われる中国だ。

さらに、世界銀行のデータにより2000年以降20年間の一人当たりGDPの平均を算出し、上の民主主義指数を組み合わせてみると、面白い。中所得国の罠がきちんとデータにでている。

民主主義指数が6程度以下の国・地域は、一人当たりGDPは1万ドルにほとんど達しない。ただし、その例外が10ヶ国ある。その内訳は、カタール、UAEなどの産油国8ヶ国と、シンガポールと香港だ。

ここでシンガポールと香港の民主主義指数はそれぞれ、6.03と5.57だ。民主主義指数6というのは、メキシコなどと同じ程度で、民主主義国としてはギリギリだ。

もっとも、民主主義指数6を超えると、一人当たりGDPは民主主義度に応じて伸びる。一人当たりGDPが1万ドル超の国で、一人当たりGDPと民主主義指数の相関係数は0.71と高い。

さて、中国の一人当たりGDPはようやく1万ドル程度になったので、これからどうなるか。中国の民主主義指数は2.27なので、6にはほど遠く、今の程度のGDPを20年間も維持できる確率はかなり低い。
「民主主義指数」と「一人あたりのGDP」には明らかな相関関係があり、しかも相関係数は0.71であり、これは様々な条件が複雑らからみあっている社会現象の相関係数としてはかなり高い方の部類に入ります。

これをみると、民主化とは経済発展の前提条件であり、民主主義の強さを示すものといえます。なぜそうなるかといえば、民主化により星の数ほどの中間層が輩出され、それらが、自由に社会経済活動を実施して、あらゆる地域、あらゆる階層において、イノベーションを継続的に生み出すことができるからです。

そうして、民主主義の強さといえば、最近の中国のコロナ対策のあり方がそれを、さらに裏付けています。

中国で今、かつて低評価だった「日本のコロナ対策」の評価が高まっています。

厳しい「ゼロコロナ対策」が行われていた頃、中国の国民は政府の言う通りにせざるを得ない状況でしたし、そしてそれは、成功していたように見えました。中国は都市ロックダウンなど強固な措置を講じていったんコロナを抑えこみ、それによって経済活動が順調に再開できました。

当時、日本や欧米諸国が感染防止と経済活動のバランスに頭を抱えている姿を、中国は、「政府は寝そべって国民を見捨てている」とか「我々の宿題を丸写しさえできないのだ」などと冷ややかな目で見ていました。

「アメリカは高齢者を見殺した」「日本の第7波は医療崩壊、地獄」などの報道もたびたびありました。また、今年の8月には岸田首相が感染したことが中国で大々的に報道され、「一国の首相まで感染したのか?」と話題になりました。習近平国家主席からお見舞いの電報を送られたことも報じられました。

日本でも、中国のコロナ対策を評価する声もあちこちであがっていたことは、記憶に新しいです。

ところが、ここにきて中国政府は、一気に制限を緩和。現在の中国の人々は、ハーネスをつけられた犬の状態から、突然、ハーネスを外されたようなものです。「政府の方針」というハーネスに頼って行動していれば良かった状態から、急にハーネスなしで行動する、つまり「自らの判断」で行動しなければならない状態になってしまったのです。

そこで今、中国で改めて注目され、関心が高まっているのが日本のコロナ対策です。日本のコロナ対策を紹介する中国語の記事のアクセス数が急上昇している。

民主主義国である日本は、全体主義の中国政府のように厳しいコロナ対策ができません。その中で、「自由」と「感染予防」のバランスを考えながら、政府も国民も苦労しながらコロナ対策を実施してきました。

中国人からみれば、日本のコロナ政策はゆるい、事実上の放棄だとみえていたようです。しかし実際には、日本は経済活動を中止せず、国民には自由もあり、その間、国が緊急ベッドの確保や医療設備の増加など、医療崩壊しないようにいろいろな措置を取っていました。

これに加えて、特筆すべきは、安倍・菅両政権において日本政府は、合計100兆円の補正予算を組み、様々なコロナ対策を実施したことです。その中でも、雇用調整助成金という制度も用いて、コロナ蔓延中であっても、失業率が2%台で推移したことです。これは、まさに平時の失業率と言ってもよく、他国の失業率が同時期には鰻上り上がったことを考えれば、大成果といえます。

日本では、若年層の失業率も、コロナ蔓延期だけが特に上がったということもありませんでした。

以下に、中国の都市部の失業率のグラフをあげます。


中国では、特に若年の失業率が高いことがわかります。失業率は典型的な遅行指標であり、現状の失業率は半年前の経済政策による悪影響とみるべきです。5月の失業率は、昨年11月の経済対策によるものです。ということは、昨年11月の中国政府による経済対策は妥当なものではなかったということです。

菅政権においては、コロナワクチンの接種スピードを飛躍的にあげ、医療村の反発にあって、コロナ病床の増床はあまりできなかったものの、それでも結果的には医療崩壊を起こすことなく、収束することに成功しました。これは、大成果といえます。これが、今中国から評価されつつあるのです。評価しないのは、日本のマスコミと一部の野党です。

しかし同じ期間で中国が何をしたかといえば、ひたすら「ロックダウン」や、街ぐるみで数千万人ものPCR検査を行うことに財力や人力を費やしていました。もし、これらの予算で医療資源を充実させたり、医薬品を開発したりしていたら、今の状況にはならなかったでしょう。

結局、準備がまったくできていないのに政策を転換したこと、しかも段階的でなく、一気に転換したことが大きな問題です。中国でこれから重症者や死者が爆発的に増えていったとしても、それは無理のないことです。

中国では、今になって、日本のコロナ政策は悪いものではないと認識されたようです。中国人のほとんどは、政府の言う通りに従っていただけだったといえます。しかし、自由と感染リスクの兼ね合いがいかに難しいかを今頃思い知らされたようです。

日本のコロナ対策の中でも関心が高いのが高齢者への感染対策で、現在中国の政府関係者らや介護業界からの質問が集中しています。特に、日本の高齢者へのワクチン接種率の高さが注目されているようです。

結局のところ、民主主義体制においては、全体主義国家のように人々の自由を制限することはできないものの、「自由」と「感染予防」のバランスを考えながら、政府も国民も苦労しながらコロナ対策を実施し、中国のような全体主義よりは成果をあげているのです。

民主主義には自由の確保という前提があり、これは感染症対策には障害とみられていたのですが、「感染予防」のバランスを考えながら、政府も国民も苦労しながらコロナ対策を実施してきました。それが、結果として中国という全体主義の国家のコロナ対策よりも良い結果をもたらしているのです。

これは、民主主義の強さによるものと評価すべきです。そうして、この強さは、感染症対策だけではなく、先に述べたように経済の分野でも発揮されるでしょうし、社会のありとあらゆる面で発揮されると考えられます。

多くの社会問題なども、中国などの全体主義国家では、政府が号令をかけて、資金を提供して何かの方策を実施すれば、一見すぐに解決されてしまったようにみえても、時が経つと綻びがでてきて、どうしようもなくなり、実施をとりやめるか有名無実になり、その後大混乱に至るということになるのでしょう。

中国では、建国以来毎年数万、2012年あたりからは、10万件を超える暴動が起こっているともいわれているということがそれを示しています。これを中国は、ことごとく弾圧してきました。

ただ、中国のという国は、民族、言語、社会習慣も地域ごとに異なり、地域地域による特殊事情があるため、暴動は単発で起こることが多かったので、中国はこれを今までは弾圧することができました。 

しかし、先日の「白紙革命」は、バラバラだった中国国民がはじめ中共の「ゼロコロナ政策」に対する、恐怖と憎悪という念で一つにまとまって起こされた全国同時デモであり、これには中共も弾圧はできないと判断したのでしょう。だからこそ、今回は「ゼロコロナ政策」を緩和したとみられます。

一方民主主義の国々においては、社会問題の解決もいわゆる営利・非営利の組織である民間組織が実施し、最初はその解決は困難にみえ、いつまでたっても解消しないようにみえながら、ある民間組織が何とかそれに成功し、それが最適なものであると確認されれば、同じ社会問題を抱えている他の地域の民間組織がそれを参考にして、同じような社会問題を解決したり、大きな民間組織が全国的にそれを実施したり、場合によっては政府がそうした活動に資金を割り当てたりして、加速度的に進んでいくのです。これは、全体主義国家にはできないことです。

結局、国民一人ひとりの幸福を考えた場合、経済的にも社会的にも民主主義は全体主義に勝っているし、はるかに柔軟に対応できるのです。

これこそが民主主義の強みです。全体主義国家が、政府の一声でなんでも短期間に成し遂げるられると思い込むのは幻想に過ぎないのです。

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