日本医師会が「医療緊急事態」で騒ぐ本当の理由
医療が逼迫する原因は感染拡大ではない
(池田 信夫:経済学者、アゴラ研究所代表取締役所長)
12月21日、日本医師会など9団体は、異例の
医療緊急事態宣言を出した。それによると「このままでは、新型コロナウイルス感染症のみならず、国民が通常の医療を受けられなくなり、全国で必要なすべての医療提供が立ち行かなくなります」という。
たしかに医療現場は大変だろう。感染が拡大していることも事実だが、ヨーロッパでは感染爆発が起こっている。それよりはるかに死者の少ない日本で、医療が崩壊するというのは本当だろうか。
❙コロナ患者の診療拒否は合理的
まず日本の現状を数字でみてみよう。下の図のようにヨーロッパでは人口10万人あたりの累計死者が100人に達するのに対して、日本は2.4人。ほぼ40分の1である。日本で医療が崩壊するなら、ヨーロッパは全滅しているだろう。
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ヨーロッパと日本の死亡率(出所:FT.com)クリックすると拡大します |
他方で日本の医療の水準は高く、人口あたりベッド数はOECD平均の3倍で世界一だ。コロナで人工呼吸の必要な重症患者は全国で約450人に対して、人工呼吸器は4万5000台。全国的には、重症患者が医療資源の限界を超えることは考えられない。
ではなぜ医療が逼迫しているのだろうか。1つの原因は、医師の数がOECD平均の70%と少ないことだ。次の図は感染症指定医療機関の
対策病床使用率で、東京都の使用率は94%、大阪府は98%と逼迫している。
しかし全国では50.3%と、ほぼ半分があいている。兵庫県は54%、奈良県は44%、和歌山県はわずか5%なので、近隣の病院から大阪府に医師や看護師が応援するか、患者を近隣の指定医療機関に移送すればいいのだが、それはできない。医療法では、都道府県知事が医療機関に指示・命令できないからだ。
❙行政が民間病院に指示できない特殊事情 医師法の「応召義務」にも罰則がなく、昨年(2019)末に厚労省が「第1類・第2類相当の感染症については診療拒否できる」という通知を出したので、指定感染症(第1類相当)に指定されたコロナ患者の受け入れを拒否することは、民間病院にとっては合法的かつ合理的なのだ。
このため大阪府の吉村知事は、2次救急病院にコロナ患者の受け入れを要請した。公立病院は行政が受け入れを指示できるが、民間の病院は患者を受け入れる義務はないので、行政は「お願い」するしかない。
この背景には、公立病院が少ない日本の特殊事情がある。日本の医療機関数(2014年)は8442と先進国では突出して多く、しかもそのうち公立病院が20%しかない。公立病院の人員配置は国や自治体が指示できるが、民間病院には指示できないのだ。
ヨーロッパでは60~90%が公立病院である。アメリカは22%で日本とほぼ同じだが、公的医療保険が整備されていない。日本のように国民皆保険で国が医療費の7割以上を負担する国で、民間病院がこれほど多いのは奇妙である。
これは戦後復興の時期に、日本の医療が開業医中心に急いで整備され、彼らが地域の中で大きな影響力をもって公的病院の整備を阻止したためだ。ベッドや検査機器の保有台数が多いのも、このように中小企業が多いためだ。
民間病院は経営努力する点ではいいが、感染症のような緊急事態では、行政のコントロールが難しい。医療法にも医師法にも行政が民間病院に命令する法的根拠がないので、コロナは指定感染症に指定して国が規制している。
❙特措法を改正して診療拒否に罰則を しかし実は、指定医療機関にも患者を受け入れる義務はない。感染症法19条では「都道府県知事は、感染症指定医療機関に入院させるべきことを勧告することができる」と定めているだけだ。おかげで今のように一部の病院でスタッフが逼迫しても、国や自治体が他の地域から応援させることができない。
コロナ患者を受け入れると、院内感染で43人の患者が死亡した東京の永寿総合病院のようにマスコミが騒いでバッシングを受け、他の患者が寄りつかなくなるので、普通の病院は受け入れを拒否するのだ。
この問題を解決する1つの方法は、緊急時には行政が民間病院にも患者の受け入れを命じられるように特措法(新型インフルエンザ等対策特別措置法)を改正することだ。
政府は飲食店の営業停止に罰則を設けることを検討しているようだが、それより知事の要請に応じない指定医療機関に罰則を設けることが望ましい。
だがそれはできないだろう。医師会の政治力は、飲食店よりはるかに強いからだ。今のように(実際には罰則のない)指定感染症で圧力をかけるしか行政のとれる手段はないが、これは必要のない事務が膨大で、看護師が疲弊している。
医師会は一般国民に自粛を呼びかける前に、傘下の医師に呼びかけて指定医療機関を応援してはどうだろうか。これには法的根拠は必要ない。その資金は国が特措法でつければいいし、クラウドファンディングで募集してもいい。
もちろん緊急時にボランティアに頼ることは好ましくない。本来は特措法を改正して、緊急時には行政の指示に従わない医師の医師免許を停止するなどの罰則を設けることが本筋だ。医師会が本当に危機感をもっているのなら、制度改正に協力してはどうだろうか。
【私の論評】コロナ禍により人々はより物事の本質を重要視するようになり、この流れにあらゆる組織が対応を迫られる(゚д゚)!
多くの人が、ベッド数も多く、CTの装備率も世界一であり医療設備も整っているここ日本で、欧米に比較して感染者数、重傷者数、死者数もかなり低い日本で、なぜ医療崩壊の危機が叫ばれるのか、しかも医師会からそのようなことが叫ばけるのか、不思議に思っていたと思います。
私もそうでした、ただし私自身は、第三次補正予算の10兆円がつい最近まで7兆円も積み上がっていたことに問題があるのではないか思っていました。そうして、それは緊縮財政が大好きな、財務省に問題があるのではないかと思っていました。
この10兆円を使って、春の段階から、コロナ専門病を作ったり、人を養成したり、あるいは医療関係者に手厚い給付金を提供したりしていれば、十分に間に合ったと考えられたからです。それと、コロナ患者を受け入れた病院は、結局赤字になるということもあり、受け入れた病院に対して補助金を配布するなどのこともすべきとも考えました。
無論、マクロ的にはこのようなことも絶対に必要だとは思います。ただ、上の記事を読めば、これだけでは解決できないことが良く分かりました。
今回のコロナ感染のような事態が生じた場合は、特措法を改正して行政が民間病院にもコロナ患者を受け入れるられるように命令ができるようにし、さらにそれを拒否する病院には罰則を与えられるようにすべきだと思います。無論、緊急時には行政の指示に従わない医師の医師免許を停止するなどの罰則を設けるべきです。
ただ、同じ医療崩壊という形容でも、上の記事にもあるように、感染爆発のなかで、可能な例外措置をどんどん投入しつつ、救命できなかった例が多く出てきたのです。
日本の場合は感染爆発は阻止できたと言っていいでしょうし、指定医療機関の制度や指定された病床が一時的にあふれた中で、原則として柔軟な例外措置を控えたために起きた問題と言えます。
ですから、同じ医療崩壊といっても、欧米と日本の場合は全く内容は異なります。そして、全体としては日本はなんとか持ちこたえ、欧米は事態を後追いするだけで精一杯だったのは客観的事実だと思います。
それにもかかわらず、欧米の場合は知事への信頼も高く、医療従事者への称賛の声にあふれているのは、あくまで文化的な問題だと思います。日本の場合は、全体的には成功しているのに反省的であったり、批判が絶えないわけですが、これもそういう文化だからかもしれません。
こうした日本の特有の文化は、限度を超えた異常事態には弱いとも考えられ、今後へ向けての反省は必要ですが、同時にその文化が感染拡大を防いだとも言えると思います。
ただ、新型コロナウイルスの感染拡大は、すっかり多くの人々の考え方を変えてしまったと思います。どのように変えたのかといえぱ、人々に本当に大事なものは何かと、考える機会を与えたと思うのです。
例えば、サラリーマンなら「ノミニケーション」なるものが影を潜めました。これがなくても、十分に仕事はできると証明されたのです。リモートワークでもかなりのことができることに多くの人々が気づきました。
コロナ以前の研究でも、マネジャーのコミュニケーションが、通常の勤務をする人々よりも、リモートワークをする人とのほうが、深いことが実証されていました。これは、どうやら、リモートワークのほうが、マネジャーはコミュニケーションに意図的に取り組むからということのようでした。
このようなことをいうと、そんなことはない「リモートワークで上司のリモハラに悩んでいる」などという人もいるかもしれませんが、そのような上司は、リモートであるなしにかかわらず、元々コミュニケーションに等に難がある人なのだと思います。
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リモハラで悩む人もいるそうだが・・・・・ |
とにかく会社に行かなくても、仕事はできました。仕事の本質は「成果を出す」ことであり、「仕事をする時間や場所、上司や同僚との付き合いなどは従属的要素にすぎない」と明らかになってしまうとともに、仕事上のコミュニケーションの本質が多くの人々に理解されたと思います。
仕事自体も、本質的価値が問われるようになりました。例えば、あらゆる業種でいわゆる仲介業が苦労しているようです。仲介者がいなくても、求める相手は自分で探せば、ネットで見つかるということを多くの人が知るようになりました。医療体制も、パンデミックが起こったときに、それに具体的にどのように対処すべきなのかという本質が問われつつあります。
コロナ禍で学生も変わりました。国公私立大学などの学生の今年4~8月の中退率が0・38%だったことが、文部科学省の調査でわかっています。昨年の同時期と比べて0・1ポイント減とほぼ横ばいで、新型コロナウイルスによる悪影響はみられなかったどころがほんのわずがですが減っているのです。
全国の国公私立大など1053校を調べました。今年4~8月の中退者数は1万1411人だった。中退の理由では「経済的困窮」が23・1%で最多だったが、昨年の同時期(22・1%)と比べても大きな変化はみられませんでした。
一方、今年度の前期授業料の納付を猶予された人は20万4685人で全学生に占める割合は6・76%でしたた。昨年度の13万9015人(4・52%)を大きく上回っており、コロナが影響したとみられます。
萩生田文科相は16日の閣議後記者会見で「予断を許さない状況が続くと思われるので、引き続き注視したい」と述べました。学生たちは、現状は就職が困難になりつつあり、大学をやめればさらに困難になることを認識しているようです。大学生も大学に行く意味の本質を自ら問い直しているようです。
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学生も大学に行く意味の本質を自ら問い直している・・・・・ |
さらに、特に大学ではリモート教育がかなりすすんでいます。世の中では判で捺したように「対面学習が一番いい」「遠隔学習は対面学習の代替物」という前提で物を言う人がいますが、少なくとも大学生に関しては、そうではないようです。実際にリモート学習をしている大学の先生は、無論実験や実技は無理ですが、これらを除けば、遠隔授業の方がはるかに質の高い教育が実践できる明確な手ごたえがあるといいます。
端的にはAIが活用しやすいそうです。数学演習などでは一人も置いていくことなく、また一部の学生だけが黒板に出るのでなく、全員に課題を実施させ、すべてをチェックできますから、こっちの方が全然効率的です。