2023年12月11日月曜日

特攻隊、戦果と意義の客観的見直しを 軍事作戦の邪道ではあるが…3倍の敵と刺し違え、戦後の〝抑止力〟にも―【私の論評】特攻隊の犠牲とインド・太平洋地域の秩序:伊藤健太郎氏のコメントを踏まえて考える

井上和彦 歪められた真実

まとめ

  • 戦後の日本では、特攻隊は悲劇の象徴として扱われてきた。
  • 特攻隊は大きな戦果を挙げ、米軍将兵の心胆を寒からしめていた。
  • 特攻隊員は至純の愛国心を胸に戦い、命を祖国のために捧げた。
  • 特攻隊は、世界の人々の日本人観に多大な影響を与え、戦後も日本を守ってきた。

楢本神社・神風特攻記念館には、関大尉(中央、没後中佐に)など「敷島隊」の遺影などが展示されている

 戦後の日本社会では、特攻隊は悲劇の象徴として扱われてきた。しかし、事実として、特攻隊は大きな戦果を挙げ、米軍将兵の心胆を寒からしめていた。

 1944年から終戦までの約10か月間で、海軍2,367機、陸軍1,129機の特攻機が敵艦隊に突入して、約3,910人が散華した。米海軍だけでも、戦死者約1万2,300人、重傷者約3万6,000人を出し、戦闘神経症患者も続出した。

 特攻隊の戦果は、日米両軍の戦死傷者の数だけを比較しても、3倍の敵と刺し違えていたことになる。米海軍ベイツ中佐は、特攻隊について「日本の奴らに、神風特攻隊がこのように多くの人々を殺し、多くの艦艇を撃破していることを寸時も考えさせてはならない」と語った。

 戦後の日本では、特攻隊員は強制的に志願させられたかわいそうな若者とされることが多かった。しかし、特攻隊員の肉声を聴くと、彼らは至純の愛国心を胸に戦い、命を祖国のために捧げたことがわかる。

 もちろん、特攻は軍事作戦の邪道である。しかし、その戦果と意義を客観的に見直し、まずは散華された特攻隊員を顕彰すべきである。

 特攻隊は、世界の人々の日本人観に多大な影響を与え、戦後も「日本に手を出すと痛い目に遭う」と思わせる抑止力となって日本を守ってきた。かつての特攻隊の武勇は、戦後日本の抑止力ともなってきたことを忘れてはならない。

 この記事は、元記事の要約です。詳細を知りたい方は、元記事をご覧ください。

【私の論評】特攻隊の犠牲とインド・太平洋地域の秩序:伊藤健太郎氏のコメントを踏まえて考える

まとめ
  • 伊藤健太郎氏は、特攻隊の犠牲によって現在の日本の平和が成り立っていると述べた。
  • 特攻隊の戦没者は4千名程度と言われているが、米国の戦没者も少なくない。
  • 米国のB29搭乗員の日本爆撃での戦没者は3千人、米潜水艦搭乗員の戦没者は6,310名にのぼる。
  • 米国も戦争で多くの犠牲者を出し、多くの人々に大きな傷を残した。特攻隊や米国の軍人らの犠牲によって、戦後の新たなインド・太平洋地域の秩序が作られた。
  • 中 露北は、この秩序を破壊し、自分たちの都合のよい新たな秩序を作り出そうとしている。日米の協力関係は、戦争で失われた多くの命や特攻隊などの犠牲も反映されており、その大切さを忘れてはならない

昨日たまたま、Xで以下のようなポストをしたので、リポストをしました。そうして、本日サイトを見ていたら、上記のような記事をみたので、本日はこれを話題にしようと思います。

このポストに対して、私は以下のようにリポストしました。

日本側も犠牲者が多く、特攻隊の戦没者は4千名程度と言われています。しかし、米国の戦没者も多いです。 無敵と思われていた、米国のB29の搭乗員の日本爆撃での戦没者は3千人にも及びまず。太平洋戦争における米潜水艦搭乗員の戦没者は、6,310名でした。 米国も相当な被害を受けていたのです。2001年の米映画「マジッエスティク」に出てくる“ローソン”という田舎町では、戦争で多くの若者を失い、残った人々の心に大きな傷を残していました。 これを見たとき、自分が高校生時代を過ごした旭川のことを思い起こしてしまいました。沖縄戦で多くの人がなくなり、さらに他の戦役でも、多くの人がなくなり、終戦直後には農家などの後継がいなくなり、しばらく暗い影を落としていたそうです。 特攻隊の人々は日本を守りなくなりました。米国の軍人らも、祖国の大義ために命を落としました。 良い悪いは、別にして日米軍人の犠牲は、戦後の新たなインド・太平洋地域の秩序を作り出したのです。 その秩序を破壊し、自分たちの都合のよい新たな秩序を作り出そうとしているのが、中国・ロシア・北朝鮮です。 私達は、そのことを忘れるべきではありません。
無論、戦争中にはインド・太平洋地域という言葉はありませんでしたが、日米の激突によって、この地域の秩序が作られたのは間違いありません。当時の中国やロシア、朝鮮などは、これには多少は関与した部分があったかもしれませんが、あったにしても趨勢を変えることなどできず、ほぼ無関係であったと言って良いです。

中露北は今日この秩序を自分たちに都合の良いように、作り替えようとしています。これは、日米からすれば、とても許容できるものではありません。そもそも、中露北とは価値観が違います。

そうして、この秩序は、紛れなく日米の将兵らの犠牲の上に成り立ってきたのです。

そうして、この秩序形成には、戦中に特攻隊をはじめ、多くの将兵たちの勇猛果敢な戦いぶりも大きく影響したのは間違い無いと思います。

インド太平洋地域 濃い青色の部分

第二次世界大戦の歴史を振り返って、日本はある意味幸運だった、もし当時のソ連に日本が占領されていれば、とんでもないことになったと語る人たちがいます。

私は、これは正しいと思います。ソ連に占領されていたら、ソ連の占領政策はかなり懲罰的な苛烈な政策となっていたでしょう。おそらく、公用語はロシア語となり、今頃多くの日本人が、ウクライナ戦争の最前線に立ち多くの犠牲者を出していたかもしれませせん。

あるいは、ウクライナと同じような運命をたどり、独立したものの、今頃ロシアに再度侵略されていたかもしれません。

実際、ウクライナ戦争において、ロシア軍には多くの少数民族も含むロシア連邦の多くの共和国の人たちが最前線に送られているという報告もあります。また、真偽はあきらかではありませんが、少数民族が優先的に激戦地へ投入されているとの不満が出ているとの報道もあります。

無論、米国の占領政策にも、懲罰的なものもありました。今日まで、それが続き、様々な問題をひきおこしています。

ただ、米国は当時から民主主義国家としての体裁を整えた国であったため、占領政策はソ連によるものよりは、苛烈でなかったは確かだと思います。

連合国軍最高司令官総司令部が入った第一生命館(1950年頃撮影)

そうして、私は米国の占領政策が苛烈ではなかったもう一つの背景は、特攻隊を始めとする、日本の将兵の戦いぶりもあったと思います。米国人の中には、これを恐れ憎む人も大勢いましたが、畏敬の念を示す人々も多かったのも事実です。日本人を不当に扱ったり、朝廷を壊したりすれば、大変なことになると当時の指導者は考えていたと思います。そのため、当時の米国は苛烈な占領政策を控えた面は否めないと思います。

そうして、先に述べたように、日米は故安倍晋三氏が提唱した、インド太平洋戦略をともに推進する協力関係を構築しています。こうした関係は、日米が太平洋戦争で出したおびただしい数の犠牲の上に成り立っているのです。その中には、特攻隊でなくなった若者たちの犠牲も含まれているのです。そのことを私達は、忘れるべきではありません。

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