2008年4月18日金曜日

全体主義国家でオリンピックを開催するとその10年後に国が崩壊する?-北京オリンピックは?!

ベルリン・オリンピックが開催されたのは、1936年。ドイツ第3帝国(ナチス・ドイツ)が崩壊したのは、1945年5月。モスクワ・オリンピックが開催されたのは、1980年、ソビエト連邦崩壊は1991年。この二つをもって、全体主義的な国家がオリンピックを開催すると必ず10年後に崩壊するということには、無理があるかもしれません。

ただし、オリンピック開催が崩壊を加速するということは、ありそうです。北京オリンピックにおいても、開催前からさまざまな問題が浮き彫りになっているのは、皆さんご存知でしょう。これには、オリンピックを開催すると、国威の発揚などにはなるが、観光客や選手団などの外国人が多く訪れたり、一時に結構多くの人的交流が行われるのは間違いないため、開催国の真の状況が、外国人の多くに知れ渡ること。さらには、開催国の国民が諸外国の生の情報に多く触れる機会ができるということも関係していると思います。

私のブログには、10回シリーズで「中国分裂の筋書」を連載しました。この記事の一番下の方に、そのリンクを掲載してあります。まだ、読まれていない方は、こちらも是非ご覧になってください。

本日は、ベルリン、モスクワ両オリンピックと現代中国のオリンピック関係の動画などによって、このあたりに迫って見たいと思います。

ベルリン・オリンピック
Olympic games in Berlin 1936 - Opening ceremony

上は、ベルリン・オリンピックの開会式。聖火リレーが現代のような形式なったのは、ベルリン・オリンピックからである。国威発揚のためのアイデアだろう。

1933年にドイツの政権を奪取し、同国の国民からの支持を背景に当時隆盛を誇っていたアドルフ・ヒトラー率いるナチス党が首都・ベルリンでドイツ第三帝国の威信をかけて開催した。この大会をナチスのプロパガンダとみる論者もいる。

当時ユダヤ人迫害政策を進めていたナチスは、この大会を開催したいがために、誘致と大会期間に限りユダヤ人に対する迫害政策を緩めた他、ヒトラー自身も、有色人種差別発言、特に黒人に対する差別発言を抑えるなど、国の政策を一時的に変更してまで大会を成功に導こうとした。この大会において、宣伝効果を高めることを目的に古代オリンピックの発祥地であるオリンピアで五輪の火を採火し、たいまつで開会式のメインスタジアムまで運ぶ「聖火リレー」が初めて実施された。

聖火リレーのコースは、ギリシャのオリンピアを出発して、ブルガリア、ユーゴスラビア、ハンガリー、オーストリア、チェコスロバキアを経由し、ドイツ国内へ。

なお、ドイツ政府は聖火リレーのルート調査のためにルート途上の各国の道路事情を綿密に調査したが、1939年に勃発した第二次世界大戦においてドイツ軍がこの調査結果を活用したという逸話が残っている。

Olympia (Prologue) - Leni Riefenstahl & Vangelis

女性監督で「ナチス党のお抱え監督」と呼ばれたレニ・リーフェンシュタールによる2部作の記録映画『オリンピア』が撮影された。1938年のヴェネツィア国際映画祭で金賞を獲得する等、各方面で絶賛されて、不朽の名作となっているが、無論ドイツ第3帝国を賛美する映画でもあったため、多くの批判を受けている。上の動画は、映画『オリンピア』のオープニングである。確かに、見方によっては、アーリア人種の優位性を世界に伝える内容ともとれる。



The Glory of National Socialist Deutschland

ドイツ第3帝国のオリンピック開催年の頃の首都ベルリンの様子。カラー写真である。

Olympia 1936! The Nazi Olympics-Fest der Schönheit - Closing

ベルリン・オリンピックの閉会式。

1945 Victory Parade in Color (2)

上は、モスクワ赤の広場で挙行された、対独戦勝利のパレード。(1945年)

モスクワ・オリンピック
ソビエトは1952年のヘルシンキオリンピックでオリンピックに初参加してから、常に国別のメダル争いで上位に立ち、ステートアマと呼ばれるトップ選手の金メダル獲得を国威発揚に活用していた。その集大成として、自国の首都・モスクワでのオリンピック開催を目指すようになった。

一方、オリンピック自体は巨大化の弊害が見え始め、1972年のミュンヘンオリンピックでのテロ事件などもあり、開催都市への負担が大きくなってきた。その中で、スポーツ大国のソビエトが運営を全面的に担うというモスクワ開催は支持を集め、1980年夏季大会の開催が決定された。

開催の決定を受けて、大会施設の建設が急ピッチで行われた他、旧態化していたモスクワの空の玄関であるシェレメーチエヴォ国際空港のターミナルの大幅改修なども行われた。

Moscow Olympics 1980, The Parade of Nations

モスクワ・オリンピックの開会式。

この大会は、冷戦の影響を強く受け、西側諸国の集団ボイコットという事態に至った。

経緯

* 1979年12月 - ソ連のアフガン侵攻が発生した。
* 1980年1月 - アメリカのカーター大統領が大会ボイコットの方針をアメリカオリンピック委員会に伝え、他の西側諸国にも同調を求めた。
* 1980年2月 - 日本政府はアメリカに従い大会ボイコットの方針を固めた。一方、日本オリンピック委員会(JOC)は大会参加への道を模索した。
* 1980年4月 - 日本政府の最終方針としてボイコットがJOCに伝えられた。多くの選手はJOC本部で大会参加を訴えた。
* 1980年5月24日 - JOC総会の投票(29対13)でボイコットが最終的に決定された。
* 1980年6月11日 - JOC常任委員会、モスクワ五輪日本選手団(幻のメンバー)を承認し、同時に大会への不参加を確認する。

Moscow 1980 CC - Olympic Flag Exit | Cauldron Extinguishing

モスクワ・オリンピックの閉会式。

日本以外では西ドイツや韓国、それに1979年10月の国際オリンピック委員会(IOC)理事会(名古屋開催)でIOC加盟が承認されていた中国を含む50カ国近くがボイコットを決めた。 一方で、イギリス、フランス、イタリア、オーストラリア、オランダ、ベルギー、ポルトガル、スペインなどは参加した。ただし、例えばイギリスではボイコットを指示した政府の後援を得られず、オリンピック委員会が独力で選手を派遣した。そのため、優勝時には国旗の掲揚と国歌の演奏が行われず、五輪旗と五輪賛歌が使用された。また開会式では、フランス、イタリア、オランダなど7カ国は競技には参加したものの入場行進に参加せず、イギリス、ポルトガルなど3カ国は旗手1人だけの入場行進となった。

この他、モントリオールオリンピックでは南アフリカ共和国のアパルトヘイト政策に絡んで大量のボイコット国を出したアフリカ諸国は多くがオリンピックに復帰した。

1982年に死去したブレジネフの後継者となったユーリ・アンドロポフと、アンドロポフの死後に後継者となったコンスタンティン・チェルネンコは、相次いで指導者の座に就いたものの、共に就任後間もなく闘病生活に入りそのまま病死したため、経済問題を中心とした内政のみならず、外交やアフガニスタン問題についてさえも具体的な政策を殆ど実行に移せなかった。

しかしその後、この両名の時代においてますます深刻化した経済的危機を打開するべく、1985年3月に登場したミハイル・ゴルバチョフの指揮下でペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)が進められた。

これにより、長きに渡った一党独裁体制下で腐敗した政治体制の改革が進み、1990年にはこれまでの一党独裁制にかわって複数政党制と大統領制が導入された。しかし、情報公開や報道規制の緩和は長年抑えられていた民族感情を刺激し、ソ連邦を構成していた各共和国では急速に分離独立の動きが強まっていく。

ソ連共産党解体臨時ニュース


そして1991年3月17日には連邦維持の賛否を問う国民投票が行われ、投票者の約76%が連邦維持に賛成票を投じることとなった(バルト三国の様に独立志向が強い共和国では投票はボイコットされた)。その後新連邦条約に基づき連邦を構成する各共和国への大幅な権限委譲と連邦の再編が行われる予定だった。

しかし、それらの改革路線がソ連崩壊に結びつくことを危惧したゲンナジー・ヤナーエフやウラジーミル・クリュチコフらの保守派によって8月にクーデター(ソ連8月クーデター)が発生し、ゴルバチョフを軟禁し改革路線を元に戻そうとしたものの、ボリス・エリツィンら改革派がこれに抵抗し、さらに軍や国民の多く、さらにアメリカやフランス、日本やイギリスなどの主要国もクーデターを支持しなかったことから完全に失敗に終わる。

クーデターの失敗によってクーデターに賛同した保守派が失脚したことにより国家組織が崩壊、ゴルバチョフはクーデター後にソ連共産党書記長を引責辞任し、議会はバルト三国独立を承認した。さらに同年12月、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ共和国が独立して独立国家共同体(CIS)を創設、残る諸国もそれにならいCISに加入し、この年の12月25日にソビエト連邦は完全に解体した。

北京オリンピックは?
Beijing Olympic torch protest - London

さて、上はロンドンでの灯火リレーにたいする抗議運動の動画。北京オリンピックは灯火リレーから非常に問題ありである。これほどの妨害は、聖火リレーが始まっていらいだろう。中国の不吉な将来を暗示させる。

中国軍チベット巡礼者殺害映像(日本語字幕付き)

日本国内でも、有名になったチベット巡礼者射殺の映像である。

中国六四天安門事件 Tiananmen Square Massacre

上は、中国の天安門事件の動画。このときには、中国本土の漢民族をも含む多くの人々が犠牲になった。オリンピック終了後にこのような運動がおき、また弾圧されるようなことも起こりえます。その後にどんどん、崩壊に向かって進む可能性もあります。

さて、中国はどうなるのか、私のブログでは10回にわたって『中国分裂の筋書』を掲載しています。私は、中国の分裂を確信しています。

以下にこのブログに掲載された中国関連の記事を掲載します。反転文字列をクリックしていただければ、当該ブログに飛びます。

■中国ゼリー層-明日の中国を牽引する原動力となるか?

■チャイナ・アート・バブルにも冷めた見方のできる中国ゼリー世代?

■中国分裂の筋書き−(その10)パクスマリーナが拓く世界の平和と大繁栄

■中国分裂の筋書き−(その9)日本の対応は?

■中国分裂の筋書き−(その8)迫られる中国の選択

■中国分裂の筋書き−(その7)忘れてはいけない中国の不良債権

■中国分裂の筋書き−(その6)現代中国の混乱ぶりを現す動画の数々

■中国分裂の筋書き−(その5)他の人達はどう思っているのか?

■中国分裂の筋書き−(その4)毛沢東を統合の象徴にすることができない中国中央政府の苦悩

■中国分裂の筋書き−(その3)中国バブルの真実

■中国分裂の筋書−(その2)革命でもなければ現代中国は変わらない

■中国分裂の筋書−(その1)繰り返される歴史

■中国"義歯"から鉛「安全に問題」

■中国産原料を使ったヘパリン製剤で自主回収へ・・・・米国では死者21名

■世界一人当たりのGDP(国内総生産)と、一人当たり資産−これでも中国は経済大国か?

■南京虐殺記念館に対する日本政府の申し入れに関して考えた、中国のお家事情

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2008年4月17日木曜日

Invitaiton For Jazz - Harbie Hancock

Herbie Hancock rockit




弱冠11歳でシカゴ交響楽団と共演を果たしたハンコックは、驚くべき若さでジャズ界に颯爽と現われました。以降、音楽と電子工学の分野で修士号を取得した彼は、それと共にニューヨークのクラブやスタジオ・シーンで名を馳せ始め、21歳の時には満を持してソロ・アルバムを発表。これはソウル・ミュージックやゴスペルの香りのするハード・バップ、より知的で難解なポスト・バップなどの要素が取り込まれており、彼の特異な才能を知らしめるには十二分な傑作でした。--エリック・ドルフィーやマイルス・デイヴィスなどの元で活動しながら、革新的なサウンド・トラック『ブロウ・アップ』を発表したり、エレクトロ・ファンク・サウンドの雛形を形成したヘッドハンターズを結成するなど、ハンコックの音楽的野心と冒険は尽きない。また、映画『ラウンド・ミッドナイト』ではアカデミー賞を獲得。いくつもの時代や文化にまたがり、現在も精力的に創造活動を続けている。マイルス・デイビスなきあと、ジャズ界の大御所中の大御所だ。


「好きなジャズ・レコードは?」と聞かれたパット・メセニーは、「ハービー・ハンコックがプレイしているものすべて」と答えました。プロの尊敬を集めるハンコック。
ハンコックの音楽スタイルの変遷を、彼の代表曲「カメレオン」になぞらえる向きもあります。

マイルス・デイヴィスとの正統派ジャズ時代を経て、1973年、ハービー・ハンコックは「ヘッド・ハンターズ」で突然ファンクの世界に突入。ジャズ界に激震を走らせます。ポップ・アルバム・チャート13位。プラチナ。83年の「フューチャー・ショック」では、ラップを大胆に導入。再びプラチナ。長いキャリアでスタイルを変えるアーティストは多いですが、ハンコックのように、世間をあっと言わせる革新的アプローチを見せ、ヒットまでさらってしまうのはまれ。まさにカメレオン!

代表作と言えば、これらの「大きな変化をとげた」作品群をさすのが普通ですが、ここでは1976年の「シークレッツ」を採り上げます。

「シークレッツ」は、ハンコックが「ヘッド・ハンターズ」で切り開いたファンク路線の延長にあります。さらに、ポップな魅力が増したのとともに、ハンコック本来の「繊細・知的」な芸術性が同居したのが、この作品の最大の魅力と言えましょう。

1曲目"Doin' It"。ファンク丸出し。ひたすらシンプルに、力強く、腰に来るリズムが押し寄せます。ねっとりセクシーに。ジャケット写真の「お顔どアップ」のように、むっとするほど来てしまうのです。

ところが一転、2曲目の"People Music" から、華麗なる「知性」が立ち上ってきます。カラフルなシンセサイザーが複雑なコードを奏で、テクスチャーを構成していきます。熱帯夜のような1曲目に続き、ハンコックは「こんな責め方はどうじゃ?」と、ニヤニヤしながらテクニックを繰り出してくる。憎い!。もう身を任せるしかありません。夢見ごこちの世界は続いて行きます。

しかし、これで許してはくれません。最後の"Sansho Shima"。カンフーの応酬のように、これでもかと「鋭角的」なバトルが繰り広げられます。「もうだめ」。そして、へとへとに疲れ切ったリスナーを見届けて、ハンコックは立ち去ってしまうのです。

最近のハービー・ハンコックは、やや冴えません。94年の”This Is Da Drum”で、あらたな革新の扉を開こうとしましたが、イマイチ受けず。2001年には、"Futre 2 Future"を発表。かつてのパートナー、ビル・ラズウエルとヒップ・ホップしてますが、どうでしょう?。さすがのハンコックも年には勝てないか?でも、IQの高い彼のことです。またやってくれるでしょう。



おすすめはありすぎて困るんですが・・・:

もちろん、「ヘッドハンターズ」は必聴盤としてはずせません。

78年の「サンライト」は、全面的にヴォコーダーをフィーチャーし、ハンコックが歌いまくったポップな作品。”I Thought It Was You”は彼の代表曲のひとつ。後半の盛り上がりは「大興奮」です。

そして、80年の「Mr.ハンズ」。キーボード・プレイヤーとしての彼の魅力が炸裂。”Just Around the Corner”でのインタープレイは彼のベスト・プレイとも言える壮絶なものです。

ただひたすら、ハンコックの奏でるキーボードに身をまかせましょう!

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2008年4月16日水曜日

居酒屋「坊主」-創作料理が光るくつろぎ処


さてこれは、入り口、この上にさらに大きな看板がありかなり目立つ。これは、ホタテの刺身。この皿と蓑のような飾りつけがなんともいえない。ワタも非常に美味しかった。

これは、つぶ貝のエスカルゴ風。エスカルゴ風の味がなんともいえない。
このとっくり、二重構造になっていて、下のほうには熱いお湯が入っていて、カン酒が冷めないようになっています。何と、時間が経つにつれてだんだん熱くなってきます。

これが、居酒屋「坊主」のマスター。まさに、看板に偽りなし。
店内の様子。カウンター席がほとんど。

小さな冷蔵庫の向こう側に小さなこあがりが、あって5~6人は入れる。
サラダもこの通り。同じ料理であっても、器と盛り付けの仕方で全然見た目が違うが、ここのマスターは、非常にこだわりがあるらしい。このほか、八角のお刺身、酒茶漬けなども食べて、一人あたり3千円くらいで、お腹いっぱい食べて、お酒もしっかり飲めた。お値段もなかなか良心的だ。

函館市駒場町7丁目、自衛隊の通りに面していて、協会病院側に位置しています。三階建の建物の1階です。1回の左側には、金券ショップがはいており、その右側です。

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2008年4月15日火曜日

中国分裂の筋書-(10)パクスマリーナが拓く世界の平和と大繁栄

海洋探査船地球巨大地震震源掘削

上は海洋探査船「ちきゅう」の動画。世界で最も深くまで探査できる船である。

さて、中国分裂の筋書の最終回となります。本日は、中国の分裂が終焉し現代中国が、民主中国とも呼べる比較的大きな国と、その他の国に分かれた後の筋書きのうちの一つを書きたいと思います。この筋書きは、中国分裂の筋書-(8)における「日本の経済発展モデルを導入した場合」を前提としています。

中国に高度成長モデルを導入する
この考えでは、日本の経済発展モデルを導入して、民主中国に日本の高度成長モデルを導入します。無論、日本が失敗したこと
は、はずした成長モデルです。こうすることにより、民主中国は日本型共産主義(1980年代はじめまでの、規制が網の目のようにめぐらされた、比較的平等な社会・経済)を目指して努力し、10年程度の比較的短い間に健全な社会をつくりだし経済発展をして、少なくとも国民一人当たりのGDPが日本の1/10~1/5まで急速に発展するものと思います。無論民主中国という国と相談しつつ、協調して導入します。大きな方向性は、中国、日本の国家レベルで方法を定めるものの、導入にあたって最前線で活躍するのは、官僚ではありません。双方のNPOが活躍します。こうして、中国、日本に顕著な役人の腐敗を防御します。

さて、これだけでもかなりの発展が期待されます。しかし、民主中国におけるこの成長も日本の経済成長モデルがある時点から有効でなくなったのと同じに行き止まりがきます。そのとき、あるいは、その前に何をするか、はっきりしたビジョンが必要になります。

海洋資源開発
さて、どのようなビジョンが考えられるでしょうか?私は、ここで「パクスマリーナ」という考え方を提唱します。私は、以前このブログでも述べたように日本の行き詰まり状況を打破するには、日本は海洋開発に着目すべきであると書いたことがあります。日本は、これを積極的に推進すべきです。実は、日本は排他的経済水域では、世界で5位、排他的経済水域の海の体積では2位という海洋大国です。これを最大限に活用するのです。

海には、それこそ、メタンハイドレード、レアメタルなどの資源が大量に眠っていることと、魚介類なども豊富です。海藻ですらも、バイオエタノールの原料になる可能性が高いです。その他、海洋深層水、海水そのものに含まれる成分の活用など、あげればきりがないほどの資源の宝庫です。陸の数万倍の無尽蔵といっても良いくらいの、資源があるとの試算もあるくらいです。陸だけで考えていた場合は、人類は行き詰るしかなかったのが、全く見通しが違ってきます。また、これらの資源だけではなく、海洋牧場などによる育てる資源も考えられます。今陸上に生活する人々のすべてに、先進国の平均的な生活を保障してもありあまるくらいの資源があるのです。日本においては、これらを積極的に活用することは今までは怠ってきしまた。しかし、今年になって「海洋基本計画」などが承認を得て、ようやっと縦割り行政などが是正される見通しになっています。現在では、国所有の深海探査艇すらないというお寒い状況です。

日本は、このお寒い状況を打破して、さまざまな資源を活用できる体制を整えるのです。特に、海洋牧場など育てる漁業にも力を入れます。鯨、魚、貝類その他有用な海藻、動植物・プランクトンなどを育てられるようにします。ただし、日本は過去に先進諸国が失敗してきた過ちを海では起こさないように注力しながら開発・育成をします。海の資源がいくら、無尽蔵に近いと思っても、貪欲な人間の欲望をそのままにして、開発をすれば、当面は良いとしても数世紀で使い果たすことも考えられるため、豊富な資源がありながらも、持続可能な社会・経済を目指すのです。そうして、これらを食料、エネルギーに転換できるようにします。これによって、日本は、食料・エネルギーの輸出大国に転進するのです。

中日による共同海洋資源開発
こうした、素地を日本国内につくっておき、民主中国がある程度の経済発展が予測され確実になった時から、民主中国と日本が共同で海洋開発を進める体制を整えます。特に中国からは、大量の人材を供給してもらい、日本の技術を学んでいただき、中日共同でまずは日本海側の開発を進めます。それが終わった段階では、太平洋側の開発も進めます。これらの地域に巨大な地下資源開発用のプラットフォームや、海洋牧場が出来上がることになります。

やがて、これらの開発が実を結びはじめたとき、中国と日本は、全く違った次元の社会・経済に進むと思います。かつて経営学の大家である故ドラッカー氏は、海洋牧場の可能性を語っていました。おそらく、海洋牧場によって育てる漁業に転進した中国と日本は、人類が農業によって大きく前進したように、大きな文化的、経済的、社会的大変革を遂げることになるでしょう。ただし、今から20年後、30年後の時代になるとは思います。特に、文化的には陸を主体とした考え方から、海を主体とした考え方への転換が行われるため、大転換が起こるものと思います。価値観の大転換が行われるのです。それまで、陸という縛りから逃れた全く新しい価値観が登場することになります。

陸地に縛られるアメリカとEUの凋落
これらの大変革を遂げた時期に、アメリカやEUなど、それまでの経済・社会の仕組みを維持・発展することのみに注力をしてきた国は、凋落し始めていることでしょう。もっといえば、地政学的歴史観、ものの見方にとらわれている国々は凋落していくことでしょう。まず、アメリカについては、すでに「パクスアメリカーナ」の時代は終焉を迎えたといわれているように、いわゆる「アメリカ流自由主義経済」は有効ではなくっているでしょう。アメリカは、ローマ帝国終焉のときのように、この凋落を何とかしようとあがくに違いありません。しかし、あがけば、あがくほど第二、第三の「サブプライム」問題が起こり、身動きがとれなくなっていることでしょう。

EUにおいては、もうすでに凋落のシナリオを自ら選んでしまっています。彼らは、新しい試みとして、CO2を通貨にしようと目論んでいます。この目論見は失敗します。なせなら、彼れは、富に関する基本的な認識を誤っているからです。CO2削減の市場取引を行い、それが直接富にはつながらないという認識です。CO2削減という言葉に象徴されるように、削減のみでは新たな富を生み出すことはできません。確かに、太陽電池、風力発電装置その他を生み出すかもしれませんが、大きな意味での価値創出にはつながりません。陸地でのエネルギー創出などには、最初から限界があるものと思います。陸地だけではなく、海洋にも等しく太陽エネルギーなどのエネルギーが蓄えられ、さらには、新たに作り出すことも可能です。人類は、始まって以来陸地のエネルギーを捜し求め、活用してきました。陸地で努力をし続けることには、限界があります。いままで、ほとんど手がついていない海洋の方がはるかに魅力的で、将来性があります。

地政学的歴史観にもとづき、陸に縛られた、EU諸国はこのままCO2幻想に浸っていれば、かつてローマ帝国が金鉱の金が尽きてしまったときのように、新たな価値を生み出さない新貨幣「CO2」とともに没落していくことでしょう。

パクスマリーナ
さて、中国の豊富な人材、日本の高度な技術を活用して、海洋開発に成功した両国は、世界で最も進んだ、社会システム、経済を持つに至るでしょう。この次元に達しときには、軍事力はあまり意味をもたなくなるかもしれません。なぜなら、軍事力で他国に攻め入って富を創出することは、ほとんど意味がなくなるからです。たとえば、ロシアが日本と中国を攻撃して、領土にしても、一時的に富の創出を遅らせるだけです。それよりも、自らも海洋に対する新たな挑戦が急務になってくるからです。

人類は、豊富な資源の可能性、将来性に直面して、今までよりも鷹揚になることでしょう。日本には、衣食足りて礼節を知るという言葉がありますが、その通りになると思います。どの国でも、今までは陸に縛り付けられ、その範囲でものを考え、富める国であっても、いついかなることがあって没落するかもれしないので、鵜の目鷹の目で、他国の富に着目し、何とか自国に有利なるようになんらかの形で、それを収奪できないかと考えてきたわけですが、豊富な資源の前にはそのような必要性もなくなるからです。海洋資源開発に成功した人類は、人類史上はじめて、本当の意味での礼節を知るものになるかもしれません。考えてみてください、これはたとえ話ですが、たとえば、今海に金がたくさん埋まっていて、誰もがとっても良く、そうして、誰もが努力すれば、その金を実際に取得できたとしたら、どうなりますか?それに近い世界を現代のそうして将来できるであろう科学技術などを活用して実施するということです。戦争、紛争もなくなるかもしれません。なぜなら、やがて、誰もが努力さえすれば、夢を実現できる世界がやってくるからです。私は、この世界を「パクスマリーナ(海の平和)」と呼びたいと思っています。

さて、夢のような話を書いてしまいましたが、私自身はこうしたことも考え方一つでできると思っています。以上は本当に簡単に方向性だけを示しています。これらをまともに調査したりすれば、膨大な文書などになると思います。今は、現実の自分の仕事などに忙殺されていますが、将来的に余裕などできたら、このような世界を実現するには、どうしたらよいのかなどをライフワークとして研究していきたいと思ってます。なにせ、上に書いてあることは、ここ10年、20年のことではなく、最終的には1世紀くらい必要とすると思います(笑)。

いずれ、この考え方について、付加・修正などがありましたら、掲載します。さらに、中国分裂の筋書などにつきましても、新たな情報・展開などありしまたら掲載していきます。

以下にこのブログに掲載された中国関連の記事を掲載します。反転文字列をクリックしていただければ、当該ブログに飛びます。

■中国ゼリー層-明日の中国を牽引する原動力となるか?

■チャイナ・アート・バブルにも冷めた見方のできる中国ゼリー世代?

■中国分裂の筋書き−(その9)日本の対応は?

■中国分裂の筋書き−(その8)迫られる中国の選択

■中国分裂の筋書き−(その7)忘れてはいけない中国の不良債権

■中国分裂の筋書き−(その6)現代中国の混乱ぶりを現す動画の数々

■中国分裂の筋書き−(その5)他の人達はどう思っているのか?

■中国分裂の筋書き−(その4)毛沢東を統合の象徴にすることができない中国中央政府の苦悩

■中国分裂の筋書き−(その3)中国バブルの真実

■中国分裂の筋書−(その2)革命でもなければ現代中国は変わらない

■中国分裂の筋書−(その1)繰り返される歴史

■中国"義歯"から鉛「安全に問題」

■中国産原料を使ったヘパリン製剤で自主回収へ・・・・米国では死者21名

■世界一人当たりのGDP(国内総生産)と、一人当たり資産−これでも中国は経済大国か?

■南京虐殺記念館に対する日本政府の申し入れに関して考えた、中国のお家事情
以下にこのブログに掲載されたパクスマリーナ関連の記事を掲載します。反転文字列をくれっくしていただければ、当該ブログに飛びます

■鯨の肉は牛肉より環境にやさしい-ロイターニュースから確信したパクスマリーナの正当性

■最近の株価や円レートをみていて思うこと-パクスマリーナの時代は来るか?

■オーストリラリアが捕鯨に反対する理由(5)-鯨はオーストラリアにとって大切な観光資源である

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2008年4月14日月曜日

Inviataiton For Jazz - TOKYO ZAWINUL BACH

TOKYO ZAWINUL BACH : LIVE


'99年1月、坪口昌恭の新たなリーダー・ユニットとして、アドヴァイザー役でもある菊地成孔と共に結成。

坪口自身が打ち込みコントロールするリズム隊+インプロヴァイザーという形態で、'99年3月に新宿PIT INNにて初ライブを行ない、その5月にはトランペットの五十嵐一生が加入(現在は脱退)。クラブDJフィーリングとジャジーな魅力を併せ持つ新ユニットが誕生した。

特筆すべき手法として、主に現代音楽の分野で使われていた自動変奏シーケンスソフト“M”にリズム隊を担当させ、微妙なランダム感やコラージュ感のあるグルーブを表現している。リアルタイムにパートをON/OFFしたり曲の構成を作り出せるだけでなく、“M”による不自然とも言える不定形ビートにより、機械と人間ががっぷり四つに組んだイメージを浮き立たせる。


結成後2年間は新宿PIT INNと南青山MANDALAを中心に、'99年5月に西麻布BuLLEt'S、2000年7月にクラブイベント“OVA”at CAYに出演。2001年より活動拠点を六本木PIT INNに移し、2004年夏の閉店直前まで定期的に出演した。2001年2月に“Organic Groove”(新宿Liquid Roomにてメデスキ・マーチン&ウッドのフロントアクト)に出演したことがきっかけで多くの音楽ファンにアピール。2001年12月からのTowerRecords/musee企画“intoxicate”シリーズ@CAYや、ewe Inc.主催Jazz Todayシリーズに連続出演するほか、2002年7月よりMotion Blue Yokohamaにも登場。山梨、京都(アート・リンゼイと対バン)、大阪(山下洋輔氏と共演)、名古屋からも招聘される他、各種クラブイベントへの出演多数。

音楽雑誌では「GROOVE」 2000年8月号の付録CDにライブ音源から収録されるほか、「キーボードマガジン」2001年6月号アーチスト直伝向けに、TZB名義のソロ作品を制作。音楽雑誌インタビュー多数。

2001年までにライブ音源をリミックスした自主アルバムを2枚リリース。2001年夏五十嵐脱退、坪口×菊地二人体制になり、ゲストプレイヤーにパーカッショニストを加えるなどして、よりコンセプトを明確に表した本格デビューアルバム「Cool Cluster」リリース(2002年4月21日、EastWorksEntertainment Inc.)。その多重力ファンクとも言えるサウンドは、音楽各誌で絶賛。2003年3月には、オラシオ・エルナンデス(Drums)を交えたスタジオ・インプロ・セッションを元に再構築した4thアルバム「VOGUE AFRICA」リリース。アフリカをコンセプトにしたネーミングと、サウンドの意外なスムーズさが相まって大好評。その後、より“エレクトロ・ジャズ”に傾倒した音楽性をアピールしつつ、2004年8月5thアルバム「a8v」リリース。ストイックでありながら様々な要素が融合した音楽性は一つの到達点に達したといえる。

2005年に入り、「VOGUE AFRICA」のスタジオ・セッションから、オラシオ監修の元、ノーカット、ダビング無しで丸々2曲収録した「VOGUE AFRICA "Naked"」リリース。2005年7月には再び“Organic Groove”(代官山UNITにてMeat Beat Manifestoのフロントアクト)に出演し、モジュラー・シンセサイザーをシステムに組み込んだ新機軸を披露。2005年8月発売のmasのニューアルバム「Steppers+」にリミックス作品提供。

その後、1年半の充電期間を経て2007年9月に再始動。より洗練された変則的なリズム・フィギュアを打ち出し、柔軟で多彩な三沢泉のパーカッション、繊細で的確なnumbのリアルタイム・エフェクトを交えた4人編成でライブをおこなうと、すぐさまレコーディングに突入。アディショナル・プレイヤーにヨスヴァニー・テリー(Sax)を迎え、2008年4月、アーバンかつダビーな7thアルバム「SWEET METALLIC」リリース。
メンバー:
坪口昌恭 (Keyboards, Computer) myspace
菊地成孔 (Sax)
三沢泉 (Percussion)
numb (Live Electronics) myspace

VJs:
Masato TSUTSUI
喜安


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2008年4月13日日曜日

Invitation for Jazz-渡辺貞夫

さて、皆様ここしばらく「中国分裂の筋書」などという重たいテーマが続きました。このシリーズの最終回は火曜日あたりに予定しています。本日は、渡辺貞夫について書きます。軽快な彼の音楽をお楽しみください。
Down East~Front Seat 渡辺貞夫グループ


今年でおん年、74歳になる渡辺貞夫、以下のバイオグラフィーでも未だに、バリバリの現役、サックス奏者。この元気は見習いたいものです。日本のジャズ界では、大御所中の大御所だ。

渡辺貞夫のBiography


1933年 1933 栃木県、宇都宮に生まれる
1948年 映画「ブルースの誕生」を観てクラリネットを始める
1951年 1951 高校卒業後上京、アルトサックスに変更し本格的に音楽活動を始める
1953年 - 1960年 1953- 秋吉敏子「コージーカルテット」、ジョージ川口「ビッグ・フォー」等のバンドに参加。ジャズ界の若手ホープと期待される
1961年 初リーダー・アルバム『渡辺貞夫』を発表
1962年 1962 米国ボストン・バークリー音楽院に入学以後、チコ・ハミルトン、ゲイリー・マクファーランドを始めとする数多くのバンドに参加。ブラジル音楽に目覚める
1965年 1965 日本へ帰国。精力的な演奏活動を開始すると共に、日本のミュージシャンにジャズ理論を伝授
1967年 『ジャズ&ボッサ』を発表、ボサノバ・ブームを巻き起こす
1968年 - 1971年 1968- 自己のバンドを率いて、モントルー及びニューポートのジャズ・フェスティバル等海外でも活躍。海外のミュージシャンとのアルバム制作にも励む
1972年 初めてのケニア旅行。FMラジオ番組『渡辺貞夫マイ・ディア・ライフ』を開始、以後19年間続く。モーツァルト「ディベルトメント」にサックスで挑戦。京都交響楽団と共演
1973年 - 1977年 1973- アフリカのリズムに影響を受けたアルバム制作や演奏会を行う
1973年 12月 大阪文化賞 受賞
1977年 昭和51年度(第31回)芸術祭大賞 受賞
第2回 南里文雄賞 受賞
1978年 - 1982年 L.A.で録音されたアルバム『カリフォルニア・シャワー』の大ヒットによりジャズが幅広い層に支持され、"ナベサダ"ブームが起こる。80年には『渡辺貞夫リサイタル・イン武道館』を開催し3万人余りを動員。多くのヒット曲を生み出し全米へ進出
1983年 - 1996年 1983- レ コード会社WEAとの契約を期に、本格的に世界進出を目指す。この間、何度もアルバムが米国音楽誌のチャート上位にランキングされ、世界中に渡辺貞夫の名 が認識されることとなり、数多くの海外公演を敢行。85年には"もっとリラックスして音楽を聴ける場を"と、クラブ形式の公演を企画、現在も続行中。以 後、数多くのミュージック・クラブが国内で誕生。95年には故郷の中学生達にブラジルの打楽器を使用して、リズム教育を始める
1984年 4月 第1回宇都宮市民栄誉賞 受賞
1986年 2月 昭和60年度(第36回)芸術選奨文部大臣賞 受賞
1988年 ロサンゼルス名誉市民賞 受賞 5月 ロサンゼルス名誉市民賞 受賞
1994年 8月 平成6年度外務大臣表彰 受賞
1995年 1月 平成6年度都民文化栄誉章 受章
9月 バークリー音楽大学 名誉博士号
11月 平成7年度秋 紫綬褒章 受章
1997年 - 2000年 人 生観が変わるような経験となったチベットの旅で、演奏することへの新たなる意欲、喜びが生まれる。99年には通算60枚目のリーダー・アルバムを発売。サ ントリーホールでの「バッハ オルガン スペシャル・コンサート」でピアニスト小林道夫氏の伴奏で正統派クラシックを演奏
2001年 音楽生活50周年記念ツアー〈マイ・ディア・ライフ〉を国内とL.A.で開催2005年日本国際博覧会・政府出展事業の総合監督に就任
2002年 - 2004年 1995 年から始めたリズム教育をきっかけに、子供たちとの共演を各方面から要請され、積極的に取り組む。又、長年行ってきた子供たちへのチャリティーも、03年 には『キッズ・フォー・バンビーニ』と題したイタリア3都市でのコンサートを始め、『メイク・ア・ウィッシュ・イン・グアム』と海外での活動も多くなる。 2004年3月には政府出展事業のメッセージソング『シェア・ザ・ワールド ~心つないで』を発表
2002年 6月 第1回栃木県民栄誉賞 受賞
2003年 モンブラン国際文化賞2003 受賞 10月 モンブラン国際文化賞2003 受賞
2005年 3 月愛知万博『愛・地球博』開幕。政府出展事業催事となる「ジャパンデー・ジャパンウィーク」「地球サウンド」が開催され、自身のプロデュースによる文化・ 国境を越えた世界の子ども達400人が集う、「リズム、歌、踊りの祭典」が繰り広げられた。日本政府館が連日大人気で内容の評価も高く、無事総合監督の責 務を果たす事となる。40年ぶりに再会を果たしたチャーリー・マリアーノと、クリスマス・コンサートで共演
2005年 平成17年度秋 旭日小綬章 受章 11月 平成17年度秋 旭日小綬章 受章
2006年 2 枚のライヴ・アルバム「ONE FOR YOU / Sadao&Bona Live」「Sadao&Charlie Again」を発売。3年ぶりにアメリカ・ツアーを敢行し好評を博した直後、初めてミャンマーへ訪れ、現地の子ども達とステージに立つ。12月のクリスマ ス・コンサート・ツアー「Sadao with The Great Jazz Trio」では、ハンク・ジョーンズと3都市で共演
2007年
3月、長年の夢であった海外の舞台での子供たちとの共演がジャカルタ「ジャワ・ジャズ・フェスティバル」で実現。近年、子供たちとの活動の機会が多くなり、テレビ番組「題名のない音楽会21」(テレビ朝日系列)に出演し反響をよんだ。
8月には30年ぶりに日本人グループとのライヴ・アルバム「Basie's At Night」を発表。今年15回目を迎えたクリスマス・コンサートにはラッセル・フェランテ(p)を招き、彼のアレンジによるチャーリー・パーカーのレ パートリーをストリングスと共に13年ぶりに演奏し、好評を博した。全国36都市69公演を数える演奏活動を、本年も精力的に敢行した。

今日は、私にとって特に思い出深い「カリフォルニア・シャワー」のお話をさせていただきます。大学最後の年の夏休みにライブで聴いた曲です。渡辺貞夫は時代の空気をつかむのがうまい人です。60年代に日本にボサノヴァ・ブームを広めたのはバークリー音大帰りの渡辺貞夫でした。フュージョンも、またし かりです。渡辺貞夫のフュージョン第1作は、デイヴ・グルーシン、リー・リトナー、チャック・レイニーらを加えて77年に録音した『マイ・ディア・ライフ』でした。翌78年にはデイヴ・グルーシン・ファミリーを総動員してカリフォルニア・シャワーをLAで録音、これが78年から79年にかけて大ヒットし、日本におけるフュージョン・ブームの頂点を記録しました。 このアルバム、通算で軽く100万枚以上は売れたというから、ジャズの世界では空前絶後の大ヒットでした。なぜそれほど評判になったかというと、ま ず曲がいいのです。渡辺貞夫は人の心をとらえるキャッチーなメロディを生み出す天才なのです。加えてデイヴ・グルーシンのアレンジがスマートで洒落ています。要 するにグルーシンと提携することによって、最強のチームが出来上がったというわけです。ジャズ・ファンでなくても、タイトル曲は、きっとどこかで一度は耳にし ているはずです。

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2008年4月12日土曜日

中国分裂の筋書―(9)日本の対応は?

チベット蜂起についての福田総理コメント

上は、チベット問題に対する福田総理のコメント。福田総理自身あるいは、そのブレインは、中国分裂の筋書きはあるのだろうか?

さて、前回まで8回にわたって連載してきました、『中国分裂の筋書』を読んでいただき誠に有難うございます。この連載を掲載してから、当ブログへの訪問者も増え日によっては、800アクセスに近いこともありました。皆さんのブログでは、このくらいのアクセスは珍しくもないのかもしれませんが、私のブログにおいては、過去最多です。それだけ、現在多くの方々が中国に関して関心を持っておられるということだと思います。

中国分裂の筋書きについては、後もう一回掲載する予定です。最後は、私自身が考えた民主中国にとっても、日本にとっても最高で最善の筋書きを掲載していきたいと思います。

本日は、中国分裂は避けられないものとして、それに対する日本の対応を示唆してみたいと思います。ここでは、日本の対応としてある程度、総括的に書きますが、対中国とビジネスなどをされている方は、自分の会社などに置き換えて、具体的に書かれると良い思います。その参考になれば幸いです。

1.情報収集は欠かさない
当然のことながら、情報収集に負けていては、成就すべきことはおろか、以下に続く事柄は実施できません。あらゆるチャネルからできるだけ多くの情報を得るように努めます。新聞、雑誌、インターネットは勿論のこと、あなたの中国における人脈を最大限に活かします。いろいろな情報を時系列でならべてみて、さらにいろいろな類推をして、パズルを解くように真実に近づいていきます。

2.現代中国に対しては毅然とした態度で臨む
現代中国指導者層に対しては、毅然とした態度で臨むべきです。現代中国指導者層におもねるような、態度をとっていては、新生民主中国の新しい指導者層からは印象が悪くなるのは必定です。ただし分別を利かせて、ある程度以上は踏み込まないようにしておくことが肝要です。たとえば、現代のチベット問題であれば、憂慮している旨を伝えることと、少なくともダライ・ラマとの対話路線を歩んで欲しい旨を伝えることです。それから、一歩踏み込んで、チベット独立まで要求するなどの愚を冒すべきではありません。

3.現代中国との関係は、そこそこに
現代中国指導者は、概ね失脚するわけですから、彼らとの関係はそこそこにしておくことが肝要です。ただし、礼儀だけはつくしましょう。中国人は面子を重んじますから、所詮失脚したり、場合によっては死刑になる連中とわかっていても、礼儀を軽んじれば、その噂は民主中国の指導者にも伝わり、信頼を失うかもしれません。

4.中国分裂の筋書きを少なくても50種類くらいは考えておく
わたしの筋書は、バブル崩壊後の不良債権処理を巡って二つ、その後の社会の作り方として、2種類。これらを掛け合わせたとしても、4種類の筋書きしかあげてません。これが、企業レベルであれば、すくなくとも10から20種類、国家レベルであれば、50~100はあげておくべきでしょう。

5.筋書きのマイルストーンごとに、どのような行動をすべきかあらかじめ考えておく
各々の筋書きだけでは、どうにもなりません。書く筋書きの節目(マイルストーン毎)に、自分たちがどのような行動をすべきかをあらかじめ定めておくべきです。

6.考えておくだけでなく、実際に行動する
上記行動パターンを実施します。実施しながら、また新しい情報を得るなどのことをします。

7.実際の行動に照らし合わせて、筋書きを変更する
実際に行動してみて、さらに新しい情報が集まった場合、筋書き通りには進まないことが予期されることがしばしばあります。そのときには、またさらに、筋書きの枝葉を増やします。

8.変更した筋書きに沿って行動し、その結果を検証する
どの枝葉に沿っているのか、あるいは全く新しい枝葉に入り込んでいるのか、検証します。

9.検証にもとづき、さらに筋書きを変更し、それにそって行動する

10.7に戻って、9まで実践し、また、7に戻るというサイクルを繰り返す

11.以上を繰り返しているうちに、分裂が終了しある程度先が見える状況になったら、以上を総括し、次の状況に備える

いずれの局面でも、ただ頭の中で考えているのではなく、きちんと文書化しておくことが肝要です。関わる人々すべてにその文書を開陳し、意思統一して、行動することが肝要です。

さて、回を重ねてきた、「中国分裂の筋書」は、もう私の知識や考えの範囲をでは、今のところ出尽くしたという感があります。次の回では、誰すらも予想しなかった、私だけの考えを表明します。そうして、「中国分裂の筋書」の最終回としたいと思います。ただし、これは単なる私の理想論であって、実現可能かどうかは保証の限りではありません。また、このブログは、私の仕事の合間に書いているものであり、時間的制約もあることから、すべてを検証したり、確かめているわけではありません。このような考え方もあるのかと、参考程度にしていただければ、幸いです。

以下に上記記事との関連記事を掲載しました。まだの方は是非ご覧になってください。反転文字列をクリックしていただければ、当該記事の内容に飛ぶことができます。

■中国ゼリー層-明日の中国を牽引する原動力となるか?

■チャイナ・アート・バブルにも冷めた見方のできる中国ゼリー世代?

■中国分裂の筋書き−(その10)パクスマリーナが拓く世界の平和と大繁栄

■中国分裂の筋書き−(その8)迫られる中国の選択

■中国分裂の筋書き−(その7)忘れてはいけない中国の不良債権

■中国分裂の筋書き−(その6)現代中国の混乱ぶりを現す動画の数々

■中国分裂の筋書き−(その5)他の人達はどう思っているのか?

■中国分裂の筋書き−(その4)毛沢東を統合の象徴にすることができない中国中央政府の苦悩

■中国分裂の筋書き−(その3)中国バブルの真実

■中国分裂の筋書−(その2)革命でもなければ現代中国は変わらない

■中国分裂の筋書−(その1)繰り返される歴史

■中国"義歯"から鉛「安全に問題」

■中国産原料を使ったヘパリン製剤で自主回収へ・・・・米国では死者21名

■世界一人当たりのGDP(国内総生産)と、一人当たり資産−これでも中国は経済大国か?

■南京虐殺記念館に対する日本政府の申し入れに関して考えた、中国のお家事情

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2008年4月11日金曜日

中国分裂の筋書―(8)迫られる中国の選択

日本の激動 世界の激動 (1/9) テレビ報道の50年

日本の経済発展は、中国分裂後に成立する民主中国にとっても非常に参考になると思われます。上は、テレビ報道の50年というNHKの特集の内容の動画。

さて、ここしばらく中国分裂の筋書ということで何回か書いてきましたが、本日はすでに中国のバブルが崩壊した、あるいは崩壊が確実になった後の筋書きを記載したいと思います。以前のブログで、不良債権の処理の仕方をめぐって大まかな二つの選択肢があることを記載しました。どちらの道を選択しようとも、民主化、政経分離と法治国家化は免れません。

このブログでは、書きませんでしたが、中国では市場経済化をしたとはいいながら、いまだ自由な経済活動をできる環境にはありません。それは、政治と経済が不可分に結びついているからです。今でも、国営企業が幅を利かせていて、中国の国営企業が具合が悪くなると、政治的力が働いてしまうという、他国では考えられないような不思議な土壌があります。

さらに、今でも人脈によってかなりの部分が動きます。そのため、完全な法治国家ではありません。厳密には法に触れるようなことでも、人脈しだいではどうにでもなるという土壌があります。では、人脈を使えばなんでも成功するように思われるかもしれませんが、せっかく掴んだ人脈も、人脈のトップが失脚してしまえば今までの約束などは反故にされるどころか、いきなり罰金をとられるなどということにもなりかねません。バブル崩壊後いずれの道を選んだとしても、これらは是正されなければ、公正な競争原理は働かないため、これらは完全に改革されることになるでしょう。

1.不良債権を持つ中国国内銀行を外国銀行に売却するで対処する
外国銀行に売却するためには、かつてアジア通貨危機のときの韓国とおなじように、中国がIMFの管理下に入って行われることになると考えられます。そうなると、結果として多くの企業が海外企業の子会社になるため、今の韓国のように儲けのほとんどが海外に流れることになります。アジア通貨危機時に、この道を選択したのが韓国で、IMFの管理下で銀行のほとんどが外国のファンドの手に渡っています。実質上アメリカのファンドの手に渡り、アメリカの経済植民地になってしまうでしょう。

そうこうしているうちに、中国国内でも分離独立の動きが活発となり。いずれ、アメリカからみて、特に益のない、チベットなどの辺境の地の国は、独立を認めることになるでしょう。そうして、中国は辺境の国と、比較的に大きな中国(以後民主中国と呼ぶ)とに分かれることでしょう。もちろん台湾も分離独立します。

この場合、アメリカの経済植民地である民主中国は、現在のような韓国のような国になり、中途半端な自由主義経済国になるでしょう。

2.国家が不良債権を買い取ることで対処する
国家が国債を発行して、この資金を調達して買い取ることになります。実際には、この国債を自国民や外国に買ってもらうという形になります。巨額の資金なので、自国だけでは賄いきれないため、米国、日本やIMFなどの先進諸国や国際機関に頼ることになります。アジア通貨危機のときに、マレーシアや、インドネシアなどがこの道を選択し、日本が資金を出しています。この道を選択したマレーシアや、インドネシアは少なくとも米国の経済植民地にはなっていません。しかし、韓国であろうと、他の国であろうと、もし、この道を選択して、IMFや米国~直接資金を得ていたとしたら、米国の経済植民地になっていたと考えられます。IMFに頼ったり、米国の資金を当てにすることは結局は、米国の経済植民地につながるものと思います。この場合も、いずれ各地の分離独立の運動が活発化して民主中国と他の国とに分裂することでしょう。

3.1.2.の道を選ばず、放置する。
この道を選択することも可能ではあります。その場合、ほんどカタストロフィの世界となり、おそらく民主中国すらできない、混沌とした、単なる小さな国の烏合の衆となることでしょう。こうなると、予想もつかない展開になると思います。小国同士が互いに争い、そのうち力のあるものが、群雄割拠し中国の古代史のような経過をたどることでしょう。ただし、私たちが生きている時代には、単なる、何の影響力も何もない小さな国同士が絶えず争いを続ける状態になり、現在のイラクよりももっと悲惨な状況が長らく続くことでしょう。

さて、1、2の道のどちらかを選択した場合、一応現代中国の継承者たる民主中国は残ります。ただし、現政権はもちろん解散させられ、全く新しい国家になることでしょう。共産主義という言葉もなくなるでしょう。中国にも本当の意味で共産党一党独裁ではなく、多数の政党が創設され、いわゆる議会制民主主義が成立することになると思います。

さて、その後に民主中国が選択する道があります。それには、日本が多いに関わってきます。議会制民氏主義が成立した、新たな民主中国が選択すべき道は大きく言って二つあります。

アメリカの経済植民地になる選択肢
第一は、アメリカの援助を受け、アメリカ風の自由主義経済の道を歩むことです。昔、毛沢東はアメリカと手を結ぼうとして、できなかったので当時のソ連と組んだと経緯があります。もし、毛沢東とその当時のアメリカが手を組んだら、その後の中国は随分変わったと思います。ですから、おそらく中国は後で述べる選択肢よりも、この選択肢を選ぶ確率が高いと思われます。それは、ともかく、もし選んだとしたら、完全にアメリカの経済植民地となり、中途半端な自由主義経済国となると思います。アメリカの巨大ファンドによって、蹂躙されると思います。おそらく、経済発展も行き詰ると思います。


日本の経済発展モデルを導入する方式
第二は、日本の援助を受け、援助を受けるだけではなく、日本がかつて実施してきた健全な社会を築く道を選択することです。以前のブログにも述べたように、日本の政治家は、明治時代や、第二次世界大戦終了後しばらくは、経済ではなく社会を良くすることに注力を注ぎました。その間にも勿論、いろいろな社会的矛盾は多数発生しましたが、大局的には、社会を良くすることに注力をはらっていたことには、疑いのないことだと思います。その結果として、その後奇跡の経済発展が成就されました。現代政治家とは、全く違ったスタンスです。人を幸せにするのは、経済発展ではありません。健全な社会を創造することです。ただし、健全な社会を創造するためには、ある程度の経済発展も必要だということです。
上は、東京オリンピックの開会式の模様。東京オリンピックは、実は開催された年の20年前にも開催される予定だったが、戦争などの影響で中止になったという経緯がある。現代中国での開催は、この幻の東京オリンピックを想起させる。本来、現代中国が民主化してから行うべきではなかったのか?しかし、皮肉なことに今このオリンピックが、中国分裂への道のりを加速化している。

これからどうなるかは、全く未知数の民主中国がもしこの道を選んだとしたら、結果として急速な経済発展が予想されます。国には、社会の成熟や、経済の発展度合いによっていろいろな政策を、そのときの事情にあわせて実施していく必要があります。特に、日本は、1960年代から80年代の半ばまで、日本独自の規制の多い社会経済体制を維持しつつ、奇跡の経済発展を行ってきました。これを民主中国で再現するのです。そのためには、日本の社会システムの導入が大きな役割を果たすことでしょう。

実は、日本は、25年以上前までは、「共産主義国家」だったのです。こういうと、皆さんは怪訝に思われるかもしれませんが、実質上は本当にそうだったといえます。この時代は、非常に政府の規制が多く、外国の企業は入りにくくなっていて、規制が網の目のように張り巡らされ、しかも平等主義ににつらぬかれた社会だったいえます。このような社会は、現在振り返ってみると、共産主義といってもおかしくはありません。良い面悪い面もありましたが、あれだけの経済発展を実現した日本の社会体制はその時代においては、良く機能し、素晴らしいシステムであったことには疑いの余地はないと思います。

このシステムについて、かつてのソビエト連邦の経済学者が崩壊の2~3年前に、以下のように語っていました。「われわれの共産主義は失敗した。私は、世界の中で理想の共産主義を実現している国はないかと探してみたところ、私たちの理想に近い共産主義を実現している国を見出した。それは日本である」と語っています。

日本は、明治維新という偉大な無血革命による社会改革(経営学の大家故ドラッカー氏も絶賛しています)、敗戦後における果敢な社会政策に基づいた奇跡の経済成長を成し遂げた国でもあります。さらには、80年代に、いまは無き元橋本総理大臣により、ビッグバンを行い、自由主義経済の道を選択しました。その後のバブル、バブルの崩壊と、失われた10年も経験してきています。これほどの浮き沈みを経験をしてきた国はありません。こうした日本の経験を踏まえ、中国にまずは、日本型共産主義を導入するのです。そうして、ある程度の経済発展が実現されるまでは、このシステムを最大限生かす道を選択してもらうのです。私は、これが民主中国が選択するべき最善の選択肢だと思います。

以下に上記記事との関連記事を掲載しました。まだの方は是非ご覧になってください。反転文字列をクリックしていただければ、当該記事の内容に飛ぶことができます。

■中国ゼリー層-明日の中国を牽引する原動力となるか?

■チャイナ・アート・バブルにも冷めた見方のできる中国ゼリー世代?

■中国分裂の筋書き−(その10)パクスマリーナが拓く世界の平和と大繁栄

■中国分裂の筋書き−(その9)日本の対応は?

■中国分裂の筋書き−(その7)忘れてはいけない中国の不良債権

■中国分裂の筋書き−(その6)現代中国の混乱ぶりを現す動画の数々

■中国分裂の筋書き−(その5)他の人達はどう思っているのか?

■中国分裂の筋書き−(その4)毛沢東を統合の象徴にすることができない中国中央政府の苦悩

■中国分裂の筋書き−(その3)中国バブルの真実

■中国分裂の筋書−(その2)革命でもなければ現代中国は変わらない

■中国分裂の筋書−(その1)繰り返される歴史

■中国"義歯"から鉛「安全に問題」

■中国産原料を使ったヘパリン製剤で自主回収へ・・・・米国では死者21名

■世界一人当たりのGDP(国内総生産)と、一人当たり資産−これでも中国は経済大国か?

■南京虐殺記念館に対する日本政府の申し入れに関して考えた、中国のお家事情

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2008年4月10日木曜日

中国分裂の筋書-(7)忘れてはいけない中国の不良債権

Future Crash: TFN Amberger Smackdown 08/29/07

英語は、読んだり書いたり、聞いたり話したりはできるのですが、翻訳は大の苦手です。本来でしたら、この内容を翻訳して掲載したいところですが、勘弁願います。この動画では、手短に言うと、サブプライム問題の影響もあって、中国の不良債権問題はさらに悪化し、2008年の暮れには中国バブルの崩壊につながり、世界経済に悪影響を与えるだろうと予言しています。

中国の分裂の筋書を考えるにあたって、中国の過大な不良債権に関して確認しておく必要があります。日本でも、つい最近まで銀行などが不良債権の山を長年にわたって隠し続けてきましたが、ここ数年でようやっと払拭されました。この不良債権の山、多くの銀行や企業で隠し続けていて、結局は空白の10年とも呼ばれる時代を迎えざるを得なくなったことは皆さんの記憶にも新しいことだと思います。現代中国の場合もまさに現在不良債権の山があります。しかも、長年にわたってひた隠しに隠し続けています。

日本の場合は、いくら隠し続けようとしても、結局はどうにもならなくなって、出さざるを得なくなって、政府によるかなりの資本注入や、銀行などの企業の大連合、合併でなんとかすることができました。

しかし、これが中国の場合だと、そもそも地方政府から中央政府への報告がいい加減ということがあります。中国経済発展は、実は地方政府の発表を中央政府が集計して発表しているため、かなりいい加減だという実情があります。だから、中国GDPの伸び率などは、話半分で受け取っておいたほうが正しい認識ができます。これが、不良債権などということにもなれば、誰でも臭いものには蓋をしたいとという心理が働き、まずは、地方政府から中央政府への報告の段階で脚色され少な目に発表され、さらに、中央政府から公式の資料として発表する際にも、その心理が働き、おそらく実際に発表されたものよりも、2倍から3倍は不良債権があるものとみて良いでしょう。

中国の特殊事情
大陸中国の工場などでは部品を外国企業が持ち込み、その加工をして製品にする工程のみを中国現地企業が受け持つという方式がほとんどです。先進国等の産業は原材料から製品までほぼ全工程をその国で行っています。そのため、外国企業であったとしても、バブル崩壊や製品が売れなくても、外国企業はその国で頑張ることになります。そして、企業が撤退すると国全体の景気が落ち込むために、国も外国企業を支援するのが普通です。しかし、中国の場合は、中国現地企業が行うのは加工のみであるのがほとんどなので、何かあつたときには簡単に撤退しやすいということになります。日本を例にとると、日本企業が中国に進出したとしても、中国で行うのは安い労働力を利用した、加工(アゼンブリー)部門のみということになります。製造業におけるアゼンブリーに占める人件費は年々少なくなる傾向にあります。そのため、中国で何か問題があれば、多くの日本企業は、日本国内もしくは他国にアゼンブリー部門をすぐに移してしまいます。あのレノボというパソコンメーカーも結局同じことです。インテルなどのアメリカ企業から部品を調達し中国内で組み立てているだけです。ただし、レノボの場合は、中国に売却されてしまったので、本体は中国から撤退することはないでしょうが、アゼンブリー部門は、海外に移転する可能性もあります。

中国で不良債権ができた理由は、いろいろありますが、煎じ詰めると多くの銀行が有力政治家の子弟の経営する国営企業に無担保で無制限に貸したことと、省政府に近い企業に土地バブルが起きている土地のビル開発に資金を大量に貸したために起こっています。

今は、年率で経済成長が10%もあり土地価格も上昇しているし、また外国企業が中国で工場を建てるなどの投資があるので、土地を外国企業に売るなど、なんとか国営企業も利息だけは払っていける状態にあります。

しかし、そこに土地バブル崩壊が起きると、土地は不良資産化して借金を返せなくなりますし、かつ外国企業の投資減退がおきると、国営企業もほとんど海外企業より競争力が劣っているため、海外企業に土地を売って、資金を得ることができなくなってしまいます。中国の加工しかしていないので、外国企業も直ぐに撤退できるのが中国の特徴で、人件費が上がると外国企業は他の国に移動することになる。

中国は市場経済を止めることはできない
中国の不良債権額が100兆円にもなると米ファンドが試算しています(中国の発表はもっと小さい、しかも年々減っていると発表している)。中国のGDPは160兆円程度であり、この不良債権処理をするには、中国国内の資金だけでは無理があります。WTOにも加盟している中国は、市場経済を放棄もできません。もし、市場経済を放棄して、企業を全て国営化する判断をくだすと、諸外国企業や国家は二度と中国とは取引をしないし、諸外国は中国に対して経済制裁を行うことになるでしょう。そうして、中国の海外資産の凍結もするでしょう。このため、中国は政府は、市場経済を止めることはできません。

考え得る解決策
1つの解決は、不良債権を持つ銀行を海外銀行に売却することです。このとき、日本のバブル崩壊時のことを思い出して欲しいです。海外の買収先は、資産の透明化を求めることになる。その透明化で問
題が洗い出されます。有力政治家の子弟の乱脈経営が明るみに出ることになります。海外銀行は、中国の銀行や企業の自由性や透明性の確保を要求するようになります。その意味では中国国家が海外企業から監視されることになります。政経分離や法治国家化です。

多くの中国企業が海外企業の子会社になるため、今の韓国のように儲けのほとんどが海外に流れることになります。投資ファンドのカーライルの期待配当性向は30%以上ですから、かなり高率になります。いくら働いても儲けは外国に行く構造になってしまいます。米国の新経済植民地としての中国ができあがることになります。

2つ目の解決は、国家が銀行の不良債権を買い取ることです。この資金を国家が国債を発行して、国民や外国に借りることになります。巨額の資金であるので、中国だけではどうしようもないので、米国、日本やIMFなどの先進諸国や国際機関に頼るしかありません。この時は、貸す条件として、中国国家に注文を出さなければならない。勿論、二度とこのようなことが起きないようにする仕組みだ。取りも直さず、民主化と政経分離と法治国家化ということになります。

アジア通貨危機時に、1を選択したのが韓国で、IMFの管理下で銀行のほとんどが外国ファンドの手に渡っている。2を選択したのが、マレーシアやインドネシアなどで、日本が資金を出している。
金融改革を日本の指導で行った。現時点を考えると、IMFの管理は非常におかしい運営で、その国のためではなくて米国のファンドに寄与したような結果になっています。。

日本のバブル崩壊時、GDPは500兆円で120兆円の不良債権でしたので、一部銀行を米ファンドに切り売りしただけで、済んだのが不幸中の幸いだったと思います。日本の経済力(GDP)が当時不良債権の4倍以上あったから、軽く済みました。中国の不良債権は100兆円とGDP160兆円に比べても、大きすぎます。このため、日本のように簡単には済まないでしょう。

中国は米ドルを大量に取得しています。このドルを米国債としては3300億ドル程度を所有していると考えられます。。残りはペトロカサフスタンの買収やIBMのPC部門買収など世界で企業買収に使っています。日本企業もターゲットになっているので、気をつけるべきです。最近では、中国のファンドも日本に投資をしよう虎視眈々と狙っています。このドル資金を人民元に変えると、大量のドル売りになるためにドルの暴落も考えられます。。このため、米国と日本が共同で中国の改革に乗り出し、米国の反発を抑えることも日本は考えることが必要かもしれません。

このような状況で、中国は報道を制限し始めています。特に海外への配信に報道管制を掛けてきています。とうとう、中国の危機的な状態が始まったような気がします。経済的に急な下降すると、一般的な国民の生活は非常に苦しくなる。この一般国民の暴動で政治も変わります。このような政策で、欧米日からも人権問題で中国の姿勢を批判されています。日本と欧米からの外圧が加わる状態になっています。

とうとう、中国の崩壊とその改革が始まったようです。私としては、排他的な中国共産党は、この事態に柔軟に対処することは出来ないと思います。どこからほころびが始まるのか?中国がひた隠しにしてきた、不良債権の存在。この問題だけは、世界や日本に向かって中国共産党は、土下座してでもおがみ倒して、何とかしなければなりません。中華思想に凝り固まり、排他的な中国共産党指導者に、これはできるのでしょうか?いずれ、中国指導者の失脚とか、分裂の動きとか、顕著になってくると思います。本当は、オリンピックやチベット弾圧などしている余裕などないはずです。中国共産党は、北京オリンピックによって、分裂へのアクセルをめいっぱいに踏み込んでしまったのかもしれません。

以下に上記記事との関連記事を掲載しました。まだの方は是非ご覧になってください。反転文字列をクリックしていただければ、当該記事の内容に飛ぶことができます。


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■中国分裂の筋書き-(その10)パクスマリーナが拓く世界の平和と大繁栄

■中国分裂の筋書き-(その9)日本の対応は?

■中国分裂の筋書き-(その8)迫られる中国の選択

■中国分裂の筋書き-(その7)忘れてはいけない中国の不良債権

■中国分裂の筋書き-(その6)現代中国の混乱ぶりを現す動画の数々

■中国分裂の筋書き-(その5)他の人達はどう思っているのか?

■中国分裂の筋書き-(その4)毛沢東を統合の象徴にすることができない中国中央政府の苦悩

■中国分裂の筋書き-(その3)中国バブルの真実

■中国分裂の筋書-(その2)革命でもなければ現代中国は変わらない

■中国分裂の筋書-(その1)繰り返される歴史

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