2015年7月30日木曜日

本日は所要で函館まで来ていますので、いつもの記事はお休みさせていただき函館の写真を掲載させていただきます(゚д゚)!

 本日は所要で函館まで来ていますので、いつもの記事はお休みさせていただき函館の写真を掲載させていただきます(゚д゚)!


そのかわり函館の風景などの写真を掲載させていただきます。明日からまた、通常の記事を掲載いたしますので、よろしくお願いします。

五稜郭タワーからパノラマ写真です クリックすると拡大。以下同じ。
上の写真五稜郭公園が大体全部収まっています。パノラマ写真でないと全部は収まりません。



上の写は、五稜郭タワーから函館山方面を写したものです。当日は雲海があったので、残念ながら海は見えませんでした。函館山が雲海に浮かんで見えます。



昨夜撮影した函館山からの夜景です。 10時過ぎに行きましたので、若干ショーアップの光がせ消えて寂しいですが、それでも良く見えました。



函館山頂上から見た、月とイカ釣り船の光です。写真ではなかなか再現できませんが、なかなか幻想的な風景でした。


昨日夜10時過ぎの函館山駐車場です。平日だというのに結構車がとまっていましたが、ロープウェイは止まっていましたので、展望台そのものはスカスカでした。無論展望台の建物は閉まっていました。

ブルームーン号

本日は、時間的にも余裕があったので、ブルームーン号にのりました。


ブルームーン号から写した、函館山です。


本日は、たまたまイージス艦のような自衛艦も見ることができました。これってイージス艦なのでしょうか。詳しい方がいらっしゃったら教えて下さい。





2015年7月29日水曜日

元来、リスク背負っている自衛隊 「リスクの有無」議論は失礼 ―【私の論評】もともとリスクのある自衛隊員にも天皇陛下の勲章を(゚д゚)!


軍事ジャーナリスト 桜林美佐さん

「England expects that every man will do his duty(=英国は各員がその義務を尽くすことを期待する)」

トラファルガー海戦における英国ネルソン提督のこの言葉は、決戦に臨む兵士たちを鼓舞しただけでなく、英国民にも「国民としての義務」を意識させることにつながったと前回書いた。

それは、イザとなれば一般市民が竹やりを持って戦うといった次元の話ではない。自分がどのような態度をとれば国のためになるのか、賢明な振る舞いによっても十分に果たせることだろう。

安全保障関連法案をめぐる小競り合いの傍らで、中国は南・東シナ海で何をしていたか考えれば答えは明らかだろう。報道各社も、低次元な論調に律義にくみすることで、自ら質の低さを露呈してほしくないものだ。

ネルソン提督の記念メダルに関する逸話を思い出したのは、安保論議において、本来は同時に検討すべき自衛官たちの処遇についてほとんど取り上げられないからだ。

常に述べているが、彼らは「事に臨んでは危険を顧みず…」と服務の宣誓をしている。リスクがあるかないか、広がるかそうではないかなどという言い方は失礼だ。

熱中症で死亡者が出るような猛暑でも、自衛官は通常の任務に就いている。「外出は控えましょう」といわれる悪天候の中でも出動している。「海外で殉職したら、国内で殉職するより重い」という意見も聞くが、自衛官の命に軽重はないし、任務によって差別すべきではないと私は考えている。

もともと、リスクを背負っている自衛隊なのである。今後は活動件数や人員が増える可能性に伴い、リスクを背負う「数」が増加すると認識すれば、それで誰もが納得できるのではないか。

「リスクの有無」議論は、自衛隊を知る者にとってはバカバカしくて聞き流していた。だが、ネルソン提督の勲章へのこだわりと重ね合わせると、「もしかして、相応の手当などをケチるための方便ではないか」などと、うがった見方が頭をよぎってしまった。

そんなことはないと信じたいが、これまでも日本では、国として現役自衛官に勲章を与えていない。どんな国でもその功績に対し授与するのが常識だが、自衛官には防衛省が独自に作った「防衛功労賞」と、その略章の「記念章」しかない。

普段はそれでもいいが、問題は礼装をしなければならない外国の公式な場でのことである。


【私の論評】もともとリスクのある自衛隊員にも天皇陛下の勲章を(゚д゚)!

上の記事で桜林さんが述べているように、自衛隊員のリスクがどうのこうのという指摘は、何を今更という思いがします。もともと、リスクを背負っていることははっきりしています。

国会て野党が、集団的自衛権を行使すれば、自衛隊員のリスクは高まるのではないかという懸念を表明していましたが、今更何をいうのでしょうか。

元々日本の野党は、従来は自衛隊そのものが違憲だとしていたのではないですか?それどころか、終戦直後においては、日本の首相そのものが、「自衛隊日陰者発言」をしていました。

それについては、このブログにも掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。

首相 防衛大卒業式で訓示「安保法制整備進める」―【私の論評】時代が変わった!防大卒業式第一回目の訓示は吉田首相による「日陰者」発言だった!このような理不尽は二度と繰り返すな(゚д゚)!

昭和32年2月防衛大学校第1回卒業式にて訓示をする当時の吉田首相
 詳細は、この記事をご覧いただくものとて、第一回防衛大学校の卒業式の訓示における、当時の吉田首相の「自衛隊日陰者」発言の部分のみを以下に引用します。
「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。」 
(吉田茂 昭和32年2月、防衛大学第1回卒業式にて)
今では、ほとんど信じられないような発言です。この当時は、まだまだ、米国も、日本を弱体化させたままにしておき、二度と米国に歯向かうことができないようにすべきという考え方が主流だったし、さらには当時の米国は、経済的にも軍事的にも名実とも世界の超大国であり、現在とは、比べ物にならないほど強力でした。

だからこそ、このような発言になったものと思います。しかし、時代の変化とともに、自衛隊に対する考え方も変遷していっています。今では、自衛隊が非合法とか、違憲という語る人はいません。

そうして、今から4年ほど前の東日本大震災のときには、自衛隊の救援活動や、行方不明者捜索活動により、一般国民の評価が非常に高まりました。

2011年4月11日、宮城県気仙沼市で津波の被害者に黙とうをささげるため整列する自衛隊員
被災地の方々の中には、今でもあのときの自衛隊に対する評価が高いです。自衛隊を日陰者とする見方は、このあたりを境として、もはや日本では完璧に払拭されたと思います。

 このように、自衛隊に対する見方や、解釈なども世の中が変わると、変わってくるのが当然のことです。今の日本は、世界の常識からするとまだまだ、異常です。

そもそも、日本国内のどの都市に行っても、軍隊の行動が目に見えません。戦後の日本人は、これを当たり前と思っていますが、そんなことはありません。街中を軍隊が、移動したり、場合によっては、警護のために出動しているなどということもあります。

そんなわけで、世界中の多くの都市で、軍隊の姿をみることはあまり珍しいことではありません。

吉田首相のような発言をする、総理はもう日本には存在しません。これからも、出現することはないでしょう。野党も、マスコミももう自衛隊が日陰者であるかのよう発言はしないことでしょう。

このこと自体が、マスコミや、野党や、憲法学者などが、時の政府が安全保障に関する憲法解釈を変えてはならないという前提が根底から間違っていることを如実に示していると思います。

「違憲」、「戦争反対」、「安倍辞めろ」などと連呼している人々は、この事実をどうとらえるのでしょうか。

歴代の政権が、憲法学者が、内閣法制局が、民主党政権時代も含めて、安全保障に関する憲法解釈を変えてきたことは、事実です。しかし、多くの人々は、なぜか安倍政権だけが、それを変えてはいけないなどという、とんでもない主張をしています。

かつての軍人は国の勲章が授与された

こんな理不尽なことが許されるわけがありません。こんな理不尽いいい加減にやめにして、まともな安全保障を論議すべきですし、それとともに、リスクある仕事に志願して、就いている自衛隊の仕事にもっと光をあてるべきです。

上の桜林さんの主張にピンとこないかたもいらっしゃるかもしれないので、ここで念押しをしておきますが、自衛官には防衛省が独自に作った「防衛功労賞」と、その略章の「記念章」は、あくまで、防衛大臣が授与するものであり、国の勲章とは天皇陛下が授与するものです。両者の間にはその重みに、天と地との差があります。名誉ということでは、天皇陛下からいただく勲章のほうが、はるかに重みがあります。

国として現役自衛官に勲章を与えていないというような、こんな馬鹿なことをいつまでも続けるべきではありません。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われまますか?

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本日は、桜林美佐さんの書籍を以下にチョイスさせていただきました。


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ありがとう、金剛丸 ~星になった小さな自衛隊員~
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2015年7月28日火曜日

自民特命委、河野洋平氏と朝日新聞を“断罪” 慰安婦問題で提言最終案を策定―【私の論評】日本ではなぜか追求されない官僚の責任も問われなければならない!慰安婦問題も例外ではない(゚д゚)!





慰安婦問題をめぐる間違った認識が世界に広まっている問題で、河野洋平元官房長官と、朝日新聞が厳しく“断罪”された。自民党の「日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会」(委員長・中曽根弘文元外相)が策定した、同問題をめぐる提言の最終案に記されていたのだ。最終案の内容は、産経新聞が28日朝刊で報じた。

河野氏は1993年、「河野談話」を発表した後、政府の共通認識を踏み外して「(強制連行の)事実があった」と発言した。朝日新聞は、吉田清治氏の虚偽証言に基づく一連の大誤報を30年以上も放置した。

提言は、河野氏と朝日について「事実に反する認識を韓国をはじめ国際社会に広めた大きな原因になった」とし、「重大な問題だ」と非難した。

韓国や米国で進む慰安婦像や碑の設置については「著しく日本の名誉を毀損し、国益を損なうものとして看過できない」と指摘した。

米国の公立高校で使われる教科書に「日本軍は14~20歳の約20万人の女性を慰安所で働かせるために強制的に募集、徴用した」などの記述があることについては「教科書などで虚偽を教えて、いたずらに日本の名誉を毀損することは許されることではない」と批判した。

自民党は28日の党総務会で提言を正式決定し、安倍晋三首相に提出。政府に日本の立場、取り組みなどの発信を強化するよう求めるという。

【私の論評】日本ではなぜか追求されない官僚の責任も問われなければならない!慰安婦問題も例外ではない(゚д゚)!

さて、上記の記事を読んだ限りでは、河野洋平氏の責任や朝日新聞の責任については語られていますが、全く外務官僚などの責任には言及されていません。これは、著しくバランスを欠いていると思います。

河野談話に関する、官僚の責任にも言及している動画を以下に掲載させていただきます。


この動画は、昨年4月のものです。詳細は、この動画をご覧いただくものとして、この動画の内容を以下に簡単にまとめます。

西岡力氏
 この動画は、西岡力氏との対談ですが、西岡氏はこの中で怒っていました。政府が昨年4月20日、衆院予算委員会に提出した「河野談話」の作成過程を検証した報告書の内容について「検証されるべきことが検証されず、自己弁護ばかり考え、日本の名誉を守ろうしない外務官僚の顔が浮かんできた」と憤りを隠しませんでした。 
 櫻井キャスターは「河野さんの罪はもの凄く深く,国会喚問すべきで、この資料を出した外務省、谷野作太郎元外政審議室長も国会喚問すべきだ」と応じました。櫻井キャスターと西岡氏は、検証報告書に書かれた内容のどこが問題なのか、何が書かれなければならなかったのかを検証する作業を行いました。 
 拉致問題の動きが早まっています。7月1日に北京で日朝局長級協議が開かれますが、何らの保証、確証があるのでしょうか。北朝鮮が拉致調査を開始したと言い、名簿を見せれば日本は制裁の一部を解除することになりかねません。西岡氏は外務省が安倍総理にどんな報告を上げているのか、裏で相当な勝算が無ければ危険すぎる瀬戸際勝負だと指摘します。日本の持っているカードはあるのでしょうか。
さて、この動画をご覧いただけば、ご理解いただけるものと思いますが、この問題にもやはり外務官僚が大きく関与しています。西岡氏は、谷野作太郎元外政審議室長の見苦しい自己弁護に対して怒りを顕にしているのだと思います。

谷野作太郎元外政審議室長

そもそも、谷野氏は、河野談話見直しに反対しています。河野談話見直し反対論にも二種類あります。一つは、良いものだから撤回してはいけないという意見と、何がなんでも改「正」させまいというグループです。

憲法問題で言えば、平和憲法の理想を何が何でも変えたくないという派と、日本政府が軍国主義復活を目論んでいると触れ回るようなナンセンス型(何がなんでも反対型)です。後者については、外国の反日グループと結びつくものです。慰安婦問題も同じ構図に陥っています。

これをさらに複雑化しているのは、何がなんでも型の中には共産党のように強制連行説の拠り所として河野談話を死守しようとするグループがいる一方で、小川敏夫のように談話には強制連行があったとは書いていないのだから見直しの必要はないというレトリックを使う者がいるということです。



谷野作太郎は、小川議員と同じく、河野談話を批判する人は「談話に書いていないところ(強制連行の有無)まで内容を膨らませ、その点を批判している」と牽制しますが、両者とも「書いていないところまで」内容を膨らませられた河野談話が日本叩きに利用されている状況が先にあることを省いています。

谷野作太郎はまた、朝鮮人の娘が警官や兵隊の監視下で泣き叫びながらトラックで連れ去られたのを目撃したという話(慰安婦の話ではない)を韓国人の友人から聞いたと言っている。これが彼の意識形成そして河野談話にもに影響したようですが、いっぺんアン・ビョンジク教授あたりに事実確認をしてもらった方がいいのではないでしょうか。

谷野は、小川とは、異なり河野談話の直接の関係者であったので、このような見苦しい自己弁護をしているのだと思います。

さて、ブログ冒頭の記事においては、河野氏の責任追及については言及されているものの、谷野氏をはじめとする、河野談話作成に関わった官僚の責任には全く言及されていないようです。

日本においては、何か政治的な問題があるとその背後には必ずといって、官僚の存在が垣間見えます。

デフレの最中の金融引き締めという明らかな間違いは、日銀官僚にも大きな責任があります。8%増税は大失敗でしたが、これには財務官僚にも大きな責任があります。最近の、安保法制の審議の混乱には、内閣法制局にも大きな責任があります。

内閣法制局の憲法解釈など、歴代内閣ごとに変わっていますが、メディアは、「戦後一貫した憲法解釈を守ってきた内閣法制局」と「それを変えようとしている安倍内閣」との構図で報道されている。



このように、日本で大きな問題があると、その背後には必ず官僚の姿が垣間見えます。官僚は選挙などの民主的手続きで選ばれるわけではありません。役人は役人です、彼らはもともと、政治家のように日本国全体の利益を考えるべき存在ではなく、省益や、面子、自己弁護で動くのが当たり前と考えるべきです。

このような官僚が、日本の財政や、金融政策、違憲合憲の判断をするべきではないし、もしそのようなことをすれば、その責任を問うべきです。

それと同じく、河野談話に関わった官僚の責任も追求すべきです。そうでなければ、著しくバランスを欠くことになりますし、日本の大きな問題の背後に見え隠れする官僚の責任は永久に追求されることがなくなってしまいます。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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【関連図書】

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2015年7月27日月曜日

国立大授業で「安倍は辞めろ!」とデモ練習 大学側「看過できない」と准教授の授業停止―【関連記事】「安倍やめろ」と叫ぶ人々は自ら自由からの逃走をはかっていることに気づいていない(゚д゚)!


J-CASTニュース

安保法制反対デモでは「戦争法案絶対反対!」
「安倍は辞めろ!」といったシュプレヒコールが一般的だ

安保法案に反対するデモが各地で活発化する中、福岡教育大学(福岡県宗像市)の授業で40代の男性准教授が「安倍は辞めろ!」といったシュプレヒコールを学生に「練習」させたとして問題になっている。

国立大学法人の教員が政治的な主張を学生に強いるともとれる行動には批判が多数寄せられ、大学側も「看過できない」と問題視。事実関係の調査が終わるまで教員に対して授業停止を命じたという。

■准教授の「戦争法案絶対反対」の掛け声に続いて学生も声をあげる

授業は2015年7月21日に行われ、授業を受けていた学生のツイッターへの投稿で問題が発覚した。ツイートには授業の様子を映した写真がついており、デモの様子が映ったスクリーンを前に准教授が何かを説明しているのが分かる。ツイートには、

「大学の講義で集団的自衛権反対のデモの様子紹介して、練習しようとか言い出して『戦争法案絶対反対』とか『安倍は辞めろ』とか練習させられてるんだけど」

と不快感がにじむ。別の学生のツイートによると、准教授の「戦争法案絶対反対」という掛け声に続いて、学生が「戦争法案絶対反対」と声をあげた。准教授は「安倍は辞めろ!」の次に「学長もやめろ!」とも叫んだところ、教室は大爆笑につつまれたという。

安保法案に反対する学生からは、准教授の発言は「お笑いネタ」だったという指摘も出ており、「練習させられた」というツイートの表現が授業の雰囲気を正しく伝えているかは微妙だ。

この授業に対する大学側の反応は比較的素早く、7月23日には学長名で対応方針を学内向けに発表した。発表では、授業内容がネット上に投稿されたとして、

「それを巡って、本学及び本学の教員や学生についての様々な意見が飛び交い、いわゆる炎上と呼ばれる事案が発生した」

と、大学側として「炎上」を認識していることを明らかにしている。翌7月22日には「問い合わせや苦情、対応を求める電話やメール」が15件ほど大学側に寄せられた。大学側が同日中に准教授に事実関係を確認したところ、「そういった事実はあった」などと答えたという。

福岡教育大学

「大学の教員及び教育の在り方の根幹にかかわる問題として、看過できない」
発表では、准教授の行為を、

  「本学は、高等教育機関である大学として、しかも教員養成を行う国立大学として、国民の期待と負託に応える責務を負っている。このことに照らして、このたびの事案は、本学の教員及び教育の在り方の根幹にかかわる問題として、看過できない」

と厳しく非難。准教授には「このたびの事案で引き起こされた学内外の混乱を避けるため」授業の停止を命じ、履修していた学生に不利益にならないように対応する、としたという。今後、准教授の過去の授業を含めて問題がなかったか調査する方針で、懲戒等調査委員会を立ち上げて調査を始める。必要に応じて、准教授の授業を履修していた学生に対する調査も行う。

大学側はウェブサイトにも、

  「本学の学生であることをもって学内外において誹謗中傷を受けるなどの不利益を被ることが無いよう徹底して学生を護るとともに、大学教員が行った教育活動の適正さについて関係法令や本学規則に照らした事実調査等を早急に実施し厳正に対処してまいります」

とする文章を掲載し、対外的にも事実関係を大筋で認めている。

【関連記事】「安倍やめろ」と叫ぶ人々は自ら自由からの逃走をはかっていることに気づいていない(゚д゚)!


上の記事で、この出来事が公になったきっかけとなったTweetは以下のものです。
このTweetに添付されている写真は、上記ではモザイクがかけられていますが、この写真と思われるものが、以下の写真です。


この二つを見比べてみると、角度といい、写ってる状況といい、これはどう考えてみても、元の写真であると思われます。

となると、教壇上に立っている黒シャツの男が問題の准教授のようです。

しかし、これは本当に問題です。はっきりいえば、民主主義への挑戦です。痩せても、かれても、国立大学の准教授がこのようなバカ真似をするということが、全く信じられません。

マスコミや野党など、安倍自民党が国会に提出した安保法制に関して、当初から「違憲」であるとか「戦争法案」などと決めつけおり、マスコミは「違憲」「戦争法案」というレッテル貼りを連日のように報道しましたし、「安倍やめろ」のようなシュプレヒコールなども連日のように報道しました。

しかし、このブログでも前々から指摘していたように、安倍総理は第一次安倍政権のときから、集団的自衛権を含む、安保法制の改正に言及してきましたし、過去三回の国政選挙においては、その都度これを公約に掲げて、選挙で勝利しています。

また、さらに、昨日のこのブログの記事でも掲載したように、日本の憲法学者すべてが、集団的自衛権が「違憲」であるとしているわけではありません。京都学派の学者の佐々木惣一氏は、憲法第九条も、国際紛争を解決する手段としては、日本は武力を用いることは許されていないですが、自衛のためには武力を用いることはできると解釈しています。

このようなことを考えると、「違憲」「戦争法案」と考えることは許されますが、断定することは完璧に間違いです。この准教授のやったことは、もし「お笑いネタ」だったとしたら、さらに悪質だといえると思います。

これに関しては、大学側も十分調査をして、この准教授に対して適正な処分をしていただきたいものです。中途半端な、おざなりの措置だけはやめていただきたいものです。

このブログの昨日の記事では、「違憲」「戦争法案」と決めつける人々について、以下のように論評しました。
このような態度は、まるで中韓の歴史修正主義のようです。中韓の歴史修正主義については、昨日のこのブログにも掲載したばかりです。高橋是清や、佐々木惣一の偉業を無視すること、なきが如くに振る舞うことは、日本の経済や安全保障を考えるときには、著しく公平を欠いた行為であると言わざるを得ません。 
字面通りに読んでも、憲法9条は日本国の防衛までは否定していないと私も思います。これを、疑問に思う、反対であるという程度ならまだ理解できますが、完全否定して憲法違反などと決めつける輩は歴史改ざんする中韓のように全く進歩がないと私は思います。 
結局、今回の安保関連法を「戦争法案」などと決めつけてデモをする人たちは、中国の天安門広場で、軍事パレードをしている人民解放軍の若者とあまり変わりないように私には見えます。人民解放軍の若者は、抗日記念行事に何の疑問も持っていないことでしょう。彼らは自らの祖国が日本と一度も戦争をしたことがないことなど知らないか、気にもとめていないと思います。中国共産党政府が歴史修正を行っていることなどにも、全く無頓着だと思います。
天安門広場で軍事パレードをする人民解放軍の若者

この准教授に限らず、とにかく「違憲」「戦争法案」として決めつける人々、さらに「安倍やめろ」などと叫ぶような人々は、中国の人民解放軍の若者とほとんど変わりありません。彼らが自身が自分をどう思うかなどということとは関わりなく、民主主義の敵です。


彼らの行いは、まるで反知性主義の権化のようです。彼らのやっていることは、少し前に"なきじゃくりで会見"で物議をかもした、兵庫県県議の野々村竜太郎議員と同じようなものです。選挙という民主主義的な手続きで選ばれた、総理を「安倍やめろ」というのは、全く筋が通りません。選挙結果を蔑ろにする行為以外の何ものでもありません。

これでは、まるで建国以来選挙が一度も執り行われたことがなく、厳密な意味では政治家など一人も存在せず、存在するのは官僚だけという、とんでもない中国のようではありませんか。

まるで、人民解放軍の若者のような彼らは、エーリッヒ・フロムがあらわした「自由からの逃走」を地で行くような行動をしていても、全く気づいていないようです。何もかも自由で、好き勝手に発言して、そうして議会制民主主義を否定して、ナチスドイツの台頭を招き、自ら自由を捨て去った当時のドイツ国民のようです。

ナチスドイツに支配されたドイツ 当時の雑誌LIFEより
彼らは、自分で自由に発言していると錯覚しながら、他の人間の考えに呪縛され、自分でものを考えることを停止して、他者の考えを何の吟味もせず、あたかも自分の考えであるかのように、叫ぶのみです。

彼らは、少数意見も尊重すべきという考えもなく、ただただ目の前のことだけとらわれて、「安保法案」に賛成する人々、「合憲」とする人々が、自分たちと同じように、戦争が嫌いだし、平和を求めているということを無視します。「違憲」「戦争法案」と決めつけ、「安倍やめろ」と叫ぶ人々は、自ら自由からの逃走をはかっていることに気づいていません。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2015年7月26日日曜日

佐々木惣一の「憲法第九条と自衛権」―【私の論評】安保法制=戦争法案としてデモをする人々は、まるで抗日70周年記念軍事パレードをする人民解放軍の若者と同じか?


佐々木惣一氏

佐々木惣一は戦前から戦後にかけて憲法学の世界できわめて著名な人物であった。だが今日、彼の名前を聞く機会はほとんどないだろう。私は河上肇の研究をしている過程で、佐々木惣一の名前に何度か出会った。河上は京都帝国大学法学部に職を得て、そこで佐々木との家族ぐるみの交流が河上が戦後没するまで続いた。特に河上が最後をすごした家が、佐々木の住んでいたところでもあった(ふたりの交流は、佐々木惣一『道草記』1957年甲鳥書林新社、に詳しい)。

私の佐々木に関する知識を広げる契機になったのは、倉山満氏の『帝国憲法の真実』(扶桑社新書、2014年)を読んだことである。同書で倉山氏は、佐々木惣一が敗戦後まもない頃、美濃部達吉東大教授(いわゆる天皇機関説で著名、大正・昭和初期の通説)、清水澄宮内庁御用掛と並んで、「京都学派」を率いた人物として紹介している。特に憲法改正論に関連して、「今の日本国憲法は大日本国憲法の改正憲法」とする解釈を提起した。倉山氏は、この佐々木の改正論には、法律論の次元と政治論(政策論)の次元があることに注意を促している。私はこの倉山氏の本の記述と、そしてこの本の末尾につけられたコメント付の詳細な文献目録で、佐々木惣一の今日的意義に注目するようになった。

特に最初に注目したのは、佐々木の敗戦後まもない頃に提起された独自の憲法改正案である。この改正案については国立国会図書館のHPで読むことができる(http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02/042shoshi.html)。今日、日本国憲法の中で生存権の保障に該当する、福祉国家の基礎となる考えを、佐々木はその改正案で「生活権」として提案している。しばしば保守系の論者の中には、日本国憲法の生存権などを軽視したり、または戦前の日本には存在しない系論のごとく説くものがいるが、佐々木の「生活権」はその十分な反証といえる。

さて佐々木惣一は戦後、特に力をいれた仕事は、憲法第九条と自衛力との関連のものである。今日の安保法制に関してマスコミの報道では、「集団的自衛権は違憲である」というのがまるで総意であり、「真理」であるかのように喧伝されている。だが敗戦後、佐々木惣一は一貫して、憲法第九条の法理論的解釈として、日本が自衛力を保有することを合憲としていた。ちなみに今日の議論のように、自衛権を個別的自衛権と集団的自衛権にわけて、それを厳密に区分して議論する日本的な風土とは、佐々木の自衛権解釈は一線を画している。つまり自衛self-defenseには、国際的な解釈と同じように、自分(自国)のみならず、親や子など近しいもの(同盟を組んでいる他国など)を守るという意味も含んでいる。

佐々木の自衛権解釈の多くはネットなどで容易に見ることができないせいか、ほとんど忘却されている。まず佐々木は、さきほどの倉山本の内容を紹介したときに言及したように、憲法論と政策論は別にわけて慎重に議論すべきだとしている。つまり憲法解釈がいかに解されようと、それと現実の問題はまた別に認識し、相互の関係を判断しなければならない、という姿勢である。これは佐々木の憲法第九条解釈の重要なポイントである(後の砂川最高裁判決の内容と共鳴する論点ではないかと思案する)。佐々木のこの区別(憲法解釈の次元と政策論の次元の区別)は、彼の戦前からの立憲主義の見方にも通ずるものである。つまり単に条文解釈に安住するのが立憲主義ではなく、その現実的政策、政治のあり方との関連を厳しくみることが、立憲主義の本意である(佐々木惣一『立憲非立憲』)。

佐々木の「憲法第九条と自衛権」をめぐる主張は、まずは純法理論的に行われている。この憲法第九条と自衛権の関係については、佐々木の『憲法学論文選(三)』(有斐閣)を中心に収録されている。ここでは、以下の著作から引用しておく。

「国際関係複雑を極め,諸国間の対立激甚を極める今日,いかなる場合にも,いかなる国家よりも,侵略をうけることがないとは限らぬ。そういう場合に,国家としては,自己の存在を防衛するの態度をとるの必要を思うことがあろう。これに備えるものとして戦力を保持することは,国際紛争を解決するの手段として戦力を保持することではないから,憲法はこれを禁じていない。このことは,わが国が世界平和を念願としている,ということと何ら矛盾するものではない。これは,今日いずれの国家も世界平和を希求していること,何人も疑わないにもかかわらず,戦力を保持しているのと同じである。」(佐々木惣一『改定 日本国憲法論』)。

また佐々木は憲法第九条の条文そのものに即して以下のように詳述する。

「憲法によれば、国家は、戦力、武力による威嚇及び武力の行使については国家が国際紛争を解決する手段としてする、というものという標準を設け、かかる戦争、武力による威嚇及び武力の行使を放棄している。故に、国際紛争を解決する手段としてではなく、戦争をし、武力による威嚇をし、武力を行使することは、憲法はこれを放棄していない。即ち禁じているのではない。このことは、前示憲法第9条第一項の規定を素直に考究すれば、明瞭である。同条項によりて、国家は、戦争、武力による威嚇及び武力の行使の三者を放棄する。換言すれば、してはならぬ、と定めている。が、併し、これらの行動を全般的に放棄しているのではなく、その行動を、国際紛争を解決する手段として、することを放棄する、のである。故に、国際紛争を、解決する手段以外の手段として、戦争することは、憲法により禁ぜられているのではない。国際紛争を解決する手段以外の手段として、戦争をする、という場合としては、例えば、わが国が突如他国の侵略を受けることがあって、わが国を防衛するために、その他国に武力を以て対抗して、戦争をするが如きは、明らかにこれに属する。(略)故に、いわゆる自衛戦争は憲法の禁ずるところではない」(佐々木惣一『憲法論文選(三)』)。

また第二項の戦力の保持や交戦権についての条文については、まず前者は国際紛争を解決する手段としての戦力保持を禁じているだけであり、自衛のための戦力保持を禁じてはいないとする。また交戦権については、「第一項は戦争するという事実上の行動に関する規定であり、第二項は、戦争に関する意思の活用に関する規定である」として、国際紛争を解決する手段としての戦争をする意思を活用することを表現している。そのためこの交戦権も自衛権を放棄していることではない。

この佐々木の解釈は純粋な法理論のモノであり、現実の政策とは分けて考えるべきだと、繰り返し佐々木は強調している。わかりやすくいえば、どんなに憲法解釈が純法理的にすばらしくても、現実に平和が維持されないでは意味をなさない。そこに佐々木の平和主義的な立場が濃厚に表れる。現在の安保法制議論でも単なる憲法学者の「違憲」表明だけで法案の現実政策的側面が忘却されがちであるが、その点を合わせて考えると、佐々木の視点はいまも鋭い。

また(旧)日米安保条約について、佐々木は米国軍の日本駐屯と憲法第9条は矛盾しないと述べている。この点は純法理的な解釈だけではなく、佐々木がどのように、現実の政策と純法理的な解釈との(緊張)関係をみていたのか、それを考えるうえでも有益である。

佐々木は当時の日本の現実の自衛力を踏まえた上で、「然るに、わが国は、現在では一切の戦力を有していないのだから、自衛のための戦争でも事実、することはできない。それで、自国を防衛する方法として、他国の戦力に依頼し、他国の軍隊をして、わが国の領土に駐屯して、必要に応じてわが国の防衛に当らしめる、ということを定めたのが日米安全保障条約である。これは、わが国が他国の侵略に対して自国を防衛する一方法である。憲法第九条に抵触するものではない」(『憲法論文選(三)』)。

今日では砂川判決をめぐる議論の際に、「判決は日本の個別的自衛権のみについてふれていて、米軍基地は米軍の集団的自衛権に関わる」などの主張がきかれる。これらの「通説」と佐々木の主張がいかに離れたものであるかが、わかるだろう。

佐々木惣一の略歴 http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/jinbutsu.html佐々木惣一の憲法解釈を援用して砂川判決を論じた論文:、盛秀雄「砂川裁判における憲法法理の諸論点」http://ci.nii.ac.jp/naid/110000406654佐々木惣一の生活権をめぐる議論のまとめ
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20140531#p1
投稿者:田中 秀臣

田中秀臣氏 
上武大学ビジネス情報学部教授。専門は日本経済論、日本経済思想史。AKB48などのアイドル、韓国ドラマやマンガ、アニメなどのサブカルチャーに関する著作や論文も多い。 著書に『雇用大崩壊』(NHK生活人新書)、『不謹慎な経済学』(講談社)、『経済政策を歴史に学ぶ』(ソフトバンク新書)、『偏差値40から良い会社に入る方法』(東洋経済新報社)、『デフレ不況』『AKB48の経済学』(ともに朝日新聞出版)など。 共著に『エコノミスト・ミシュラン』(太田出版)、『日本思想という病』(光文社)、『昭和恐慌の研究』(東洋経済新報社)がある。 Twitter:@hidetomitanaka

【私の論評】安保法制=戦争法案としてデモをする人々は、まるで抗日70周年記念軍事パレードをする人民解放軍の若者と同じか?

上の記事、比較的短いのと、今の日本においては非常に重要であり、示唆に富んでいると思いましたので、全文引用させていただきました。

ブログ冒頭の記事と合わせて、以下の動画をご覧いただければ、さらに田中秀臣氏の主張がさらに良くご理解いただけるものと思います。


この動画でも指摘されていたことですが、とにかく今の日本では、金融緩和をするときにでも、増税のときにでも、そうして今回の安保法案の改正に際しても、完璧に過去の歴史が忘れ去られ、何やらこれらの問題が、突然降って湧いたかのような論議がなされ、前後数ヶ月単位のことでしか論議されないことがほとんどだし、多少考慮したにしても、せいぜい数年のことしか見ないという状況がみられます。

マクロ経済学の標準的な教科書では、どの教科書でもデフレのときには金融緩和や、積極財政をしなさいということは書いてありますが、デフレのときに金融引き締めや、緊縮財政である増税をしなさいなどと書いてある教科書はありません。

なぜそうなのかといえば、無論論理的にもそうなのですが、古今東西にある成功事例がそれが正しいことを実証しているからです。にもかかわらず、なぜか日本ではデフレのときに金融引き締めを実行し続けるとか、デフレの最中に増税するなどという愚かなことが繰り返され、古今東西に例をみないほどの長期間の15年以上もデフレから脱却できないというとんでもない状況に追い込まれました。

しかしながら、過去の日本には、世界的デフレから世界で一番最初に、脱却できたという事例があります。この事例についていは、このブログでは何度か掲載したことがあります。その典型的な記事のリンクを以下に掲載します。
ポール・クルーグマンの新著『さっさと不況を終わらせろ』−【私の論評】まったくその通り!!

高橋是清

さて詳細はこの記事をご覧いただくものとて、この記事では、世界恐慌(日本では昭和恐慌と呼称)のときに、日本では当時の大蔵大臣であった、高橋是清が高橋は矢継ぎ早に、デフレ対策(今のいうところのリフレ政策)を行い、当時世界で一番早く日本が世界恐慌から脱却することに成功しました。

日本では、こうした過去を二つの側面から完璧に忘却されていました。その二つは何かといえば、まずは世界恐慌(昭和恐慌)の原因は、デフレであったということです。これに関しては、長い間はっきりしないところがあったのですが、1990年代に経済学者が、実際の数値を元に、世界恐慌の原因はデフレであったことを実証しています。

二つ目は、このデフレを日本は、金融緩和政策と、積極財政によって世界で最も早く克服することができたという事実です。日本は、大東亜戦争前に完璧にデフレから脱却することができましたが、アメリカが脱却できたのは、大東亜戦争半ばのことでした。

しかし、日本では日銀が白川体制から黒田体制に変わるまでは、デフレのときに金融緩和すべきという過去の歴史を見ても当たり前であることが、認識されず、放置されつづけ、そのため日本は古今東西稀にみる、15年以上もデフレ、デフレ気味ということでは20年間も放置され続けました。

また、2013年には、財政再建のため増税すべきとか、増税してもその影響は軽微という屁理屈により、8%増税が決定され、14年4月から導入されてしまいました。その結果は、もう明らかになっていますが、増税は大失敗であり、影響が軽微どころか、甚大な悪影響がありました。金融緩和の効果によって、せっかく景気が上向いていたにもかかわらず、その効果の腰を折る結果になってしまいました。

「戦争したくなくて震える」というキャッチで札幌で挙行された馬鹿者のデモ

そうして、最近では、「集団的自衛権=違憲」という言説が一部の人々にまるであたかも常識のようにまかり通っています。マスコミも、野党も、多くの憲法学者が「違憲」としているから、当然「違憲」であり、あろうことか、憲法解釈による集団的自衛権の行使が完璧に違憲であり、安倍政権の打ち出した安保法制はそもそも、全部違憲で「戦争法案」であるという詭弁を弄する有様です。

しかし、これは詭弁以外の何ものでもありません。多数の憲法学者が「違憲」という判断を示したとしても、「違憲の疑いがある」というに留めるならまだしも、はっきりと「違憲」としてしまえば、詭弁以外の何ものでもありません。なぜなら、本来違憲があるか否かの判断は、憲法学者がするわけでもないし、内閣法制局等の官僚がするわけでもないし、実施すべきは最終的には最高裁判所であるからです。

そうして、田中秀臣氏が指摘するように、完璧に過去の佐々木惣一のような憲法学者の主張を完璧に無視しています。無視というか、野党の言説や、マスコミの報道を見ている限りでは、まるでそのような主張はこの世には存在しなかったかのような扱いです。

上に述べられた、憲法9条等に関する佐々木惣一氏の主張を簡単にまとめると以下のようになります。
憲法によれば、国家は、戦力、武力による威嚇及び武力の行使については国際紛争を解決する手段としてではなく、自衛などの国際紛争を解決する手段以外では、日本国が戦争をし、武力による威嚇をし、武力を行使することを禁じているのではない。 
交戦権については、「第一項は戦争するという事実上の行動に関する規定であり、第二項は、戦争に関する意思の活用に関する規定である」として、国際紛争を解決する手段としての戦争をする意思を活用することを表現している。そのためこの交戦権も自衛権を放棄していることではない。 
この佐々木による解釈は純粋な法理論のモノであり、現実の政策とは分けて考えるべきであり、どんなに憲法解釈が純法理的にすばらしくても、現実に平和が維持されないでは意味をなさない。

佐々木惣一氏は、憲法学者の中でも、京都学派に属しています。京都学派は、佐々木惣一、大石義雄、阿部照哉、佐藤幸治らを中心とした憲法学の学派であり、東京大学を中心とする学派の政治学的解釈に対する法律学的解釈を志向するなどを特色としています。

現在の日本では、憲法学においては、東京大学を中心とする学派が主流になっており、これに属する憲法学者が「集団的自衛権=違憲」としているわけです。

しかし、数は少ないとはいえ、京都学派の系譜を踏む、憲法学者も今の日本にも存在します。これを無視するのは、過去の日本の憲法学の歴史を無視することになります。

そうして、こういうことがまかり通るのであれば、上の動画で田中秀臣氏が指摘するように、地球は未だに宇宙の中心になっていたかもしれません。なにしろ、ケプラーが地動説を唱えた時代には、天動説が主流でしたから、数の多さが正しいことになるという論理であれば、地動説はこの世から消滅していたはずです。

そうして、私自身は、日本国憲法はGHQ により定められたものであり、日本人の手によるものではないのですが、さすがにいくら当時のGHQが日本の弱体化を図っていて、日本国憲法は彼らの草案によるものではありますが、どう考えでも、自衛のための戦争、戦力保持、交戦権を完全否定しているとは考えられません。

いくら当時のGHQが、コミンテルンのというソ連のスパイに浸透されていたという歴史的事実があるにしても、ソ連にしても、いかなる国であろうと、自衛権まで完璧に否定するような憲法などあり得ないと考えていたし、それが常識だと思います。

当時のソ連としては、国際的紛争の手段として、将来日本が復活して再度強大な軍事力を用いれば、過去には関特演に圧倒され怯えていたソ連もいずれまた脅威に晒されることになる恐れも十分あったので、これは完全に否定したものの、自衛権まではさすがに否定しきれなかったと思います。

関東軍特種演習(関演演)の様子

自衛権を否定する憲法を草案したとしたら、それは採用されるはずもないという判断というか、そもそもそんなことはあり得ないということで、少なくとも潜在意識中にはそのような観念があったと思います。だからこそ、日本国憲法9条も、佐々木惣一氏の指摘するように、自衛権そのものまで否定するものではないと私は、考えます。

しかし、日本では、リフレ政策が長い間日の目を見なかったのと同じく、今でも、京都学派のこのような考え方は、顧みられることはありません。これを全く否定することは、どう考えても、思考の停止以外の何ものでもありません。

マスコミや、野党、一般の人でも「集団的自衛権=違憲」ましてや「安保法制=戦争法案」などとする人は、完璧に思考停止していると受け取られても仕方ないと思います。

天安門広場での軍事パレード。中国は抗日記念行事を行うとしているが、
そもそも、現中国が日本と戦争をしておらず、これを行う歴史的根拠がない

このような態度は、まるで中韓の歴史修正主義のようです。中韓の歴史修正主義については、昨日のこのブログにも掲載したばかりです。高橋是清や、佐々木惣一の偉業を無視すること、なきが如くに振る舞うことは、日本の経済や安全保障を考えるときには、著しく公平を欠いた行為であると言わざるを得ません。

字面通りに読んでも、憲法9条は日本国の防衛までは否定していないと私も思います。これを、疑問に思う、反対であるという程度ならまだ理解できますが、完全否定して憲法違反などと決めつける輩は歴史改ざんする中韓のように全く進歩がないと私は思います。

結局、今回の安保関連法を「戦争法案」などと決めつけてデモをする人たちは、中国の天安門広場で、軍事パレードをしている人民解放軍の若者とあまり変わりないように私には見えます。人民解放軍の若者は、抗日記念行事に何の疑問も持っていないことでしょう。彼らは自らの祖国が日本と一度も戦争をしたことがないことなど知らないか、気にもとめていないと思います。中国共産党政府が歴史修正を行っていることなどにも、全く無頓着だと思います。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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佐々木惣一氏の書籍で現在アマゾンで入手できるものと、佐々木惣一氏を紹介した倉山満氏の書籍を以下にチョイスさせていただきました。

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2015年7月25日土曜日

朴大統領“苦悶”の先延ばし 中国抗日記念行事返答 欠席続出なら習主席“大恥” ―【私の論評】そもそも、中韓に抗日記念行事をする歴史的根拠がないのですが?


北京・天安門広場での軍事パレード

韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領が苦悩している。中国が9月に北京で開催する「抗日戦争勝利70周年記念行事」への出席を招請されているが、出欠の決断を先延ばしにしているのだ。背景には、日韓、米韓関係への影響に加え、国家の正統性に関する悩みも指摘される。中国は50カ国余りの首脳らに出席を呼び掛けているが、何と大半の国が態度を保留しているという。欠席が相次げば、習近平国家主席のプライドを傷付けることになりそうだ。

「(今年は)抗日戦争勝利から70年だ」「人々が歴史に学び、未来への鏡とする大事なときだ」

習主席は3月末、海南省で開かれた「ボアオ・アジアフォーラム」年次総会での基調演説で、日本をこう牽制した。

中国は9月3日、政府主催で記念大会と軍事パレードを行う。東シナ海で海洋プラットホームを増設させ、南シナ海の岩礁を埋め立てて軍事基地化するなど、軍事拡張路線に国際社会の批判が集まるなか、自国は「戦勝国」として振る舞う一方、日本の戦争責任を強調することで目先をそらす狙いもありそうだ。

王毅外相は「あらゆる関係国の指導者を招待する」としており、外交筋によると、日本や韓国、北朝鮮、欧米諸国に加え、侵略や植民地支配を受けた経験を持つ東南アジア各国の指導者らを招待しているという。中央アジアや中南米の各国にも参加を求めている。

ロシアのプーチン大統領など、数カ国の首脳が出席に前向きな返事をしているが、実は、ほとんどの国が態度を明らかにしていないという。


正式招待を受けた東南アジアの外交筋は「安倍晋三首相が戦後70年談話を発表した後に、日中関係がどうなるかを見極めてから出席するかどうかを決める」と語った。

安倍首相としては、「軍事パレードや式典に出席することには否定的」(官邸筋)といい、9月初旬の中国訪問と、習氏との首脳会談の実現に向けた調整を本格化させているようだ。

事前調整のためか、国家安全保障会議(NSC)の谷内正太郎国家安全保障局長は17日、北京で中国の李克強首相と会談し、両国関係を発展させるために首脳レベルの対話が重要との認識で一致した。

こうしたなか、対応が悩ましいのが、韓国の朴氏だ。

韓国・中央日報(日本語版)は6月24日、中国専門記者の「朴大統領、中国の招請にどう答えるのか」というコラムで、慎重論として、(1)日本を過度に刺激する(2)中国の軍事力誇示に付き合う格好になる(3)明確に中国側に立つことになる-と列挙した。

オバマ米政権が、中国が東、南シナ海で軍事的覇権を強めていることに警戒を強め、対決も辞さない構えに変わりつつあることも影響しているとみられる。

一方、肯定論としては、(1)韓国も抗日戦争に動いた歴史がある(2)北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)第1書記が出席する可能性があり、南北関係改善の突破口になるかもしれない-と指摘した。

 その後も朴氏が決断しないためか朝鮮日報は今月14日、「中国の『戦勝記念日外交』と韓・中・日関係」という記事で、一連の記念行事が「北東アジア外交の分水嶺(ぶんすいれい)になる可能性が高い」とし、朴氏が出席すべきだと促す記事を掲載した。


中国は目玉の軍事パレードに、韓国軍と朝鮮人民解放軍を同時招請している。これが、朴氏の悩みを深めている可能性もある。

アジア情勢に詳しい元公安調査庁調査第2部長の菅沼光弘氏は「かなり悩ましいはずだ。米国の要請もあり、朴氏は6月の日韓国交正常化50年の記念行事に出席し、関係改善に舵を切った。出席すれば日本や米国を刺激しかねない。加えて、北朝鮮の金第1書記も出席するようなら、南北の争いが勃発しかねない」といい、続けた。

「韓国は、1940年に中国・重慶で創立された光復軍が抗日戦争を戦ったと主張しているが、北朝鮮はこれを認めていない。北朝鮮は、金日成(キム・イルソン)主席が率いた朝鮮人民革命軍が抗日戦争を戦ったとしている。朴氏と金氏が『抗日戦争勝利70周年』の記念行事やパレードに出席した場合、『どちらの軍が抗日戦争を戦い、朝鮮半島の国家としての正統性を持つのか』という問題が浮上する。これは単純な問題ではない」

ロシアが今年5月、対独戦勝70周年記念式典をモスクワで開いたとき、朴氏はウクライナ危機で欠席した欧米諸国にならって出席を見送った。

韓国経済が苦境にある現在、日米両国の動向を見据えながら、貿易総額1位である中国の要請を、朴氏はどう判断するのか?
【私の論評】そもそも、中韓に抗日記念行事をする歴史的根拠がないのですが?
中韓両国が、抗日行事を開催するというのは、非常におかしな話です。そもそも、現在の中国や、韓国は日本と戦争したこともありません。戦争したこともない国に勝ったなどと主張し、抗日記念行事など本来できないはずです。これ自体がそもそも、歴史の修正そのものです。
まずは韓国が日本と戦争したことすらないと言う史実については、昨日のこのブログでも掲載したばかりです。昨日の記事のリンクを以下に掲載します。

【目覚めよ日本 英国人記者が見た真実】不都合な歴史を直視しない韓国 日本人はいわれなき批判には断固反論を― 【私の論評】日本は、他国の歴史を自国に都合良く改ざんする国とはつき合うな(゚д゚)!

朝鮮人陸軍特別志願兵の行進(1943年1月)

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に朝鮮建国についての記載のみコピペします。
韓国が独立したのは、日本からではない。朝鮮独立運動の結果でもない。日本の降伏(1945年8月15日)に伴って、朝鮮は自治権(=独立ではない)を得たが、翌月に進駐してきた米軍は自治権を認めず、軍政を敷いたのだ。韓国は48年8月13日、「米国の占領統治から独立させてもらった」というのが歴史的事実である。
この史実の他、この記事では、当時の朝鮮半島では、朝鮮人の軍人を募集したところ、多くの人が志願して、倍率がとんでもなく高くなったことも指摘しました。

大東亜戦争中は日本の統治下にあり、朝鮮人軍人が日本軍として、参戦したことを考えると、どう考えても、韓国が抗日記念行事を執り行ったり、中国のそれに参加するということは、矛盾しています。

国民党軍の兵士、当初はドイツ将校から支援を受けたため服装はドイツ風

これは、中国も同じです。現大陸中国の中華人民共和国は、日本と戦争したことは、公式、非公式問わず一度もありません。日本が戦争をしたのは、当時大陸中国を一部掌握していた、中華民国の国民党軍とです。

それに関しても、このブログに以前掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。

【中国の本性】日中戦争2つの真実 侵略戦争ではなく人道的、道義的介入だ ―【私の論病】毛沢東は日本軍に感謝!修正された侵略戦争なる歴史の嘘を信じるべきではない(゚д゚)!

北平(北京)郊外の盧溝橋で、夜間演習中の日本軍と警備の中国軍が衝突。日本軍は
盧溝橋を完全に占拠した。盧溝橋の碑の前で万歳する日本軍=1937年7月8日

これも、詳細はこの記事をご覧いただくものとして、以下に一部分のみコピペします。

中国共産党政権の設立者である毛沢東が、日本の侵略に感謝するような発言をしていたといううわさは、中国の民間で広く伝わっており、学術界でもかねてから論争を繰り広げていたが、これまで民間メディアが報道することはほとんどなかった。しかし、先月末に発行された上海の「文匯読書週報」に、この事実を分析する記事が掲載された。 
 同紙が掲載した中国社会科学院近代史研究所研究員・陳鉄健氏の書評「『“中間地帯”の革命』から学ぶ:中国共産党はなぜ勝ったのか」で分析している。 
「同著は『1927年と1934年に大きな失敗を犯した中国共産党がどのようにして極めて弱小な状態から徐々に成長していったのか?もともと十分強大で中国を統一していた国民党はなぜ弱小化し、瓦解してしまい、戦後の新たな情勢や条件に適応できず、最後には中共が転覆することになったのか』という質問を投げかけ、答えは明白である」と切り出す。 
 陳鉄健氏の引用した中共出版の『毛沢東外交文選』には、毛沢東が1950年代に来訪した日本人に対し、「事実、日本帝国主義は我々にとってよい手本となった。第一に、蒋介石の力を弱めてくれた。第二に、我々の共産党指導の根拠地と軍隊を発展させることになった。抗日戦争前、我々の軍隊は30万人に達していたが、自ら犯した失敗により2万人に減っていたところ、8年間の抗日戦争で、我々の軍隊は120万人に発展した。日本に我々は助けられたのではないか?」と話したとある。
もし、当時毛沢東の革命軍と、日本軍とが戦っていたら、毛沢東がこのような発言をすることもなかったと思います。もし、日本軍が国民党軍と戦っていなかったとしたら、そもそも、毛沢東の革命軍は勝利することもなく、中華人民共和国も建国されず、中華民国がそのまま大陸中国に残っていたかもしれません。

日本は、中華民国とは戦争しなければ、良かったかもしれません。戦争したとしても、途中できりあげ、ソ連との戦争に集中すれば良かったのかもしれません。

当時ソ連と日本はソ満国境紛争で、大敗北を喫したように言われていましたが、ソ連崩壊後のロシアの文書公開で、実はソ連側の被害も甚大で、どちらかというと日本勝利という結果だったことが判明しています。

ソ満国境紛争で初めて投入された日本陸軍の九七式戦車

中国になど拘泥されず、ソ連との戦いに絞っていれば、共産中国も成立せず、ソ連崩壊を早めたか、早めないにしても、かなり弱体化できた可能性があります。

とはいっても、歴史に「もし」はないので、事実は無論そうではありません。しかし、これに近いようなことをしている国があります。

それが、中国と韓国です。上にあげたように、現在の中国と韓国とは日本とは一度も日本と戦争をしたことがありません。そんな中国が、抗日記念行事を開催し、それに韓国を招待したのですが、韓国が返事を渋っているというのが、ブログ冒頭の記事です。

抗日記念行事をするということは、中国は日本と戦争したという歴史の捏造に他なりません。いわば、戦ってもいないのに、戦勝国面をしているということです。それは、韓国も同じことです。

これら、歴史の改ざんを自分勝手に行うことがバレバレの国の、抗日記念行事など、本音ではどこの国も参加したくないと思います。

いや、違うか、ロシアがいます。ロシアの前身のソ連は、日ソ不可侵条約を締結したにもかかわらず、終戦末期に日本が弱体化した頃を見計らって、当時の満州や北方領土に進行しました。

そうして、終戦後には日本兵を何の根拠もなく、シベリアに送って、食事も満足に与えず強制労働をさせ多数を死に至らしめました。そうして、今にいたるまで、ホッ方領土を不当に占拠し続けています。そうして、ことあるごとにこれらを正当化し、歴史の改ざんを行っています。

中国の似非抗日記念行事に、卑怯者国家ソ連の後継国ロシアが参加するのは、こうしたことを考えると理にかなっているかもしれません。中国も、ロシアも結局歴史の改ざんを自分の都合の良いように行っているからです。

それにしても、この行事に韓国が参加するというのは、筋が通らない話です。朴槿恵大統領はこの矛盾をどう説明するのでしょうか。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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