Jerk Chicken, Green Fig Salad, Sauteed Cassava / anax44 |
「現在では、大学院あたりでも、こういう指摘されるこういう子供っぽい人がいるんですね。だから、教授に指摘されたのです。そういうことをこれくらの年齢になって指摘されるのは、非常に恥ずかしいことです。
それをこのような記事にして、それを吐露できてしまう今の社会はどこか狂っています。そもそも、いい年をした大人が馬鹿真似をする世の中ですから・・・・・。
現在では自己中心的であることを大学院レベルで、はじめて知るような人たちが、企業にはいってくるわけです。企業もこれに対応しなければならないということです。
いやはや・・・・・。親の顔をみてみたい。でも、そんなことを言ってもしょうがないです。現実がそうなのですから、私達もそれに対処しなければなりません」。
これが、これが、ブログ冒頭の記事に対する偽らざる私の感想です。
これが、中学生や高校生の作文なら、それはそれなりに評価しますが、大学生や大学院生レベルでは、評価にも何も値しないと思います。
だから、この記事の内容は、ほとんど掲載しませんでした。詳細を知りたい方は、元記事をご覧になって下さい。そもそも、これ自体を掲載することが、なにやら気恥ずかしく感じてしまいます。
私は、そう思います。
そもそも、日本でいわゆる話し合いの文化が始まったのは歴史が古く、それに関して文字で書かれた一番古い文献は17条憲法です。和をもって貴しとなす。物事は話し合って決めようということが書かれています。そうして、古事記、日本書紀、万葉集などもそうなのですが、考えかたの根底に上は天皇から下は乞食まで同じ日本人であるというのがあります。
これは、世界的にみてもとんでもなく革新的です。そもそも、奴隷制度があった他国ではあり得ない発想です。そうして、この話し合いには、そもそもまともな批判を前提としています。
このまともな批判について、経営学の大家ドラッカー氏は以下ようなことを述べています。
未来に何かを起こすには、勇気を必要とする。努力を必要とする。信念を必要とする。決定のためには、いろいろな案がなくてはならない。ただし、可・否の二案だけでは不足だ。決定しないという決定もあることを忘れない方がいい。反対論がない場合には結論を出してはならない。勇気と勉強に不足があれば反対論は出ない。このようなことは、実は17条憲法の前提となっています。しかし、最近のニッポン人(日本の伝統を継承しな日本人という意味)は、この精神を忘れています。
一昔前までの日本人なら、「和を持って貴し」という精神が息づいていて、批判をすることの本来の意義は誰に言われなくとも、育った環境の中で自然と身についたはずです。
しかし、現状では、ドラッカーなどの理論を借りてきてやさしく、説明しないと理解できない自己中心的なニッポン人が増えてきました。
しかし、そうはいっても、企業などの組織をまともに運営するためには、こうしたニッポン人を外国人の理論を借りてきても、納得させ理解させ、まともな組織人に育てなければなりません。
昔からの日本人の精神を背骨として、育っていれば、このようなことも必要がないのに、今ではこうした回り道をしなければならないというのが、非常に回りくどいし、残念なことです。
昨日は、以下のようなことがありました。
「(外国記者は)日本について全く無知で、いい加減なこと触れ回る」 朝日「吉田証言」2万人訴訟会見で、なぜか海外メディアとバトル詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事の要約を以下に掲載しておきます。
いわゆる従軍慰安婦が多数強制連行されたとする「吉田証言」に基づく誤報を朝日新聞が30年以上取り消さなかった問題で、「朝日新聞を糺(ただ)す国民会議」が2015年2月23日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で会見した。同会議は、日本や日本国民の国際的評価を低下させたとして、朝日新聞に損害賠償と謝罪広告の掲載を求めて提訴している。
この日の会見では、訴訟の意義を「事実関係を司法の場で明らかにする」ことだと説明。さらに、対朝日新聞だけではなく、「日本について全く無知で、いい加減なことを触れ回っている」「朝日新聞と同じようなイデオロギー色に満ちた報道しかしていない」といった外国記者に対する批判も相次ぎ、記者からは「侮辱はすべきでない」などと反発する声が出た。ちなみに、加瀬氏から奴隷制度について以下の様なコメントがありました。
日本は歴史を通じてslaves(奴隷)、slavery(奴隷制)が全く存在しなかった文化。特に、米国のつい19世紀後半まで奴隷制があった国からsex slaves(性奴隷)とか何とか言われたくない。それに日本には、宗教抗争、例えばカトリックとプロテスタントが際限なく殺し合うような宗教対立も宗教抗争も存在しなかった。多くの外国のジャーナリストの方々が、日本について全く無知で、いい加減なことを触れ回っているから、日本の評判が悪くなっている面が大変大きいと思っている。是非みなさん、日本について勉強していただきたい。以下に、この記者会見の模様の動画を掲載しておきます。
事の是非をここでつまびらかにするつもりはありません。それについては、動画をご覧になった皆さんが決めて下さい。
ただし、加瀬氏や水島氏の言いたいことも理解できます。そもそも、外国人記者らは、古事記や、万葉集などの日本の伝統文化については理解しておらず、無論のこと文献としての17条憲法やその前提など全く知らない人がほとんどです。そうして考えかたの根底に上は天皇から下は乞食まで同じ日本人であったということを理解していません。
これが、当の日本人も理解していない人が、多くましてや外国人の場合は、まったくコミュニケーションがなりたたず、苛立ちを覚えているのだと思います。
これは、私が冒頭の記事を見て、苛立ちを覚えるのと、ある程度共通点があるものと思います。
ニッポン人も日本人も、もう一度日本の原点にたちかえり、そこから自分の立ち位置を確認して、そこから、物事を考えなければ、それこそ本当の意味での学問もできないばかりか、現実を把握することもできず、組織運用にも支障が生じてくると思います。事は、一個人の自己中ということではすまなくなります。
私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?
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