まとめ
- 今回のポイントは、「我が国は衰退している」という決まり文句が、実は緊縮財政や利上げを正当化するために“便利に使われてきた物語”であることを明らかにしたことだ。
- 日本は、衰退どころか海外に積み上がる資産やさらに特別会計に積み上がる資金がある以上、手当て次第で国内経済を立て直せる余地がまだ大きい。
- 次に備えるべきは、話題の「日本版DOGE」がなぜ必要で、どうすれば骨抜きにされずに動くのかということだ。来週は核心に迫ることも予告もした。
この言葉は、いつの間にか疑われることなく語られるようになった。人口減少、少子高齢化、低成長。いずれも事実である。しかし、それらを一つに束ね、「だから我が国はもう駄目だ」と断じる語り方には、明確な方向性がある。
この物語が最も都合よく作用する相手は誰か。
第一に挙がるのは、財務省を中核とする緊縮財政の官僚機構だ。
「国は衰退している」「財政は限界だ」という前提が共有されれば、増税も歳出削減も正当化される。補正予算は危険視され、需要を生む政策は「将来世代へのツケ」として退けられる。これは経済運営ではない。統治のための物語である。
この語りは、日本銀行の金融政策とも整合的だ。成長できない国、衰退する国という前提に立てば、利上げや引き締めは「正常化」「健全化」として説明しやすい。しかし、需要が弱いままの国で金融を締めれば、企業は投資を控え、家計は慎重になり、経済はさらに冷える。
だが、ここには見過ごせない矛盾がある。
我が国は「衰退国」と言われながら、対外純資産、特に対外金融資産の蓄積という点で世界有数の規模を維持している。海外から得られる利子や配当は積み上がり、日本は依然として大きな債権国だ。
政府部門を見れば、特別会計や各種基金に多額の資金が滞留している。使途が不明確、あるいは過剰と見られる資金は、規模感として数十兆円、広く見れば百兆円単位に達していると見られている。
富は消えていない。国内で十分に回っていないだけだ。
この状況は、外部の戦略とも重なり合う。
近隣の全体主義国家、特に中国にとって、「我が国は衰退している」という自己否定の物語が広がることは好都合である。相手国を内向きにし、挑戦する意欲を削げば、正面から競う必要はない。認知戦とは、そうした積み重ねで進む。
重要なのは、これが陰謀論ではないという点だ。
国内の緊縮志向、責任回避、現状維持の心理と、外部の戦略的利益が自然に重なった結果として、この物語は定着してきた。
2️⃣官僚・走狗・公金──国家を食い物にする生態系
| 財務省 |
では、なぜ財務省や日銀の官僚は、この構図を維持し続けるのか。
理由は単純だ。天下国家のためではない。退官後の人生を見据えているからである。
我が国の官僚機構では、評価基準がはっきりしている。
前例を崩さない。
波風を立てない。
政治判断の責任を負わない。
これを守った者ほど、退官後の居場所が用意されやすい。
幹部官僚の多くは、退官後に大手金融機関、政府系金融機関、保険会社、巨大企業、シンクタンクなどに再就職する。一度で終わらず、退職と再就職を繰り返す例も少なくない。その過程で、一般国民とは異なる収入水準に至る。
この構造に、国民経済の回復はほとんど影響しない。
彼らにとっての最大の関心事は、国を立て直す政策よりも、自らの評価が揺らがないことである。
さらに、この構造を下支えする存在がいる。
いわゆる「走狗」だ。
官僚、政治家、業界が結びつく「鉄の三角形」は以前から存在していた。近年は、コンサルティング会社や補助金に依存する団体などを含み、形を変えて広がっている。いわゆる「公金チューチュー」と呼ばれる構造である。
会計検査では、事業効果の検証不足や再委託の多重化が指摘されてきた。それでも、規模の大きな事業は継続されることが多い。そこに関わる者たちが、結果として官僚の立場を支える側に回るからだ。
彼らは「専門家」として登場し、緊縮や引き締めを合理的判断として説明する。政策の結果が芳しくなくても、「時代の制約」「国民意識」といった言葉に置き換えられる。
こうして、「我が国は衰退している」という物語は、静かに補強されていく。
3️⃣米国DOGEの経験、日本の可能性──日本版DOGEという現実解
米国でも、より露骨な形で同様の問題が意識された。
米国で試みられたのが、DOGE(Department of Government Efficiency)である。
日本語にすれば、「政府効率化局」「政府支出効率化組織」といった意味合いになる。
DOGEは、肥大化した政府支出を点検するため、IT・データ分析の専門家を中心に据え、「どこに、いくらの税金が流れているのか」を可視化しようとした。契約情報や予算データを横断的に分析し、従来は見えにくかった資金の流れを明らかにした点では一定の成果を上げた。
しかし、DOGEは制度として定着するには至らなかった。
技術とデータには強みがあったが、政治や制度の文脈に深く踏み込むことは難しかった。
なぜその予算が存在するのか。
誰が最終責任を負っているのか。
どの制度が、同じ構造を繰り返し生み出しているのか。
これらは、数字の提示だけでは解けない問題である。結果として、DOGEの取り組みは限定的な範囲にとどまった。
この経験が示す教訓は明確だ。
技術だけでは構造は変わらない。
だからこそ、日本版DOGEは、派手さを競う組織である必要はない。小さく、的確で、継続的に機能する仕組みであることが重要だ。
対象は、特別会計、基金、補助金や委託事業のうち、金額が大きく成果が曖昧なものに絞る。
権限は、勧告にとどまらず、予算執行を止める、あるいは縮減させる実効性を持たせる。
人材は、ITに加え、財政制度、金融、行政、政治過程を理解する者を組み合わせる。
結果は、国民に分かる形で公開する。
これは空想ではない。
行政事業レビュー、会計検査、データ統合、政策評価といった仕組みは、すでに存在する。足りないのは、それらを一つの意思で束ねることだけである。
我が国は衰退していない。
衰退しているように語られてきただけだ。
予告──来週の金曜日に、さらに踏み込む
来週のブログでは、次の三点を金曜日のテーマとして扱う。
なぜ、これまで制度は十分に機能しなかったのか。
日本版DOGEが形骸化する典型的な要因は何か。
そして、市場が最も警戒するポイントはどこにあるのか。
次回は、制度論を一歩進め、国債、市場、金利、金融機関という現実の数字を通して、この問題を掘り下げる。
議論は、いよいよ核心に迫る。
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