米首都ワシントンで対峙した、トランプ大統領支持者と、バイデン氏支持者 |
2020年は、コロナ禍で始まりコロナ禍で終わる未曾有の1年だった。ただ、主流メディアは、中国・武漢から発生した新型コロナウイルスの正体(=人工か天然かを含めて)をタブー視し、「隠蔽」によってパンデミック(世界的大流行)を招いた中国の習近平政権の責任論も盛り上がらなかった。
さらには、コロナ禍に“かこつけて”新時代への大転換が始まっている。ここで、20年に浮上したキーワードを列挙する。「ロックダウン」「ステイホーム」「ソーシャルディスタンス」「テレワーク」、そして「サスティナブル(=持続可能な)」など。
これは、「外出してお金を使わせない=経済的ダメージを与える」「(親子愛や恋愛を含め)人間関係を希薄にする」「企業内の上下関係、同僚との関係を希薄にする」などにつながる。
日本社会の特徴に、家族や地域、会社などの「絆」が挙げられるが、前出のスローガンに従順でいれば、日本的な社会・文化は、将来的には完全に破壊されるだろう。
汗水流して稼ぐことを「悪」とみなす風潮、中国のような共産主義・独裁国家の政治体制をほうふつとさせる「監視とチクリ社会」が広がっていく気配もある。
師走の繁華街は、夜10時を過ぎると暗闇に変わる。
「平常通りに営業をしたいけど、『補助金をもらいながら、あの店は儲けようとしている』と陰口をたたかれる。悪いことなどしていないのに」
こう嘆息する店舗オーナーは、1人ではない。
改革の三大原則は、「環境への取り組み(グレート・ニュー・ディール)」「デジタル技術改革」「貧富の格差是正(従来の資本主義・自由市場の改革)」と耳あたりはいいが、既存の株式会社の解体や再編につなげる動きでもある。
この動きを厳重警戒する世界の保守は、「新型コロナウイルスを世界支配に利用したいのだ」「これからワクチン漬けになる」「すべてを一様に貧乏にしていく」「5Gを使った監視体制の強化で、言論の自由は無くなる」と警鐘を鳴らす。
さて、ドナルド・トランプ米大統領とホワイトハウスが4年を費やして目指してきたのは、米中の「デカップリング」である。そして、米国の政治、経済、軍、教育などに深く入り込んだ中国共産党の“赤い毒牙”を抜いていくことだった。
米大統領選の結果が迷走するなか、ワシントンや各地のデモに参加する米国民は、トランプ氏の支持者や共和党員だけではない。選挙が「不正だらけ」と考える市民たちが、それを封印しようとする主流メディアや司法、権力者に対して、『国民をバカにするな!』との怒りからデモに参加していると聞く。
だが、「会場周辺で、BLM(ブラック・ライブズ・マター)のメンバーが拳銃を抱えていた。参加しないよう威嚇している」との話もある。
ジョー・バイデン次期大統領(=ただし、1月20日の就任式までにトランプ氏が『戒厳令』を敷く可能性などがあり、何が起こるか分からない)の演説は「分断から融和」と美しい。
しかし、主要メディアがバイデン氏の演説として報じる内容こそが、トランプ氏や支持者を批判し、「分断」を煽っている。また、選挙後になって、バイデン氏の次男、ハンター氏に関する疑惑を報じている。関係者は「次男とバイデン氏はビジネスの話をしていない」と強調するが、有権者がそれをうのみにするとは考えがたい。
目下、「ザ・グレート・リセット」によって「国家」という枠組みを希薄にしようと狙う世界の権力者と、自由・民主という価値観が奪われかねない危機に毅然(きぜん)と立ち上がる「愛国的」な人々が、最終決戦の時を迎えている。
元バチカン市国行政局次官で、駐米教皇大使も務めたカトリック教会の大司教は「正義と悪の戦い」と表現する。補足すると、バチカンも中共の工作で分断された。
銃撃戦だけが戦争のカタチではない。巧妙な“人災”で世界を大混乱させた状況は、まさに戦時中であり「新しい戦争のカタチ」なのだ。
米国の自由と民主主義がこれ以上、劣化し弱体化すれば、日本も無傷ではいられない。しかし、愚民化政策で“情報砂漠”に陥る日本において、本気で立ち上がる政治家や国民はどれほどいるのだろうか?
■河添恵子(かわそえ・けいこ) ノンフィクション作家。1963年、千葉県生まれ。名古屋市立女子短期大学卒業後、86年より北京外国語学院、遼寧師範大学へ留学。2020年、アパ日本再興財団が主催する、第13回「真の近現代史観」懸賞論文の最優秀藤誠志賞を受賞。著書・共著に『トランプが中国の夢を終わらせる』(ワニブックス)、『覇権・監視国家-世界は「習近平中国」の崩壊を望んでいる』(ワック)、『習近平が隠蔽したコロナの正体』(同)など多数。
「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によるロックダウンは徐々に緩和される可能性があるが、世界の社会・経済の見通しに対する不安感は高まるばかりだ。こうした不安にはもっともな理由がある。急激な景気の悪化がすでに始まっており、(世界恐慌が起きた)1930年代以降で最悪の不況に直面する可能性があるからだ。だが、このような結末を招く可能性は高そうに見えるものの、まったく避けられないわけではない」
「結末をより良いものにするために、世界は、教育から社会契約、労働条件に至るまで、我々の社会と経済のあらゆる面の改革に向けて、今こそ手を取り合い、素早く行動しなければならない。米国から中国に至るすべての国の参加と、石油やガスからテクノロジーに至るあらゆる産業の変革が必須だ」
「要するに我々は、資本主義の『グレート・リセット』を必要としているのだ」
世界経済フォーラムではその取り組みを、「グレート・リセット・イニシアティブ」として掲げています。
昨年10月14日、菅総理は、総理大臣官邸でクラウス・シュワブ世界経済フォーラム (WEF)会長等とのテレビ会議を行った。 |
さらに言えば彼らの提言は、本音の部分では、自分たちは多少の増税等を受け入れる程度の負担増で済ませ、資本主義の連鎖の末端にいる人々に大変革の重荷を引き受けさせようというものです。
教育や社会の契約、労働条件のリセットについて議論しようと思えば、根本的な社会的課題に触れることになります。米国の社会構造には大幅な変革が必須であり、実際に今後は変革が起きるでしょう。
民主・共和という党派で分断された現在の米国の政治状況を見れば、変革の必要性は明白です。どちらの側に属するにせよ、あまりに多くの人が、現行の「社会契約」(その定義はともかく)が、自分たちにとって機能していないと感じているようです。収入および富の不平等は、現実の大問題です。
しかし世界経済フォーラム流の「グレート・リセット」が、こうした現状の解決策になるとは思えません。
幸い、世界経済フォーラムが大きな成果を挙げることはないでしょう。それはむしろ、有り余る富と権力を持つエリートたちが、大衆に救いの手を差し伸べるフリだけをして自らの後ろめたさを和らげる一方で、その過程でさらなる富と権力を手にするという、ありがちな図式の一例に過ぎないと思われるからです。
そもそも、今回のコロ禍が「グレート・リセット」のきっかけになるかどうかも定かではありません。それは、過去のパンデミックをみてみればわかります。
たとえばスペイン風邪はまさに近現代的な伝染病でした。大規模な遠隔地への高速移動が、ウイルスを瞬く間に世界中に拡散させてしまったのです。しかし、同様のパンデミックは14世紀にも起こっていました。それが大黒死病・ペストです。
1918年のスペイン風邪は最低でも5,000万人以上が亡くなったと推定されていますが、14世紀に蔓延したペストは世界全体でそれを遥かに上回る7,500万人から2億人の死者を出しています。当時8,000万人だったヨーロッパ人口のうち、実に60%が命を落としたのです。
ペストは歴史上、無数の頻発のほかに3回の大流行が起こったのですが、なかでも1347年から1352年にかけての史上最悪のペストは「黒死病」として知られています。
このペストのパンデミックは、1346年にモンゴル軍(キプチャク・ハン国)がクリミア半島のカッファ(現フェオドシア)という黒海最大の港湾都市を攻撃したことから始まりました。カッファは北イタリアのジェノバの植民都市であり、黒海のイタリア交易の中心地でした。
いざ攻めてみるとカッファの守りは固く、数週間の膠着状態が続きました。この戦いの最中に陣営内でペストが発生し、モンゴル軍は撤退を余儀なくされました。その際にペストで死んだ遺体を投石機に乗せて、遺体を城壁の中へと飛ばして退却したといわれています。ペストは感染拡大が早く、そのうえ死亡率が高いためにバイオテロに使用される危険があると現代でも各国で警戒されているほどです。
ペストは瞬く間にカッファ城塞内で感染拡大し、ジェノバ商人たちは疫病から逃れるためにイタリアへと逃げ出しました。ペスト菌とともに。
ペストを積んだ船は交易拠点であるコンスタンティノープル、シチリア、サルディニア、ジェノバ、マルセイユへと寄港しました。その港はどれも交易の中心地であったため、それら主要港湾からヨーロッパ全体にペスト菌が拡散していきました。
ヨーロッパだけではありません。コンスタンティノープルからエジプトのアレキサンドリア経由で北アフリカ、中東にまで達しました。唯一、ペストを免れることができたのは、人口が少なく往来もなかったフィンランドとアイスランドだけであったといわれています。
こうして高度に発達した交通網にのって、ペストは瞬く間に全ヨーロッパへと広がっていったのです。
このペストは人口が激減するだけでなく、ヨーロッパ世界の社会構造の変化を「加速」させることになったのです。
当時のヨーロッパでは、疫病は神が下した罰とみなされていました。神が疫病によってその人の悪を裁いたのだと考えるのが一般的であり、ペストに罹ったことは自業自得の結末、悪徳の証明でした。そのためペストは当初、「だから教会の言うことに背いてはならない」という教義的プロパガンダに利用されもしました。
神の代弁者である教皇・クレメンス6世は神に祈って赦しを乞うたのですが、それでペストが鎮まることはありませんでした。教会はさまざまな勅書を出したのですが、対処的なものに止まり、予防や拡大防止に対する実効的な施策を打ち出すことができませんでした。
クレメンス6世はついに万策尽き、ペストから逃れるために教皇庁のあったアヴィニヨン(この当時、ローマではなくフランスのアヴィニヨンに教皇庁があった)から避難してしまいました。疫病が教会の人間を避けて感染することなどという奇跡はないのです。聖職者もまた「悪徳の証明」であるはずの疫病に感染して死んでいきました。
一般に「ペストが封建体制を崩壊させた」と説明されることが多いですが、それは正しい言い方ではありません。なぜなら、そのころすでに、封建体制は崩壊しかけていたからです。
ペスト大流行以前、ヨーロッパ社会は限界に達していました。農奴と呼ばれる人々に対して貴族領主や教会などが土地を貸し付け、その対価として地代を納めさせる「荘園制」という経済システムの全盛期でありました。
ペスト以前の13世紀に地代は高水準に達し、農奴たちは生産効率を無視して次々に周辺の新領域へと耕作地を広げていきました。拡大した耕作地を維持するための労働力はといえば、自分の子どもたちです。多ければ多いほどに生産力は上がります。こうして数世代を経て人口は最大限まで膨張していきました。
しかし生産力の限界まで人口を伸ばしたために、少しの天候不順や不作が起これば深刻な飢饉に陥る極めて不安定な状態になってしまっていたのです。現に1315年から17年にかけて大飢饉がヨーロッパを襲っています。既存の社会システムの耐用年数が、もはや限界を迎えてしまっていたのです。
1347年、そこに大黒死病・ペストが到来しました。
ペストの大量死による人口消耗は人口復原力を上回り続けました。人口が激減したことが社会に影響を与えたのではありません。度重なるペストの波によって、それが長期化・慢性化したことが社会変化の必要を「加速」させただけなのです。
人口減少によって希少になった労働力は、当然ながら価値が高騰します。そこで領主は荘園維持の労働力確保のために、土地代や税金を免除するなどの待遇改善を図りました。しかしその一方で、1337年から英仏間で続いていた百年戦争とペストによる追い打ちで困窮しきった領主は、フランスでは農業労働力に対して領主支配力の強化を行い、イギリスでは重税を課すなどの政策を実効してしまいました。
その結果、同じような時期にフランスではジャック・リーの乱、イギリスではワット=タイラーの乱(ピーザント・リボルト)という大規模な農民反乱が勃発してしまうのです。
ふたつの反乱は鎮圧をされたのですが、このあと両国の運命はまったく違ったものになっていきます。
フランスでは、王が経済再建に行き詰まった貧困領主を支援して封建制を再建させ、弱体化した領主を取り込むことによって自らの権威を高めていきました。この王権が、フランス絶対王政へと連なっていきます。
一方、イギリスでは農民反乱を予防するために領主の農民支配は急速に弛緩します。その領主層はやがて王位継承を巡る内乱(バラ戦争)で断絶・衰退していきました。その代わりに新たなジェントリ層や商人層が政界に参入し、イギリス的な脆弱な絶対王政が確立されていくことになります。
この事例のように、ただ単純にパンデミックによってのみ社会が変化したわけではないことがわかります。社会は潜在的に構造転換を必要としていたのです。イギリス・フランスのジャック・リーの乱、ワット=タイラーの乱(ピーザント・リボルト)という大規模蜂起という民衆の積極的行動が、構造変化を加速させたのです。社会構造の変化は、パンデミックを「耐え抜いた」後に自動的にご褒美として付いてくるようなものでは決してないのです。
ペスト被害の最も深刻な地域のひとつはイタリアでした。フィレンツェ市の人口9万人のうち4万人余が、シエナ市とその周辺人口9万人のうち約80%にあたる8万人の人口がペストによって喪失しています。
ペストがルネサンスという創造的時代を形成したとする言質を多く目にしますが、そのような単純なものではありません。12世紀のイスラーム文化との接触や、14世紀初めの商業都市の繁栄、1453年に古代ギリシア・ローマ研究が発達していた東ローマ帝国の滅亡(ギリシア人の知識人が書物と知識を携えてイタリアに亡命してきた)などの諸要素が偶発的に絡み合った結果なのです。無論、ペストも不可欠な要素のひとつであるのですが、「ペストがきたからルネサンスが起こった」というわけではありません。
そもそも、ペストとルネサンスの間にはかなりのタイムラグがあります。イタリアを襲ったペスト大流行の第一波は1347年から1352年にかけてのものですが、初期ルネサンスのギベルティ(ドナテッロの師)とブルネレスキがサンタ・マリア大聖堂の洗礼堂の門扉を製作するコンクールで競い合ったのは1401年のことであるし、ダ・ヴィンチが誕生するのは1452年です。
ペストと向き合うための1世紀の歳月が、人々には必要だったのです。
ペスト以後の絵画として、聖職者や王らが踊る骸骨と一緒に描かれた『死の舞踏』というモティーフがあります。イタリア地域では『死の舞踏』よりも『死の勝利』という骸骨があらゆる階級の生者を討ち倒していくという、より陰惨で暗い絵画が多く描かれました。
これらの絵はすべて、ペストのパンデミックの最中に描かれたものではなく、いずれも1世紀以上経った15世紀以降の作品です。
すべての元凶であるペストを芸術家が絵画作品の主題とするためには、そして人々がペストを絵画として受容できるようになるまでには1世紀もの間、自省と反芻を経て内化していく消化時間が必要だったのです。
人間の物理的な死や既存社会の機能不全という「死」を凝視し、人間存在の脆さに嘆き、失った人間性に気が付くという内省の1世紀を経て、人間本来の精神を解放し、人間の在り方を再考しようとする創造的な文化運動「ルネサンス」が花開くのです。
ハンス・ホルバインの木版画『死の舞踏』(1538年) |
そして現代、我々はいささか驕慢になっていました。特に先進国の人々は自分たちが史上最高なのだという驕りであったかもしれません。パンデミックなど過去のものであり、発展途上国は別にして、先進国では大感染はもう起こらないだろうと高をくくっていました。
しかし、そうではありませんでした。人類が押さえ込みに成功したと思っている結核ですが、2016年には「治療薬の効かない」多剤耐性結核菌で約50万人が感染しています。WHOも指摘する通り、油断ならないです。そうして、結核は未だに日本のような先進国でも存在しています。
2014年の夏には、エボラ出血熱はアフリカからイギリス、アメリカ、イタリアにまで広がりました。終息宣言を出す2016年の2年間の間に世界で2万8,616人が感染し、1万1,310人が死亡しました。そうして、今回のコロナのパンデミックです。こうした病がいつ広がるかはわからないです。
アフターコロナについて多くの人がそれぞれの意見を述べています。しかしどれもが受動的です。それは、受難した分だけ福音があるのだ、と心のどこかで期待しているようでもあります。
しかし歴史はそれでは社会は何も変わらないことを、例示をもって教えています。新型コロナによって新しく起こったこと、これから起こることなどもひとつもないのです。すべては潜在的に存在しており、それが「加速」し、「露呈」したか、これから露呈しいくに過ぎないの
です。
「ザ・グレート・リセット」、「バラダイム・シフト」などと称して、コロナ禍後に期待しても、それ以前から何かが芽吹いていないと、何も起こらないのです。
ましてや、中国の「マスク外交」や「ワクチン外交」にしても、何ら新しい動きにはつながらないでしょう。
現在の米国の大統領選挙に関しても、もう随分前から「不正」については囁かれていました。ディープステートの存在も知られていて、これと戦おうとしたのは、ケネディにつづいて、トランプ氏が二人目です。どうして、米国ではまともな選挙ができないのだろうと、多くの人が訝しんでいました。今回は、コロナ禍とともにそれが「加速」して「露呈」したとみるべきでしょう。この問題は、直近のトランプ氏の戦いで終わることなく継続されるのは間違いないです。
なお、以上では、ペストに関連して述べてきましたが、スペイン風邪についても同じことがいえると思います。中世のヨーロッパに関しては、様々な研究がすすみ、かなり客観的な分析ができますが、スペイン風邪に関しては、歴史的にいえばまだ新しいということもあり、客観的な分析がしにくい面もあり、ここでは中世のペストに関して述べました。
この2つは全く異なる病気であり、その病気の原因となっているウイルスも異なります。COVID-19の原因はコロナウイルスであり、スペインかぜやこれまで登場した他のインフルエンザパンデミックを引き起こしたインフルエンザウイルスではありません。
致死率の年齢別の分布も全く違います。1918年のスペインかぜは特に新生児や若い世代の人々にとって脅威的でした。COVID-19の原因となっているコロナウイルスは、中国での流行初期のエビデンスからもわかるように、特に高齢者にとって致命的なものだと見られています。
また、スペインかぜの大流行に関してはたくさんの国がその情報を非公開にしようとしていたのに対し、現在はデータや研究、ニュースなどが完全ではないにしろ中国を除いてシェアされていることから、過去とは状況がとても異なります。
同時に、現在ではかつてとは比較にならないないほど世界がつながっているのも事実です。1918年当時は線路や蒸気船が世界をつないでいる程度でしたが、飛行機が発達した現在では、人もウイルスもごく短時間で世界中を移動することが可能となっています。
保険医療のシステムやインフラも当時とは大きく異なっています。スペインかぜが世界を襲ったのは、抗生物質が発明される前だったことから、おそらくほとんどの死亡はインフルエンザウイルスそのものによるものではなく、細菌による二次感染だったことが考えられます。
2008年の発表で、Morensらは「スペイン風邪の死者のほとんどは上気道の細菌によって引き起こされた二次感染による細菌性肺炎が原因だった可能性がある」と述べています。
また、健康システムだけではなく、当時の世界は健康状態や生活環境が全く異なっていました。1918年に被害を受けた人たちの大部分はとても貧しい層の人たちであり、その多くの人は栄養失調状態にありました。
世界人口のほとんどが当時は劣悪な健康状態にあり、高い人口密度に加え、衛生状態も悪く、衛生基準自体が低いことが当たり前の時代でした。それに加え、世界のほとんどの地域は戦争で弱っていた時代です。公的な物資は少なく、多くの国々がその資源の多くを戦争に使い切った後だったわけです。
世界の大部分が今では豊かになり、健康状態も良好に保たれています。しかし、そんな今の世界において、やはり一番懸念されているのは、COVID-19の大流行によって一番打撃を受けるのは、貧しい層にいる人々だろうということです。
スペイン風邪の後でも、世界のグローバル化は進行し、第二次世界大戦を経て、さらにグローバル化は進展しました。パンデミックが起こっても、この流れは変わらなかったのです。世界は、グローバル化を止めるのではなくて、健康システムの改革や、富の偏在を従来よりは少なくする方向に進んだのです。
今回のコロナ禍で直接世界が変わることはないでしょう。変わるとすれば、コロナ以前から内包していた変化の動きが加速されることです。
その最たるものは、中共が米国に変わって新たに自分たちに都合の良い世界秩序に作り変えようと企図していることに、米国が気づき、その動きを止めようとしたことです。2018年には、その企図を習近平が明らかにし、米国はその頃から超党派でこれに対抗するようになりました。
その後香港の問題があった頃から、世界の先進国のほとんどが、この動きに追随するようになりました。ポストコロナではこの動きが加速化することになるでしょう。
さて、ポストコロナで、日本でも様々なことが起こると予想している人もいますが、やはり注意しなければならないのは、コロナが直接社会を変えるのではなく、すで起こりつつあることが、コロナによって顕在化したり、加速化されるということです。
スペイン風邪で、グローバル化が止められなかったのと同じく、コロナ禍で何もかもが分断することはないということです。「ロックダウン」「ステイホーム」「ソーシャルディスタンス」「テレワーク」、そして「サスティナブル(=持続可能な)」などの言葉や、「ザ・グレート・リセット」のような仰々しい言葉は別にして、昨日の述べたように、日本では天皇を頂点とする国体はポストコロナにも維持されることでしょう。
様々な珍奇な言葉に、惑わされることなく、私達は堅実に人々の役に立つ仕事(普通の人が普通にしている仕事)をこれからもし続けて、社会を良くするための変化は受け入れつつ、日々歩み続けていくべきなのです。