評論家の鳥居民氏(左写真)が産経ニュースに例のNHKの偏向報道に関して、書かれていましたので、そのまま転載します。この手の評論、時間がたつと消えてしまうことが多いので、ここに敢えてすべて転載させていただきました。
「アジアの一等国」を観て
少し前の話だが、4月5日、NHKスペシャル「ジャパン デビュー」の第1回「アジアの一等国」という番組を観た。
悲しかった。わたしたちの祖父、曾祖父、高祖父の願いと努力に思い入る気持ちのかけらもない、辺りに人も無げな驕(おご)りぶりが悲しかった。
もうひとつ、この番組の制作者が唯一頼りにした出演者である日本植民地時代の台湾の最後の人びとへの気持ちである。当然ながら現在70代、80代の人びとが持ったまことに複雑、微妙な日本にたいする愛情を十分理解したはずであったにもかかわらず、勝手な裁断をおこない、日本の植民地統治を罵(ののし)るために利用し、協力者の善意を足蹴(あしげ)にした、その傲慢(ごうまん)さが悲しかった。
制作者は、1859年の横浜の開港から日本は「世界にデビューした」のだと説く。そして日本は「一等国」になろうとして、台湾を植民地にしたのだと語る。
制作者が横浜から台湾へ話をつづけようとするのであるなら、私が思いだすのはアーネスト・サトウのことになる。英国外務省の通訳官となったサトウは、開港3年あとの横浜で日本語を学び、草書の書簡を読むことができるまでになり、薩摩、長州、各藩の国事活動家と語り、日本の進路をはっきり見定め、有能な外交官となるその片鱗(へんりん)を見せた。
日本に憎しみのない台湾
さて日清戦争が終わった年にサトウは公使となって再び、日本に赴任した。台湾の樟脳(しょうのう)と砂糖、茶、阿片(あへん)を扱う横浜の英国商社の幹部たちと話し合い、日本は台湾の経営に失敗すると予測した。
そのときヴィクトリア女王統治下の大英帝国は最盛期にあり、世界の人口の4分の1を支配していた。先進国が後進地域を取得し、統治する権利が当然のように認められた時代だった。
植民地経営は「白人の重荷」であり、英国人に与えられた高貴な責務であった。植民地の人びとに命令を下すことができるのは英国人の行政官だけなのだ、英国人はこのように思っていた。そこでサトウと旧友らは、日本は台湾で清国政府以上のことはできないと語り合ったのである。
それから100年以上がたつ。日本の台湾統治をどう評価したらよいのか。サトウはといえば、1929(昭和4)年に没していた。かれは自分たちが間違っていたと認めたに違いない。
台湾の植民地統治は成果を収めた。価値や道徳は絶対的なものではない、あくまで相対的なものだ。日本の統治には失策も、大きな過ち、悲劇もあった。そのような過ち、悲劇を忘れず、民族の共通の意識にその憎しみを育てあげるのだと説く論考がある。たとえば英国人意識の源泉にフランス嫌いがあるのだと主張する。即座に隣国の韓国人意識の底にある日本嫌い、日本の後を追っての競争心を思い浮かべることになろう。
しかし、わたしたちは、なぜ台湾の人びとが日本に憎しみを持たないのかと考えることになる。
現在、台湾人は日本の統治時代を声高に非難しない。日本の統治を離れて60年、年若い世代を含めた台湾の人びとが、尊敬する国、移住したい国の筆頭に日本を挙げるのは、かつての日本の統治に不快感を持っていないことが大きな理由なのである。父親や祖母がその昔を語った二言、三言の記憶を自分たちが抱く日本人にたいする印象と重ね合わせて、かれらはその理解を大切にしてきたのだ。
わたしたちは誰でも、この台湾の人びとの日本人への温かい感情を、嬉(うれ)しく有り難く思う。
「一等国」の犠牲者とは
さて、奇怪極まることに、NHKの先の番組は、誰もが大事にしてきたこの感情を踏みにじろうとすることに懸命となった。
日本の台湾統治のすべてを否定し、台湾の人びとは日本の植民地統治に恨みを抱いているのだと説いた。たとえば台湾の人びとが高く評価する台湾における後藤新平を容赦なく裁いてみせる。上水道の整備、灌漑(かんがい)設備の建設を振り返ることなどするはずもない。台湾総督府が独占した樟脳を取り上げ、植民地収奪の話に仕立てることに汲々(きゅうきゅう)としている。
番組は「皇民化運動」で終わる。公園に集まった老人たちにつぎつぎとその昔の日本の軍歌を歌わせる。かれらは「蛍の光」を歌いたかったのだし、「荒城の月」を歌うこともできた。それにもかかわらず軍歌だけを歌わせ、「アジアの一等国の哀れな犠牲者」と視聴者に印象付け、「日本統治の深い傷」と締めくくる。
私は制作者の「辺りに人も無げな驕りぶり」「傲慢さ」を悲しく思ったと記した。「驕りぶり」「傲慢さ」といえば、番組の題である「アジアの一等国」、その一等国民が犯した罪の第一に挙げなければならない態度、性向であろう。この制作者の振る舞いこそがまさにその一等国民そのものなのだが、このような人物が「アジアの一等国」を制作したことが、いま悲しく思う理由なのである。(とりい たみ)
台湾の人々にとって日本は憧憬の対象だ!!
鳥居民氏の上記の文章、いちいちうなずけるところがあり、思い切って全文掲載せさていただきました。本当に、台湾の人々は、統治時代の日本について、憎しみや恨みを持っているひとなどほとんどいないのではないかと思います。
実際、私が訪れたときも、そのような雰囲気を味わったり感じたりしたことは一度足りともありません。以前のブログにも述べたように私の知っている人も、90歳を超える自分の母親と、その母親がかつて勤めていた小学校に訪問したときなども、随分丁重な扱いを受けました。その学校の校長先生は「日本のお陰で今日の台湾があります」と日本と日本人に対する感謝の念をあらわしていたそうです。
それに、私の知人である銀行員も、最近台湾の企業の社長さんに招かれ、非常に歓待していただいたことをうかがったことがあります。細かいことは、忘れましたが、わざわざ台湾産の日本酒を用意していただいて、自宅と別荘の両方で1週間の大歓待受けたそうです。
私自身は、自らの実経験においても、周りの人の経験からしても台湾人が、それも特に本省人といわれる台湾にもともと住んでいた人々から、日本統治に関して恨み言など聞いたことは一度もありません。
私の父は医師ですが、その父に台北帝大出身の同僚の方(日本人)がいらっしゃいました。その方が、私が子供の頃よく私の家に遊びにいらしていました。そのときが、私の台湾に関して、本や、メディア以外の情報としてはじめて見聞きしたはじめでした。そもそも、台湾に台北帝大という、その当時の日本の帝大と規模的にほとんど変わりない大学を日本が築いていたということ自体が驚きでした。そうして、台湾人の方も台湾帝大で多数学ばれていて、台北帝大を卒業された人たちがその当時の台湾でも、大活躍していることをきき驚きました。
私が大学に入学したころは、すでに大学紛争などはすっかり影を潜めていた時代でしたが、子供の頃は、学生運動がまだ尾を引いていたような時代で、どちらかというと、いわゆる進歩的文化人による自虐的歴史観のようなものが全盛を占めていた時代だったので、その話はとても新鮮に移りました。
その後台湾にも何度かおとずれましたが、日本に対して、露骨に恨み言をいう人などに一度も見かけたことはありません。
だから、鳥居氏のいいたいこと、思っていることはよく判りますし、NHKの偏向報道には、怒りを通り越して、NHKの傲慢さが悲しくなります。
台湾の人の中に、今でも強い憧憬の念を持つ人が多くいますが、それは、特に、年配の人たちの中には、せっかく日本の国民として頑張ったのに、確かに日本は、戦争に負けたので、仕方ないが、かつて日本の国土であった、そうして、国民であった台湾人に対して、現在の日本は冷たすぎるもっと近しくして欲しいという思いがあるのだと思います。この感情は、子供が親に対する感情と似通ったところがあるのではないかと思います。それも、日本は、不幸にも子供が一人前になる前に手放してしまったような親という感じがします。だから、台湾の人々の心の中は複雑なものがあるのだと思います。
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