順序が逆…増税決定後に解散選挙 ネット上で批判噴出、自民党内からも「拙速だ」の声 岸田首相、具体的時期触れず
岸田文雄首相は27日のBS―TBS番組「報道1930」で、防衛費増額に伴う「増税」を開始する前に衆院解散・総選挙に踏み切るとの見通しを示した。増税は2024~27年の適切な時期に始まるとしたうえで、「スタートの時期はこれから決めるが、それまでには選挙がある」と述べた。増税を決定した後で「国民の信を問う」やり方に、ネット上などで批判が噴出している。
《増税を決める前にやれよ! 参院選の時には、何も言ってなかったろ》《勝っても負けても増税するという意味らしい》《これほど増税増税言った政権は未だかつて無かった》
産経ニュースが27日夜に伝えた「岸田首相、防衛増税前に『総選挙あると思う』」との記事には、ツイッターでこうした批判が寄せられていた。
いわゆる「岸田増税」の対象は、法人、所得、たばこの3つの税。増税分は防衛費増額の財源の一部となる。27年度時点で1兆円強を見込む。
日本を取り巻く安全保障環境が悪化するなか、岸田首相は5月の日米首脳会談で「防衛力の抜本的強化」をジョー・バイデン大統領に約束した。
ところが、7月の参院選で、財源や増税の是非が問われることはなかった。岸田首相は今月8日、与党税制調査会に「増税」の検討を指示し、1週間あまりでの結論を求めた。自民党内からも「拙速だ」などと批判が噴出していた。
【私の論評】新年の冒頭「増税見送り」解散で、岸田政権は長期政権になるか(゚д゚)!
増税を決めた後で、解散総選挙すれば、選挙で勝つことはできず、大敗して岸田総理は、その責任をとる形で辞任せざるをえなくなるでしょう。最長で、来年の広島サミットが終わったあたりで辞任ということなります。
これは、上の記事にもある通り、順番が逆です。一番良いのは、新年の国会の冒頭で、増税しない旨を公表して解散をし2月に総選挙をするというのがベストでしょう。
こうすれば、選挙が勝利し、岸田政権はさらに継続されることになるでしょう。それについては、高橋洋一氏が下の動画で述べています。
私自身は、岸田総理が、増税の決意を翻意しないという前提で、新年の国会前に、安倍派の閣僚が、「増税反対」の意思を表明しつつ、辞任する案を考えていました。これは無論、絶対に「増税」させないことを前提としています。
これは、かなりインパクトがあり、新年の国会が開催される前の、政府より防衛増税財源法案などが提出される前にこれを実行すれば、新年の国会は、財源法案の審議など吹き飛び、審議どころでなくなり、岸田総理は、増税を決める前に、解散総選挙に追い込まれることになります。
こうなると、選挙には大敗し、岸田総理は、その責任をとってやめることになります。そうして、総裁選が行われることになりますが、その有力候補は、茂木、河野、林ということになり、これでは残念ながら、岸田政権以下になりそうです。三人のうち誰が総理になっても、求心力は低下するでしょうし、支持率も上がることはないでしょう。
であれば、岸田総理が「増税」しないと宣言して、冒頭解散に踏み切れば、自民党にとっても、岸田総理にとっても最も良いやり方ではないかと思います。
1月に必ず開かれる通常国会や、それ以外の期間で召集された臨時国会では通常、冒頭で首相が施政方針演説(通常国会)や所信表明演説(臨時国会)を本会議で行います。
後に主に通常国会では重要閣僚(国務大臣)の演説があり、引き続き国会内の議員団体である会派(所属政党と必ずしも一致しない)代表による質問が行われ、舞台は委員会へと移ります。
冒頭解散は首相の演説さえなされず、衆議院議長が召集および開会を宣言した後に解散詔書を読み上げるといった段取りになります。
解散詔書とは閣議(首相と国務大臣の会議)で首相が解散への同意をはかり、全員が署名した閣議書を作成、皇居に運ばれて天皇陛下がサインと押印をしたもの。「詔書」とは「天皇の文書」です。慣例にしたがって紫色の袱紗(絹製の布)にくるまれて衆議院議長の下に運ばれ、議長が宣言したら解散です。厳密にいえばもう少し複雑ですが、省略します。
では日本国憲法下で、これまでに回あった「冒頭解散」を振り返ってみます。
冒頭解散は、一番最近のものは、2017年安倍政権において行われました。同年9月28日に召集された臨時国会は、安倍晋三首相の所信表明演説や各党代表質問などを行うことなく冒頭で衆院解散となりました。これは、21年ぶりことでした。解散の理由は、当時森友問題という未だに何が問題なのかも理解できない疑惑なるものがあり、安倍政権の信を問うという意味合いでした。結局このときの解散選挙でも自民党は勝利しました。
未だに、野党は「もり・かけ・さくら」にこだわっている向きもありますが、現在に至るまで、明確に安倍総理の不正行為を証明できていません。
冒頭解散をしたため、「残業代ゼロ」カジノを中心とする統合型リゾート施設(IR)整備推進法の施行を踏まえ提出したギャンブル依存症対策法案なども廃案になりました。
これ以前に行われたのは三回でした。それを振り返っておきます。
1966(昭和41)年4月ごろから東京地検特捜部のメスが入った大がかりな不正融資事件の捜査過程で、自民党所属の国会議員が逮捕されたあたりから露わになってきた「政治とカネ」問題に加えて、大臣が自身の選挙区に急行が停まるよう要請した「我田引鉄」や横領疑惑などの不祥事が連発しました。
1967年、1月29日の衆院選で、勝利した佐藤栄作首相 |
第1次佐藤栄作第3次改造内閣が成立した12月3日から始まった臨時国会(20日閉幕)は紛糾し、事態打開を図るため27日召集の通常国会(当時は12月召集でした)冒頭に解散しました。
第2次中曽根康弘第2次改造改造内閣(1985年12月成立)が打って出た「衆参ダブル選挙」です。1983(昭和58)年の総選挙で自民党が公認候補で過半数割れしたのを解散で挽回したい思惑が首相にあるというのは誰もが察知していました。通常国会中に首相は解散風を吹かせたかと思えば、「考えていない」と発言するなど観測気球を上げ続けます。
総選挙の争点の一つとみられていたのが、現在の消費税の源流にあたる大型間接税導入でした。首相は微妙な言い回しで、やる気があるようなないような発言を繰り返し、選挙中は導入しないと断言。「この顔が嘘をつく顔に見えますか」とまで言い放ちました。結果は自民の歴史的圧勝。ところが選挙後に間接税の一種である「売上税」を導入すると豹変して87年の通常国会に法案を提出します。
中曽根氏のあだ名は「風見鶏」。この解散にせよ間接税導入にせよ本領が存分に発揮されたといえましょう。
(3)1996年「小選挙区解散」
1993(平成5)年の総選挙で自民党が過半数割れ。長らく野党第一党の座に君臨した日本社会党(社会党)も大幅に議席を減らす中、この頃生まれた新党が躍進しました。新生党(創設は93年)、日本新党(同92年)、新党さきがけ(同93年)など。新生党を事実上率いていた小沢一郎衆院議員が、持ち前の豪腕で非自民勢力をまとめ上げ日本新党代表の細川護煕(もりひろ)衆院議員を担いだ非自民連立内閣成立を果たし、自民党を野へ追い落としました。この内閣の下で、衆議院の選挙区がこれまでの中選挙区制から小選挙区比例代表並立制へ変更されます。
巻き返したい自民は94年、非自民勢力から離れた社会党と、あっと驚く連立構想へ動き出します。同じく新党さきがけも加え、社会党トップの村山富市衆院議員を首班とする「自社さ連立内閣」をつくり、政権を奪い返しました。自民と社会は1955年以来の宿敵。そこと組んだばかりか首相の座まで用意した執念の奪還劇だったのです。
ただ村山政権は崩壊過程にあった社会党を基盤としていて弱体でした。解散も打たないまま退陣して橋本龍太郎自民党総裁が96年1月に跡を襲いました。
この頃、非自民勢力も集合離散を繰り返しており、小沢氏が実質的に仕切る新進党(創設は94年)と、社民党(社会党から党名変更)やさきがけの多くを糾合した96年結党の民主党などに収れんされていきます。93年の敗北から名実ともに立ち直るべく、第1次橋本内閣が96年9月27日の通常国会冒頭で解散、小選挙区比例代表並立制下で初めての総選挙で勝負に出ました。自民は議席を伸ばし第2次橋本内閣が成立します。
開票速報を見守る橋本竜太郎首相(左)と野中広務幹事長代理(1996年10月20日、自民党本部で) |
さて、今回冒頭解散を行えば、しかも「増税しない」解散を打てば、岸田政権にとっては起死回生のチャンスとなるのは間違いないです。
そうして、この選挙が終れば、もともと黄金の三年間といわれていたように、選挙はありません。岸田首相は、次の総裁選で勝てる見込みもでてきます。
増税にこだわり続けて、地獄をみるのか、増税などすっぱりやめて、長期政権を狙うのか、岸田総理の決断がそれを決定します。
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