まとめ
- 塩入清香議員の「核武装は安上がり」という発言は、現実的な安全保障論の一環であり、感情的な批判ではなく冷静な議論が必要である。
- ウクライナの核放棄とロシアの侵攻は、核抑止の喪失が重大な結果を招くことを示しており、核の有無が国の存続に関わる可能性を裏付けている。
- 北朝鮮の核は、その是非は別として、中国の朝鮮半島支配を抑制する抑止力として現実に機能しており、地域の勢力均衡に寄与している。
- 日本は唯一の戦争被爆国であるからこそ、核の非人道性と同時に抑止力としての現実的な側面も語る資格と責任がある。
- 平和は祈りや理念だけでは実現せず、力と抑止と戦略によって守られる。今こそ日本は「核」という言葉に過敏にならず、現実を直視し、国家として安全保障の議論を進めるべき時である。
2025年7月、参政党から参議院に初当選した塩入清香(さや)議員が、ネット番組で「核武装が最も安上がりで、安全保障を強化する手段の一つだ」と発言した。この一言が、即座にマスコミの猛批判を浴びることとなった。
塩入氏は、北朝鮮でさえ核を持ったことで、かつてのトランプ米大統領と直接対話できた事実を引き合いに出し、核が交渉力の源になっている現実を指摘したにすぎない。だが、広島市の松井一実市長は「安上がりではない。的外れだ」と切って捨て、メディア各社も「非人道的」「被爆地への冒涜」と断じた。
しかし、我が国が直面している現実を見れば、塩入氏の発言は決して過激なものではない。むしろ、核アレルギーに支配された我が国で、ようやく口を開いた現実派の第一声である。我が国は中国、北朝鮮、ロシアという核保有国に囲まれている。アメリカの核の傘に全面的に依存するだけで、果たして国民の命を守れるのか。こうした根本的な問いすら、公然と議論できない状況こそ異常である。
塩入氏は、今すぐ核を持てとは言っていない。核という選択肢を封じるべきではないと訴えたにすぎない。それに対し、「議論すら許さぬ空気」で封じ込めようとする側こそ、民主主義の本質を危うくしている。
■ウクライナと北朝鮮が示す「核抑止」の現実
核兵器の維持には確かに巨額のコストがかかる。しかし問題は、コストの多寡ではない。「何を守るためにその代償を払うのか」である。通常戦力の維持・拡充には膨大な予算と人員が必要だが、核兵器は少数で絶大な抑止力を発揮する。現実の戦争を防ぐ最後の切り札としての価値は圧倒的だ。
ウクライナの例がそれを物語る。1991年、ソ連崩壊とともにウクライナは大量の戦略核兵器を継承し、名目上は世界第3位の核保有国となった。だが1994年、米英露との「ブダペスト覚書」に基づき、すべての核弾頭はロシアへ返還、一部の発射装置や関連施設は現地で解体・廃棄し、見返りに安全保障の保証を受けたはずだった。
北朝鮮も同様だ。彼らの核は日本や米国を威嚇する道具であると同時に、中国をも牽制する手段となっている。米国の戦略家エドワード・ルトワックは、北朝鮮の核保有が東アジアのバランス・オブ・パワーを保っていると指摘する。北に核がなければ、朝鮮半島全体が中国に飲み込まれ、「朝鮮省」あるいは「朝鮮自治区」と化していた可能性は否定できない。
その場合、日本は三方を中国の影響圏に囲まれる地政学的危機に陥っていた。韓国は形式上独立していても、実態は中国の属国になっていたかもしれない。台湾もまた、完全に包囲された状態となり、中国の圧力に屈する可能性は格段に高まっていたであろう。
北朝鮮の核開発は国際社会の秩序に反しているとの批判があるのは当然だ。その是非は別としても、力による均衡が現実に成立しており、それが中国の朝鮮半島支配を抑制しているという地政学的効果を、我々は見逃してはならない。
■唯一の被爆国こそ、核の現実を語る資格がある
そして忘れてはならないのは、我が国が唯一の戦争被爆国であるという現実だ。広島と長崎に原爆が落とされ、数十万の民間人が命を落とした我が国は、核の非人道性を知る立場にある。しかし、それと同時に、我が国は戦後一度たりとも戦火に巻き込まれていない。その背景には、米国の核抑止が機能してきたという現実もある。
1945年8月9日、長崎で原子爆弾が投下された直後に浦上地区の三菱兵器(工場)付近撮影された写真 |
1998年、インドが核実験を実施した際、我が国政府は強く抗議し、広島・長崎両市も非難声明を発した。だが、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の一部からは、「我が国だけが核を持たず、他国に任せるのは本当に安全なのか」とする声が上がった。核の恐怖を誰よりも知る被爆者自身が、逆に「持たないことの危うさ」に言及したのである。これこそ、真のリアリズムである。
「唯一の被爆国だからこそ核を否定すべき」という思考停止ではない。「唯一の被爆国だからこそ、核の抑止力を誰よりも冷静に語る資格がある」という視点があって然るべきだ。平和を願うからこそ、現実と向き合う必要がある。
真の平和は、祈りだけでは実現しない。力と抑止、そして戦略があって初めて守られる。我が国は今こそ「核」という言葉に怯えるのをやめ、現実を直視すべきである。塩入清香議員の発言は、長らく封じ込められてきた「真の国防」を語る一歩だった。それを感情的に封殺するのではなく、冷静に受け止め、国家として真剣に議論すべき時が来ている。これは彼女個人の問題ではない。我が国の生存に関わる極めて重大なテーマである。
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