堀江貴文被告がマスコミの表舞台から姿を消して久しい。久しぶりにみてみると、何か哀れな感じがする。彼には、人生の目標とか、目的は無かったのかと思う。何のために、Livedoorを運営していたのか、将来どうしたかったのかが、見えてこない。結局ただただ、お金を儲けたかっただけなのか・・・・・・。
【主張】ライブドア判決 規範の重み再確認したい(すでに内容をご存知の方は読み飛ばしてください)
(産経ニュース)2008.7.26 03:04
このニュースのトピックス:主張
粉飾決算など証券取引法違反の罪に問われたライブドアの元社長、堀江貴文被告に対する控訴審判決で、東京高裁は被告側の控訴を棄却、1審の懲役2年6月の実刑判決を支持した。
無罪を主張し、執行猶予のつかない実刑判決を不当などとした被告側の訴えは退けられたのである。堀江被告が提出した「株式市場に対する不信を招き、悔やんでも悔やみきれない」などとする上申書も「犯行についての反省の情はうかがわれない」と一蹴(いっしゅう)された。
高裁の判断は妥当であり、この事件が市場に与えた影響の深刻さを物語っているといえる。
ライブドアの旧経営陣は「友達感覚」で会社を経営し、株価をつり上げるため、まるでコンピューターゲームをしているかのように、法やルールの不備をみつけ、そこにつけ込むことに躍起になっていた。
そこには、上場企業の経営者としての株主に対する責任感はまったく見えない。
こうした行動は、一般の個人投資家を投機に走らせ、市場をゆがめた。ITベンチャー企業の旗手と持ち上げられた反動もあって、その転落は新興企業全体の信用を傷つけた。
規制緩和・廃止という流れの中で企業経営の自由度が広がれば、より厳しい自己規律がトップに要求されるのはいうまでもない。
しかし、「法に触れなければ何をしてもかまわない」という発言に象徴される通り、堀江被告にはこの重要な部分が欠けていた。高裁判決が「被告人の規範意識は薄弱」と断じた通りである。こうした企業経営が横行すれば、再び規制強化論が勢いを増しかねないだけに、これは重要な指摘だ。
量刑も、「成長を仮装した粉飾」は損失隠し目的よりも結果は大きいとし、弁護側の不当に重いという意見を退けたのも、粉飾発覚時の投資家の損失の大きさを考慮すれば、妥当であろう。
それにしても、不正会計、食品の産地偽装、高級料亭の食べ残し・使い回しなど企業不祥事が後を絶たない。そこにライブドア旧経営陣に通じる法令順守精神の欠落、規範意識の低さが見えるのはどうしたことか。
控訴審判決が投げかけた深刻な論点は、堀江被告だけでなく、すべての企業経営者が真剣に受け止めなければならない。
会社にも身の丈が?最近、通り魔事件の犯人や、ストーカー判事などに関して「身の丈」を知るべきだなどと、説教がましいコメントなどを書いています。この「身の丈を知ること」、会社にとっても重要なのではないかと思います。
「人の身の丈」については、今までのブログに十分欠いてきたと思いますので、ここでは「会社の身の丈」を定義してみます。
「会社の身の丈は、その時々できちんと把握しておく必要があると思います。勿論、一度決めた身の丈がそのままというわけではありません。会社が努力すれば、伸びることも あります。人間の身長と違って、ここでいうところの「会社の身の丈」は、設立から年月がたつたたないに関わらず、会社の人間の努力によりかなり伸びる余地があります。特に得意分野に関し てはそうだと思います。しかし、会社の得意な分野であろうとなんであろうと、その時々で会社の身の丈を把握しておくことは重要なことだと思います。これ は、簡単なようでいて難しいことです。不当に高く評価してもいけませんし、不当に低く評価してもいけません。それに、身の丈を図る評価軸はなるべくたくさ ん持っておいたほうが良いと思います。いくつたくさんある評価軸で評価した、多くのものを総合したものが「会社身の丈」というものだと思います」。
さて、堀江貴文被告は、ライブ・ドアの身の丈をきちんと把握していたのでしょうか?私には、そうは思えませんフジサンケイグループのとの件はさておき、別会社のファンドで儲けたお金を本社の売上に計上した件に関しては、素人丸出しの不手際です。それに、ライブ・ドア・グループの評価にあたり、株主総会などでも、資産価値総額のみを前面に打ち出したことも素人丸出しとしかいいようがありません。
会社の経営者というよりは、月並みなファンドマネジャーあたりの認識とあまり変わらなかったと思います。このような素人丸出しは、もし旧ライブドア経営陣の中に一人でも年長者でまともな考えをもった人がいれば、十分防げたものと思います。まるで、大学のコンパかなにかの乗りで経営していたとしか思えません。
経営者として十分な見識もなかったといわれても言い訳できないと思います。ライブドアに関しては、経営者が自身の「身の丈」を理解していなかったのと同時に当時の会社の「身の丈」も理解していなかっと思います。健全な経営さえしていれば、本人も未だ社長の地位にあったでしょう。情けないことです。
多くの人々が、堀江貴文被告に対して従来は時代の寵児としてもてはやし、罪に問われると掌をかえすように離反しました。しかし、この見方は非常に問題だと思います。人間のある一面や、事態の大部分を見過ごしていると思います。それは、時代の変化であり転換です。
拝金思想は時代遅れ?先日「カンブリア宮殿」というテレビ番組で学生時代にIT企業を運営していて、それなりに成功していた東大出の若者が、いまではNOPの主催者となっていて、番組のディレクターから「堀江さんのことはどう思いますか?」と問われて「なんとも思いません。彼の生き方に共感はできません」ときっぱりとこたえていました。
私自身は、堀江被告をはじめとする、いわゆる形や、姿はどうであれ、いわゆる自由主義経済などといっていますが、結局「拝金思想」といわれる思想を持つ人々は最早時代遅れの人々なのではないかと思います。
なぜなら、現代は急速に変わりつつあり、21世紀に求められるのは、都市化したジャングルを文明化することであり、都市が抱える数多くの社会問題を解決するために非営利団体(NPO)の急速な興隆が求められているからです。現代の都市は様々な政府、民間、非営利組織が様々の目的を持ち、それぞれバラバラな価値観、行動規範を持って活動しています。都市全体を束ねる価値観、行動規範など希薄になりがちです。そうして、様々な社会問題が発生しています。これらを解決し、都市全体を束ねる価値観、行動規範をつくるためにもNPOの興隆、それも有力なNPOの興隆は不可欠です。
このことに、先進国の中で日本だけが未だ気づいていないようです。アメリカやヨーロッパなど比較的昔から時間をかけて金持ち国になった国々においては、うまくいっているかどうかは別にして、大方の人がが気づいているようです。これらの国々では、ビクトリア時代からNPO活動が盛んで、特にソビエト連邦が興隆して、大きな政府で国が社会福祉を全部引き受けると宣言する前までは、ほとんどの国は社会福祉や、社会問題のほとんどを国ではなくNPOが実施していました。
日本ではそのような経験がないため、NPOなどというと弱小で、善意あふれる人達が手弁当で実施する理想のお仕事で善意あふれる人々の道楽くらいにしか捕らえていないようです。あるいは、趣味の世界の延長のように思っているようです。
そんなことは、ありません。アメリカの多くの都市で、NPOが実質上の都市計画を実施しています。そうして、サブプライムローンのような馬鹿な真似をせずに、低所得者向けの住宅を大量につくったりして大成功を収めたりしています。職業訓練に成功した大きなNPOが職業訓練の場から、従業員の住宅、工場群、できた製品を売ったり、運んだりするためのシステムを構築し、一つの大都市を作り上げた例もあります。日本人には考えもつかないかもしれません。これらの、NPOの資金は、無論政府の補助もありますが、大部分が企業や個人の献金によるものです。さらに、自らも利益をあげています。日本だと考えられないような、多数の正規職員が有給で、無給のボランティアをマネジメントしています。
日本人の多くは、政府の人間が、役人、政治家ともに「大天使」になれば、すべての問題、特に社会問題など解消されて住み良い時代になると考えており、住み良くならないのは為政者の責任だと思ってるようです。しかし、こうした政治に対する幼児性を持つ国民は先進国では日本だけです。たとえ、政治家や役人が善意あふれる人だけで構成されるようにしても、政府が実施する非能率・非効率は是正されません。無論基盤の整備に狂いが生じた場合は、それこそ、政治の責任であり、政治家、役人は取り替えれば良くなります。でも、それだけではすまないということです。
他の先進国では、とうの昔に「国による社会的救済」など信じていません。政治にはもともとそのような能力はないのです。政治はいわゆる基盤(インフラ)の整備はできますが、その上での活動はもともと不得手どころか、手を出すとほとんど大失敗しているのは皆さんご存知でしょう。
基盤の上で活動するのは、民間企業であり、非営利団体(NPO)です。しかし、日本ではあまりにNPOの力が弱すぎます。これを強化していく必要があります。このまま、有力NOPが輩出しない、にほんであれば、様々な社会問題は解決されないまま放置されることになるでしょう。
若者の中でも先の「カンブリア宮殿」に出てきたような、NPOを主催する人もでてきています。民間企業でも、いわゆる金を儲けるだけの企業は、だんだん人気が衰えているようです。民間企業でも、社会的使命を明確にして、それにとりくんでいるような企業に関しては人気があるようです。
大きなNPOが大規模に社会事業に取り組むようなことは、中国のように経済が脆弱な国では実現できないことです。中国などでは、お金持ちがいる一方大多数の国民が食うや食わずの生活をしています。このようなところで、NPOと叫んでも誰にも理解されないことでしょう。
しかし、日本はもう違います。誰にも利用されないお金がぎっしりと日本国中に蓄えられています。極端なことを言うと、10人の村(話を簡単にするため全員大人とします)で、4人くらいの人が働けば、10人全体の生活を維持できるくらいにまでなっています。働いていない6人のうち、3人は高齢や障害でなかなか働けない人です。残りの3人はどうするのでしょぅか?昔なら困ったことでしょう。しかしいまや答えは簡単なことです。残りの3人がすべきは、それこそNPOです。高齢や障害でなかなか働けない人の面倒を見たり、働いている人がなかなかできない社会問題の解消や、生涯学習のお手伝いなどです。
個人あたりのGDPなどはアメリカも日本もかなり落ちています。しかし、これは富を蓄えた国に特徴的なことであって、未だに国民一人あたりの資産が1,000万円を超えているのは、アメリカと日本だけです。イギリスなどは未だ500万円台にすぎません。中国などはそのような統計を出しても意味がないので出していないのかもしれませんが、個人あたりの資産など日本や、アメリカと比較すれば、ほぼゼロといっても良いくらいの状態だと思います。
このような国に有力なNPOがないということ自体が信じられないことです。もうそろそろ、国もNPOを認識して、自らわけのわからない外郭団体などつくって、途方も無い無駄遣いをするより、能力があるNPOに対しては、大きな仕事を受注できる体制を整えるべきです。
未来への挑戦日本でこれから伸びる、あるいは、伸びなければならないのはまさに非営利団体です。おそらく、今後最も伸びる分野であると考えます。20世紀が営利組織の時代であったように、21世紀の主役は非営利組織になり、大きな社会問題をどんどん解消していくべきです。そうして、グリンピースのような組織を維持するための組織にはならずに、常に変革をとげて、時代の要請に応える組織を目指すべきです。
楠正成 こうした、さなかにあって、拝金主義の堀江被告は、古い時代のモニュメント的な存在になるかもしれません。まるで、富の源泉が武力であった人達を今日の我々が見るのと同様に、たとえば
楠正成などをみるように過去のモニュメントとしての堀江を見るようになることでしょう(ちょっと良く表現しすぎですが、なかなか歴史上の人物が思いつかなかったので、当時は朝敵とされた楠正成としてみました(笑))。おそらく、時代は変わって、時代にはあわないものの、過去の歴史の一こまとしてみるようになるでしょう。そうして、歴史研究者の格好の研究材料となるかもしれません。
営利企業ですら、NPO的になることが求められるでしょう。企業の社会的使命を明らかにして、その使命を遂行するために存続することを宣言し、存続のために利益が必要であり、利益というものは、観念上の産物にすぎず、組織の存続のために必要な未来の経費であることを消費者に納得してもらって初めて存立できる存在に変貌を遂げていくことと思います。
非営利団体と営利企業の間の区別が不明瞭になっていくことでしょう。NPOは、厳しくマネジメントをしたり、自らも利益をあげることにより、営利企業に近づき、営利企業は、社会的使命をはっきりさせ、それを実行するという意味でNPO的になっていくことでしょう。
一昔前なら考えられないことだと思います。大きな社会事業など理想主義者のたわごとであり、そんなことより、今日明日の稼ぎが大切だと考えられていた時代には、このような考えは「幼稚」「理想主義、観念主義」などといわれて省みられなかったでしょう。
しかし、それは違います。上記のような考え持つ人には、信じられないことかもしれませんが、これらの団体では、いつも自らの存在価値を生活者に示し続けるために自己変革を継続しなければならず、今より熾烈で、激しい競争と厳格で厳しいマネジメントが適用されるようになると思います。不正会計、食品の産地偽装、高級料亭の食べ残し・使い回しなど企業不祥事などをしているような事業は生き残れません。事実アメリカの有力NPOでは、日本の営利企業よりも厳しいマネジメントを実施しています。有給のマネジャーが無給のボランティアを四半期ごとに厳しく評価し具体的な評価をしながら、「この調子でやてください」「この調子だと、仕事を任せられない」などと評価を下し実施します。
いま、我々は時代の転換点にあるのだと思います。堀江や、先のブログにも述べた、「身の丈」を測れない、ストーカー判事や通り魔犯などは、転換期を乗り切れなかった時代の「徒花(あだばな)」として未来の人から認識されるようになると思います。
20世紀の価値観は自由主義経済に代表されるようなものであり、それ自体にもその時代の中で価値はあったと思います。人間はまずは経済的に自立しなければ、幸せにはなりえません。だからこそ、多くの人を経済的に自立させという意味合いではその意義はあったと思います。
しかし、21世紀は、我々の先達が行って大成功した明治維新ように、経済ではなく社会を見つめる時代だと思います。そうして、20世紀に営利企業が注目されたように21世紀には社会事業が社会起業家が着目される時代となるでしょう。先ほどのカンブリア宮殿にでてきた若者など、20年後には、「大社会事業を実施する大きなNPO」の主催者になっているかもしれません。そうして、いわゆる「社会規範」や、組織で序列、個々人の「身の丈」の測りかたも変わってくるかもしれません。健全な経済は、健全な社会に宿ると思います。健全な社会ができなければ、経済も停滞することになるでしょう。
時代は変わりつつあります。こうした時代の転換期にあたって、自分を見失わないように、古い考えや認識のうち良いものは維持し、悪いもの、時代遅れのものは捨て去り、新たな考えや、認識を身につけ、果敢に将来に向かって挑戦していきたいものです。
もっと小さな話でまとめようと思っていましたが、大きな話になってしまいました。いつも頭の中にあって、いつか書こうと思っていた事柄が、噴出してしまったという形になりました。まとめ方も悪かったと思います。疑問や判らないことがありましたら、どんどんコメント願います。よしろくお願いします。
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