ツイッターに投稿された、中国湖北省武漢市で2月8日に起きた抗議デモの一場面とされる画像 |
正確な件数は分からない。ただ、筆者が把握しているだけで、この3カ月間で内陸部の湖北、河南、四川などを中心に数十カ所で起きている。抗議の対象は、地元政府による医療保険制度の変更から、マンションの管理方法に至るまでさまざまだ。
厳しい監視体制を敷いている中国でこれほどデモが起きるとは、筆者は想像できなかった。全土に約2億台の顔認証機能付きを含めて約20億台の監視カメラをいたるところに配備して、「天網システム」と呼ばれる監視システムを築いている。14億人の国民の居場所を1秒あまりで特定でき、デモを集うことは不可能だと思っていたからだ。
なぜ、鉄壁の監視体制にもかかわらず、デモが頻発しているのであろうか。
今月3日に発売した共著『習近平・独裁者の決断』(ビジネス社)で、中国出身の評論家、石平氏と対談した。
直接の引き金となったのは、昨年11月の「白紙運動」だったという見方で2人は一致した。新型コロナウイルスの感染拡大を徹底的に押さえ込む「ゼロコロナ」政策に反対する人々が、白紙を掲げて抗議したのだ。
新疆ウイグル自治区ウルムチ市で火災が起きた際、ロックダウンの影響で消防車の到着が遅れて10人が死亡した事件がきっかけだった。上海市を皮切りに各地で「ゼロコロナ政策」への抗議運動が広がった。
中には、「共産党は下野しろ」「習近平主席は退陣しろ」というプラカードを掲げる参加者もいた。これを受け、中国政府は「ゼロコロナ政策」を撤回に踏み切った。
1989年の天安門事件に参加した石氏は、当時と比較した。
「(天安門事件では)民主化を求めてはいても、共産党の統治そのものを否定する要求はなかった。共産党や習近平氏への批判が叫ばれた今回のデモは、まさに驚天動地だ。さらに、その後の『ゼロコロナ政策』の突然の撤回で感染拡大するなど、混乱をもたらしたことで『最後は政府が守ってくれる』という中国政府と国民との間で長い間かけて築き上げてきた信頼関係が崩れてしまった」
筆者は「白紙革命」によって、政府が政策転換に追い込まれたことが重要だと考える。つまり、市民が今回のデモを通じて、「団結して声を上げれば、鉄のように固いと思っていた共産党を動かした」という成功体験を得たのだ。だからこそ、「中国内では今後、同様のデモが起きる」と予測していた。
「ゼロコロナ政策」を長年続けたことで、ロックダウンやPCR検査費用の負担が増え、地方政府の財政は急速に悪化している。市民生活にもしわ寄せがきている。今後、政府への信頼を失った市民による不満がさらに爆発する可能性がある。 (キヤノングローバル戦略研究所主任研究員)
中国「白紙革命」の行方―【私の論評】バラバラだった中国国民にはじめて共通の念が生まれた。それは、中共に対する恐怖と憎悪(゚д゚)!
中国共産党が人間を家畜並に扱うとすれば、いずれ行き着く先は、鳥インフルエンザが発生した時に、これが蔓延しないように、鶏を殺処分するように、豚コロナが発生したときに、豚を殺処分するように共産党の都合で、人間も殺処分しかないという、恐怖を多くの国民が感じたことでしょう。
そのような懸念は、過去の毛沢東の大躍進政策や、ウイグル人を閉じ込め虐待して、挙句の果てに殺したり、臓器売買のために人を殺したりなどで、薄々多くの中国人も気づいていたのでしょうが、ただこれまでは、そのように殺戮される人たちは、少数民族であるとか、運の悪い人、異教徒などであり、自分とはあまり関係ないと、自らに言い聞かせ、そう信じ込もうとしてきたのでしょう。
ただ、その恐怖は潜在意識の中には埋め込まれていて、何かのきっかけで、顕在化する状態にあったものと思われます。
それが、今回のゼロコロナ政策によって、顕在化してきたのだと考えられます。今回の全国的なデモを単純なゼロコロナ政策への反対であるとみるべきではありません。
今回の「白紙革命」によって、中国共産党への恐怖・憎悪という中国国民に共通の考えができあがりつつあります。
ただ、これを理念と呼ぶには、まだ次元の低いものです。恐怖・憎悪の念は一時的には、多くの人の共感を呼びますが、それだけでは、一時的にも恐怖や憎悪が収まれば、消えてしまいかねません。プーチンは、NATOに対する恐怖や憎悪の念で、国民をまとめ、高支持率を獲得しましたが、その目論見はウクライナ侵攻では、裏目にでています。
「理念」は「物事に対して“理想“とする”概念“」のことで、「こうあるべき」というベースの考え方を指すものです。 企業では、会社の方針や社員に求める行動指針などを表現する時によく使われます。
中国においても、この恐怖・憎悪の念がいずれ誰かによって昇華され、中国国民であれば、誰もが共感できる「理念」に変わっていくかもしれません。国民国家には、「こうあるべき」という規範が必要なのです。
その誰かは、まだ見えてきません。ただ、この共通の理念となるかもしれない中国共産党に対する多くの中国国民の恐怖・憎悪の念は、容易なことでは覆されることはないでしょう。なせせなら、これは従来とは異なり、立場や社会的地位を乗り越えてかなり多くの中国人に共有されることになったからです。
今回も中国共産党は、必要があれば、天安門事件のように弾圧して、情報統制をして、何もなかったかのように取り繕うでしょう。
しかし、今回の中国共産党に対する恐怖・憎悪の念は、これからも長くくすぶり続けるでしょう。そうして、いずれは、誰かが、新たな理念を生み出し、それによって新たな中国が生まれるかもしれません。
中国人とか中国という概念は、あくまで中国共産党中央政府が作り出した概念であって、 中国という国を、日本のように明確な1つの国と考えるのは間違いです。広大な国土に、14億人の人口を抱えており、90%以上を占める漢民族のほか、政府が公認しているだけで55の少数民族を持つ多民族国家だ。
しかも経済発展に関しては、高成長を享受した沿岸部と、成長から取り残された農村部などが混在し、「1つの国の中に、いくつかの国が存在する」と捉えたほうが事実を的確に言い当てているといえます。さらに、にわかりにくいのは政治体制です。基本的には、1949年の中華人民共和国の成立後、共産党が一党独裁体制をとっています。中国は、現在でも共産主義の国でありながら、資本主義経済の象徴とも言うべき株式市場を持っています。
そのため、政治の教義は共産主義である一方、経済活動の多くは市場のメカニズムに依存する複雑な仕組みになっており、これは共産主義というより、国家資本主義とでも呼んだほうが良いです。中国共産党が運営する資本主義国家とでもいうのが相応しいかもしれません。
中国は、1978年以降、当時の鄧小平が進めた改革開放路線によって、共産主義的な計画経済から次第に市場型経済へと移行しました。1989年の天安門事件の発生などによって、一時的に市場経済への歩みが止まることはあったものの、経済の効率化などもあり、中国経済は本格的な経済成長への道を歩み始めました。
日本の新幹線の乗った鄧小平 |
1990年代中盤以降は、“世界の工場”の地位を勝ち取り、今や世界第2位の経済大国へと上り詰めました。ところが、一人あたりのGDPということになると、1万ドルを多少超えた程度てあり、日本はもとより、韓国や台湾よりもはるかに低いです。中国を世界第二位の経済大国にしているのは、一重に14億人という人口の多さだけです。そのため、ほんの一人握りの国民が富裕層ですが、今で数億人の貧困層が存在します。
香港中文大学で行われたウルムチの死者への追悼式で、白紙の紙を掲げる学生たち(2022/11/28) |